現れる剣聖と混沌とそれでも残るのは
シフィアム王国の王女キラメア・ナーガード・シフィアムが第一運動場に降り立ってから数分。古城アイビー内では混乱が瞬く間に広がっていた。先ほどまで鳴っていた警鐘のこともあり城内は緊迫していた。そのため、銀の竜が旋回する運動場の真下に精鋭騎士たちが集まって来るのも時間の問題だった。
「驚いたな、まさか、シフィアム王国の王女様とはな…」
ハルの隣にはいつの間にかエウスがいた。彼の表情は、公の場などで見せる余所行きの向けの完璧な笑顔だった。
「お初にお目にかかります。殿下、私にもどうか挨拶をさせてもらえませんか?」
「なんか胡散臭い奴が出てきたな…ハルこいつは誰だ?うちに近寄らせないでくれ…」
エウスは完璧な笑顔の裏側でひとつの思いが浮かんだ。『このクソガキめ…』しかし、ニコニコの笑顔は決して崩さない。
「紹介するよ、彼はエウス・ルオ、俺の小さい時からの友人で、騎士にしてエリー商会の会長をやってるんだ」
「へえ、エリー商会の会長………ってマジかよ!?私、あんたのところの美容品気に入っているんだよ!」
彼女の興味の方向が一気にエウスに傾いた。
「本当ですか、シフィアム王国の王女様にも愛用してい頂いているなんて光栄の至りですぅ」
『顧客か、よし、クソガキは撤回しといてやるか』
キラメアは次に、ハルの隣で怖い顔をしている金髪のライキルに興味を持った。
「ハル、こっちの女は誰なの?」
ライキルがキラメアを睨むのをやめて、心配そうにハルの顔を覗いた。ハルがなんて返すのか不安なのだろうが、ハルは彼女の紹介の仕方をもう決めていた。真剣に好意を伝えられたのだからその返しはこちらも真剣じゃなければいけない。
「こっちはライキル・ストライク、俺の大切な恋人で将来を誓い合ってる人なんだ」
「え、ハル、もう恋人がいるの!?」
意表を突かれ驚いているキラメアにハルはさらに後ろにいるガルナも紹介した。
「うん、それと後ろの獣人族の彼女。ガルナ・ブルヘルもライキルと同じで俺の大切な人で将来を誓い合ってる」
キラメアが紹介されたガルナの方を見つめる。見つめられたガルナはよくわからないまま彼女というよりハルに笑顔で手を振っていた。
「じゃあ、あの子は?そのガルナって人の膝の上にいる少女もそうなのか?」
「ああ、彼女はビナ・アルファ。今回の俺の任務に志願してくれた精鋭騎士なんだ」
「精鋭騎士?まだ子供じゃないの!?」
「彼女はもう十八で立派な女性だよ」
「私より、歳上だと……」
キラメアは目を見開いて驚愕していた。
みんなを紹介し終わると、キラメアはその後ハルに限らずみんなに様々な質問をし始めた。エウスには化粧品のことを、ライキルとガルナにはハルとの関係を、ビナには本当に精鋭騎士なのかを、聞きまくっていた。
そこからキラメアという女の子の性格が掴めて来た。良い意味で庶民的というよりは、破天荒で、王女という立場を全く感じさせない、崩れた話し方や距離の詰め方が異常に上手く、人と打ち解けるのがとても早かった。
ただのわがまま王女様というよりは、自分の意思が固く、裏表のない性格で自分の思っていることや感情を包み隠さず表に出すそんな女の子だった。悪気が無い分、衝突を生みやすいが、どこか憎めない不思議な子だった。
「ライキルはハルとラブラブなんだ?」
「そ、そうです、私とハルは相思相愛です。絶対渡しませんから」
「へえ、いいね、素敵だ。でも、うちも気に入ったからな…あ、そうだ、じゃあ、ライキルやガルナごと、うちがもらうってのはどう?」
「意味が分かりません!?」
キラメアとライキル、ガルナ、ビナが輪を作って楽しく女子会をしていた。
「ガルナはどう?うちのところに来るの?」
「どういうことか、よく分からん」
「ハルをうちがもらって、妾としてガルナもシフィアムの王族になるの、どう?王族よ、王族!」
「さっぱり分からんが、ハルは渡さない」
「えー、いい生活させてあげるよ?毎日、美味しい料理食べ放題だし…」
「え?」
「ガルナ、惑わされてはダメですよ!」
食欲で釣られそうになるガルナをライキルが説き伏せる。
「なんだったら、ビナちゃんも迎え入れてあげるよ」
