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竜舞う国 君が見た彼の最後の笑顔

 ウルメアの咆哮と共に、彼女の身体から緑の触手が溢れ出す。

 瓦礫の山となった王座の間に緑の海が広がる。その蠢く海のひとつひとつは、肌を容易く切り裂く鱗がついた触手の集合体であった。

 この荒れ狂う緑の海に飲み込まれたら最後、全身を切り裂かれて残るのは肉塊だけなのだろう。

 辺りに広がった触手は留まることを知らず、このままでは、王城全域を簡単に飲み込んでしまう。そうなれば、中にいるライキルやエウス、ビナやガルナ、それに他の守るべき人達が凄惨な肉塊になるのが目に見えていた。

 ハルはすぐにその溢れ出す触手を止めるために、緑の海を生成し続け触手に埋もれたウルメアに掴みかかった。

 ウルメアを中心に溢れ出した緑の触手は彼女を覆い隠すように噴き出しては広がっていた。そのため、彼女を掴んだ時、自分の周りには無数の触手の棘があり、手をいれた瞬間ハルの腕は大量の出血を伴うはずだった。

 しかし、ハルの身体からは一滴も血が流れない。それどころか刺さった無数の棘がまるで鋼鉄に柔らかな草花を押し付けたかのようにハルの腕の上で折れ曲がっていた。


 鋭い鱗状の触手の中、ウルメアを掴むがその手ごたえにハルは首を傾げた。ハルが掴んでいたものは触手でかたどられたウルメアの似姿だった。


「違う、どこに行った?」


 辺りを見渡すが瓦礫の山と緑の海が周囲に広がっているばかりで彼女の姿、気配までがまるでなかった。

 ただ、ハルが自身の天性魔法で索敵を開始しようとした時だった。

 突如、緑の海から無数の人の姿をかたどった触手たちが現れる。

 それはどれも、ウルメアの姿を形だけ再現しており、今、広がり続ける緑の海の上に無数の王女様が何人も出現した。


「…」


 だが、彼女たちが出現した瞬間寸分違わずハルが拳をひとつ軽く振るうとその風圧で、緑の海が地面からまるごと剥がれ散って消えていった。


 瓦礫の山も一緒に飛び散り王座の間だった場所は更地となり象徴であった王座さえも跡形もなく吹き飛んでいた。


「もう、そっちがその気なら、終わらせるけどいいかな…?」


 ハルが見据える先には、地面に四つん這いで小刻みに震えながら不気味な声で低く唸るウルメアの姿があった。もはや人間出ることをやめたような彼女の姿は獣ようであった。


 言葉の通じなくなったウルメアの背中から無数の触手が生み出され奔流となってハルに襲いかかった。膨れ上がりながら前進してくるその大質量の触手の対策としてハルがとった行動は右腕の肘を後ろに引くだけだった。


「いいんだね、じゃあ、終わらせるよ」


 飛んで来る触手に左手で狙いを定めるように構える。そして、左手を引くと同時に右手を入れ替えるように前に突き出すと、ハルの目の前の空間に全てを破壊する衝撃が生じた。

 その衝撃は触手の奔流を一瞬で散り散りに霧散させた。


 ウルメアが次の動作に入る一瞬の間には、もう、背後にハルがいた。

 振り向いた時には首を掴まれ持ちあげられる。


 しかし、そこでウルメアだった者の姿がみるみる触手の姿に変わっていくと、ハルが掴んでいた彼女だった者は触手の人間に変わって崩れ去ってしまった。


「………」


 そこで再び誰もいなくなった王座の間にハルが立ち尽くすことになった。

 周囲を見渡すとそこには先ほど自分で吹き飛ばした何もない大地があたりには広がっていた。

 遠くの景色にはいまだに巨大な触手が、この王城ゼツランの敷地を取り囲んでいる。


 ハルはそこで自身の天性魔法で周囲の索敵を始めた。

 自分にだけしか見えない光。その光がまるで水のような流動体となって全方位に均等に拡散していき、ハルに疑似的な周囲にある物のイメージを頭の中に映し出してくれた。

 映し出されたイメージは、全て抽象的なものではあるが、しっかりと周囲の状況を把握できるほどには処理をしてくれていた。


 それは例えばハルの天性魔法で目の前の人を照らしたとしたら、ハルの頭の中に届くイメージは、人間の輪郭の部分だけ光る様に浮かびあがった。ただ、どんな表情をしているのか?や、どんな色か?までを見ることはできず、距離によってその鮮明差に差異は生じた。

