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竜舞う国 お姫様と騎士

 扉を開けばそこには王座がある広間があった。

 この広間にあったガラス張りの壁は全て粉々に割れており、王座まで続く巨大な柱も何本か砕かれていた。

 最初にこの王座の間に入ったときに見た絢爛豪華だったその広間の出で立ちも、今では破壊の限り尽くされた廃墟同然の光景が広がっていた。


 ハルは、ズタズタになった王座まで続く赤い絨毯の上を歩いていく。

 割れたガラス張りの壁から差し込む心地の良い日差しを浴びながらゆっくりと、奥にある王座に向かって進んで行った。


 王座の手前まで来るとそこにはひとりの人間が玉座に座っていた。


 その人間は見た目からでは何族か?はたまた人間なのかすら分からなかった。

 顔は鱗状の触手のような者で包まれており、背中からはその鱗状の触手が無数に伸びて王座の周りを生き物のように這っていた。


 王座の前に立つ。本来は跪いて頭を垂れなければならない場所だったが、座っているのは見たこともない怪物でその必要はないと判断する。


「あんたがこの一連の騒動を引き起こした首謀者か?」


 ハルがそう問いかけると、その触手の人間は眠っていたのかどうなのか表情が見えないため分からないが、辺りをきょろきょろと見渡して自分の状況を確認していた。


 そして、ハルの存在に気づくとその鱗の人間はさらに酷く動揺した面持ちで慌てていた。


「もう一度聞く、あんたがこの事件を引き起こしたのか?」


「…あ、えっと、はい、そうです…」


 やけに素直な女性の声が返ってきた。

 すんなりと鱗の彼女が、自分がこの王都を襲撃したと認めることに、ハルは軽い違和感を抱いた。

 その違和感が何なのかハルはまだ分からなかったが、そんなことよりなぜこのような国家転覆まがいのことを引き起こしたのか理由を尋ねずにはいられなかった。


「どうしてこんなことをした?」


 冷徹な声が午後の優しい陽だまりの中に響く。


「こんなことってなんのことですか?」


 とぼける彼女にハルは冷静さを務める。ここで逆上しては相手にペースを掴まれてしまう。


「多くの人たちを犠牲にしたことだよ、わかるだろ、なんでこんな大勢の人たちを巻き込んだ?」


「それはあなたの足止めに必要だったからです。目的のためなら私はどんな犠牲も出す酷い女なんです。昔からそうでした…フフッ、私って最低ですね……」


 彼女は笑っているのだろうが、表情が見えないため、その笑みに含まれた意味を読み取ることは難しかった。


「…じゃあ、何が目的だ?ここまでの犠牲を払ってあんたは何を手に入れた?」


 そうハルが問いかけたが、だいたいの筋書きは見えていた。

 彼女が王座に座っていることが何よりもの根拠なのだが、彼女はその王座に座るだけの権力が欲しかったのだろうと想像は容易かった。

 ここまでの国家転覆を謀った者が望むことなど、むしろそれ以外考え付かないのが普通だ。


「それは………」


 彼女がこちらを一瞥し、答えずらそうに身悶えていた。その姿はどこにでもいる少女が恋に悩むようなそんな仕草だった。

 それでもハルが彼女に抱く冷徹さは何一つ変わらなかった。


「えっとですね…実は………」


 そこでいつまでも答えあぐねている彼女に、ハルはひとつ答えを示した。


「結局、あんた自身が王になりたかったんだろ?」


「え?」


 王様が奴隷に刺され新しい秩序が樹立するように、王座に座る彼女は革命を起こしたのだ。

 何者でもない彼女が、今、王座に座り王様の真似事をしている。

 彼女は王族にでもなった気分なのだろう。

 大切に紡いできた王族たちの思いも知らず、その汚れた足で神聖な場所を踏み荒らしていた。

 許されないことだ。


「多くの王たちがそこ座ってこの国の人々の幸せを願って来たんだ。自分の欲を優先して犠牲者を出してそこに座ってもあんたは王にはなれない。そこに座るに相応しい人はあんたみたいな人なんかじゃない」


