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白夜

 チェイスの目線の先には、任務でずっと前に死んだはずのヴァレリー・オーレッジという老人がいた。立派な白髪に、ニヤリと意地悪そうに笑う顔には死んだ前よりしわが増えていた。およそ十年も前のことだ。彼が組織からいなくなったのは。上からはずっと任務で失敗して死んだと伝えられており、まだ十歳ほどだった、キュリオやリン、トトやナウジーたちは泣いていたのをチェイスは覚えていた。バイパーに至っては絶対に爺さんは死んで無いと言って聞かなかった。


「ヴァレリーさんですよね…」


 驚きの再会でチェイスの目からは涙が出そうになっていた。


「いかにも、チェイス、見ないうちにいいおっさんになっちまったな、ハッハッハッ」


 ヴァレリーが腰から下げた真っ赤な剣身の片手剣を腰から抜き取った。そして、チェイスに向かって踏み込んで、飛んできていた追撃の魔法でできたと思われる漆黒の浮遊する剣を再び弾いた。


 ヴァレリーがチェイスを守る様に前に立つ。そして、漆黒の剣が飛び出してくる一〇二号室を見た。その個室には、帽子を被った紫色の髪のエルフと、くすんだ金髪の男がいた。


「あんた、いや、名前を言うのはやめておこう、ここには大切な者たちが多すぎるからな」


 ヴァレリーは蓄えた白いひげをさする。


「爺さん、ヴァレリー・オーレッジでしょ、知ってるよ、オートヘルのゼロ部隊に所属する教官で、他の組織からは白炎(びゃくえん)って呼ばれて恐れられてた怪物、生きてたんだ」


「お嬢さんとっても物知りなようで…」


 ヴァレリーの額から嫌な汗が一筋流れ落ちた。


「当然、長生きしてるからね、君みたいな老人は僕からしたら取るに足らない赤ん坊のようなものさ」


「エルフっていうのは、やはり、歳が外見にでねぇぶん、厄介なもんだなぁ、目上かどうかわかりやしない」


「そうだね、逆に人族は分かりやすいよね、しっかりと老いが外に出る。まあ、そう考えると人族って可哀想って思うけどね、生きれば、生きるほど、若さが消えて、美しさが逃げていくんだからさ」


 少女のような可憐さを持つ紫色の髪のエルフがニコニコしながら言うが、そこで、ヴァレリーは失笑した。


「フフッ、やはり、嬢ちゃんは、嬢ちゃんだったか」


「…あ?」


 酒に酔って饒舌になっていた、その紫色の髪のエルフに青筋がたつ。


「どういう意味だぁ?」


「面や体が老いることを受け入れる人間の美しさや、老いて変容する景色を楽しんだことが無いようじゃ、何十何百生きて来たって、俺からしたら、あんたは嬢ちゃんなんだよな」


「…そうかい、死にゆく老人の言葉ありがたく受け取っておくよ」


 一〇二号室が闇に染まり何も見えなくなる。


「チェイス、みんなを連れて裏口から逃げろ!!」


「ヴァレリーさんは!?」


「急げ!!」


 そこで一〇三号室から一斉にオートヘルのメンバーたちがなだれ出てきた。


 ヴァレリーの目にキュリオたちの姿が映る。幼いころから知っているガキたちが、立派になった姿がヴァレリーの目に映ったのだ。


 そして、キュリオの瞳に、リンの瞳に、トトの瞳に、ナウジーの瞳に、バイパーの瞳に、恩師が映り込む。


「ヴァレリー…」


 キュリオの消え入りそうな声が響く。


「キュリオ、立派になったなぁ!俺は嬉しいぞ、お、リンも綺麗になったな!あ、トト、ナウジーか?アハハハハ、こりゃまいったなぁ、みんなでっかくなって!俺は嬉しい、嬉しいぞ!」


 ヴァレリーが大声で笑う。しかし、現在のニューブラットは和気あいあいと感動の再会を喜んでいる暇じゃなかった。一〇二号室から殺意が濃くなるのを戦闘経験を積んだ者たちは一人残らず感じ取っていた。一〇二号室に何かがいる。そんな不確定でおぞましい存在を感じ取っていた。


