オートヘル
夕日が沈み切る前にキュリオ、リン、トトの三人は、パース北部の繫華街に足を踏み入れていた。上空にはすでに沈みゆく夕日に代わって、明るい星が輝き増し始めていた。辺りはすぐに夜の闇に覆われるだろう。しかし、パース北部の繫華街には、いたるところに街灯が用意され、繫華街の闇を払い続けていた。
これは繫華街と指定された区域の特有の光景であった。
夜の街は家から漏れ出す生活の灯りだけが、夜を照らす明かりとなるが、パースの街は夜から開業するお店も多いため、あらかじめ決められた区域にだけ街灯を設置して明かりを確保していた。その決められた区域は夜の繫華街として、主に酒場などの飲食店が集まっていた。
そのため、パースの街の中でも、夜でも街灯が灯る明るい場所は、夜でも人通りが多く、賑わいを見せていた。もちろん、昼に見せていたパースの街は、夜になれば雰囲気もがらりと変わる。子供たちは居なくなり、そこは大人たちの世界へと早変わりする。エリザ騎士団の夜の巡回もあるが、それでも、夜はやはり、昼に比べれば治安は良くないため、外を出歩くのは冒険者や仕事を終えたエリザの騎士、はたまた、荒くれや悪ガキたちか、それか、もっと別の深い闇の住人か…。腕っぷしの強いものが多かった。
それでも、ひとたび、そこらの酒場に入れば、美味しいお酒や料理が待っている。たくさん食べて、たくさん酒を飲み、心許す友や恋人やその場で気が合った者たちと楽しくおしゃべりしながら、酔いさえすれば、すぐに潜在的な危険も忘れて、人々は目の前の快楽の海に船を自ら漕ぎ出すだろう。行き過ぎては戻って来られなくなることも忘れて。
夜の街は、快楽と危険を兼ね備えた、人欲がおりなす淡い夢。
そんな危なくも魅力あふれる素敵な夜の繫華街で、キュリオ、リン、トトは、自分たちの巣を遠くに見つける。
「他のみんなはもう来ているのかな?」
キュリオの視界に、店の看板が映り込む。そこには【ニューブラット】と赤い看板に白い文字でオシャレに書かれていた。
「ナウジーはもう来てるんじゃないですか?あの子、ここのお店気に入ってますし、よく個人的にも訪れてるらしいですよ」
「そうか、まあ、確かに、ナウジーは、バイパーやチェイスさんたちと仲いいからね」
ナウジーといういつも笑顔を顔に貼り付けた爽やかな青年が、キュリオが従える【オートヘル】の第四部隊の一員にいた。彼は第四部隊の中ではみんなからの弟的な存在だった。妹的な存在としては十六歳で最年少のアマンダがいた。
二人はよく上の人達から可愛がられていた。人懐っこいナウジー、不思議ちゃんなところがあるアマンダ。二人はみんなから愛されていた。リンはアマンダを嫌っているが、それもリンの一方的な感情で、アマンダは、彼女のことが好きだと言っていたのを前にキュリオは聞いていた。
「となると後は、アマンダが来てるかどうかだけど」
「あの子は今回の作戦に参加させない方がいいと思います。みんなの輪を乱しますよ?」
「いやいや、今回は大仕事なんだ。少しでも腕の立つ人は欲しい」
「でも、あの子、先日だって勝手に人を殺しをして…」
「それ思ったんだけど、リンはなんでアマンダがやったってわかったの?」
「え?」
「この街にいるときアマンダ本人からちゃんと聞いたの?」
「………」
そこでリンガ急に眼をウルウルさせながら見つめてきた。
こういう時、決まってリンは嘘をついている。というよりも彼女はよく嘘をつく。どれもキュリオのためや自分を彼によく見せたいからと小さな嘘をついた。ただ、そんなところもキュリオからしたら彼女を可愛いと思える一面なのだが、あまり仲間を貶める嘘はついて欲しくなかった。
「嘘はダメだよ、信じた私もバカだけど」
簡単に信じてしまったのは、もちろん、アマンダの普段の行いもあるわけで、真実を見極めにくい噓だったのだ。
『となると首切り殺人は誰がやったんだ…いや、でも、まだアマンダがやったという線も外れてないのか…』
