竜舞う国 秘密の謁見
日が暮れるにつれて街に降り注ぐ雨の勢いは増した。星空が広がっているはずの夜空には、ぶ厚い雨雲が、時折、眩しい光を放っていた。
王都エンド・ドラーナにある王城ゼツラン。その城内には、主に城や王都内で活動する騎士たちが泊る寮が、〈竜爪の間〉と呼ばれる場所にあった。城の大規模通路である〈輪廻の間〉の南に位置する場所にあった。
ジャバラの部屋は〈守護竜の間〉と呼ばれる場所にあった。城の大規模通路である〈輪廻の間〉の南に位置する場所にあった。
ジャバラはその〈守護竜の間〉の第一寮に部屋を借りていた。王城内の施設なだけあり、室内に用意されている家具はどれも一級品で、ジャバラが二番街に購入した一軒家より、この一室だけで価値が上回りそうだった。
そんな寮の広々としたリビングで、ジャバラはひとり晩酌をしていた。
「ジュキちゃんか…」
今日、灰竜の館で見た暗殺のターゲットの顔と名前を思い出す。資料には精密な似顔絵が載っており、腕のいい画家か、はたまた誰かの天性魔法か?
しかし、そんなことより、依頼を受け、ターゲットの顔と名前とおおよその場所まで分かってしまい、暗殺としてはかなり楽な依頼になってしまっていた。さらに、過去の情報まであるとくればなおさらターゲットの弱点が増え、仕留めるのは簡単だ。朝飯前だ。
「でも、子供なんだよな…」
すんなりと喜べない、いや、ドミナスからの依頼内容で喜んだことはなかった。いつも組織の利益になり、誰かが不幸になる選択しかなかった。
「そうか、俺も落ちるところまで落ちるってわけか…」
ターゲットの年齢は十歳、だからといって、やらないわけにはいかない。ドミナスの兵士として育てられた十歳だったら大人ひとりは素手で簡単に殺す技術を有している。見くびっていると寝首をかかれる可能性も否定しきれなかった。
「まあ、やるんですけどね……」
ふかふかの赤いソファーに座りながらうなだれる。そして、ふと、ベランダがある窓の外を見ると、激しい雨の中、雷が真っ暗闇の空を駆け巡っていた。
「本当にやるのか…?」
手に持った酒のグラスに自分の顔が映る。そこには悪魔のような自分の姿があった。組織に魂を売った醜い悪魔の姿が…。
「ゼノ…俺はもう、お前に顔合わせできなさそうだ…だってよ、本当のクズ野郎になっちまうんだからよ…」
ジャバラは一気に酒をあおってグラスをテーブルに置いた。
「ガキの頃、一緒に悪党を殺し回ってた時も、まあクズっちゃクズだが、あの時は生きるために戦ってた感があったんだよな…殺されないために必死に戦って、二人で飲んだ酒は美味かったな……」
子供の頃を思い出し、感傷に浸っていると、部屋の扉からノックの音がした。
「ん?誰だ、こんな時間に、はーい、今出ます!」
ジャバラは足元を少しふらつかせながら、玄関に駆け寄った。
扉を開けるとそこにはひとりのシフィアム王国の騎士がいた。
「だ、誰でしょうか?」
「ジャバラ様、ウルメア様がお呼びです。今すぐ竜王の間までご同行願いますか?」
「ふむ…」
ジャバラは尋ねて来た人物に違和感を覚えた。こういった頼みごとをする場合、普通だったら使用人を使って呼び寄せるのが一般的だった。しかし、こうして、普通の騎士を使って伝言するのは、ありえなくはないが、そう、違和感があるのだ。
「あなたもしかして…」
「はい、私は赤龍の者です。ですのでどうか、ご同行をお願い致します、ジャバラ様」
「そうか、王女様はそっち側で俺に用があるんだな…わかった、すぐに行く少し時間をくれ、身支度してくる」
ジャバラは王女に会っても無礼が無いように正装の騎士服に着替え、酒臭い身体に香水を振りかけて紛らわした。
それから、部屋の外に出ると誰もいなかったので、寮の外に出るとさっきの赤龍の騎士がおり、彼とともに竜王の間に向かった。
寮からまっすぐ〈輪廻の間〉を通って、中庭に繋がる門の前にたどり着く。すると門番たちはジャバラと赤龍の騎士の持ち物も何も確認せず、門を開け、中に入れた。
中庭に入ると、当然、天井など無いため、土砂降りの雨が、手入れされた庭に降り注いでいた。
赤龍の騎士が雨避けを張ってくれたので、遠慮なくジャバラは中に入れてもらった。
鳴りやまない雨音。竜王の間の塔の上で、空が一瞬光り、唸る。
不穏が募る。何か良くないことが起きているような気がした。さっきから違和感の正体が解決しない。そして、竜王の間にある王族たちが住む高い塔型の建物の前に着くと、何故か身体が強張っていた。緊張しているのだろうか?しかし、ウルメアとこの竜王の間の塔内で謁見することは何度もあった。
