神獣討伐 虐殺と殺戮
見渡す限り血の海が広がり、森だった場所が更地になっていた。
そして、惨憺たる光景が目覚めたハルの目の前に広がっていた。
取れた腕、もげた脚、半分だけの胴体が、血の海の至るところに散らばっている。誰が誰のものか区別がつかないほどぐちゃぐちゃに散らばっていた。
ハルがその場で天性魔法を展開する。すぐに自分を中心に光のようなものが周囲に広がり状況の確認にはいった。
五十九人いた何人が生き残ったか、もう、死体の損壊具合から何人殺されたか判別することは不可能だった。
破壊された武器や武器に付いている手などから考えるに何かと懸命に戦った痕跡が残っていた。一体何と戦っていたのか?と疑問が浮かぶ前に、その答えを見つけるのは容易かった。
「あれ黒龍か?」
血の海を越えた奥には薙ぎ倒された木々に横たわる黒龍たちの死体があった。その黒龍の大きさは中型や大型など大きな部類の神獣だった。
「彼らが戦ったのか……ん?」
そこでハルは、ある重要なことに気づいた。天性魔法を飛ばしたときに一番最初に気づくべきことだったのだが、あまりにも自然にそこにいたので気が付かなかった。
隣に自分と手を繋いでいる人がいた。しかし、返り血で真っ赤に染まっているため、それが誰なのかは全く分からなかった。
「あの、誰ですか?」
血を被った放心状態の女の子がそこにはいた。
「もしかして、ドロシーさんですか…」
血に染まっていたが特徴的な紫色の髪と瞳で分かった。彼女は小刻みに震えていた。
「ごめんなさい…僕は、僕、ごめん、ごめんなさい…助けてください……」
「大丈夫ですか?」
ハルがしゃがんで彼女の血を払うが、その間彼女はずっと正面だけを見て、完全に正気を失っていた。
顔の血を拭うと彼女の委縮して怯えている顔が出て来た。
「何があったか教えてもらってもいいですか?」
「僕、ごめんなさい…ハル、ごめんなさい………」
彼女は歯をがたがたと鳴らし、目の焦点は忙しなくあちこちを。
「ごめんなさい………」
そこで彼女が少し離れた場所を指さすと、そこにはドーム状の真っ黒な闇が血の海に浮かんでいた。
彼女の手を離してそのドームに近づこうとすると、彼女が必死にハルの手を握り返して一緒に付いて来た。
「傍に居てください…僕、あなた……」
目を覚ます前とはまるで別人だった。怯えている彼女を置いて行くわけにもいかないので、一緒にその闇のドームの前まで行く。
そのドーム状の暗闇は黒く光、その表面に自分の顔が反射して鏡になっていた。すべてを拒絶している闇のドームにハルが触れると一瞬でバラバラになった。
中にいたのはくすんだ金髪のギル・オーソンだった。
「ハルさん…」
「ここで何があったか詳しく教えてもらっていいですか?」
「私が見たのは…」
彼は彼女ほどではないが、気が触れる一歩手前まで来ていたが、話しはできそうだった。そう考えると、あの黒いドームは相当優秀な魔法のようだった。
ちなみにハルはこの惨劇がどのようなものだったのか、おおよそ、予測が付いていた。
発作が起こってからハルの力は底無しに上がり続けていた。それに伴って膨れ上がる力を留めておく器になろうとしているのか?ハルのもとからある異常な身体機能はさらに飛躍し、感覚器官は限界を超えて研ぎ澄まされていた。
人間という枠組みからどんどんと離れて行く自分がいた。今のハルは、化け物という言葉がとても似合うようになっていた。
そして、異変があったのは身体だけではない。ハルの天性魔法にも大きな変化があった。
天性魔法は、属性魔法のようにマナとエーテルを消費しない、肉体や精神と密接に関わっている。そのため、常軌を逸した肉体に変わり果てたハルに宿る天性魔法が、周囲を確認したり、相手の五感を閉ざす程度の力に収まるわけがなかった。
