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束の間の幸せ

 龍の山脈内の森の中にひっそりと建つ、黒龍を対象とした特別な研究所。主に黒龍の生態を探るためだけに帝国が建てた国立の研究機関。しかし、今、その研究所内には研究員はひとりもいない。代わりにいるのはハルが愛してやまない人たちと、ルルク率いる帝国のエルガー騎士団数人だけだった。

 みんなは研究所のラウンジのソファーでくつろぎながら、右腕にしがみつくライキル、左手を離さないガルナ、そんな両手に花のハルにエウスが尋ねる。


「シフィアムで行方が分からなくなってからずっと何してたんだ?俺たちずっと心配してたんだぞ?」


 みんなの視線がハルに集まる。しかし、ハルは話しを逸らすようにエウスに言葉を返した。


「エウス、ケガはもう大丈夫なのか?」


「え?ああ、もうケガはすっかり元気だぜ。こうしてお前を追いかけるために必死に馬を走らせて竜を飛ばして来るぐらいにはみんなも元気だ」


「みんなも、そっか…それなら本当に良かった」


 心の底から嬉しそうな笑顔で安堵するハル。

 会った時と違ってやけに落ち着いた雰囲気の彼にエウスの調子は狂わされていた。


「なあ、ハル何があったんだ?俺たちに顔を合わせないでひとりで行っちまってさ、置いてかれた俺たちは寂しかったんだぜ?」


 冗談交じりに言うが、無言のハルはエウスから視線を外し少し下を向いて落ち込んでいた。けれどすぐに彼が顔を上げると、エウスは思わず息を呑んだ。

 何かいつもとハルの雰囲気が違う気がした。今のハルには日頃見せてはくれない威厳のようなものを常に纏っているようなそんな近寄りがたい雰囲気があった。それでも、ライキルは気にせず彼にべっとりくっついており、反対側にいるガルナもとても満足した様子で、ハルに手を逃がさないといった様子でがっしりと握っていた。ハルの逃げ場はない様子だった。そもそも、彼も逃げたくはないのだろうが、どっぷりと彼に溺れている二人以外はみんなハルの些細な変化に勘づいてはいた。

 何かが違うと、それは前のハルには無かったものだ。

 目を合わせると自然と逸らしてしまいたくなるような、美しくも怖い何かがあった。

 エウスからすればそんな親友が少し遠くに行ってしまったような気がして苦しくなって、それはとても嫌なことのように思えた。


「ハルさん、私からもいいですか?」


 エウスの後ろにエルガー騎士団の精鋭騎士と一緒にいたルルクが声をあげた。


「どうぞ」


 どこか冷ややかな調子のハルの声に、ルルクが気を引き締める。

 そのやり取りを見ていたエウスは少しだけハルのその態度にやはり違和感を覚える。何か、酷く彼はピリピリしているような気がした。


「えっと、先ほどまでエウスさんが言っていたことなんですが、ハルさんがシフィアム王国から一週間ほどどこで何をしていたのか?我々も知っておく必要があってですね。ハルさんはレイドだけではなく、アスラや各大国にとっても最重要人物ですので行動内容を簡単に教えていただきたいのです」


 これはハルが六つの大国と契約していることで、アスラや他の国もハルが国外で活動した際にその趣旨を知る権利が各大国にはあった。そのため、ルルクが尋ねることもなんら不思議ではなかった。特に帝国内でのエルガー騎士団の副団長の位置は陛下からの信頼的にもかなり高いところにあった。


「それはもう帝都に滞在している時に皇帝陛下に書面で伝えました」


 ただ、ハルは一度聞かれていることを、もう一度聞かれているようなので眉をひそめていた。


「その、ここだけの話しなんですが、皇帝陛下は私に本当のことを聞いてきて欲しいと仰っいました。ハルさんは陛下に何と伝えたのですか?」


「平和活動です」


「具体的には?」


 詰め寄るルルクにハルは辛そうな表情で答えた。


「それって今じゃないといけない話しですか?」


「いえ、そう言うわけではないんですが…何か、気に障ることでもありましたか?」


 そこでハルは両隣の二人を交互に見た後言った。


「ルルクさんともそうですが、俺はもっとみんなと楽しい話がしたいです。こんな尋問みたいな詰め方で、自分がいなかった時のあの思い出を話したくはないです」


 みんながそんなことを言うハルに注目する。そこには哀愁を帯びたハル・シアード・レイの姿があった。

 二人を除いて誰も彼の今の状況を理解していなかった。

 明日にはいるかいないかもわからない彼との時間の価値を、当たり前のように傍に居てくれない彼の希少さを、人生という時間の短い中で彼といられる尊さを、分かっていない。それは恋人だろうが家族だろうが友人だろうが知り合いだろうが、そんなの関係ない。

