幸せに落ちる影
ライキルが、朝の光を浴びて、いつものベットで目覚めると、隣には愛する人が共に寝転がっており、こちらを向いて微笑んでいた。
「おはよう、ライキル」
「おはよう、ハル」
ベットで横になったまま、挨拶を交わし終えると、ハルがさらに傍によって来てライキルを抱きしめた。
「起きるの遅いよ…」
「うん…」
嬉しい文句を言ってくれる彼の腕の中で、ライキルは浅い呼吸をしながら頷いた。
ライキルは幸せの海に溺れていた。
目覚めて一番最初に幸せそうなハルの顔が見れる。さらに抱きしめられたり、撫でられたり、顔をすり寄せてきたりと、甘えてくる彼が、ありえないほど癖になっていた。
普段はライキルの方が甘えたくて仕方がないのだが、ハルと深い関係になってから、彼からもべったりスキンシップが増え、接近して来るようになっていた。これはまさに彼に愛された者だけの特権のようで気分がよかった。彼のこんな裏の顔も知っているのだと優越感に浸れた。
「今日はもう一日中ここで、こうしていよっか?」
「うん、そうする」
彼の素敵な提案にすぐにコクコクと頷く。
「嘘だよ」
「バカハル」
「アハハハハハハ!」
屈託のない笑顔で彼が笑うが、本当にこのまま一緒に抱きしめあって次の朝もその次の朝も迎えたい気分だった。
息ができないくらいの多幸感が胸を締めつける。
「よし、そろそろ、起きようか」
「うん…」
優しく包み込んでいてくれた彼の腕が離れると喪失感に襲われた。
「ハル、起こして」
腕を広げ、ダメもとで甘えた声をだし、もう一度彼に抱き上げてもらいその腕の中に包み込んでもらおうとした。
「はいはい、喜んで、お姫様」
ふざけながらもハルが、もう一度抱きしめて上体を起こしてくれた。
するとライキルはそこでいいことを思いついた。それはもう一度ベットに倒れこみハルに抱きしめてもらおうという手間のかかる方法だった。
早速ライキルがせっかっく起こしてもらった身体を再びベットに倒れ込んだ。
「あれ、何してるの?」
「起こしてください」
「ハハッ、分かったよ」
状況を把握したハルは、再びライキルを抱きしめて身体を起こした。ライキルは当然のようにまた後ろに倒れ込んだ。
「あぁ、ハル、また倒れちゃいました、お願いできますか?」
しかし、ハルは先にベットから下りて、ライキルをおいていってしまった。その代わりに今度はハルが両手を広げて言った。
「はい、今起きたら抱きしめてあげるよ」
そう言われたライキルはすぐにベットから飛び起きてハルの胸の中に飛び込んでいった。
「おはよう、ライキル」
ハルが思いっきり抱きしめてくれる。
「うん、おはよう」
彼の胸に顔を埋める。
『はぁ、生きてて良かった、私、とっても幸せだ…』
特別なんて名前のつかない、こんな、なんでもない日のなんでもない朝を、ライキルは忘れないのだろう。
彼と過ごすありふれた日常がこんなにも穏やかでたまらなく幸せなことを。
二人はその後も、ふざけ合いながらダラダラと朝の支度を進めて、今日も一日を始めるのだった。
***
ハルが中庭でいつもの四人と朝食を食べている時に、今日はみんなに何をするのか聞いた。返って来た答えは全員特になしだった。
そこでハルが「だったら、みんなで剣の稽古でもしない?」と提案した。新兵たちやエリザ騎士団たちのこともあり、ここにいるエウス、ライキル、ビナ、ガルナの四人に十分な稽古をつけてあげれていなかった。みんなが暇ならその埋め合わせもいいかなと考えていた。
「どうかな?」とみんなに尋ねると、ガルナが満面の笑みで「やったー」と叫んで立ち上がって座っていた椅子を倒していた。エウスが「いいねぇ」と乗ってきて、ライキルが「お願いします!ハル先生!」と見つめてきた。
「ビナはどうする?」
ぼうっとしていたビナが「あ、はい、私も、私もお願いします!」と慌てて手をあげていた。
そんな会話が朝食にあり、ハルたちは休日で誰もいない第一運動場を貸し切って五人で剣の稽古をしていた。
ハルがひとり、ひとり丁寧に相手に合わせた力で剣を振るい稽古相手の限界を引き上げる。
打ち合っていると、彼らの剣の特徴が現れてくる。
エウスの剣は、フェイントや相手を誘い込んだり騙したりするのが上手い。巧妙に考え抜かれた結果、振るわれる剣なのだろう。相手を揺さぶるが彼の剣に隙は少なく防御中心の守りの剣ともいえた。
ライキルの剣は、とてもまっすぐで型に忠実で綺麗だった。自分の積み重ねてきたものを余すことなく発揮する素直な正確な剣。しかし、そんなまっすぐで読まれやすい剣から不意に放ってくる死剣が、まず初見では相当の手練れではない限り、防御はおろか何が起こったかも分からないだろう。
