神獣討伐 英雄と龍
龍の山脈、第一エリア小龍から数キロ離れた空の上にひとりのエルフが空飛ぶ箒の上に座って浮かんでいた。
彼は鮮やかな金色の髪で、左耳にだけ耳の先から順番に黄色、青色、赤色のピアスをしていた。中性的な美しい顔つきは男にも女にも見て取れるほどだった。身長は百八十五センチと平均身長がニメートルを超えるエルフたちからしたら低くかった。
そんな彼が見つめる先の龍の山脈では、今、まさに異変が起きていた。
「ついに始めるんだね」
少し寂しそうな表情で遠くの龍の山脈を見つめる彼はレキという名前のエルフだった。
レキの瞳には、光のカーテンのような膜がみるみると龍の山脈を覆っていく、光景が映っていた。
「もしかして、あぁ、そうか、そうやって君は誰ひとり傷つけない気なんだね?」
龍の山脈を見ると、その光のカーテンは第一エリア小龍の最南端から放出され、次々と北に向かって広がっていく。
「それにしても凄い力だ。さすがは僕のお気に入りに入るだけはある」
レキはそのまま上空で事の成り行きを見守っていた。
「龍殺しか、英雄の最後にしてはあまりにもお似合いだ」
龍の山脈の第一エリアから、凄まじい衝撃波がレキの元に飛んで来た。
「おっと、危ない」
レキが一瞬にして箒から消える。本当に忽然とその場から消えた。そして、衝撃波が箒だけを襲うと真っ逆さまに箒だけが落下していった。
「ありゃ、箒落ちちゃったか。まぁ、周りに人もいないし、箒は後で探しに行けばいっか、それより、今はハルくんの結末を見届けたいよね」
衝撃波が止んだ途端にレキは姿を現した。いつの間にか元浮かんでいた空中に戻っていた。そして、彼は何もない空中に平然と立っていた。さらにはその場で胡坐をかいて、龍の山脈の様子を見学し始める。
「まだ、光の結界が不完全だよ、ハルくん、このままじゃ、衝撃が外に漏れて被害が広がるぜ?」
ニヤニヤしながらレキが呟く。
その後も何度か衝撃波があったがやがて光が龍の山脈をおおい結界のようなものが完成する。
「ねえ、ファースト、やっぱり、君が言った通り、僕たちって愛のために生きてるのかもしれないね」
レキが遠い目をしながら誰もいない場所で誰かに独り語り掛ける。
「この世に僕たちが生まれて来てた意味は、愛を知る。案外、そういった単純なことが僕たちが生み出された意味だったんじゃないかって、彼を見ているとそう思うんだ」
そこでレキは孤独な空であぐらをかいている体勢から寝転がってどこまでも続く深い空を、その先にある無限の宇宙を見つめた。
「誰だって愛を知ることが出来る。万物は愛に集約している。違うかな?でも、君もこの意見には賛成してくれると思うんだ。だって、僕に愛を教えてくれたのは君だからね…」
満足そうに笑うレキが、身体を起こして龍の山脈を見つめて言った。
「さあ、ハルくん、頑張れ、愛する人たちのために」
龍の山脈が慟哭する。
*** *** ***
龍の山脈全域に光の膜が展開され山脈全体を包み込んだ。その現象は龍の山脈を見れる場所なら誰でも観測することが出来た。そのため、この時、外側から龍の山脈を見た人々には連なる聖域や三つのエリアを囲む山々が、キラキラと輝きを放って見えていたのだろう。
その現象の根源紛れもなくハル・シアード・レイだった。
そんなハルは、暗い大穴の中心にひとりで、小さく頼りない地面の上に立っていた。一歩でもう踏み出せば底が見えない大穴に落下してしまうほど、立っていた地面の幅は狭かった。
そして、ハルの周りには白い球体がいくつも漂っていた。
何が起こったかというと、まずハルが最初に自分の中の力を解放した途端に、自分が立っていた場所を中心の半径数十キロが一瞬で蒸発し、底なしの空洞を生みだしていた。
ただ、すぐにその破壊を自身の天性魔法でそれ以上広がらないように制御したことで力の暴走を防いでいた。しかし、あまりにも突発的に尋常ならざるエネルギーが生じたため、ハルの中に留まるはずだった力が外に漏れて漂ってしまっていた。
