神獣討伐 最悪の選択
ここにはアスラ帝国の皇帝の許可無しでは立ち入ることが禁じられている特別危険区域内、龍の山脈、第一エリア小龍の森。その森に無断で侵入してきたのは、五十九人だった。彼らは全員許可なくこの龍の山脈に入っている侵入者であり、本来、討伐日のこの時間にいるのはハルだけでなくてはならなかった。
しかし、こうしてハルは今、五十六人の精鋭たちに取り囲まれ袋叩きにあっていた。
ハルから見てもひとり、ひとりが剣聖に匹敵するほどの力を秘めている実力者だと見て取れた。こうも実力者がそろうことは滅多にない。彼らだけで国ひとつ簡単に落とせる勢いがあった。
「いい加減くたばりな!!」
炎を纏ったロングソードを高速突き出す騎士のすぐ横をハルがゆっくりと通り過ぎる。するとさらに背後から迫っていたアサシンの短剣の突きに対しては歩いて距離を取り避けた。しかし、二人の攻撃を避けても、次は魔導士たちからの魔法攻撃が迫って来ていた。ハルが後ろの二人を確認すると、そこにはもう先ほどの騎士とアサシンは消えていた。これも誰かの魔法なのだろう。ハルが巻き添えを食らわないことを確認すると飛んできていた球状の雷と灼熱の火球を歩いてかわす。
ハルの背後で巨大な爆発が起き、黒煙が上がる。
『ここにいる全員守り切れるか…』
黒煙を突き抜け双剣の女剣士が背後から襲ってくる。けれど、そんな危機的状況下でも、ハルは真剣に今の自分でここにいる全員を助け出そうとする解決策を模索していた。
『次あの発作が起きたら、自分がどうなってるか分からない…』
背後から迫る女剣士をハルはゆっくりと振り返り数秒眺めていた。その女剣士のレイピアによる突進は、単調な攻撃ではあったがその速さは並みの精鋭騎士でもかわせないであろう速さだった。軽装で踊り子のような格好の彼女はきっと速さを重視した戦い方が得意なのだろう。
しかし、ハルからしたら完全に彼女は止まって見えていた。
発作によりハルの意識は次第に強力なものへと変貌を遂げていた。身体の奥から溢れ出す自分でもどうすることでもできない未知なる衝動が、ハルを人間からもっと別の何かに遠ざけようとしていた。
身体の奥に空いた穴から何かが溢れ出す感覚に襲われる。
そこでまずハルに身に起こったことが意識の拡大だった。ただ、その拡大がハルの想像を遥かに超えたものだったことにハル自身も困惑していたのは確かだった。
その意識の拡大がもたらした変化は、あらゆる事物がハルに遅れて事象し始めるという信じられないものだった。ハルはすでに未来と現実の区別がつかなくなり始めていた。現実の自分と未来の自分が同時に存在し、ハルはその中で自分の行動を選べる状況に陥っていた。
感覚としては地面に落ちている果実を食べて味を確認した後、まずかったので食べるのをやめることができるといった狂った現実が可能となっていた。しかし、そこで食べなかった果実の味や拾った時の手触りは感覚として自分の中に記憶されていた。そして、果実はそのまま地面に落ちたままで、どこも齧られていないという矛盾が矛盾なく成立するという世界がハルにだけ起こっていた。
だから、周りの万物はハルに遅れて現実の結果を知ることになるという理不尽極まりない現象が起こっている。
そのため、踊り子剣士のレイピアがハルを貫くことはハルが選ばない限り絶対に無かった。
予知と予測の域を逸脱した先の世界。
ありえない可能性が実現していく。
『もう、人に触れるのも危険かもしれない…』
女剣士のレイピアから距離を取る。女剣士がすぐ横を通り過ぎる。彼女はなぜ避けられたか全く理解できない様子だった。
「そろそろ、無駄だってわかったんじゃないか?引き下がってくれないか?」
ハルが周りに居た侵入者たちに告げる。
見たところ別に話しの通じない犯罪者ばかりではないらしく。ハルの言葉にうなずいてくれる者もいた。
