神獣討伐 レイド
剣聖それは国の守護者であると同時にその国を象徴するような騎士のことであり、国を守る騎士団の中でも一番の実力者がその地位に就くことが許されていた。
剣聖とは騎士たちの中で誰もが一度は憧れ目指そうとしたことのある名誉あるものだった。騎士になれば貴族の仲間入りを果たすが、その先にある剣聖ともなればその地位は実力によっては三大貴族または王族たちにまで及んだ。
もちろん、その剣聖の中でも例外はあり他の大国にまで波及するような影響を与えるほどの実力の化け物もいるのだ。おまけにその化け物は六大国全ての王族たちと対等またはそれ以上にまで、凄まじい武力で黙らせているとなると、剣聖とはただの暴君ではないかと呆れるものがあった。ただ、本当にその化け物は歴代類を見ないほどの化け物っぷりなので、みんなが知っている剣聖という枠組みに当てはめない方が良く、もはや剣聖を超えた何か?そもそも同じ人間なのかすら疑わしいその男のことを考えると無性に自分の無力さに腹が立つのだった。
「あいつ、今度はどれくらいで狩る気なんだ?白虎の時は三日だったか?そう考えると黒龍もそれぐらいで、いや、さすがに一週間はかかるか?」
レイド王国の現剣聖カイ・オルフェリア・レイが王城内にある自宅のテーブルでここらではあまり飲む人がいないコーヒーに手を掛けながら、黒龍に関する資料に目を通していた。
「あら、あなた、こんな時間にここにいていいの?」
「ん?ああ、まあ、昼休憩をもらっているから」
カイが視線を上げるとその先には妻のアーリ・オルフェリアがいた。彼女のブラウン色の長髪が緩やかに流れている。贔屓するわけでもなく彼女は可愛い。冷めて不愛想な自分とは大違いで表情も豊かで生き生きとしているところが何とも言えぬ愛らしさがあった。
「でも、今日は大切な日なんでしょ?だって、その、ハルさんが黒龍を討伐する日だって」
「…やつのことは大丈夫だ。何も心配する必要はない」
「やっぱり、あなたって、ハルさんのこと本当に信頼してるのね」
聞き捨てならない言葉を聞いて手元のコーヒーを資料とテーブルにこぼしそうになる。だが、そこは剣聖の凄まじい反射神経で回避する。
「アーリ、だからそれは少し違うと言わせてくれ」
「私、知ってるのよ、いつも二人は喧嘩してたけど突っかかって行くのはいつもあなただった。誰に対しても関心が薄いあなたが常にハルさんだけのことは気になってしょうがなかった。私が嫉妬しちゃうくらいにはあなたは彼に夢中だった」
そんなことは無い、いつもめんどくさい絡み方をしてきたのはあのバカ二人組だった。
「突っかかって来たのはあいつていうか、ハルとエウスの方だし、俺はそんな気持ち悪いことをしていた覚えはない、それに俺はいつも君だけに夢中だったはずだけど?」
そんな甘いセリフを言うのは少し気恥ずかしかったが彼女の前だけなら口も緩むものだった。
「ええ!嬉しいこと言ってくれるじゃん!フフッ、ありがとう、私もカイが好きよ」
多分顔が赤くなっていたんだと思う。だから、急いで資料で顔を隠すが彼女はニヤニヤしながらこちらの表情を除こうとにじり寄って来た。
「ねえ、あなた顔見せてよ、あなたの照れ顔は貴重なんだから」
しかし、そこは剣聖騎士でもない普通の女性が、剣聖の動きについて行けるわけがなかった。アーリが覗き込もうとした時にはそこにはもう資料が舞い散るだけで彼の姿は無かった。
「ちょっと、もう本気出さないでよ、ずるいよ?」
気が付けばアーリの後ろにはすっかり余裕の顔でコーヒーを啜るカイの姿があった。
「ごめん、でもそろそろ時間だし行かなきゃいけない」
飲み終わったコーヒーカップをキッチンの流しで自分で洗う。
「え、もう、行くの…今来たばっかりじゃないの?」
「本当は昼休憩なんてもらってないんだ」
「じゃあどうしてここに?」
「少しアーリの顔が見たくてね」
今度は彼女の顔が赤くなる番だった。相変わらず照れて彼女が笑ったところにはこの世の全ての幸せが詰まっているんじゃないかと思うほど眩しいのだ。
「…そっか……」
コップを洗い終わると、テーブルに立てかけておいた剣を取る。
「黒龍討伐が終るまでここには帰れないかもしれない。正直、いや、うん、討伐の間は何が起こるか分からないから…」
黒龍討伐が行われている間、各大国をまとめ上げるほど最強の元剣聖が不在なのだ。この機を逃さないと問題を起こす連中のことも考慮しなければならない。それでもカイには王の護衛があるため王都にはいて、いつだって彼女の元に戻っては来れる。しかし、この緊張が終るまでは気が抜けないのだ。
「分かった、私、待ってるね」
「すまない」
いつも待っていてもらう彼女には申し訳がなかった。命を懸ける騎士である以上、本当に何があるか分からない。前の解放祭でのようなことがあると、永遠にこの家の扉を叩くことができなくなるかもしれない。そう考えると彼女をこの家に独り取り残してしまうことになる。それだけはどうしても避けたいことだった。
だから、そう考えると、今、龍の山脈で戦っているハルのことを考えると少しだけ心配はしてしまうのだ。もちろん、どうせいつも通り何事もなかったかのように帰って来るのだろうが。
カイが剣を握りしめながら遠くの気に食わない青髪の男のことを考えていると。
「ねえ、ちょっと、今度は避けちゃだめよ?」
「え?」
アーリが不意にカイの傍に近寄って来た。そして、彼女の唇がカイの頬に優しく触れた。
「私は大丈夫だから、頑張って来てね!」
「ありがとう」
カイが玄関に向かい家の扉を開ける。振り向くとそこには笑顔で送り出してくれるアーリがいた。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい、あなた!」
扉をくぐり抜けて外に出る。もう一度この扉を叩いて待ってくれている最愛の人の場所に帰って来れるように気を引き締める。
家を出てすぐに天性魔法の【弓】で自身の身体を上空に解き放った。晴れ渡ったどこまでも深い青空にカイの身体が吸い込まれる。そして、身体をひねり体勢を立て直すと、少し離れたところにある王城ノヴァ・グローリアを目指して再び天性魔法を発動させる。
「お前も早く、戻ってみんなを安心させてやれ…」
空中を飛びながらカイは遠くで戦っているであろう男に向けて呟く。
カイは知っていた。まだ自分ではみんなの期待に応えられないことも、英雄となった彼の後続として務まらないことも、だけどそれはあのハルもこのレイドで初めて剣聖になったときも同じだった。レイドには数十年間剣聖という称号を与えられた騎士が存在しなかった。その重圧をひとりで受けきり実力で示したのがハルだった。
だから、カイも焦りはせずゆっくりとこの国を背負っていく騎士になれるように剣で人々を守って行くだけだった。自分がなすべきことは彼がいても無いくても昔から変わっていない。弱き者を守り、強者を挫く、例え自分が敵わない相手でも騎士になった日から掲げた信条は変わってはいない。
「その間、レイドは俺に任せてくれよな…」
敷地内にある時計塔の針が十二時を指す。