幸せな夢 またキミに会えたら
朝の光が小さなベットに差し込む。まどろみの中で、木の匂いと花の香りで目が覚める。ベットからは誰かが先に抜け出した後がある。
霞む視界の先に、小さなキッチンで鼻歌を歌いながら誰かが朝食を作っている。
自分の上体を起こして、一人用のベットからハルも抜け出す。
見覚えのある懐かしい場所で、懐かしい匂いで、懐かしい人が、ハルの見つめる先にいた。
「今日は、ハルと買い物、街にお出かけ、御馳走食べて、気分は上々、フンフフン」
フライパンを振るのに合わせてリズム感の無いオリジナルの適当な歌を歌っていた。
そこには懐かしい日常があった。
「アザリア…」
「お、ハル、おはよう、そこ座っててよ、私の最高の朝食食べさせてやるからさ」
手入れされていないボサボサの肩まで伸びた白い髪、透き通ったピンク色の瞳、日に焼けたような褐色の肌。
知的そうな顔立ちなのに、少し抜けている君は得意げにフライパンを振っては、油が跳ねてやけどをしている。
エプロンの下はぶかぶかの寝巻のまんまでだらしがなく、ズボンは少しずり落ちて、下着がはみ出している。
生活態度が適当でがさつ、だけどそんな彼女が好きだったハルの前にその人はいた。
【アザリア・フローラ】の姿がそこにはあった。
ハル・シアードは、ベットの前で、ただ、呆然と朝食を作っている彼女の姿を見つめていた。
「あれ、ハル、なんでそんなところに立ってるって……え、泣いてるの!?」
いつの間にか泣いていた。自分でもなぜ泣いているのかよく分からないハルは急いで涙を拭った。泣いている姿など彼女に見られたくはない。けれど、止まらない、彼女を見ると余計に涙が溢れて来て、どうしようもなかった。
「おいおい、どうしたハル、怖い夢でも見たのか?」
アザリアがフライパンに使っていた炎に魔法で水を掛けて、ハルのもとに駆け寄って来た。
彼女がそばに来ると花のいい匂いが増した。
目の前には最愛の人がいた。
彼女がそばにいるだけで幸せが溢れた。
「なんだろう、とっても悲しい夢を見てた気がするんだ」
「どんな夢?」
「わかんないけど、大切な人たちと離れ離れになる夢だった…」
「ふーん、それは縁起が悪い夢を見たね……」
アザリアの顔に珍しく影が落ちる。彼女が服にしがみついてきて、ハルの胸に顔を埋めた。
「アザリア?……あっ……」
そこでハルは思いだす。
明日にはまた自分が傭兵という人殺しに戻って、戦場で血を流さなければいけないことを。
生きていくためには、金が必要だった。見知らぬ土地で、見知らぬ人たちと争い、見知らぬ人から金をもらう。
簡単に死んでいく金だけが目的で集まる仲間たちと互いの命を預け合う。傭兵は戦場で生き残る知恵があり、しぶとく変化に対応しなければ生きていけない。そんな過酷な世界に身を置くハルは、明日、戦場に赴かなくてはならなかった。
全ては大切な彼女とこれから先も生きていくために。
アザリアは、きっとその戦場に明日、自分が行くことを気にかけてくれていたのだ。自分なんかのために落ち込んでくれているのだ。いや、これは彼女がハルという男のことを愛してくれてるという何よりの証拠なのだ。泣いている場合ではない。少しでも彼女といる時間を幸せなものにしなければとハルは急いで自分の涙を拭う。
涙は止み、彼女を優しく包み込み、優しく声を掛ける。
「アザリア、大丈夫だよ、ほら、君の可愛い顔を見せてくれないかな?」
ただ、彼女はそれでも顔をあげてくれなかった。離れ離れになるのはお互いに辛いけれど、どうしようもないことなのだ。
いくら傭兵が自由でも規則はあった。やめようと思えばやめられたが、それではこの先、生きてはいけない。戦場はハルの生きる場所でもあった。
「君の生き方は辛いな…私にも何かできることはないか?」
辛いのはお互い様なのにいつも君は人のことばかり心配する。負けず嫌いな強い人だけれど、時には思いっきり負けて欲しかった。
「うーん、アザリアが俺にできることは無いね」
もちろん、ハルが傭兵として戦地に向かう意味でであった。これはアザリアの問題ではなく、ハルだけの問題であったから、彼女がどうこうできることではなかった。一度戦場に出たら人はもう後戻りはできないのだ。