キュリオは考えこむ。「キュリオはバカじゃないです、噓ついた私が悪いんですぅ…」と反省しながら抱きついてくるリンに腕を貸してあげながら、誰がやったのかをキュリオは真剣に考えていた。
『首だけ持ってく殺しは、オートヘルの見せしめするときの殺し方だ…犯人はオートヘルの人間で間違えは無い。模倣犯とも考えにくい。そもそも我々の存在は一般人たちには広まってないからな……』
考えこんでいると、後ろにいた獣人のトトが二人に声を掛けた。
「なあ、もうついてるけど二人とも、どこに行くの?」
「え?」
キュリオの通り過ぎた場所には、赤い看板を掲げたバーがあった。ニューブラットは、目立ち過ぎず、地味すぎない、雰囲気の良さそうなお店として、表の世界の街に上手く溶け込んでいた。
「みんないるみたいだよ」
トトがそう言うと店の中に入って行き、キュリオとリンも続いた。
***
カラン、カランとドアを開けると鈴の音が店内に鳴った。木造づくりの落ち着いた店内は天井が高く薄暗かった。横に広い大きなバーカウンターがあり、三十代くらいの品の良い赤い髪の男が、大量の酒が入った棚を背に、カクテルを作っていた。
店の中はバーカウンター席以外にも、テーブル席や、仕切りのある個室も存在した。そのため、店の奥の一〇二号室の個室のお客様に接客をしている竜人族の男性の姿もあった。
すると。
「いらっしゃいませ…」
容姿の整った覇気のないけだるげなエプロンをした二十代くらいの若い男がキュリオたちのもとに来た。しかし、キュリオたちを見ると接客の態度から友人と接する態度に早変わりした。
「ってキュリオか、待ってたぜ、いつもの奥の席だ。ナウジーとアマンダも来てる」
「ありがとう、バイパー」
キュリオは彼にひとこと礼を言うと、すぐに奥の席に進んだ。目立つのを避けるためでもあった。彼らと話など席についてからいくらでもできる。
「飲み物はみんないつものでいいだろ?」
「ああ、私はいつもので」キュリオがそういうと、リンも素っ気ない態度で、「私も」というとキュリオの後に続いた。トトは一言「竜酒じゃない、強い酒で」とオーダーしていた。
バイパーは嫌な顔ひとつしなかったが、あくびを一つすると、了解と言って、バーカウンターに向かって行った。
キュリオがいつもここに来たとき用意してもらっている一〇三号室の個室を目指す。横に長いバーカウンターの前を通ると、カクテルを作っていた赤い笑顔が素敵な従業員のチェイスが、片目をまばたかせて挨拶をしてくれた。キュリオも軽く手を振って挨拶を返した。
キュリオたちが左に曲がると、個室の接客を終えた竜人族の男性とばったりあった。
「みなさん、よく来てくれましたね。二人がいつもの部屋で待ってます。バイパーも、もう上がらせますから」
「ヘッグさんいつもお世話になってます」
「いえいえ、どうぞごゆっくり、すぐに飲み物を用意しますね」
通り過ぎるヘッグには、リンもトトも軽く頭を下げていた。それは当然いつもみんな彼にただ酒を提供してもらっているからだ。作戦会議や任務前後の宴が、あるたびに酒を提供してくれるため、二人の頭が上がらないのも納得できた。もちろん、キュリオも彼に感謝していた。
唯一の非戦闘員であるヘッグは、この酒場を経営するためにオートヘルがよこした経営者だった。
バイパーの素行が落ち着いて店を手伝っているのも、チェイスがカクテルづくりに目覚めたのも、殺戮集団の中に彼のようなグレーゾーンの人間がいるから変われたことだった。
全員が真っ黒な殺戮者だったら、きっとオートヘルの第四部隊は組織の中でも二番目の位置につけなかっただろう。誰かがストッパーにならなければ、悪の中にも善人がいなければ、組織や部隊など簡単に崩壊してしまうのだろう。同じ色に染まっていない人間の冷静な判断が、どの単位の組織にも必要なのだ。
それは真っ黒に染まっているキュリオでもできないことだった。
『全く、ヘッグさんには頭が上がらないな…』