 人が人といられる時間は短い。それが大切な人であればあるほど、時間はあまりにも足りない。

 傍に居てくれた誰かがいなくなるという恐怖をみんなは忘れている。いや、思い出したくないだけかもしれない。だけど、みんな必死にそんなことは起こりえないと信じている。

 だから、失った時、初めて分かる。傍に居てくれた人たちの大切さが、支えてくれていた人たちの愛情が、支えてあげていた人の愛おしさが、後悔はいつだって先に立ってはくれない。


 エウスはそこで笑った。結局何も変わっていなかった彼の姿に、心の底から安堵した。


「そりゃ、そうだ。せっかくこうしてハルに会えたんだ。今は全て忘れて宴でも開こうじゃないか」


 濁った眼で見ていたのはこちらの方だったのだ。何も間違ってはいない。天性魔法を使うまでもない。ハルは今、みんなに会えて喜びの感情を示している。何も間違ってはいない。

 例え、一瞬能力を発動させて視界が真っ暗闇に染まったとしても、それはエウスの記憶違いなのだ。そうだ、ハルとかライキルの前で天性魔法は使いたくないと言ったのは自分ではないか。


「なあ、ハル、ここに酒はあるのか?」


「キッチンには、なかったけど、あの棚に並んでるのってお酒だよね?」


 ラウンジの近くにはバーがあり、そのカウンターの奥の棚には、山のように酒瓶が並んでいた。


「おいおい、なんでこんなところにあるんだよ、ここ研究施設じゃなかったのか?」


「ここは一応特別危険区域ですからね、移動の自由も制限されていて街にも数年に一回ほどしか帰れないので娯楽が少ないんですよ」


 ルルクがハルたちに説明する。


「だから、酒を置いてるのか?」


「どれも多分一級品のお酒で安酒は無いはずです」


「確かに、死地にいて最後が安酒じゃ死んでも死にきれないよな」


 もっともなことを言うエウスに、エルガー騎士団の人たちが頷いていた。どうやら、彼らも先ほどから後ろの酒場が気になっていたらしい。


「じゃあ、みんなで作戦前の酒盛りと行こうか!」


「ハル、いいのか?明日、酔っぱらって負けましたなんて洒落にならねぇぞ?」


「俺が普通のお酒で酔ったところ見たことある?それに俺さえいれば黒龍なんて余裕だから心配ないさ」


「お前な、そんなこと言ってると足元すくわれるぞ?」


「ハルはエウスなんかと出来が違うから大丈夫です。明日もきっとうまくいきますね、ハル」


 ハルの腕にしがみついていたライキルが彼の代わりに横から口を出した。


「ああ、嫌だ嫌だ、ライキルさん口を開けばすぐハルさんを持ち上げる。そんな甘やかされたハルさん、黒龍にボコボコにされますよ?」


「黒龍なんてハルの敵じゃないですから、あんまりうちのハルをなめないでくれますか?」


「すぐそうやってハルの妻みたいな雰囲気を出す。まだ、正式に結婚もしてないのに」


「黙れ、今ここでお前をひき肉にしてもいいんだぞ?」


 とんでもない剣幕で怒気をまき散らすライキルに、自然と嫌な汗が額からにじみ出ているエウス。一波乱の予感がしていた。

 しかし、そこでさすがはエウス、ライキルに対しての煽り文句を途中で取り下げたり撤回することは無い。やると決めたら徹底的にやるのがエウスだった。そうやって、今まで生きてきたのだ。

 そして、嵐はやって来る。


「ひき肉にする?お前が俺に追いつけるわけないだろ?最近だって全然トレーニングしてねえから、太ったんじゃねぇの?」


 ライキルが駆け出すと、エウスが命の危機を感じ取って、全速力でその場から逃走を開始した。

 ライキルの彼を追いかける速さは、先ほどハルたちと楽しく夢中で追いかけるのではなく。邪魔者をこの世から消すために、自身のあらゆる経験と技術を駆使して身体を疾駆させていた。そのため、彼女の追いかけるスピードは先ほどハルたちを追いかけていた速度の倍以上は出ていた。