そもそもハルの天性魔法は光のようなものを操れるところにあり、周囲の確認とその光に触れた対象の感覚が閉ざされていくというハル自身もよく分かっていない性質の力だった。
そして、ここに来て、そのハルの天性魔法は一段階上の進化を遂げていた。ただ、それがいいのか悪いのかは分からなかったが、ハルのその光は物質的な側面も持ち合わせるように進化していた。
ただ、天性魔法は本人からすれば身体の一部のようなものなので、その変化に対して順応と理解は早く、使いこなすのは容易だった。
そのため、ハルはここら一帯を新しい力で光の壁を創り何ものも壁の中に入ってこれないようにしていた。これは、みんなが研究所で集まっている時にも張っていたもので、黒龍の急襲を事前に防いでいた。
ハルは、ドロシーたちが周りに瞬間移動して来た時にも彼らの安全を確保するために、誰も知らぬ間に張っていたものだった。
だが、しかし、それが意識を奪われたことで少しの間でも無くなったということは、黒龍たちが襲撃してくる隙を与えてしまったことになってしまった。
ここにハルが来たときから黒龍たちが忙しなくこちらを警戒し気性が荒くなっていることは、天性魔法で確認済みだった。彼らは入って来た脅威を排除しようとずっとこちらの様子をうかがっていた。自分たちを脅かす脅威を事前に察知していたのだ。
だから、血の海という結果にも理解は追いついた。
しかし、ひとつだけ、分からないことがあった。
ギル・オーソン、彼が助かったことは、必死に手を握って離さないドロシーの魔法であることは分かった。だが、彼女はなぜ生き残り自分と一緒に外にいるのか分からなかった。
彼女も彼と一緒にあの黒いドームに居た方が安全なはずなのだ。そうすれば、正気を失わなくても済んだはずなのだ。
もしかして、気を失っている自分を守ってくれた?そう、考えると彼女にはまた命を救われたことになり、もう、何がなんだかわけが分からなかった。
だから、知りたかった。意識がなかった間に何が起こったのか?
太陽の位置から数時間も経っていないはずなのだ。
「虐殺でした…」
ギルが語りの最初に呟いた言葉は重々しいものだった。
*** *** ***
ハル・シアード・レイを無力化した。
ギルが彼の手を通じて抱いている罪の重さに押しつぶされていくのを感じた。
「上手くいった…」
ギル・オーソンは人が抱く罪の重さを利用して相手の精神に干渉することができる。天性魔法を持っていた。感覚としては罪を抱えている相手を転ばせてその重みで潰れるかどうか見極める。そのようなやり方がギルの天性魔法だった。その相手が抱える罪、ここでは罪悪感という方が正しいのかもしれない。その罪悪感に押しつぶされた時、人間の心には隙が生じる。そこでギルが相手の心の隙をついて操るというのが彼の得意技だった。
そのため、ギル・オーソンは、多数相手がもっとも得意とする分野だった。
しかし、欠点としては、相手が心底極悪人で罪悪感の欠片もないようなクズだと、全く天性魔法が効かなかった。それと罪悪感が小さい相手を操ろうとすると体力の減りが極端に大きかった。
そんなデメリットがあるギルの天性魔法だが、相手が罪悪感を抱いていないように見えても、この罪悪の天性魔法は、相手自身も知らない心の奥底の罪悪を引っ張り出してくるため、抗うことはほぼ不可能だった。
ギルの天性魔法を回避できるとしたら、生粋の善人か、最低最悪の極悪人か、頭のおかしい狂人の、この三種類の人間だけだった。
それではハル・シアード・レイはどうだったのか?