だが、しかし、ハルの言うことを理解できても賛成してくれるわけではなかった。
「確かにあんたは強いが、俺たちはドロシー様の命令を遂行するだけだ」
整った髭の紳士がみんなを代表して言った。
「ドロシー?」
その名前は何かハルの中で引っかかったが、そのことを考える暇もなく次の魔法による遠距離攻撃が飛んで来た。その飛んで来た魔法は風魔法で目でとらえにくい分、強力な魔法なのだが、意識の拡大したハルからすれば空気の流れでさえ目でとらえることができ、さらにはハルだけに与えられた選択の時間が訪れた。ハルは自分が選んだ未来を現実へと変えるため止まった世界の中でひとり優先的に未来を独断で決める。ハルの前にだけあらゆる可能性が用意されていた。それはあまりにも不公平な力だった。
風魔法が避けられると、その魔法を放った男魔導士が目を見開いていた。今の魔法はハルが会って来たどの剣聖でも避けることが不可能なほどの完璧なタイミングの不意打ちだった。だから、彼もこれで決まると思っていたのだろう。
しかし、ハルには未来を選択できる感覚があった。ただ、ひとつだけ言っておくと、別に今の不意打ちの魔法も、これまでのどの攻撃もこの意識の拡大による未来予知が無くてもハルは容易に避けることは可能だった。
発作により覚醒している今、避けるのが少しだけ楽になった程度で例えこの力が無くてもハルはかすり傷ひとつ負わなかっただろう。
そして、ハルがこの発作により抱えている問題はそれだけでは無かった。
自身の天性魔法のコントロール、並びに、自身が放つ殺気の強弱のコントロールが、身体の中で暴れている衝撃のせいで上手く制御できなくなりつつあった。
「お前ら、本当にこのままじゃ死ぬぞ…頼むからここは一旦引いてくれ…」
気が付けばハルは息を切らして全身大粒の汗だらけで、今にも倒れてしまいそうだった。彼らの猛攻で疲れているわけではない。ハルは自身の衝動を抑えながら、天性魔法と殺気を上手く操って襲ってくる彼らの命を守っていた。ただ、彼らはそれに気づいていない。二つの意味でハルに守られていることに彼らは気づけない。そこまでの実力はない。いや、それだけハルが人間離れしたことをしているのだ。
「どうして、苦労して追い詰めた脱兎をみすみす見逃さなきゃいけないのですかっ!?」
言葉と同時に魔法で加速した矢が飛んで来る。高速の矢は周りの空気を押しつぶして進みハルの元にまで届くと不気味な爆音が遅れて広がった。ただ、ハルは握っていた一本の刀から手を離すと、その高速で飛んで来た矢じりを人差し指と中指で挟むとそのまま矢じりだけを粉々に砕いた。
「あ、ありえない…」
弓を放った狩人が肩を落とし、膝から崩れ落ちる。腕に自信があり誇りを持っていたようだが、ハルの前ではすべてが無駄に終わる。積み重ねて来た努力の結晶を跡形もなく粉砕される。
そこでひとりの女性がハルの前に現れる。
「ねえ、あなたハルさんでしたっけ?」
「………」
金髪のどこかの国のお嬢様みたいな恰好の場違いな女性が話しかけて来た。
「私、あなたのこと気に入ったわ」
「じゃあ、それならみんなにここは引けって伝えてくれ…」
「ううん、違うわ、あなたが命令するんじゃないの、私が命令するの。いい、みんな私がいいって言うまで攻撃しちゃだめよ?」
「あ?なんでてめえのいうこと聞かなきゃなんねぇんだよ!」
彼らの中から彼女の他にガラの悪そうな男が前に出て来た。見た目からも誰かに従うことが不得意そうなその男は、その女の言葉が癪に触ったのだろう。大きなサーベルを担いで、女の背後に立った。
「ゴミがぁ、あなたのような人間が私に話しかけていいとでも?」
「あぁ?別に俺とお前は仲間じゃねえってこと忘れてねえよな?」
「ほんとこれだから低俗な人間と一緒に居るのは不快だわ…」