「ジジィ!!!」


 ヴァレリーの耳に懐かしい声が聞こえてくる。


「バイパー、かぁ……」


「なんで手紙のひとつもよこさなかったんだよ!俺たちはずっとあんたの帰りを待ってたんだぞ!!」


「………」


「悪かった、バイパー、だが、今は時間が無い、お前がみんなを守れ、あの頃じゃ、お前が一番歳上だっただろ?」


 キュリオ、リン、トト、ナウジー、バイパー。まだ、小さかったみんながヴァレリーから剣の稽古をつけてもらっていた時期を思い出す。その五人の中で、バイパーは一番の年上だった。ヴァレリーは忘れていなかった。あの頃、みんなで剣を振っては強くなろうと競い合い笑い合った日々を。


「なんだよ、何がどうなってんだ?」


「裏口だ、全員裏口から逃げるんだ。これはヴァレリー・オーレッジからの最後の絶対命令だ!!」


「俺はまだぁ」


 バイパーの目からはとめどなく涙が出ていた。


 一〇二号室で凝縮された闇が膨れあがる。


「いけぇ!お前たちがいると俺は戦えねぇ!」


 バイパーが自分の涙を拭って、全員に声を掛ける。


「みんな裏口に向かえ!!急げ!!!」


「でも、まだ、何も……」


 リンがそう言いかけるが、バイパーが泣きながら怒鳴る。


「急げ!!!」


 ヴァレリーを除いた、キュリオ、リン、トト、ナウジー、バイパー、アマンダ、チェイス、ヘッグの全員が、その場から、ニューブラットの裏口に駆けだした。誰も振り向かなかった。いや、怖くて振り向けなかった。それと同時にみんなが悟った。彼は死ぬと…。



 ***



 オートヘルの全員がいなくなった後、凝縮された闇が一〇二号室を突き破り、ニューブラットの店内に染みわたり始め、ゆっくりと浸食し始めた。


『末恐ろしいな、闇とは…』


 ヴァレリーの手には白い炎が輝き、周囲を少しだけ照らしていた。それでも、闇の発生源であるニューブラットの一〇二号室の闇を照らすことはできなかった。


「静かにやろう、あんまりこの街で暴れたくないんだ」


 その闇の個室の中、から声がした。


「お前さんのような化け物が、一体何に怯えているんだい?人払いの結界を何重にも張ったようだが?」


 ニューブラット周辺には大きな魔法による結界が張られていた。先ほど、二〇一号室を闇で隠したのは、この結界を張る時間稼ぎだったとヴァレリーは見た。


「怯えてるんじゃない、ここで、偶然まだ彼が近くにいて戻って来てもらっても困るんだ。僕は、デザートは最後にとっておきたいタイプなんだ」


 闇の中から余裕そうな声が聞こえて来る。ずっと彼女の所属する組織を追っていたヴァレリーからすると、彼女の言っていることはなんとなく理解できた。だいたい、あの例の英雄のことなんじゃないかと予測がたった。


「そうか、俺はデザートは先に食べるタイプなんだが、ただ、今回のデザートはなかなか喉を通りそうになくてなぁ…」


 ヴァレリーは赤い刃の剣を右手で構え、左手には白い炎がメラメラと燃えていた。暗闇に灯る白い炎はなんとも心もとなかった。


「そうか、でも、僕にとって君はデザートでもないし、食べるにすら値しない、そんな存在だ。だから、もうこの世から立ち去ってくれ、目障りなんだ」


 一〇二号室があった場所から、凄まじい勢いで、流動する漆黒の液体が吹き出し、ヴァレリーの体は一瞬で、バーカウンターがあった後方まで吹き飛ばされた。視界も悪く一瞬の出来事でヴァレリーは反応しきれなかった。

 バーカウンターの酒の入った棚に叩きつけられたヴァレリーはそのまま背中を強く打ち、崩れ落ちた。


「おいおい、最初から飛ばし過ぎじゃないか、嬢ちゃん…老体にこれはきついなぁ…」


 ヴァレリーが壊れた酒瓶の棚から零れる大量の酒を浴びながら、冗談を口にする。が、ヴァレリーに余裕はまるでなかった。割れた酒瓶から溢れる酒に血も混じる。今、相手にしているのは十年間追って来た遥か深淵のそこに漂っている闇の組織、その最高クラスの幹部の一人。余裕があるわけがない。


