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竜舞う国 シャンデリアの下で

 深夜の王城ゼツランのダンスホールには暗闇が広がっていた。昼間に来ると、パーティーなど上流階級の社交場として広い用途で使われるこのダンスホールは、豪奢で煌びやかな装飾が見れるのだが、夜に明かりも灯さないと当然、ただの暗い箱の中と一緒だった。

 ウルメアはそんな闇の中、ひとり、彼が来るのを待っていた。食堂で別れた後、すぐに着替えて最高のドレスで着飾って、化粧を整え、宝石で限界まで自分の美を引き出した。

 明かりのもとに彼女が現れれば、誰もがその美しさに拍手喝采することだろう。

 ウルメアは目を閉じて心を落ち着かせていた。考えることはたくさんあったが、もう、この時は彼のことしか頭になかった。彼と生きていくこれからのことしか、きっとうまくいく彼とのこれからの人生のことしか。


「だ、大丈夫、絶対上手くいく…私は王女様だし、それに、か、完璧だから……大丈夫…」


 ウルメアはここに来てくれるはずのハル・シアード・レイに愛の告白をするためにいた。

 本の中の筋書きとは違うが、それでもウルメアは今すぐにでも彼が欲しかった。自分のものにしたかった。

 彼とは出会って一か月も経っていない浅い関係だ。それでも、初めて生身の人間に恋いに落ちてしまった衝撃は、ウルメアの狂っていた人生に歯止めがかからないほどもう完全に振り切らせてしまっていた。

 小説の中に出てくる大好きな竜騎士の青年が、そのまま現実世界に現れ、触れられる距離にいる。そして、自分もその中の登場人物としては王女様と申し分ない役にいた。


「ま、まだかな…手紙読んでくれてないのかな…あ、もしかして、この場所分からないとか…ああ、簡単な地図も描いてあげればよかった…」


 ダンスホールは輪廻の間に隣接しているため、歩いていれば必ず見つけられるのだが、夜の通路は薄暗く、見つけられないのかもとウルメアが不安に囚われ始めた時だった。


 ダンスホールの扉が開いて、闇の中に光が差し誰かが入って来た。


『きた!?』


 入ってきた人の手にはランタンがぶら下がっていた。


『魔法が使えないって言ってたから絶対そうだ…』


 緊張で、こんな大事なときに汗ばんで来た。化粧が崩れないか心配をした時にはもう、彼はすぐそこまで来ていた。


「そこにいるのウルメアだよね」


「!?」


 まだこちらは気配を消し、物音ひとつも立てておらず、彼の持つランタンの光にすら照らされているわけでもないのに、彼はこちらの位置を把握していた。


『なんでわかった!?』


 とにかく焦らずウルメアは手のひらに炎を灯して、それを天井に投げ上げた。


 すると大きなシャンデリアが炎に包まれ、大量の蠟燭に炎が灯り、そのまま、ウルメアの姿が明るみに照らし出された。


「やっぱりそうだ」


 そして、ランタンを持って歩いて来ていたのは、やはりハルだった。


「えっと、ハル、その来てくれてありがとう、こんな夜中に呼び出してごめん」


 人々に好印象を与えるための丁寧な言葉遣いはやめて、自分の言葉で話す。


「大丈夫だよ、それに王女様に呼び出されたら、来ないわけにはいかないからね」


 ハルは正装の白い騎士服を着ていた。彼のその服装は、豪華なドレスを着たウルメアとお似合いの姿だった。まさに、騎士とお姫様。

 ダンスホールの中央にはお似合いの二人がいた。

「それで、ウルメア、ここに俺を呼び出した理由を聞いてもいいかな?」

 もしかしたら、もう、彼は全て分かっているのかもしれなかった。

「うん、その前に、せっかくだし、私と踊ってくれないかな?」

「いいですよ」

 そう言うと彼はすぐに手を差し出してきた。ウルメアの顔にパッと笑顔が咲く。



 ハルがウルメアの腰に手を回し、手を握り合う、そして、ゆっくりと二人は、シャンデリアの明かりの下で踊った。


 暗闇の中、世界はシャンデリアに照らされ、そこでは二人の男女が揺れ動く。

 ウルメアは、ハルの腰に回された手と握られた手の温かさにとろけそうになっていた。視線は常に彼の顔を見つめたままで、たまに彼と視線が交わると、世界が止ったかのようにゆっくりとした時間が流れた。


『ああ、本当に…もう……』


 何もかもを忘れて今に夢中になれた。自分のことも相手のこともこれからのことも、ここには全てがあった。過去も未来も関係ない今が、この瞬間には流れていた。彼と一緒に居るという事実が、ウルメアをただひたすらに満たし続けていた。


