七騎士物語 終戦
危機を救ってくれて、化け物と鍔迫り合いをしてくれていたビンスが、目の前から一瞬で姿を消す。何が起こったのか、すぐそばにいたウィリアムは全く把握できずに目の前の変わりゆく光景をただ眺めていることしかできなかった。
そして、ウィリアム自身にも危機が迫る。
目の前の化け物が足を高く振り下ろし終えているところから見るに、守ってくれたビンスはその化け物との鍔迫り合いに一瞬で敗れ、体勢が崩れたところに回し蹴りでも合わせられたのだろうと予測することができた。ただ、そこで、腑に落ちないのが、そんなことさっきの一瞬でできるのか?という疑問も浮かんでくるのだが…。
実際、ウィリアムがそんなことを考えている暇はなかった。すぐに剣を構え防御の姿勢を取らなければならなかったのだが、もう遅い。
次の瞬間にはウィリアムの目の前には化け物の剣が迫っていた。
バキリィと鈍い音と共に気づいたときにはウィリアムの身体は宙に浮いていた。化け物の振るう凄まじい剣撃が、ウィリアムを遠くへ吹き飛ばす。
『はぁ?』
なぜ先ほど打倒した化け物が立ち上がっているのか?なぜあんなに深手を負っているのに、異常な力と素早さで戦えるのか?
宙を舞う間もウィリアムはこの状況を全く把握できていなかった。
***
「アストル君!」
セラは仲間のもとに駆け寄る。もう立っていられないことはずっと見ていたから分かっていた。
「大丈夫なんですか?いや、もう、大丈夫なはずないですよね……」
アストルの目は真っ赤で、頭部から流れ落ちる血が目にかかり、赤涙のように見えてぞっとした。そこにはもはや騎士というよりも血肉を貪った獣のようだった。
「ここからは僕もアストル君と一緒に戦って……」
アストルが剣を振り、目の前にいる邪魔者を全て排除するために、容赦なく振り下ろす。
「え?」
セラはただ迫る剣を見つめることしかできなかった。完全にセラの想像の外の出来事が起きていた。
「アストル君、待っ…」
セラの身体が宙に浮き、後ろに引っ張られる。そして、入れ替わる様にユーリが現れ、振り下ろされた剣を受け止めた。セラが引っ張られ尻もちをつくと怒鳴り声が飛んで来た。
「何やってんだ、アストル!?お前、今、何したか分かってんのか!!!」
激情するユーリが両手で剣に力を込めるが、アストルの片手の剣に力負けして蹴り飛ばされ、地面に何度も転がった。蹴りでさえ、骨が砕けそうな威力があった。
「ユーリさん!…ハッ!」
血に染まった悪魔がセラを見下ろしていた。悪魔の目から血涙が流れ落ちる。その血の涙が地面に落ちる前に構え剣を振り下ろした。その時、セラは悟る、地面にその真っ赤な雫が落ちるときにはもう彼の剣が自分の顔面を砕いていることを。
「クッ!」
もうダメだと思った時、騎士たちは現れる。騎士とは困っている人達を救うのが役目である。だから、ウィリアムとビンス、相性最悪の二人は力を合わせて悪魔に剣を振るった。
「お前の相手は俺たちだろ!!?」
「きみの相手は私たちだろ!!?」
アストルに二人分の剣撃が同時に襲いかかるが、彼は片手で難なく受け止め、つばぜり合いに持ち込む。
「何、無視してんだよアストルさんよ!!!」
ウィリアムが砕かれた顎の激痛をこらえながら感情を爆発させて叫んでいた。
「お前が仲間を傷つけようとするところなんて初めて見たぞ、このクソ野郎がぁ!」
ウィリアムとビンスは二人がかりでも力で勝てないと分かるとすぐに鍔迫り合い打ち切って、アストルを取り囲むように左右に展開して挟み撃ちにして連携攻撃を始めた。といってもウィリアムとビンスは一度も連携をとったことはない。いつも二人が稽古でやっていたことは、向かい合って相手の嫌がるところへ剣を叩き込みいかに自分は打ち込まれないか、それしかやってこなかった。そんな憎み合っていたふたりがそう簡単に連携を取れるわけがなかった。