「ドロシーさん、どうですか?行けそうですか?」
ギルの後ではサポート役としてドロシーが彼に変わってその罪悪の天性魔法が消費する体力を肩代わりしていた。
ドロシーがギルの背中に手を当て、そこから彼女の特殊な闇の天性魔法を接続していた。
これはハル・シアード・レイというあまりにも強すぎる人間に対してギルの体力が持つ自信がなかったからだ。
以前、剣聖二人をまとめて相手をしたが、もって数分だった。彼らは高潔な魂を持っていたが、それでも心の奥底は普通の人間であり、多少の罪悪感を持ち合わせていた。ただ、あの時は、彼らの前に頭のおかしい女と戦っていたからであり、仕方がなかったのだが、それでも、剣聖になるほどの者の魂は非常にタフで、ギルの消費体力もみるみる減ったのはいい経験だった。
だから、ハル・シアード・レイという最強の英雄の心を操るには一体どれだけの体力が必要なのかと考えるとギル一人では到底不可能だった。
そこでドロシーの出番だった。彼女の肉体も幼い身体には考えられないような力が宿っていた。ただ、彼女ですら目の前の英雄の足元にも及ばないみたいなのだが、それでも、ギルと比べたら圧倒的に彼女が肩代わりしてくれた方がましだった。
「問題ないよ、ていうか、全然体力持ってかれないんだけど…本当にギルの魔法効いてる?」
「え、効いてると思いますよ、手ごたえはありますから…」
そこで、ギルとドロシーの周りに、多くの人たちが押し寄せて来た。
「ドロシー様、もしかして、その男無力化したのですか?」
「その男何者なんですか?正直、俺たちじゃ無理でしたよ、化け物ですよそいつ」
「もしかして、今回の手柄はそこにいる彼のひとり勝ちですか?」
「ドロシー様、私にその男をくださいませんか?ペットにしたいのですが?」
「おい、そいつ早く殺した方がいいんじゃねぇか?なんかそんな気がするんだ。なんていうか、よくわかんねぇけど、そう思うんですよ…」
「ドロシー様、俺、頑張ったんで褒美くださいよ、お願いします」
決着が着くと、周りにいた他の大陸では英雄と呼ばれるような者たちがうじゃうじゃとドロシーの周りに集まって来た。
「みんな、ありがとね、でも、今回はこのギル勝ちだから褒美はお預けかな」
そんなと声が上がるが誰も不満を口にする者はいなかった。みんな分かっているのだろう。目の前に居る彼女がこの中で群を抜いて最強なことを。
「今の彼どういう状況なんですか?」
ひとり女魔導士が尋ねた。
「今は彼の天性魔法で、えっと、どういう状況なの?支配下に置けたでいいの?」
ドロシーがギルに確認すると、彼は少しだけ眉をひそめ、曖昧に答えた。
「これ、まだ、ん…なんだ……」
ギルは難しそうな顔をして、自身の魔法と向き合っていた。
「どうしたの?もしかして、効いてないの?」
「いえ、魔法は掛かりました。ただ…」
「ただ?」
「途中です。魔法が掛かってる途中なんです」
「途中?」
「はい…」
本来ギルの天性魔法は一瞬でかかる類の魔法なのだが、何かハルには特別な耐性があるのか、完璧に魔法が掛かってはいなかった。それでも、掛かっていることには掛かっているため、こうして、気を失っている状態だった。
「すみません、ドロシー様、ひとついいですか?」
「何だい?」
男の魔導士が話しかけて来た。
「彼は一体何者なんですか?」
「君たちが知らないのも当然だと思うけど、彼はこの大陸の支配者と言ったところかな?食物連鎖の頂点にいると言ってもいいね。みんなみたいに英雄と崇められてる人だよ」
「もしかして、その、彼はドロシー様よりも強いということですか?」
「僕もさっきの戦いで分かったけど、多分、こうやって彼の善意につけこまなきゃ絶対に勝てなかったね。君たちも戦って感じなかった?」
「ええ、正直、何が起こっているか分かりませんでした」
「だろうね」
そこに両手に剣を持ったやんちゃな青年が話しに割り込んで来た。
「ドロシー様、俺、彼に弟子入りしたいんですけど、殺しちゃうんですか?」
「殺しはしないよ、彼には組織の糧になってもらうからね」
「なんすか、糧って?」
「秘密」
ドロシーが不敵に笑う。
「それより、これからどうするんですか?拠点に戻るんですか?」
ギルがハルに天性魔法を掛け続けながらドロシーに尋ねる。
