神獣討伐 その時
話しを一通り聞いたハルは、そばにいたドロシーに視線を合わせた。
「………」
青い瞳と紫の瞳、二つの視線が交差する。
「あ、あぁ、ご、ごめん…ごめんなさい…」
ひたすら謝り許しをこう彼女は怯え切っていた。不安が彼女を包み込んでいた。
「ギルさん、彼女を連れてここを離れてくれませんか。黒龍たちは抑えておくんで」
「わ、分かりました。ですが、彼女は…」
彼女はハルから離れまいと、必死に抵抗する姿を見せていた。引き離そうとすると、仕草で感情を表現する子供の様に、首を左右にぶんぶん振っていた。
「彼女、元に戻るかわかりません…」
「そうですか…」
落ち込む彼に言葉に怒気を込めて彼に尋ねた。
「あなた達は結局、ここに何しに来たんですか?」
無駄な時間、無駄な争い、無駄な犠牲、無駄な精神崩壊。ハルにとってここに来た彼らは邪魔者でしかなかった。ここはすでに白虎の時でいえば霧の森の中の濃霧の中そのものといえた。つまりここはすでに戦場だった。しかし、その戦場はハルと黒龍たちのものであり、他の人間たちが割り込んで来ていい場所ではなかった。
すでにこの場では人間の力など無力以外の何者でもなかった。
「私は…」
口ごもる彼にハルは続けて強い口調で言った。
「正直に言ってください」
「私たちは、いえ、ドロシーさん、彼女はあなたを手に入れようとしにここにやって来たと言った方がいいのかもしれません」
「なんで俺なんですか」
「彼女は裏社会に君臨する大きな組織の幹部で、あなたの調査を直接依頼されていたようなんです。私も彼女から酒の席で聞いた話ですから詳しくは分からないのですが、とにかく、彼女の組織はあなたを引き込もうと必死みたいでした。多分、それはハルさんの底知れない力を手に入れるためだったんだと思います」
「彼女の所属している組織は何て名前なんですか?」
少しだけ組織の名前を言うのに躊躇したギルだったが素直に言った。
「ドミナスです」
聞いたことのある耳障りな言葉にハルは眉をひそめる。以前にもその言葉を聞いた時、ろくなことが無かったような気がしていた。
「そうですか、ギルさんもその組織に入っているのですか?」
「はい、傭兵として雇われていますが、この組織に入ったら最後抜けることはできません。悪魔との契約のようなものです」
「その組織は何が目的なんですか?」
「俺は純粋な戦闘員なので思想的な部分はあんまり、でも、彼女から聞いただけなのですが…世界と人たちのために、ドミナスはあるって言ってた気がします」
「へえ、なんか立派な理由があるみたいですね」
彼の言葉にハルはたいして興味を示さなかった。それもこれも社会など所詮人間が独自に創り出したもの、秩序とは弱い人間たちが力を合わせるためにつくり出したルール。
これから、無差別に人を傷つけてしまう怪物になってしまうハルにとっては一生関係の無いことだったからだ。
「分かりました。でも、ギルさん、あなたからその組織の人たちに伝えてください。今後俺に関わったら命の保証はしないって」
「はい…」
殺気も込めてない言葉でも年上のギルが緊張しているのが分かった。力とはどうしようもなく上下関係を築いてしまうものだった。
「じゃあ、その帰らせてもらいます」
「ええ、そうしてください…」
ギルがハルから幼児退行化したドロシーを引き離すと彼女はヤダァと泣き叫んでいた。
「ギルさん」
「何でしょう」
「俺はあなたに再会した時、いい酒が飲めそうな人だって思ったんですよ。それがこんなことになるなんて残念でした」
人間としてハルは彼に失望していた。
「英雄のあなたにそう思ってもらえたなら、一般人の私もここまで生きて来たかいがありました」
ギルが嫌がるドロシーを引きずって当てもなくその場から去ろうとした時だった。
「ご無事ですか!!みなさん!!」