「はっきり言うと、爺さんみたいな小物、暇つぶしにもならないんだよね、だから、抵抗するなら全力で来た方がいいよ、じゃないとすぐ死んじゃうからさ」


 続いて二度目の質量のある闇の流体が、真っ暗で見えない二〇一号室から飛んできた。今度はぎりぎりでかわしたヴァレリーが反撃に出る。

 手に握られた小さな白い炎も塊を、二〇一号室の闇に向かって投げつけた。


「そこだ」


 ヴァレリーが飛ばされた白い炎が漆黒の球体の直前までくると開いていた手を握った。すると大きく広がる白い炎。瞬間、ニューブラットの屋根を吹き飛ばすほどの白い炎の柱がその場で立ち上がった。

 夜にそびえ立つ白い炎がその場の全てを滅却し焼き払う。通常の炎魔法とは比べものにならない抹消能力があった。


 しかし。


「白い炎、なかなかの火力だ。いい魔法をお持ちのようで」


 闇の球体は全くの無傷であった。


『無傷とはこれはまた、ハハッ、俺はくじけそうだぞ、みんな』


 険しい顔でそれでも口元は笑いながらヴァレリーは目の前の難敵に当惑する。


『だが、あいつらが逃げる時間ぐらいは稼いでやらなきゃな…』


 ただ、守るものはいつだってヴァレリーの中で決まっていた。


「もう、直接行くよ、爺さん覚悟しな」


 闇の球体が解けて中から紫色の髪のエルフが出てきた。手には漆黒の剣が握られている。

 チャンス到来と思ったヴァレリーが、有無を言わさず左手を広げて、急速に白い炎の塊を生成する。さっきの小さな白い炎とは比較にならない白い炎の塊が左手の上で漂っている。先ほどの小さな手のひらに収まる白い炎で建物の屋根を吹き飛ばしたのだ。今度は、その三倍はある大きさの白い炎の塊がそこにはあった。

 濃密な炎がヴァレリーの体力を激しく吸って、今、光り輝く。


「お、本気かい?爺さん」


「嬢ちゃん、覚悟しな。これから見せる俺は最後の白炎かもしれないんだからな」


 ヴァレリーが手のひらを閉じる。


 午前四時過ぎ、パースの街からニューブラットが消滅した。



 ***



 裏口からニューブラットの外に出たキュリオたちは、一心不乱に店から離れようとしていた。しかし、そこで先頭のキュリオが立ち止まると、全員が足を止めた。


「みんな、止まってくれ…」


 キュリオはここで自分の思考が汚染されていることに気が付いた。本来の自分ならあの場面で、一目散に逃げたりはしなかった。しかし、現実はこうして思考が体に当たり前の様にあの場から離れろと指示をだしていた。自分の思っている思考に何か変な靄がかかっていることに気が付く。

 そして、その靄はニューブラットから離れれば、離れるほど、薄れ消えていくのをキュリオは感じとっていた。


「人払いの結界か…」


 キュリオが後ろのニューブラットがある方角を振り向き、身体にマナを流し、特殊魔法の【魔眼】を発動させた。するとキュリオの視界には、星の正座のような点と線で結ばれたドーム状の結界が、ニューブラットを中心に三重に展開されていることに気が付いた。


「なんて大きさ、それに三重展開まで…一体何者と戦ってるんだ…いや、違うそれより早く戻らないと…」


 思考に人払いの結界効果が働き、邪魔されていたことで、こうして無駄な時間を過ごしてしまったことをキュリオは後悔していた。急いで反対方向に駆けだそうとした時だった。


「キュリオ…」


 リンが駆けだそうとしたキュリオの腕を掴んだ。


「リン、戻らなきゃ、ヴァレリーが殺される」


「ダメ、キュリオも死んじゃう……」


「私のことはどうでもいい!みんなの会いたかったヴァレリーが戻って来てくれたんだ…それを…」


 恩師を見殺しにはできない。幼い時から面倒を見てもらっていたキュリオはなおさらだった。


「キュリオ、戻っちゃダメ…今、戻ったら絶対にあなたは死ぬ、それ、キュリオも分かってるはず」


 アマンダもキュリオの腕を掴んだ。


「だけど、せっかく会えたのに、ヴァレリーは私たちの家族だったのに…」


 そこでキュリオはバイパーを見た。彼も必死にこらえていた。感情を押し殺して必死に。


「バイパー…」


「キュリオ、あのジジィは言ってた、最後だって…」


 キュリオの心は打ち砕かれた。第四部隊の指揮権は自分にあったが、今、みんなで戻れば全員の命が消えることは、ニューブラットの方から感じる濃厚な殺気と、この魔眼で見る空の結界を見れば分かることだった。きっと、ヴァレリーの今対峙している敵は、この三重の結界を一瞬で展開した化け物なのだろう。そんな、魔法の実力者など、歴戦のヴァレリーでさえ、手に負えないだろう。


