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神獣討伐 終局

 青々と輝く宝石のような鱗。すべてを見通すかのような神聖な銀の瞳。ガラスのように透き通った大きな二本の角。首から背中にかけて一直線に伸びている白いたてがみは、空に浮かぶ雲のように壮大で、空と同化している青龍はまさに空そのものであった。

 そして、なんと言っても青龍が他の黒龍たちと違う点は、その度を越えた巨躯だった。およそ五千メートルを超える体長はもはや人間がどうこうできる生物の大きさではなく。ひとたび地表に降り立てば、轟音と共に大地が鳴り揺れ裂けた。空を泳げば、その巨躯にも関わらず黒龍たちよりもはるかに速い速度で動くため、あたりに生物が即死するほどの衝撃波をまき散らしながら翔ける。


 人智を超えた空の支配者青龍は、もはや人間が崇める神と等しい存在とさえ言えるのだろう。

 それは青龍が周囲に及ぼしている凄まじい圧からも感じ取れた。人間ではその圧を浴びれば、心と脳が受け取った圧に耐えきれずに自我が崩壊し、自ら生きることを諦めるか壊れることしか選択肢がなかった。

 このように、青龍は生き物という枠組みから明らかに外れていた。

 現象そのものと言えばいいのだろうか?

 神聖な慈悲無き破壊。神が人類の原罪に対して下した罰。終末の天災。

 いずれにせよ、青龍が人間の想像を絶する存在であることに変わりはなかった。


 しかし、そんな神にも等しい龍の前に臆することも無く平然とした顔で立っている彼は何者か?


 くすんだ青い髪はどこか不完全で、青白く光る目に感情がない。表情は凍りつくように死んでいた。

 身体はそこら辺の人族たちよりちょっと大きいくらいの百八十七センチで、五千メートルある青龍からみれば彼はただの塵でしかない。


 本来ならば、相手にするまでもないどころか、人間が眠っている青龍に近づくだけで狂ってしまうほどの圧を日ごろから放っているのだ。つまり、龍の山脈の聖域内には、青龍の存在しているだけで発する圧に、自動的に処理され狂わされる空間が出来上がっていたことになる。

 これは人類で初めてこの領域に到達したアスラ帝国の初代剣聖ナキア・ミュンヘルがその身をもって証明していた。

 そして、目覚めてしまった青龍の圧はさらに強まり、およそその青龍から半径30キロメートルほどが、即死するキルゾーンとなってしまい、その場にいるだけで生命は絶命を強制的に強いられていた。

 まさに触れられざる神であり、人間が戦うという思考すら考えられなくなるほどの龍だった。


 だが、それでもあまりにも埋まらない差が両者にはあった。


 ハル・シアード・レイ。


 彼が刀を振るって放った衝撃は、青龍が体内に溜めこんでいたマナを物理的な力に変換した衝撃波を容易く薙ぎ払い、100キロ先の聖域内にある小さな山脈に吹き飛ばした。

 青龍が放った衝撃波の威力は下手をすればこの聖域内の半分が更地になるエネルギーだったが、ハルが放った衝撃は簡単にその破壊力を塗り替える力で、青龍を黙らせた。


 青龍が小さな山をいくつも潰し、地面に無様に転げる。今起こったことを青龍自身も理解できず、しばらく、その場に身動きを取れないでいた。しかし、自分があっさりと力負けをしたことを理解すると、その場で激しい咆哮をした。

 この咆哮ですら傍に居た生き物ならば、即死する。咆哮というよりは爆発といったほうが正しかった。

 そのため、その咆哮で生じた衝撃波で、周囲にあった小さな山々が削られ、そこに生えていた巨木や巨岩などが、木の葉のように軽々と吹き飛ぶ。


 咆哮し終えた青龍は、体内に貯めていたマナを消費して身体を浮かせ、体勢を立て直した。


 頭に土をつける、青龍にとってそれは初めての屈辱であった。


 体内に貯めた膨大なマナを消費し、身体を浮かせる魔法で青龍が空に戻る。

 上空の雲を突き抜け、一番高いところまで登ると、遥か数百キロ先の塵ほどの人間を見据えた。

 青龍にとってそんな塵ほどの彼の位置の特定は容易だった。この龍の山脈内は青龍が放出している微弱な青龍の感覚器官と繋がっている風魔法によって満たされており、この龍の山脈内であれば物事が手に取る様に感知することが出来た。