キュリオはまだまだ若い自分も早く彼のような大人の余裕が欲しいと思っていた。
『道は遠いな…』
キュリオは、一〇三号室の個室にまっすぐ向かって扉を開けた。
***
扉を開けると部屋の中には、二人の男女がいた。
ひとりは茜色のツインテールで、男ならこぞって彼女を守ってあげたくなるような愛くるしさを持っていた。服装も赤黒いフリルのついたスカートのワンピースを着ており、自分の可愛さを理解している部分がある様に見えた。そんな彼女は【アマンダ】十六歳の殺人鬼だ。
もう一人は、【ナウジー】みんなが入って来ると、手を振っていた。朱殷色のツンツンした髪型で、噓っぽい笑顔をいつも浮かべている。性格は穏やかで優しいが、殺すときも笑っているため、そこは少しばかり不気味でもあり、彼の個性でもあった。しかし、素直でもあるため、やはりみんなから好かれてはいた。
「待ってましたよ、みなさん、もう、ずっとアマンダと話してたんですけど、彼女、僕と全く口をきいてくれなくて」
ナウジーが、席を立ってキュリオの元に来た。
「まあ、彼女は気分屋だからね、それより、ナウジー、久しぶり、元気だった?」
「はい、おかげさまで、キュリオさんたちもお元気そうで」
ナウジーが後ろのリンやトトにも目くばせをする。リンは黙って微笑返事を返し、トトも「よう」と返事を返していた。
「それより、私は少しアマンダに話があるから少し通してもらっていいかい?」
「ええ、でも、彼女に話って何のことですか?」
「それは先日西部で起きた殺人事件のこと」
キュリオがテーブル席の奥でただ黙って酒を飲み続けているアマンダのもとに向かった。
「ああ、知ってます。あれ、アマンダにも聞いたんですけど、何にも喋ってくれなくて」
ナウジーがキュリオの後に続いて狭いテーブル席を進もうとしたところ、微笑を浮かべたままのリンが割り込んでキュリオの隣に向かった。ナウジーは頭を下げて、トトにも先に行くように道を開けようとしたが、リンの隣が嫌なトトは彼を先に行かせた。
「久しぶり、アマンダ」
キュリオが隣に行き声を掛けるとゆっくりと彼女は顔をこちらに向けた。
「キュリオ、会いたかった」
「ひとつ聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「いいよ、キュリオだったらなんでも答える」
「アマンダはこの街に来てからもう誰か殺しちゃったりした?」
「してないよ」
アマンダの光の無い真っ黒な瞳が、キュリオの目を見つめて答える。
「噓つけこのアバズレ!てめぇが殺したんだろ?こっちは迷惑かかってんだよ!」
リンが席を立ってキレるのを、ナウジーがまあまあとなだめ、トトはめんどくさそうにあくびをしていた。
「リン、ちょっと静かにして」
「はい」
キュリオが命令するとすぐにリンは澄ました顔で座った。
「アマンダ、殺人衝動は抑えられてるの?」
「キュリオと次の任務まではむやみに人を殺さないって約束したから」
「そうか、私との約束を守ってくれたんだね、ありがとう」
「キュリオ、撫でて撫でて、前みたいに優しく撫でて」
「よくやった、アマンダ」
キュリオが優しく彼女の頭を撫でる。
その光景をリンは澄ました顔で見ていたが、ナウジーの視点から見ると、彼女の拳はとんでもない力で握られていた。その力がいつ爆発するかナウジーがハラハラしているところに、個室の扉が開いた。
「酒、持って来てやったぞ、後でヘッグさんやチェイスさんにお礼しとけよ」
バイパーが片手に数本のボトルと、反対の手に銀の盆に三つの宝石の様に輝くカクテルを持ってくると、テーブルに並べていった。
「待ってたぞ」
トトがバイパーから酒を受け取ると渇いた喉に強い酒を流し込んですぐに空にしていた。
「トト、もうちっと味わったらどうだ?せっかくの酒を」
「楽しみ方は人の自由だ。それより、バイパーも一緒に飲もうぜ」
「ああ、ヘッグさんにも上がれて言われたから、すぐ戻るよ、そうだ、ナウジーとアマンダ、お前らおかわりとかいるだろ?」