「そうだね、このまま、彼女に飛ばしてもらうかな」
そこでドロシーがみんなの輪の少し外でおろおろしていた女魔導士を見た。
茶髪のふわふわした彼女がここにみんなを運んで来た優秀な魔導士だった。
「彼女の魔法凄いですよね」
「うん、ここにみんなを安全に飛ばしてくれた凄腕の魔導士だよ」
「ドロシーさんとどっちが凄腕ですか?」
「ギル、そりゃあ僕に決まってるよ、知ってるでしょ?」
「ハハッ、すみません」
「全く、じゃあ、彼女を呼ぼうか、おーい」
ドロシーが、彼女の名前を言って呼びかけようとした時だった。
一筋の閃光が、目にもとまらぬ速さで駆け抜けた。その瞬間、ドロシーが見ていた彼女がその閃光の中に飲み込まれて行くのが見えた。
「ハァ?」
眩い閃光が止むと、そこにいたはずの彼女の姿は無く、ただ空中に彼女の着ていた服の燃えかけの破片が舞っているだけだった。
そして、その時森の北からおぞましい殺気を捉え、ドロシーが魔法を発動させると同時に力いっぱい叫んだ。
「全員戦闘態勢!!」
次の瞬間、凄まじい光量の眩い光が北の空から出現し、ドロシーたちの元に迫って来ていた。
それはまるで太陽のような灼熱の熱線の集合体だった。
ドロシーがみんなを守るように闇の障壁を一気に広範囲に展開した。
光と闇が衝突する。
この大陸の外から来た英雄たちは、何が起こったのか理解していなかったが、ドロシーとギルだけは何が仕掛けてきているのか十分すぎるほど理解していた。
「ドロシーさん!!」
「マズイ、彼女が真っ先に死んだのは計算外だ…」
大勢をこの場に連れて来てくれた魔導士はすでに先ほどの熱線で即死してしまった。
「それにこの熱の量…やばいかも……」
ドロシーが苦笑すると、みんなを熱から守っていた闇の壁が突破され始めた。前方に広がる闇を突き抜けて熱線が降り注ぐ。
ただ、そこは英雄たち、来ると分かっている脅威になら対抗する手段を身につけていた。
闇を抜けて来た熱線を自分たちの魔法や身体機能で防いだり、かわしたりとそこはさすが実力者たちといったところだった。
しかし、悪夢はここからだった。
熱線が一度止むとドロシーが闇の防壁を解いた。
すると熱線が飛んで来た前方の北の空に黒い靄のようなうごめく群団が浮かんでいた。
その場にいた全員が息を呑む。
遠くの空から数百体を超えた黒龍たちが迫って来ていた。
迫る黒龍たち大きさはざっと五メートルほどの小型、十メートルから二十五メートルほどの準中型、二十五メートルから六十メートルほどの中型、六十メートルから百メートルほどの大型、と全ての大きさの神獣クラスが勢ぞろいしていた。
「お前たち全員今すぐ退避し…」
ドロシーが命令を下す前に状況は混沌を極めた。
凄まじい速度で大型の黒龍が一体解き放たれた矢のように飛んできて、暴れ出した。
更にそこから次々と上空を覆った黒龍たちから熱線が放たれると、辺りは一瞬で地獄と化した。
英雄たちは自分の身を護ることで必死になりドロシーの言葉はもう誰にも届いていなかった。
「お前たち!」
しかし、ドロシーとて、異常な数の黒龍を前に誰かに気を配っている余裕はなかった。
熱線が降り注ぐ中、地面を這い暴れ狂う大型の黒龍と目が合う。
「ギル、ちょっと共有切るけどいいかな?」
「問題ないです。体力の消耗もないんで」
「良かった、じゃあ、ギルはこのままハルさんに魔法かけておいて、僕ちょっと本気出してくるから」
「わかりました」
ギルはうなだれて立ち尽くしているハルの手を掴んだまま天性魔法を掛けることに集中した。
***
「聞いてない、こんなの聞いてない!」
空か無慈悲に降り注ぐ熱線を避けながら、逃げ惑う女剣士が絶望に染まった声で叫ぶ。
「なんだよ、これ、この大陸ヤバすぎるよ、故郷に帰りたいよ!!」
弱音を吐く筋骨隆々の蛮族も隣で全力で走る。
「死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ!!!」
体力に自信のなさそうな修道服を着た女性も必死に降り注ぐ熱線に当たらないように無駄に頭を低くして、息を切らしていた。
周りを見ればそこには全力で逃げ惑う人たちで溢れかえっていた。
ここにいる者たち全員が、この大陸レゾフロンの外では、英雄と呼ばれるほどの実力者たちで神獣クラスの龍を相手にするのだって容易いことだった。