「………」


 キュリオ、リン、トト、ナウジー、バイパー、チェイス、アマンダ、ヘッグの八人は、深い夜の路地で、立ち尽くしたまま、しばらく沈黙していた。みんながこの状況をどうすればいいか分からない迷子の状態だった。


 しかし、その沈黙も長くは続かなかった。


「ちょっと、お前ら、こんなところで、止まんなって」


 建物の屋上に誰かがいて、下にいるキュリオたちに話しかけてきた。


「誰だ!?」


「誰かなんて後でいい、その前に早く、この場から立ち去ってくれねえかな。ヴァレリーの旦那に頼まれてんだわ、お前たち逃がせって、お前らオートヘルだろ?」


 夜の月明かりに照らされ、その姿が現れる。その男は若い二十代くらいの竜人族だった。すらっとした体型に高い背、血を吸ったような赤い鱗が、赤い花の文様が入った黒い服の袖からはみ出ていた。艶のある煌めく赤い髪は右目を隠し、肩まで伸びていた。髪で隠れていない左目は赤目で、だらけた口からは八重歯が覗き、耳には左だけに金のイヤリングをして、首には細い金のネックレスをジャラジャラと巻いていた。全体的にどこか危険な匂いのする男だった。

 そして、そんな彼の危険な匂いをトトが嗅ぎ分ける。


「お前から血の匂いがするんだが、殺し屋か?」


 その男は呆れた顔をした。


「…なあ、無駄話なら後でしてやるから、さっさとここから離れてくれないか?正直、お前たちの今、置かれてる状況は悲惨なんだよ。だから、ヴァレリーの旦那が命張ってる間に…」


「ヴァレリーを知ってるようだが、お前のことが信用できない」


 キュリオがまっすぐに彼を見つめて言う。


「ああ、もう、面倒臭いな、俺はゼノ・ノートリアスだ!オートヘルの第一部隊に元所属していた者だ。これでどうだ?」


「元だと?なら証拠の指輪を見せてくれ、組織のものなら持っているはずだ」


 オートヘルの各部隊は分断されており、独立していることが多い。ただ、組織の者に配られる血に染まったような赤い指輪が組織の一員の目印となる。


「証拠は後で見せる。だから、さっさと……」


 夜の街に巨大な白い炎の柱が立った。夜の空が一瞬昼間の様に明るくなった。


「まずいな、おい、急げお前ら、こっちだ走れ!!」


 ゼノと名乗った男が、キュリオたちがいる下まで飛び降りてきて、急いで道案内を始めた。オートヘルのみんなは、仕方なく彼の後を追った。



 ***



 白い炎の柱がたった後、夜の街に何度も何度も一瞬の昼間が訪れていた。

 ヴァレリーの赤い片手剣と、紫色の髪のエルフが持っている漆黒の液体から創られた同じく片手剣が何度もぶつかり合う。

 その赤と黒の剣がぶつかり合う中、紫色の髪のエルフの周りには、黒い球体がいくつも浮かんでいた。その球体はいくつも高速回転する闇に溶け込む人の腕ぐらいはある黒い大きな針を生み出してはヴァレリーに向けて射出していた。ヴァレリーは、エルフの漆黒の剣を受けながら、周囲の黒い球体から出る、針にも気を配らなければならなかった。

 ヴァレリーが彼女の剣を受けながら、周りに漂う黒い球体を白い炎で焼き払って行く。しかし、次から次へと、彼女から生成され続ける闇の球体は払っても払ってもきりがなかった。さらに明け方に近づくと、繫華街の街灯も消え街は短い眠りにつく。そのため、辺りは真夜中よりも暗くなり、真っ黒な球体と真っ黒な針の存在に気付きづらかった。


「さすがに、オートヘルの上から二番目なだけ合ってしぶといな、これじゃあ、夜が明けちゃうよ」


 紫色の髪のエルフの剣は単調で、ヴァレリーからしたら、取るに足らないものではあったが、力で押し負けるのは予想外だった。老いたとはいえずっと鍛え上げてきた肉体が目の前の小さな少女に負けるはずがないと思っていた。

