竜舞う国 獣化
「あの誰か助けてください、酷いケガをしてるんです!」
ビナがエウスとライキルを担いで王城ゼツランの軍事施設の医務室に到着するとそこは多くのケガ人で溢れていた。
「あの誰か…」
そこには白魔導士たちがいたが忙しなくケガ人たちの治療にあたっており誰一人として手の空いている者はいないようだった。
「すみません、ここはケガ人でいっぱいなので隣の鍛錬の間にお願いします」
治療中の白魔導士がビナに声を掛ける。
「わ、分かりました」
ビナは急いで隣の鍛錬の間にエウスとライキルを運んだ。
鍛錬の間では医務室より白魔導士の数が少なく、患者の数が多かった。
「だ誰か二人を助けてください!」
鍛錬の間についたビナが白魔導士たちに呼びかけるが彼らは治療に集中しており掛け合ってはもらえなかった。
『どうしよう二人が死んじゃう…』
護衛の銀翼の騎士たちとはビナが医務室に着くと別れて、城内で反乱を起こしている騎士たちの制圧に向かうため別れていた。
そのため、彼らを仲介に優先して治療してもらうこともできなかったし、他の人たちだって重傷を負っていた。
ただ、それでも、ライキルとエウスだって酷いケガだった。
「誰か!誰か見てくれる人はいませんか!?」
必死に叫ぶが手の空いている者はここにもいなかった。腕の中で少しずつ弱っていく二人を見てビナには嫌な汗が止まらなくなっていた。
『早く、早く、二人を治療しないと…でも、誰に…』
どうしようもできずビナが失意の底に叩きつけられそうになったときだった。
「お嬢さん、大丈夫かい?」
ビナが顔を上げるとそこには紫色の帽子をかぶった小さな少女が立っていた。尖った長い耳をしていることから彼女がエルフだということが分かるが、このシフィアム王国の王城にエルフがいるのは珍しかった。
「何か困っているのかい?」
「えっと…」
「その二人酷いケガのようだね、僕が治してあげようか?」
「で、できるんですか!?」
「できるよ、僕も便利な便利な白魔法が使えるからね」
希望の光が現れ、ビナの表情が明るい輝きを取り戻す。
「じゃあ、お願いしてもいいですか!?」
「いいよ、その代わり、もっと人のいない場所に移動してもいい?」
「はい、大丈夫です。お願いします、二人を助けてください!」
「任せてよ、こう見えても僕すっごい魔女なんだ」
ビナとそのエルフの少女はさらに隣のダンスホールに移動した。
*** *** ****
いつからだろうか?戦うことが好きになったのは、気が付いたら勝ち目もない相手にも戦いを挑むくらいには戦うという行為にのめり込んでは狂っていく自分がいた。
血は好き?
血は嫌いだ。
べとべとして頭からかぶったときは匂いもするし、みんなが怖がって逃げていくからだ。私は愛される人になりたいのだ。
あとそれにハルが血を嫌っている。私が魔獣の返り血で血だらけだと近寄らせてさえくれない。だから、嫌いってのもある。
痛いのは好き?
痛いのは嫌いだ。
我慢はいくらでもできるけどできればずっと痛みの無い世界にいたいと思う。あ、でも、ハルやライキルちゃんやビナちゃん、あと、まあ、エウスなんかのために、私が傷つくならいくらでも痛いのはいいと思ってる。
なんせ私はみんなより頑丈だからな。
死は好き?
死は当然嫌いだ。
みんなに会えなくなるから嫌いだ。
でも、肉を食べるのは好きだ。
だけど、本当に死は嫌いだ。
それより三時のおやつの時間が私は好きだ。みんなで食べる三時のおやつで、たまにエウスの奴が持ってくる美味しい甘いお菓子あれはいい、あれをみんなで食べている時、私は幸せを感じているんだと思う。
あの時間が死から一番遠い時間だから好きだ。
本当にあなたは戦うことが好きなの?
