その時までの準備
考えなければいけないことがあった。早朝、久々に自分の自室で目覚めたハルは、ベットから飛び下りて窓のまだ薄暗い景色を眺めながら、その考えなければいけないことに思考を集中させた。
黒龍討伐が始まる前までに出来ること、その先は後になっていくらでも考える時間がある。
問題となるのはこの短い時間で周りにいる人にどれだけのことができるかということ。愛を与える、鍛えて力をつけさせる、生き残る知恵や知識を教える、できる限りの周りの環境を整える、彼らに自分以外の強力な味方を増やしてあげる。
短い間で、これだけ出来れば十分だろうと思うが、まあ、そんなはずはない。本来なら人生の最後までみんなと一緒にいられるはずなのに、みんなを救うとなると、犠牲が必要になる。けれど、安い犠牲だ。自分ひとりが生贄になればみんなが救われるのだから。
みんなが過ごすこの何気ない日々を守ること。朝起きて窓の外を眺めながら、ぼんやりとした思考で、みんなが起きてくるまで紅茶でも飲もうかなんて考えられる当たり前で平和な日々を誰にも壊させないようにする。それはライキルやガルナ、自分の周りにいた大切な人たちを守ることにだって繋がる。
四大神獣という大きな脅威が人々の傍に居たのではいつまで経っても安全で平和な日々はやってこない。人類にとっての悪は全て取り除く、この身が尽きるまで、自分はそれでよいと考えていた。いや、それが自分に与えられた役割だとあの人が教えてくれた。ずっと理解が追い付かない得体のしれない自分に生きる道を示してくれたあの人のことが忘れられないでいた。
「寂しくなったら夢に出てきてくれませんか?ダメですか?」
彼女からの返事はない。なぜなら、ここにはいないのだから。
***
ハルが身支度を整えて、部屋の外に出た。早朝のしんと静まり返り、がらんとした長い廊下に出る。
ハルの隣の部屋はライキルの部屋で、ビナの部屋、エウスの部屋と三つの部屋が続く。そして、さらにエウスの隣の部屋には、シフィアム王国から来たカルラの泊まる部屋があり、その隣をキラメア、ウルメアの部屋と続いた。
昨日は彼女たちの突然の訪問で大騒ぎになったが、ハルがライキルとガルナと帰宅する頃にはすっかり古城アイビーはいつもの落ち着いた様子に戻っていた。ただ、やはり、キラメアだけは興奮冷めやらぬと言った感じで、常にハルにまとわりついては、ライキルと喧嘩していた。
そんなこともあり、昨晩は、自分を合わせたいつもの五人に加え、シフィアム王国から訪問してくれた、キラメアとウルメアを加えて、中庭で夕食を囲んだ。その時、カルラは来ないのか?と尋ねたが、本気で殺そうとしてきた人間をあなたはそんなにあっさりと許していいのか?とキラメアがまだ怒りをあらわにしてくれていた。が、しかし、あの時はハルにも他国の王女突き飛ばすという悪い部分があったので、キラメアに今度みんなで食事をするときは、彼も誘って同席を許して欲しいとお願いしておいた。彼女の返事の声は不満げだったが了承してくれていた。
昨日の夜あったことは、それぐらいだった。
そして、現在に至る。
ハルが部屋を出て最初に目指した場所は、城の西館にあるキッチンだった。早朝に時間を潰すなら、中庭でお茶会か、屋上で景色を眺めるか、敷地の散歩かのどれかだった。
今回、選んだのはお茶会だった。理由のひとつとして、一緒にお茶会に付き合ってくれる使用人が良き相談相手になってくれるからだ。
ハルがキッチンに訪れると、早朝にも関わらず、ひとりの使用人がいた。ハルが彼女に声を掛けると、その日のお茶会が始まるのだった。
中庭でハルがティーカップを手にして中の紅茶を飲み干す。すると目の前にいた黒髪で鋭い目つきが印象的な女の子が立ち上がって、新しい紅茶を空になった容器に注いでくれた。
「ありがとう、ヒルデさん」
「いえ、構いません、それより、さっき私が話したことは本当なんですか?その、ライキルさんとガルナさんの二人と結婚するってこと」
昨日の出来事が噂になり広まるのは早かったようでその場にいなかったヒルデのもとにまで当たり前の様に広まっていた。
「そうだね、その話は本当だよ」
「おめでとうございます!」
「ありがとう…」
ハルは笑顔で返したが、その笑顔はどこかぎこちなかった。どうにも素直に喜べないのはきっと、自分だけが抱える問題が消えてくれないからで、それを誰に打ち明けたとしても、たどる結果はたぶん変わらないだろうという悲しみが詰まっていたからなのだろう。だけど相手に悟られないぐらいには自然体でいるつもりだった。
「いつ結婚すると決めたんですか?ここに来たときはもう決まってたんですか?」
いつにもまして興味津々な彼女が前のめりにハルに迫る。普段、丁寧でクールな印象が強い分、こういった一面が見られると、最初に比べ仲良くなったものだと嬉しくなったりもした。
