竜舞う国 自問自答
「お帰り、ハル、待ってましたよ」
(幸せに耐えられなくなったらどうすればいいのだろうか?)
寝巻姿のライキルが、ハルの部屋のベットの上で待っていた。
薄暗い部屋の中で、ベットの周りの燭台の照明だけに火が灯りぼんやりと幻想的に光っている。
ベットの上から垂れ下がるレースのカーテンの先で、そわそわしている彼女が、少し緊張した面持ちで微笑む。
「ここ、俺の部屋じゃなかった?」
(逃げ出せばいいのか?)
レースのカーテンの先にいる彼女が慌てて声をあげる。
「あ、だって、その、ハルが勝手に決めていいって言うから…」
彼女のいるベットのもとに近寄り、レースのカーテンを開けた。そこには相変わらず、どの角度から見ても完璧な美しさを持っている筋肉質な女の子がいた。まさにハルのタイプの女の子がそこにはいた。
ハルがベットに腰を下ろすと、彼女がすり寄って来た。
「ダメでしたか?」
(君たちを手放すぐらいなら死んでしまった方がましだってこと分かって欲しい)
彼女の甘い囁きと吐息が耳元にかかる。
彼女の頬を撫でて悪戯っぽく笑いながらひとこと。
「ダメ」
「…えへへ、そんなこと言わないでくださいよぉ」
きょとんとした顔のあと彼女は冗談でしょ?といった具合に笑った。ハルはニコニコしながらさらに告げた。
「ライキルの嘘つき」
(壊れていくと分かってる心を抱えて生きるのは辛いな)
「…私、ハルに嘘つきませんよ」
「今はね」
彼女を強く抱きしめる。彼女の心臓の音。彼女の上がっていく体温。彼女のいい匂い。どれも心地よかった。ずっとこうしていたいと思うけれど、彼女はどう思っているのだろうか?その答えは聞かなくてもわかっていた。
「どういう意味ですか?」
「ライキルは酷い子だからいつか俺から離れていくよ」
(離れて行くのは自分なのに相手のせいにしてさ)
「もしそれが本当なら、きっと、その女の人は、ハルの愛するライキル・ストライクじゃないですね、他の誰かです」
彼女もそっと抱きしめ返してくれた。
(臆病な自分がすべてを台無しにして幸せになろうとしてる)
「ううん、きっと、彼女はライキル・ストライクだよ。毎日手入れを欠かさない綺麗な金色の髪に、満月みたいな黄色い瞳、美人で可愛くて、身体は筋肉質でたくましくて、それで丁寧な言葉遣いで、会う人会う人みんな彼女を好きになっていく、そんな魅力的で優しい女の子…俺の大好きな人……」
そんな女の子を壊そうとする自分はいったい何様なんだ?
(最低だ)
自問自答する。
ただ、大切な人たちと一緒に居られるだけで良かったなんて言わない。
自分にはやることがあるから、騎士として、英雄として、みんなの期待に応えなきゃいけない。
(それは自分の大切な人達を悲しませても必要なことなのか?)
もう止められない。今さら後戻りはできない。それに、悲しませないための考えはしっかりとある。ライキルとガルナ二人の心を壊して、一生傍に居させる。それで俺はこれからも幸せに生きていける。
(それが幸せだと思っているのか?空っぽになった彼女たちの世話だけをして一生を終えるのか?)
それが彼女たちの最大の幸福だろ?ハル・シアード・レイなんていうクズに溺れた哀れな女の子たち。彼女たちはどんな形でもハル・シアード・レイの傍に居られれば幸せなんだろ。ただ、傍に居られれば、心も必要ないだろ。きっと彼女たちもわかってくれるさ、俺のためなら二人はどんなことでも受け入れてくれる。そうだよ、なんでもだよ、お願いすればなんでも笑顔で受け入れてくれる。それは、心が無いのと一緒だ…。
(それは違うって分かってるだろ?)
なんで、俺は生きてるんだよ。なんで俺はこんな力持って生まれて来たんだよ。誰だよ俺をこんなにした奴は。俺はなんで存在してんだよ。
「ハル?」
二人を壊して、最後まで傍に居させるんだ。二人を壊して、誰にも渡さないんだ。この世界には素敵な人がたくさんいる…俺なんかよりも魅力的な人がいっぱいいる。
俺なんかよりも、二人を大切にしてくれる人はたくさんいる。
それなのに、俺は二人の元から去ることしかできない。この手を血に染めることしかできない。
もう、生きてるのは二人だけなんだよ。なんで目を覚ませばいつも彼女だけがいないんだよ。
こればっかりをいつも思い出している。二人を愛するほど、彼女が薄れて行って、彼女に近づこうとすれば二度と二人に会えなくなる。
俺は欲張りか?