 ハルの近ければ近いほど物事は詳細に鮮明に輪郭も際立ったが、遠くなればなるほど照らし出され見れるイメージがぼやけては精度が落ちていった。

 つまり、ハルが天性魔法で周囲を見た時は、真っ暗闇の中に光で浮き出された世界があるといった感じであった。

 このハルの天性魔法でできる索敵能力は、全方向に目がある状態であるのと等しいため、戦闘の面でかなり友好的な働きをしてくれていた。

 ハルが天性魔法ではっきりと見れる景色の限界はせいぜい百メートルがであるが、ぼやけた不鮮明な視界ならば数キロ先まで見渡すことができた。

 もちろん、数キロ先となると人間のイメージも光の粒とでしか認識できなくなるほどあいまいなものとなってしまい、何がいるかいないかぐらいかのような情報とでしか処理できなかった。

 ただ、それでも、霧の森のような視界の悪い濃霧の中でも、ハルの天性魔法の索敵を使えば周囲に何があるかを知ることはできた。

 そして、それはたとえ目に見えない何かでも、そこに確かに存在さえしていればハルに光の輪郭として映し出してくれた。


 だから、そこで、ハルは二人の竜人族の男女の姿を見ることができた。


 エメラルド色の髪のツインテールに、可愛らしさの中にも芯が通った銀の瞳が力強く輝く。身体の鱗もこれまた宝石のエメラルドのように艶のある黄緑色に光っており、彼女の尻尾は先の方で二股に分かれていた。

 もう一人の竜人族は、澄んだ鋭くもう優しい青い瞳に、ハルのくすんだ色とは違う鮮やかな青髪をなびかせていた。彼の鱗は宝石のサファイアのように美しく青い鱗であった。


 その二人は間に誰かを入れて、話し合っているようだった。


「誰だ?」


 しかし、ハルが一度瞬きをし、気が付いたときにその二人の姿はどこにもいなかった。


「…なんだ、気のせいか?」


 ただ、目をこするとそこにはウルメアが立っていた。


「ウルメア…?」


 彼女は静かに目を閉じて立ち尽くしていた。


 先ほどの獣のようなしぐさも、荒々しさもない。鱗の触手も無ければそれを身に纏ってすらいなかった。

 そこにはシフィアム王国の王女としてのウルメアの姿があった。


 決定的に違うところがあるとすれば、彼女がもう別人だということだった。


 彼女の瞳孔が青く発光し、禍々しく輝いている。そこには人間としての彼女はいなかった。


「その目、どうしたんだ?」


 ハルが心配そうに声を掛けた時だった。一瞬で気を抜いたハルの視界から彼女が消えた。

 突如、懐まで一気に詰めて来たハルの腹部にウルメアの拳がめり込む。


「ぐっ…」


 久しぶりの痛みにハルの呼吸が一瞬止まる。

 ただ、ウルメアの攻撃はそこで終わらなかった。

 ハルのみぞおちにめり込んだままの彼女の拳が青く発光するとそのまま、彼女の手から大爆発が起こりハルを王城がある後方へと勢いよく吹き飛ばした。


 ハルの身体は王城輪廻の間の壁を破壊し、竜王の間の塔の場所まで一気に吹き飛ばされた。


「なんだ、この力本当にさっきまでのウルメアか…」


 竜王の間の塔の壁にもたれ掛かるハルの口からは血が出ていた。勢いよく吹き飛ばされたおかげで驚いたハルは自分の口の中を噛んでしまっていた。


「久々に自分の血を見た気がする…」


 ハルは自分の赤い血を見て少しだけ笑った。


「なんだか、少し安心したかも…ハハッ…」


 しかし、そんなダラダラと自分のことを再確認している場合ではなかった。竜王の間にはまだ多くの人が残っているし、ここで今の恐ろしく強くなったウルメアと戦闘するわけにもいかなかった。