バイパーが二人に声を掛けた。
「じゃあ、僕はレッド・マーガレットで」
「リュウメイ」
ナウジーが選んだものは、少量の強い酒と果実を絞ったジュースを混ぜたドリンクにレモンを添えた、女性に大人気のニューブラットの主力商品のレッド・マーガレットだった。
そして、アマンダが頼んでいたリュウメイは竜酒とジュースを混ぜた強力なお酒だった。
「おし、じゃあ、これが終ったら俺も戻るから、待っててくれ」
バイパーが個室から出て行き、みんなが雑談を始めた。
「ところで、今回のターゲットって誰なんですか?僕、まだ、聞かされてないんですけど」
カクテルが来るまでのつなぎとして、ナウジーは、テーブルに置かれた酒を開けて自分のグラスに注ぎながら、キュリオに質問を投げかけた。
「ハル・シアード・レイ」
キュリオがそう呟いた後、頼んだ酒を堪能していた。
「…………」
ナウジーが無言で酒を注ぎグラスから酒をこぼしそうになるところを、隣に居たリンが腕を掴んで阻止していた。
「今、なんて言いましたか?」
「ハル・シアード・レイって言ったのよ、ナウジー。私たちの次のターゲットはあの四大神獣白虎を討伐した英雄様よ」
ナウジーの表情から笑顔が消えた。
「いや、無理ですよ、さすがに俺でもわかりますよ…だって、無理ですよ…」
「気持ちは分かる、だが、俺たちは別に正面から彼を切り崩そうとは思ってない」
「正面とかそれ以前にたぶんちょっかいだしたら僕たち皆殺しに合いますよ…」
いつも従順なナウジーがキュリオに牙を剥ていた。
「彼の実績の中に人を殺したという情報は一切ない」
「だからって、俺たちのやり方じゃ、絶対彼殺しに来ますよ?」
そこでトトが、キュリオとナウジーの話しに口を挟んだ。
「ナウジー、怖いのか?さんざん死線をくぐり抜けてきたお前が、英雄一人が怖いのか?」
「トト、違うよ、これは怖いとかっていうより、自殺だよ…」
この第四部隊の実力は大国の精鋭騎士に引けを取らない。というよりも場所や条件が整えば大国の剣聖にまで手を伸ばせる実力を秘めていた。ただ、それでも手が届かなく本人を直接狙えないのならばオートヘルが狙うターゲットはそのターゲットの身内の首だった。外がダメなら内側から精神から崩壊させていくのが目的であった。最終的にはそのターゲットが一生立ち上がれなければ任務は完了なのだから。
しかし、そんなことを二日で白虎の巣を壊滅させ霧の森を晴れさせた男に仕掛けたらどのようなことになるか。ナウジーは想像もつかなかった。
「みんなは知ってますか?あの暗殺組織イルシーが、ハル・シアード・レイの暗殺に手をだして、彼らの本部が襲撃を受けて潰されたって話」
「ああ、知ってるよ、でも、確か本部を別の場所に変えてしぶとく生き残ってるみたいだけどね」
キュリオが捕捉で説明した。
「僕たちのまだ知らないやばい組織が裏で動いているはずなんです。バーストやイビルハートなんかじゃないもっとやばい組織が…」
個室に沈黙が訪れた。そこまで必死に抵抗するナウジーがみんなにとっては珍しかったのだ。
ただ、そこで、キュリオが沈黙を破った。
「ナウジー、よくわかった。だったら、今回は………」
しかし、キュリオの言葉は途中で思いっきり開けられたドアの音でかき消された。みんなの視線が個室のドアの方に向かうとそこにはバイパーがひとり嫌な汗を流しながら立っていた。
「どうした、バイパー凄い汗だぞ…」
キュリオが気遣うが、そんなの無視してバイパーは口を動かした。
「来た」
「え?」
「来ちまった…」
「何がだ?」
個室の全員が状況を把握しきれず首を傾げている時だった。
個室のドアの近くの席に座っていたトトは、バイパーの後ろの店の入り口にある人物がいることに気が付いた。
「あれ、ハル・シアード・レイか…」
「え!!?」
窮屈な個室の中が驚愕と緊張で凍り付いた。
「英雄様が来ちまった…」
バイパーが力なく呟いた。