 鍔迫り合いになると彼女が片手なのに対して、ヴァレリーは両手で堪えるしかなかった。


「お嬢さん、剣の腕は残念だが、魔法と力は一流だね…」


「爺さん、あんたに褒められても、僕は全然嬉しくないよ」


 彼女がちょっと剣に力を入れると、ヴァレリーは後方に簡単に吹き飛ばされた。そこにさらに黒い球体の追撃が襲う。倒れていたヴァレリーはすぐに横に転がって、飛んできた針を回避して、次の戦闘に備えて体勢を立て直した。


 しかしだ。


 気が付けばエルフの彼女が目の前に立っていた。


「あんたの全盛期でも僕には届かない、老いた君に僕は殺せないよ、何年も頑張ってきたようだけど、僕たちの深さは君なんかじゃ到底たどり着けない場所にいる。無駄骨だったね」


「かもな…」


 数年と追っかけてきたが、ドミナスという組織の本質を知ることはヴァレリーはなかった。常に見せてもいい表面だけを見せられている気がしていた。実際にヴァレリーは目の前にいる彼女が組織でどういう位置に立っているのかすら分からない。あまりにも広く深く大きな組織が存在していることだけはなんとなく掴むことができていた。

 まるで自分たちがその組織の手のひらの上で生きているよいうよりは生かされてきた感覚がヴァレリーの中にはあった。

 ヴァレリーはその組織からオートヘルを守りたくて、およそ十年間もの間、正体を隠し、いろんなところから仲間を募って、情報を集め、彼らの正体を探って来た。オートヘルの未来のため、いや、教え子たちの未来のために。


『ドミナスの人間は化け物ばっかりだな…』


 そして、ヴァレリーはついに戦わなければならなくなってしまった。ドミナスが昔の教え子たちを狙っていると分かってしまったから。オートヘルの内部に裏切り者がいると分かってしまったから。もし、まだ生きているとしたら、二十歳近くになっている教え子たちを守らなければいけないと思った、ヴァレリーはこうして姿を現し、強大な闇と対峙していた。


「何考えてるんだい?」


 ヴァレリーの目の前に黒い刃が振るわれる。ぎりぎりで剣で受けるが衝撃で近くの建物の壁に激突した。


「もう、死んでいくんだから、何も考えないで突っ込んで来てくれよ」


 ゆっくりと闇を纏ったエルフが歩いて来る。


 ヴァレリーは血を吐き捨てると、すぐに立ち上がって、赤い片手剣を構え、左手には白い炎を灯した。


「お嬢さんは、そんな闇を纏って、太陽ってやつを見たことがあるのかい?」


 その瞬間、真っ暗闇だった街が一気に白く輝いた。目くらまし。単純だが不意を突け戦況を一気に変えられるヴァレリーの常套手段。しかし、その目くらましの技の前には、白い炎に注意を向けさせる工程を幾度となく相手にわざと見せているため、白い炎の急激に発光を回避するのは不可能だった。白い炎が危険であると分かっているため、常にその白い炎の動きに注目していなければならない。そのため、不意の急激な発光に対して、防御する術はない。


 ヴァレリーが、目をそらした彼女の一瞬の隙をついて、間合に入り踏み込んで剣を振るう。狙うは彼女の首。オートヘルの神髄とも言える首切り。

 ヴァレリーの刃が、彼女の首を捉えようとした時。


『もらった』


 刃がピタリと止まる。


「!?」


 ヴァレリーの振るった剣は、彼女の人差し指と親指で摘ままれていた。


「あんま、こんなこと言いたくないけど、そんなんで僕を殺せると思わない方がいいよ」


 気が付けば彼女の肩のあたりに大きな真っ黒な眼球が新たな器官として生えていた。

 そして、次の瞬間、さっきまで素人同然の剣を降っていた彼女から、同じ人物とは思えないほど鮮やかな剣技が振るわれた。その剣は、ヴァレリーの肩から胴体を斜めに斬り捨て、摘ままれていた赤い片手剣を両断した。

 ヴァレリーの身体から大量の血が溢れでる。


『ああ、終わっちまった…』


 折れた剣を離さずすがる様に握りながら、ヴァレリーは膝から崩れ落ちた。


『まあ、今までさんざん罪のあるなしにかかわらず人を殺してきたんだ、俺がここで殺されても文句言えねえよな』


 彼女がヴァレリーの白い髪の毛を掴んで軽々と持ち上げる。


「はい、じゃあ、終わりにしようか」


 彼女がヴァレリーのがらりとあいた首に狙いを定め剣を振りかぶる。さっきと全くの逆の立場に立たされる。


『あの子たちだけでも守りたかった…』


 振るわれた剣に最後の力を振り絞ってヴァレリーが左腕を差し出す。首を落とそうとしていた剣はその左腕を切断して、威力が弱まり、首を落とされることは無かった。続いて、折れた剣で自分の掴まれている髪を切り落とし、その場から一瞬で後退し距離を取った。