しかし、それはあくまでも一対一という想定のもとであり、空にも地上にも溢れかえる神獣相手では、そもそも戦いという形にすらなっていなかった。
こんなのは一方的な虐殺であった。
だから、この場では戦うより逃げることの方が最優先事項だった。
勘違いして逃げ出さず戦おうとしたバカな英雄たちは、地上に降りて来た複数の大型の神獣にひき肉にされ、空から熱線で焼き尽くされてしまった。
戦ってはいけないこの場では戦えば死は必死だった。できることは死神に追いつかれないように走るだけだった。
みんなが一斉に逃げ出し目指す場所はこんな非常時もあろうかと用意されていた。強制転送魔法陣だった。そこまでたどり着けば、安全な拠点にまで一瞬で戻ることが出来た。
もうすぐでその魔法陣にたどり着くと思うと、誰もが必死にその希望まで走り続けた。
だが、そんな希望はとっくの昔に無いことにたどり着いた先で彼らは思い知らされた。
森をかき分け、ようやくたどり着いた魔法陣があった場所には大型の黒龍がいた。
その魔法陣はすでにめちゃくちゃに破壊されており機能を停止していた。
それを見た英雄たちはそこで愚かにも戦闘態勢に入ってしまった。何が何でも逃げなければならなかったのに、彼らは感情に身を任せて戦うという選択肢を選んでしまった。
「お前、よくもぉおおおお!!!」
ロングソードを持った銀色の鎧を身に纏った剣士が、目の前の黒龍に斬りかかる。彼に合わせて他の人間たちもその黒龍に怒りをぶつけるように叫んで襲いかかった。
彼らが襲いかかって来るのをその黒龍はぎりぎりまで静かに見守っていた。そして、銀の剣士の剣が黒龍に届く寸前までくるとその黒龍は逃げるように天高く空まで昇っていった。
銀の剣士の攻撃が空振りに終わり空を仰ぐ、他のものたちも天高く昇って行った黒龍を見つめる。
そして、天に上る黒龍と入れ替わるように諦めがつく回避不可能なほどの熱線が、空で待ち構えていた黒龍たちの口から放出された。
英雄英傑たちが一瞬で灰になる。
積み重ねて来た栄光が、まったく見知らぬ土地で土に還る。
***
ドロシーは最強の魔法使いである魔女であった。そんな彼女でも、防戦一方になるほどの黒龍たちの激しい攻勢。それは命を無視した捨て身の特攻による連続攻撃だった。黒龍たちの統率のとれた動きにドロシーですら手も足もでなかった。
「あいつか、あの一番上の空で飛んでる黒龍が司令塔か…」
上から絶え間なく降り注ぐ熱線を闇で身を守り続けながら、闇で創り出した目玉で、この群れを指揮している個体の黒龍を発見した。
「あいつさえ、やれれば、この的確な攻撃も乱れて隙ができるかもしれない…」
ドロシーは背後に居る、ギルと、意識を失っているハルを闇で守りながら、必死に状況を把握して、反撃の機会をうかがっていた。
だが、状況としては殻にこもり絶え間なく浴びせ続けられる熱線を防ぐことと…。
「後ろか!!」
振り向いたドロシーが、命を捨て特攻してくる黒龍に向けて闇の刃を放った。その闇の刃は黒龍に触れると一気に膨れ上がり、突っ込んで来た黒龍を真っ二つに切り裂いた。大量の血が三人に波のように襲いかかった。
「ぐっ」
死ぬよりは返り血を浴びる方が断然ましだった。
このようにドロシーの薄い闇の部分を、命を捨てた特攻で破ってこようとする黒龍の猛攻を防ぐことで精一杯だった。
「ドロシーさん、このままだと三人とも死にます…ここはハルさんを起こした方がいいのでは?」
「それだったら、彼を支配下に置いてから助けてもらった方がいい、大丈夫、僕はまだまだやれるから…」
防戦に回ったドロシーは強かった。数百を超える黒龍たちの熱線を彼女の本気の防壁は微塵も通すことはなかった。
「…わかりました。ただ、限界が来そうになったら言ってください。この状況でもしドロシーさんが力尽きたら、三人まとめて灰になりますから…」
「わかった、無理そうになったらすぐに言うよ、それより、今はギルは彼に集中…」
熱線が止む。
それはあまりに突然のことで、一瞬思考が真っ白になってしまい言葉が途切れてしまった。
「攻撃が止んだ…」
「ほんとだ、静かになりましたね…」
「黒龍たちが離れて行く…」
闇の殻の外側に生み出した闇から創った目玉を通して外の状況を確認する。
「もしかして、諦めたんですかね?」
