ひどい男と皇女様
古風だが洗練された造りの屋敷にハルは足を踏み入れた。王城イラスヘルムの敷地内にある屋敷。ここはハルが案内された宿だった。大事なお客を招くために用意された専用の宿なのだろう。どこもかしこもよく手入れされていた。それに城の方にはなかった装飾品がこれでもかというくらい詰め込まれており、まるでここで帝国の栄華の威光を見せつけられているような気がした。それかただ単にお宝をしまう倉庫と兼用の宿かのどちらかのような気がした。
使用人に部屋まで案内されたハルは、部屋を一通り見て回って間取りを確かめた。広いリビングと寝室にシャワールームと個室のトイレがあり落ち着いた造りをしていた。窓からは淡い赤色の城下町が広がっており眺めは最高だった。
ただ、そんな景色をゆっくりと眺めることもなくハルは長旅で汚れた身体を洗い流すためにシャワーを浴びたかったが、着替えを使用人が用意してくれるまでそれはお預けだったし、その前に会食に来ていく服選びをしなければならなかった。
呼びに来てくれる使用人が来るまで時間が空いた。落ち着いた部屋でひとりだった。ただ、その間もハルの心が休まることはなかった。ずっと椅子に座って何かを考えこんだり、はたまた立ち上がって部屋中を歩き回って時間が過ぎるのを待っていた。
明確な不安が自分を蝕んでいるのを感じ、心に余裕がなくなっていた。
するとそこでハルの部屋の扉にノックの音がした。
急いでハルが扉を開けで迎えようとするとそこには先ほど城内で挨拶を交わした皇帝の娘のエステラ・フューリード・アスラの姿があった。
扉の前に立っていた彼女は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「エステラさん?」
「フフッ、私、我慢できなくて来ちゃいました」
魅力的な声でまるでこちらを誘っているかのような言い方は男を勘違いさせるには十分だった。
しかし、ハルはどこまでも覚め切った目で、彼女に言った。
「どういったご用件で?」
「少しお話できないかしら」
「すみませんが、これから身支度をしなければならないので」
「えー、そんなことは言わずにお願いしますよ!」
すらっとした美しく鋭い女性に見えたが、話すとどこか隙がありぼんやりとしていそうな彼女には愛嬌があった。
ただ今のハルからしたら彼女は鬱陶しい以外の何者でもなかった。
「それでは会食の後などいかがでしょうか?」
「ええ、今が良いんですけど、ダメですか?」
彼女がねだる様にハルの手を握って来たが、ハルはすぐに身を引いた。
「もしかして、ハルさんって、私みたいな女性の方が苦手だったりします?」
積極的な女性とでもいいたのだろうか?それならその通りで引き下がって欲しかった。しかし、相手は帝国の皇女あまり邪険に扱うこともできない。
「何が目的なんですか?」
そう簡単に引き下がってくれなさそうな彼女にハルは尋ねる。
「目的だなんて、私はただ、あなたとお友達になりたいなと思っただけですよ、ほら、皇女の私って仲良くできる友達が少ないもので…」
もじもじしながら上目遣いでこちらを見つめて来る。
「そうですか、でしたらお断りさせていただきます。事情あって今は友人を作っている暇もないですので…それに……」
ハルはそこで言葉を区切った。親しくなってしまったからこそ生まれてしまった悲劇を思い返すと、なおさらもう新しい誰かと心を通わせようとは思えなかった。
「うええ、酷いですよ、いいじゃないですか…私とお友達だと結構いいことありますよ、ほら、私、こう見えても皇女でいろいろこの国で融通を利かせられますし、友達になるくらい得しかないですよ!」
皇女から友人になりたいなど、他の貴族たちからしたら光栄極まりないことなのだろう。それだけで、周りの貴族たちから、頭ひとつ抜けることができる。そのため、王族の身内から崩して頂点に近づこうとする頭のいい貴族たちは多い。
しかし、ハルは貴族でもなんでもない。ここに友好関係を築きに来たわけでもない。
ハルはここに黒龍を討伐しに来たのだ。
本来なら、もう、勝手にひとりで龍の山脈に突入してもいいのだが、アドル皇帝の顔を立てておく必要があった。この作戦を実行に移すにあたってダリアスと同じくらいアドル皇帝には協力してもらってその恩を返しておきたかった。