周囲には大小さまざまな白い球体が無数に浮いていた。その球体ひとつひとつから、夜空に輝く星々が一生かかって生み出すほどの熱と変わらないエネルギー量が詰まっていた。その白い球体は煌々と輝きいくつも漂っていたが、これはハルの天性魔法の光によって包み込まれ、現実に干渉しないように制御され事なきを得ていた。
もし、ハルがこの周囲に漂っている力をひとつでも制御せずに放ってしまえば…。
しかし、これらの莫大な力はもともとハルの中に収まっていたものであるため、周囲を漂っていた時間は、数秒といったところであった。
漂っていた白い球体すべてがハルの身体に吸い込まれるように取り込まれる。
人類の滅亡の脅威は去る。
外に出てしまった力が戻ってくると、ハルの目は青白く輝き始めていた。
「あと、少し…」
しかし、当の本人は意識を向け集中していたのは、周りに漂う莫大な力の制御ではなく、遥か先、およそ1500キロ先に広がり続ける自身の天性魔法の制御だった。
右手に持った愛刀【首落とし】を前に向けて、必死に龍の山脈を包み込むように光のカーテンを展開し続けていた。
そして、龍の山脈をぐるりと光のカーテンが取り囲み、龍の山脈を覆う光のドームが完了すると、ハルが有無を言わさず戦闘を開始した。
その場でハルが右手に持っていた愛刀の首落としを誰の目にもとまらぬ速さで一振りすると、第一エリア小龍が崩壊した。
龍の山脈は地図で見れば南北に1500キロメートル逆三角形に広がっており、四つのエリアに分かれている。
その中で龍の山脈最終エリアである【聖域】が土地全体の五割を占め、第三エリア大龍、第二エリア中龍が共に二割、そして第一エリアの小龍が全体の一割で、土地の広さとしては一番狭かった。しかし、それは他のエリアに比べてであって、小国がいくつも入るほどの広大な土地だ。
そんな第一エリアが、たった一振りの剣撃で、跡形もなく崩れ去る。
刀を振るってから一秒も経たないうちに、第一エリアにある森や川、草花、さらにはそこに息づいていた動物たちなどの生態系に加え、第一エリアの外周を囲っていた山々に、その空間に満ちていた空気やマナ、ありとあらゆるそこに存在していたものが一振りの刀から生み出された衝撃波と共に粉々に崩れ去った。
その崩壊の余波は、第二エリアの中龍にまで及んだ。押し寄せる破壊の波が次々と美しい自然を土に返していく。
第二エリアにいた全ての黒龍たちがその破壊に飲み込まれないと、一斉に第三エリア大龍に向けて飛び立つ。間に合わなかった龍たちは白い衝撃に飲み込まれて、身体ごと消えていった。
理不尽な暴力が黒龍たちを襲う。彼らも自分の命や子供たちを守るために必死に逃げ延びようと、空を突き進んでいく。
しかし、しかしだ。そんな逃げる黒龍たちの前にはくすんだ青髪の青年が立っている。第二エリア中龍の中間地点、およそ第一エリアの小龍からは150キロ以上距離が離れている場所にハルが立っていた。
第一エリアで放たれた破壊の波の余波が第二エリアに押し寄せる中、二振り目が第二エリアのちょうどど真ん中で振るわれる。
第一エリア同様、続けて第二エリアに破壊の波が一瞬で広がる。大地がめくれ上がり、白い衝撃がその場にあった存在していたものをかたっぱしから消し飛ばして無に還していく。そこではあらゆる抵抗が無駄だった。戦う意思を持った黒龍たちが吐く熱線すら飲み込まれ、跡形もなく消えていく。触れたもの全てが例外なく消えていく。
そして、第二エリアからは針山が連なっているのだが、それも白い衝撃に飲み込まれると山ごと削り取られ消えてしまった。そのため、第二エリアを囲っていた雲すら貫いていた山々が白い衝撃に吹き飛ばされ更地に変わる。
天災を超えた人災が黒龍たちに容赦なく降りかかる。意志を持った災いが全黒龍たちの息の根を止めにかかる。
理不尽な破壊は留まることを知らない。
第二エリアが崩壊の波に飲み込まれている間、当たり前のように、第三エリアのちょうど中央あたりの草原に、くすんだ青髪の青年が現れる。
ハルが同じように刀を振るおうとしたとき、広大な草原に浮かぶ大型の神獣たちと目があった。
その大きさは目視だけで測ったハルだったが、軽く百メートルを超えた大型の答えが何体もいた。ただ、それだけでは無い、その百メートル越えの黒龍たちの後ろには、さらに倍以上の大きさの黒龍がおり、さらにその後ろにさらに巨大な黒龍たちが群れを成していた。