 だから、塵ほどの人間の位置だって正確に見つけ出すことが出来た。


 そう、できたのだが、しかし、青龍はそこで知る。


 そんなことをしなくても、彼の居場所が分かることを。


 この世の存在とは思えない化け物が、青龍を遥かにしのぐ殺気を放った。

 青龍の半径30キロのキルゾーンを遥かに超えた、聖域内の全てを覆う中心から半径400キロのキルゾーンが展開された。


 青龍はそこで他の龍たちがその殺気に抗えずに死んだことを自身の風魔法を通して確認してしまった。理不尽な死の暴風に飲み込まれ、仲間や家族は死に絶えてしまった。


 最後に生き残った青龍がすることは、もう、命の限り目の前の理不尽に抗うことだけだった。


 感情が暴走するまるで人間のように。


 激しい怒りが燃え滾る。


 体内に貯め込んだマナをそのま怒りの炎へと変換する。


 青龍の口元に青白く光る炎球が出現する。


 その火球は周囲の大気を呑み込み焼却しながら、みるみる大きくなっていく。


 やがて、その膨れ上がった火球が青龍と同じくらいまでの大きさになると、青龍は首を軽く動かし聖域の中心に狙いを定めた。


 これだけ巨大な火球になると、当てるのは簡単だ。直接当たらなくてもこれほどの規模の火球が落ちればその落ちた場所の周囲一帯に地獄の炎が広がるのは明白だ。


 怒りを込めた青龍の炎が、聖域の中心にいる化け物に向けて発射される。


 大気すら焼却する、第二の太陽ともいえる青白い炎球が、一直線に、人外の悪魔を焼き殺そうと突き進む。

 道中にあった美しい森を焼き、流れる小川を蒸発させ、景色を地獄に変えていく。


 青龍はその火球に勢いをつけるため、さらに熱線を放ち後ろから押し出すように加速させた。


 この大陸を終わらせる勢いの終末の炎が聖域の中心に進む。



 ***



 聖域から青龍を吹き飛ばしたハルは、二つの刀を握り、目をつぶって青龍の動きを観察していた。ハルの天性魔法が龍の山脈を覆った光のドーム内には充満しており、相手の位置を特定することは簡単だった。光に触れていればハルは相手の姿形を認識することが出来た。

 だから、南北1500キロメートルに広がる龍の山脈内の全てを把握するにまで、至っていた…。


 そのため、ハルも青龍も互いがどれだけ離れていようと、相手の位置は捕捉し続けることが出来た。

 隠れることも、逃げることもできない。どちらかが死ぬまで続く死闘が始まった。



 前方からハルの元へと向かってくる光の球を確認する。ただ、それはもちろん、青龍が事前に放った火球であることは分かっていた。

 しかし、その火球はあまりにも、ハルにとっては遅く、生ぬるいものだった。

 火球がハルのもくぜんまで迫ると、周囲の温度が火球の持つ熱によって一気に跳ね上がった。

 そして、あっさりとハルの視界に入った距離でその火球が弾けると大爆発を起こした。その場にあったあらゆる存在を焼却し始め、爆心地から半径40キロ内のもの全て白い炎の柱が呑み込み消滅させた。そこからさらに60キロほどの距離が灼熱の炎の波にさらされ地獄が顕現した。


 緑生い茂る大自然広がる美しい聖域内の景色が、赤黒く燃え上がる炎と黒煙と灰に変わっていく。


 だが、青龍の攻撃はそれだけでは無かった。


 遠くから同じ規模の炎の大火球が、十を超えて迫っており、ハルがいた聖域中央に着弾すると同時に、さきほどと同じ規模の大爆発が連続で弾け炎の柱がいくつも立った。

 聖域の中央はもはや生命がいられる場所ではなくなり地面が高温で溶けマグマが形成されていた。


 しかし、そんな目で追える攻撃にハルが被弾するわけがなかった。


 燃え盛る聖域中央部を抜け、100キロメートルほどの距離を一瞬で詰めるため地面を踏みしめる。

 移動は魔法による瞬間移動などではない。

 純粋な脚力という点があまりにも人間離れし、自分でも狂ってるとは思っていたが、実際に自分の天性魔法の光で、自身を包んでから移動すると、周りに被害を出さずに高速で移動することが可能となり、ハルはこれを多用していた。


