竜舞う国 弱い自分とみんな
広い空間に高い天井、巨大な柱が連なる〈輪廻の間〉。
煌びやかな装飾がほどこされた立派だった通路は、次々と破壊されては炎上し崩れ去っていた。
「なんで…」
ライキルの手は震えていた。それは怒りでだった。
もし、ここで死んでしまったら一生ハルに会えないと思うと自分たちの命を狙って来ている相手が憎くてしょうがなかった。
溢れそうになる自分の中に眠る純粋な憎悪が、人として終わってしまいそうなところまで自分を連れて行きそうになる。
まだ、あの日の出来事が許せず、世界を恨んでいた頃の自分にまで成り下がりそうになる。
自分の大切な世界が壊れていく音がする。
突っ立っていたライキルの前に大火が迫る。それは敵が放ったであろう炎の塊だった。
「本当に私たちを殺す気なんだ…」
ライキルの手のひらに水の球体が現れ、それを握りつぶすと、大量の水が一気に溢れ水のドームを創り出した。
これは一般魔法である水魔法でも初歩の中の初歩で、同じく初歩の初歩である炎魔法を防ぐ水の防壁だった。
その水の壁を白炎のひとりの女の子が突破してくる。
その女の子は水色の髪をなびかせて、子供かと思わせるほど低い背に小柄な体型、そして、拳にはガントレットをはめており、水魔法を展開したライキルに向かって拳を振るおうとしていた。
『ああ、なんだお前…?そんな必死になって私たちを殺したいのか?』
ライキルはいっそのことその拳を受け入れてしまおうかと狂った考えも浮かんだが、背後にいたビナがそれを阻止するように動いた。
ビナの小さな身体がライキルの前で跳ねると、飛びかかって来た女の子の顎を蹴り上げていた。
そうやって空中に打ち上げられて胴体ががら空きになった少女の腹部にライキルの全力の拳がめり込む。
ライキルの磨き抜かれた筋肉の身体、その体重が乗った拳が、容赦なく少女を着た場所へと返り討ちにする。
そうやって、吹き飛んだ少女は、さきほど、ビナに蹴りを入れられたオレンジの髪ですらっとした女性にキャッチされていた。
ただ、驚くことにその少女はあっちの仲間たちに心配されていたが、すぐに立ちあがって来た。
「彼女、ドワーフかもしれません」
ビナが敵から目をそらさないままそう言った。
ライキルもそんな予感がしていた。殴った感覚から異様に固く頑丈な腹筋に触れた感触があった。
ライキルの拳も痛んでいた。
「そうね、それより、ビナ助けてくれてありがとう」
「いえいえ、それが私がここにいる理由でもあるんですから、皆さんをお守りする志願兵として最初に仲間に入れてもらったんですから」
「…そっか、そうだったね」
今、思えば、ビナは志願兵だった。ハル、率いる新人騎士たちの集まりの見守り役のような立ち位置で、ライラの精鋭騎士。
ライキルやエウスよりもずっと優秀で頼りになる騎士で、それでもみんなの妹のように可愛い女子。
なんだか彼女も自分たちと子供の頃からずっと一緒に居るような気がしていた。本当は全然違うのだが、道場にいた頃から一緒にみんなで育ってきたような、そう思ってしまうくらい彼女との間には深い絆が育まれていたのかもしれない。
「お前ら、絶対に許さねぇ…スマをこんなにして…」
相手も仲間を傷つけられたため怒り心頭で、だいぶ気が荒れているようだった。
「だったら、あなたたちがここで引いてくれてもいいんですけど?」
こちらを睨んでいる彼らに、そう告げてみるが当然聞く耳を持ってくれなかった。
「はぁ、それはありえないだろ?」
「そもそもなんで私たちを狙うんですか?」
「白炎を絶やさず燃やすため、お前たちはその薪として選ばれた。よく燃えてもらうただそれだけなの、だから早く死んでくださらない?」
「随分、身勝手なんですね」