彼女が顔を上げてくれる。しかし、不機嫌そうに眉間にしわを寄せていた。
「バカハルめ、何かはあるだろうが!そうだあれだ、私の豊満な身体なんてどうだい?慰めてやるぜ?」
豊満は言い過ぎだったが、そんなことを言えば八つ裂きにされるので冷静に対処する。
「毎日してるじゃん」
「はあ、マジで朝のハルは冷めてるから嫌いだわー」
「俺は、アザリアのこといつだって、大好きだけどね」
笑顔で答えると、彼女は気取った態度でそっぽを向いた。
「うわでたよ、ハルのいつだって、アザリアさんのこと大好きしゅきしゅき宣言がぁ」
いつもの調子の彼女が戻って来る。
「うん、そうだよ、きっと俺は死んでもアザリアのこと好き好き言ってるだろうね。で、アザリアはどう?ハルさん好き好きってなんない?」
「私はならないな、だってほっとけば勝手に、君が好き好き言ってくれるから…ねっ!」
「ん!?」
アザリアが、ハルをベットに突き飛ばした。ハルがベットの上に倒れ込むと、そのまま、勢いをつけて彼女が上に覆いかぶさってきた。そして、ハルは彼女に少し寂しい表情で見つめられていた。
「ハル、頼むから私を置いて行かないでくれよ?君がいないと私の人生の半分が予定の無い休日になっちまうからさ」
「大丈夫、安心してよ」
ハルが、彼女の頬を優しく撫でる。
「安心できない、ハルがまたここに戻ってくるまでは安心できない!」
「また必ず戻って来るから、だってさ俺がいったい何歳の時から戦場を駆けずり回って来たと思ってるの?アザリアといた時間よりずっと長いんだよ?」
「分かってるけどさ…怖くなっちゃったんだよ……」
現状を変えられないアザリアが虚しい表情で訴えかけてくる。
「君のいない生活が、考えられなくなっちゃったんだよ……」
戦場の帰りに偶然通りかかった森で出会った二人。野放しになっている野生の魔獣相手に、護衛も無しで、実験のための餌をやろうとして襲われそうになっているところをハルが助けたのが始まりだった。
そこから、何度かハルが戦場から帰って来ては、アザリアのいるこの小さな木の家に立ち寄っている間に、二人の関係は深まっていき、現在に至った。
魔獣の研究をするために森に籠る研究者のアザリア、戦場で生きるために金を稼ぐ傭兵のハル。
普通なら出会うはずの無い二人の出会いはこれまでにないほど互いの人生に愛と幸せを与えてくれた。
傭兵として戦場で戦うハルも、この木の家でアザリアと一緒に過ごしている時だけは、自分がどんな人間なのか忘れられた。
ずっと研究ばかりで孤独の道を突き進んで来たアザリアも、ハルと一緒にいる時だけは、人の温かさを実感できていた。
二人にとってお互いの関係は、切っても切れない存在になっていた。
「そうだね、俺もアザリアのいない世界は考えられないかな…」
「ハル、本当に死なないでくれよ?」
「死なないよ」
ハルがアザリアを抱き寄せて互いの唇を重ねた。
互いに満足するキスを終えると、アザリアがハルの身体から離れて言った。
「よっしゃ、ハル、朝ごはんにしようか!」
ハルとアザリアは二人でキッチンに立って、互いに相手を笑わせるような冗談を言い合いながら、朝食の準備をした。
そして、二人が朝食を食べ終え、花に水をやって、部屋を掃除して、身支度を整えると、近くの街へと出かけるために、準備を進めた。
***
「よし、じゃあ、ハルくん、街へお出かけに行くぞ!忘れ物はないか!?」
「ないです、アザリア隊長!」
いつだって、相手に合わせてふざけ合う二人。
「よろしい、ならば出発じゃ!」
アザリアがハルの手を取って、木の家の玄関の扉を開け外に出た。
歩いてだいたい一時間のところにある大きな街を目指してハルとアザリアは歩き始めた。
アザリアは頭に魔獣除けの香りがする花の冠を被っており、かごにはアザリア特製の日焼け止めクリームが入った小瓶がぎっしりと詰まっていた。
ちなみに、ハルたちが出て来る時もいつも通りその日焼け止めと虫よけの両方を兼ね備えた特製クリームをつけて出て来ていた。
今回はハルが戦地に行ってしまう前のお出かけだったが、彼女が街に行くならついでにと、店に卸す商品を持って来ていた。
彼女の日焼け止めクリームは、街の人から評判がよく、彼女自身も自信満々に『人気なんだ私の作るこのクリーム』と彼女は歩きながら自慢していた。
