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龍の研究所にて

 針のようにそして反り立つ壁のように連なる龍の山脈は、イゼキア、シフィアム、アスラ、レイドの四つの国に跨って存在していた。

 何百年もの間、生きとし生ける全ての侵入者を拒み続ける絶壁の山脈の向こうを知る者は、現在この世には誰一人としていなかった。

 唯一、前人未到の地に最初に足を踏み入れた人物が過去のアスラ帝国にはいた。その人物はアスラ帝国初代剣聖の称号を手にした【ナキア・ミュンヘル】という女性だった。

 何百年も前から現在まで、彼女はアスラ帝国でも最高峰の剣士として知られていた。彼女が編み出した竜剣の技の数々は現在の騎士たちの間でも竜と共に戦う剣の基礎として通用するほど、竜剣の発展に貢献した人物でもあった。

 戦場にひとたび彼女が現れれば何万といった兵が、たったそのひとりの女騎士と一頭の竜に蹂躙されてしまうほどの力を示したと書物には記されていた。

 まさにアスラ帝国を武勇という手段で導いた人物で今でも帝国は彼女の影響を色濃く受けている部分があった。

 そんな彼女の時代にも、黒龍が現れたという記録はいくつもあり、帝国は龍に関する調査を進めていた。


 しかし、ある時を境に帝国は、黒龍の調査を長い間中止することを決めてしまった。


 そのきっかけとなった出来事が、アスラ帝国初代剣聖ナキアによる龍の山脈攻略作戦に関するものであった。

 剣聖ナキアと上級竜騎士などで固められた少数精鋭部隊を引き連れた龍の山脈内の調査と制圧これが基本的な彼らの任務内容だった。


 ただ、任務が終った頃には帝国の誰もがこんな結末になるなどとは思ってもいなかっただろう。


 その任務の報告者はたったひとりだった。

 報告者の名はナキア・ミュンヘル。


 *


 調査報告


 被害内容

 死者、百四十九名、生存者一名


 調査内容

 一日目 龍の山脈に大口から第一エリアの【小龍】に到達。

 二日目 第一エリアから、第二エリアの【中龍】、第三エリアの【大龍】まで一気に到達。その間、龍の存在を一頭も確認できず。

 三日目 第三エリアから、最終到達地点である龍の山脈中央エリア【龍聖域】の入り口に向けて早朝出発。早朝、龍聖域の入り口に到達。到達直後、竜たちの待ち伏せに会う。先陣を切っていた上級騎士八十一人からなる精鋭部隊が数秒で剣聖ナキアを除き殲滅。第三エリアで待機させていた部隊も報告者ナキアが退避した際に、事前に隠れていた龍たちによって既に殲滅。

 よって生き残ったナキア・ミュンヘル剣聖の判断により作戦中止。


 補足 報告者のナキア・ミュンヘルには重度の精神的異常を確認。そのため、この報告の信憑性は保証されない。


 *


 龍の山脈攻略作戦から帰還後、彼女の精神は崩壊。その原因は分からないまま彼女はこの作戦がきっかけで一線から退いてそのまま数年後にはろくに何も食べずに衰弱死をしていた。

 当時書かれた書物には、作戦の失敗と戦友たちを一度に大量に失ったショックで限界を迎えてしまったのではないかと書かれていたが、真相は定かではなかった。

 しかし、それでも龍の山脈から帰還し少しでも生きた情報を持って帰って来たことで当時の英雄と認定されており、その名は彼女の死後も現在の剣聖たちの特名としてしっかりと語りつがれていた。



 そんな龍の山脈の調査が再開されたのは歴史の中でもつい最近の出来事だった。もちろん、調査といっても龍の山脈の中でも、黒龍たちがいない第一エリア【小龍】に防衛基地と研究施設を作って後は黒龍たちを刺激しないように研究という名の観察するだけだったのだが、それでも多くの魔獣を取り扱う学者たちから最先端の研究施設として人気があった。