 全てを燃やし尽くす炎が眼前を覆う瞬間、ハルがその場から消え、百キロ先の青龍の目の前に現れる。


 天空でハルと青龍の視線が交わる。


 すると、ハルが現れるのと同時に、青龍の全身から衝撃波が広がった。まるでハルが接近したら自動で発動するように仕掛けられていたような寸分の狂いもない衝撃波だった。


 しかし、ハルは片手を構え天性魔法の光を収束させ物理的な壁を創るだけで、その衝撃波の勢いを外に逃がし、しのぎ切る。


 衝撃波が止むとハルはそのまま、青龍の頭上から踵落としを決めて、地面に叩き落とした。


 渦を巻きながらゆったりと浮かんでいた青龍が、いきなり頭部が潰れ垂直に勢いよく落ちる光景はまさに異常だった。

 下をゆっくりと流れていた雲を突き破り、青龍が地面に叩きつけられる。

 大質量の生き物が叩きつけられたのだ、大地が鳴り、広範囲に激しい揺れが広がる。ただ、そんな揺れの衝撃も全て、ハルが展開した光のドームより外に広がることはない、龍の山脈に張られた物理的なドームはあらゆる衝撃を内に留めていた。


 そして、地に伏した青龍が目を開け瞳に光を入れる。だが、そこで待っていたのは、すでに刀を構えて待っていたハル・シアード・レイだった。


 刀を振るうと、あまりにも途方もない威力に青龍の身体は、大きくへこみ、その場から勢いよく飛んでいき、ハルの視界からあっという間に消える。


 吹き飛ばされた青龍は300キロ先にあった光の透明な壁に激突する。だが、そこで当たり前のように傍に居たハルに容赦なく蹴り上げられ、青龍の身体がボールのように上に打ちあがる。


 打ちあがった青龍の最高硬度の部位である角を掴み、そのまま光の壁に青龍をこすりながら垂直の壁を駆け上がり、聖域の中央に向けて投げ飛ばした。


 投げ飛ばされている間、青龍はその飛ばされる勢いの強さに抗えず身動が取れないようだったが、器用に体勢をひねって首を動かし、ハルに向かって熱線を放って来た。


 その熱線をハルはもう天性魔法も使わず、持っていた刀を軽く振るい生じた暴風で、街のひとつ二つを簡単に灰にしそうなほどのその熱線をかき消す。


「………」


 ハルは刀を見ながら首を傾げた。


 先ほど刀で斬ったとき、青龍のことを斬れなかったことに疑問を抱いた。

 本来ならばあの場で両断して終わりのはずだったが、刀と青龍の身体の間に何か挟まったような感触が斬ったときにあった。


「まあ、今度は殺す」


 光りの壁を蹴って、再び灼熱の聖域中央に戻って行く。



 ***



 ハルが聖域中央に戻ると、そこには地獄が広がっていた。美しい楽園のような自然あふれる景色から一変、辺りは灼熱のマグマが煮えたぎり、黒煙がいたるところで昇り、降雪のように灰だけが辺りに舞っていた。


 二本ある刀の内、右手に持っていた首落としを前に向かって上げた。


 その数キロメートル先には青龍がおり、こちらの出かたを窺うように身体を少し浮かせその場に警戒しながらとどまっていた。余裕はまだあるようだった。

 それもそのはず致命傷は一度も与えていない。どういうわけか青龍はハルの攻撃を上手く受け流していた。


 突き出した右手を、そのまま後ろに引き、勢いをつけた後、刀で刺突を放った。

 ハルの突きにより生じた衝撃で空間に穴が開く。その穴はそのまま青龍の身体にまで達し、肉をえぐり貫通し、風穴をあけた。

 しかし、風穴を開けた数秒後、もう青龍の自己再生が完了していた。


「自己回復は、まぁ、持ってるよな」


 回復持ちそれも通常では信じられないほど速い再生能力は人間でいうところの白魔法に匹敵するが、青龍のその自己再生にデメリットがあるかどうかは、この戦闘の中で知る術はなかった。