「ウルメアも、やっぱり、ダンス習ってたんだよね?」


「はい、小さい頃から、お母様と一緒に習ってました」


「そっか、まあ、そうだよね、ウルメアは王女様だもんね」


 王女様、今のウルメアからしたらそんなことどうでも良かった。ここには自分と彼しかいない、それだけで完結していた。


「ハルはどうしてダンスができるの?騎士だとできない人も多いのに」


 そう尋ねるとハルが、昔の記憶を思い出すかのように語ってくれた。


「俺は、剣聖になるとき、教育係のおばあちゃんに叩きこまれたんだ。それで、そのおばあちゃんに『剣聖のくせにダンスの一つも踊れないで、この先やっていけると思ってるのか?』って言われたりしてさ、それで教えてもらってこうして踊れるようになったんだ。レッスンはすっごい大変だった」


「その人は怖い人なの?」


「フフッ、ううん、実はそのおばあちゃん、とっても優しい人なんだけど、俺とエウスは一緒に悪戯とかばっかりしてたから、よく怒られてただけなんだ。まあ、半分以上がエウスがいろいろしでかして、俺もついでに俺も怒られるって形だったけどさ、酷い話でしょ?」


 ハルが楽しそうに話すので、ウルメアも楽しくなっていた。このままずっと二人で踊りながら、彼の話を聞いていたかった。


「ウルメアは、どうだった?お母さんとは仲いいの?優しく教えてもらった?」


「うん、母と私は仲良しだから、ダンスも丁寧に優しく教えてもらえたんだ」


 その時、ハルがどこか遠い目で、いいなぁと呟いていた。その彼の目がどこか悲しそうで、ウルメアは立ち止まって、彼の頬に触れた。


「ハル、悲しいの?」


「…悲しくないよ」


 ウルメアの問いに、即座に答えたハルは優しく微笑んだ。それは、きっとそう聞かれた時にいつも彼が用意している反応に違いなかった。その言葉の裏にはしっかり彼の抱えているものがあった。


「嘘ついてるよね、だって、あなたの目ちゃんと悲しんで泣いてたよ、私、分かるよそういうの」


「そっか、ウルメアは凄いね…」


 それでも、彼は笑って誤魔化していた。ひとりで抱え込んで笑うその彼の笑顔を見た時、ウルメアの心には鋭い痛みとなって突き刺さった。


『痛い、自分が傷つくよりずっと痛い……』


 彼が悲しむ姿は見たくない、そう、ウルメアは心の底から思った。


「ねえ、私なんかで良かったら話し聞くよ?」


 ウルメアがハルに身を寄せ密着した。しかし、ハルに肩を軽く掴まれ、離された。それはとてもショックなことだった。


「ありがとね、でも、ただ、俺には…その、本当の血の繋がった家族がいないってだけだから、心配しないで、だってそういう人たちって俺だけじゃなくて今じゃ、神獣の被害でたくさんいるし、それに今じゃ、俺にはライキルとガルナとそれと…うん、ちゃんと俺なんかと家族になってくれる人たちがいるから、何も悲しくないんだ」


 そこでウルメアは見てしまった。ハルの心の底から幸せそうな笑顔を、きっと自分には向けられることの無い、彼の本当の気持ちを見てしまった。


「………」


 ウルメアの目に涙が溜まる。その雫が頬を伝って流れそうになったので、急いで彼に背を向け涙を拭った。


「ウルメア…」


「ハルはもう知ってるのかな…?」


 涙が止まらない。拭っても拭っても勝手に次から次へと流れ止まらなくなっていた。


「何をかな…?」


 ハルのその問いに、ウルメアは答えなければならなかった。

 あの日、妹に言われた言葉が頭に残っており、その通りだと思った。だけど、こんなにも自分の気持ちを伝えて、拒絶されることが怖いなんて知らなかった。口にすることすらもう、それ以前に、そこからは息をすることすら苦しくなっていた。


『どうして…?』


「私がハルのこと好きってこと…」

 どうして、こんなにも、求めた人は遠くにいたのか?


「知ってたよ、最初に会ったときから…」


「そっか、それで私は…やっぱり、ダメかな……?」

 どうして、こんなにも報われない自分がいるのか?


 彼がウルメアの正面に回って来て跪いた。ボロボロに泣いて化粧も崩れたウルメアの泣き顔を、覗きこんでいた彼の青い瞳はどこまでも澄んでいて綺麗だった。


「ハルと一緒にはなれないかな…?」

 どうして、もっと早くから好きになった人と出会って、彼の傍に居られなかったのか?


「なれないよ、たとえなったとしても、俺じゃ、ウルメアを幸せにできない」


「私、ハルのことが好きなの…愛してるの…」


「俺もウルメアのことは好きだよ、でも、一緒にはなれない。俺は彼女たちを絶対に裏切りたくないんだ」

 どうして、自分ではなく他の人がもう彼の傍に居るのか?


「い、嫌だ!ハルと一緒にいたい、私、あなたと結婚して、この先もずっと、ずっと…」

 どうして、こんな満たされない愛無き世界に自分は生きているのだろうか?