 特に蛇龍と翼竜を専門としている学者たちとって、このアスラ帝国の【小龍】にある研究所は楽園であった。

 ただし、それも今日で終わりを迎えていた。


「クソ、なんでじゃ、なんでわしらがここを出て行かなければならないのじゃ!」


「爺さんいいから、早く荷物をまとめて出て行きな」


 年老いた研究員を急かすように帝国の騎士が開かれた扉の前に立っていた。

 大量の資料が積まれた部屋の中で、その研究員の爺さんと、他にもうひとり若い研究員がおり二人で持って行く資料を選別していた。

 扉の前では護衛の兵士が付き合わされ退屈そうにあくびをしていた。


「ここは権威ある龍の最先端の研究所じゃぞ?そして、わしはここを陛下から任せられている所長なんじゃぞ!それを若造の命令ひとつで…」


「仕方ないですよ、四大神獣討伐作戦が明日にも始まるんです。これより優先されることは他に無いですから」


「黒龍の殲滅など無理に決まっておるわ、英雄がひとり無駄死にして終わりじゃ」


 喚き散らす所長に、騎士が口を挟んだ。


「でも、彼、すでに白虎をひとりで討伐してるんですよ?今回ももしかしたらってことありますよ?」


「頭を使わぬ兵士はこれだから嫌いなんじゃ、そんなんでいざという時わしらを黒龍から守れるのか?」


「おうおう、ひでぇ言いぐさだな」


「いいか、そもそも白虎は地上での戦闘、黒龍は空中戦なんじゃぞ?圧倒的に黒龍を討伐する方が難しいうえに空を駆けまわる黒龍に対して、霧の森の時のように包囲網が組めないから被害ゼロなどとは到底いかん。もし、龍聖域にいる黒龍たちが我々の下界に降りてきたら被害は尋常じゃないぞ、近隣の国は大国も含めまず助からん。だから、我々はこの作戦が上がったとき反対したんじゃ、だってたったひとりの人間に…」


 そこで騎士が呆れた顔で話の途中で彼に言った。


「爺さん手が止まってるぞ、いいのか、もう出発するけど?」


「クソ、全てあの英雄のせいじゃ、あいつが白虎討伐が成功しなければ…」


 ぶつぶつと呟きながらも所長は書類に目を通して最終的にはかたっぱしから袋に資料を投入してやけになっていた。


 そして、所長と若い研究員と護衛の騎士が研究所の外に出ると、そこには大勢の研究員やその護衛の騎士たちや施設を管理している使用人たちなどが、次々と竜に乗っては空に飛び立っていた。


「おい、どういうことじゃ、ここで竜の飛行は禁止されてるはずじゃぞ?」


 空の王者である黒龍を刺激しないために研究所に向かう時は徒歩か馬か飛ばない使役魔獣と取り決められていた。

 しかし、研究所の前では次から次へと荷物や人を乗せた竜たちが飛び去っていた。


「緊急事態だから仕方がないですよ、それに南からの迂回ルートを使うので黒龍たちには気づかれませんよ、ていうか、あなたがこの南からの迂回ルートの飛行許可を与えてくれれば普段から移動がもっと楽だったんですが」


「バカ者、そんなことしたら、黒龍たちがここを潰しに来るわ!奴らは縄張り意識が強いからな、そもそもこうして短期間でも翼竜たちが集まるのがまず危険なんじゃ、黒龍たちは頭がいいおぬし達よりもな」


「爺さんはいつもひとこと多いよな」


 二人がいつも通り仲の良い会話をしていると、研究所の門の方でザワザワと人々が騒がしくなり、多くの人が門の方に移動していた。


「何じゃ騒がしいのお、何事じゃ?」


「あ、来たんじゃないんですか、彼が」


「彼?」


 竜の山脈第一エリア【小龍】にある研究所。その門が開かれるとひとりの青年が姿を現した。

 青い髪を揺らし、全身を黒いローブに身を包んで、片手には紐からぶら下がった巨大な太刀を二本持っていた。

 レイド王国の元剣聖で、四大神獣白虎討伐者で英雄のハル・シアード・レイがそこにはいた。


「あの若造か」


 所長は彼を見るなり文句のひとつでも言おうと駆け寄ろうとしたが、さっきまでざわついていた群衆が静かになっていることに気づく、さらに所長もそこで彼に近寄るのをやめてしまった。