恐ろしく冷徹な声がライキルの口から発せられた。
「あんただってそうだろ?」
「何がですか?」
「どうやって、英雄様みたいな男を落とした?あんたみたいな女が手の届く領域の男じゃないでしょ?ハルって男はさ…あ、それともあれか、やっぱり、その無駄に豊満な身体を使って無理やり落としたのか?」
聞き捨てならない言葉が女の口から次々と飛び出してくる。
「嫌だ、嫌だ、そうやって彼にたかろうってわけだ?英雄様の懐に入って何も持っていなかった意地汚い小娘が金も権力も手に入れて好き放題しようってわけか…クズが」
なんだか勝手に彼女に決めつけられてそう話が進んでいたが、ハルが英雄になったのはライキルたちからしたら本の数年前とつい最近だ。
ハルは、昔からライキルの中で変わってしまったことはなかった。
子供っぽいところはあるし、目を離すとすぐに可愛い女の子に絡まれて、エウスとバカやって、とっても優しくて、大勢の人たちを大切に思っていて、それでもその中で、ライキル・ストライクを選んでくれて…。
彼は何も変わっていなかった。
どちらかというと、彼のために変わっていったのは自分たちだった。
彼に影響を受けて、生き方を物の見方を愛を何もかもを与えてくれた。
「はぁ?ライキルは、俺と同じで昔からハルと一緒に…!」
我慢ならなくなったのか、エウスが珍しく怒気を含んだ声をあげてくれていた。
だから、こそ、ライキルは彼を止めた。
「ライキル、止めんなよ、こればっかりは俺も頭に来たぜ?」
「いいんですよ、分からない人たちには勘違いさせてあげておきましょうよ」
知らなくていい、自分たちの大切な思い出や軌跡を彼らのような人間に教えたくなかった。本当に大切なことは自分の大切な人達とだけ共有できればいい。
「クズで結構です、私は誰に何を言われようとハルを愛しています。好きに妄想してください、なんだったら身体で落としましたし、純粋に恋もしました。たくさんの愛情だってもらってますし、私は彼の傍に居られたことでとても満足しています」
ライキルは笑顔で言った。
「あなたはどうなんですか?」
その問いかけには答えず、彼女が襲いかかって来た。戦闘再開、ライキルも彼女のことなんてどうでもよく答えを聞く気なんてさらさらなかった。
『どうでもいい、どうでもいいけど、ここは生き残らなきゃ…こんな奴らに殺されてハルに会えなくなったら私、彼のお嫁さん失格だな…』
ライキルがちらりとガルナを方を見ると、すでに彼女が戦っていた白炎の女の方は地面に倒れており、巨体の竜人の方も全身血まみれだった。
ガルナもいくらか流血していたが、男の方に比べると些細な量だった。
それに、巨体の男の方のケガは全て打撃による出血で、彼女が手加減をしていることが分かった。命の取り合いだというのに大剣を使っての攻撃はしていなかった。彼女も人は殺したくはないのだろう。
その分ガルナの戦闘の激しさは荒々しく、隙を与えない体術の連打が巨体の男に浴びせ続けられていた。
『強いっていいな…』
距離を詰めてくる影があった。
「はあああああああああ!!」
よそ見をしたと思われたのだろう、冷静さを失っていたオレンジ髪の女が剣を振るってきた。
ライキルが自分の剣で彼女の勢いを受け止めた。
ギィンと鋼がぶつかり合う音がして、後は力比べであった。
こすれ合う剣を相手に押し付け合う。
「………」
二人が剣越しに相手の顔を睨みつける。
「スマ、お願い!」
鍔迫り合いの最中そう彼女が叫ぶと、先ほどの子供のような水色の髪女の子が距離を詰めて来た。
「ビナ!」
スマと呼ばれたドワーフかもしれない危険を秘めた女の子に、ライキルはビナをぶつけた。
ライキルを殴り飛ばそうとするのを、ビナが飛び蹴りを合わせて阻止する。
