竜舞う国 灰竜の館
「じゃあ、行ってくるからいい子にしててね?」
ホテルの自室で、二人の頭を撫でる。そのうちひとりは喜び目を細めて笑ってくれた。もうひとりはどこか納得がいかない様子でいじけていた。
「私たちもついて行っちゃダメなんですか?」
「招待されたのは俺だけだから連れて行けないんだ、ごめん」
ライキルたちには、灰竜の館などという得体の知れないどこか危険な予感がする場所に行くとは伝えていなかった。
ハルがみんなに伝えていたことは、シフィアム王国の有力な貴族に挨拶をしに行くという内容だけだった。
余計な心配をさせたくなかったのもそうだが、何よりも、みんなの安全が最優先だった。
「今日は退屈だろうけど、俺が帰ってくるまで、この王城内でゆっくりしててくれないかな?」
納得がいかないライキルの頬に優しく触れ、視線を合わせる。青い瞳と黄色い瞳が交じり合う。互いを求め合うように静かに呼応する。
「ダメかな?」
ついでに甘い声でおねだりもすると、あっという間に彼女の表情は明るくなった。それでも怒ったような演技をして軽い女ではないことを必死に証明しようとしていたが、見抜くのは簡単で、紅潮した頬が可愛らしかった。
「…分かりました。その代わり、なるべく早く帰って来てくださいよ?待ってますから?」
「うん、ありがとう」
二人の間にしばらく、ただ、ただ見つめ合う時間が続いた。しかし、我慢できなくなったガルナが、後ろから抱きついて来て手前によろける。
「私のことも忘れるなよ?」
「もちろんだよ、俺がいない間、みんなのことよろしくね」
背中に伝わるぬくもりを感じながら、肩にもたれかかる彼女の頭を撫でた。こうやって触れ合うと一瞬だって二人から離れがたくなってしまう。
「あ、ずるいですよ、二人とも」
続いて我慢ができなくなったライキルが前から抱きしめて来た。
二人に抱きしめられると、悲しいほど幸せと温かさを感じてしまった。こうしていない全ての時間が嫌いになってしまいそうなほど、今、二人から受け取っているものは絶大だった。
このまま緩やかに朽ちることができたらどれだけ幸せかなど考えてしまいそうだった。
穏やかな現実を求めてしまいそうになってしまった。
それは叶わぬ夢なのに。
「ほら、二人とももう行かなくちゃだから」
「じゃあ、最後にいつもあれしてください」
ライキルがハルの首の後ろに手を回して、いつものあれをしないと離さない姿勢を見せていた。
「ハル、私にもしてくれ!」
二人にせがまれるとハルは、彼女たちの頬に口づけをした。
「じゃあ、行ってくる」
ハルが出て行く直前、最後に振り返ると、窓から差す朝の光を背にした二人が神々しく見えた。そんな二人が大きく手を振って見送ってくれたので、ハルも小さく手を振り返すと部屋を出て行った。
***
王城ゼツラン。その〈鱗の間〉のホテルから渡り廊下を進み、巨大な城内の通路である〈輪廻の間〉に出ると、そこにはカルラが待っていた。
「おはようございます。もう行かれるんですね?」
「ええ、後のことは頼みます」
ハルが頭を下げると、カルラも頭を深々と下げた。
「はい、留守は任せてください、皆さんのことは我々シフィアムの騎士が全力でお守りさせていただきます」
「よろしくお願いします」
ハルが最後にそれだけ告げると彼の横を通りすぎた。
「あ、ハルさん」
慌てた様子で彼に呼び止められた。言い忘れていたことでもあったようで、ハルが立ち止まり振り向くと彼はひとこと言った。
「お気をつけて」
そんな言葉自分には不要であることを彼は知っているのに、心の底から心配してくれているようだった。彼は親切なのだ、どこまでも。
「ありがとう」
ハルは再び歩き出した。
真実を知りに王城の外、目指すは王都の四番街【灰竜の館】へと。
*** *** ***
灰竜の館の館長であるクラシャの執務室に、いつも通り、朝食を使用人であるアロアが運んでいた。
朝に弱い彼女の朝食はいつも昼近くになる。
そのため、早起きして朝食を作らなくてよく、このことについてはアロアも彼女には感謝していた。
