幸せの形
星空が満天に輝く夜空の下、古城アイビーの本館の屋上には二人の男がいた。
二人は酒を片手に中庭から第一運動場まで続く宴を上から眺めていた。
下ではテーブルの上に置かれた照明のためのローソクがいくつも並べられ炎を灯していた。そのテーブルが中庭から第一運動場まで続き、まるで夜に咲いた赤い大輪の花のように咲き乱れ、夜の景色を美しく彩っていた。そこに人々の楽しそうな笑い声が響き、人々は今日あった熱い戦いを話題の切り口に宴会を楽しんでいた。
そんな中。
「はぁ…」
美しい景色を上から眺めていたエウスがひとつため息をつく。
「やっぱり、彼のこと気になる…?」
隣にいたハルが酒の入ったグラスを傾けるのをやめて、彼に声を掛けた。
「そりゃ気になるさ、だってよ、急にいなくなったんだ…心の準備ができてないっつうの」
エウスはやけ酒といった感じで一気にグラスの中の酒を飲みほした。彼の足元にはたくさんの酒の入った瓶が転がっていた。
「まぁ、そうだよね…」
ハルは気まずそうに酒を喉に流し込んだあと謝った。
「ごめん、俺も止められなかった…」
「いや、そこなんだよなぁ…あれだぞ、きっと無理にでも止めてたら、俺たちあいつにめちゃくちゃ恨まれてるところだったぞ」
「アハハ…それもそうかも…彼、彼女のために頑張ってるって言ってたもんね」
「ああ、形はどうであれ、あいつは今頃めちゃくちゃ幸せだと思うぜ、愛する人と一緒に居られてよ」
新兵のひとりのアストル・クレイジャーが、レイド王国の三大貴族であるパルフェ家のひとり娘のアリスという女の子に連れて行かれてしまったことについて二人は語っていた。
ハルも、アストルがアリスという女の子のことを愛していたことを知っていた。それはエウスが教えてくれたことなのだが、その彼の話しから、ハルも知っていた三大貴族のパルフェ家。そのひとり娘の名前がアリスということもそこで初めて知り、アストルの話しには驚かされたものだった。
「あ!ところで、ハル、お前さんはどうなんだ?」
「何が?」
「毎晩、二人とよろしくやってんのか?」
酔いに任せたエウスが顔を赤くしながら口走る。
「…エウス、お酒の飲み過ぎだね、没収しまーす」
ハルがエウスから目にも止まらぬ速さで酒とグラスを没収する。
「あ、ちょっと、待って、待ってくれ!ハルさん、冗談、冗談ですよ!それに今日は飲みたい気分なんだ。今日は酒がないとダメないんだ。俺から酒を奪わないでくれぇ!」
エウスはハルに奪われた酒の瓶とグラスに手を伸ばす。
「今日はハルと二人で朝まで飲むって決めたんだよ!なあ、いいだろ?だから酒を返してくれよぉ…」
「わかったよ、でもさ、みんなのところにも顔出さない?きっと、みんなエウスのこと待ってるよ」
ハルはエウスに酒の瓶とグラスを返してあげた。エウスはすぐさまそのグラスに酒をつぎ足し、空になった瓶を足元に置いた。
「いやあ、いろいろあいつらに大口叩いて負けさせちまったから、みんなに合わせる顔がねえんだわこれが…」
エウスが酒をあおる。そして、大きく息を吐いて、中庭で賑やかに騒いでる新兵たちを見つめていた。
「みんなエウスのことなんてちっとも責めてないと思うけど…」
「あとあれ、アストルとジュニアスを止められなかったし、そのこともあってさ、俺は不甲斐ないぜぇ…」
エウスは楽しそうな下の宴を見るのをやめて、その場に座り込んでさらに新しい酒の瓶に手を伸ばしていた。
「………」
ハルはそこで少し考え事をした。
今日の昼、新兵たちの試合が終わり、その会場に三大貴族の娘のアリス・パルフェという大物が現れ、アストルを連れていった。そこにさらに新兵のジュニアス・ダイナウォッチまで彼女について行くという結果になったことを、そして、自分が下したことについて。
『もしかして、監視役とかだったのかな…ずっと、アストルのこと見張ってたとか……』
ハルはアリスたちとすれ違ったことを思い出す。
***
それは、試合が終わってハルがライキルとガルナの二人と古城アイビーの屋上から下りて、中庭に出た時だった。アストルを抱きかかえた女の子が、ジュニアスと女性の執事の四人で歩いてくるところに遭遇した。
最初、その女の子がこちらを見た時、彼女はぎょっとして目を見開いていた。
「あれ、アストルに、ジュニアス?それにあなた達は?」
ハルがアストルを抱えている女の子を不思議そうに見つめた時だった。最初にジュニアスが事情を説明してくれようと口を開いたのだが、彼の口を遮って、その女の子が慌てた様子で自己紹介をし始めた。