「クソ、さっきから、邪魔なんだよ!」
スマが先ほどからずっとビナに遮られることにいら立っていた。
「よく吠えますね、子犬ですか?」
「お前もだろ!!」
ビナの挑発に乗ってしまうスマ。
彼女の攻撃が大雑把になっていく。
そこで生まれた隙に付け込み、さらにスマを蹴りで吹き飛ばした。ビナはそのまま彼女を仕留めるために追撃のため追いかけていった。
「ギリユ、あれして!」
そこでさらにオレンジの髪の女が後ろにいた、ギリユと呼ばれた男に声を掛けると、彼女の背に水の壁が出現した。
オレンジの髪の女が鍔迫り合いを打ち切って、その水の柱の中に息を止めて入っていった。
「なに?」
ライキルはその理解できない彼女たちの行動に疑問を抱きつつもしっかり剣だけは構えていた。
しかし、ライキルは襟首を後ろに引っ張られるとエウスがすぐに前に出てきた。
「ん!?」
「ライキル突っ立てると死ぬぞ」
それだけエウスが言うと、彼は水のドームを二人が入るように張って包み込んだ。
直後、広間の空間いっぱいに広がった炎が、エウスとライキルを包み込んだ。
「後ろの男はおそらく魔導士系だ、注意しろ」
「わかった、ありがとう」
あのまま突っ立っていたら、黒焦げになるところだった。
オレンジ髪の女もあの炎から身を守るために水の柱の中に身を潜めていたのだ。
「この後どう動く?」
「ビナが、あのドワーフの小娘を引き付けてくれたから、ここは俺とライキルで乗り越えるしかない…あの女の剣どうだ?お前ひとりで崩せそうか?」
エウスはオレンジ髪の女のことを言っていた。
「多分、無理、剣を合わせてみたけど、ぎりぎり相手の方が技量は上だと思う…」
力では勝っていたが技量では相手が上回っており、受けることはできてもライキルは反撃に出ることはできないのが、先ほどぶつかり合って分かった剣の感覚だった。
『悔しいけど、これは本番なんだ…』
ここで無理に強気に出て、死んでもなんの意味もなかった。
「よしだったら、俺が前に出る後方支援を頼む!」
「わかった」
ライキルの目の前では、エウスが今も続く大火の勢いを流水のドームで相殺し続けていた。
「エウス…」
「なんだ?」
「気を付けてね、一応エウスもハルの大切な人なんだから死なないでよ?」
そこでエウスは水魔法を発動させながら小さく笑った。
「なんで一応なんだよ!」
辺りを取り囲んでいた炎の嵐が治まると、エウスの水のドームが解けていった。
だが、そこで二人は周囲の視界が大量の水蒸気で塞がれていることに気づいた。
「ライキル、警戒しろ」
「うん」
二人は背中合わせで前後を警戒して水蒸気のもやが晴れるのを待った。
そこにライキルの前に、もやの中から迫る影があった。
「エウス、後ろです!」
ライキルが剣をそのもやの中の影に合わせると、剣と剣がぶつかり合う音がした。
「待ってください、ライキルさんですよね?」
しかし、敵だと思った影はさっきまで一緒にいた銀翼の騎士だった。
「あなたは銀翼の…」
ライキルの全力の剣を片手で防ぐ精鋭騎士がそこにはいた。
「そうです、さっきエウスさんの指示で後ろを護衛していた者です…」
「え、待ってください、酷いケガ!?早く治療しないと!」
カルラの部下である銀翼と呼ばれる部隊のその騎士は、左腕から大量の血を流していた。
「先ほど一緒にいた銀翼の騎士に切りつけられました。傷は浅いので大丈夫なのですが、注意してください、銀翼の騎士に裏切り者が紛れ込んでいます」
「おい、ちょっと待て、どういうことだ?」
エウスも周囲を警戒しながら、二人の会話に参加する。
「先ほど一緒に背後を守っていた騎士は私が殺しました…後ろに死体があります…確認してください」
事態は想像を超えて危険な方向に進んでいた。