もともとエルフは高身長で見た目が美しい者が多く、アロアの主人のクラシャもその特徴に当てはまっていた。分かっていたが、見た目だけなら、クラシャの美貌にアロアは到底敵わしなかった。自分でもそれなりに美人であると自覚してはいたアロアだったが、彼女はその遥か上をいく美しさだった。そこまで美人だと、無意識に人々を威圧するまでの華美が彼女の周りには漂い始めるほどだった。
しかし、彼女の抜けているところや、だらしなさをを考えると、程よく中和され、それどころか、見下す位にまでは、下に勝手に落ちてきてくれるので、アロアも接しやすかった。
「クラシャ様、朝食をお持ちしました」
ノックをしてから扉の前で彼女の部屋に呼びかけるが、返事はなかった。
「失礼します」
アロアが勝手にドアを開けて中に入った。これはいつものことで、朝食ができたら何が何でも自分の部屋に置いておくことと、しつこく言われていた。そのわけとしては、朝、目が覚めて目の前に温かい朝食があったら嬉しいだろ、というなんとも彼女らしいくだらない理由だった。だから、私が目が覚める時間を見計らって朝食は作れとめちゃくちゃな指示まで受けていたが、その言いつけにつては、完全に無視して、いつも同じ時間に朝食を作り、今では逆にクラシャがアロアの作る朝食に合わせて起きるようになっていた。
「朝食をお持ちしましたので、クラシャ様、ここに置いてお…き………」
アロアの目には二人の主人がいた。
ひとりは椅子に座りながら寝ているクラシャが、そして、もうひとりは、そのだらしなく眠っているクラシャの隣に佇むクラシャがいた。
二人とも全く同じ姿で、純白の髪や白い肌、着ている服も、黒いレースで目隠しをしているところまで全く一緒だった。
しかし、その両者の姿は全く真逆だった。
いつも見ているマヌケな主人とは違い、立っている方のクラシャは、凛としており美の化身のような迫力があった。
そして、足が不自由なはずの彼女が立っている姿はすらっとして綺麗で、アロアが想像した通りの理想の姿をしていた。
「あ、えっと……」
「アロア、少し出かけます。私のこと頼んでもいいですか?」
「は、はい、クラシャ様…」
立っているクラシャが、ひとつ微笑むと、何事もなくアロアの横を通り過ぎていった。
緊張して、アロアはその場に固まっていた。
クラシャが出て行くと、アロアの胸は酷く脈打っていた。
『相変わらず、あのクラシャ様は美しい…本当に、いつ見ても緊張する……』
アロアは今、部屋を出て行った完璧な姿のクラシャのことを思いながら、よだれを垂らしながらマヌケに眠るクラシャの前に、朝食を並べ始め、そして、本人を見てがっかりするのであった。
「少しはああなる努力をしてくださいよ…」
アロアは、クラシャのよだれを拭き、朝食を並べ終わると、傍で彼女を見守っていた。
*** *** ***
四番街の街の中心の広場にハルはひとり立っていた。
どこにでもあるような石と木でできた建物が周囲を取り囲むように立ち並んでおり広場は朝の人々の活気で賑わっていた。
ハルが視線を下に落とすと石畳の地面は、昨晩降っていた短い大雨の影響かまだ濡れていた。
どこにでもあるようなこの四番街に、何か重要な真実が隠されているとは思わなかった。
「どこに行けばいいんだ…」
とりあえずハルは街中を手当たり次第に歩いてみることにした。そうすれば、あの日、四番街に訪れ、街を出る最後に出会った亡霊のようなエルフの女性に会えるかかもしれないと思ったからだ。その望みにかけて見ることにした。
街を歩いていると、周りからの注目を少しばかり浴びた。
四番街はお菓子の町である〈ビックスイーツ〉以外は王都に住む人たちの居住となっていた。そのため、ビックスイーツから離れた場所は観光客などが少なく竜人が多いため、鱗や尻尾を持たないハルのようなただの人族が珍しいのだろう。
空には竜たちが跳び回りその竜の背には人々が乗り、彼らは気持ちよさそうに雨上がりの朝空を飛び回っていた。
「竜に乗ってくればよかった…」
ハルは王城と王都を隔てる、円状の大穴〈円環〉を当然超えてこの四番街に来た。その方法は竜の背に乗る飛行ではなく、王城の敷地からの一回の脚力のみのジャンプで済ませていた。
人間離れではなく、もはや人間ができることではなかった。
「気持ちよさそうだ…」
空を見上げ、少し羨ましく思いながらも、先を急いだ。どこに行けばいいのかも分からないが、とにかく歩かなければいけない気がした。
