竜舞う国 蛇の正体
「失礼します、クラシャさん」
「おお…よく来たなジャバちゃん…おい、メイド、さっさとお茶を入れに行かんかい!?」
「かしこまりました、クラシャ様、すぐにお持ちします」
メイドが頭を下げて、趣味の悪い豪華な部屋から出て行く。
「それでここに私を呼んだ理由は何ですか?」
「まあまあ、ジャバちゃんことを急ぐな急ぐな、お茶と菓子が来るまで世間話でもしようじゃないか」
「もしかして、また、送られてきた資料、失くしたんですか?」
「ジャバちゃん、そんなことは無いよ、さすがにそれはない、そんなへまするわけない」
「そうですか、前はそれでアモネさんにこっぴどく怒られたと聞きましたが?」
「だ、誰から聞いたそのこと」
「それは言えません…」
「いや、分かるぞ、あの鬼畜メイドだろ…私の評判が下がるようなことをすぐ人に言いふらすからなあいつは…あとでとっちめてやる…」
恨めしい感情を前面に押し出すクラシャ。
ジャバラは別にそのメイドから言われなくても彼女が少し抜けていることは、何度も取引をしているうちに見抜いていた。ずぼらで忘れっぽくよく物をなくす。それでもこの灰竜の館の支配人となっているのは、彼女が古くから組織に仕えているからだろう。
「クラシャさん、ひとつ聞いてもいいですか?」
ジャバラは彼女の前にある、来客用のソファーに腰を下ろした。
「なんだ、私はなんでも知っているぞ、何が聞きたい?」
「この大陸に来てる魔女って誰ですか?」
ジャバラは、ドミナスに雇われている傭兵であった。組織に入ったきっかけは、単純に深入りをしたからであった。ただし、ジャバラが踏み込んだ領域はあまりにも深い領域だった。
「ジャバちゃん、どこでそのこと知った?」
彼女の表情ががらりと変わる。なぜおまえがそのことを知っているのか?といった感じの表情だ。部屋の中に緊張が走る。が、ジャバラから言わせれば、それはあなたのせいだと言いたかった。
いくら彼女に睨まれても全く動じはしない。落ち度は相手にあった。
「いや、前にここに通された時に、部屋に落ちていた手紙に書いてあったんですよ。魔女が来るからいつでももてなせるようにって」
「え…」
以前この部屋に来たとき、入ってすぐのところに開封された手紙が目に付くところに堂々と広げられており、彼女が来る間、一切触れずにその手紙を眺めていたことがあった。
そこには魔女に関する名が記されていた。
「もしかして、大事な手紙だったんじゃないんですか?」
「ああ…」
彼女も自身の管理のずさんさを自覚していた。緊張の糸が切れる。
「クラシャさん、そういうところありますよね」
「ひぃ、そんな目で見ないでくれよ……」
ジャバラが鋭い目つきで彼女を睨む。女性に対してあまりきつい態度はとらないが、ドミナスの人間たちに関しては別だった。特にクラシャに対しては。
理由は単純に彼女の手違いで、死にかけたことがあるからだった。
ドミナスで傭兵と呼ばれる人間たちは、普段一緒の任務に就かされることはない。しかし、一度、ジャバラは、自分と同じドミナスの傭兵であるギル・オーソンと呼ばれる傭兵と仕事をすることになったことがあった。そう、あったのだが、そこで、クラシャがした手違いが致命的なものだった。上からは二人で協力させろと書かれていたのに、彼女はどこをどう間違えたのか、ジャバラに、ギル・オーソンの暗殺の依頼を出してしまったことがあった。おかげで、二人は本来の任務をこなすことなく、瀕死になるまで死力を尽くして戦ったことがあった。
途中で、本部の人間であるアモネという女性が止めに来なければ、二人は共倒れするところだった。
「みんな、そうやって、私に冷たいんだ…うぅ…ていうか、なんでさっきから資料が見つからないんだよぉ……」
彼女に同情はしない。例え、彼女の目が見えず、足が不自由で歩けないとしても、ジャバラは少しも同情はしてやらない。
ドミナスの人間に心を許してはいけない。それがジャバラがこの組織に加入した時心に決めたことだった。
そんなジャバラだが、誰一人として、この組織の人間を侮ってはないかった。彼らは破滅の使者だ。一度その存在を知ってしまえば、もう見て見ぬふりはできない。この組織を偶然知ることはまず無い。裏社会で生きる人間でも、このドミナスという組織の闇に到達する者はごくわずかだ。
ドミナスは、底なしに深く、透明で真っ暗闇だ。
組織の闇に飲み込まれたとき、ジャバラは自分の命も未来もないことを知っていた。
命あってこその人生だ。
クラシャがぐずっているのを冷たい目で見つめていると、二人がいる部屋の扉にノックの音が響く。
「失礼します。お茶の用意ができました」
先ほどのメイドがお茶や菓子を運ぶティーワゴンを押して部屋に入ってきた。
「遅ーい!」
「ジャバラ様、最高級の茶葉を用意させていただきました。まずはストレートでお試しください、それとこちらのお菓子をどうぞ、ビックスイーツで売ってる、有名なアイスクリームです」
「こら、メイド、無視するな!」
「ありがとうございます、アロアさん」
メイドの彼女からティーカップを受け取ると、透き通った橙色の液体が揺れていた。続いて、ガラスの冷え切った容器に入った丸いアイスクリームがテーブルに置かれた。
「クラシャ様もどうぞ。紅茶です」