「分かりました。それより、まずあなたは、安全な場所で傷を癒し…」
その時だった。
エウスとライキルの前で、その銀翼の騎士の胸から、剣が突き出た。
「グッ…!?」
銀翼の騎士の背後には誰かいた。
視界を狭めていたもやが晴れると、その背後の人間が誰か明らかになった。
「あれ、あなた誰ですか?エウスさんじゃないですね?まさかこの私が狙いを外しましたか?」
先ほどオレンジ髪の女の後で後方支援を担当していたギリユという男がそこにはいた。
彼は、銀翼の騎士の胸から剣を引き抜くと、そこらへんに転がした。
大量の血が溢れだし、一瞬で銀翼の騎士の周りに血だまりを作った。
彼はそこで絶命した。
「オマエェェェ!!」
人が殺されたことがあまりにもショックでライキルは怒りのままに剣を振るった。
「よせ、ライキル!」
エウスが止めに入るがライキルは冷静さを欠いていた。人が死んだのだ、冷静でいられるはずがない。そんな非日常この目で見る機会はあまりにも少ない。
そう、所詮光の中で生きる者たちにとって、人の死は非日常だった。
ギリユはそんな哀れな小娘を見下しながら、不気味に優しく微笑んでいた。
「お嬢さんは人が死ぬところを見たことが無いんですか?酷い慌てようだ…」
何としてでもこのような男を野放しにしてはいけないと思ってしまった。
『私がもっと強ければ、彼は死ななくて済んだ…クソ…』
「クソがああああ!」
ライキルが剣を振りかざし、襲いかかる。
「待て、ライキル!そいつは魔導士じゃない!」
ギリユの手には、銀翼の騎士を刺した剣が握られていたが、彼はそれを捨てた。
「さっきのスマさんに体術を教えたのは私です」
ライキルの視界からギリユが一瞬で消える。
「ハッ!?」
足が地面についている感覚がなくなり、自分の身体が宙に浮いていることに気づいた時には、蹴り上げられていた。
「がッ…」
息が止まり、思考が停止する。
地面に叩き落ちた後、ライキルは二度目の衝撃で再び呼吸が止まった。
だが、休んでいる暇はなかった。
ライキルの顔面を潰そうとするギリユの踵落としが迫っていた。
「ライキル!!」
エウスが助けに駆け出すが、背後にいた何者かの存在に気づき、慌てて振り返り剣を構えた。
だが、一手だけ遅く飛び込んで来ていたオレンジ髪の女の剣にかかってしまった。
『クソ、男の方に意識が持ってかれてた…』
腕の表面を斬りつけられ、血が溢れる。気づいたのが速かったため、派手に血が流れている様に見えるが肉をかすっただけでエウスの傷は浅かった。
「なんでバレた!?」
それはエウスの天性魔法が働いたおかげだったが、彼女たちは知る由もない。
そんなことより、エウスはライキルのことの方が心配だった。
「ライキ…ル……」
もう一度、ライキルの方を向いた時には、ギリユの踵が振り下ろされていた。
バキィ、と骨の折れる音が響く。
ライキルは何とか両腕をクロスさせて、顔を守っていたが完全に曲がってはいけない方向に両腕が折れ曲がっていた。
顔を潰され致命傷にならないための最善の防御だったが、あまりにもその折れた両腕の様子はむごかった。
しかし、それでも悲劇は終わらない。
再びギリユが足を高々と上げると、その足を勢いよくライキルの胸に振り下ろしていた。
ライキルは壊れた両腕をクッションにするため、落ちてくる彼の足に合わせて折れた両腕を動かした。
ギリユの力強い足で踏みつけられるライキル。
二度目の踏みつけも何とか両腕を犠牲にすることで、なんをしのいだライキルだったが、そこからは彼の一方的な蹴りと踏みつけの連続だった。
ライキルは身を丸めてその攻撃に耐えるしかなすすべがなかった。
「お前、ライキルから離れろや!!」