 そこにはサラマン王やヒュラ王妃が、そして、将来ウルメアやキラメアが座る場所なのだ。見ず知らずの者が我が物顔で座っていい場所ではないのだ。


「あぁ、はい、そうだと思います」


 ただ、そこで返ってきた彼女の言葉は素直なものだった。


「ここに座るに相応しい人はきっと私なんかじゃないと思います…ハルの言う通りですよ、私はここに座るべきじゃない……」


 彼女は王座をさすりながら静かに呟いていた。どこか悲しんでいるような雰囲気を醸し出していたが、表情も見えないため、今彼女がどのような感情を抱いているのかは不明だった。


「だけど、私はこんな王座より…」


 ただ、そこでひとつだけ引っかかることがあったため彼女の言葉に割って入った。


「…ちょっと待て、あんたなんで俺の名前知ってるんだ?」


「………」


 名乗ってもいないのに相手が自分の名前を知っているのは別に不思議なことじゃなかった。ハルの名は大陸中に轟いている。顔だって何度も公にさらけ出していた。見ず知らずの彼女だが、ビナのようにハルが知らないうちから一方的に知っていてもなんら不思議ではなかった。

 けれど、問題はそこではなかった。


「それに、その喋り方……」


 ハルは聞いたこともない声の彼女に、どこか親しさを感じ取ってしまっていた。

 自分と喋り慣れているような、話したことがあるような、そんな近しさや既視感が先ほどから感覚としてハルの中にあった。

 今目の前にいる鱗の彼女は、ハルの知っている人かもしれないという疑惑があった。

 それが原因でハルも思うように怒りが湧いてこないのが現状だった。

 彼女の親しさは、不気味さを持って先ほどからハルを息苦しくもしていた。

 先ほどから感じていた違和感の正体がジワリと姿を現す。


「ねぇ、ハル、もし、私たちがもっと別の出会い方をしていたらこんなことにはならなかったのかな?」


 ゆっくりと鱗の彼女が、王座から立ち上がった。


「別の出会いってどういうことだ…今、俺はあんたと出会ったばっかだ…」


 息を呑んだハルが無意識にその場から一歩後ずさる。

 何か嫌な予感がした。

 合わさってはいけないピースが勝手に埋まるような。


「ううん、違う、私たちはもう出会ってるよ、ここじゃなくて、レイド王国のあのお城で…」


 鱗の彼女が短い階段をゆっくりと下ってハルに近づいてくる。


「う、嘘だ…だって、それは、ありえない……」


 ざわめていたハルの心はこの時点で壊れかかっていた。考えたくはなかった。

 自分の身内が、知り合いがこんな惨劇を引き起こしたという事実に耐えられなかった。


 ハルがさらに数歩下がる。


「私は、竜に乗ってやってきた。先に行ってしまった妹を追って」


「嫌だ…やめてくれ…それ以上はもう何も言わないでくれ……」


 怯え切ったハルの目に、鱗状の顔の彼女が映る。ただ、その鱗の奥に彼女の本当の顔を想像してしまうと、ハルは過呼吸になるほどの勢いで荒く呼吸していた。


「ハル、私ね、あなたに会ったとき初めて恋ってものを知ったの…あなたの青い瞳を見てあの物語に出て来る彼が現実に来てくれたんだって思ったの…」


「やめてくれ、こっちに来ないでくれ…」


 両手で顔を覆うハルは身体を震わせ俯いた。