 それにしても早すぎる傷の治りは厄介だった。


 真っ二つにしたいところだったが、ハルの刀では刃が通って行かない。切断する前に何か青龍の方で防御魔法が張られているのか、斬る直前にクッションのようなものが挟まれ威力を激減させられてしまう。


「弱らせるしかないな」


 ハルが掲げた対策はひとつでシンプルなものだった。謎の魔法が使えなくなるまで、自己回復の魔法が使えなくなるまで、青龍を徹底的に弱らせることだった。魔法が使えなくなるまで斬り、殴るこれを続けるだけのことだった。つまり間髪入れずに猛攻を仕掛けるこれだけで良かった。


 そう、策を考え、ハルが動こうとした時だった。目の前で何か透明な強い力が弾けるのを感じ取った。これはハルが周囲にまき散らしている天性魔法の感知能力から察知した危険信号だった。


 ただ、その透明な力が働く前に、世界の時間が止まる。


 ハルの前で不意の一撃などない。理不尽に世界がハルの味方をする。そして、その謎の力の正体を掴むのは簡単だった。


「風魔法か、くだらない」


 青龍が使っていた透明な力は、人間の中でも攻撃魔法や移動手段などで重宝される一般魔法またの名を属性魔法のひとつである風魔法だった。

 風魔法は一般魔法とはいえ、適性者が四つの魔法の中で極端に少ないため、貴重ではあった。青龍もその風魔法が使えるようだった。


 時間が動き出すと、ハルを挟むように風が密集しその空間を圧縮し押しつぶそうとした。

 ハルは止まった時の中の選択で、その場に止まることを選んでいた。つまり、避けるまでもないということだった。

 刀を一振りすると、その風の力は解けるように空中に霧散していく。


「そうか、じゃあ、さっきのも風を集めたものなのか」


 刀と身体の間に滑り込ませたのもというよりかは、ハルが目を閉じ集中し天性魔法の光を通して、青龍を見た。すると彼の身体のいたるところに常に風を纏っている場所があり、そこだけハルの光がぼやけていた。


「仕組みはわかった。だけど自己治癒があるから、結局、弱らせるしかないな」


 両者の間に語る言葉も無ければ馳せる思いもない、ただ殺し合うのみ。


 燃え盛る炎の中で、睨み合う両者の間で、さきに動いたのは青龍の方だった。


 青龍は、衝撃波をまき散らしながら、熱線を吐き、風の鎧を纏いハルに向かって突進してきた。

 そのスピードは今までの青龍の速さで一番早かった。それはまさに力の暴走。暴力そのものであった。

 さらに、周囲の炎を風の鎧が吸収し、青龍が火炎に包まれながらこちらに向かってくる。その光景はまさに地獄そのものだった。


「そこまでして生きたいか」


 青龍の目に激しい怒りの感情を見た。ただ、ハルにはもうその感情というものが上手く理解できない頭になっていた。


 ハルが二本の刀を地面に突き刺し、向かってくる青龍に対して正面に立つと、最初に飛んで来た熱線を天性魔法の光の壁で防いだ。


 そして、青龍がそのまま大質量の身体を高速移動させトップスピードを維持したまま突っ込んでくるのをただ待った。


 その光景は全人類から見たら絶望的な状況だが、ハルだけは違った。


「力が足りないなら、力の出る戦い方をすればいい」


 風の鎧があるなら鎧ごと破ればいいし、風魔法が使えなくなるまで体力を削ればいい、どちらにしろ、底なしの暴力を振るえば解決する話しだった。


 だから、ここからはずっとハルの一方的な暴力の連続だった。



 突進していた青龍の動きが止まったのは、別に彼自らの意思ではなかった。それはいつの間にか背後に回られ尻尾を掴んでいる塵ほどの人間の仕業だった。


 青龍がすぐにその尻尾の場所にいる人間を消し炭にしようと熱線を放とうとするが、時はすでに遅かった。


 捕まれた尻尾はそのまま反対側に引っ張られ、青龍はその巨体を背後の地面に叩きつけられた。直系五キロメートルの青龍の身体が煮えたぎるマグマの地面に叩きつけられる。大地が震動し、いたることころで火柱が上がった。


 しかし、休む暇などなくハルの猛攻は続く。


 ハルが地面を踏みつけると、踏みつけた場所から先の大地が隆起し、巨大な五キロメートルを超える坂をつくりだした。その上で死んだ蛙のように裏返しになっていた青龍が、隆起した地面の勢いで吹き飛び、ハルのもとにちょうど落ちて来た。