二人が森を抜けると、見晴らしのいい草原に出た。ハルが腰から下げている剣もここまでくれば出番もぐっと減った。アザリアも花の冠を取って白いワンピースに似合う麦わら帽子を取り出して被った。
緩やかな小さなデコボコの緑の丘をいくつも抜けていくと、人の手が加わった大きな道に出た。この道を道なりに真っすぐ進めば、目的の街が見えてくる。
その道を歩いている途中、何台もの馬車や馬に乗った人たちとすれ違う。この道を徒歩で移動する人は少ない。
二人がしばらく、その道を歩いていくと、収穫時期の小麦畑が現れ、その先に大きな街が見えてきた。
街に入ると、そこにはたくさんの人と馬車が行き交っており、静かな森の中とは正反対の場所だった。しかし、こういった賑やかな場所も、たまにはいいものだった。
今日は何かの祭りなのか、外には屋台も並んで街は賑わいを見せていた。
人が多いため、ハルは、アザリアが離れないように、彼女の手を強く握って歩いた。
「あれ、今日は何かの記念日だったけ?」
アザリアが首をかしげるとハルはひとこと言った。
「戦争前の祭りだろうね、ここからも多くの騎士が出兵するらしいからさ」
ハルが所属する傭兵団から聞いたことだった。
「ああ、そっか、だから、こんなに明るいんだね…」
「うん、そうだね」
戦争で名を上げる機会を得られる騎士たちを周りの家族は全力で応援する。そのため、戦争前の祭りは大いに盛り上がりを見せる。悲しくないわけじゃない、もしかしたら最後になるかもしれないから、愛する人を会える間に、精一杯愛するからだ。
だから、戦争に参加する街は、戦争の前に盛大なお祭りを開くのだった。
大切な人達と楽しく特別な時間を過ごしてもらうようにと。
「私、戦争前のこの明るさが嫌いだな…」
「言いたいことは分かるよ。でも、そんなこと言ってると魔女って呼ばれちゃうよ?」
「私、魔女好きだよ、なんてったって女研究者の元祖見たなものだからね。魔法だって最初に使った人は女の人だって本に書いてあったし」
「そう言うことじゃなくて、こんな日のこんな人の多いところで、戦争に反対するのは良くないってことだよ…」
「だって嫌いなものは嫌いで好きなものは好きなんだもん」
「アザリアの気持ちも分かるけどさ」
祭りは好きだったが、この戦争前の祭りは、いつまで経ってもハルも好きになれなかった。
「戦争なんか止めて、こうやっていつまでも楽しくお祭りをしてればいいのに」
「俺もそう思うよ…」
少年時代から親を亡くして戦場で生き抜いてきたハル。立派な血筋も無いため騎士にはなれず、自分の将来が戦場で生き残る知恵と武力を駆使できる、傭兵か賞金稼ぎになる他なかった。
そんなハルでも、自分の稼ぎである戦争が、永久に人間の間でなくなって欲しいと切に願っていた。願うだけではダメだと分かっていても、たったひとりの人間の力では国の争いなどどうすることもできなかった。
『もっと俺に、絶大な力と莫大な権力があれば、戦争なんて馬鹿げたことすぐに辞めさせるのに……』
誰もが思う、ないものねだりをする。
ずっと戦場で生きてきたハルだから分かる。人生で体験できる全ての苦痛を煮詰めたような、ただただ虚しい地獄。その繰り返しが戦争というものだった。
一度起こればどちらかが亡び切るまで終わらない、人間が生み出した争い、そして、国家の戦略手段のひとつ。
『俺には、彼女と自分の世界を守るので精一杯だ…』
ひとりの善意ではどうすることもできないのは当然のことだった。
アザリアが商品を店に卸すのを見届けた後、二人でそこら辺の安いレストランに入って、食事をした。
お腹いっぱいになった二人は街を見下ろせる高台に足を運ぶと、二人で風を浴びながら、祭りで賑わう街を見下ろした。
「さっきのレストランの料理美味しかった。それにめっちゃ安いのが良かったわ、たくさん食べるハルにも合ってたよな!」
「うん、また二人で行きたいね」
「ここから見えないかな?さっきのレストラン」
「どうだろう、結構歩いたからな」
ただのデートを満喫する二人。
「待って、ハル、あそこじゃない?ほら、さっきの大きな看板!」
「アハハハ…ほんとだよく見つけたね」
「私、目だけはいいんだ!」
