竜舞う国 交差しすれ違う 中編
バハム竜騎士団団長のヨルム・ゼファーと巡回中の団員たちの斜め後ろの席には、レイドの英雄ハル・シアード・レイがいた。
「ハルさんですか!?なんでこんなところに……って、カルラ様まで!?」
「お久しぶりです。表彰式の時以来ですね!」
ヨルムが驚きの表情で彼を見つめていた。そして、ジュキの瞳にもその英雄の嬉しそうな笑顔が映り込む。
『ハル・シアード・レイだと…』
ジュキの表情が強張る。忘れていた戦意が一気に爆発する。
『なんでこんなところにいるんだ…』
自分の幸せの形を壊すことになった元凶であり、二人と永遠に離れ離れになる原因になった憎むべき…。
『ジュキ、少しいいかい?』
頭の中にクレマンの声が響き、過去の記憶が蘇る。悲しくて辛くてでも温かい時間が流れだす。
『俺たちは人を殺して飯を食ってる、だからいつか復讐もされる時もくるだろう…』
まだ、初めて出会って日が浅かったときに告げられた優しい言葉。
『それでも、俺はきっと自分の大切な人たちを守るためにその復讐者だって殺すよ…』
悲し気に語る彼の表情に、その時の虚ろなジュキは質問した。バカな質問を。
『私のためでも、戦ってくれるの?』
その時の彼の穏やかな笑顔は今でも鮮明に覚えていた。
『もちろんだよ、ジュキ』
ジュキはテーブルの下に隠していた強く握りしめていた拳の力を緩めた。
目の前には、あの時何としてでも欲しかった英雄の命があった。彼の命が今いったいいくらで取引されているのだろうか。そのお金さえあれば、一生金に困らないだろう。どこまでもいつまでも幸せな逃避行を三人で続けられることもで来ただろう。だけど、もう、二人はいない。
「彼のせいじゃない…」
分かっていた。ただ、八つ当たりがしたくなっただけだった。だって、終わってしまった二人のことすら彼は知らないんだ。
渦中のど真ん中に居たのに、あなたの周囲には危険で溢れているのに、あなたは幸せそうに日々を過ごしている。どうして、いいや、こんな思いも彼からしたら聞くに堪えない勝手な話なんだ。すべてはジュキたちが勝手にやって、勝手に不幸になっただけのこと。
やりきれない気持ちだけが残ったジュキの瞳からは涙が零れていた。
「え、ジュキちゃんどうしたの!?泣いてるの!?」
隣にいたナターシャが驚きの声をあげる。
「あれ、なんか、涙が勝手に……」
ジュキたちはハル・シアード・レイという大きな力に関わって、その余波で、クレマンとティセアは死んだ。一見彼が悪いようにもみえるが完全に首を突っ込んだのは自分たちだった。
「おいおい、小娘どうした、なぜ、泣いてる、大丈夫か?」
ヨルムが振り向き心配してくれる。
ただ、ずっと彼に釘付けになってしまっていたから、泣いている間に彼とも目が合ってしまった。
「え、どうかしましたか?大丈夫ですか?えっと、何かあったんですか…?」
そこには心の底から心配してくれている英雄の姿があった。知らないとはいえ、子供だからという理由からだいぶ慌てている様子だった。その優しい心からくる慌てっぷりがクレマンと被って見えてしまいジュキの目からはより大量の涙が流れてしまい止まらなくなってしまった。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……」
泣き叫び、走り出し、かつて打つべき相手だった彼の懐に飛びついてしまった。
飛びついて分かった。彼とクレマンの匂いはまるで違った。彼からは全然血の匂いがしない、ただただ、優しい匂いがした。
「おいおい、ジュキ、ダメだろ、ハルさんのお召し物が汚れちまう、こっちに…」
「いいんです、ヨルムさん」
「ですが…」
「いいんです…」
ジュキは気が済むまでハルのもとで泣いた。泣いて、泣いて、泣いて、悲しい出来事を忘れようとしても、クレマンと出会ってから、次から次へと短い間で詰め込まれた濃厚な幸せな日々を思い出してしまい、泣き止めない。
もう、この時、ドミナスにいた時の暗い記憶など綺麗さっぱり忘れていた。そんな記憶クレマンたちと共に過ごした日々に比べたらなんでもなかった。
「ごめんなさい…私、あなたを……あなたを……」
「どうして謝るの…?」
優しい声が響く。
「だって、私……」
どうしていいか分からなかった。だって、ここには憎むべき相手など誰もいないのだから。
「いいよ、謝らなくて、気が済むまで泣こう」
背中をさすられる、優しくするのは辞めて欲しかった。いつも優しくしてくれた彼を思い出してしまうから。