「ハ、ハル団長、これはその…」
「ハル・シアード・レイ様!私はアリス・パルフェと申します。シアード様は私をご存知でしょうか?」
最初に彼女の名前を聞いて頭に浮かんで来たのはエウスがよくアストルの話しをする時に出て来ていた女の子の名前と一緒ということだった。
「アリスって、アストルの…いや、そうなると、君は三大貴族のパルフェ家の人ってこと!?」
「はい、そうです!私をご存知でいらっしゃるのですね!?」
「ええ、そのアストルやエウスからいろいろと話だけは…」
「まあ、本当ですか!?シアード様が、私をご存知なんて嬉しいです!」
アリスはニッコリと笑顔を作ってくれたが、その時の彼女はかなり余裕がなさそうで、どこか焦っているようにさえ見えた。
「それでは私たちはここらへんでお邪魔させていただきますね?」
彼女は相当この場から早く去りたいといった雰囲気が漏れ出ていた。
「アストルとジュニアスは、その…連れて行くんですか?」
アリスの表情が絶望に染まり、身体が固まる。
「は、はい、シアード様、アストルはこちらで預からせてもらいます。あと、こちらのジュニアスも…」
「俺は一応、彼らを任されてる団長なんですが…」
そう言うとアリスの顔は真っ青に青ざめていた。
「連れて行くことを許可して頂けないということでしょうか?」
彼女からは暑さというよりは、冷や汗をかいているように見えた。
「すみません、私は王都でもアリスさんのお顔を拝見させていただいたことが無いのであなたが本人かも分からないんです…」
他の三大貴族の家族たちは挨拶に来たりして会っていたが、パルフェ家は当主にあっただけで家族に会ったことはハルでもなかった。
「ならこれならどうでしょうか?キリサ、持ってたわよね?」
「はい、アリス様。いつでも持ち歩いております」
キリサと呼ばれた執事が、ひとつ指輪を取り出すと、ハルに手渡した。
「シアード様、この指輪で証明ということではどうでしょうか?」
ハルの手には獅子と剣のデザインの黄金の指輪が乗せられていた。それは紛れもなくレイド王国の三大貴族の人間であることを証明する指輪だった。
「本物ですね…」
なぜハルが一目でわかったのかというと、それは剣聖時代に教育係から鬼の様に教養を叩きこまれたおかげだった。
「あとで、正式な文章も送りますし、謝礼もします、ですから、どうか私にアストルを任せていただけないでしょうか?」
ハルはそこで少し悩んだ。目の間にいるのはアリス本人であり信頼できるのは確かで、あとは自分が許可を出すだけだった。
ハルが悩んでいると、彼女が静かに口を開いた。
「私、先ほどの試合を見てました。それで思いました…アストルが私のためにこれ以上無茶をするなら騎士をやめて欲しいって…私、見ていられなかったんです、彼が傷つくところ…」
「………そうですよね……」
ハルも試合を見ていてアストルが限界を超えて戦っていることは分かっていた。しかし、エウスが止めなかった。自分なんかより、よく彼らのことを知っているエウスがあの時止めなかった。だからハルも止めるのをやめてしまった。自分なんかにはなおさら彼を止める権利なんてなかった。
ただ、当然、即死するような一撃をアストルが受けないように、すぐ助け行けられるように、屋上からずっと準備はしていたが、結局、アストルが全員を叩きのめして最後は限界が来て終了。という結果に終わり、ハルの出番は全くなかった。
『俺も悪かったよな、止めなかったのは…』
罪悪感にさらされる。さらにアストルとアリスが恋仲にあることを思うと、ハルも両隣にいる二人のことを考えて、愛する人とはなるべく傍に居た方がいいという考えに最終的たどり着いていた。
『本当に俺って人をまとめるのに向いてないな…』
ハルの頭の中にカイのことが思い浮かぶとため息が出た。自分と比較してのことだった。
「分かりました。その代わり、正式な文章は必ず今から三日以内に送ってください。ここの騎士団長のデイラス・オリアと私宛に二通です」
「あ、ありがとうございます。必ず、三日以内に、いえ、明日には必ず正式な文章をこちらに送らせていただきます」
そこでようやくアリスの顔に緊張がほぐれた安堵の様子がうかがえた。
「ハル団長、俺からもアリス様を信じて頂きありがとうございます!と言わせて頂きます!」
アリスの後ろにいた、ジュニアスが前に出てきて頭を下げた。