「悪あがきかい?爺さん」


「そうだ…」


 満身創痍のヴァレリーにもう残された手段は、自分の白い炎しかなかった。


『目の前の敵を少しでも減らすために、あの子たちの将来を守るために、持ってくれよ、俺の身体よ』


 追尾してきた黒い球体が、闇の針を放って来る。

 目を閉じ、自分の心の中に集中する。すると、幼かったキュリオやリン、トトやナウジーたちの声が聞こえてくる。そして、赤ん坊の頃から知っているバイパーの楽しそうな笑い声も。

 身体に黒い針が突き刺さる。身体がくの字に折れるが、倒れることは無い。幸せだった思い出の中を旅するヴァレリーに痛みはない。


「天性魔法【白炎】」


「うわ、やっぱり、そっちだったんだ、めんどくさ…」


 身体に突き刺さっていた黒い針が白い炎に焼かれ消失する。だが、そのせいで一気に血が溢れ出し、死を早めてしまった。しかし、これしかもう他に道はなかった。

 ヴァレリーのからだが白い炎に包まれ発光する。


「お嬢さん、最後にあんたの名前聞いて言いかい?」


「僕の名前はドロシー。冥土の土産に覚えておきな」


「いい名だな…」


「ありがとさん」


「んじゃ、そんなドロシーにいいことを教えてやろう」


「何かな?」


「俺が造った組織のことだよ」


「へえ、なんて名前?」


 夜を照らす白い炎、パースの夜が、偽物の太陽によって今、夜明けを迎える。



 ***



 ギル・オーソンが、ニューブラットの店内から出れたのは、太陽の光がパースの街に昇り始めて間もない頃だった。

 ずっと、ドロシーが魔法で創ってくれた闇のドームの中に閉じ込められており、その間、仕方がないのでずっと、一緒にドームの中に飲み込まれたテーブルの上にあった酒をひとりで飲んでいた。

 そして、その闇のドームが解け、周りの状況を知ったときは唖然とした。なぜなら、さっきまで飲んでいたバーが跡形もなくなっていたからだ。

 ギルが朝日を浴びながら背伸びをして、あくびをひとつした。


「はあ、寝みい…」


『それにしてもハルさんが同じ店に来たときは肝を冷やしたなぁ…』


 ギルはトイレなどでばったり会ったらどうしてたんだろうかと、くだらない想像をしていると声がかかった。


「ギルギル、お待たせ」


 そこには傷ひとつないドロシーが佇んでいた。ギルは内心ほっとしたが、この惨状を見ると、そうもいかなかった。


「ドロシーさん、やっちまいましたね?」


「お酒って怖いね…」


「いや、まあ、その…」


 お酒が怖いのではなく、酔ったあなたが怖いと言いたかったが口をつぐんだ。

 本来はハル・シアード・レイがシフィアム王国に出国してからいろいろ周りの危険人物たちを処理していくつもりだった。しかし、いざ、獲物を目の前にしたドロシーは手短に済ませようとしたのだろう。ニューブラットに着くと、私は今日ここでぱっぱと終わらせて、ギルギルと酒を楽しむんだぁ!と豪語していた。ギルから見ても強そうな人物はいなかったので、止める気はなかったのだが、状況はひとりの老兵の登場で、変わってしまってこのありさまだった。


「この件については、冒険者ギルドのディアゴルさんを嚙ませて処理しますんで、ドロシーさん、今日はもう、アジトに帰ってゆっくりしてください」


「分かったよ、でも、ギル」


「はい、なんでしょうか?」


「やっぱり、オートヘルは近い将来組織ごと、潰しておいた方がいいかもしれない。僕はハル・シアード・レイの件でこっちに来てるけど、オートヘル、結構、僕たちの組織について、ずっと隠れて嗅ぎまわってたみたいだから」


 ドロシーもまさか今回の奇襲を防がれるとは思ってもいなかった。酔った勢いであったとはいえ、オートヘルの下っ端の一部隊を解体させるなど朝飯まえだったはずなのだが、邪魔が入った。