遠くから、黒いスーツの男がひとり、こちらに向かって走って来ていた。
「ドロシー様、おケガはありませんか?」
駆け寄って来た男が彼女の前で跪く。彼は金色の髪に長いまつげきりっとした顔の若い男だった。
しかし、そんな彼が頭を下げたドロシーはハルの元に戻ろうと子供のように駄々をこねているだけで、その男に興味を微塵も示してなかった。
「イェローさん、どうしてここに?」
「ギル、私はドロシー様を止めに来たんだがもうことは済んでしまったようだな」
「ですが、あなたみたいな人が直々にこんなところに来るなんて…」
「そんなことより、ドロシー様はどうしたんだ?様子がおかしいぞ」
「それが」
二人がごちゃごちゃと話しているところにハルが言った。
「ギルさん、いつまでいる気ですか?」
「あ、すみません、すぐに行きます」
「ハル・シアード・レイ…」
そこでイェローと呼ばれていた男がハルの前に出て来る。
「あなたもドミナスなんですか?」
「ええ、私はイェローと申します。あぁ、レイドの英雄にこうして直接お会いできて光栄です」
イェローが握手を求めて来たが、ハルは背を向けてもう一振りの刀を探すために歩き出した。
「どうでもいいので、さっさとここから出てってください。あなた達、全員邪魔なんで」
「すみませんでした。我々は君の邪魔をするつもりは決してなかったんだ。私たちはすぐにここから去るから安心してくれ」
くだらない言い訳をする男に見向きもせずに刀を探し回る。
「ハル剣聖、いや、ハル英雄幸運を祈る」
その男の目はハルに対しての期待に満ち溢れていたが、そんな彼の期待にずっと背を向けていた。
「それじゃあ、ギル、ドロシー様を連れて来てくれ、あっちに転移魔法陣を用意してる。ここら辺はマナはあるが乱れが酷い、繊細な魔法は魔法陣必須だ。急ぐぞ」
三人が森の中に走って行く後姿を、ハルが視界の隅に捉える。
ただ、ドロシーだけが、諦めずにもがきながらこちらを見つめて手を伸ばしハルを求めていた。
「クソッ」
下唇を噛んだハルの手はずっと自分への怒りで震えていた。
***
龍の山脈は、アスラ帝国王都スカーレットの北部に位置し、他にイゼキア、シフィアム、レイドの三つの国にまで跨って存在するこの大陸レゾフロン最大の山脈だった。
地図で見た時、龍の山脈全体の規模だけで言えば、南北にはおよそ1500キロメートルほど、北西に傾くように横たわっており、第一エリア小龍から順に東西に200キロメートル、第二エリア中龍が300キロメートル、第三エリアが500キロメートル、最後エリアの聖域が800キロメートルと広大な土地が広がっていることが研究から分かっており、龍山脈の針のような山々は、その広大な敷地を囲うように連なっていた。
龍の山脈の形としては、アスラ帝国王都近辺の小龍から、イゼキア王国にまで続く最終エリア聖域まで、順番に土地が東西に広がっているため、細い逆三角形のような形をしていた。
龍の山脈のどのエリアも人間が手を付けていないため、豊富で美しい自然が溢れていることが、過去のナキアの遠征からも明らかになっており、黒龍たちの縄張りじゃなければ今頃はその山脈の中には人間たちの国がいくつも乱立していてもおかしくはない、資源の豊富さと立地の良さと、土地の広さだった。
しかし、現実は命がいくつあっても足りない禁足地、四大神獣黒龍の巣窟。不可侵の龍たちだけの国。
そんな第一エリアでも最南端にある研究所から数キロ離れた更地となってしまった場所でハルは、もう一本の愛刀を探し回っていた。
「どこにいった?壊れてはいないはずなんだけど…」
天性魔法でも探しても見当たらない刀をハルは最初に手放した辺りから目視で探していた。
捜している間、ふと嫌な風が頬を撫でたので顔を上げ周囲を見渡した、
「やっぱり、ここ、遠くから監視されてるよな…」