「急いでここを離れるか?いや、もし、今のウルメアの狙いが俺だけじゃなかったとしたら…」


 そう考えるとハルを無視して他の人たちを狙う可能性は捨てきれなかった。


「彼女の注意は俺が引かないと…」


 そうあれこれ考えていると悩みの種は向こうから訪れる。

 彼女がこちらを認識すると何も語らずただその体一つで英雄ハルを打ち取ろうとしていた。

 ウルメアが駆け出し加速する。

 先ほどと同じ青い拳を構えてハルに向かって突進してくる。


 ハルは立ちあがり、構えもせずにただ、その場に立ってウルメアが来るのを待った。

 すると彼女が駆けてくる際に、彼女の背中から六つの光のリングが展開されると、さらに加速しもう常人の目では捉えきれないほどの速度で直進して来ていた。

 それほどの勢いでハルの今いる場所に突っ込んでくると、竜王の間の塔が根元から崩壊しかねない威力を持っていた。


 しかし、そんなことにはならないし、させなかった。


 加速しきって突っ込んで来たウルメアに、ハルはいとも容易く膝蹴りを合わせた。

 あっけなく彼女の加速が止まり、地面に這いつくばる。

 そして、そのまま、ハルは彼女の首を掴むと竜王の間から遠ざけるように外に向かって投げつけた。

 勢いよく飛んでいくウルメアを見たハルもそこで消える。


 ウルメアの身体はそのまま数キロ離れた先にある触手の壁まで勢いを落とさず投げ飛ばされていた。

 触手の壁に頭から突っ込んだウルメアだったがその触手がクッションになり一命はとりとめる。

 その後は壁の触手はウルメア自身の天性魔法であるためそれを操り、めり込んだ自分の身体を外に押し出し、その壁のへこんだくぼみに立つと当たりを見渡した。


 状況が把握できず呆然としていたウルメアの視界には王城がずっと離れた場所にあった。


 そして、ウルメアが触手の壁から、六つの光のリングを再展開し、その飛行魔法で飛び立とうとしたときだった。

 上から、そこにいるはずがない人物が降りて来て、そのまま、ウルメアに掴みかかる。

 急降下掴みかかって来た人物はもちろんハルだった。

 常識の範囲内だとウルメアが見据えた遥か先の王城にハルはまだいるはずだった。

 しかし、現実は投げ飛ばされたウルメアよりも先回りしているのが現状だった。


 二人はもつれあいながら真っ逆さまに落ちていく。


「さっき言いそびれたけどさ…」


 ハルが落ちる最中に語りかけるが、ウルメアは必死に首を掴んできたハルの腕を引き剥がそうと空いた手や足で蹴りを入れて来ていた。

 その力はどれも凄まじく普通の人間が一発でもかすれば肉塊になるほどの底なしの力を発揮しており、彼女が殴る蹴るをするたびに辺りには衝撃波が広がっていた。


 ただ、ハルの身体には傷一つ着く気配がなかった。


 そして、ハルは意識が無い彼女をいいことに自分の思っていたことを吐露した。


「これから俺が独りになったときに、ウルメアだったら一緒に着いて来てくれるんじゃないかなって思っちゃったんだ…」


 暴れる彼女に真面目に告げる。

 空中から落下しながら、それに相手の首を掴んでする会話ではなかったが、ハルはここまで自分のために狂ってしまえる彼女ならば、この先に待っているであろう避けられない孤独に彼女を巻き込んでしまってもいいのでは?と邪心を抱いていた。


「ウルメアはもうここにはいられないでしょ?だから、俺の孤独を埋めて欲しいんだ。どうかな?悪くない提案でしょ?俺とウルメア、一生二人っきりで残りの人生を過ごすんだ…」