 当然待っていたのはハルからの青龍への顔面へのパンチだった。


 青龍を殴った衝撃波で辺り一帯の炎が鎮火し、先ほどつくった山のような坂が跡形もなく崩壊する。


 上空に打ち上げられた青龍は、そのままハルが展開していた光のドームに激突し、力なく落ちて来る。


 マナを体内で高速で回し、魔法を放とうとする青龍。反撃に転じようとしたのだが、追い付かれたハルに蹴り飛ばされ、青龍の見ていた景色が一瞬で変わった。


 瞳には何も映らなくなり、ただ、真っ白な景色だけが映っていた。


 しかし、その青龍の視界の外では更なる大量の破壊が起きていた。

 更地となった第三エリア、第二エリアの空間を破壊しながら吹き飛ぶ青龍。その破壊の余波が更地の大地をえぐり、まだ残っていた山の破片や、森の残骸をさらに細かく塵にする衝撃波を放ち続けていた。

 ハルが張った光のドームですら、ミシミシと何か嫌な音をたてるほどのエネルギーが周囲に多大な影響を及ぼしていた。


 そうこうしているうちに、第一エリア小龍の最南端の光の壁に、青龍が激突する。そのまま、壁から剥がれ落ち、重力に身を任せると青龍が地面に倒れ込んだ。


 たった一回の蹴りで飛ばされた距離はおよそ1100キロメートル。それほどまでの壊滅的な威力の蹴りに耐えられたのは、数千年と少しずつ蓄え続けたマナのおかげだった。

 しかし、そんな何千年と体内に貯め込んだマナも、すでに半分以上使い果たしていた。


 倒れた青龍の巨大な瞳が開かれると、そこは更地だった。綺麗さっぱり地面と空しかないまっさらな大地だけだった。


 そして、当たり前のように、開いた視界にはハルが歩いて近づいていた。


 青龍の激しい怒りが、諦観の色に染まる瞬間だった。


「しぶといな、もう一回行っておくか」


 平坦な口調でハルが駆け出す。


 殺すことしか考えてないハルが片手で青龍の折れた角を掴み走り出す。一緒に引きずられ、彼がジャンプすると、青龍の身体も無理やり空中に飛び上がった。ただ、浮かんだのも束の間、すぐに地面に叩きつけられると、そのあまりの力に青龍の身体は一度地面に激突すると勢い余ってその場で弾み再び空中に浮かび上がった。まるでボールのように神にすら届きそうな龍がおもちゃにされる。


 青龍が重力に従い落下する。だが、下で待っていたハルの振りかぶった拳が、身体の中心を的確に捉えると、そのまま、もと来た1100キロメートルの道を戻される。

 殴られた場所の周囲はまるで爆心地のように大穴が開いていた。


 吹き飛ばされた青龍はあることを思い出した。


 死ぬということだ。

 死ぬということは自身が生命であると自覚するということ。


 何千年も生き抜いた青龍の瞳には死の淵が見えていた。



 ***



 聖域中央に青龍とハルが戻って来る。戻って来るとさっきまで炎渦巻く地獄の景色が広がっている光景から、鎮火し灰だけが舞い落ちる更地となっていた。


 そして、ハルが二本の刀を持って現れる。


 満身創痍の青龍のマナは完全に底を尽き、風の防御も熱線を吐く力も、全身から放つ衝撃波も何もできなくなっていた。

 あとはただ治療に回す回復魔法で1100キロの旅の傷を癒すだけだった。


 しかし、そこにハルが容赦なく持っていた二つの刀を同時に全力で振るい、青龍の身体を真ん中からズタズタに切り裂き、真っ二つにした。


 大量の血が激流となって周囲の更地に流れだす。


 灰が降る中、その真っ赤な百メートルはある激流が、ハルの元にまで到達するが、光の小さなドームを創りその血の高波をやり過ごす。


 透明な光りのドームの外が真っ赤に染まる。やがて、その高波が治まると辺り一面が血の海に変わっていた。

 まるで真っ赤な湖の水面に立っているようだった。

 そして、そこに白い灰がゆっくりと降っており、数キロ先では真っ二つにされた青龍が横たわっている、幻想的な風景が広がっていた。


「それじゃあ、始めるか…」


 この時が、ハルがもっとも恐れている時間だった。しかし、感情を殺されたハルはすぐにその作業に取り掛かった。それはもう機械のように容赦なく、心の準備もなく、祈る時間もなく。