 ライキルはエウスをここで消し去る気満々だった。


「じゃあ、俺たちは先にバーに行こうか?」


 ハルがガルナと手を繋いだまま、ソファーから立ち上がり、傍に居たずっと静かだったビナに語り掛けた。


「二人は良いんですか?」


「フフッ、いつものことでしょ?一緒にお酒飲もう?」


「はい、確かにそうでしたね」


 ビナがとびきりの笑顔を浮かべて、ハルとガルナとバーに向かう。三人の後に、ルルクとエルガー騎士団の騎士たちもついて来る。


 命が掛かった追いかけっこをしている二人を置いて、みんなはバーで先に酒を楽しむことにした。


 ***


 無人のバーカウンターの前に着くと、エルガー騎士団の中からバーテンダーが現れた。


「私がお酒を作るので皆さんは席でゆっくりとお楽しみください」


「ジェフさん、それだったら私がやりますよ」


 ルルクが申し訳なさそうに初老の騎士と変わろうとするが、彼は手を前に出し止めてルルクを席に座らせた。


「こう見えても若い頃はバーでお酒を作っていたんです。だから、任せてください」


 そう言ったジェフは手際よく人数分のグラスに酒を注いでいった。ルルク、ハル、ガルナ、ビナの前に、グラスに入った氷塊を揺らす透き通った琥珀色のお酒が立ち並んだ。


 頂きますと声を揃えた四人が、グラスを軽く当てて乾杯をする。そして、そのお酒を各々の配分で飲むとテーブルにグラスを置いて、ハルを除いた全員がきつい度数の酒に喉を焼いていた。

 ルルクは半分、ハルとガルナは一気飲みし空っぽ、ビナは四分の一ほど、グラスにお酒が残っていた。


「これ、かなり強いお酒です、頭にくらくら来ます…」


 ビナが口を開けて手で仰いで燃えるような喉を冷やしていた。


「でも、飲みやすくていいです」


 ルルクが残りの半分を続けて飲み干してしまう。


 空になったグラスをジェフが回収して新しいお酒を用意する。


「ガルナ、シフィアムではありがとう、みんなを守ってくれて」


 彼女の顔を覗き込むように見つめる。


「ん?ああ、全然守れてなかったけどな!」


 強いお酒で気持ちが高揚しているガルナが笑顔を浮かべる。


「ビナもありがとう、ボロボロになるまで戦ってくれて」


「私は、ガルナさんに逃げしてもらっただけで、何もできませんでした」


「そんなことないよ、ハル聞いてくれ!ビナちゃんは倒れたライキルとエウスを抱えながら戦ってたんだ。ビナちゃんがいなかったら、やばかった」


「ガルナさん、話しを盛りすぎですよ。私は二人を抱えて安全な場所に逃げただけです」


「じゃあ、やっぱり、ビナも頑張ってくれたんじゃん、ありがとね、あの二人はまだまだ二人に比べたら力不足だから、多分、今回みたいな強い人間が相手だとちょっとまだ敵わないんだ。だから、これからも戦闘面であの二人のこと面倒見てあげてくれないかな?」


 二人も決して弱くはないけれど、世界という広い枠組みで考えるとどうしてもまだまだ経験や実力が足りていなかった。獣と人では戦闘状況がまるで違う。人間には先を見通す力があるため、獣なんかとは比べ物にならないほど厄介だ。相手の実力を測るのだって難しい。その点、魔獣や神獣などの獣に関しては、知識があればある程度危険を回避したり一方的に狩ることも可能で、対策が取りやすい分、神獣など自分と実力があまりにも離れた存在に挑まなければ安定した討伐が見込めるのだ。もちろん、油断大敵で侮ってはいけないのだが、人間よりも獣の方が遥かに容易だった。