「ふん、まあいい、この紅茶に免じて全て許してやろう、お前の淹れる紅茶は世界一上手いからな、それで、私の分のアイスはどうした?私も食べたいんだけどそれ」
「クラシャ様が、今朝、勝手にキッチンから持って行ったので、クラシャ様の分はありません」
「なにぃ!!?」
「それより、クラシャ様、こちらの手紙に見覚えは無いですか?」
メイドのアロアが、メイド服の大きなポケットから一枚の手紙を取り出した。
「ああ!!お前、それをどこで拾った!?まさか、ぬす…」
「キッチンの地下の冷凍室に落ちていました」
「ええ…」
クラシャもその事実に自分で自身に引いているようだった。
「アイスクリームを持ち出すときに落としたのでは?」
「…はい、そうかもです。手紙を取りに行った後、ついでに小腹が空いたからキッチンに寄りました…」
すっかりへこんでいるクラシャの机にメイドは手紙を置いた。
「では、私はこれで失礼させてもらいますね、クラシャ様」
「はい…行って、どうぞ…」
「ジャバラ様、どうぞ、ごゆっくりしていってください」
「どうも、アロアさん」
メイドの表情の切り替えは見事だった。クラシャには極寒の冬のように厳しく、ジャバラには春の陽だまりのように温かった。
メイドがいなくなると、クラシャが気を取り直して、手紙の中身を確認していた。
「なるほど、そうだった、そうだった。そう言う上からのお達しだった」
「その手紙の内容に私を呼んだ理由があるのですか?」
「そうだ、えっと、ドミナスからの離反者が、このシフィアム王国に逃げ込んでいるって」
そんな大バカ者がいるのかとジャバラは呆気にとられた。いくら気を許してはいけない組織だからといって、組織を抜けるにはあまりにもリスクが大きすぎた。ジャバラでさえ、その考えは決して選択肢にはなかった。例え、自国を裏切ることになっても、組織だけは絶対に裏切ってはいけないことをジャバラは自覚していた。
「誰ですか、その離反者っていうのは?」
「えっと、ジュキって名前の…十歳の女の子だって!?」
「十歳…子供……」
その線から考えると、ドミナスが、組織の兵士にするために洗脳しながら育てている子供たちの可能性が高かった。
「そのことをどうしろって?」
「あ、あ、あああああああ、暗殺しろ…だって……」
クラシャが目を丸くしていた。
「そうですか…その手紙少し俺にも読ませてもらってもいいですか?」
「ど、どうぞ…」
「どうも」
ジャバラが手紙を受け取り中身を確認した。
手紙にはジュキと呼ばれる少女の詳細な情報と過去が載っていた。
「やっぱりドミナスの子供か…」
『途中で洗脳が解けたのか…まあ、ドミナスのやり方は魔法には頼らないやり方だからな…』
手紙の隅々まで目を通したジャバラは何も言わず、出された紅茶を飲み干すと、部屋のドアまで歩いて行った。
「ジャバちゃん、どうするんだ?受けるのか?」
「当たり前ですよ、組織の命令ですから」
上からの命令は絶対だ。なんだったら、クラシャがジャバラに命令しても素直に従う。傭兵とは言われるが、彼らの目の届く範囲にいるうちは、彼らの奴隷のようなものだ。裏切れば報復は必ず来る。しかし、逆に裏切らなければ多大な恩恵を受けられる。金、地位、権力、名誉、功績、力まで、何でも手に入る。特に傭兵として認められた者ならそのような付属品が成果に応じて腐るほど手に入る。
ジャバラがそれで手に入れたのは平穏だった。〈落人〉がシフィアム王国の王城内で騎士として動けているのも組織のおかげだった。
彼らはどこにでもいる、しかし、ずっと底の方におり、なおかつ、生活の隅々にまで溶け込んでいるため、彼らの本当の正体を目にするにはあまりにも複雑で遠く深い。
そのため、彼らから逃げ切ることはほとんど不可能だった。この大陸の外に出ても、もしかしたら、組織の力が及んでいるかもしれないのだ。
「分かった、じゃあ、あれだ、協力者とか用意しようか?」
「いえ、この任務は私一人でやります。彼女のいる場所が、場所なので」
クラシャが持っていた手紙に目を落とす。
「うわ、ほんとだ、エンド・ボロスにいる可能性ありって書かれてる…」
「私、ひとり人なら、そこに潜入する必要もないんで」
「そうだよね、ジャバちゃんはシフィアム王国の騎士だから堂々と入れるね!」
「そういうことです」
ジャバラは部屋の扉を開けた。去り際に彼女に言った。
「そうだ、そのアイスクリーム食べていいですよ、口付けてないんで」
「マジか!?じゃあ、遠慮なく頂きます!うん、おいひぃい!」
ジャバラはおいしそうにアイスクリームを頬張る彼女を後にして部屋を出た。
帰り際、館内を歩いてると、メイドのアロアと出会った。すぐに出て行くことになったことを詫び、淹れてくれた紅茶が美味しかったことを告げて、灰竜の館の外に出た。
土砂降りの雨が降り注ぐ中、ジャバラは雨避けを張った。天から落ちて来る水が、次々とドーム状の水の膜に落ちては伝っていく。
「もしかして、先月来た竜泥棒の子供か…」
周囲を大きな建物たちに囲まれたその場所から、ジャバラは五つの光のリングを足と背中に展開する。
マナを身体に流し、そのリングの光にマナを供給する。
五つのリングから光が排出され、ジャバラの身体が宙に浮く。一気に暗雲立ち込める空に飛び去っていった。
「やるしかない、相手は元ドミナスの人間だ、来も抜けないな」
ジャバラは四番街からそのまま飛行魔法で飛び、王城に帰還した。
***