それは、ジャバラが彼女の本当の戦いを教える師匠であるという点が大きかった。
彼女はシフィアムの剣聖カルラからも剣や戦い方を教えてもらっていたが、それは全部護身術のような身を護る戦い方だった。しかし、ジャバラが教えたのは人をバラバラにする殺人術だった。使う五つの技術の中で、徹底的に教え込んだ型は〈死〉だった。彼女の得意武器は槍であり、彼女の死槍は今や師の槍裁きを軽く超えていた。
そもそも、ジャバラが師になる前から彼女の異常な戦闘センスはずば抜けていた。最初に稽古を始めた時、模擬戦をやったのだが、彼女の正体を知らずに気を抜いて挑んだら殺されそうになったことは今でも忘れないほどだった。
「着きました。ここからは中の者と変わります、それでは私はここで」
ジャバラが赤龍の騎士と別れると、塔の中からひとりの使用人がやって来た。
「ジャバラ様、お待ちしておりました。ここからは私がご案内させてもらいます」
その使用人は女性の使用人だったが、立ち振る舞いや足運びからこの使用人も赤龍の者でただものではないことが分かった。
『ウルメア様、随分、自分の部下を塔に入れてるな、何かあったのか?』
ジャバラが使用人の後について行く。一階のフロアの中央にある螺旋階段を上り、ウルメアの部屋がある二階のフロアに到着する。
そのまま、使用人はウルメアの部屋の前まで行き、扉をノックした。
「ウルメア様、ジャバラ様がいらっしゃいました」
すると、入って、とひとこと声が部屋の中から聞こえて来た。
使用人が扉を開けると、奥のテーブルで本を読んでいるウルメアがいた。
「来てくれてありがとうございます。ジャバラさん」
彼女が本から顔を上げた。
「そんな、とんでもございません。ウルメア様がお呼びとあればいつでも駆けつけますよ」
「それはとっても助かります」
閉じた本をウルメアが本棚に戻すと、さっそく、ここに呼び出した理由を単刀直入に彼女は言った。
「ジャバラさん、あなたには私の計画に参加して欲しいの」
「と言いますと?」
「今、ここに訪れているハル・シアード・レイのことは知ってる?」
「ええ、話しには聞いています。ここ一週間この王城に滞在していると」
ハル・シアード・レイ、ジャバラも、もちろん知っていた。
数年前開かれた剣闘祭でレイド以外の五つの大国の剣聖をまとめて相手にして圧勝、四大神獣白虎を討伐するなどありえない業績を積んでいる今話題の有名人だ。
正直、彼のせいで国のパワーバランスが崩壊している部分があると前から思っていた。そこまで力を示してしまえば、ドミナスに狙われるのではないかと、彼らは自分たちの制御下に収まらない強大な力を嫌う傾向にある。支配しきれない異物を排除しがちだ。
「その彼がどうしたのですか?」
「私、彼が欲しいの」
「欲しい!?」
「ええ、結婚して私の旦那にしたいの、そのためには周りにまとわりついている、害虫を駆除したいんです」
「どういうことですか…?」
理解がまったくできないというよりかは、結婚という言葉が出てきて困惑し、思考が停止していた。
「今来てる、ハルの周りにいる付き添いの者たちを皆殺しにして欲しいの」
「………」
言葉を失った。ジャバラは彼女の正体を知る数少ない人物のひとりだ。笑顔に下に悪魔が棲みつき、彼女の通った後には、死か絶望しか残らない、まさに破滅の王女。
真っ暗な地下の底で血を浴びてきた彼女が、晴天に輝く太陽のような存在の彼と果たして結ばれることは可能なのか?いや、そもそも、周りの者たちを皆殺しにしようとしている時点で無理があった。
「その付き添っている者の中には彼の将来の婚約者がいるから、そいつらを重点的に狙って欲しいんだ」
これはもはや、決断だった。自分はとんでもないことに首を突っ込もうとしていたのだ。ハル・シアード・レイを敵に回すか、目の前のシフィアムの絶対的な影の支配者を敵に回すか…。それだけじゃない、このことはドミナスにまで報告しなければいけない案件になっていた。下手をすれば組織そのものが本格介入してくる大事になりかねなかった。
「あいつらすっごい邪魔なの本当に、私とハルの間に割って入って来て、いつでも彼の周りにまとわりついてて……だから、もう、一生この世に出てこないように……」
彼女が正体を現す。
「終わらせなきゃって…」
そこには完全に開いた瞳孔で見つめて来る化け物がいた。と、同時に部屋全体を濃密な殺気が覆う。