「ううん、ライキルとは解放祭で、ガルナとはこっちに帰ってきてからかな?」
「そうだったんですね、告白はどちらから?」
質問攻めであった。ハルはそれからヒルデから浴びせられる質問に余すことなく答えてあげた。日頃自分のくだらない話に朝から付き合ってもらったりしている恩返し的な意味もあった。
「じゃあ、結婚式は四大神獣を討伐したらあげるんですね?」
「うん、そうなるね…」
それは今となっては叶わぬ約束になりそうだった。だから、彼女に相談しに来た、愚か者に助言をしてもらいたくて。以前、どんな時でも楽しむことだけは忘れてはいけないと言ってくれたことがどれだけハルの心を軽くしたかは、白虎討伐前までちゃんとみんなと心の底から笑い合えていたのが証拠だった。
ハルが今抱えていることはたった一つだった。
「ねえ、ヒルデさん一つ、君にも考えて欲しいことがあるんだけどいいかな?」
「はい、いいですよ?」
ハルが少しの沈黙の後、口を開いた。
「例えば、この先もう一生お互いが会えなくなるって分かってる二人が愛を誓い合って結ばれる。その二人はいっしょに過ごす短い期間の間、幸せだと思う?それとも悲しみの方が大きいと思う?ヒルデさんはこの話どう思う?」
ヒルデはそこで口に運んでいた紅茶を置いて真剣にハルを見つめた。
「それってハルさんのことじゃないですよね?」
「アハハハハ、まさか、そんなわけないよ、これはたとえ話、ほら、よくあるじゃん、こういうなんとも幅広く解釈できる話。ヒルデさん、こういう話になるといい答えを返してくれるからさ、聞いてみたかったんだよね」
今話した話が現在のハルの状況と少し似通っているから疑われたのだろう。
四大神獣の討伐など普通の庶民からしたら絶対死ぬつまり一生会えなくなるような出来事で、さらにハルが結婚の約束をしているとさっきまで聞いていたから無理もない。ただ、何とか上手く誤魔化すことはできたと思う。
「そうですか…ですが、私の答えは平凡なものだと思いますよ?」
「平凡でもいいから、ヒルデさんの考えが聞きたいな」
分かりましたと言った、ヒルデが疑いの目をやめて自分の意見を話し始めた。
「私は、その二人は幸せだったと思います」
「どうしてそう思うのかな?」
「互いを好きになって気持ちが通じ合った時って、もうそこから幸せじゃないんですか?たとえ終わりが分かっていても、一緒にいられる時間が残りわずかでも、お互いがお互いを愛しているならその時点でもう幸せだと思います」
熱く語るヒルデにハルは小さく頷く。
「それに人はいつか絶対に死んで誰もがみんなと離れ離れになります。その中で、自分が愛する人に巡り合っても、お互いを愛するどころか、想いを伝えられない人だっています。だから、その二人は愛を誓い合えただけでもう十分に幸せだと思います」
ハルは語り終えたヒルデを見ると、紅茶を一気飲みして、おかわりを雑に自分のティーカップに注いでいた。
「ハルさんはどう考えているんですか?」
「俺もヒルデさんと一緒かな、二人は幸せだと思ってる。だけど、その二人は少しでもお互いの側から離れるとやっぱり、すぐに不安の方が大きくなって悲しいって思っちゃうんじゃないかなとも思ってる。二人でいる時は幸せだけど、その時が来るのを思い出しちゃうから」
「じゃあ、二人はずっと一緒にいればいいんです。その時が来るまで」
「そうだね、きっと、それが正解だね!」
決して自分のことではないよとハルは笑った。
***
しばらくハルとヒルデがそのように朝のお茶会を楽しんでいる時だった。彼女の視線がハルの後の方に向いていた。
そこでハルも後ろを振り向くと、中庭から、本館のエントランスに続く扉の前に、シフィアム王国の剣聖で竜人族のカルラが立っていた。
「あの方…」
ハルに剣を振るった剣聖カルラのことも、結婚の噂とセットでこの古城アイビー中に広がっていたため、ヒルデの目が鋭くなっていると思われた。
しかし、そんな怖い顔をしているヒルデとは違い、ハルは席から立ち上がって、ニコニコしながらカルラに手を振って彼を呼んだ。
「おーい、カルラさん、こっちに来て一緒にお茶でもしませんか?」
ハルが呼ぶのをヒルデは一切止めなかった。そこは使用人として自分の立場をヒルデは心得ていた。だから、彼女はすぐに席から立ち上がって、席をカルラに譲ろうとしたのだが、それをハルは止めた。
「ヒルデさんもまだ時間あるでしょ?」
「ですが、私がいては邪魔かと?」
「そんなことないよ、言っておくけど彼はいい人だから大丈夫だよ」
「分かりました。では、お供させていただきます」
ヒルデと話していると呼ばれたカルラがすぐそこまで来ていた。
「おはようございます、昨日は、無礼を働いてしまいすみませんでした」