四番街をしばらく歩くと、人口が密集した住宅街を抜けて、比較的閑静な街並みの場所に出た。
ところどころ目を引く素敵な家が立ち並び、竜舎など竜を飼う施設も何軒か見ることができた。
街中には小さな川も流れており、その上にかかる石造りの小さな橋を渡ると、心地いい風が身体に吹きつけ通り過ぎていった。
そして、歩いて行くうちに再び、閑静な街並みから、高い建物が建ち並ぶ人口が密集した住宅街に、景色が変わった。
竜たちの暮らす竜舎に比べたら、人間たちの住む場所は狭そうだと感じたが、通りを歩く家族連れが小型の竜を連れて幸せそうに散歩しているのを見ると、自分たちのことよりも彼らは竜を大事にしているのかもしれないと思った。
幸せそうな家族を見れて、ハルも悔しそうにだけど胸の中には同じく幸せな気持ちが溢れて微笑んだ。
『ああいう人たちの日常をずっと守っていくために俺はいるんだ…』
ハルは自分の選択が決して間違いではないことに自信をつけた。
このシフィアムでの滞在が終わるころ、各国で同時進行で進んでいた四大神獣黒龍討伐の準備も終わっているのだろう。
そうすれば、後は、ハルが現地に赴きすべてを終わらせるだけだった。
人々が何百年も抱え込んでいた問題をたったひとりで…。
「あれ、待って…何だろう…ここ…何か変だ……」
気が付けばハルは自分の立っている場所に変な違和感を覚えていた。
さっきまで歩いていた、人々の朝の活気あふれる喧騒響く背の高い住宅街の街並みから、一転して、霧が立ち込める木々に囲まれた石畳の道が続く奇妙な場所にいた。
それはあまりにも急な出来事だった。地続きに続いていた街に別の街をつぎはぎして、張り付けたような、そんな場所だった。
そして、そのイメージが来た道を振り返ることでより説得力が増すことになった。
「街が無くなってる…」
さっきまでいた、四番街が消えていた。それだけじゃない、シフィアム王国の王都エンド・ドラーナ自体が消滅していた。
まるで別世界に迷い込んだかのように、辺りは静まり返り、夏の暑い熱までも失っていた。
「これは魔法か…だったら…」
異変を感じとったハルが自身の天性魔法を使おうとした時だった。
「ハル・シアード・レイ様」
前から突然声が聞こえた。濃い霧の中から誰かがこちらに歩いて来た。
「あなたは…」
「お待ちしておりました、ご案内しますのでついて来ていただけますか?」
霧立ち込める石畳に、純白の髪をなびかせ、純白のドレスを身に纏う、美そのものようなエルフが微笑んでいた。
身長はエルフであるため当然高く、それはハルが見下ろされるほどだった。さらに、黒いレースの目隠しをつけて、よりこの状況も合わせて彼女の異質さは際立っていた。
ただ、ハルは全くこの場の状況が飲み込めていなかった。
「待ってください、ここはどこで、あなたは誰なんですか?」
「ああ、失礼いたしました」
彼女は恭しくエルフ式のお辞儀をすると、続けた。
「なんせ、シアード様はあのお方からの招待だったのでつい舞い上がってしまって、申し遅れました。私は、クラシャと申します。そして、ここは灰竜の館の敷地内です。もう少し先に行けば館が見えてきますので、ご足労おかけしますがついて来ていただけますか?美味しい紅茶でもてなしますよ」
ハルは少しの沈黙を挟んでから、彼女について行くことを決めた。
ここは一旦流れに身を任せた方が物事がスムーズに進むと思ったからだ。
何も分からないこんな場所に置いてかれても困るのだ。
クラシャの後をついて行くと、次第に霧が薄れていき、遠くに大きな館を確認することができた。
館は装飾が施されたおしゃれな鉄格子の壁で囲まれており、全体的なその館の景観は立ち込める霧も相まって荘厳な出で立ちをしていた。
敷地内を進むと、この季節には咲かないはずの花などが咲き乱れていた。
ハルがその中である一本の花を見つけると、その場で立ち止まってしまった。
「どうかされましたか?」
ハルが立ち止まっていることに気が付いた彼女が呼びかける。
「いえ、何でもないです。ただ、ここは魔法で創り出したのですか?季節違いの花が咲いているのですが」
ハルが白い花を愛おしそうに眺めていた。