戦うことは好きだ。
生きるために必要なことだ。強くなって相手よりも強くなるそれは何よりも重要なことだ。
だってそうだろ?強くなきゃ、みんな、みんな、自分の大切な人も物も奪われしまうんだから。
みんなにだってあるだろ?大切なものそれを守るために自分が強くなるように日々頑張ってるだろ?それはもちろん、自分自身だって構わないし、誰にだって必ず生きていれば大切なものはあるはずだ。
私は一度その大切な人達を奪われていると思う。
小さかったからあんまりうまく思い出せないんだが、それはきっと家族っていう奴なんだ。
血の繋がった家族ってやつだ。
私が戦うことが好きになったのは、きっと、大切な人たちを守れるようになるためだったんだと今になるとそう思う。
だって、強ければ血の繋がった家族たちが奪われることもなかったはずなんだからな。
どんな脅威からでも力さえあれば大抵のことは怖くなくなって立ち向かえるようになる。
奪われることが無くなる。
会えなくなるのは悲しい、だから戦うのだ。
最後の最後まで奪われないように、大切な人たちを守れるように。
髪で隠れた頭の傷の疼きがきっと私をそう強く動かし続けるんだと思うんだ。
***
感覚が研ぎ澄まされる、視野が広がる、二足歩行から四足歩行へ、身体が軽く、瞳に映る景色の移り変わりがいつもよりも何倍も速い。
勝手に加速しだす身体にまだ慣れず、壁や柱に激突する。その破壊音が、王城ゼツランの輪廻の間の広間に響き渡る。
「スマ、俺から離れるな、相手は獣化してる…」
ガルナが駆けまわるその中心には、赤い髪の男と小さな少女がいた。
しかし、意識が闘争だけに染まったガルナにとって今戦っている者たちが誰であろうと構わなかった。
ただひたすらに身体能力だけが向上していくこの身体を暴走させるだけがガルナの役目だった。
二人の周りを飛び回るうちに背後を取ったガルナ、そこから距離を詰め赤い男めがけて拳を振り抜く。
バキリと骨をやすやすと砕く音がした。しかし、それはスマと呼ばれた少女の腕の骨が折れる音だった。
ガルナの動きを目で追えていたのか?それでも攻撃の瞬間はさらに加速され彼女でも反応できないほど速い動きであったためか、自分の身体をさらけだして盾となるしかなかったのだろう。
「スマ…お前…」
「ゼノさん、今です!」
骨をも容易く砕く拳を全力で受け止められたことで、ガルナの動きが一瞬止まり隙が生まれてしまった。
砕ける仲間の腕のかたきと言わんばかりに、背後にいたゼノと呼ばれた赤い髪の男が、赤い雷撃をまとった剣戟でガルナの身体を切り裂いた。
胸から腹部にかけて大量の血が胴体から流れ出す。
致命傷だ。
ガルナはそれでも止まらない。
少女を軽々と掴み上げると、電撃を纏う赤い髪の男に向かって投げつけた。
彼は投げつけられた仲間を包み込むようにキャッチしようとする。
しかし、戦闘狂のガルナが、投げつけただけで攻撃が終るわけがなかった。
「スマ!大丈夫…」
「ゼノさん!!」
スマと呼ばれた少女が赤い髪の男に危機が迫っていることを告げるが、ちょうどその少女と重なっているため接近するガルナを捉えることができなかったのだろう。
少女が男にキャッチされたと同時に、ガルナの鋼のような筋肉質の足が、少女とその男もろとも蹴り飛ばした。
重い一撃が少女の意識を奪う。
獣化によって膨れ上がった筋肉とガルナの元からの見事な筋肉が重なって、その衝撃は後ろにいる赤い髪の男にまでしっかりと伝わっていた。
二人が地面をはずみながら吹き飛んでいく。
柱に激突した赤い髪の男と少女が、二人一緒に崩れるように座り込む。
そこに止まらない闘争の衝動を解放させ続けるガルナが追撃に入る。
「おいおい、マジかよ、こんな化け物だなんてきいてねぇぞ?」
男はやれやれといった様子で、気絶した少女を傍に寝かせ、体勢を立て直した。しかし、相手は背に壁を背負った劣勢状態、ガルナにとって絶好の好機。
「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
勝ちを確信したガルナが笑いながら突っこんでいく。
獣化による骨格の変化により四足歩行での高速移動が可能となるその姿は血に飢えた獣そのものだった。
「獣には躾が必要だな…」
そして、四足歩行からすぐに二足歩行に切り替え全体重を乗せたガルナの渾身の拳が、ただ無防備で構えもせずこちらを見据える男に振るわれる。
「終わりだぁああああ!!!」