「え、えっと、わ、私は……」
王族相手だからか、ビナは緊張して言葉が震えていた。
「ビナちゃんもハルのこと好きっしょ?」
「私は、ハル団長のことは尊敬していて…」
「もう、照れなくていいって!」
「キラメア様、ビナをいじめるのやめてくださいよ?」
ライキルがキラメアの暴走を制御しようと懸命にみんなのフォローに回る。
「ライキル、様なんてダサいよ、キラちゃんでいいぜ?」
「じゃあ、キラメアで」
「ライキルってクールだよね、マジ、好きだわ」
女性たちが思った以上に楽しく会話しているのをハルとエウスは少し離れた場所から見ていた。
二人の後には、いつの間にか第一運動場に降りていた銀色の竜が羽を休めていた。
ただ、その銀の竜はハルとエウスを監視するように目だけはいつもこちらを睨みつけていた。主人のことが心配なのだろう。
そんな視線を感じながらも、ハルとエウスは小声で意見交換する。
「彼女が来た目的って何だと思う?」
「そりゃ、ハル、お前を婿に取りにだろ?さっきそう言ってたじゃんか?」
エウスが笑いを堪えながら言う。
「エウス、ふざけないでくれ、一応、他国の王女様がこんなところに来てるっていう重大な事件が起きてるんだよ?」
キラメアを王女と認める判断材料で一番有力だったものが、二人の後ろにいる銀の竜だった。こんな立派な竜は、この大陸でもシフィアム王国の王族や三大貴族ぐらいしか飼っていない。そこから王女じゃなかったにせよ、彼女がシフィアム王国でもくらいの高い人物であることは容易に想像ができた。
「はいはい、悪かったよ、でも、俺が思うに本当に彼女、ハルに会いに来ただけなんじゃないか?だから深読みする必要はないと思うぜ?」
「…そっか、まあ、エウスがそう言うなら安心しようかな」
長年付き添ってくれている彼のこの手の助言はよく当たることをハルは知っていた。
「ハル様からそこまで信頼されてるとは、嬉しい限りでございます」
上品に返すがふざけているのが一目瞭然だ。
「はいはい、それより、俺はこのことをデイラス団長に伝えて来るから、ここはエウスに任せていい?」
「任せな、俺とこいつが見てるから」
エウスが後ろの銀の竜を一瞥した。
「そう、分かった、じゃあ、行ってくるからここで待ってて」
「はいよ」
ハルがみんなの元から離れる。その間、銀竜がずっとこちらを睨みつけていた。しかし、ハルがしっかりと目を合わせてきた時だった。銀竜の身体全身の動きは完全に止まり、呼吸すら忘れるほどの圧を感じ取った。
「みんなを食べちゃわないでね…そんなことしないと思うけどさ…」
ハルが優しく語りかけるが、彼の目は笑っていなかった。
ゆっくりと得体のしれない人間が隣を通りすぎるまで銀竜は全く自らの意思で動くことができなかった。その人間が中庭の方に歩いて行くと、銀竜はやっと夏の生ぬるい暑い空気を吸い込むことができていた。
***
ハルが本館の二階の執務室にいたデイラスに報告しに行くと、そこには先にシオルドの姿があり、現状の確認を取っているところだった。
ハルがそこで第一運動場に現れた銀竜に乗ったシフィアム王国の王女の話しを出すと、二人は目を丸くしていた。
しかし、しばらくすると、急いで走ってきたひとりの騎士が一通の手紙を持ってきたとき、今の混乱した状況に整理がつくのだったが…。
「バラハーネ。シフィアム王国の宰相、本人からの手紙だ」
デイラスが手紙を素早く読み進めていく。
「なんて書いてあるのですか?」
ハルが手紙を受け取たデイラスに尋ねる。
「そちらに、二人の王女を送るという内容だ」
「二人ですか?でも、こちらにはひとりしか、いや待ってください」
ハルはキラメアがそんなことを言っていたことを思い出す。
「それと剣聖も一緒だと…」
「え、剣聖ですか?」
デイラスが読む手紙に、ハルとシオルドが横から覗き込んでいると、さらに別の騎士がデイラスの執務室の中に入って来た。
「どうしたのかね?」
「それが北の基地から緊急連絡の手紙が届きまして」
「内容は?」
「翼竜六匹と、三人分のここへの通行許可が欲しいとのことで…」
そこで、執務室にいた男三人は顔を見合わせた。