ありえなくはないがその考えに至るにはあまりにも早計だった。
「………」
ドロシーはしばらく沈黙していたが、何か嫌な予感がし、闇の目玉で周囲の確認を念入りに続けた。
そこでドロシーが闇の目玉と自分の感覚共有を急いで切り離した。
「ギル、僕たち死ぬかも…」
「え?」
三人がこもっていた闇の殻がドロシーによって解除される。するとそこでギルの目にもドロシーが見た光景が飛び込んで来た。
「これは…」
一面白々と輝くようなその熱線はとてもじゃないが先ほどの黒龍たちが放っていた熱線とは格が違った。周囲一帯の森がめくれ上がるほどのまさに白い熱の壁ともいえるほどの巨大な破壊が迫って来ていた。
「時間は稼ぐから…ギルはハルさんをなんとかして…」
「ドロシーさんは逃げてください!あなただけなら逃げきれるはずです。これは無理です!」
「もう、逃げられないよ、分かるでしょ?どういうわけか、転移の遠距離魔法もここだと使えない…」
「あなたは組織にとっても大事な人でしょ?」
「それでも、君たちは置いてけないよ」
「いや、でも…」
ここで天性魔法を中断してハルを起こしても起きるかどうかも分からない。それならば、少しでも視界いっぱいに広がる熱の破壊を遅らせて、ギルの天性魔法で本物の英雄を目覚めさせる方が三人の生存確率は上がった。
「【黑壁】展開…ギル、これが私の最後の魔法にしないでね」
ドロシーが手前に向けた手から、勢いよく巨大な闇が溢れるとみるみる目の前に巨大でぶ厚い闇の壁を張った。さらに横と縦に熱線が来る前に限界まで広げておく、【黑壁】つまり闇の防壁の幅が狭いとそれだけで迫っている熱の温度で間接的に焼死死してしまう恐れがあった。白魔法で逐次回復することも可能だが、そっちにリソースを裂いてしまえば、展開している黑壁が突破されるのは容易に想像がついた。
「来た!」
巨大な熱線が闇の防壁と衝突する。その瞬間ドロシーが大量の血を吐き出した。
「ドロシーさん!!」
「ギル、僕は大丈夫だから、急いで…」
闇の壁が莫大な熱を処理するためにドロシーから限界を超えて体力を吸い取っていた。想像以上の威力に、白魔法を高速で回す必要があった。これにより、十分ほどは持たせるつもりがあった余裕が一気に数十秒と短縮されてしまった。
『マズイ…ダメだ…もう、ほんとにこれが最後の魔法になりそう……』
言葉を出す余裕さえもなくなってしまった。
「くそ、ハルさん頼むからさっさと反応してくれ!あんたはどっちなんだ?善人か悪人か?それとも…」
そこで一気に闇の壁の幅が縮んだ。ギルの視線の先には、口、鼻、目から大量の血を流しながら必死に耐えているドロシーがいた。ギルは彼女のこんな姿を一度だって見たことがなかった。
いつも余裕を持って誰だって蹴散らして来た彼女がこんな神獣ごときにやられるなどと思いたくもなかった。
防壁がみるみる縮んでいく。そうしていると、ギルの肌にも熱が届いた。自分にも死が迫っているのだと実感する。
『こんなところで死ぬのか…なんだ、あっけなかったな…』
ギルの頭の中に最後に笑っている最愛の人の顔が浮かんだ。
『イノ、俺もようやくそっちに行けるみたいだ…』
みるみるギルの目の前に広がる深い闇の壁にひびが入り、次第に光が差し込み始めた。
「待たせて悪かった…」
ギルの目の前が真っ白になる。
熱は感じないきっと感じる間もなく灰になったのだろう。
「………」
ただ、まだそこにギルはいた。いくら待っても死がギルに追いつくことはなかった。
迫りくる熱の暑さも消え、ドロシーが必死に生み出した闇の壁もなくなったのに、まだ、ギルもドロシーも死んではいなかった。
いつまでも死なない自分たちに驚いていると、二人の前に誰かが立っていた。
その人はくすんだ青髪をなびかせるどこにでもいそうな青年であった。
眼前を覆うほど輝かしい白い莫大な熱の破壊から、彼が左手を前にかざすだけで軽々と防いでいた。右手には大振りの刀が一振り握られていた。
二人がただ呆然と彼を見つめていると、やがて、その絶望的な状況が止んだ。
三人が立っていた場所から周囲五百メートルほどが更地となり、遠くのいたるところで森林火災が起きていた。