つまりどういうことかと言うと、百メートルから五百メートルほどの大きさの黒龍が当たり前のようにうじゃうじゃと平原にいるということだった。まさにそこには地獄の光景が広がっていた。
一体でも竜の山脈の外に出れば、容易く国がいくつも滅んでいるほどの脅威だった。
その黒龍たちが一斉に蓄えたブレスを吐きだそうとするその前にハルが黒龍たちの前から消える。するとそこにいた百メートル越えの数百体ほどの黒龍たちの首が一瞬ではね飛ばされる。溜まっていたブレスが行き場を失くし、はね飛ばされた黒龍たちの首が溜まったブレスのエネルギーを放出して爆発する。
青々と茂った大地に血の雨が降る。大きすぎる黒龍たちの死体から濁流のように血が流れ、あっという間に赤い平原へと変わる。
「次……」
ハルが刀振って最後のエリアに行こうとした時だった。視界いっぱいに黒龍たちの群れが現れた。
「そういうことか…」
そこにいたどの黒龍も百メートルを軽く超えていた。そして、どこを見渡しても通常の神獣の大きさである十メートルから六十メートルの小型から大型クラスの黒龍は一体もいなかった。そこでハルはひとつの見解に至る。
それは、黒龍だけは既定の神獣を測るときの規格に沿わないのだということだった。黒龍の神獣は百メートル以上上から神獣だということ。つまり、百メートル未満の黒龍は全て魔獣に相当するということ。
つまりハルの視界に広がる、百メートル、三百メートル、五百メートルの黒龍たちが神獣の小型、中型、大型に相当するということだった。
視界を埋め尽くした黒龍たちが決死の覚悟で特攻してくる。驚異的なスピードで三百メートルほどの巨体が突っ込んでくるが、すぐにハルに両断され死体に変わる。しかし、その決死の特攻が何十体、何百体と数秒の内に行われると、ハルの周りが黒龍の死体の山で埋もれる。
「へえ、考えたな…」
ハルは黒龍の頭の良さと団結力に関心した。
黒龍がトップスピードでハルに突っ込んでくるのはきっと仕留めるためではなかった。黒龍たちはどんなに加速してもハルにはそれを軽々と捌かれてしまうことがわかっていた。しかし、黒龍たちはそれを利用した。その斬り捨てられた黒龍たちの死体が肉の壁となって、ハルの全方向の視界を塞ぐそれが真の目的だった。
「それでブレスってわけだ、なめんな…」
だが、そんな獣が考える程度の戦闘知識などハルに通用するわけがなかった。積りに積もった死体の山の向こうで、黒龍たちがブレスを解き放つ。仲間の死体ごとハルを焼却するつもりのようだ。
「こちらと人間やめてここに来てんだよ…」
容赦なく三本目の刀を全力で振るう。死体もブレスも黒龍も何もかも消し去る衝撃が広がる。
第三エリア大龍が文字通り消滅する。
「愛した人たちにも、もう、会えないんだぞ…!」
何もかもが真っ白になる中で、ハルは自暴自棄に叫ぶ。
自分で決めた道、それは大切な人達の未来を守る道だった。この三つのエリアの黒龍たちの殲滅だけで、この大陸の脅威がどれだけ消え去ったのか、測ることなどできなかったが、多くの人々が、この時点でハルを崇め立てても何らおかしくないほどの貢献はした。
人類は今まさに救われている途中だった。
第三エリアにいた黒龍たちが一斉に暴れれば、この大陸は一週間もしないうちに焦土化していただろう。
ハルがいなければ一体誰がこの地獄を無に還せただろうか?
今まで暴れてこなかったから、これから先も一生襲ってこない。そんな考えがはたして、鎖も繋がっていなかった黒龍たちに当てはまったのだろうか?
この討伐はいずれ誰かがやらなければならなかった。人類同士で争う前に、この神獣たちの繁栄を誰かが止めなければならなかったのではないだろうか?
これまでに多くの人たちがただ進行する脅威を見て見ぬふりをしてきた。禁忌だからと恐れ目を背けて来た。弱者だからと自分には無理だと、その大勢の人が何もしなかった罪を全部ひとりで背負っているのは誰か?
最強だから、英雄だから、力がある者が全部背負えばいいのか?