「任せろ!私がライキルちゃんの面倒を見るよ!」


 ガルナが胸を叩いて言うと、顔を赤くしたビナも続く。


「分かりました、私もライキルのことを立派な精鋭騎士にして見せます」


「二人ともエウスも忘れず頼むよ…」


 嫌な顔をで返事をはぐらかす二人。ハルも苦笑いで応えてルルクに助けを求める。


「それだったら、ルルクさんがあいつに稽古つけてくれませんか?」


「私なんかで良ければ構いませんが、それだったら、ハルさんが直々に二人を指導してあげればいいのでは?」


 ガルナもビナもそれなら私もと手を上げたり、ハルの腕を揺すってくる。


「俺は、ほら、これからちょっと、忙しくなるので難しいかなぁと…」


 神獣討伐黒龍に加えてあと二体の神獣が残っている。ただ、それ以上にもう残された時間が少ないこと。これが一番の問題だった。


 ハルがバーテンダーから出されたグラスを受け取り再び一気に喉に酒を流し込む。やけ酒もいいところだったが、全くと言っていいほど酔いが頭に回ってくれなかった。


「ルルクさん!こっちに来てくれよ、一緒に飲もうぜ!」


 大柄の男が酒瓶を掲げ少し離れたエルガー騎士団が占拠しているテーブル席から声をあげた。


「すみません、うちのものが、少し席を外しますね」


「どうぞ、どうぞ、楽しい時間を過ごしてください」


 ハルの隣にいったルルクがエルガー騎士団のテーブルに行くと一層の盛り上がりを見せていた。


「シアード様、おかわりの方はどうなされますか?」


「お願いします。あの、ここに竜酒ってないんですか?」


「残念ながら竜酒は置いてないようです。多分、気絶されては緊急時など動けなくなるからでしょうね」


「そうでした。忘れてましたがここ研究所なんですもんね」


「ええ、黒龍だけを扱った最先端の研究所です。ここから黒龍に関する新しい情報が毎年報告されていました。ただ、それも明日から始まる討伐作戦でシアード様が黒龍を討伐してくだされば、ここも役目を終えます」


「なんかすみません、俺のせいで歴史ある研究所がなくなってしまうかもしれないんですよね」


「ああ、とんでもない、あくまでこの研究所は国で扱いきれない黒龍の対策を研究する場所でしたから、黒龍がいなくなることはこの研究所にとっても悲願のはずです。まあ、中にはそんなこと望まない研究員もいるようですが、そもそも黒龍討伐は帝国にとっても成せば大業です」


 ジェフがストレートで注いだ酒のグラスをハルの前に差し出した。


「どうか、明日から無理せずゆっくりとシアード様の安全を第一に討伐をよろしく願いします。あなたがいなくなってしまっては黒龍の討伐はおろか、この大陸の治安の悪化が懸念されますからね」


「…そうかもしれないですね、まあ、大丈夫ですよ、そこらへんは俺が上手くやりますから」


「そうですか、あ、あとそれとシアード様を慕っている方々のためにも、私からもどうか無事を祈ります」


 ジェフが丁寧なお辞儀をしたので、ハルも頭を下げてありがとうと感謝を伝えた。


 するとそこで決着が着いた二人が帰って来る。


「ハル!邪魔者をこの通り排除することに成功しました。どうですか?私頑張りましたよ!」


 ズタボロになったエウスの首根っこを持って片手で引きずる清々しいまでの笑顔のライキルがバーに入って来た。バーの入り口に彼を転がしておくと、ライキルがハルの隣の席に座った。


「あれ、ジェフさんなんでバーテンダーみたいなことしてるんですか?」


「今日は私がここのバーテンダーです。ライキルさんもごゆっくりして行ってください」


「え、二人は知り合いなの?」


 二人が知り合いだったことは以外だった。久々に少しだけ変なやきもちが芽生えそうになったが、酒を飲んでそんな思い胃の奥に押し流してしまった。


「はい、今日、竜で飛んできたとき後ろに乗せてもらったんです。ジェフさんは紳士でいい人なんですよ」


「ふーん」


 確かに物腰柔らかで大人の余裕がある彼をハルも少しカッコイイと思ってしまうところがあった。しかし、それは卑怯というものだ。歳が醸し出す良い雰囲気は今のハルがどうやったって手に入れられないものだからだ。


「ジェフさん、私もお酒をもらってもいいですか?」


「かしこまりました」


 お酒が来るのを楽しみに待っているライキルを眺める。そこにはいつものライキルが当たり前のように隣に居てくれる夢のような光景が広がっていた。

 そこで彼女がこちらの視線に気づき顔を向けて笑う。その笑顔に何度も胸を締め付けられてきたハルはたじろいでしまう。


「どうしたんですか?」


「ううん、何でもない、ただ、こうしてまたライキルと一緒にお酒が飲めたり話したりできるのが夢みたいでさ」


 これが永遠に覚めない夢ならばよかったのだろうか?しかし、夢とは覚めてしまうから夢であって、きっと、今この瞬間も自分はいずれ覚めてしまう夢、つまり現実の中にいるのだろうと思うと辛かった。覚めない夢ならば明日も明後日も彼女やみんなは自分の傍にいつまでもいてくれるのだから。