「ジュニアス、正直、きみが彼女たちについて行ってるから信じたってのが大きいよ?君も俺の騎士団の大事な仲間のひとりだったんだからさ…」
「ハル団長…」
「ジュニアス、どこに行っても騎士として誇りを忘れないでしっかりね!」
ハルが彼の肩に軽く手を乗せて言った。
「はい、ハル団長!」
ジュニアスは少し涙目になっていた。
アリス率いる彼らとハルはそこで別れた。
***
『俺の選択は合ってたのかな……いや、合ってるって言いたい。だって、愛する人との時間はとっても大切だろ…』
ハルが中庭を見下ろすと、そこにはライキルとガルナがいるテーブルがあり、ビナ、シオルド、マイラ、それとグゼンなんかと楽しく宴を楽しんでいた。ハルはその光景をただ嬉しそうに見つめていた。
「おい、ハル、聞いてるのか?」
「え?」
ハルの耳には全くエウスの声が届いておらず、聞き返した。
「だから、あれだよ、黒龍の方はどうなってんだ?」
「ああ…」
「俺に手伝えることは何かあるか?エリー商会はもう動いてるから、後は本当にこのエウス様にできることは何かないか…?俺はハルの力になりたいんだよ微力でもよぉ」
エウスの新しく開けた酒瓶にはもうすでに半分もお酒が入っていなかった。かなりのハイペースで彼は飲んでいた。酔いも相当回っていた。
「ありがとう、エウス。でも、もう十分エウスには力になってもらってるから、後はそうだな、待ってるだけで大丈夫だよ」
「そんな…それじゃあ、俺はよぉ…」
「キャミルと結ばれない?」
「…まあ、そうだな……」
「大丈夫だよ、きっと、全部上手くいくよ、ていうか俺が全部何とかするから安心してよ」
ハルがエウスに下の中庭の景色を見ながら言ったとき、グゼンとガルナが酔って親し気に話しているのを見て、少し妬いたが、さすがに楽しんでいるところを邪魔するわけにもいかずに、同じくエウスの横に腰を下ろして、下を見るのをやめた。
「俺はハルに何とかされてばっかりだな…」
エウスが夜空の星を見ながら呟いた。しかし、それはハルからしたら全く逆だった。
「そんなこと言ったら俺はエウスにえぐいぐらい支えられてるんですけど?」
「例えば?」
「こうして、いつまでも俺の傍で親友でいてくれてる」
ハルが、エウスに優しく笑いかけると、彼は笑った。
「バカ野郎、ハル、親友だなんて…俺たちは大親友だろう?」
「そうだね…」
ハルはそこで空になったエウスのグラスに酒を注いで自分のグラスにも酒を注いだ。
「俺たちの永遠の友情にカンパーイ!」
エウスがグラスを勢いよく上げる。酒が勢いよく零れていた。
「ハハッ、はいはい、カンパーイ!」
ハルとエウスが互いのグラスを軽くぶつけた。
そこで二人は持ってきた酒が無くなるまで、今日の試合のことや、新兵たちと稽古した日々のことを語り合った。
二人は下の宴に負けないくらいバカ騒ぎしてよく笑っていた。
いつまで経っても変わらない友情がそこにはあった。
『ああ、あとこうして、エウスと笑っていられるのもどれくらいだろうか…』
ハルはエウスと笑い合ってるとき頭の片隅でそんなことを思ってしまった。
『…離れたくないな……』
そして、結局、酒はあっという間になくなり、酒欲しさにエウスは下に行くと言いだし、朝まで二人で語るということはなかった。
「ハル、あいつらのもとに戻ってやろうぜ、ほら、やっぱり主役がいなきゃ、宴が寂しそうだ」
エウスが立ち上がって再び中庭を眺めた。
ハルもそこでもう一度下に広がる景色を眺めた。そこには夕闇の中大輪の花に集まる人々の笑い声が絶えず響き渡っていた。
「はいはい、そうですね、その前にエウス、酒瓶持ってくから、ほら、集めてよ」
「へーい…」
ハルとエウスは、屋上をかたずけて、中庭に下りていった。
そこからは結局いつも通りみんなで宴を楽しんでいた。
*** *** ***
宴が終わってからだいぶ時間が経ち、賑やかだった古城アイビーも静まり返り眠りにつく。夜風が吹き草木が揺れる音が鮮明に響く。月光が古城の廊下を照らす。人々が明日を迎えるために夢を見始める。
そんな古城アイビーの東館の二階。角部屋の部屋にはガルナ・ブルヘルがいた。
ガルナは宴でたらふく美味しい料理と酒を飲み食いして、幸せの中にいた。あとはこのままベットに潜り込んで眠りにつくだけで最高の一日になる。
「よし、寝るか!!」
そうしてガルナがベットにダイブしようとした時だった。
トントン
と部屋のドアからノックの音がした。