「そうですね、この空間は少し複雑な場所で、秘密を守るために何重にも結界がかけられてます。その結果、歪みが生じてるんですね。その花たちはここのメイドが育ててくれている花です。ここでは一年中好きな花が好きなタイミングで育てられるからお花好きにとってはいい場所かもしれません」
ハルがしゃがんで熱心に見つめていると、彼女も隣にしゃがみ込んだ。
「アザレアの花ですね、シアード様はこの花が好きなんですか?」
「………」
ハルはその質問には何も答えずに、その場で立ち上がった。
「すみません、花は好きでよく育ててたりもしてたんです」
「そうだったんですね、何かを育てるということは、素晴らしいことですからね」
彼女も立ち上がると、満足そうに小さく微笑み、再び館の建物に向けて歩き始めた。
ハルは最後まで名残惜しくその花をギリギリまで見つめていたが、すぐに彼女の後を追った。
館の扉の前に着くとハルたちは早速館の中に入った。
館の扉は、エルフも通れるサイズであるためとても大きかった。ただ、それだけじゃない。この館はエルフが住むことを想定してあるため、どこの扉も部屋も階段も何もかも身長が二メートルを軽々超えるエルフを基準に作られているため、どこもかしこも広く、大きかった。
ハルが入って一番最初に目についたのは中央にある広々とした階段だった。その階段は二階に繋がっており、階段の途中で左右に分かれていた。
「貴賓室が二階にあるのでまずはそこで休みましょう」
ハルは言われるがまま彼女の後について行った。
貴賓室は二階の正面の部屋にあった。内装は、華やかでどれも快適性が追求されたデザインの家具ばかりだった。とくに座らされたソファーはフワフワで心地良かった。金持ちの貴族が見栄を張るためだけに買う、高いだけのソファーではなく、ちゃんと座る人のことを考えたつくりになっていた。
「今、お茶を頼んできますので、シアード様はここで待っていてください」
「分かりました」
相手からは全く敵意は感じないが、それでも警戒を怠らない。早く手紙で送られてきた真実とは何だったのか知りたかったが、余計なことをすることは控えていた。あまり急かして相手を不快にさせても、本当のことを話してくれなくなる可能性はあるからだ。
本当のことが本当にあればの話しなのだが…。
ハルは彼女たちが来るまで、ソファーから身を起こし、貴賓室の窓から外を眺めていた。
空には結界の形に沿って霞んだ靄がかかっておりくすんで、本当の空の様子を確認することはできなかった。
「結界にはあんまり詳しくないけど…相当重ねてるってことか……」
結界を何重にも張るのは、かなりの熟練された魔導士の存在が必要だった。
結界は、結界内の効力、範囲、同じ効力の結界の重ねがけ、別の効力の結界の重ねがけの数で、消費するマナの量や、その結界がそもそも成立するかが決まってくる。
上手くいけば、その結界内は結界を張った者の独壇場ともなりうるが、逆に相手にその結界を利用されるリスクもあるため、結界は慎重に張らなくてはいけない。
「お待たせしました」
そこにティーワゴンを押してきた使用人と、クラシャが現れた。
ハルはソファーに座り直して、使用人から紅茶と菓子を受け取った。
クラシャも向かいのソファーに座るが、使用人は彼女に茶菓子は出さなかった。
使用人が出て行くと、クラシャがこちらに顔を向けていた。目元はレースの黒い布で、隠れているため、彼女の瞳がどこを見ているのか分からなかった。だから表情は口元からしか読み取れなかった。
「素敵な瞳をしていらっしゃいますね」
「ありがとうございます。ですが、別に珍しくないただ青い瞳ですよ」
「いいえ、あなたの瞳は皆さんとは違う色をしてます。ただの青じゃない、純粋な青です。混じりっ気のない美しい青。人は穢れの無い純粋なものに惹かれます。なぜだか分かりますか?」
ハルは黙って首を左右に軽く振った。
「人は誰でも酷く汚れているからです。人は自分の穢れを清らかで神聖なもので落とそうとします。穢れの無い存在を自分のものにすることで、穢れを払い救われた気になるのでしょうね。私もそうでした。純粋な存在に惹かれたひとりでした」
クラシャが、黒いレースの布を取り外した。
「純粋な存在とは恐ろしいものです。本来、人間の中にあってはならないものだと私は思います。」