エウスが、ライキルを蹴り続けるギリユに向かって駆けつける。
「おっと、邪魔させないよ!」
しかし、背後から迫るオレンジ髪の女が斬りかかってきた。
背中を斬りつけられたエウスはそれでも、止まらずにライキルの救助に向かう。
「マジで、やるじゃん、あんた、ギリユ行ったから頼んだよ!」
エウスが駆け出し接近しても蹴るのをやめないギリユ。
「離れろってのが聞こえねぇのか!?」
怒りがエウスの身を包む。
「別にあなたはもう死んでますから…」
ニッコリと笑ったギリユの手から大量の炎が生み出されるとエウスの前で勢いよく広がった。
エウスの身体が、一気に炎に包まれ、全身を焼き尽くす。
「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
焼き尽くされる身体の激痛にエウスは絶叫する。
「ほら、死んだ」
ギリユが勢いよく燃えるエウスを一瞥した後、足元で転がるライキルを蹴り殺す作業に戻ろうとした。
エウスは死んだそう確信した。身を包んだ炎は生身の人間を苦痛とともに死へと送る。
「まったく、あっけないですね。ああそうだ、この女も早く始末して、ゴべとリップを加勢しなければ…あの獣人は厄介ですからね……」
ただ、そう呟くギリユにさらに接近する者がいた。
「お前が一変死んでこいや…」
「ハッ…!」
炎を纏い焼き尽くされる中、エウスはそれでも握りしめた剣は離さず駆けていた。
「…まずっ……」
ギリユが後退し距離を取ろうとするが、エウスの剣がそれを許さず彼の胴体に深々と突き刺さった。
「グハッ……こ…この…男…バカか……」
「そうだよ…俺は策士でもなんでもねぇ、ただのバカだ……引っかかったな!この間抜け!」
エウスはそのまま剣を深々と突き立てたギリユを蹴り飛ばし、ライキルから離れさせた。
そして、慌てて水魔法で全身に水を被せ、燃え盛る身体を冷却した。
『待ってやばいな…高温だった上にあぶられた時間が長かった…全身に力がはいらねぇ…』
酷いやけどを負ったエウスだったが、それでも傍に居るライキルの胸に耳を当て、心臓の音を聞き彼女が生きているのかしっかり確認した、
彼女の心臓はちゃんと鼓動していた。
ただ、それでも彼女の腕や脚はぐちゃぐちゃに折れ曲がっており、酷いありさまで見るに堪えなかった。
「おい、ライキル、もう大丈夫だぞ、起きれるか?」
散々蹴られたライキルだったが、なんとか虫の息で呼吸もしていた。
ライキルはそこでこくりと頷くと、顔を上げてエウスの顔を見た。
「…え、凄いケガ…エウス死んじゃう……」
「アホ、こんなんじゃ死なねえよ、それより…ここから…にげ…」
エウスの意識がそこで途切れ、ライキルに倒れ込んだ。
「エウス…ねえ、エウス、起きて…!」
ライキルが叫ぶが、エウスから返事はなかった。
『エウスを安全な場所に…運ばないと……』
そこで女の声がする。
「おい、よくもうちのギリユをやってくれたなぁ!」
オレンジ髪の女が近づいて来て、エウスに向かって蹴りを入れようとしていた。
ライキルの身体に力がみなぎる。
彼女の蹴りをライキルがエウスを庇って受けた。
「うぐっ……」
ライキルの顔面に蹴りが入る。鼻と口から大量の血がドバドバと溢れる。
「ほら、ちょっとは良い面になった!もっとよくしてやるから感謝しな!」
再び蹴りがライキルの顔を襲う。
それでもエウスを庇うのをライキルは辞めなかった。
彼女の蹴りがライキルを襲う。さっきのギリユの蹴りはこちらを殺す気の蹴りだったが、この女の蹴りはこちらをいたぶるための蹴りだった。
『ここは耐えなくちゃ…まだ私には体力がある……』
エウスに向けて振り下ろされるはずの蹴りは全てライキルが受け持った。