「はいはい、誰だ?」
ガルナが勢いよくドアを開けると、そこにはハルがいた。
「あ、ハル!どうした!?」
ガルナの尻尾が左右に激しく振り始めたことに彼女自身も気づかない。
「入っていいかな?」
「もちろん!」
部屋を訪れたハルは緩い寝巻に着替えており、もう、寝る手前といった様子だった。
ガルナは入ってきたハルの前に立つと不思議そうに彼を見つめた。何の用で来たのかガルナにはさっぱり分からなかったが、ハルの顔を見てるだけで、自然と笑みが零れていた。
『いつまでも見てれるな!』
ガルナはどんどんハルに近づいて顔をまじまじと見つめる。
『これが私の夫なんだもんな、えへへ…』
ニヤニヤとしながら、下品に舌なめずりまでし始めた時だった。
ガルナの身体が優しくハルの身体に包み込まれた。だから、ガルナも即座に抱きしめ返した。
「なんだハル、これがしたかったのか?」
「まあね…いやだった?」
「それはありえん」
「良かった、もう少しこのままでいいかな?」
「いいぞ?」
二人はしばらくそのまま抱きしめ合って互いの体温を交換し合っていた。突然訪れた最高の幸せの時間にガルナは満足していた。今日はもうハルには会えないと思っていたから、さらに嬉しい出来事だった。
一方、ハルは不安を解消するためにここに来ていた。いや、ただの嫉妬の炎を鎮火させるためであり、自分でも情けないと思うが、ハルは何としても愛してもらわなければいけなかった。なぜなら、時間は永遠には続いてくれないのだから、幸せな時間とは人生の中でほんのわずかしかないのだから、その時間を増やすためには自分から行動しなければならなかった。待っていると幸せは偶然降りかかってきたぶんしか受け取れないのだから…。
「ガルナはいろんな人から好かれるよね…」
「ハルほどじゃないがな!」
そこでハルはガルナから離れて彼女の顔を見た。
「…ごめん」
「冗談だ」
「ねえ、ガルナはさ、グゼンさんのことどう思ってる?」
「グゼンか?うーん、そうだな、私の部下だな、だって私、エリザの副団長だしな!」
「そっか、じゃあ、彼のことは好き?」
「へ?」
自分自身でも何を聞いてるのかと思ったが、聞かずにはいられなかった。
「グゼンさんのことひとりの男として好き?」
「いや、全然…なんでそんなこと聞くんだ?」
「あ、その、えっと…ごめん……」
ハルはまさか自分が本の物語に出て来るようなめんどくさい人間になるとは思ってもいなかった。愛する人を信じれなくて何とも情けなかった。
『何してんだろ、俺…バカだな…ああ、でも、邪魔して欲しくないんだよな……』
ハルがどうしようもなくなって、落ち込んでいると、ガルナがハルの顎を持って寄せた。何事かと思ったが次の瞬間には小さなことで嫉妬してたのがバカみたいに思う出来事に遭遇した。
「ハ、ハル、げ、元気ないなぁ…ど、ど、どうだ?私とキスのひとつでもして元気だすか?」
ガルナは顔を真っ赤にしながら、声を震わせていた。
彼女のその一生懸命な励まし方にハルは癒されていた。強張っていた表情もいつの間にか緩んで、微笑んでいた。そして、愛らしいなぁと思いながらずっと黙って彼女を眺めていると。
「な、な、なんで何も言ってくれないんだ…いいい、い、いやか、私とのチューは嫌か?嫌なのかぁ!?」
さらに顔から火が出る勢いで焦りながら早口になっていた。
「わかった、だったら…もっと他の方法で…あれだ食堂にいって飯を食べにいけば元気が………」
ハルがガルナの口を自分の口で塞いだ。ガルナはもごもご言いながらもしばらくハルの口で蓋をされていると、目を閉じて互いの愛情を確認し合っていた。
一区切りついてハルが離れるとガルナの頭はくらくらしていた。
「…ありがと、ガルナ、大好きだよ」
ハル来たときよりも元気になっていつもの優しい笑顔を浮かべていた。
ガルナは元気が出て良かったと思った。そして、それと同時にもっとしたいと思ったのだが。
「…その、ごめん、寝るとこ邪魔しちゃったね…じゃあ、また、明日ね…」
なんとこのままハルは帰ろうとしたので、ガルナは慌てて彼の腕を掴んだ。
「待って、ハル…」
「どうしたの?」
「帰らないで…明日まで、ここにいて…」
ハルは静かに頷いた。
「わかった…」
二人の幸せな時間は次の日の朝までずっと続いた。
ハルの中にある避けられない悲しい思いが、ガルナと朝まで過ごした時間でほんの少し忘れることができた。
『愛してる……ごめんね………』