そこで彼女が懐から何かを取り出す動作をするが彼女の手には何も握られていなかった。だが、ハルはとっさにそのお嬢様とガラの悪い男の間に入って、彼女が男の喉をかき切ろうとするのを防いだ。
「あら、どうして!?あなたにはこれがみえているの?」
「魔法で、透過させてるだろ…」
ハルが拡大した意識を通して見た彼女の手元には真っ黒な短剣が握られていた。
「正解よ、あなたやっぱり面白いわ、どう、私に仕える気はないかしら?」
ハルは彼女の言葉より、自分が扱う刀の力加減に全神経を集中させていた。一歩間違えれば目の前の女性が一瞬で肉の塊になりかねない。
「お、な、なんだ、ハハッ、てめえ後ろががら空きだぜ!!」
男が持っていた巨大なサーベルを振り下ろすと、ハルに選択の時間がやって来た。
そのまま横に避ければ、男のサーベルで鍔迫り合いをしている彼女の頭が割られてしまうだろう。だから、ハルは一番最善の行動を取ることにした。
それは武器は破壊だった。ハルが一度彼の持っていたサーベルを撫でると、そこで未来を確定し現実へと移行させる。すると男の頭上の上で巨大なサーベルが跡形もなく塵となって消え失せた。
「あれ、どうなってんだ?俺のサーベルはどこ行った?」
その隙にハルが二人から一気に距離を取る。
信じられないものを見たと、啞然としている彼女がいた。しかし、そうやって気を取られていると、再びハルの元に、周りからの猛攻が始まった。
「ちょっと、まだ私がいいって言ってないわよ!」
お嬢様の声が聞こえたが、もう、誰も止まるわけにはいかなかった。なぜなら、奥にいた黒いヘルメットの彼女が命令を下したからだった。
「お前ら、隙を与えるな?もう、彼は限界が近い!全員で殺す気でいけ、じゃないと彼は止められないぞ!!」
ヘルメットの彼女が叫ぶとハルの意識はその彼女に一気に集中した。
四方八方を敵に囲まれながらもハルの目は狂気的にヘルメットの彼女だけに向いていた。
周りの猛者たちも、そのハルの急激な異変に気が付くが誰も反応できず死を覚悟している暇もなかった。次のハルの動作で全員自分が死ぬと思った瞬間ハルは彼女に向かって一転集中の天性魔法を放っていた。
ただ、その天性魔法が彼女を包み込んだ瞬間、そのヘルメットの彼女の身体は泥のように形が崩れ溶けた。司令塔を潰せば終わると思っていたが、ここでハルは彼女が分身を作れることを忘れていた。
すると背後にヘルメットの彼女がいた。
「あぁ、君はほんとに凄いね…」
ハルが未来を選択するため世界が止まる。
「やっぱり、僕でもあの人でも君には絶対に勝てない…」
「………」
何もかもが静止し選択の余地のある世界にハルとヘルメットの彼女だけがいた。
「この空間で僕やあの人ができたことはせいぜい自分のことだけで絶対に他のものには干渉できなかった…」
刀を彼女に向ける。
「安心して、今ここで僕ができることは、この鎧を取ることぐらいだから…君みたいにこの空間で人を殺すことはできないからさ」
彼女がヘルメットを外す。すると肩まで綺麗に切りそろえられた紫色の髪が現れる。そして、見覚えのある顔が現れる。
「でも、きっと、君も僕のことは殺せない…」
「!?」
そこには以前みんなの命を救ってくれた小さな白魔導士の姿があった。白魔導士と言ってもハルがあの時勝手に勘違いしていただけで、本当のところ彼女の正体など知りもしなかった。けれど助けてもらった人の顔をハルが忘れることは絶対に無かった。
「ドロシーさん、あなたはいったい何者…」
「それは僕の方が聞きたいんだけど、ハルさんこそ何者なの?君は人間なの?」
人間だと思いたかった。自分がみんなと同じ場所で笑いあえていたから、ハルはそう思いたかった。喜んだり、怒ったり、悲しんだり、笑ったり、そうやってみんなと過ごす日々の中で恋をして愛を知った。命の尊さや人として大切なことは全部ちゃんと自分の中にあったと、胸を張って言いたかった。
