遠のくあなたを追いかけて
気持ちの良い朝に、馬の蹄が地面を蹴る音が響く。
早朝、キャンプ地を出たライキルたちは、アスラ帝国王都スカーレットに向けて馬を走らせていた。
焦りと希望でライキルの馬だけ先行して前に出る。
あともう少しで、この森を抜けられた。
そうして抜けた森の先には、緑の草原が広がっていた。
強い風に吹かれた草原に風の跡をつけては消えていく。白い雲がゆっくりと帝都の方に流れており、ライキル達の背を押すように追い風が吹いていた。
辺りは薄暗く、まだ地平線から顔を出したばかりの太陽が、流れる雲を黄金色に染めていた。
ライキルは馬を止めてしばらくその美しい光景に見惚れていた。そこに後ろをついて来ていたエウス、ビナ、ガルナの三人も馬を止めて同じ景色を見ていた。
美しい草原が広がるその先には巨大な壁のようなものがあったが、それを超えれば帝都は目の前だった。
「あと少しで帝都に着くな、どうするここから一気に飛ばすか?」
エウスがライキルに問いかける。
「もちろん」
前を見据えて頷いたライキルは馬を走らせた。
夏の朝露に濡れた輝く草原を超えていく、馬上から空を仰げばどこまでも深い青空が広がっていた。
ライキルたちはまっすぐ前だけを向いて目的地を目指す。
迷いはもう無かった。
前へ、前へ、彼のもとへただひたすらに前へ突き進む。
やがて、先ほどまで遠くにあった赤い城壁が目の前に来るとライキル達は一度馬を止めた。
小さく見えたその赤い壁は、ところどころ古びており、建っているのがようやくといった巨壁だった。どこまでも横に広がり続けるその壁は何人たりとも通さない強い意思を宿しているように感じた。が、それも今ではボロボロのスカスカで、ところどころ崩れかけている場所もあり、ライキル達が通る街道はその赤い壁は撤去されていた。もはや国を守る壁というよりは観光名所の役割としての機能をぎりぎり保っているような、壁としての本来の役割は失っていた。
この壁の目的としてはアスラがレイドからの侵略を阻むただそれだけのために建設されたような代物だった。そのため、近年、アスラ帝国はレイド王国と友好関係を築いているため、この壁の役割は皆無と言っていいだろう。
ライキル達はその迫力だけある赤い壁を通り過ぎて、アスラ帝国の帝都に急いだ。
***
赤い壁を超えてから数時間ほど馬を飛ばしてようやく、ライキルたちはアスラ帝国帝都スカーレットにたどり着くことができた。
四重の城壁に囲まれた街の内側には綺麗な赤を基調とした街が広がっていた。
ここからは各都市を訪れているエウスが先頭に立ってみんなを引き連れて馬を走らせた。
「城はあの丘にあるでかい赤い建物がそうだ」
鮮やかな赤い街並みの中、その街の中にある大きな坂道を登りながら、エウスが指さす先には赤く塗られた墓石のような不気味な建造物が建っていた。実にシンプルで華やかさに欠けたその建物は三つの壁を超えた街の中心にあった。
「なあ、そういえばライキルさんよ、ハルが城に居なかった場合俺たちはどうやって城の中に入るんだ?」
エウスが当たり前のことを聞いた。城の中に入れる人間は限られている。そもそも、貴族でも来賓でもないライキルたちが城内に入れてもらえる可能性は極めて低かった。
「ていうか、確か帝国の城壁内って二つ目の壁の内側からは許可のある人間じゃないと入れなかったような…」
以前は商人として訪れていた国も、最近はすっかり顔を出していなかったため、エウスもこの街のルールには疎かった。
しかし、ライキルは涼し気な顔で平然と言う。
「それなら問題ないわ。確実に城まで入れてもらえる秘策があるから、だからそこでハルを探しましょう」
「え、なんだよ、その秘策って」
「あんまり使いたくない秘策よ…」
そこでエウスが顔をしかめて真剣に考えて出した答えは…。
「まさか、お前、門番を誘惑とかする気じゃないだろうな……おい、やめておけ、お前みたいな品の曲がった女じゃ、つられるのはもうハルくらいだぞ…」
するとライキルが馬から身を乗り出してエウスに飛び蹴りを食らわせた。エウスはそのまま馬から地面に落ちて伸びてしまった。
「それで、ライキル、秘策って何なんですか?」
隣で聞いていたビナが何事もなかったかのようにライキルに尋ねる。
「秘策って言うのはね…」
鮮やかな紅色の街の坂道をライキルたちは登っていく。
***
鮮やかな街の上に飾りっ気のないお城があった。途中、城を囲む壁があり三つ目の壁には門番がいたが、ライキルたちはある秘策を用いてすんなりと通ることができていた。
そして、最終関門は王城イラスヘルムの敷地内の壁を超えることだった。
ライキルたちが最後の壁の門のところで行くと門番に止められた。
「この壁の向こうはイラスヘルム城です。入るには招待状か許可書を提示してください」
ライキルは馬に乗ったまま、その門番のことを睨みつけた。
「急用なのでどちらもありません」
「それでしたら残念ですが入城させることはできません」
門番は呆れた様子で手を前に出しライキルたちを静止させた。
「このお城にハル・シアード・レイが来ていませんでしたか?」
そのライキルに発言に男は一瞬のためらいを見せて首を横に振った。
「いいえ、そのような報告は入っていません。それと城内のことは無関係の方たちには極秘なので教えすることはできません」