ビナの剣は、常人より力ずよく振るわれる。それだけで大きな優位性を持っているのだが、そこに多彩な剣術を駆使して戦ってくる。そしてダメ押しに彼女の運動性能はとても高い場所に位置しており、まず、そこらの騎士では彼女の一撃を生身にもらえば立っていることさえ難しいだろう。さすがは各国からも最高峰の騎士団と言われるライラ騎士団の隊長格なだけはある剣だった。
ガルナの剣は、荒々しく、自分のことを考えない超攻撃的な諸刃の剣と言えた。しかし、間違ってはいけないのが、たいていの人間がまず彼女の嵐のような戦闘についてはいけないこと。彼女と相打ちになる人間など剣聖クラスの騎士か大国のトップクラスの精鋭騎士たちだけだろう。それほど、彼女の戦闘力はこの四人の中では、圧倒的にずば抜けていた。
しばらく、ひとり、ひとり順番に相手をしてあげていると、ビナ以外の三人がすっかり疲れて、休憩できるようにと設置していた日傘の下に退避していた。
「みんなだらしないな」
ハルがビナと剣を交え終えるとそう言った。しかし、相手の出かたによって、力の加減を変えて稽古してあげていたので、誰が先に音を上げても不思議ではなかった。特にガルナなんかは最初から全力でかかって来たので一番潰れるのが早かった。エウスとライキルの二人もそうだ。ハルとの戦闘にノリノリで自分の全力をぶつけていたので消耗が早かった。
そう考えるとビナの剣は力強かったが、三人に比べて勢いはなく、なんだか彼女の方が手加減をしてしまっているのでは?とさえ思ってしまった。そんなのハルの前では不要であるのに。
「ビナはどうする?もう少し続ける?それとも休む?」
「………」
「ビナ?」
ボケっとしているビナの顔を覗き込んだ。
「あ、ごめんなさい、私も休みます!」
「よし、じゃあ、みんなで休もう!」
ハルが、ビナを連れて日傘の下でぐってりと仲良く座り込んでいる、三人を見下ろした。
「俺とビナの場所が無いんだけど?」
日傘が思ったより小さいのを選んでしまったのか、三人入った時点で影の部分が残っておらず、定員オーバーだった。
「場所ならあるぞ、ほら、私の膝の上が空いてるぞ、お二人さん」
あぐらをかいてるガルナが自分の膝をバシバシ叩いて招き寄せる。
「じゃあ、ビナさん、どうぞ」
「え、いいんですか?」
「もちろん」
最後まで戸惑っていたビナだったが、ガルナが彼女においでと呼びかけると、ビナは素直にちょこんと
ガルナの膝の上に乗っかって包み込まれていた。
「よし、それじゃあ、残念だけど、エウスには出て行ってもらうか…本当に残念だけど…」
「待て待て、なんで俺なんだよ」
「ええ、だってエウスはとっても優しい人だからさ…」
「都合よく人を優しくするな、っていうか、それより、ほら、ハル、こいつを見ろ」
エウスが親指で隣を指さすと、そこにはライキルが目を輝かせて自分の膝をバシバシ叩いて猛烈にアピールしていた。ぜひとも私のここに座って欲しいと、言わなくても目が必死に訴えかけていた。
「…逆ならいいかな、俺が乗るとほらライキル潰れちゃうから」
恥じらいながら言うハル。けれどその言葉に反応したライキルが、とんでもない勢いで立ち上がって傘の下を譲ってくれた。ハルがありがとうと言い、そこに胡坐をかいて座ると、自分の目の前にすぐにライキルが腰を下ろしてきた。さらに彼女は身体を預けてきて寄りかかってきていた。
「ライキル、お前、人目も気にしないようになったんだな?」
「今は人目が無いんで大丈夫なだけです。それに所かまわずってわけじゃありませんし、そんな節操のない女じゃ私ありません」
「それはどうだか?つうか、俺がいるんだが?」
「エウスは人じゃないんで大丈夫です」
「おい、それはどういうだぁ?場合によってはだな」
エウスとライキルがいつも通り仲良くケンカを始める。隣ではガルナとビナが仲よさそうにじゃれ合っている。
遠くから鐘の音が鳴るのが聞こえた。
真夏の暑い日差しから小さな日傘で隠れる五人のもとに生ぬるい風が届く。その風を受けたみんながいったん考えるのをやめて暑いと呟き合うとよりいっそうだらけていた。
段々と鐘の音が大きくなる。
いったん食堂に行って、冷たい飲み物でももらってこようかとハルが提案するが、誰も暑さでその場から動こうとしない。
大きな鐘の音が古城アイビーの周囲から徐々に聞こえ始め、その鐘の音がパースの街中に広がっていく。
緊急事態の鐘。
パースの街に点在するエリザ騎士団の軍事基地が街に危険が迫っていることを知らせるために鳴らす鐘。その鐘が鳴ると軍事基地から軍事基地へと連鎖して、やがてパースの街全域に広がって、古城アイビーにまで届く。
「なに、何の鐘?」
ライキルの顔に不安の色が浮かんだ。
「これは、警鐘だ。ちょっと、みんなはここにいて」
ハルが傘から出た時だった。その鐘を鳴らした原因になったであろうものが正体を現した。
日差しを遮り、大きな影がハルに落ちる。
ハルが空を見上げるとそこには一匹の銀色の竜が空を飛んでいた。