一度に三人も好きになった人を愛するのは欲張りか?心の底から愛すると決めた人たちと一緒にいたいって願って悪いことなのか?なんでこうもみんなと離れ離れにしかなれないんだ。
「ハル、大丈夫ですか?」
愛する人といる時間が苦痛でしかなくなった。その時が来るまで、一緒に心から笑っていられる自信が無い。あまりにもここまで積み上げて来た時間が大切なもの過ぎて、生きても死んでもずっと苦しい。過ぎ去っていく一日一日が悲しい。終わりが見えているのが辛い。
どうすればいいか分からない。けれどやることは決まっている。
みんなを救う。
最後ひとりになっても、みんなを救えたならいいのだろう。
多分それでいいのだろう。
本当は最後まで二人と一緒にいる必要もないのだ。
生きている二人が、ハルを失て、新しい誰かを愛して幸せになったらきっとそれでいいのだ。
自分の欲のために誰かを壊すハル・シアード・レイなどいない方がいいのだ。
*** *** ***
気がつけばハルは大量の大粒の涙をとめどなく流していた。そして、その涙をライキルが一生懸命拭ってくれていた。
「ハル、大丈夫ですか?どうしたんですか?」
心配そうな表情の彼女が、放心状態だった自分にずっと声を掛けてくれていたのだろう。
「ライキル、傍に来て…」
「なんですか…ん!?」
無理やりキスをした。最初はビックリした彼女だったが次第にそのスキンシップを受け入れていった。しばらく互いの唇を重ねてからそっと彼女の身体を離した。彼女は恥ずかしさで顔を赤らめ、物足りなさそうな目で、こちらを見つめていた。
ハルだってもっと長い間彼女とのキスを楽しんでいたかった。けれど、それでも聞かなきゃいけないことがあった。
「なんで、嫌がらないの?」
「え?嫌がったらもっとしてくれるんですか?」
ハルがもう一度彼女の唇を奪う。彼女は喜んで受け入れる。普通の人だったら嫌がるような深いキスを無理やりしたが、逆に彼女の欲望に火をつけたようで、ハルが離れようとしても後ろに手を回されなかなか離れてくれようとしなかった。
「待って、嫌がってよ、拒絶してよ…なんでライキルが熱くなってるの?」
「えぇ…それは、む、無理ですよ、だって私、ハルとそういうことするの好きですし…」
「あんなキスのされ方、嫌でしょ…」
「そんなことないです!私、結構、ああいう奴の方が好きですよ!ハルはどうなんですか?」
ライキルが、意味も分からず泣き腫らしているこちらを気遣って、やけに明るい調子で話しかけてくる。こういうところがハルがライキルのことが大好きなところだったりする。困っていると力になってくれようとする。悲しんでいると元気づけようとしてくれる。彼女のその優しさがハルは大好きだった。
「…好きだよ、嫌なわけない。だけど、もう限界だよ、こんな幸せな生活耐えられないよ…」
ライキルにすがる様に抱きつく。
情けないと思うが、実際にハルは情けない男なのだ。よく見せているだけで本当はもっと自分に力があれば、自信があれば、余裕があれば、こんな弱みを見せなかったと思っていたし、見せる必要もなく心配もかけなかった。けれど、実際は理想に届かないし、降りかかる重圧が、ゆっくりと自分の心を蝕んで壊し続けていることにも気付かなかったりと、ハルという人間はどうしようもないほど普通の青年だった。
大切なものを失うのが怖い、ただの人間だった。
「ハル、何かありましたか?その、私に何かできることありますか?」
「…………」
彼女にも今ここで、できることがあった。
「私、ハルのためなら何でもしてあげますよ?」
「…………」
ずっと自分の傍に居てもらうため彼女の心を壊すこと。
「私、いつだって、ハルの心の支えになりたいんです!」
心の支えにはずっと前からなってくれていた。けれど今回は彼女の存在がハルを苦しめることになっていた。
「じゃあ、ライキルにひとつお願いがあるんだ…」
「なんですか?」
「俺のために壊れてくれない?」
「もちろん、いいですよ」
即答だった。
「………」
ハルがライキルの胸の中から顔を上げると、彼女は優しく微笑んでいた。まるで、自分があなたの役に立てるのが嬉しいみたいな無垢な表情を浮かべていた。
「どうやって私を壊しますか?」
笑顔で彼女が聞いてきた。それに応えるように、ハルが彼女に向けて手を広げた。
ライキルが目を閉じてその時を待った。
「………」
『できるわけないだろ…』
ハルは彼女に向けていた手のひらを自分に向けた。そして、自分に向けて想像を絶する恐怖を打ち込んだ。
ハルの視界が暗転する。