「もしかして、それって遠回しに私に愛してるって言ってくれてるんですか?」


「そうかも」


「ライキルちゃんだけずるい、それだったら私にもいえよ、ハルぅ!!」


 隣にいたガルナに腕を掴まれ激しく揺さぶられる。そこで、ガルナにもなだめるように愛を告げようとしたところで彼が現れる。


「そうだぞ、ハル、お前は二人も娶ってるんだ。そう言う甘い言葉は二人に平等に掛けてやるべきだ。あ、俺にもきっつい酒をひとつお願いします!」


 さっきまでバーの入り口で伸びていたエウスが、そこに居て当然かのようにハルに肩を組んでバーテンダーのジェフにお酒を注文していた。


「あんなに締めあげたのに、しぶといですね。見苦しいですよ」


「本当にこんなわがまま筋肉怪力女でいいのか?」


 酒を受け取ったエウスが味わいながら少しづつ上品に飲む。


「ハルから見れば私なんてか弱い美少女なんで大丈夫です。何も問題ありません」


「まあ、確かにハルの前だったらみんなか弱くなっちまうか」


「そうだぞ、私もか弱い!!」


 浴びるように酒を飲んでいるガルナが飲み干した酒のグラスを勢いよくカウンターに置くと、グラスが粉々に砕け散った。


「ガルナ、ケガは?」


「ない!ごめん!」


 ハルが彼女のケガの確認をしながらグラスの片づけに入ると、ライキルも席を立って手伝いに入る。ジェフもカウンター側に落ちたグラスの破片を拾っていた。


「か弱い女が片手でグラスを砕くかよ」


 エウスは呆れて空いた席で酒を飲み始める。

 片付けが終ると何事もなかったかのようにみんな席に戻りお酒を飲み交わす。


「ちょっと、エウスそこ私の席ですよ、どけてください」


 ハルの隣の席がエウスに占領されていたためむっとするライキル。ただ、そこでエウスが素直に席から離れる。


「はいはい、邪魔者はどけますよ」


「その通りです」


「ひでえ、女だぁ!」


 大人の対応を見せたエウスが一席だけ空いていたビナの隣の席に移動する。その際にビナを見た彼が思いだしたかのように冗談めいたことを言った。


「そうだ、ハル。ビナもお前のこと愛してるって結婚して欲しいってさ」


 ビナが飲んでいた酒を思いっきり手前に吐き出してカウンターを汚すが、そんなことよりもものすごい勢いで反論する。


「違いますよ、あ、でも違うって言うのはその違うって意味ではなくてですね。私にはそのえっと…ていうか、なんて適当なこと言ってやがるんですかこの男は!?」


「アハハハハハハハ!大丈夫、分かってるよ。おい、エウス、ビナをあんまり困らせるなよ」


「なんだ、違うのか?俺はてっきりそういうもんだと思ってたけど、ハルはビナをハーレムに加えないのか?」


 つまらなそうなエウスが席について、ちびちびと酒を飲む。


「なんか嫌な言い方だけど、ビナには他に大切な人がいるんじゃないかな?どう?」


「え!?ああ、えっと、そうです…」


 ビナが恥ずかしそうにしながら頷く。そして、汚れたカウンターをジェフから布巾をもらって拭いていた。


「私は知ってるぞ、ビナちゃんから聞いたからな」


「はいはい、私も知ってます!」


 ハルの両隣にいる女子二人が元気よく主張する。


「実は俺もビナに好意を寄せてる人を知ってるんだ」


「え、ハルも知ってたんですか?」


「うん、でも、その後ビナとその人がどうなったかは知らないから、どうなったのかなって思ってね。で、どうなったのかな?」


「おい、ビナ、それならそうと言ってくれよで、誰なんだそれ?」


 みんなの視線がビナに集中する中、ジェフはニコニコしながらグラスを拭いていた。

 追い詰められたビナは観念したのか、小さな声で呟いた。


「その、私は、フルミーナさんとえっと、恋仲っていうか、凄く仲良しって感じで…」


「マジかよ、え、だって、え?!」


 今度はエウスが酒をこぼす番だった。あまりにもありえない組み合わせの二人にエウスは驚愕していた。


「そっか、上手くいってたんだね。なんだか安心した。おめでとう」


 あの後彼女の告白が上手くいったのかと思うとハルは嬉しい気持ちになった。


「ありがとうございます、でも、その女の子同士って言うのはその変じゃないですか…もちろん、私はそんなこと気にしてないんですけど…」


「あ、別に変じゃねぇよ?お前らが愛し合ってるなら誰の目も関係ない、そうだろ?それにあそこにいるライキルって女のことお前も知ってるだろ?男女問わず落としまくって罪深い女もいる。それに比べたらどうってことねぇだろ」


「なんかエウスの言ってること少しずれてませんか?それって私を貶めたいだけじゃないんですか?ちなみに、私、別にハル以外の誰かをたぶらかした経験一度もありませんよ?ハルもそこらへんは分かってくれてますよね。私の愛はあなただけに向いてるってこと」