 ハルは、龍の山脈に広がっていた死に至る圧、キルゾーンの縮小に取り掛かった。



 *** *** ***



 龍の山脈から光のドームが消えていく。


 龍の山脈近辺の上空に立っていたレキは、目を輝かせながら微笑んでいた。

 山ひとつない更地となった山脈の悲惨さには一切気にすることなく。

 もう、それはハルに夢中だった。


「君は本当に素敵な人だね…あらゆる感情を失ってもなお、その行動理念は人を守ることにしか定まってない。全人類は一回ハルくんの優しさに感謝しといた方がいいね。よし、僕が最初に言っておくか、ありがとうハルくん」


 1000キロメートルほど離れた場所にいるレキの瞳には、しっかりと聖域中央にいるハルが鮮明に映っていた。

 そこにはうずくまって、もがき苦しんでいるハルの姿があった。


「ここからが少し辛いところだけど、君なら乗り越えられるさ、だって、今度はひとりじゃないだろ?」


 レキが目を閉じるとゆっくりと空中から地面に降り立ち、箒を拾うと静かに彼は呟いた。


「厄介なものだよね、神威って…」


 レキが箒を肩にかけて森の中を歩き出す。


「それじゃあ、また、あとで会おうね、ハルくん」


 レキがひとりで手を振ると、一瞬でその場から消えた。


 辺りには静かな森を通り抜ける風の音だけが鳴っていた。



 *** *** ***



 山脈全体を覆っていた光のドームが崩壊し、大量の光が龍の山脈や周辺国家に、雨のように降り注いだ。

 聖域内では、晴れた空から小雨まで降っており、真昼の空の至るところに虹が掛かっていた。


 そんな絶景の景色の中、ハルが自身の発する人を簡単に殺す圧を必死に抑え込んでいた。


 物理的な結界であった光のドームが崩壊したのは、ハルがこの殺気を抑えこむためであり、この殺気をコントロールする作業に全てのリソースを割きたかった。


 半径400キロメートルを覆うほどのハルを中心としたキルゾーンが、外に漏れなかったのは、光のドームの結界があるおかげだった。

 しかし、現在、そのキルゾーンを縮小するために結界がない。そのため、ハルがこの状態でみんながいる大国を訪れれば、その殺気に触れた人間が即死していくという、もはや災害を超えた必ず生命が死ぬデットゾーンだった。


 これを抑えればハルはみんなのところに戻れる。など淡い希望を抱いていたが、無理な話だった。

 だから、自分を壊す。ひたすら、自分を破壊して、そのキルゾーンが保てなくなるまで徹底的に自分を壊す作業が始まった。


 ただ壊すと言っても物理的な方法ではない。もっとも、ハルが絶望する最悪のやり方だった。


『自分の中身を全部壊してこのあたりに満ちてる力を空っぽの自分に押し込む…あとは必要最低限の意思だけ残せばいい』


 ハルは自身の胸に手を当て、天性魔法を放った。


 身体に凄まじい衝撃が走り、ハルが大量の血を吐いた。あまりの激痛にハルが地面をたたきつけると、あたりの地面にひびが入った。


 だが、その直後、耳が聞こえなくなり、視界が奪われ、あらゆる感触も消え、ハルから五感のすべてが奪われた。

 限界を超えて放った自身の天性魔法の効力と反動がハルを襲っていた。


『あぁ、なんだこれ……』


 天性魔法を浴びたハルのありとあらゆる思い出と記憶が一気に消し飛び、自分が誰だかもわからなくなる。


『最悪な気分だ…ハハッ、俺はこんな魔法をあの子に使ったのか…』


「アハハハハハハハハハハ!」


 壊れ始める。


 その時、隣にはいつの間にか支えるように誰かが傍にいた。


『あ、来てくれたんだ…』


 その人が誰かなんてわかり切っていた。


『ねえ、もし、俺が君のこと誰だかわからなくなっても、傍に居てくれる?』


 傍に居る彼女は無言でうなずいてくれた。


「うぁああ…あ…ああ……」


 口で言葉を発しようとしたが、その時にはもう人間の言葉で話すことはできなかった。それは話し方すら自分の中から消し去って、自分の中にある存在の空間に少しでも空きを作っておきたかったからだった。