「……ッ……」
ジャバラが呼吸を一瞬忘れ固まる。
師匠であったジャバラだったが、もう、それも昔の話であり、現在の彼女はジャバラの手から離れ、まったく知らない領域に足を踏み入れていた。
「ねえ、協力してくれるよね?」
鋭い鱗の尻尾が彼女の背後からゆっくりと伸びて来た。それは竜人族の誰もが持っている尻尾ではなかった。その尻尾は、彼女の天性魔法であり、死そのものだ。
断ることはできない、ドミナスの時もそうだったが、今はその比にならないほど死が直前まで迫っていた。
「分かりました。ただ、その……」
「あなたの所属している組織に、このことを伝えたいんでしょ?」
思考を先読みされていた。彼女はドミナスのことは知らないが、ジャバラが大きな組織に入っていることは知っていた。ただ、もしかしたら、もう、彼女もドミナスの存在を知っている可能性も高かった。
「いいんですか?もしかしたら、妨害してくるかもしれませんよ、それに俺もウルメア様の敵になってしまうかもしれません…」
彼女が椅子から立ち上がって、ジャバラのもとまでゆっくりと近づいて来た。
「あなた、裏切るんだ。私のこと」
「…私の所属している組織は大きな闇です。正直、ウルメア様でも、我々の組織を敵に回すのは、厳しいかと…」
「今、別に私の話しをしてるわけじゃないんだけどなぁ」
ウルメアがジャバラの周りをグルグルとゆっくりと歩き始める。彼女の尻尾が視界に入るたびに死を感じた。
ただ、それでも、ジャバラがどちらを取るかは決まっていた。
「申し訳ございません、ウルメア様、私は組織には絶対に逆らえません。この国の騎士でありながら、あなた様に忠誠を誓っておきながら、それでもです。それでもなんです。私は組織を敵に回すことはできません…」
ここで組織を裏切っても結局待っているのは死。速いか遅いかの違いだ。
「たとえ、あなた様を裏切ってでも…」
ジャバラも臨戦態勢に入る。腰に下げている剣の柄を握る。勝てる見込みはないが、生きるためには勝てない相手にも挑まなければならない時がある。
彼女がゆっくりと後に回り込んできた時だった。
「いいよ、報告しても」
彼女が背後からジャバラの正面に戻って来る。その時もう彼女の鋭い鱗の尻尾は無かった。
「え、いいんですか?」
呆気なく、その場は収まった。
「別に、だってあなたがその組織に強い忠誠を誓ってるのは知ってたから、この協力は無理だろうなってちょっと思ってたんだ。ちょっと残念だけど」
これだ、身内にはとことん優しく理解があるところが、彼女の強みでもあった。残忍な裏の支配者でありながら、心優しい王女様の一面も併せ持っている。そのため、赤龍のように彼女のためなら命でも差し出す軍隊を作り上げるのだろう…。
このとき、ジャバラの心も揺れてしまうほどの緊張と緩和の変化の緩急があった。
「ウルメア様は、これからどうするのですか?」
「そうだね、ジャバラさんの協力が得られないとなると、ゼノの負担が大きくなるだけなんだよな…カルラの相手は彼には荷が重いだろうし、だけど、マーガレットをぶつけるわけにもいかないし、やっぱり、カルラの相手は私か?でもな、私は当日やることがいろいろあるからな…」
聞きなれた名前が彼女の口から飛び出てきた。
「ゼノ…今、ウルメア様、ゼノとおっしゃいましたか?」
「え、うん、ゼノは、ゼノ・ノートリアスのこと、今は白炎のトップなんだっけか?確かそんな名前だった気がする。興味ないから忘れちゃった」
「………」
言葉が出てこなかった。
「あれ、どうしたんですか?」
彼女が心配そうにこちらを覗き込んでくるが、その表情が薄っぺらな噓なんじゃないかと思ってしまった。自分を作戦に引き入れようとする罠なのではないかと。本当は、自分とゼノの関係を知っていて、誘い込むために彼の名を口に出したのではないかと疑ってしまった。
「ゼノも参加するんですか、この作戦に…」
「ええ、そうだけれど、もしかして、彼と知り合いでしたか?」
白々しく思ってしまうが、彼女の表情はどこまでも読めない。そもそも、彼女はすでにどこかおかしくて、二面性を持っているような存在なのだ。日頃から表情の切り替えをしているため、自然で違和感がなく、だから、彼女の嘘を見抜くは難しい。
「ゼノは俺の弟のようなものです。家族同然の人なんです…」
焦って一人称も崩れてしまう。
「そうだったんだ」
「彼をカルラとぶつけると言いましたか?」