「悲しいことがあったとき、思い出してしまったときは泣いていいんだ。涙は流すためにあるんだから、それでいいんだよ」
結局、しばらく、泣いてしまったためハルとジュキは外に出た。その後ろには食事を終えたハルの仲間たちと、ヨルム、ナターシャたちなど巡回で一緒に来ていたバハム竜騎士団の者たちも何人か心配でついて来ていた。
店の前でも泣き、それからようやく落ち着き泣き止んだ時には、ずっかり目の周りを腫らして力が抜けていた。
そして、しばらく彼から離れたくなかった。ジュキは、クレマンやティセアに会いたくてたまらなくなっていた。けれど、もう、彼らはいない、分かっているんだ。
「泣いたらすっきりしました。胸を貸していただきありがとうございます…」
彼のもとから離れて、泣きはらした顔で見上げた。
「礼なんていいよ、だけど、泣きたくなったら誰かの胸を借りればいい、悲しいことってひとりで抱え込むには重すぎる時があるからね…」
後悔だけが残る。自分たちは、この人を殺して、自分たちだけが幸せになろうとしていた。それでも欲しかった幸せだったのだが…。
「はい、でも、あなたの胸を借りたら、だいぶ軽くなりました」
「うん、良かったよ」
それからハルたちとヨルムたちの会話を後ろで聞いていた。話している内容は、解放祭でのジュキのことや、白虎討伐の時の話しだった。
「ジュキちゃん、こっちおいで」
そこでジュキがナターシャに呼ばれた。
「この美人さんがライキルさんで、こっちのでかいお姉ちゃんがガルナさん、それでこっちの赤い髪の彼女がビナさん、彼女たちとは白虎討伐の時に一緒に戦った仲間なの」
「あの、ジュキと申します。その、あなたたちのハルさんに、いきなり飛びついてしまい申し訳ございませんでした。お詫びいたします…」
ジュキはこの三人がハルの囲っている女性たちであることは見抜いていたため、すぐに頭を下げた。そこらへんにいるただの子供とも思われたくなかったのもあったのかもしれない。その考えは子供ぽかったが行動は大人びていた。
「その、あなた達三人はハルさんのお嫁さんなんですよね…」
そして、掴みはばっちりだったようで…。
ライキルとガルナがご満悦の顔でこちらを撫でまわて来た。
「ジュキちゃんは絶対素敵な女性になる、これは私が保障する」
「私はこの子が好きになったぞ!」
「私は違いますけど、なかなか、いいこと言いますね」
ビナという女性は、嬉しさを隠しながらも、冷静ではあった。しかし、他の二人はそれから狂ったようにジュキをほめ殺しにしてきた。そこにナターシャも加われば、もみくちゃにされるのも無理はない。
そんな愉快な時間にもちゃんと終わりが来た。
「ライキル、ガルナ、ビナ」
「ナターシャ、ジュキ」
ハルたちとヨルムたちの話し合いが終ると双方に声がかかった。
「店に戻るぞ、俺はまだ飯も食ってないんだ」
「わかりました…」
もう少し話していたかったが、ヨルムが朝飯を食べていないのは、完全に朝に自分の分まで竜たちの世話を手伝ってくれたからだった。だから、今回は歯向かわず文句ひとつ言わなかった。
「それじゃあ、ハルさん、私たちは店に戻らせてもらいます。では、またお会いしましょう!」
「はい、またお会いできるのを楽しみにしております」
そこでヨルムと挨拶を終えたハルが、一本前に出てジュキの前に屈んで微笑んだ。
「ジュキさんも、またどこかでお会いしましょうね」
「はい、その…よろしく……えっ……」
その時、ジュキは、穏やかな表情の裏に潜む何かを彼の瞳に見た。それはジュキには悲しみに見えた。
『なんでそんなに悲しそうな顔で…』
「それじゃあね!」
一瞬だった彼が見せた隙は、すぐにその瞳にも彼が抱え込んでいた悲しみのようなものは消えてしまった。
ハルたちが手を振りながら去って行く。
ヨルムたちが彼らに手を振って応えていた。
ジュキはただ一人、彼のことを想った。
『泣かなきゃいけないのは、ハルさん、あなたの方なのでは……』
遠のいていく彼は仲間たちと楽しそうに語り合っていた。その後ろ姿がどうしても無理をしているようなきがして、でも、もう、行ってしまった彼にジュキは何も言葉を掛けてあげることはできなかった。
「………」
ハルたちが人込みの中に消えていった。
「おーい、ジュキ、戻らないのか?」
ヨルムが、いつまでもボーっと立ち尽くしているジュキに呼びかける。
振り向いたジュキは、ヨルムたちのもとに駆け寄っていった。
新しい居場所を与えてくれた大切な人たちのもとに。