「この短い間で私はたくさんの幸せをあなたから受け取ったの…」


 鱗の彼女がハルの前に来ると、そっと顔を塞いでいた手を触手で優しくどけて、彼女の両手で頬に触れられ軽く持ち上げられ、顔を上げさせられた。


「私はやっぱりあなたのことが諦められなかった…」


 ハル目の前には鱗状の触手に巻き付かれた顔があった。

 何が起こるのか分かったハルは恐ろしくて声も出せずに絶望することしかできなかった。


「あなたのことが好きなの…」


 ゆっくりと鱗状の触手が彼女の顔から解けていく。


「愛してるの」


 解けた触手から艶のある緑色の長髪が現れなびく。

 ハルと同じ綺麗な青い双眼が顕現し光を浴びる。

 大人びた微笑は、誰もが甘えたくなるような母性を伴っていた。


 そこにはシフィアム王国の王家の人間がいた。

 そこには優しく頼もしいキラメア王女のお姉さんがいた。


 この国の第一王女のウルメア・ナーガード・シフィアムが、そこにはいた。


 この場に絶対に居てはいけない彼女が立っていた。


「なんで、そんなのありえない…だって、まだ全然、何も俺たち、だって!」


 ハルは動揺を隠せなかった。

 どうすればいいのか分からなかった。

 この状況の彼女をどうにかしなくてはと必死に焦るが、なすすべがない、解決策が見えてこない。

 後悔だけが募り続ける。


「知り合ったばかりだ…」


 力なくそう呟く。


「そうだよね、ハルはそう思ってたんだ。うん、そっか、そっか、だから、私やキラちゃんが好意を寄せてもなびかないわけだ。まあ、当然だし、その通りだよね」


 ウルメアの目は据わっていた。けれど口元だけは優しく笑っていた。その矛盾が彼女の感情を不透明にする。


「これからだっただろ…これからいくらでも俺たちは仲良くなれた。大切な人でいられた…」


「いられたってことは、じゃあ、もう今は私のこと大切じゃないんだ…」


 寂しそうな顔をしたウルメアが、ハルの頬からそっと手を引いた。


「ち、違う、大切だよ…ウルメアだって今も俺の大切な…」


 ハルがそう彼女を追い求めるように手を伸ばすが、彼女は冷たくそっぽを向いた。


「いいよ、その答えは前にハルが私を振ってくれて出たからさ、私はハルにとっての一番にはなれないってことは分かってるよ」


 諦めがついたようにウルメアはそう口にするが、そこで一歩ハルの傍に寄って彼女は続けた。


「でも、私にとってはずっと昔から…うん、そう…ずっと前から私の一番だった…」


「………」


 言葉が見つからなかった。それ以前に頭の中がもうグチャグチャでハルはまともな思考ができずにいた。


 ウルメアの触手がどんどん彼女の中に入り込んでいき、いつものウルメアの姿に戻っていく、余計にハルは彼女を悪人だと見ることができなくなっていく。


「ハルは私と結ばれるはずだったのに、ちょっと残念だったなぁ…」


 ウルメアが寂しそうにそう呟いた。


「い、今からでも遅くな…い…」


「え!?」


 ハルの呼吸は酷く乱れ、顔色も悪かった。そして、自分でも何を言っているのか分かっていなかった。それくらい、ウルメアがここにいてしまったのがショックで、気が動転していた。