「まあ、ちょっと人手が足りないから、そうなるところだったんだけど…あなたの弟ならやめておいて…」
「俺がカルラの相手をします」
「え、本当!?ということは、私のこの作戦に協力してくれるってことかしら?」
「はい、だから、ゼノを他の役割にあててください、お願いします」
なぜ、ここでこのような選択をしたのか、答えは簡単だった。ゼノを守るため。兄弟、親友と彼との関係は言葉では言い表せないほど、強い信頼関係があった。たとえ世界を敵に回すか、彼の隣を選ぶか、選べるのならば当然彼の隣だった。それくらい、彼はジャバラにとって大切な存在だった。
それに、カルラが相手だと彼は敵に対して容赦がない。普段の彼は穏やかな雰囲気で周りに慈愛を振りまいているが、一度彼の闘争心に炎を灯すと、彼の周囲は地獄に変わる。
シフィアム王国にも黒龍が現れたとき、彼の戦いぶりは徹底しており、容赦がなかった。ゼノが相対すれば必ず殺されることは目に見えていた。まず、彼の剣の抜刀は初見じゃ見切るどころか、気が付けば死んでいるといった具合で、初見殺しそのものだった。だから、相手をするなら、彼の剣を知っている自分が出るしかなかった。ゼノに彼の相手は絶対にさせたくなかった。
「ですが、組織にもこのことは報告はさせてもらいますが、よろしいですか?」
真剣な表情でそのことを聞くが、彼女は喜びをかみしめていた。
「やったー、いいよ、いいよ、好きに報告して、でも、報告の仕方だと私たちみんな死ぬかもね、だってあなたの組織って、とっても恐ろしいんでしょ?」
「そこは考えて報告します」
「フフッ、報告はするんだ」
「予防線は張っておきます。一応、私はこの国の監視も任せられていますから…」
「じゃあ、もう、私のこともバレてるかもね…」
「………」
ドミナスはウルメアの存在を認知してはいなかった。それは、ジャバラが一度も彼女のことを上に報告したことがなかったからだ。
そもそも、組織は、シフィアム王国の内情にはあまり関心が無いようだった。大国でありながら他の国々に比べて重要視されていない雰囲気は、返って来る返事や依頼から何となく分かっていた。
彼らが夢中になっている国はレイド王国とアスラ帝国。この二か国並びにその周辺国家だけだった。
だから、ジャバラの報告も日に日に適当になっていくのも当然だった。きっと、自分の知らないところつまり、レイド王国やアスラ帝国で何か組織にとって都合の悪いことが起きているのだろう。
「大丈夫です、ウルメア様のことだけは、報告していないので…」
「本当!?嬉しいなぁ、ありがとうございます」
きっと彼女はドミナスのことを知っている。しかし、彼女の存在はきっとドミナスに知られてはいない。いや、大国の王女様であるから知られてはいるのだろうが、彼女の本当の正体を知りはしないだろう。
彼女はジャバラという報告者という弱点以外には完璧に行動していた…いや、全然違う、きっと、自分と接触してきたのだって彼女の手中の中なのだろう。
組織は彼女ひとりに裏をかかれている。そう考えると、目の前の王女様が、ドミナスなんかより、よっぽど恐ろしい存在なのでは?と、拭えない考えが浮かぶ。
『どうなってしまうんだ…これから……』
抱え込んでいる問題がジャバラには山ほどあった。離反者の暗殺のこと、ゼノのこと、この作戦が終わった後の自分の立ち位置やこの国や世界の動向、そして、マリンダのこと。
ご機嫌な彼女とは反対にジャバラの表情は沈んでいた。そんな彼女と目が合う。
そこには悪魔が優しく微笑んでいた。
ジャバラはあることを思ってしまった。
魂を売るしかない、目の前にいる優しい悪魔に。
「ウルメア様、少し相談があるのですがいいですか?」
それから、ジャバラはドミナスのこと自分の置かれている状況を全てを話し、彼女に救いを求めた。それはジャバラができる大切な人を守る最善の行動だった。きっと、これで一生彼女には逆らえなくなってしまった。
しかし、それと引き換えに、ジャバラは新たな力を手に入れた。ウルメア・ナーガード・シフィアムという、悪魔の存在という力を。
ジャバラは、赤龍に入団した。
『後戻りはできない、進むしか道はない…』
ウルメアと契約を結び終わると彼女の部屋を後にした。
ジャバラが部屋の外に出ると、先ほど案内してくれた使用人がニッコリと笑っていた。
「歓迎します、ジャバラ様」
「どうも」
ジャバラは来たときのように使用人の後についていき、竜王の間を後にした。
雨に紛れて、崩壊と破滅の足音が近づく音が、空から聞こえた気がした。