カルラが深々と頭を下げる。剣を引き抜いたことについてなのだろうがハルは全く気にしてなかった。むしろハルからも謝ることがあった。
「おはようございます、カルラさん。昨日のことはもう、全然、気にしてませんよ、それにあれは俺がキラメア様に最初に無礼を働いたので悪いのは俺の方です」
「それでも剣を先に抜いてのは私です」
カルラがいつまでも申し訳なさそうな顔をしていたので、ハルが自ら核心に触れさせ彼がそこまで悪くないことを示すことにした。
「でも、カルラさんもわかってたんじゃないですか?剣抜いた時」
そう指摘するとカルラはそこで力なく笑った。
「ええ、そうですね、きっと、あの時私が剣を振り抜いていてもハルさんは簡単に避けることができた。けれどそうしなかった…だから私自ら剣を止めました」
実際にキラメアが叫んだ時にカルラの抜刀を止めるには遅すぎた。彼の剣の振るう速さは剣聖の中でも群を抜いていた。だから、ハルの首元寸前で刃が止まったのは彼自らの判断だった。一瞬の殺気はあったが殺す気はさらさらなかったのを剣を抜いた瞬間からハルは感じ取っていたし、彼の性格から無抵抗の人間を叩き斬ることをしないことは分かっていた。そこは王女の名誉を守ろうとした結果からだったということもだいたい予想ができた。
「なら最初から殺す気もなかった。はい、この話はここで終わりにしましょう。紅茶でもどうですか?」
ハルがティーポットを持って新しいカップに紅茶を注いで、カルラに渡した。
「ご親切に、ありがとうございます。ですがハルさん一ついいですか?」
「はい、なんでしょう?」
「キラメア様は手強いお方ですよ」
カルラが紅茶を飲む前に忠告してくれた。
「そうですね、頑張って丁寧に振りほどきますよ」
「私としてはあなたにキラメア様のことを拒絶して欲しくはないのですが…」
「あ、そうだ彼女のこと紹介しますね!彼女はここの使用人のヒルデ・ユライユさん、俺たちにいつも美味しい料理を作ってくれてる方です」
ハルはカルラの呟きを聞き流して、ヒルデのことを紹介した。カルラは彼女が使用人と聞いても一切の礼節を欠くことなく丁寧に自らの名を名乗って頭を下げた。そのことに、ヒルデは驚き慌てふためていた。ハルも彼がこのような人物であることを知っていたため、剣を振るわれたあの場で彼を信頼することができたと言えた。
二人が挨拶を終えると、ヒルデが席を立って、カルラの分の席も用意すると言って、本館のエントランスの方に歩いて行った。
「そのハルさん、しかし、よろしいのですか?」
カルラが彼女がいなくなった後、少し言いにくそうな顔で話しかけてきた。
「何がですか?」
「このような朝の誰もいない中庭で密会まがいのようなことをしていても?あなたの恋人たちは怒らないのですか?」
その質問にハルは微笑んで簡単に答えた。
「ええ、大丈夫ですよ、この朝のお茶会のことは事前に言ってありますし、それにここには一度みんな顔を出しているので、ヒルデさんと彼女たちも知り合いなんです」
「そうでしたか、失礼な質問でしたね、すみません」
「いえ、そんな、構いませんよ」
お茶会のことを話してから、何度かこのお茶会にエウス、ライキル、ガルナ、ビナが入れ替わるように参加していた。しかし、このお茶会、朝が早く不定期で突発的なため、なかなか出席率が低かった。ライキルが参加したいと言ったときには、前日にヒルデさんに言っておいたこともあった。
カルラが紅茶を口にすると美味しいと呟いた。
「朝からお茶会というのもなかなかいいものですね」
「ですよね、俺もこの朝から美味しい紅茶を飲んでゆっくりするのが癖になっていて、だから、ヒルデさんにはいつも感謝してますよ」
「ハルさんが早起きする理由も分かる気がします」
「……そうでしょう?」
少しの沈黙の後、ハルは笑顔で言った。
それから、ヒルデがカルラの分の椅子を持ってくると、三人でのお茶会が始まった。基本的にゲストのカルラの話しが中心で、ハルとヒルデが彼にシフィアム王国がどのような場所か?竜はどうやって手懐けているのか?など、片っ端から質問していた。
「俺はずっと外に行けなかったからな」
五つの大国との間にハルが結んだ行動制限の契約。ハルを軍事介入させないためのものであったが、現在ではだいぶ制限が解除されつつあった。それは四大神獣討伐作戦という名目があったのもあるが、白虎を無事に討伐したことで、大国がハルを信用し始めたことが理由でもあった。
「でしたら、作戦が始まるまでの間にシフィアムを訪れてみてはいかがですか?この期間ハルさんには自由な時間がおありなのでしょう?」
作戦当日までまだ時間は確かにあった。それにシフィアム王国に行ってみたい気もあったが…。
「うーん、そうだね…」
ハルは、そのカルラの提案に、頭を悩ませるのであった。