 こっちの大陸に来る前にドミナスが作成した危険者をまとめた資料に目を通したドロシー。そこに生死不明の欄にヴァレリー・オーレッジの名前があった。若い頃はオートヘルの元戦闘員で、のちに教官としてオートヘルの育成部隊であるゼロ部隊に所属。途中で大陸東部の任務にて消息を絶ったと記載されていた。そんな彼がタイミングよく、オートヘルを狙ったとたんに現れた。これはドミナス側の情報が外部に洩れているか、ドミナスの心臓ともいえる情報を扱う諜報機関【グラスアイ】の弱体化とも捉えることができた。どちらにしろ、今のこのレゾフロン大陸のドミナスは以前に比べてだいぶお粗末な組織に成り下がっていた。


「…分かりました、そのことをこっちの支部の幹部たちにも伝えておきます」


「それと、【白炎(びゃくえん)】って組織についても」


「白炎ですか?」


「そう、さっき死ぬ間際にヴァレリーが言ってたんだ。俺が立ち上げたお前たちにあだ名す者たちの名だって」


「厄介そうですね、まあ、そのこともまとめて伝えておきますよ」


「うん、お願い。今のこっちの幹部たちは、この大陸を制御してきれてない気がするから、僕がしっかりしろって怒ってたよって言っといて」


「分かりました。俺から言える範囲で伝えておきます。ただ、以前は総帥がいらっしゃったから、今の幹部たちと比べるのは可哀想だと思いますよ」


「まあ、それもそうか、でも、まさか僕がマークされてるとはねぇ…」


 ドロシーは、今日、二度目の眩しい本物の太陽を見上げた。一度目の太陽はもう燃え尽きて形も残っていなかった。街の被害はドロシーがその偽物の太陽を闇で包み込んで衝撃を抑えたことで、全くなかった。

 彼は闇の中で輝き、灰になっていった。未来を照らす彼の光は深い闇に飲まれたのだ。


「やっぱり、そう考えると、あいつの炎はムカつくな…」


 ドロシーは遠い日の出来事を思い出すのであった。激動の時代に出会ったひとりの青年のことを。青い炎で闇を照らしたあの青年のことを…。


「どうかしましたか?」


「ううん、なんでもないよ」




 *** *** ***




 キュリオたちは、ゼノ・ノートリアスが用意した使役魔獣が引く十人乗りの馬車に乗って、パースの街から脱出していた。

 馬車の中は、静まり返って夜明け前の冷たい空気が流れていた。そんな中、ゼノが口を開いた。

「お前ら、そんな落ち込むなよ、暗いな。あれだヴァレリーの旦那はお前らを守るために命を張ったんだ、知ってたか、今のオートヘルは、やばい組織に目つけられてるんだぜ?」


 全員が反応しないのをつまらそうな顔で見渡すゼノ。しかし、喋ることは辞めなかった。


「そうだ、ほら、これ、俺がオートヘルに所属してた時の指輪、これひとつあれば、お前らの組織からはまず命は狙われないで済む。無駄な争いをひとつ減らせるってわけだ」


 キュリオの目の前に赤い指輪が差し出された。指輪の赤い紋様の中には部隊番号を示す一の数字が刻まれていた。オートヘルの精鋭がそろう第一部隊そこの一員だったことが見て取れた。


「なあ、お前らもおかしいと思わなかったのか?ハル・シアード・レイの暗殺依頼、あれは普通、第一部隊が受け持つクラスだろ?」


「私たちは剣聖の暗殺にも成功している。見くびらないで欲しい」


「ハハッ、どうせどこかも知らない小さな国の剣聖の話しだろ?そんなの大国の精鋭騎士レベルだ。論外だ」


「お前は一体何者なんだ?どうして、ジジィを知っている。なぜ俺たちを助ける?」


 バイパーが質問した。


「ヴァレリーの旦那に、俺はスカウトされてそっから一緒に行動してたって感じだな。あと別にお前たちを助けたのはヴァレリーさんの命令だったからそれだけだ」


「そうかよ、ありがとよ」


 バイパーが聞きたいことを聞くとうなだれて視線を彼から外した。


「…ふむ、いや、礼はいい、そういえばお前たちも旦那と仲良かったって話しだったな…俺も少し配慮が欠けてた、詫びるよ」


「勝手にしろ」


 バイパーが呟く。


 見かけによらず話しの通じるこの男にキュリオは少し興味を持った。ヴァレリーが自分たちをおいてこの男と共に行動していた理由が気になった。


「ところでノートリアスさん」


「ゼノでいいよ」


「ゼノさん、あなたの目的は何なんですか?どうしてヴァレリーとあなたは、私たちのもとに?」


「さっきも言っただろ、ヴァレリーの旦那はお前たちをやばい組織から守るために動いてたんだ。旦那が組織の人間を尾行してる途中にオートヘルが経営に関わってるニューブラットの店に入って行ったから、やばいと思ったんだ」