***
ハルが執務室から、第一運動場に戻って来ると、先ほどよりも多くの人に溢れていた。
その大半が武装したエリザの騎士たちで、銀の竜を遠くから眺めていた。
「そりゃ、目立つか」先ほどまで空を自由に旋回していたため、多くの人の目にとまったのだろう。ハルは急いでみんなのところに戻った。
日傘があった場所には、さっきまでいたエウス、ライキル、ガルナ、ビナ、キラメアに加えて、グゼン、マイラなどエリザ騎士団の精鋭騎士たちもいた。
「お、ハル、戻ったか、で、どうだった?」
グゼンと雑談していたエウスが振り返る。
「どうもこうもやっぱり彼女は本人見たい、それにあともう一人王女様がここに来るらしい」
「もう一人?」
「そう、それとシフィアムの剣聖も一緒について来てるみたい」
「なんだか、凄いことになって来たな…」
「ほんとだよ、何がどうなってるんだか?」
そこでハルは、エウスを挟んで反対側にいたグゼンと目が合ったが、すぐにそらされてしまった。ただ、ハルも別に彼とは表面上の付き合いだけしかしていないので、そんなものかと気にもとめなかった。
すると後ろにいた、銀の竜が突然起き上がって、羽をはためかせた。
第一運動場に物凄い風が巻き起こる。
周りで眺めていた騎士の中には剣を抜く者や手をかざして魔法を使おうとする者たちまでいたが、グゼンがそれに気付き手を出すなと叫ぶと、その騎士たちは武器を収めていた。
「なんだ!?」とエウスや日傘の下にいたライキルやビナなども慌て始めるが、ガルナとキラメアの二人は日傘の下からでも気づいていた。
「来た来た、全く遅いんだから、何してたんだよぉ」
日傘の下でだらだらとくつろいでいたキラメアがひとりそんなことを呟く。
ハルは飛び上がった銀竜よりも、古城アイビーがある北の空を見つめていた。
その北の空から、古城アイビーの上空に、五匹の竜が姿を現した。
その五匹の竜たちの中に銀色の竜が混ざって降りる場所を先導し始めた。第一運動場の上空で一糸乱れない見事な旋回の末に、順番にその五匹の竜たちは降りてきた。
そして、その竜の背中から二人の男女が顔を出すと、ハルたちがいる日傘が一本立っている場所に向かって一直線に歩いて来た。
「お久しぶりです、ハルさん」
「どうも、カルラさん、まさか、あなたが直々に来るなんて思ってもみませんでした!」
「王女二人の護衛と監視を任されてきたのですが、お恥ずかしながら私では力及ばずといった次第でございまして…」
カルラが、日傘の下でライキルたちとくつろいでいるキラメアの無事を確認するとほっとしていた。
ハルの前にいるこのとても穏やかな雰囲気に包まれた暗い茶髪の竜人族の男の名は【カルラ・ヒュド・シフィー】六大国のひとつシフィアム王国の現役の剣聖だった。
そんな彼は、瞳が黄色く夜に浮かぶ満月のように存在感があり、さらに竜人族である彼の身体には鱗があり、その鱗はこげ茶色で上品な輝きを放っていた。
そして、彼の背中には竜人族でも珍しいとされる大きな翼が生えていた。その翼も暗いこげ茶色の翼だった。そのため、彼はベージュを基調としたゆったりとした背中があいた服を着ていた。
さらに彼の武器は、腰に騎士たちがいつも使っている両刃の剣ではなく、片刃の刀という剣を携えていた。ただ、もちろん、ハルの持っているバカでかい大太刀と違って、誰でも振るえるほどの普通の大きさの刀だった。
「それは大変でしたね…」
カルラの苦労を汲み取って労いの言葉を掛ける。
ハルは一度、剣闘祭という大きなお祭りでカルラと会ったことがあった。そのため、互いに面識があった。
「もしかしてあなたが、あのハルさんなんですか?」
カルラの後ろから顔出したのはキラメアと似た顔の女の子だった。
キラメアと同じく髪を後ろでひとつに結んでいたが、その髪の色がキラメアの透き通った水色とは違い、彼女は深い緑色だった。
それにキラメアの破天荒でめちゃくちゃな性格とは違い、どこかカルラと似た落ち着いた雰囲気を持っていた。
「はい、そうです。私があのハルさんです」
ハルが冗談で変な自己紹介を飛ばすと、彼女は驚きよりもハルの意外な子供っぽさに笑顔がこぼした。