 とにかく、人々にとって害しかないキルゾーンを自分の中に閉じ込めるには。これしか方法がなかった。


『聞いてくれ、俺、もうダメな奴になりそうだけど、ちゃんと生きるって約束は守れそうなんだ』


 そこにいた彼女は悲しそうな顔をしながら、それでも気丈に『えらいね…』と言ってくれた。


 その言葉がなによりもハルは嬉しかった。


『もう、少しで、ここにいる俺もいなくなっちゃいそうなんだけど、最後に言いたいこととかある?俺は言いたいことたくさんあるんだけど…』


『ハルのことが好き、大好き…』


 ハルの傍にいる彼女がそう言った。彼女は声を震わせていた。


『うん、そう、俺もアザリアのことが好き』


 うずくまっていたハルが上体を起こし、激痛が走り続ける自分の身体を抑え込みながら空を見上げた。

 しかし、降り注ぐ光りの雨に、開かれた瞳孔は反応しない。


『ごめん、そろそろ、行かなくちゃ、時間だ…』


『待ってハル!どこに行くの?みんな待ってるんだよ!みんなハルの帰りを待ってるんだよ!!』


『みんなのところには帰れないし、帰っちゃダメなんだ…』


 ハルはずっと前から知っていた。

 力を解放した時、この強力な圧が周囲に放たれ続けることを。

 そして、唯一、この圧を少しでも抑え込める方法が、自分の中にスペースを空けることだということを。

 自分の中にスペースを空けるということは、つまり自身の存在ゼロに近づける行為だった。

 簡単にいえば、その人間の脳や身体が覚えているこれまでのあらゆる記憶と体験の消去だった。

 身体の中にある自身の体験した時間をゼロに戻せば戻すほどそれだけ、外に広がった圧を体内に押しとどめることができることに、ハルは気づいていた。


 この自分を空っぽにすれば抑え込める現象は、この圧の性質なのかよく分からなかったが、少しでも、その圧によるキルゾーンを押しとどめることが出来るなら何でもよかった。


 ハルは自分の天性魔法であらゆる自身に備わっている強力な防衛本能を吹き飛ばし続けて、自身から発せられる圧で勝手に自滅し続けていた。これにより、効率よく今までの大切な思い出や体験などの経験と記憶が消滅していく。


『大丈夫、俺が空っぽになっても、君のことを探し続けることやめないからさ…』


 ハルは嘘を吐く。空っぽになればアザリアのことすら忘れてしまう。


『もう、私はいいよ、それより、こんなのあんまりだよ、ライキルちゃんやガルナちゃんはどうするの!』


『…ごめん、もう、今の俺には君のことしかわからないんだ…アザリア……』


 ほとんどの記憶が消し飛び、この最後に残っている記憶はアザリアとの幸せな日々だけだった。


『ダメだよ、こんなの間違ってるよ…ハルがいない世界なんて、間違ってるよ!』



『アザリア、ごめんね…



 ハルの中から、ハルの存在が完全に消えた。そこには空っぽになったハルの身体だけが、ひたすら、周囲に広がったキルゾーンを生み出している圧を吸収し、縮小させていた。


『ハル!!!』


 泣きじゃくるアザリア。


 その時、異変が起こる。


 龍の山脈一帯に満ちて溢れていたマナが急激に一か所に集まり始めた。その勢いと量は凄まじく、その流れは周囲の空間に影響を与えるほどであり、大気がビリビリと震えはじめた。