そして、遠くにはうじゃうじゃと蠢く黒い塊を確認できた。きっとあの白い強力な熱線を放った黒龍たちだろう。三人の生存を確認するとすぐに散らばり再びこちらに攻撃を仕掛けてこようと天に黒龍たちの群れが一斉に飛び上がる。
しかし、そんなことよりも二人が気にかけなければならないのは今、目の前に立っている青年のことだった。
「ハルさん…?」
ギルが恐る恐る尋ねる。
「ギル、もしかして成功させたの!?」
隣ではドロシーが自身に白魔法を掛けて全快していた。
「いや、それが…」
ギル本人でさえ死と隣り合わせで必死であったため、天性魔法が成功したのか判断が付かなかった。そのため、もう一度手をかざして罪の意識に接続しようとした時だった。
青年が持っていた刀を引きずってドロシーの方に一直線に歩き始めた。
「ギル!彼、魔法にかかったの?って、うわ」
ドロシーに近づいたハルが彼女のことを抱きしめた。
「ど、どうしたんだ、いきなり!?」
しばらく無言でハルが彼女のことを抱きしめていると、遠くから熱線が飛んで来た。
「マズイ、ギル、僕の後ろに隠れて!」
ハルに抱きしめられながらもドロシーが闇で防壁を張ろうとしたときだった。
ドロシーの耳元で凍るような恐ろしい声が響いた。その言葉は一言『ダメ』だった。
迫る一筋の熱線、ただ、ドロシーはそこで身動きひとつとれなかった。
ハルが刀を地面に捨てて、彼女を両腕で抱きしめる。
「ドロシーさん!しっかりしてください、このままじゃ!」
そこでギルが慌てて、呆然としているドロシーに触ろうとした時だった。
ギルの身を根源的な恐怖が駆け抜けた。それもその駆け抜けた恐怖は生半可ものではなかった。生涯一生思い出しては身を震わせ、死を想起させる絶対的な恐怖。自ら命を絶ちたくなるほどの死の感覚がギルを襲う。
「ダメ」
邪悪に振り切った目で睨まれたギルは、放心状態のまま後ろに倒れ尻もちをついた。
抱きしめられているドロシーも何が起こっているのか理解が全く追い付かずただひたすらに、怯えることしかできなかった。
そして、ドロシーが気にかけていた熱線だったが、三人のところに届く前に透明な何かにぶつかってあっけなく消えていった。
何かとてつもないことが起こっているのだと、ドロシーは理解していたが、それが何なのか分かるはずもなく。
彼に抱きしめられているこの状況に困惑しそして戦慄するしかなかった。
「魔法使い、君は魔女、そうでしょ?だってさっき凄い魔法を使ってたから…」
ドロシーがそこでようやくその青年ハル・シアード・レイの目を見るとひとつだけ分かったことがあった。
「俺、魔女好きだよ…怖がったりしないよ…」
瞳孔は開きっぱなしで、完全にいかれていた。
たぶん、ギルの魔法は掛かってはいたが、効かなかったのだろう。いや、感覚としてはギルの魔法で、彼の中に眠っていた狂気が引きずり出されてしまったのか?とにかく、彼の纏っているこの恐怖に触れ続けるのは危険だった。
頭がおかしくなりそうな恐怖で、脳が破壊されそうだった。そして、それ加えてドロシーは彼に優しく抱きしめられ…。
「大丈夫だよ、俺は君の味方だよ…」
優しい口調で、頭をそっと撫でられる。
この優しさと放っている恐怖で、こちらの気が狂ってしまいそうだった。
そして、ドロシーは彼が発しているこの恐怖と捉えているものの存在を知っていた。
『この【神威】は、人間のもんじゃない……』
ドロシーは優しさと恐怖で脳が壊れかかりながらも、彼に願い出た。ギルと二人が助かる道はこれしかないと思った。
「ねえ、ハル、だったらあの龍たちを倒してくれない?私たち襲われてるの」
「ハル?なんで俺の名前知ってるの?」
この時、本当に彼のことが分からなくなった。
「知ってるも何も僕たち前から知り合いじゃないか…」
「知り合い、魔女の知り合いは俺ひとりしかいないけど…」
そこでハルが何かを思い出したかのようにさらに目を見開きドロシーを見ると彼は言った。
「もしかして、アザリア…」
「アザリア?」
「こんなところで会えるなんて…あぁ、ああ……」
そこでハルが彼女にもう一度飛びつくと、彼は歓喜に打ち震えていた。そこで、ドロシーはこれは利用するしかないと思う最後のチャンスだった。アザリアという人物など微塵も知らなかったが、ここはその女性に成りすますしかなかった。あいにく、彼にはそう見えているのだから、好都合だった。
「そうだよ、僕がアザリアだよ、久しぶり、ハル」
