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竜舞う国 狂乱緑龍

 ウルメア・ナーガード・シフィアムが、小さい頃から憧れていたのは素敵な恋の物語だった。【七王国物語】四章 竜舞う国。シフィアム王国が舞台となったこの章は、竜騎士とお姫様の恋の物語。青い瞳が綺麗な素敵な竜騎士と、いつも元気で透き通った水色の髪の素敵なお姫様。そのお話は、二人が互いの身分差を超えて結ばれるお話しであった。

 どこにでも似たような物語は転がっていたが、ジョン・ゼルドが手掛ける作品はどこか他のものとは違った。何か、そう、今に思えば彼の作品はかなり現実に忠実なところがいくつもあった。まるで、彼が生きていた三百年ほど前の時代のシフィアム王国を見ているようで、読んでいると実際にその世界観に引き込まれわくわくしたものだった。

 自分の大好きなお話しの舞台が、自分の家とは不思議であり、さらに登場人物であるお姫様もまるで自分のことのように捉えることができて、子供ながらウルメアは自分は本の中のお姫様になるんだと意気込んだ時もあった。

 妄想と現実が曖昧になっていた時、ふと、ウルメアの傍にあの竜騎士がいないことに気が付いた。いくら探しても自分の理想とする青い瞳の青年は現れてくれなかった。

 それでも、ウルメアはその物語と現実の境界を曖昧にし続け、ひとり薄暗い部屋の中で夢を見続けていた。一日、何時間もその本の文字を目で追っては、その竜騎士の彼と甘い生活を過ごす妄想をした。


 いつか、私のところにも素敵な竜騎士が現れてくれると信じて。


 ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと。


 何年もの間、人生の大半を薄暗い部屋の中で過ごして。


 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


 いつか自分の前に現れてくれる彼のことを想った。


 しかし。


 やがて、だんだんとウルメアも大人になるにつれて気がついていた。理想と現実が酷く離れていっていることに、ウルメアは気がついて焦っていた。

 いつも部屋に閉じこもって理想の彼のことばかり想っていたウルメアより、いつも退屈で仕方がなく持て余した元気でいつも周りに迷惑をかけていた妹の方が、よっぽど物語に出て来るお姫様に似ていると、思ってしまった。

 だから、ウルメアは途中から必死になって妹と一緒に悪戯をしたし、彼女の後を必死に追った。少しでも明るく元気なお姫様になるために、妹のキラメアを参考にした。変わるための努力はした。

 けれど、それだけではない。ウルメアが抱えている問題はそんな微笑ましいものではなかった。

 ウルメアがキラメアをそんなことで逆恨みしないのも家族愛だけはあったから、それと心のどこかでもうひとつの抱えている自身の力の方が重かったからだ。


 ウルメアはすでに人を殺している。それも数人ではない。小さい頃から気に食わない人間は皆殺しにしてきた。

 彼女は【赤龍】と言われる組織の女帝であった。

 これは、オートヘルと呼ばれる暗殺組織がシフィアム王国に支部として立ち上げたもので、ウルメアに全権が任せられている組織だった。


 ウルメアは善人ではない。自身の目的のためなら誰でも構わず殺す、生まれながらの殺戮者だ。


 ただ、このことは王城内の人間は誰も知らない。

 ウルメアの印象といったら部屋で本を読む物静かなお姉さんだ。たまにキラメアのわがままに付き合って、外に出る至って普通の女の子。それが世間の評判だった。


 本質を見抜けない者たち。


 しかし、それはあるひとりの男から教わった訓練の積み重ねの成果だった。

 本当の自分を殺し役を演じる。誰にも見抜けない本質の隠し方。表情や身体のしぐさ、話す口調や会話の内容、自身の感情操作など、あらゆる偽装の術を叩きこまれ身につけた結果至った、完璧なウルメア・ナーガード・シフィアムという仮初の器。