そんななかなかに粘るライキルにオレンジ髪の女は気分を害していた。
「むかつくな、どうせお前もこいつも、ここで死ぬんだよ!」
ライキルが、それでも必死に覆いかぶさる。
「あ、ほら見ろ、お前たちのような表の人間は甘いから、ギリユが起きてきた」
オレンジ髪の女が、ライキルの金色の髪を掴み引っ張り上げて後ろを向かせると、そこには白魔法で自己治療している男の姿があった。
ギリユが手を胸にし白い光を送り込んでいると、開いた刺し傷がみるみるうちに塞がっていた。
「すみません、イルネッタ、それでも私のこの傷あまりにも深いので治療が終ったら眠ってしまいそうです。なので後の処理、頼んでもいいですか?」
「そっか、分かった、こいつらの始末は私がやっとくからぐっすり眠りな、あと私がギリユを運んでやるから感謝しろよ?」
「ありがとう、ただ、それより、イルネッタ、あともう…ひと…つ…」
そこでギリユの傷が完全に塞がると彼は気を失った。
「あーあ、寝ちゃったか、じゃあ、私もさっさと自分の任務終わらせますか」
イルネッタが、ライキルの髪を掴んだまま、反対側の手に炎を生み出した。
「あんたたちは薪、白炎である私たちの糧になる。どう?死ぬのは怖い?それともハルさんに助けてもらう?一緒に名前呼んであげようか?助けてハル!ってさ」
散々蹴られて腫れあがった顔。
瞼も腫れて視界がぼやける中、イルネッタと呼ばれた女がこちらを嘲笑っていた
ライキルはそこで最後の力を振り絞って声をあげた。
勘違いしている彼女に大切なことを教えてあげるために…。
「ハルは今、大事な用事があるからいない…」
そう、彼は危険な場所にひとりで行ったのだ。
いつだってそうだ。ハルが行く場所にライキルはいつだってついて行けない。
だから、彼がいない間も強くなれるようにと努力した。
けれど、結局このありさまで、みんなに助けられてばかりだった。
『最後まで、足手まといだったな…』
「だけど…」
それでもここで死にたくなかった。
ここで死んだら今目の前にいるエウスも死んでしまう。そうなったら、きっと、レイドの王城でひとり待ってくれている親友のキャミルも悲しむ。
そして、ハルにも一生会えないし、自分が約束を破ってしまうことになる。
「なんだよ、はっきり喋れよ?ほら、もう、髪が燃え出したぞ」
イルネッタがライキルの綺麗な金色の髪に炎をつけた。
「だけど……私には……いる…」
「なにがかな?」
「大事な、みんなが………」
弱い自分がいた。だけど、いや、だからこそ、いるのだ。
みんなが、互いを補い合う、大切な仲間が。
「ガルナ…助けて…」
瞬間。
イルネッタの背筋に悪寒が走る。
そして、振り向いた時には遅かった。もちろん、振り向いても遅かった。
目にもとまらぬ速さで飛んで来た獣人の蹴りが、オレンジ髪の女の顔面を捉えると、ライキルたちの前から一瞬でその女は姿を消した。
遠くでボールのように弾んだイルネッタは柱に激突して気絶していた。
「ありがとう、ガルナ…」
「ライキルちゃん!!」
「ガルナが無事でよかった…」
彼女は、多少のかすり傷があるだけで元気そのものだった。その様子に、ライキルは、心の底からホッと安心した。
「ごめん、遅くなった…」
「私は大丈夫、骨がたくさん折れてるだけ、でも、エウスは危ないの…安全で傷を癒せる人のところに連れていってあげて…」
「うん、大丈夫、二人を連れて行く、必ず助けるから」
ガルナの力ずよく優しい腕に抱きかかえられると、すっかり眠気に誘われ目を閉じてしまった。
「弱くて…ごめ…んなさい……」
弱々しく呟くが、ガルナに聞こえたのかは分からなかった。
『なんだか、ハルに無性に会いたくなっちゃった…早く会いたいな…』
ライキルの意識もそこで途切れた。