「俺は人間ですよ…」
「そっか、それなら上手くいくかもしれない…」
ドロシーがそうひとり呟くと、時間が迫りハルが未来を選択する。
ハルの周りを取り囲んでいた者たちが一斉に動き始める。だが、目の前にはドロシーがおり彼女は動こうとはしなかった。
背後から誰かが放った強烈な炎の魔法が迫る。ハルが避ければその大火球は彼女に直撃する。しかし、彼女はこの者たちを束ねてしまうほどの実力者。たかが巨大な火球ごときどうにでもできるだろうと思い、ハルはその場から離れる。
しかし、嫌なことが頭をよぎりハルはできる限り先の未来が選択できるように、限界を超えて意識を拡大させた。するとハルの周りであらゆる可能性が起こるが、そのどれもがいまだに起こっていない現象としてハルだけに先行体験させる。
そこで目にした未来のどの世界線も彼女がそこから一歩も動かず全身燃え尽きて死ぬ光景が広がっていた。ただ、ハルの今の意識ではそこからさらに先の未来は見えず現時点でドロシーをそこで庇わなければ彼女が死ぬ未来が見せられていた。少しだけこの力に感謝した。以前の自分だったら、もしかしたら躊躇して救えなかったかもしれない命だった。届かない手を伸ばすのはもううんざりだった。
『なんだ、やっぱり、まだ残ってたじゃないか…』
まだ人の心が残っていたことに安心する。ここ一週間で本当に自分も気づかないうちに壊れてしまったんじゃないかと心配していた。だけど、まだまだ、良心は残っていた。人の命を大切に思う気持ちは確かにあった。
きっとこの大切な気持ちを取り戻せたきっかけは、みんなと最後を過ごせたことと、あとは、そう、ちゃんとさよならを告げられたからだと思う。
ハルがドロシーの前に庇うように姿を現す。力加減を間違えないように右手で目の前の大火球を払った。火球はハルの視界からまるでもとから何もなかったかのように一瞬で消えた。
「どうして、避けなかっ…?」
振り向くとドロシーの背後にはくすんだ金髪の男がいつの間にか立っていた。
「ハルさん、お久しぶりです」
「え、あなたは…」
名前はすぐには出てこなかったが、一度解放祭であったことは覚えていた。だが、なぜ彼がここにいるかはさっぱり分からなかった。
頭の中が完全に理解が追い付かずハルが立ち尽くしていると、ドロシーがハルの手を勝手に取って彼と握手させ二人を繋ぎ合わせた。
「ハルさんは、救えなかった人たちのことって考えたことありますか?」
くすんだ金髪の男が問いかける。
「なに…?」
「私はあります。救えなかった人のこと思い出すだけで今でも落ち込む時はあります。それは愛しい人だったり、クズだったり、いろいろいますが、私は出会った人たち全員が私の人生を豊かにしてくれたと思ってます。だから、ハルさんもその中に入ってるんです」
未来を選択することを忘れて救えなかった人たちのことを考えていた。レイド襲撃事件での少女のこと、この世にいないアザリアのこと、そして、シフィアム襲撃時のお姫様のこと、それだけじゃない、ハルが救えなかった人たちはもう数えきれないほどいた。
「俺はたくさん救えなかった…」
「そうですか、でしたら、覚悟してください。私の魔法は少し効きますよ」
そこで彼の名前を思い出す。
「ギル・オーソン…」
名前を覚えてもらったことが嬉しかったのかギルが微笑む。しかし、ハルはすぐにその場から逃げるべきだった。未来を選択するべきだった。心からの笑顔というのは一番人を安心させるものなのかもしれない。
「罪人は罪を償う。ハル・シアード・レイ、私に従え」
ハルの意識が一瞬で吹き飛び視界が暗転する。
ただ、それはもっとも選ばれてはいけない最悪の選択だった。
ドロシー含め、ここにいた人たちはハルに常に守られていたことを知らない。
息を潜めていたものたちが動き出す。