「おい、そんな重たい愛だとハルもうんざりして逃げ出すぞ」


「え?ハルは重たい私のこと好きですよねぇ?」


 同調圧力を働きかけるライキル。しかし、ハルの答えはとてもシンプルだった。


「好きだよ」


「ハァ、そんなしれっと返さないでください、私ハルのそういうところにすごく弱いんですから」


 ため息をついて身もだえしている彼女が可愛くてたまらない。


「待て!だったら、私も重たい女になりたい、ライキルちゃんみたいにドロドロした女に」


 対抗意識を燃やしてしまうもうひとりの彼女も可愛くて仕方がない。


「ガルナ、私のことそう言う目で見てたんですか…」


「うん、ハルのことが大好きってことだよな?」


「あ、何でもないです。ごめんなさい。そうです私はドロドロした女です!」


 二人のやり取りに間に挟まれたハルが笑う。


「それにしてもフルミーナさんよくこんなちんちくりんな奴選んだよな」


「エウスになんかには分からない私の魅力を見抜いたんでしょうね」


「まあ、そうだよな、お前の魅力に気づけるなんて相当フルミーナさんは目が良いんだろうな…」


「おい、ぶっ飛ばしますよ?」


 鋭い視線がエウスを息苦しくさせる。さすがにビナの打撃や締め技をもらえば身体は無事では済まない。そこで、エウスはハルに助けを求める。


「ハル、助けてくれ、お前の周りには暴力振るう女しかいないぞ!」


「ハハッ、いや、俺じゃなくてエウスの周りにはでしょ?俺にはみんな可愛く見えて仕方ないよ」


「え、それは私も入ってるってことでいいですか?」


 ビナがエウスなんかほっといて食い入るように聞いて来る。


「もちろん」


 笑顔で返すと、ビナの表情は酔いも相まって緩みっぱなしで、それと同時にエウスの命も救われる。


「ハルはそうやってみんなに優しいから女の子を無限に引き寄せるんですよ、ビナとかには良いですけど少しは自重してください。そして、もっと、私を見てくださいよ」


 ライキルが子猫のように腕にしがみつてすり寄って来る。


「そうだね、ごめん、もしかしたら惚れっぽいのかもしれない…これは直さなきゃね……」


「惚れっぽい?違います、ハルは人のいいところばっかり見抜いちゃうから、人を嫌いになれないんです。あと優しくて押しに弱いから、困っている人を助けたとき好意を寄せられて、それはもう恋のサイクルが回り出しちゃって、止まらなくなる。これがハルの周りにいる女の子が勝手に落ちていく順序です」


「別に俺はそんなに困っている人を助けてはないよ…」


「そこです。ハルが助けたと思っていなくても、ハルの些細な言動で救われてしまった人にとっては、ハルが救世主みたいに映ってしまうんです。それにハルは顔もよくて名も知れてるくせに取っつきやすいですから、ありえないくらい私みたいな女が無限に湧いて来るんですよ!」


「ライキルは特別だよ…」


「はい、それです!!もう、その一言だけで私落ちてますから、どうですか?ハル今自分では何気なく言いましたよね!?」


「いや、だって、好きだから」


「ああああああ!もう、ダメです。最近余計に会ってなかったのもあってもう、私、限界…」


 ライキルがカウンターに突っ伏して、ハルには見せられないだらしないにやけ顔を隠す。


「ライキルとばっかり楽しそうでずるい」


 ガルナが拗ねてハルの腕を離さず構って欲しそうな顔をしていた。


「ごめん、ごめん、じゃあ、ガルナにひとつ質問があるんだけど、俺のことどう思う?」


「どう思うってどういうことだ?」


「えっと、好きか、嫌いかってこと」


 自分で言っていて恥ずかしくなったが、その質問にガルナが間髪入れずに好きと答えてくれたのはとても嬉しかった。しかし、ハルは次にある質問を投げかけたことで、少しだけ彼女を悩ませてしまった。