神々しい銀色の瞳が現れ、部屋中に強烈な息苦しさや威圧感が広がった。クラシャはその瞳を見開いてハルを凝視した。すると部屋中に広がっていた圧が全て凝縮されハルにだけ注がれた。
身も凍るような恐怖がハルを包み込む。
しかし。
ハルには全く彼女のその圧に屈することはなく平常心だった。むしろ、そのことを不快に思ったハルが、逆ににらみを利かすと、彼女は息を飲んで固まってしまう、逆転劇が起きていた。
「え…」
彼女は思わず飾らない素の声を発していた。
「それ、危ないですから、あんまり人前でやらない方がいいですよ…」
「は、はい…ごめんなさい…」
「いや、別に謝らなくていいです、ただ、本当にむやみやたらにそれ使うと身を亡ぼすってだけの話しです。使う相手は選んでいただきたいんです……」
彼女は相当驚いているようで、そんな彼女を見たハルは少し気の毒に思ってしまった。
彼女は、あの感覚を知っておりハルを試したのだろう。
しかし、それをハルにやってしまえば、下手をすれば彼女の方が壊れてしまう危険があった。
みたところ、彼女は相当、あの感覚を使い込んでいるようで、自信もあったのだろう。
『やっぱり、ただのもじゃないな、彼女…』
ただ、ハルからすると、彼女のものはお遊びにも届かないほど弱く薄かった。気を張ってなきゃ気づかないほど微弱なそよ風だった。
「私、結構全力でやったんですけど…」
「そうでしたか、じゃあ、これは試験みたいなものだったんですか?俺はそれで合格ですか?」
もしそうならさっさと真実とやらを教えて欲しかった。
「その、あなたの本気を見せてもらえませんか…?」
彼女は身体を身もだえさせながら息荒く言った。
「それより、そろそろ、本題に入りませんか?残念ながら私にはあまり時間が無いんです」
が、ハルだってこんなよくわからない場所で、時間を無駄にしている暇はない。一刻でも早く、帰ってみんなの顔を見たかった。
「あの、お、お願いします、もしかしたら、超えてるかもしれないんです…あの方のものよりも…シアード様の方が……」
クラシャが腰を引きながらこちらに不格好に近づいて来た。恥を捨て、美しい彼女がこうも滑稽な姿をさらすのは、ハルも見ていて気が引けたのだが…。
彼女はハルの隣のソファーに腰を掛けると、すり寄って来た。
「今まで私が出会ってきた中で一番かもしれないんです…だから、お願いします…もう一度私に…」
物欲しそうな目で彼女は、ハルの身体に触れようとしたが、その時だった。
「触んな!!」
彼女の身体が完全に停止する。
ハルを中心に得体のしれない何かが発せられ、それは部屋中を満たし、部屋の窓ガラスを全て割って、外の方にまで拡散していった。
今度はさっきと比較にならない圧をクラシャが受けとることになった。
「か…はぁ……ぁ………」
彼女は目を見開き、呼吸を忘れ、白目を向きそうになり失神寸前までいく。
「!?」
ハルが慌てて発したものを抑える。
すると意識が飛びかけていたクラシャが戻って来た。
そして、彼女はすぐにハルを見つめると、うっとりした表情で呟いた。
「あぁ、なんて優しくて恐ろしい……か……ぃ………」
嬉しそうだったが、彼女の身体はしっかりと小刻みに恐怖で震え、全身から大量の汗を流していた。つまり、本人の意思に背いてまで、身体は全力でその場から離れるようにと危険を告げていたのだ。
「素敵です、素敵すぎます!こんなの初めてです!!」
それでも喜びに打ち震える彼女だったが、一方でハルの目は据わっていた。
勝手に自分の身体に触れようとしてきた彼女が気に食わず、思わず感情を表に出してしまったのだ。
「勝手に触ろうとしないでください…」
この身体はもうハルの愛する彼女たちのものなのだ。べたべたと他人の手で触って欲しくなかった。
「ご、ごめんなさい、つい舞い上がってしまって、本当に失礼しました…」
「いいんです。分かってもらえたなら、それより、そろそろ話してくれませんか?手紙にもあった真実ってやつを」
「はい、承知しました」
灰竜の館で、ハルは真実を知ることになった。
何重にも張られた結界が外と館を遮断する。
結界の外では国を揺るがす大混乱が起きているというのに、ハルはそれに気づけないでいた。
どうしようもなく悲しい未来はついにやって来てしまった。
竜舞う国に激震が走る。