上から見下ろす街で、気になるところを彼女が次々と指差しては、ハルとその建物が何なのか予想したりしていた。
「この街に図書館がないのがガッカリなんだよな、あんな大きな娼館はあるのに」
アザリアが街を見下ろしながら言った。
「本はみんなには難しいからね」
本など一部の貴族や学者などが占有するもので、文字もろくに読めないハルからしたら図書館などあってもなくてもいいものだった。ただ、彼女が欲しいというならあった方がいいのだろう。
「何?じゃあ、ハルは娼館で可愛い女の子とイチャイチャしてる方がいいってわけですかい?」
「その女の子がアザリアだったら、図書館があるよりは、娼館があった方がいいかな」
遠くの綺麗な街並みを眺めながらハルが、とくに深い意味も何も考えずに頭からっぽでそう言った。
「お前、どんだけ私のこと好きなんだよ!!」
アザリアに背中を強くバシバシと叩かれる。
「好きだよ、きっと、この人生じゃたりないくらい君のことが好きだ…」
遠く見つめていたハルに、アザリアがすり寄ってきて、彼女は傍にあったハルの腕を抱きしめ、肩に頭を預けた。
「じゃあ、来世でも私のこと見つけ出して、愛してよ」
「別にいいけど、アザリアはいい女だから、他の男に先越されてそう…」
「なんで弱気なんだよ。そこはその男ぶん殴ってでも私を奪うところでしょ?」
「でも、その時のアザリア、絶対その人と幸せそうに笑ってると思うな」
下の街では戦争でる騎士たちのパレードが始まったのか、楽器の奏でる音楽が高台まで聞こえて来ていた。
「だから、その時のハルは身を引くってわけ?私の幸せのために?」
「そうなるかも」
「優しいな、優しすぎて不幸になるタイプだぞ、ハル…きっと後悔するぞ、その考え方は…」
彼女の言う通りかもしれないが、それでも。
「うん、だったら、その時の俺は喜んで…」
ハルは、アザリアの身体を自分の方に向けた。
「君の幸せのために不幸になるよ」
ハルが最高の笑顔で彼女に笑いかける。アザリアの呼吸も一瞬止まるくらいの勢いがあった。
「そっか、じゃあ、私もハルのためにその時は身を引こう、君の幸せのために」
「アザリア」
「何だ?」
「それだけは絶対にやめてくれないかな…」
「え?」
ハルがアザリアを抱き寄せる。
「もし、アザリアが俺のこと好きなら、そん時は諦めないで追いかけて、必ず俺はキミに振り向いてきた道を戻るからさ…」
「なんかそれ、ハルだけずるくない?」
「アハハハハハハ、そうかも、でもアザリアがそう言ってくれると嬉しいな」
「私だって、ハルのこと好きなんだからな…」
「知ってるよ」
ハルが笑いかけると、アザリアは少し恥ずかしそうに顔を赤くした後、彼女も素敵な笑顔を返してくれた。
***
ハルとアザリアは、日が落ちる前に街で買い出しをして、馬車を利用し来たときよりも早く、森の中にある小さな木の家に帰宅した。
帰って来ると二人とも汗でびっしょりだったので食事を作るよりも先に、木の家の外にあるとても狭いシャワー室で汗をながした。シャワーのタンクの中にある水は当然魔法で生み出したもので、小さなタンクの中の水が減って来たらアザリアが水魔法を使っていつも空っぽにならないように貯めといてくれていた。
シャワーを浴びてスッキリした二人は夕飯づくりに取り掛かる。
買ってきた保存の効く食べ物はキッチンの床下の収納スペースにいれて、今日、二人でごちそうを作るために買ってきた食材は、キッチンの作業台の上に並べた。
二人で手際よくあらかじめ決めていた料理を作っていく。
アザリアが塩と砂糖を入れ間違いそうになったところをハルが止める。逆にハルが塩を入れすぎようとしたところをアザリアが止めた。
そうやって互いを支え合いながらできた料理が日が暮れる前に完成すると、二人は小さなテーブルを囲んで夕食にした。
買ってきたちょっと高いお酒を自分と彼女のグラスに注ぐ。
「頂きます!」
生きるための犠牲となった命にハルとアザリアは感謝を告げて、今日も二人は幸せな時間を迎えた。
食事中はずっとくだらない会話をしながら、二人で苦労して作ったご馳走を食べた。
食後は酒を中心に買ってきた油っこいつまみを食べて、二人で良い気分になっていった。
「ハル、かたずけなんて明日私がやるからさ…私に構ってよ…」