「ライキル…エウス…キャミル…ガルナ…ビナ…」
ハルは情けない声で泣きながら、みんなの名前を呼ぶ。今になってもう会えない、会ってはいけない愛する人たちのことが、恋しくてたまらなかった。
自分の選んだ道に今更、後悔が募り出す。英雄のくせに情けない、あまりにも情けなかった。
「アザリア…」
呼んでもどこにもいない彼女。
そんな絶望の中、ハルの中で異変が起こった。涙が止まり、感情が失われ、極めて冷静な思考が頭を支配した。
『殺さなきゃ、みんなのために…』
目的を遂行するための機械のように、人間らしさというものがハルの中で死につつあった。
限界はとっくの前に訪れていた。しかし、ここに来てハルが保とうとしていた人間性が消えていくのを感じた。自分自身が何か人ならざる別のものに作り替えられるような感覚に蝕まれる。人知を超えた力を獲得しているハルの精神が人間ではない、強大な力の身の丈に合った心を強制的に獲得しようとしていたのか?真相は定かではないが、ハルの心から目的を遂行するために不要な感情が殺されていくのを感じた。
だから、もう、大切な人達のことを思い出すこともない。ただ、黒龍を殲滅する。その強い意思だけが残り、それ以外のことはどうでも良くなっていた。
その無情な心を獲得してしまったハルが最後に抑えていた力も解放してしまう。
「終わらせる」
突如ハルの内側から想像を絶する強力な殺気のような圧が広がった。
それはハルが何よりも人と関われなくなるため、最後までこの力を解放したくなかった力だった。
この強すぎる気のようなものは、ハルが張った結界を貫通し、龍の山脈を超えて大陸中に広がった。
「生きては返さない…」
龍の山脈最終エリアの聖域にハルが移動する。わずか、数秒で500キロメートルほど移動し、聖域の中心地点に到着する。
それと同時に、第三エリア大龍は、多くの黒龍たちと共に消滅した。
一瞬で聖域に飛んだハルの眼前に広がっていた光景は、他のエリアよりもさらに意外なものだった。
ハルが聖域のだいたい中心に降り立つと、そこは先ほどと同じ美しい草原だった。
しかし、ひとつ違うところと言えば、遠くの方に何やら不自然に建てられた巨大な石の柱で囲まれたサークルのようなものがあった。その石柱の大きさは、数キロメートルとあまりにも巨大で人間が造るにはほぼ不可能な大きさで、黒龍たちが築いたものということはなんとなく予想が付いたが、どうやって建てたのかは一切分からなかった。
そして、その石柱の周りには、規則正しく並ぶ五百メートル越えの黒龍たちが待ち構えていた。
ハルが躊躇なくその石柱のサークルに斬撃を叩き込もうとした時だった。
その石柱の中から、信じられないほどの殺気をぶつけられるという手荒い歓迎を受けた。
大抵の人間なら今の殺気で、ショック死するのはほぼ確定で、最高峰の剣聖でようやく後遺症の残る気絶で済むといった具合の圧であった。気が狂うほどの恐怖を放つ存在が石柱の中にはいた。
しかし、ハルが常時放ってしまっている圧に比べれば、大したことはなかった。ハルの圧が暴風ならば、その飛ばされた殺気は春に吹く心地よいそよ風だった。
つまり決着はすでに決しているようなものだった。ハルは彼らにとっての脅威そのものと化していた。
避けられない死神の鎌。
殺気に動じないハルに予備動作無しのブレスを放とうとする黒龍たちであったが、ハルを前にすると全員動きが止まった後、その場にバタバタと白目を向いて絶命していった。
近寄っただけで命を奪ってしまう威力の圧はまさに死神そのものだった。
「殺してやるから、出てこい」
それだけ言うと、その言葉を聞き入れたかのように、隠れていた存在が石柱のサークルから顔をのぞかせ、勢いよく飛び出した。
青い鱗に覆われた美しい龍がその場を支配すると先ほどとは比べ物にならない殺気を放って咆哮をあげた。
空気がびりびりと振動する。
その龍を、黒龍と呼ぶよりは【青龍】という呼び方の方が合っていた。それにその青龍がこの黒龍たちをまとめている長であることは一目瞭然だった。
その空中に浮かび上がる青い巨体は、石柱の近くに転がっている五百メートルの個体の死体たちと比べても、十倍くらい大きさがあった。つまり、五千メートルほどの龍が今ハルの目の前にいた。
「決着つけようか」
冷めきった目でハルが呟き、殺気を放つ。
凄まじい気迫で青龍も咆哮し、殺気を放つ。
ハルと青龍の殺気がぶつかり合い、辺りには絶望が広がる。
近くにいた黒龍たちは両者の命を簡単に奪う殺気に触れてしまい、死に至る。
ハルが誰も反応できない速度で刀を振るう。
青龍が全身から、ずっとため込んでいた衝撃波を放つ。
両者の最初で最大の攻撃が衝突する。
最後の戦いの幕が切って落とされた