人間が勝手に安全と決めた龍の山脈の第一エリア小龍。果たして本当にこのエリアを黒龍たちが自分たちの縄張りじゃないと決めていたのだろうか?ハルの見解は違った。むしろここは侵入して来た者たちを下見する場所である可能性が高かった。
第一エリア小龍では、侵入者たちを撃退するために様子見をし泳がせ、第二エリア中龍か、第三エリア大龍で仕留める。
可能性としてそう考えるのが妥当だった。第一エリアは一種の試練の場所で侵入者たちが黒龍たちに試されている場所のような気がした。先ほどから何らかの方法でこちらの動きを察知されている感覚にハルが陥っているのも、ここが黒龍たちの目としての機能を有しているからなのだろう。
「まあ、近くにはもういないからいいか…」
第一エリア小龍は確かに黒龍たちにとって目としての役割がある様子見の場所のようであったのだが、条件を満たしてしまうと黒龍たちは第一エリア小龍でも容赦なく攻撃してくることが推測というより、実際に攻撃してきたので事実だった。
ハルが考えるに、その条件は第一エリア内に隠れている黒龍の発見。これが条件のような気がした。
ハルが強化された天性魔法で周囲を探ったとき、森の中に巧妙に隠れている黒龍たちを発見した時だった。あちらもすぐにこちらの天性魔法を感知したのか、その場から逃げるように龍の山脈の奥深くに逃げていくのを確認していた。
それからだった。援軍を連れて来た黒龍とハルが天性魔法の壁を一枚挟んで睨み合っていたのは。
きっと、そこで黒龍たちは侵入者の力量を測っていたのだろう。
気づけば実力者、気づかなければたいした者ではないと。
「あ、あった」
もう一振りの刀を、血の海に沈んでいたところで見つけたハルは、そこで再び周囲を天性魔法をつかって確認した。
周囲数キロに黒龍も人の気配も無く、完全にこの龍の山脈には、ハル独りとなった確認が取れた。
ハルが数キロと天性魔法の範囲が広められているのは、あの発作で溢れ出す驚異的な力のおかげだった。普段は百メートルまでひろげるとそこから感覚が鈍り上手く周囲の状況を把握することができないのだが、今のハルはどこまでも天性魔法の感覚を広げることが出来る感覚を得ていた。
ただ、そんな万能感に包まれるとともに、虚しさだけがハルを襲っているのも確かだった。
「もう、誰もいない」
あの三人も近くにいないことから先ほど言っていた転移魔法陣というよくわからない魔法で逃げたのだろう。
「じゃあ、始めるか…」
くすんだ青い髪が風になびく、龍の山脈の奥に向かって吸い込まれていくように吹く風。
両手にはおよそ片手で扱うようなものではない二本の大太刀が握られていた。
鮮血に染まった英雄が、遠くの空を見つめる。
目を閉じ身体の奥に意識を向ける。
そこにはハルがずっと強制的に閉じ込めていた莫大な力の集合体が渦巻いていた。
子供の頃から強靭な鋼の意志でその力には封をしていた。
この力を表に出さないことがハルにとっての何よりもの使命であり、この力を抑え込んでいたからこそ、みんなと一緒に暮らしてこれたというものがあった。
ハルがずっと抱えていた自分だけの孤独な秘密。
解き放ってしまえば、ハル・シアード・レイとしては終わってしまうが、それでも、愛する人たちに理不尽で最悪な未来が訪れないようにするために、今、ハルは自分自身の意思でその力を解き放つ。
「ほんと、みんなことが好きだった…」
ハルが目を開ける。
内なる力が解き放たれる。
終焉の扉が今、開く。
最後にハルは静かに笑った。
愛する人たちの笑顔を思い出して。
あまりにも楽しかった日々を思い出して。
幸せだった記憶だけがハルを満たす。
「大丈夫、ちゃんと全部終わらせるから、遠くから見守ってて…」
ハルの内側にあった力が現実に溢れる。
周囲の空間が一気に捻じ曲がる。
「またね」
その時は来た。