「…ウフフッ、そうなんですね、あなたがあのハルさんなのね?」
「ええ、それでは、あなたが送られてきた手紙にあったウルメア様でよろしいですか?」
ハルがそこで手紙にあった内容を思い出すと彼女がシフィアム王国から来た二人目の王女で決まりだったが、一応、確認を取っておいた。
「はい、あそこにいるキラメアの姉のウルメア・ナーガード・シフィアムです」
「そうでしたか、ちなみに、私はハル・シアード・レイです。どうかお見知りおきください」
ハルが誰にでも平等に見せる優しい笑顔で彼女に笑いかけた。
「フフッ、もちろん、知ってますよ!」
「それはありがたいことです」
ハル、カルラ、ウルメアの三人が穏やかな空間で微笑ましい挨拶をしているところに、嵐は現れる。
「カルラ、ウル姉、来るのが遅いよ?」
「キラメア様、流石に銀竜で飛ばされると我々の竜では到底追いつけませんよ、それにここはレイド王国で、シフィアム王国ではありません。ですから、勝手に竜で街の上空を飛んではいけません。それは何度もお話ししたはずですよね?」
カルラが眉をひそめる。
「おかげで、私たちはエリザの騎士団の方たちのお世話になってしまったのですからね?」
街によってルールは違うが、基本街中で竜を飛ばしてはいけない。交易が盛んなパースの街だと荷運びで竜も使われることがあるが、街の外周を飛ぶというルールが存在していた。以前ハルたちが霧の森に出発する際に大量の竜を古城アイビーに招き入れたが、あの時は、もちろん、大事な作戦があったから許されたことであり、たいていの場合は許可などまず下りない。
つまりこの古城アイビーがある城壁内の上空に竜を飛ばすなどもってのほかであった。
特にこれを大国の王都周辺でやると、問答無用で強力な魔法や剣聖が出撃する事態になる大問題となるため、一歩間違えれば大変なことになっていた可能性があった。
温厚なカルラが怒るのも納得がいった。
「はーい、反省しまーす」
キラメアの顔から反省の色は全く見えなかった。
「はい、分かればいいんです!」
しかし、カルラはキラメアが反省したと納得して頷いていた。
ハルは二人の会話をどうしようもないなと思いながら苦笑いをして見守っていた。
「あ、そうだ、うち、こちらのハルさんを婿にもらうから、二人とも、そこんとこよろしく!」
キラメアがハルの腕に抱きつき、満面の笑みを浮かべていた。
「え?」
剣聖のカルラと姉のウルメアの二人が声を揃え、目を丸くしていた。
「だからあんたなんかにやるわけないでしょ!それにさっき話したこと忘れたんですか!?」
すっかりキラメアと仲良くなったライキルが、腕に張り付いている彼女を引き剥がそうとする。
「あ、それと、ライキルとガルナもうちの家族にします!!」
キラメアが、引っ張ってきていたライキルも抱き寄せた。
まさにこの第一運動場は混沌の中にあった。理解が追い付いていなさそうなカルラとウルメアの二人に、ハルははっきりと言った。
「カルラさん、ウルメア様、真に受けないでくださいよ?」
「照れるなよ、ハル!うちは本気なんよぉ!!?」
そこにガルナも現れるとウルメアはこの子がガルナだと二人に紹介していた。それからキラメアが仲良くなったビナやマイラなど次々と、剣聖と姉の二人に紹介していった。しばらくすると、キラメアの周りには人が集まっており、その姿はまさに民を束ねる女王のようだった。
「待ってください、キラメア様がハルさんをもらうことは分かります。ですが、女性たちを迎え入れるのは意味が分かりませんよ?」
腕は確かだがどこか抜けているカルラが真剣にキラメアと討論を始める。
「そこは王族の権力でなんとかする!」
「無理ですよ、ただでさえ、シフィアムの王家や三大貴族は他の種族の血を受け入れたがらないんですから」
「んじゃあ、うちが王女やめればいいのか?」
「そんな簡単にいきませんよ!というより、それはキラメア様のお父様が許しませんよ!」
二人の口論を中心に周りでもどんどん話が盛り上がっていた。キラメアはその後もライキルとも口論を交わしていた。そこで周囲にはもうライキルとガルナがハルの恋人であることが伝わり始めており、これは明日の噂の話題にされることは間違いがなかった。止めようにも手遅れだった。