 優しく気品あふれる穏やかな性格で人に親切な家族思いの女の子。

 父のサラマンも、母のヒュラも、妹のキラメアも、宰相のバラハーネも、王城内の人間、そして、シフィアムの騎士団の人間も、この国でウルメアの裏の顔を知っている者はいなかった。

 ウルメアによって作られた偽物の姿をみんなはいつもの彼女だと信じ込んでいた。


 ウルメアの本当の正体を知っている者として挙げられるのは、オートヘルから別れてできた〈赤龍〉という組織の人間たちと、ゼノ・ノートリアス、そして、オートヘル総帥のマーガレットだけだったのだが、ここ最近、ひとりだけウルメアは自分の正体を明かさなければならない人物がおり、その人にだけは自ら自分の正体を語っていた。それ以外の人物はみな、ウルメアという化け物の正体を知る者はいなかった。


 ウルメアの人生をここまで闇の底にまで引き込んだのは、もちろん、ゼノ・ノートリアス、マーガレットの二人で間違いはなかった。

 というよりか、眠っていた彼女の底なしの闇を引き出してしまった者たちと言った方が正しかった。


 ウルメアが二人と出会ったのは突然だった。



 *** *** ***



 〈七年前〉



 夜もだいぶ深まったシフィアム王国の〈王都エンド・ドラーナ〉の中心にある〈王城ゼツラン〉その【竜王の間】と呼ばれる王族たちが住む建物の一室に当時九歳のウルメアはおり、夜更かしをしていた。


 その日は月も出ておらず、真っ暗な世界が窓の外には広がっていた。そして、不気味なほど辺りは静まり返っていた。まるで、世界から音が抜かれたように無音の世界だった。が、そんなこと気にすることなく、ウルメアは本を地面に広げ、ロウソクの明かりで、同じ文章を何度も繰り返し読んでいた。

 ウルメアには静かな世界の方が好都合だった。


「お姫様は竜騎士からの永遠の愛を受け入れ、二人は幸せなキスをした」


 瞬きひとつせず呪文のように唱える。静かな世界にウルメアの声だけが響く。


「お姫様は竜騎士からの永遠の愛を受け入れ、二人は幸せなキスをした」


 だんだんと目が血走って来る。


「お姫様は竜騎士からの永遠の愛を受け入れ、二人は幸せなキスをした、お姫様は…」


「お姫様は何回永遠の愛を受け入れて竜騎士とキスするねん。どんだけ欲求不満なんだそのお姫様は」


 気が付けばウルメアの部屋のベランダの鍵が開いており、そこから二人の男女が土足で部屋に入ってきていた。一人は悪人面の赤い髪の竜人で、もう一人はウルメアと同じくらいの小さな暗い赤い髪の少女だった。その女の子の瞳は夜でも金色に輝いていた。

 しかし、ウルメアからしたら二人が来たことなど、どうでもいいことだった。大事なことは竜騎士からの永遠の愛を受け入れ、幸せなキスをすることだった。


「………お姫様は竜騎士から永遠の愛を受け入れ…」


「待て待て、まだ続けるのか?俺たちが入って来たのに、とんだ、ませたお姫様だこりゃ。どれ、お兄さんにも何読んでるか見せてくれるか?」


 悪人面の男がウルメアが熱心に読んでいた本を取り上げる。


「ああ、よくわかんねぇや、よくわかんねぇもんはこうやって燃やすのが一番だ」


 悪人面の男の手から炎が溢れて、持っていた本を灰にした。


「はいこれでお姫様と竜騎士様は灰になりまし……」


 悪人面の男の隣にいた小さな女の子が、彼の前に割って入って、ウルメアが隠し持っていた短剣を両腕を犠牲にして受け止めた。


「はッ…?」


 悪人面の男はその刹那に何が起こったのか全く理解できていなかった。殺されそうになっていたのに反応すらできていなかった。


「驚いた、どうしてあなたはこんなに強いの…」


「マーガレット様!?」


 悪人面の男が小さな女の子の腕に深々と突き刺さっている剣を見て焦っていた。


「ゼノ、下がってろ」


 マーガレットと呼ばれた少女は、腕をクロスさせてウルメアの刺突の衝撃を抑えたため、両方の腕が短剣でくし刺しになっていた。そして、その短剣は現在進行形でマーガレットの首にその短剣を突き刺そうと前進を続けていた。