「じゃあ、俺が悪い人だったらどう?それでも好き?」


「ハルは悪い人じゃないから好き!」


「ううん…じゃあ、もし俺が誰かを傷つけたりする悪い奴だったとして、それでもガルナは俺のこと好きでいてくれるかな?」


「うん?どういうことだ?」


 酔いが回っているのか、いつも以上に考えが回らなくなっているガルナに、この簡単な質問も答えることが困難になっていた。

 そこでその質問の答えを盗み取るようにライキルが答えた。


「はいはい、私、ハルがどんなに変わっても絶対に好きでいられる自信があります!それなら他の誰にも負けません!」


 グラスの中で揺れる琥珀色のお酒に映る歪んだ自分を見つめながらハルは呟く。


「ライキルって嬉しいことしか言ってくれないね…」


「それはハルが私に与えてくれたものが大きい証拠です、私は一生かかってもあなたに返せそうにありません!」


「もし、返せたとしたら?」


「そしたら、今度は私がハルに与え続けるだけです。フフッ、残念私はしつこいので返せてもハルの隣に居ますよ?」


「じゃあ、俺がライキルからもらうだけもらって逃げ出したとしたら?」


「うーん、返せ!ってずっと、ずっと、追いかけ続けるかもしれません。たとえハルに嫌われても私はそうやってあなたを求め続けるはずです。なんか嫌な女ですね、私…」


 グラスを一気に傾けたライキルが、おかわりを頼む。


「そんなことないよ」


「あ、だからそういうところですよ?」


 また無意識のうちに言ってしまった言葉を注意されるが、そんなのライキルに言うなら全然関係なかった。ハルはライキルに向き直ると告げた。


「ライキルに追いかけてもらえる俺は幸せ者だよ…」


「ええ!そうですよ、だから、もう急にいなくなったりしないでください。私、ハルがいないと胸が苦しくて辛いんですから、いつもそばにいてください」


 ハルはそこで視線を外すと、残りのお酒を飲み干してしまった。


「ライキル…えっとね…」


 そこでハルが続けようとした時だった。


「わかった!ハルが言ってたことの意味がようやくわかった!私とハルは永遠にラブラブということだ。だから、はい、抱きしめてやるから抱きしめてくれ、これでもう離れられないな」


 席を立ったガルナがハルに飛びつくと、当然負けずと反応する者がいる。


「え、ちょっと、ガルナ、今、私とハルがいい感じだったのに邪魔しないでくださいよぉ!」


 ムスッとふくれるライキルも席を立つとハルを抱きしめた。ハルは両側から引っ張られ、自由を奪われる。


「最初に話してたのは私だったはずだぞ?」


「でも、今、ハルが私に愛を誓おうとしてくれていたんですよ?愛してるライキルって」


「え、本当か?怪しいな」


「ほ、本当です。そうですよね、ハル?」


 疑うガルナに、必死に確認するライキル。

 そんな目の前で喚き散らす二人をハルは抱きしめ返して自分の元に引き寄せた。

 すると静かになった二人にハルは言った。


「二人ともありがとね、嬉しかった」


 そこで二人はハルに抱きしめられると、後ろで微笑みを浮かべていた。


 楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていく。その後、ハルたちはエルガー騎士団の人たちとも合流して、みんなで酒盛りを楽しんだ。浴びるほど酒を飲んだみんなはここが龍の山脈で明日には戦地になるかもしれないことなどすっかり頭の中から吹き飛んでいた。

 だけど、多くの人が抱えている不安や苦しみを忘れられるこの時間はとても大切で、ぽっかりと心に穴を開けて帰って来たハルにとってここはとても温かい場所だった。明日にはみんなと離れ離れになるなんて夢にも思わなかった。

 だから、今、この時だけはハルはみんなと楽しい時間を過ごしていたかった。

 この人の温かさに包まれた愛しい時間を少しでも後へ後へと引きのばして夜が来ないように、明日が来ないように、何でも叶う夢の中のように現実を引き延ばしていたかった。


 ハルはみんなが酔いつぶれたバーのソファーの席でライキル、ガルナに両側から寄りかかられていた。そこにはビナもおり小動物のようにガルナに寄りかかって眠っていた。エウスがどこに行ったかというと、みんなの足の下でだらしなく寝落ちしていた。

 エルガー騎士団の副団長のルルクやその団員たちもひとり残らず、近くのソファーや床でいい夢を見て眠っていた。


 宴終わりの静まり返ったバーで、ハルだけが独り夜が明けるまで目を覚ましてみんなを見守っていた。


 ただひたすら、終わってしまった夢の跡を眺めながら。


「楽しかった…」



 *** 



 夜が明け朝が来た。遠くの山岳の峰から早朝特有の神々しく輝く光が零れる。天気はところどころ雲がある晴れ、作戦実行には問題の無い天候だった。

 気温は夏の最後を飾るにはふさわしい暑さで、これから気温が下がっていくなど考えられないくらいには龍の山脈内の気温は高かった。


 研究所の前の広場には、すでに出発をまじかにしたエルガー騎士団と翼竜たちが待機していた。そこからルルクが見つめる先には、ハルと最後の別れを交わす。ライキルたちがいた。