おしゃべりバトルの中心から少し離れた場所に避難したハル。そこに、ウルメアがやってきて小声で話しかけてきた。
「あの、ハルさん、彼女たちが言ってることって…」
せめて彼女ぐらいには本当のことを話しておこうとハルは自分の身の回りを説明した。
「あ、えっと、そのちゃんと説明しますと、あそこで口論してる金髪の女の子のライキルと、あそこの半分獣人族のガルナって女の子と俺は将来を近いあった仲なんです」
「ハルさんは二人を娶るということですか?」
「えっと、実際には…」
最後のひとりの女性の笑顔が頭に浮かぶと、急に悲しくなったがもちろん、顔には出さなかった。詰まらせた言葉を区切って言い直した。
「ええ、俺はあの二人と結婚するって決めてるんです…だから、キラメアさんと結婚はできません」
「…そう、だったんですね……」
「すみません、お姉さんのあなたにこんな話しちゃって」
「え、ああ、いや……いいんです、はい、キラメアには後でちゃんと説明しておきます…」
「ありがとうございます」
ハルは安心して笑顔で彼女に礼を言った。
ウルメアがまだ何か言いたげな顔をしていたのでハルがどうかしたのですかと尋ねると、彼女はどこか言いずらそうに口を開いた。
「でも、ハルさんはその例えば、キラメアとも結婚するって選択肢はないんですか?一夫多妻ですよね、それなら、二人も三人も変わらないんじゃないんですか?」
「そうですね…」
「だったらキラメアや他の女の子もどんどん受け入れようとは思わないんですか?」
「それは、多分、ありえないですね…」
「どうしてですか?たくさんの女性に囲まれた方が男の人って幸せじゃないんですか?」
「うーん、それは人によるんじゃないですか?」
「ハルさんはどうなんですか?」
グイグイくるなと思いながらも、ハルは答えた。そのとき、自然と敬語を忘れていた。
「女性っていうか、そりゃ好きな人たちにたくさん囲まれるなら俺は幸せだと思う。でも、やっぱり、ダメかな?」
「ダメ?何がですか?」
「一度に、たくさんの女性を相手にできる自信がないかな……」
ひとりの男としてハルが一度に愛せる人、つまりここでは時間をさける愛する人への数には限界があった。その限度がせいぜい三人までだった。それ以上はとてもじゃないが自分を愛してくれている人には失礼なことをしてしまうだろうと自覚はあった。
「自信なんていらないと思います、ただ、愛せばいいんじゃないんですか?毎日、顔合わせて、好きだっていえば、きっとあなたを好きになった人はみんな満足すると思いますよ?」
「うーん、それだと、たぶん、俺が満たされないで、空っぽになっちゃうかな、そんでさ、結局いろんな人をたくさん悲しませると思うんだ……」
時間は愛する人の分だけ増えてくれやしない。そう考えると三人のことを考えるだけでハルの人生は精一杯だった。人生を通して、ひとりひとりにちゃんと向き合いたいハルが抱えられる愛する人は、ライキル、ガルナ、そして、アザリアの三人だけだった。
そのハルの愛を一身に浴びられる三つの席に、もう空席はない。
そして、その席を空けることも譲ることも絶対に許すことはない。
「だから、俺はライキルとガルナと…そう、その二人だけでもう一杯なんだよね…」
「………」
「あ、ごめんなさい、王女様に向かって無礼な口をきいてしまって、どうかお許しください…」
ハルが我に返り隣のウルメアに頭を下げたが、返事はなかった。顔を上げて彼女を見ると、不機嫌な様子で、不気味に黙り込んでいた。
「ウルメア様?」
「謝らなくていいです、それより、私のことはウルメアと呼び捨てで呼んでください、私もあなたのことをハルと呼び捨てにしますから、キラメアもそう呼んでいたからいいですよね?」
怒っているようだが、堅苦しいのが苦手なハルにとってこの提案はありがたかった。
「はい、もちろん、いいですよ、それじゃあ、これからもよろしくお願いしますね、ウルメア」
早速ハルは彼女の名前を呼び捨てにした。
「…ええ、よ、よろしく、お願いします…ハル……」