 地面が迫る。

 暴れるウルメアが一端冷静になり、自分の命を守る行動を優先して実行し始める。

 彼女は光のリングを展開し、落下方向とは逆に飛行魔法の推進力を発射させ、激突の衝撃を何とか弱めた。ハルと一緒に地面に着した。

 ただ、それでも地面にハルの足が着くと、首を掴まれていたウルメアは地面に叩きつけられハルに馬乗りされ両腕を押さえつけられ動きを封じられた。


「ウルメアなら俺のために率先して壊れてくれるって思ってるんだけどどうかな?」


 ウルメアが全身に力を入れてハルの力に勝ろうと奮闘するが、掴まれ固定された箇所がびくともしなかった。

 そこでウルメアがとった行動は自分の身体から大量の触手を生成し、ハルにぶつけることだった。


 しかし、ここで決着はついた。


「なんてね、半分冗談だよ…」


 ハルが馬乗りになるのをやめる。そこで逃げ出そうとしたウルメアの腕を引っ張って自分の方に寄せると、彼女の両頬を掴んで頭を固定した。

 ウルメアがそこで再び抵抗しようと動こうとした時だった。

 ハルがウルメアを軽く睨んだ。

 そのときだった。さっきよりも何倍も重苦しい殺気がウルメアの心と身体を包み込む。

 たったそれだけで、ウルメアは再び恐怖に飲み込まれて何もできなくなってしまっていた。

 指先どころか瞬きひとつできない。

 そして、ラグナロクをフルで使用してもなお届かないハルのこの圧は、ウルメアを正気に戻しつつあった。


 青く白く発光する瞳孔も止むと、ハルも圧を飛ばすのをやめて呟いた。


「やっぱり、俺には君を殺すことはできない…」


「ハル?」


「ウルメアが今までしてきたことは許されないことが多いのかもしれないけど…その罪は俺が全部引き受けるから、ウルメアは全部忘れてこれからは自由に生きて行って欲しい…これは俺の勝手なわがままだ…」


「えっと、私負けたのかな…?」


 状況を把握しきれていないウルメアが困惑していた。

 そこに哀れみと罪悪感がこもった笑みを浮かべたハルが、容赦なく彼女に呪いをかける。

 それは恐ろしい呪いだった。

 愛という名の恐ろしい呪い。


「君はこれからは俺じゃなくて、他の人たちを愛して助けてあげるんだ」


「え、それは、無理ですけど…」


 きょとんとした顔の彼女が当たり前のように否定する。


「じゃあ、俺のためにみんなを愛してあげる、これでどう?」


 両手で掴んでいたウルメアの頬から手を離し、彼女を抱き寄せると耳元で優しく囁いた。


「それで約束してくれる?」


「それならできます!ハルのためなら私、どんなことでもします!約束します!!」


 彼女が無邪気に笑う。


「お願いね」


 ウルメアの笑顔を見ながらハルも最後に優しい笑顔を見せた。


 二人が互いに笑顔を交わしたのと同時だった。


 ウルメアが、ウルメア・ナーガード・シフィアムとしての時間は終わりを告げた。


 ラグナロクをもってすら対等に抵抗できない理不尽なハルの殺意がウルメアを包み込む。


 途切れ行く意識の中、ウルメアが最後に見たのは、神々しくも愛らしい青年の悲しみに暮れた泣き顔だけだった。


『どうしてあなたが泣くの?』


 目が閉じる。


「さようなら、ウルメア、またどこかで会おう…」


 最後に聞きたかった言葉が聞けてウルメアは安心した。


『うん、さよなら、ハル、また今度ね』


 ウルメアの意識はそこで途切れた。



 その日の正午、レゾフロン大陸にあるシフィアム王国エンド・ドラーナから一瞬発せられた尋常ではない殺気は、この大陸中の強者たちの背筋に悪寒を走らせた。


 誰もがその日、自分の身を護るために武器を肌身離さず持って、これから訪れる不吉な未来を予感した。


 野生の動物たちが一斉にその恐怖が振りまかれた場所から遠ざかる様に群れをなして逃げ出す。


 今日が世界の終りでもなんら不思議ではないと誰もが深層心理で思ってしまうほどに、一瞬この世界に顕現した殺気は、生きとし生ける生命に恐怖を与えた。



 ただ、ハルだけがその恐怖の中心で悲しみの涙を流し続け泣いていた。



 ***



 王城ゼツランを囲んでいた巨大な触手の壁が、ウルメアからの魔力の供給がなくなったため、小さな触手たちが壁から剥がれ落ちてはほつれ、朽ち始めた。

 その後、その小さな触手たちは青い輝きを放ちながら空中に霧散していった。


 晴れ晴れとした晩夏近づく正午の空。

 シフィアム王国、王都エンド・ドラーナには、青い光の粒が降り注いだ。

 そんな中、ハルはひとり倒れているこの事件の元凶であったひとりの少女を抱きかかえていた。


 彼女の寝顔を覗き込むと、すやすやと眠る彼女は静かな寝息を立てていた。


「次に君が目覚めた時には、もう何も奪わなくてもいい場所を用意するから…」


 零れ落ちる涙には、どうしてこんなことになったのか?どうして未然に防げなかったのか?どこまでも無力な自分への絶望が含まれていた。


 大粒の涙が何度もウルメアの頬に落ちる。


「大丈夫、ひとりにはしないから、安心して眠りな」


 ハルはそのまま抱きかかえた彼女を連れて、シフィアム王国の王都エンド・ドラーナから姿を消した。


 罪を重ねた女の子と共犯者となったハルは、この日、完全に自分が英雄であることをやめた。

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