 彼が歩く先の人々はみんな道を開けていく。


 みんな怯えていた。彼が発する鋭い殺気のような圧に、息をするのも忘れてしまうほど張りつめた空気がこの場を支配していた。そして、誰も彼に近づくことも声を掛けることもできなかった。

 ハル・シアード・レイという男はいとも簡単に死というイメージを周りにいた人々に植え付け恐怖を駆り立てていた。


 所長の隣にいた騎士も冷や汗をかいていた。


 静まり返った研究所の敷地内で、彼は誰もいなくなった研究施設に入っていった。


 彼の姿が見えなくなるとその場にいた誰もが我に返り流した汗を拭いて元の自分たちの作業に取り掛かっていた。さっきよりも早くこの場から離れるようにみんなが急いで準備を進めていた。


「爺さん、文句言わなくてよかったのか?」


「………」


「爺さんどうした?」


「もしかしたら、あの場で話しかけた者は殺されてたかもしれんぞ…」


「おいおい、爺さん、いくら何でも英雄様がそんなことするわけないでしょ」


「あのな、おぬしも一応戦士なんだから相手の殺気の種類くらい感じ取れ、あれは本気だったぞ」


 所長の手は未だに恐怖で震えていた。


「殺気の種類?なんだよそれ、ていうか、なんであんたにそんなこと分かるんだよ。剣も握ったことないだろ?」


「黒龍の放つ殺気を何度も浴びてるうちに分かるようになったんじゃ、まあ、殺気というのは何度も浴びるようなものではないが、おかげで人間の放つ殺気や怒気などみじんも怖くなくなったわ」


「なるほど、そのおかげで所長は身の程知らずになったのか」


「おい、お前もひとこと余計じゃぞい!」


「爺さんと話しているうちに癖が移ったんだよ、迷惑してんのはこっちだぜ」


「何を言う、この小僧が」


 二人が喧嘩をしていると、若い研究員が他の騎士と一緒に翼竜を連れて来た。


「皆さん、もう出ますから、この竜に乗ってください」


「了解だ、爺さんほら行くぞ」


「まったく、研究所は翼竜禁止なんだぞ」


 三人を乗せた翼竜が竜の山脈から遠ざかるように南に出発した。目的地は帝都スカーレットで、西に向かった方が最短で進めたが、黒龍の目につかないために迂回ルートをとっていた。

 研究所の敷地内で次々と翼竜たちが飛び去っていった。

 ものの一時間であっという間に研究所内の人は誰ひとりとしていなくなった。



 残されたハルだけが、研究所内の休憩所で、紅茶を淹れて休んでいた。


「逢いたい」


 だだっ広い研究所にハルはひとり孤独に紅茶を飲んで時間を潰していた。


「さっき逢っとけばよかったかな?」


 帝都にいた時気軽にみんなに挨拶をすれば良かったのかもしれない。そうすればこんなに悩むことも迷惑をかけることもなくすんなりと別れを告げられたのかもしれない。


 しかし、ハルは胸に手を当て、身に纏っていた黒いローブを握りしめた。


「いや、そもそも、俺なんかがもうみんなには逢っちゃだめなのか…アハハッ…」


 ハルは壊れたように笑った。


「最低だな、本当、俺は約束ひとつ守れやしないんだな」


 テーブルの上に伏せてうずくまったハルは情けなくすすり泣いていた。


「ハァ…マジでみんなに逢いたい」


 それでもハルはなんとか切り替えて席を立つと、適当な自分の部屋を探しに研究所を探索するのだった。


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