ハルは嬉しそうな笑顔で微笑んだ。ただ、ウルメアの方は急に呼び捨てで自分の名前を呼ばれたため動揺して顔を赤くしていた。
「…………」
気が付けばみんなの中心で口論が激化してくるとハルがウルメアに言った。
「やっぱり、俺、二人のこと止めてきますね」
「あ、はい…」
それだけ言うとハルは口論の中心のライキルとキラメアを止めに向かった。
みんなの輪の中に向かう際に、ハルは思った。
『なんだか、俺は自分のことで精一杯だな…』
みんなを愛する英雄のハル・シアード・レイとしての自分と、三人の女性だけを愛するひとりの男のハルとしての自分がそこにはいた。
『でも、やれることは全部やらなきゃ…大切な人達のためになることは…』
みんなを守りたい。
愛する愛される、それ以前にハルの中に一番強くある思いが、この平和な日々を守ることだった。
そのためだったら、ハルは英雄じゃなくても良かった。
化け物でも、みんなから憎まれても、それでも、最終的にはみんなのことを生きて守れるなら何でもよかった。
なぜなら、愛することも喧嘩することも一緒にいることも、命あってのことだから、死んでしまってはもう、好きな時に愛すると伝えることも喧嘩も一緒にいることも何もできない。会いにだっていっちゃいけなくなる。
そんな悲しいことが、無くなるようにするのは無理だけれど、少しでも降りかかる絶望や死がみんなのところから遠ざかるなら、自分が犠牲になることはなんら苦じゃなかった。罰を受けるのが自分ひとりでも全然構わなかった。
約束を破ることにはなりそうだけど、それでも、ハルには、霧の森で彼女から教えられたことが今でも忘れられなかった。
人を選ぶということ。
大切な生命は人であると、魔獣や他の生き物じゃない。一番大切な生命はハルにとって人の命だと、決して彼らと人は平等じゃないと、もう、そう、決めたのだ。ライキルやガルナを深く愛してしまってなおさらその思いは強くなった。
だから、何が何でも愛おしい人だけを救おうとハルは決めた。みんなを救おう。自分にはその力があるから。
『時間はもうほとんどない…から、笑っていて欲しいな…みんなにもそうだけど、特にライキルとガルナにはさ、俺のことでイラついたり、悲しんで欲しくないんだよな……』
自分がみんなと過ごすはずの時間が何十年とあるはずなのに、みんなの生命を救うために、少し先の未来で必ず来るあることを思うと、ハルは焦ってしまう。幸せでいることを焦ってしまう。
ハルが、キラメアとライキルの喧嘩を止めに入った。
「二人とも喧嘩しないで」
「だって、ハル、聞いてください!キラメアがですよ、ずっと……ん!??」
そこでハルがライキルに遠慮なくキスをした。
エリザの騎士やカルラやキラメア、ウルメア、全員が注目しているところで、堂々と愛する人の唇を奪った。
理解が追い付かないライキルはハルのなすがままに唇を重ねさせたが、みんなが見ていることを頭の中で再処理すると、ハルの身体から離れた。
「…………あれ?…ハル、あの、あ、その……」
ライキルが顔を真っ赤にしていたが、ハルは冷静だった。
そして、辺りが一瞬静まり返る。が、その静寂を切り裂いて、私にもキスする権利はあると言わんばかりにガルナがハルのもとにやって来た時だった。
「あ、ずるいぞ、ハル、ライキルちゃんにだけ……私にも……むぅ!??」
ガルナもハルのキスの餌食になる。ハルがガルナの腰に手を回し逃げられなくするとそのままライキルと同じ様に強引にキスをした。ただ、恥じらってすぐ離れたライキルと違い、ガルナは全くそんなそぶりがなく、ずっと続けようとしていたので、逆にハルが恥ずかしくなって唇を離した。
そこでガルナがさらに追ってキスを迫って来たので、「ごめん、待って」とハルが制した。かっこよく決まらないものだと思った。
啞然とした人が作り出した静寂の中、ハルはキラメアに向かっていった。
「キラメア様、この通り、あなたと結婚はできません。俺は将来この二人との結婚すると決めているからです。だから、これ以上あなたの期待に応えることはできま…」