「それじゃあ、みんな気を付けて帰るんだよ、寄り道したり戻ってきちゃダメだからね」


 ハルだけが研究所の玄関側に立っていた。今日から始まる神獣討伐作戦を遂行するためにハルはここにひとり残るからだ。

 しかし、我慢できなくなったライキルがハルの元に駆け寄り、強く抱きしめた。


「ハル、絶対に無事に帰って来てくださいね、約束ですよ?」


 するとガルナも続いて駆けつけて来てハルを抱きしめた。


「ハルがいないと寂しい、すぐ戻って来てくれよ?」


 続いてビナも駆け寄って来てくれたので、屈んで彼女のことも抱きしめてあげた。


「ハル団員ならできるって信じてますから、大丈夫です」


 最後にエウスが来て、手を差し出し握手をした。


「まあ、お前からしたら朝飯前かもしれないが、無理だけはするなよ、困ったときは誰かを頼れよ?もちろん、俺たちでもいいからな。頼り方っていうのはいくらでもあるんだからさ」


 その言葉を聞いた時、ハルは少しだけみんなに頼りたくなってしまった。これから起こる結末の先にある未来に、自分がひとりになってしまわないように、呪いかけてしまいたくなった。だけど、これから先のみんなの未来のことを考えるとどうしても何も言えなかった。だから、期待するしかなかった。昨日みたいに自分のところに会いに来てくれることを。


「ここまで俺なんかを支えてくれて本当にありがとう。みんなに会えたこと本当に幸せだった」


「ハル、最後みたいな言い方やめてくださいよ、不安になりますから」


 頬を膨らませて怒る可愛らしいハルの彼女がそこにはいた。


「ライキル、ちょっといい?」


「何ですか?」


 ハルはライキルのことをただ抱きしめた。


「うええ!どうしたんですか?」


 慌てふためくライキルを抑え込むように少しきつく抱きしめた。彼女がどこにもいかないように、しかし、むしろ彼女がどこかに行ってしまったことなど一度もなかった。


「最後の最後にもう一度だけライキルのこと抱きしめたかった」


 その言葉を聞くとライキルは嬉しそうに笑った。


「ハルって結構甘えん坊さんですよね?」


 ライキルには言われたくないが、それ以上に彼女をこのまま離したくなかった。このまま、時間を止めてしまいたかった。だけど、そんなことはできないし、するつもりもない。前に進まなくてはいけない。あらゆるものは変化し、同じ場所に留まってはいられない。


「でも、ほら、あんまり私だけ優遇するとガルナが嫉妬しちゃいますよ」


「うん…」


「帰って来たらいくらでも抱きしめてあげますから」


「ありがとう、嬉しい…」


 エウス、ビナ、ガルナの三人はただ黙って見守っていた。

 その時の二人の間には完璧な世界が生まれていたから、口出しするのも割って入って行くのも三人はしたくなかった。

 きっと、それは子供の頃から長い間積み上げて来た二人だからこそ築き上げることができるものだったのかもしれない。


 まるで、最後の別れを惜しむ二人のようで、そこには心揺さぶれられる神秘的な美しさがあった。



 そして、ハルとの別れを済ませたみんなは、エルガー騎士団たちの翼竜に飛び乗った。

 そこでエウスを乗せたルルクの翼竜がハルの傍までやって来る。


「それでは私たちはこれから出発します」


「はい、気を付けてください。ルルクさんたちが無事に帝都に着くお昼ごろまでは始めないのでどうかゆっくり安全に帰ってください」


「分かりました。この命に変えても皆さんを無事に帝都まで返します」


「俺はルルクさんにも死んで欲しくないんですが…」


「ハハッ、ありがとうございます。それではご武運を祈ります」


 ルルクが翼竜に上空へと舞い上がる指示を出す。


「おーい、ハル!マジでいろいろ嫌になったらいったん俺たちの元に戻ってこいよ!いつでもみんなで待ってるからな!?」


「ありがとう、エウス、またいつかね…」


 最後のハルの言葉はエウスには届かないほど小さい声だった。


 ルルクの翼竜が飛び立つと、それに連なって次々と研究所からみんなを乗せた竜たちが飛び去っていった。


 見えなくなるまで広場で見送ったハル。みんなの姿が朝日を浴び黄金に輝く雲に潜って見えなくなると、ひとり研究所に戻っていった。



 そして、ひとりになったハルのことを森の中から注意深く見つめている者たちがいた。


「ひとりになりましたよ、行きますか?俺は全然行きたくないんですけど」


「まだ、ダメ」



 最悪の神獣討伐が幕を開ける。

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