ただ、その恩は黒龍の絶滅によって達成されるのだが、それでも、レイドと友好国の皇帝の気分を害するわけにはいかなかった。まあ、それでも、もうあまりハルには関係ないことになりつつあったのだが…。
「こちらにもいろいろ事情がありまして…」
ここですんなりと友人になることを認めてもよかった。むしろそっちの方が波風立たず平和的解決が見込めた。だが、今のハルにはその余裕すらなかった。
「お願い、ね?お願いよ、私たちきっと仲良くなれるとおもうの」
「いいから帰ってくれませんか!?俺には時間がないんです…」
怒気を含んだハルの声。
二人の間に沈黙が流れた。
「酷い…」
「酷い?ああ、そうですね…」
そこで瞳に涙を溜めた彼女だったが、ハルが容赦なく扉を閉めて彼女を部屋の外に締め出した。
ハルは何事もなかったかのようにリビングに戻ろうとすると扉の奥から声が聞こえて来た。
「え?ちょっと待って、マジで閉めるの!?」
意外そうな声が飛んできたがやっぱり無視して服が届くまでリビングで待った。その間、玄関のとびからの声がうるさかったが、その音さえ無視できてしまうぐらいにハルは頭を抱えていた。
しばらくすると、扉の奥からうるさい声とは別の優しく透き通った声が響いた。
「シアード様、服の準備できましたのでお迎えにあがりました…」
思い悩むハルが顔を上げて、玄関の扉を開けると、怯えている使用人と青筋を立てている鬼女がいた。さっきの猫被っていた女性とは別人だった。ただ、それでも、ハルの態度は変わらないというより、まるで周囲の状況が把握できていないほど追い詰められており、何気ない顔でその怒っているエステラを無視して案内してくれる使用人の後についていく。
しばし、試着室まで案内する使用人と、それについて行くハルと、ハルを睨みながらついて来る皇女との不思議な三人が屋敷の中を歩いていった。
大きな鏡がある試着室に着くと、ハルは早速複数人の使用人に囲まれて、あれこれ試着をさせられた。
その光景を見ていたエステラも途中から牙を抜くのをやめて、美意識の高い彼女は使用人たちに有益なアドバイスをして、ハルの会食で着る服や装飾品は決まっていった。
そこで衣装から元の服に着替えたハルが、使用人から新しい普通の服を受け取った。元の服では汚れが目立つのだ。シャワーを浴びてもそれでは意味がなかった。
「シアード様、会食の一時間前にはこちらにいらして衣装に着替えていただきたいのです。そのため時間になったらお部屋に伺いますがそれでもよろしいでしょうか?」
「それでお願いします。ありがとうございました」
使用人たちに礼をいって別れた後、そこでハルは、怒りをあらわにしてこちらを睨んでいるエステラの元に向かった。
鋭い目つきの彼女は完全に気分を害しているようだった。
「何よ?あ、もしかして私に謝りに来た?いいわよ、いまなら」
「ありがとう」
彼女が告げようとしていた棘のある言葉は、純粋な感謝の言葉で打ち消された。
ハルはまっすぐ彼女の目を見てそれだけ言うと、すぐに自室に戻るために試着室を出ていった。
しばらく放心状態だったエステラを再びそこに残して…。
***
部屋に戻るとすぐにハルはシャワーを浴びてその身を綺麗にした。シャワー室は水魔法が無い者でも使えるように蛇口をひねれば水が出る仕組みのもので助かった。
シャワー室を出たハルは新しくもらった服に着替えて、リビングに戻って高級な椅子に腰を下ろした。そこで扉を叩くやかましい音が響くこともなかった。
窓の外に視線を向ける。空の色合いが変わっていくのをジッと眺めていた。
「明日でも大丈夫か…ここにみんなが来るまで最低でも三日はかかるはず、もう顔も合わせることもないかな…」
城下町が夕日に染まる景色を眺めながらふとみんなことを口にした。
「会いたい…」
いつもそこにいたみんなの顔が浮かんでは消えていった。虚しさだけが自分に寄り添っていた。
感傷に浸っていると、扉にノックの音が数回した。
気が付けば窓の外は真っ暗で星々が輝いていた。
会食の時間が迫っていたのだろう。衣装に着替えてもらうために使用人が迎えに来てくれていた。
ハルは試着室で衣装に着替えたあと、王城イラスヘルムに向かい、アドル皇帝が開く会食に参加するのだった。