キラメアがハルの胸ぐらをつかんで一気に引き寄せ、彼女自身も前に進んでハルの唇を奪おうとしてきた。
しかし、ハルは、簡単にキラメアの手を振り払って、そのまま、彼女を後ろに突き飛ばした。
その瞬間、カルラが腰の刀を抜刀する。それは居合と呼ばれるもので狙いはハルの首だった。
「おい、カルラ!!何してんだぁ!!!」
後ろによろめいたキラメアが、先ほどまでヘラヘラしていた人と、同一人物とは思えないほど怖い顔で絶叫した。
カルラの抜刀した刀の刃が、ハルの首の一歩手前で止まる。ハルは一切避けるそぶりすら見せず、カルラには目もくれず、キラメアのことを見つめていた。
「今すぐその刀おさめろ、クソ剣聖」
「はい、キラメア様」
カルラが刀をしまう。
場の空気は完全に氷ついていた。しかし、その目の前の王女の心には完全に燃え上がる炎を灯してしまっていた。
「ハル、その、うちからあいつがしたこと謝るよ、ごめんなさい」
キラメアがハルに向かって深く頭を下げた。
「キラメア様、どうして、あなた様が頭を下げる必要はありません…」
「カルラ、少し黙ってろ」
カルラが慌てた様子で、キラメアに頭を下げるのをやめさせるように言うがきつく返された。
「…はい、かしこまりました」
怒鳴られ落ち込むカルラが、ハルは少し気の毒になった。たかが剣聖に振るわれる剣などに殺されるようなら、二日で白虎を皆殺しになどできない。許すも許さないの前にハルにとって剣を振るわれていないのと同じだった。そもそも、ハルは自分に対してだけならいくらでも剣を振るってもらっても、危害を加えてもらっても構わなかった。
だから当然ハルがキラメアに言った最初の言葉は顔を上げてだった。
キラメアが申し訳なさそうな顔でしょんぼりと落ち込んでいた。
「本当にごめんなさい…」
「いいよ、全然気にしてない。それよりさ、さっき言ったこと分かってくれたかな?俺があなたとは一緒になれないこと」
ハルがなだめるように話しかける。そして、自分を諦めてくれるように彼女に再確認させるはずだった。
「それは無理だ…」
「え?」
「この短い間に私は、あんたに二回も落ちた、これはもうダメってやつだ…」
キラメアの顔が鮮やかに赤面していた。彼女は熱くなっている自分の両頬を押さえていた。さらに尻尾が左右に狂喜しており何度も地面に叩きつけられていた。
「ハル、うちもあんたと結婚させてくれ!一生のお願いだぁ!!!」
再び懐に飛び込んで来たキラメアをひらりとかわしたハルは、傍に居たライキルとガルナの二人をそれぞれ片手で軽々と持ち上げた。
「二人とも俺に掴まって逃げるよ」
「え、ちょっと、どこに行くんですか?」
まだ顔を赤らめていたライキルが慌ててハルに抱きつく。
「よし、ハル、出発だ!」
ノリノリのガルナもハルに掴まる。
「エウス、後のいろいろなことは頼んだよ、ちょっと三人でそこらへん遊んでくるから」
「はいよ、好きなところ行ってきな、でも、暗くなる前には帰ってこいよ」
「了解!」
ハルが一回ジャンプすると一瞬でみんなのいる第一運動場が遠ざかっていった。そして、そのまま、古城アイビーの敷地を低空で抜けた先の道路で二回目のジャンプをした。するとあっという間に古城アイビーの城壁の上に立っていた。
「ハルは、やっぱり、やばいわ!アハハハハハハ!」
初めてハルの腕に抱かれて高速移動したガルナは楽しくてしょうがない様子だった。
「どうして、逃げたりなんかしたんですか?」
「うーん、ライキルとガルナと三人だけになりたくなったからな?言っちゃえば俺のわがままかな?」
ハルがライキルをぎゅっと抱きしめた。
「そうでしたか、こんな素敵なわがままならいつでも私は付き合います!」
「ありがと」
「はいはい、私も混ぜろ!混ぜろ!」
ハルとライキルをガルナが優しく包み込んだ。
三人はそれから城壁の下に広がる街に下りて、日が暮れるまでデートしたあと、またみんなが待っている古城アイビーに帰宅した。
城に帰ると、結局、キラメアとウルメアとカルラの三人がいて状況は何も変わらなかったのだが、ハルはそれでもよかった。
ただ、ハルの今日の一日は、ライキルとガルナとデートしたことだけが思い出に残ったのであった。