「会いたかった、ずっと、俺、あのとき、その、ほんとに……」
彼がそこで泣き崩れたので、ドロシーはとっさに彼の背中をさすってあげた。
「ごめん、僕もずっと君に会いたかったんだ」
「俺、本当にごめん君を……」
「いいよ、いいんだ」
「ごめんなさいぃい!ああああああああああああああああ!!」
ドロシーはハルを手中に収めたとこの時勘違いしてしまった。
「許すからさ、ひとつだけお願いがあるんだ」
「なんでもぎぐ、なんでもぉ…」
涙でグチャグチャの顔で彼女を見つめる。信頼しきった彼がそこにはいた。
しかし、そんな服従しきった彼が見れるのも束の間だった。
「今こっちに来てるあの黒龍たちを殺してくれないかな?」
そう、ドロシーはお願いしてしまった。
「…………」
世界の時間が二人だけを残して、例外に止まる。
静寂した世界に蠢く怒気があった。そこには純粋な怒りがあった。人間が直接見てはいけない、触れてはいけない存在の怒りがあった。
感覚が麻痺し、美しいと思ってしまうほどの憤怒がそこにはあった。その怒りの前では、死が安らぎとなり、恐怖すら心地の良いものだった。
「お前、アザリアじゃないな?」
想像を絶する殺意が広がる。
人が許容できる限界を超えた神威がドロシーを襲う。とっさに守らなければならないと思ったドロシーはギルを闇の殻の中に隠した。これで彼だけはこの凄まじい神威にさらされずに済むことになった。
殺すの?と言葉で発することが出来なかったが、何故か彼がこちらの意図を読んで答えた。
「殺す?大好きなのに?殺すよ、君だから…」
完全に彼の正気は吹き飛んでいた。
そして、ドロシーの正気も吹っ飛びかけていた。
『この神威、やっぱり、君は人じゃないんだね…そうか……あ………』
最後に納得して正常な意識がドロシーから消滅すると、ハルの壊れた頭で不正確な言葉の羅列が続いた。
「でも、君は魔女、でも、アザリアを偽った許せない、でも、君は魔女、アザリアも魔女、誰を殺す?人間、人間全員、俺とアザリアだけでいい、でも、アザリアは魔女、魔女は守る守らなきゃ、アザリアも魔女だから、君を守る、でも、君は殺す、人間は全員殺す、終わらす。俺が終わらす。許さない、絶対に許さない。愛してる、君は嫌い、アザリアだけ、好き、すき、スキ、お前じゃない、ああああ、邪魔、邪魔、全部邪魔だぁ!!」
ドロシーを抱きしめたまま狂った英雄が、すぐ傍まで迫っていた黒龍たちに向けて手を向けた。
すると空を飛んでいた黒龍たちが突然順番に爆ぜて、肉と骨をグチャグチャに飛び散らせて、ただの肉塊になっていった。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ、ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
ハルがそのまま手を黒龍たちに手をかざし続けると、次々と向かってくる龍たちの胴体に風穴が空いたり、綺麗に輪切りに切断されたり、あるいは何か強い力で潰されたり、ねじ切られたりと、ありとあらゆる死に方で黒龍たちが死体に変わっていった。
近くによってきた黒龍だけじゃなく、遠くの空を自由に駆け回っている黒龍たちも例外なく、一瞬でその見えない何かの力によって肉塊に早変わりしていた。
ただ、すでにハルの神威で頭がやられてしまったドロシーはただその死んでいく黒龍たちが花火のように綺麗でたまらなかった。
「アハハハハ、綺麗、綺麗………でも、怖い、ねえ、僕怖い、ごめんなさい、だから、助けて……」
狂った二人だけがそこに残った。
やがて、黒龍たちはハルの未知の攻撃に手も足も出ないと格の違いを理解し、その場で一時撤退していた。
黒龍たちがいなくなると、ハルはドロシーを突き飛ばして、その場に眠るように目を閉じ、立ちつくしていた。
まるで自分の役目が終ったかのように、また彼は意識を失っていた。
そんな彼に幼児退行化したドミナスの魔女ドロシーが、引っ付くように手を握って離さないようにしながら、怯え震えながら「ごめんなさい、助けて」とずっと呟いていた。
そこからハルが目覚める数分後まで、ドロシーはずっと彼にすがりついていた。
遠くで死んだ黒龍たちの血が、ハルたちの元に流れて来て、やがて二人の周りに血の海をつくっていた。