そこでエウスが横から口を挟んだ。
「それはあり得ないな。ハルは神獣討伐でこの城に行くって言ってたんだ。あんたも知ってるだろ龍の山脈に入るには皇帝陛下の許可がいるってこと。俺たちはその神獣討伐の用で来てるんだ。早く中に入れてもらわないと困るなぁ」
「それでしたら、何か正式な手紙などはありませんか?」
「だから急用って言ってるだろ?」
「しかし、困ります。身元の分からないあなた達を入れることはできません」
門番が段々と自信なさげに揺れ始めていた。神獣討伐という言葉は今この時期に一番重要事項としてアスラ帝国の中でも取り扱われているはずだからだ。そもそも、ライキルたちもハルが神獣討伐で向かったことは知っている。それならば利用しない手はない。
「身元なら証明できますよ」
そこでライキルは秘策を使った。
「私の名前です」
「名前?」
「私の名前は、ライキル・シアード。ハル・シアード・レイの妻です」
「…え……」
「あ、それとこちらの彼女もガルナ・シアード、彼の妻です」
「…そしたら……」
門番が小さなビナを見つめるが、彼女は護衛だと告げると彼は一安心していたがそれも束の間だった。ライキルは彼に考える時間を与えなかった。
「入れてもらえないのならここで帰りますけど、それならこちらにもいろいろ考えさせてもらうところはありますから、それでは失礼します」
ライキルたちが馬を方向転換させて帰ろうとした。門番はそこで一瞬うろたえ思い悩んだ。彼の裁量を超えた判断をライキルは迫ったのだ。
ハル・シアード・レイに関する問題は常に、王族たちにまで届く力があった。それならばその親族の扱いはどうなるのだろうか?当然、その力も大きいものだった。貴族と婚姻した平民が力を持ってしまうのと同じように、元剣聖で英雄の立場の彼、その妻ともなれば誰もが耳を貸してしまうくらいの権力を簡単に手にしてしまう力があった。
「待ってください。確認取らせていただきますのでどうかここでお待ちください」
門番が慌ててライキルたちを引き留めると、すぐに城内にいる誰かに確認しに走って行った。
「やっとハルに会えるな!」
満面の笑みのガルナがライキルの顔を覗きこむ。そこで少し緊張していたライキルもホッとした顔で答える。
「そうね、あともう少しね…」
だが、心の奥底ではまだ不安要素がいくつも残っていた。
「そういえばライキルなんでお前、ハルの妻を名乗るのが嫌なんだ?」
「はあ、嫌なわけないでしょ?」
「だってお前の秘策って、『私、ハルの妻です。だから通しなさい』作戦だろ?なんでやりたくなかったんだ?」
エウスがライキルの真似をしながらいうが、怒る気力も今のライキルには残っていなかった。
「私はハルのそういう権力とか威光とかを利用したくないんです、分かるでしょ、私はハルと対等の立場でいたいの」
「ふーん、まあ、俺だったらなんでも利用できるものは利用するけどな」
「私は、エウスと違って極悪人じゃないですから少しでも彼の隣に立っていたんです」
「おい、誰が極悪人だ。ていうか、それにしてはライキルさん、いつもハルに溺れてるように見えるんですが?隣に立つどころかいつもハルに抱きついてはもたれ掛かってませんでした?」
「理想と現実はいつもかけ離れてるものなんです」
ライキルが酷く冷静に返す。
「へいへい、そうですか」
エウスが呆れた様子で手のひらを上に向けた。
それからしばらく四人で門の前で待っていると、硬く閉ざされていた大きな門が軋み大きな音をたてて動き始めた。
開門した先には先ほどの門番が立っていた。
「どうぞ、こちらへ、皇帝陛下が皆さんをお呼びです」
「え?」
その時、門番のその言葉でガルナを除いた三人の背筋は凍り付いていた。てっきりハルのところまで案内されると思ったら、皇帝と謁見なのだから無理もない。完全にみんなハルだけに目がいっており、皇帝と面会することなど考えてもいなかった。
しかし、こちらも権力を振りかざしたのだから仕方がない。ライキルは自分たちの行いを反省しつつ、だが、それでもハルにたどり着けるなら謁見するしかなかった。
「ライキルさん、なんか裏目に出てません?」
「何弱気になってるんですか?これはチャンスですよ、ハルは皇帝陛下にも会ってるはずです。直接居場所を聞き出せます!」
「お前さんは全く頼もしいよ」
エウスもだいぶ冷や汗をかいていた。お偉いさんたちとはエリー商会の会長として何度も会って言葉を交わしていたがそれでも常に事前に準備をした上での謁見だったりしたので、こうもぶっつけ本番で高貴すぎる相手と対話するのは場慣れしたエウスでも緊張するものだった。
「こ、こ皇帝様…あわわわわあわわ…」
権力者に弱いビナはもちろん震えていた。彼女もハルに会って終わりだと思っていたのだろう。
「よっしゃ、早くハルに会いに行こう!!」
ガルナだけが緊張感の欠片もなく、ご機嫌な様子で笑っていた。ただ、それだけで少しライキルの気持ちも軽くなる。
そう、もうすぐでハルに会えるのだ。
その時、どこかで聞いたことのある何かをつんざく大きな音が空から聞こえて来た。
ライキルが音のする空を見上げるが、そこには何も見ることができなかった。
ただ、白い雲が浮かんでは流れていた。
ライキルは時に気にも留めず、門番の後について行った。