「本当に、ハルは私のこと愛してくれるの!?」


 そこでウルメアの表情がパッと明るくなり、本当に心の底から笑顔になった。ただ、それと同時にハルの顔は絶望の色に染まっていた。

 自分の身内になればこの罪が消えるか?彼女はどうすれば救えるか?それだけを今のハルは一生懸命に考えていた。

 彼女が幸せになることを、元の場所に変えれることを考えていた。


 だけど、彼女にその気は一切なかった。


「じゃあさ、愛する私のために、ライキルたちを一緒に殺しにいこう?」


 そこで、ハルの善人かどうかを判断する許容範囲を超えてしまったウルメアの言動で、ハルの心は崩壊してしまった。


「い、嫌だ、それはできない…」


「え、なんで、他の人なんていらないよね?だって、私たち永遠の愛を誓い合った仲でしょ?」


「誓ってない」


「誓ったよ、だって私に誓いのキスまでしてくれたじゃん」


「してないよ」


 ハルの記憶の中にそんな出来事は一切なかった。


「ねえ、ハルは私のことどう思ってるの?」


「俺は、ウルメアを救いたい…じゃないとだってウルメアが……」


 世界中の敵になってしまう。居場所を追われ、捕まれば最後、ここまでしてしまった彼女を待っているのは死のみだった。


「そうやって最後まで寄り添ってくれようとしてくれるんだ…なんか嬉しい…フフッ」


 ウルメアがハルを思いっきり抱きしめるが、ハルはその場に固まったままだった。


「でも、このままじゃ、ハルが可哀想だよね…」


 ウルメアの背中から無数の鱗の触手が伸びていく。


「明確な選択肢をあげるから、選んで欲しいな」


 そう言うと、ウルメアの背中から伸びる触手が勢いよく辺りに広がった。

 王座の間が緑色の海に満たされる。


 深い、蠢く緑色の海の上で、お姫様に騎士は抱きしめられている。


「私か、他の人たちのどっちを選ぶかさ…」


 ウルメアがハルの胸にべったりと抱きつきながらそう呟く、そして、彼女がゆっくりと人差し指を上に上げた時だった。


 地響きが王城ゼツランを包み、城全体が大きく揺れ始めた。


 王城の敷地を取り囲んでいた大穴の〈円環〉その奥底から巨大な緑色の鱗状の触手が伸び始めるのをハルは王城の割れた窓ガラスから目撃した。


 王城全体が影に隠れてしまうほどその触手は天高くまで伸びた。


 王城ゼツランと他の十二の街の間にあった大穴を埋め尽くすように巨大な触手は伸びて行き完全にその城と街を断絶してしまった。


「シフィアム王国の切り札は凄いな、まだまだ力が溢れてくる…これなら、もっと触手を伸ばせるかも、ただ、ちょっと痛いなこれ…」


 気が付けばウルメアの口から一筋の血が流れていた。


「…だ…ダメだ……ダメだよウルメア…これ以上はもう…」


 そこで絶望に染まった瞳のハルが、触手を伸ばしたウルメアがどこにもいかないように抱きしめ返した。

 するとそのハルの意外な行動にウルメアは嬉しさのあまり言葉を失っていた。


「もしかして、私を選んでくれるってことでいいの…?」


 二人の想いはすでにすれ違っていた。

 ハルはウルメアを救いたい、けれどウルメアは罪を重ねてでもハルの愛を奪い取りたい。

 どうしようもなく分かり合えない二人がそこにはいた。

 それにハルの心は折れ切ってしまっていた。

 多くの人たちの死を街中を駆けまわる間に見てきてしまったのだ。

 その原因が彼女であることでさらにハルの絶望は加速していた。


 そして、とどめの一撃のように彼女は、巨大な触手を召喚し、虐殺を続けようとしていた。

 もう、こうなってしまえばハルがウルメアを救うという選択肢は彼女を選び取るだけだった。

 犠牲をこれ以上増やすわけにはいかなかった。


「俺は、ウルメアを…」


 そこでハルが犠牲を覚悟で言葉を紡ごうとした時だった。



 王座の間の割れた窓ガラスから入って来た銀色の物体が突如として、ハルの元からウルメアだけを正確に蹴り飛ばした。


「さあ、早く乗って!」


 生気を失った目でハルが銀竜の上から差し出される手を見つめた。


 さらにそこから視点をあげると、そこにはシフィアム王国の第一王女キラメア・ナーガード・シフィアムの姿があった。


 その手を取ってしまってもいいのか悩んだ。この状況でウルメアを一人にしたくなかった。


「急いでここから逃げるよ!!」


 キラメアに腕を掴まれるとそのままハルは銀竜の背に乗せられた。


 銀竜がハルを連れて王座の間から離脱する。


 起き上がったウルメアが逃がすまいと銀竜に触手を絡みつかせようとするが、銀竜の翼の羽ばたきが斬撃となって周囲の触手たちを薙ぎ払うと、王座の間から飛び去って行った。


「………」


 残されたウルメアは、自分を抱きしめながら小刻みに震えていた。


「私からハルを奪うなら、キラちゃんにだって容赦はしないのに…」


 ドロドロした重い泥のような感情を引きずって、王座の間の窓際まで移動し、ハルを連れて飛び去って行く銀竜をウルメアは見つめた。


「なんでみんな私を一人にするのかな…」


 午後の晴れ晴れとした中吹く風に煽られ、独りぼっちのお姫様の緑の髪を揺らす。


「許せない…」


 ウルメアの背中から触手が伸びては彼女の身体全体を覆っていく、王座の間に広がっていた緑の海となっていた触手を全て吸収し、次から次へと身体に纏っていく、次第に彼女の身体は大きく鱗状の巨人となって王座の間に君臨していた。


「もう、全部終わらせよう…」


 諦めたように呟く彼女の表情はもう鱗の触手に覆われて見えはしなかった。


 緑の巨人となったウルメアが、王座の間の割れたガラス張りの壁から飛び出していく。


 全ての決着をつけるために。

 

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