『何…これ…ハル!起きて、何かおかしいよ!!』


 アザリアの身体と意識が形を保てず消えていく。


『ハル!!嫌だぁ、こんなの絶対わたしもみんなも許さないから!!』


 龍の山脈一帯から全てのマナが無くなると、アザリアの姿も消えてしまった。



 ***



 身体を両断され、死んだはずの青龍が最後の力振り絞って目を覚ます。切断された箇所を自己治癒の魔法で再生させた。

 こうして、青龍が甦れたのは単純にあの人間の皮を被った化け物が、とどめを刺すことを怠ったからだった。

 しかし、それでも青龍が瀕死なことに変わりはなく、行動できるアクションは少なかった。


 だが、生き返った青龍がもうここから逃げ出して生き延びようとする、生き物としての意思はなかった。

 青龍は最後に自らの命を使い切って、今生きている全ての生命たちのために、戦おうとしていた。

 あの化け物をこの世に解き放っておいてはいけないと、それは青龍の直感がそう全身全霊で叫んでいたからだ。このままあの化け物を放っておけばこの星が終ってしまう。そうなれば、青龍がここに存在していたことだって、忘れ去られてしまう。例え、もう、自分たちの種族が絶滅してしまっても、この星さえ残っていれば、生命はいつかまた誕生の瞬間が訪れるかもしれないと希望が持てた。

 しかし、星ごと破壊する可能性を秘めている彼を絶対に青龍は生かしておくことが出来なかった。


 だから、青龍は自らを犠牲にして、最後の力を解き放つ。


 青龍がこの龍の山脈一帯のマナを全て吸収して放つ特大の炎魔法。

 自らを炎を生成するだけの媒介とし、マナを炎に変えていく。それを体内に貯め込み自らを犠牲に解き放つ、自爆覚悟の大爆発。

 その威力は、この大陸全土を焦土かさせるほどの大火となることは必至だった。

 しかし、この星から彼がいなくなるなら、全生命体にとって価値のあることだった。

 青龍はこの時、生物を代表する、正義として彼の前に立ちはだかっていた。


 うずくまっていた人間が二本の刀を持って立ち上がる。


 青龍の体内ではすでに、この大陸を更地にするほどの、エネルギーがため込まれていた。


 うつむいた人間が左右に揺れながら一歩一歩にじり寄って来る。


 青龍も限界だった。


 どこまでも轟く咆哮と共に、体内に溜まった地獄を生み出す大火を解き放つ。

 その爆発の寸前に、確かに青龍は角を掴まれ、上空に引っ張られる感覚があった。

 身体が灼熱のエネルギーを放出する直前、青龍はもう一度空に舞い上がることができた。

 それは空の支配者を冠する青龍の最後としては、誇り高いことだった。


 しかし、空中に浮かぶ青龍は、そこからさらに下から衝撃が加えられ、さらに空の向こう側に吹き飛ばされると、青かった周囲は一気に真っ暗になった。


 そして、青龍がそこから見た景色には、まん丸い青い星がそこにはあった。


 真っ暗闇の宇宙で青龍の身体が弾け、白い輝きを放ち爆発する。


 命が燃え尽きる最後の瞬間、青龍の遥か下方には、ひとりの人間がいた。


 その人間は龍たちにはない、涙というものを流していた。


 地上から400キロメートル以上離れた宇宙空間で青龍の命はようやく終わりを向かえた。



 その日、レゾフロン大陸の上空では、空一面を覆う白い光が観測された。



 黒龍討伐に幕が下りた。



 ***



 宇宙空間で青龍が起こした大爆発をハルは見つめていた。

 爆発寸前の青龍を投げ飛ばし、宇宙空間に出るぎりぎりの場所で、そこからさらに青龍を蹴り飛ばしていたため、ハルは地球を出るぎりぎりの場所で落下をしていた。


 しかし、その落下の際、宇宙で爆発した爆風によって、地球に勢いよく逆戻りさせられていた。

 その際、二本あるうちの刀の【首落とし】を一本爆風の衝撃に耐えられず手放してしまった。残ったもう一歩の刀の【皮剥ぎ】だけは離さないように、ハルは地球に落下していった。


 その際、ハルは次の目的地を目指して、進路を空からでも良く見える樹海へと切り替えていた。

 心配していたキルゾーンの縮小も今ではだいぶ抑えられ、半径百キロメートルを切り始めており、効果は絶大だった。


 そして、落ちていく、どこまでも、どこまでも。

 残りの神獣を狩るために、次の目的地へと直行する。

 目指すは、四大神獣火鳥がいるエルフの森。


 神獣を殺すことだけを残し、あとの全てを失ったハルが、ただ残りの神獣たちを殺戮するだけに突き進む。


 みんなの知っているハル・シアード・レイはどこにもいなくなってしまった。


ここまで読んでいただきありがとうございました。ここで第三章黒龍編は終わりですが、物語はまだ続きます。

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