食器をかたずけていたハルの身体にべったりと花の香りのアザリアがくっついて来た。
「わかったよ、はい、おいで」
ハルが腕を広げると彼女が飛び込んで来た。
「わーい、ハル、しゅきしゅき、だいしゅき!」
朝の彼女の姿とは大違いであるが、どんな彼女もハルには愛おしくてたまらなかった。
「はいはい、甘えん坊さんだな、アザリアは」
「ねえ、ハルも言って!」
「好きだよ、愛してる」
「本当?」
「本当だよ」
「えへへ、めっちゃ嬉しい」
ハルが彼女を軽々と持ち上げてベットまで運んだ。
狭いベットに彼女を先に寝かすと、ハルは夕食の後かたずけをして、明日出かける準備を整えた後、身支度をして、彼女のいるベットに戻った。
「ハル、遅いよ来るのが、私、ずっと寝ないように待ってたんだぞ…」
ベットはもともと一人用だったから二人は狭かったが、互いに抱きしめ合うことで、落ちることはなかった。
「ごめんね、明日の用意してたんだ」
「そっか、明日行っちゃうんだもんね…」
「うん、またちょっとしたお別れだね」
ハルが小さな彼女の身体をベットの中で優しく包み込む。彼女のぬくもりが伝わって来ると不安が消え安心することができた。
「い、嫌だ、嫌だよ、ハル、行かないでよ…」
けれどこのぬくもりが彼女をさらに不安にさせる。この互いが触れ合う温かさが、離れて行く恐怖を何倍も膨れ上がらせて、心を粉々に壊していく。
「またすぐ戻って来るよ、何も心配いらないよ」
「だって、もしかしたら…」
腕の中にいるアザリアの頭を撫でて彼女を落ち着かせる。
「このことで俺が噓ついたことあった?俺が戻ってこないことあった?」
「その言い方はずるいよぉ…」
確かにずるかった。これではいなくなった時しか彼女は反論できない。
「大丈夫、俺は嫌われものの傭兵だから、命まではかけない。守るものはアザリアと自分の命だけだから」
「約束してくれる?必ず帰って来てくれるって」
「約束するよ、だから、今日はもう寝ようか、明日は早いからさ」
「うん、わかった、おやすみハル、愛してる」
「おやすみアザリア、俺も愛してるよ」
小さなベットの上で互いを大切に思いながら抱き合い眠る二人は夢を見る。その夢は互いに互いを幸せにする夢だった。
*** *** ***
翌日の早朝。
昨晩準備していた荷物を持ったハルは、小さな木の家の玄関の前に立っていた。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「気をつけてね…」
「うん、アザリアも無理しちゃダメだよ?危ない魔獣の研究は俺と一緒の時だからね?」
「分かってる…」
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい…」
ハルが玄関の扉を開けると外は霧がかかっており、森全体は湿っていた。さらに早朝で森の中にはまだ光が入って来ていないため、薄暗かった。
小さな木の家の玄関から、見慣れた花壇の横まで歩いた時だった。
「待ってハル!」
振り向くと裸足でアザリアが走って来ていた。
「どうしたの?アザリア」
「忘れ物」
ハルが彼女を見るが手に何も持っていなかった。
「忘れ物って……ん!?」
不思議に思っていたハルにアザリアがキスをした。足りない身長を補うように彼女は背伸びをしていた。やがて、ゆっくりと彼女が離れるといつもの元気な笑顔で言った。
「無事に帰って来てね!」
ハルも優しい笑顔を返して深く頷いた。
そして、一呼吸置いた後、ハルは彼女に愛の告白した。
「そうだ、アザリア、今度戻って来たときさ、俺と結婚してくれないかな?」
その告白に、アザリアが今さら何を言うといった感じで、優しく微笑んで返事をした。
「もちろん、いいよ」
「ありがとう」
それから、ハルは深い森の中の小さな木の家に愛する人を残して戦地に赴いた。
ハルの背中が見えなくなるとアザリアはひとり取っても静かになった森の中で呟いた。
「ずっと待ってるよ、ハル…」
*** *** ***
幸せな夢が終わりを告げた。
*** *** ***
目覚めた時、ハルの眼前には知らない天井が広がっていた。
「アザリア…」
周りを見渡しても彼女はどこにもいなかった。