 そのまま、ウルメアがマーガレットを彼女の後ろにあった本棚まで叩きつけた。


「この女ぁ!?」


 悪人面の男であるゼノが、ウルメアを後ろから襲おうと腰の剣を抜こうとした時だった。


「下がれと言わなかったか?」


 マーガレットが、ウルメアではなく、ゼノに向けて殺気を放っていた。瞬間、彼の身体が一瞬で氷漬けになったかの様に硬直して、全身から嫌な汗をたらして微動だにしていなかった。


「すまない、ウルメア様、さっきの本は私が新しいものをすぐに用意しよう」


「今すぐここに持って来て…」


 マーガレットの腕からは大量の血が流れ、剣先が彼女の首に到達しようとしていた。


「なるほど、まさか、姫、あなたは…」


 マーガレットの目の前には、身体の半分が緑色の鱗で覆われたお姫様、ではなく化け物の姿があった。よく見れば、彼女の腕が異様に膨らみとんでもない馬鹿力を生み出していた。


「【竜化】できるんですね…」


 するとウルメアの背中から生々しい竜の片翼が現れた。力が一気に増し、マーガレットの首に剣が突き刺さって血が溢れてきた。


「私と彼の間に入る者は全て殺す…」


 ゼノはその光景を後ろから見ていた時、手出しどころかもう二人に近づくことさえできなかった。震えが止まらず、初めて本物の恐怖というものを体感していた。


『た、助けなくちゃ…次は俺だ…』


 しかし、この危機的な状況を救ったのは、マーガレットのある言葉だった。


「七王国物語、私も好きだよ」


 喉に刺さりかけていた短剣がピタリと止まる。


「………」


「四章に出て来る竜騎士カッコイイよね。あなたが惚れちゃうのも理解できるし、なんていうか、物語に出て来るお姫様も、その、とってもあなたに似てて素敵だと思う…」


 そこまでマーガレットが言うと、部屋中に充満していた殺気が、薄れていった。


「彼の青い瞳がとっても魅力的なの、私、彼にあの目で見つめられると、その、顔が赤くなっちゃって…あ、でも、もちろん、表には出さないようにいつも顔、隠しちゃうんだけど、最後はいつも彼が無理やり顔見てこようとしてさ、それでさ、可愛いって言ってくれるんだ…」


 照れているウルメアの背中ではさっきの片翼が彼女の体内に吸い込まれていた。そして、顔に広がった緑の鱗も体内に溶けるように消えていた。

 まさに不意打ちにもってこいの正体の隠し方。お姫様の中には化け物が住んでいた。


 これにはさすがにオートヘルの最後の番人であるマーガレットも冷や汗をかいていた。


「あ、あの、あなたの名前、マーガレットちゃんでいいのかしら」


「え?ああ、ええ、そう、私はマーガレット、よろしくね」


 彼女の機嫌を損ねるとこの場で殺される気がした。


「その、あ、えっと、こういうときお姫様なら、どういうんだろう…」


 何か戸惑っている様子だったが、マーガレットはイチかバチかの賭けに出た。


「あの、もしよかったら、私たちお友達になれないかしら?」


「え!?あ、私もそう思っていたの…だって、マーガレットちゃんと私、とってもお話しが合いそうだったから」


「ええ、もっとあなたと竜騎士の話し聞かせて欲しい」


「本当!?どこから話そう、あのね私と彼はね…」


 彼女の持っている短剣が、マーガレットを無意識に脅迫するかのように、煌々と輝くロウソクの光を反射していた。


『この子、完全に狂ってる』


 三人の出会いは、このように意外な展開で幕を閉じた。



 *** *** ***



 その後、マーガレットは、ウルメアの唯一の親友になってしまった。


 マーガレットとゼノは、この七年前の夜に、彼女の底なしの闇と圧倒的な狂気を、引きずり出してしまったのだ。


 そして、この後、順調にウルメアは裏の世界にその身を落としていった。いや、違う、闇の底に潜って眠っていた化け物が、騒がしい音を聞いて、這って外の世界に出てきたと表現した方が正しかった。