「待ってください、ヴァレリーさんは俺たちがニューブラットを拠点にしてたって知ってたんですか?」


 キュリオはずっとヴァレリーが遠くから自分たちのことを見守っていたんじゃないかと思った。


「ああ、多分ちげぇよ、旦那は俺に店の中で戦闘があったら、オートヘルの従業員たちを裏口から逃がすから、逃走の準備をしておいてくれって命令されてたんだ、だからそれに従っただけ」


 そうなるとキュリオたちがニューブラットでヴァレリーと再会したのも偶然だったことになる。キュリオは少し落ち込んだが、それでもまた彼に再開できたことは何よりの喜びであり、そして、もう会えないと思うと最大の悲劇でもあった。


「でも、どうして、ヴァレリーさんはそこまでするんですか?オートヘルのために?」


「そうだな、俺がいま所属してる組織は白炎って言うんだ」


「白炎ですか?」


 ヴァレリーの昔のあだ名とキュリオは聞いたことがあったが、彼はいつも恥ずかしそうな顔で、忘れてくれと言っていた。


「そう、ある組織の目から、オートヘルを遠ざけるためにヴァレリーの旦那が立ち上げた少数精鋭の組織なんだが、まあ、組織って言っても、もう、旦那が死んじまったから、解散だけどな…」


 ある組織とはどこのことなんだろうかと思った。


「ただ、俺は旦那には世話になったから、旦那の意思を継いで、自由に白炎の名を借りて暴れるつもりだけどな。そうすりゃ、旦那が大切にしたお前たちやオートヘルって組織を例のやばい組織から守れる。それに俺の欲求も満たせるからな、派手な殺戮、それが俺の趣味だからな」


 ゼノがにやりと笑うと鋭い八重歯が夜明けとともに眩しい朝の日差しできらりと光った。


「なあ、その組織の名前俺たちにも教えてくれるか?」


 バイパーが再び顔を上げて尋ねた。


「それだけは旦那から絶対にダメって言われてたんだわ。あの組織マジでどこに人を送ってるか分からないからさ。ただ、そうだな、どうしても知りたかったら救ってもらった大事な命無駄にして自分で調べるんだな」


「………」


 そこまで言われたバイパーは何も言い返せなくて黙っていた。


「お前たちはここ数年は大人しくした方がいい、なんなら、オートヘルから距離を置いてもいい、お前らのトップのマーガレットは許してくれるはずだぞ、ヴァレリーがそういう契約結んでるって言ってたからな、直に話に行けよな」


 それだけ言うと、ゼノは意気消沈した第四部隊のメンバーを退けて、馬車の後まで行った。


「そう言うことで、俺はこれからまだやることが残ってるから、行くわ、御者にはイゼキアまで行くように言ってるから、そこからはお前らの好きにしな、ただ、マーガレットには報告しておいた方が、組織を裏切ったって思われない分安心だぞ」


「待ってください、ゼノさんはどこに行くんですか?」


「決まってんだろ?竜舞う国シフィアムだよ」


 ゼノが馬車の後ろから飛び下りると、一気に彼の背中から五つの光のリング展開して彼の身体を宙に浮かせた。それから、彼は北東に進路を取ってあっという間に飛び去ってしまった。


 キュリオは疲れからそこで目を閉じた。

 幼き日の自分がリンやトト、ナウジー、そして、バイパーたちと遊んでいるところに、ヴァレリーがたくさんのお土産を持って帰って来る。キュリオたちは、みんなでそのお土産を懸けて剣を持って戦っていた。


 幸せな時間が、遠い景色でぼんやりと揺れていた。


 例え、未来が最悪の地獄と決まっていても、確かに幸せな時間が、彼らにはあった。


『大丈夫、今はゆっくり幸せな夢を見よう』


 キュリオたちを乗せた馬車は、朝の陽ざしを浴びながら、イゼキア王国を目指した。



 *** *** ***


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