叫ぶガルナが赤い髪の男ゼノに拳を振るった。
衝撃と共に柱の粉塵が舞い上がった。
大量の血が噴き出し、ガルナの拳を赤く染めた。
「ハァ…ハァ……」
ガルナは胴体から流れる大量の血を押さえながら息を切らす。
戦闘は終わった。
「みんなのところに行かなくちゃ…」
フラフラの身体でその場を後にしようとした時だった。
「まあ、獣が人間に勝てるわけないよな?」
背後から男の声がした。
ガルナが慌てて振り向くと、そこには殴りつぶしたはずの男が無傷で立っていた。
「理性が飛ぶと何を殴ったかもわからなくなるんじゃないか?」
胴体に受けた傷で感覚が麻痺していたのか拳の感覚は無くなっていた。
ガルナが自分の拳に目をやる。
振るった右手の拳がぐちゃぐちゃに潰れ、さらに赤い小さな電撃が迸っており皮膚と肉を切り刻んだ後があった。
「ガルナさん、あんたは強いよ、俺の仲間が手も足もでなかったようだし、それに一部の獣人族だけが使える獣化なんかも身につけてる」
そう笑顔で語るゼノが、ガルナの腹部に剣を突き立てた。
「ぐっ…」
瀕死の身体にさらなる負荷。
意識が飛びそうになるガルナは必死に深く突き刺されている剣を抜こうとしたが、彼に押さえつけられ、さらにどんどんその剣を押され身体の奥に深々と刺さっていく。
「ただ、どれだけ強くても意味ないよな、負けちまったらさ!」
そして、必死に抵抗するガルナの顔を、赤い雷を纏った拳で殴り地面に叩きつけた。
「それだけ強いと相当人が這いつくばるのを見てきたんだろう、分かるぜ俺もそうだったからよ」
悠然とした態度でゼノが足元に転がっているガルナの頭を踏みつけた。
彼は笑っている。
勝利の美酒を堪能している。
「なあ、どうだった俺の仲間をその自慢の力でねじ伏せた時の気持ちは?さぞ快楽だっただろ?」
そう彼はこちらにダ図寝るが、答えさせる間も与えない勢いで何度も何度も赤い雷を纏った足で踏みつけてきた。
ガルナは身を丸めて耐えしのぐことしかできなかった。
「…ぐ………」
踏みつけて来る足から流れる赤い雷が、ガルナの皮膚を裂く。
そして、幼い頃に負った頭の傷が雷撃によって開いてしまった。
「なあ、あんたも好きなんだろ?人をなぶるこがさ、今まで大勢傷つけてきたんだろ?」
そこで、ゼノの足をガルナが掴む。
「お、なんだ、まだ抵抗する気かい?いいね、すぐに死んだらつまらないからな」
「あなたの言う通りかもしれませんね…」
「ん?」
ゼノはそこで何か違和感を覚えた。
「ですが、私は私の信念を持ってこの力を振るってきました」
ゼノが踏みつけ見下ろすそこには獣ではなく、気高い女性の姿があった。
「あんた…」
「確かに私は人を傷つけてきました…私が強くなるために、たくさんの人と拳や剣を交わしてきました」
「なんだよ、その喋り方…」
「だけど一度だって人を殺めたことはありません…それは私の信条に反することですから…」
肩で息をしながら必死にゼノを睨みつけるガルナ。そこには瀕死な身体を抱えているのにも関わらず力強い目があった。
「ガルナ、あんたいいな、なぶりがいがあるいい女だよ、俺の好みな感じだ。ただあれだ、今回は趣味でなぶってるわけじゃないから、もう、死んでもらうからな…すまん」
「フフッ、あなたって本当に愚かですね………」
ガルナが吐き捨てるように言い放つと、ゼノは悲しそうに笑って、首を切り落すための短剣を取り出した。
そして、ガルナの身体が限界を迎えようとしていた。いくら獣人族の生命力がそこらの人族より頑丈でも流した血の量がすでに致死量に達しようとしていたのだ。
「もう、遅いですよ…」
「お前の悲鳴をもっと聞いていたかった…残念だ…」
ガルナの首に短剣を突き立てようとした時にはもう、ゼノの視界からガルナの姿が消えていた。
「…はぁ?」
輪廻の間に静寂が訪れる。
ゼノが辺りを見渡した時には、倒れた白炎のみんなの姿も消えていた。傍で倒れていたスマの姿も消えていた。
「なんだ、何が起こった?」
ゼノは突然のことにしばらく混乱してその場で必死に今起こっていたことを把握しようとしていた。
「………」
『俺以外の人間が消えちまった…何が起こってる?』
しかし、ゼノが必死に考えている間に、向こうから疑問の答えが現れてしまう。
「で、あんた覚悟はできてるんだろうな?」
気が付けばひとりの青年がゼノ前に立っていた。
青い髪に青い瞳のどこにでもいそうな好青年が静かな憤怒を纏っていた。
「ハル・シアード・レイ…」
絶対的な強者がそこにはいた。