「ごめん、ウルメア…」


 ハルが立ち上がってウルメアのことを優しく抱きしめた。


「嫌だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 感情をむき出しにして、ウルメアが悲痛な叫びをあげる。


 その絶叫がダンスホールに響き渡った。


『痛い、痛い…痛い……嫌だ……そんなのあんまりだよ……ねえ……嘘だって言ってよ…ハル……』


 ウルメアの心に激痛が走る。今までのどんな痛みより苦しく辛く、耐えられるものではなかった。

 最後に残っていたウルメアの正常な部分の心が壊れる音がした。

 すでにこれまでしてきた多くの悪行で、彼女の心は麻痺しボロボロだったがここで限界を迎えた。狂人から怪物に、怪物から悪魔に落ちていく。

 傍にハルがいたからなんとかこの場では自我を保っていられたが、時期に自分を止められなくなると確信していた。


『フフッ、もうダメだ…耐えられない…』


 ウルメアは完全に壊れ散らばった心を眺めながら、ハルの胸元で泣きわめき続けた。


「気が済むまで泣いていいよ……」


 ただ、彼の優しい声が耳を打つと、心がバラバラになろうが、どうなろうが関係なく、ハルという存在がウルメアの救いになり、彼女をこの世に留め続けていた。


 しかし、二人は、一緒にはいられないのだ。




 *** *** ***




 気が済むまで泣き止んだウルメアは、ハルに謝った。


「ごめんなさい、そのいろいろ迷惑かけてしまって…」


「…ううん、全然構わないよ、それより、えっと、その…俺に気持ち伝えてくれてありがとう。そのことに関しては俺、すごい嬉しかった」


 真っ直ぐ青い瞳で見つめて来るハルに、失恋した後でもウルメアはしっかり再度、恋に落ちていた。


「ハル、そんなこと言うと私もキラメアみたいにじゃあ、結婚してくださいってずっとおねだりしますよ?」


『ああ、ずるい…その瞳も表情も……』


 そこでハルが慌てて否定なんかする。


「あ、じゃあ、嬉しくなかったよ…」


「それは傷つくのでやめてください」


「ごめん…」


 ハルがまだ頬を伝っていた涙を拭ってくれた。


「じゃあ、もう、行っていいですよ、私の用はこれだけなので」


 ハルにはもうここにいて欲しくなかった。歪みんで行く自分を見ていて欲しくはなかった。


「ウルメアはどうするの?部屋まで送っていくよ?王城内でも夜は危ないんじゃない?」


「私と寝てくれるんですか?」


「え、なんでそうなるのかな?」


 困った顔をする彼の表情も素敵だった。


「部屋まで来てくれるって言ったからついそういうお誘いかと」


「あの、俺はさっきあなたを振らせていただいたんですけど…」


「だから、気が変わったのかと思いまして…」


「そんなわけないでしょ!」


 困惑して焦っている彼も可愛かった。


「それじゃあ、早く行ってください、これ以上私に惨めな思いさせないでください」


 そう言って、背を向けるが、ハルに腕を掴まれて言われた。


「ウルメアは全然、惨めなんかじゃ、なかった。素敵だったよ」


 これだ、これなのだ。彼のこういうところがもう、ダメなのだ。こんなもう終わった人間にすら優しいところが、彼に悲劇を運んでくるのだ。

 そして、その悲劇を運ぶのがどうしようもなく自分であることにウルメアは怒っていた。


「早く、行って、ここから出て行って!!」


 彼を睨んで、声を荒げた。


「うん、わかった」


 しかし、彼はまったく嫌な顔ひとつせず、笑顔で返事をした。


「おやすみ、ウルメア、また、明日ね!」


 彼はそれだけ言うと、ウルメアに言われた通り、ランタンを持って明かりを灯しながらダンスホールから出て行った。


 ***


 ハルが出て行ってからだいぶ時間が経ち、夜がさらに深まった頃。

 ダンスホールでシャンデリアの明かりのもと、しゃがみ込んでいるウルメアのもとにひとりの男がやって来た。


「ウルメア様…」


 手に炎を灯した、ジャバラが立っていた。


「哀れだろ?」


「そんなことありません…」


 ウルメアの化粧は酷く崩れてドレスもところどころ破け、宝石も砕かれていた。酷く暴れた形跡が彼女の姿を見れば分かった。


「たとえ、振られても私はハルのことが好きだ…」


「作戦の方はどうしますか?」


「予定通りだ、ハルが四番街の灰竜の館に行き次第、開始する。ジャバラ、お前のところのボスに時間稼ぎをするように言っておけ」


「かしこまりました。ウルメア様」


 ジャバラが一礼すると彼は来た道を戻ってダンスホールから出て行った。


 ひとりになったウルメアは思った。もう、どうしようもないと、自分は幸せにはなれないと。


「そっか、私って、もう後戻りできないんだ………」


 ウルメアは、シャンデリアの明かりで照らされた光の中から、周囲に漂う暗闇の中へと歩みを進めた。


 ダンスホールには誰もいなくなっていた。


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