 ウルメアの本質を見抜いてしまったオートヘルが、彼女に振り回されるようになったのはそれからだった。

 マーガレットはそれから度々、彼女のご機嫌を取りにシフィアム王国にひそかに訪れることになってしまった。が、しかし、対等な友人がいなかったマーガレットもなんだかんだ、ウルメアのことを気に入ってしまい。

 二人は本当の意味で親友になってしまった。

 最初は、姫を誘拐してシフィアム王国から金を揺すろうとしただけだったのだが、逆にオートヘルはシフィアム王国に多額の投資をすることになってしまったのはこの事件がきっかけだった。


 ウルメアはゆっくりと狂気と力をつけてそれをひたすら隠していた。


 シフィアム王国の第一王女の裏の顔を知ってはいけない。それ以前に裏の顔があると疑ってもいけない。巧みに隠されている狂気を見つけてはいけない。もし偶然でも見つけてしまった時は、人生の最後を覚悟した方がいい。彼女は邪魔者に対して容赦しない。冷酷な狂人である。


 全てはいつか来る彼のため、彼女は今日も自分を磨き邪魔者を排除する。


 そして、現在、ウルメアの前に理想の彼が現れてしまった。想像通りの綺麗な青い瞳をした青年が、彼女の前に現れてしまった。


「お姫様は竜騎士からの永遠の愛を受け入れ、二人は幸せなキスをした」


 ウルメアが七年前と同じ様に自分の部屋で本を広げて呟いていた。


 ぶつぶつと呟いていると、部屋の扉からノックの音が鳴った。


「はい、どちら様ですか?」


 すると扉の向こうから使用人が返事をした。


「ウルメア様、ハル・シアード・レイ様が、お部屋の前まで起こしになっています」


「!?」


 ウルメアは慌ててドアの前に駆け寄った。彼が倒れてからウルメアも何回もひとりでお見舞いに行っていた。ただ、何も心配はしていなかった。なぜなら、ウルメアの中で、自分と結ばれるまで彼が死ぬはずがなかった。それでは自分の中にある物語として破綻してしまうからだ。

 けれど最近では目覚めない彼に、不安を募らせていたのも確かだった。

 だから、こうしてまた彼の声を聞けるとなると嬉しく仕方がなかった。


『ああ、ハル、起きてたんだ。それで私に会いに来てくれたんだね!そうだよね、私たち結ばれる運命だもんね!』


 ウルメアが扉を開けるとそこには、ウルメアの運命の人であるハルと、その仲間たちがいた。


 ウルメアは心底彼にまとわりつく彼らが邪魔だと思ったが、絶対に、表情にも、心の外にも、一切のその負の感情を出すことはなかった。


『本当にいつでもどこでも彼について回って、全員絶対に許さないからな……』


 彼女の感情の奥底がふつふつと狂気のマグマで煮えたぎる。が、何もかも表には出さない。


「あぁ、ハル!目覚めたんですね!良かったです!!」


 驚いた表情から薄っぺらい安心したような訓練された笑顔を張り付ける。

 しかし、これは誰にもバレない、なぜならこれは偽物であると同時に、本物の感情でもあるからだ。


「いろいろ心配おかけしました、ごめんなさい!」


「謝らなくていいですよ、私、ハルが元気になってくれて嬉しいんですから!」


 ウルメアがハルに対してだけ、ニッコリと本物の笑顔で答える。後ろにいる人間たちを今すぐにでも八つ裂きにしたいと思う気持ちを心の奥底に閉じ込めながら。


『ハル、待っててくださいね…必ず、二人だけの幸せな世界を創ってあげますから…それまでは我慢していてください』


 狂気に染まっているお姫様は今日も偽って生きていく。




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