しかし、二人の息はピッタリ合わせて交互にアストルに剣を浴びせていた。
ウィリアムとビンスは、嫌というほど互いの剣を稽古中浴びていた。だから、相手がどんな剣を振るって、どこまでできるのか把握できていた。いつ仕掛けて、どこで引くのかなど手に取る様に互いの動きを見極めることができていた。これは、とにかく相手より上に立ってボコボコにしたいがために相手のことをよく見て研究した結果であった。相手を打倒すならまずは敵の実力がどんなものなのか知らなくてはならないからだ。
その絶え間ない嫌な形の努力がいつの間にか二人を確実に高みへ連れていっていた。
『あのバカ、スピードを上げたな…だったら私も…』
『あの野郎、俺についてくるつもりか、生意気だな、だったらもっとスピード上げてやる』
二人の交互に絶え間なく浴びせる剣撃の速度が次第に早くなっていく。アストルも段々二人のスピードに追いつけなくなっていき、反撃ができなくなっていた。
「このまま畳みかけるぞ、ビンス!」
「私に命令するなと言いたいがウィリアム貴様に合わせる!」
二人がアストルから一撃も受けないようにとにかく挟み撃ちで交互に剣を打ち続けていく。そして、二人にチャンスは巡ってきた。
ビンスがアストルの剣をしゃがんで回避すると、そのままその場で半回転して、アストルの足を蹴り飛ばした。
片足が上がりバランスが崩れたアストルに大きな隙が生まれた。
「目覚ませや!!!」
ウィリアムの全身全霊の力で振るった剣が、体勢を崩しているアストル顔面目掛けて振り下ろされる。
ギィィィィィン!
弾かれた。
ウィリアムが両手で叩きこんだ渾身の剣が、アストルの片手の一振りであっけなく弾かれていた。
「!?」
声もでなかった。振り上げて振り下ろしたはずの剣があっさり弾かれて、振り上げた状態に逆戻りしていた。そして、もうその振り上げた構えは、攻撃のための準備ではなく、大きな隙になっていた。
気が付けばアストルが目の前におり、剣を思いっきり振るために力を溜めていた。この技はしっていた。アストルがこの試合で何度もやっていた技だった。この状態に入った彼はもう誰も止められない。いくら剣を打ち込んでも倒れないだろう。その剣を振り終わるまでは…。
『これは終わった…』
今から回避は不可能、防御も間に合わない。
ウィリアムはもう何も考えられなくなったときだった。
「ウィリアム、これは貸だぞ…」
剣も構えないでウィリアムとアストルの間にビンスが割り込んできた。
「おまえ!?」
アストルの剣が解放されて、二人は一緒に吹き飛ばされた。ウィリアムはすぐに受け身を取って体勢を立て直すことができたが、ビンスの方は地面に何度も叩きつけられてそのまま観客席のある主戦場の場外にまで吹き飛んでいった。
「…………」
ウィリアムは遂にエリザ組の最後の一人になってしまった。
『いつの間にかひとりかよ…全くあのクソ貴族、なんで俺を庇った…おかげで酷いプレッシャーだぜ』
今、ウィリアムの剣にはエリザ組の全ての想いが乗っていた。
『託されたってことかよ…』
アストルが現れ、その後ろからセラとユーリが姿を見せる。
「全く、ダメだこりゃ、降参するか…」
ウィリアムはそれだけ呟くと、全力でアストルに向かって駆け出した。
「はああああああああああああああああああああああ!!!」
全力で剣を振るう。しかし、変わらずアストルには片手で握られた剣で簡単に止められる。それでもウィリアムは力の限り剣を振るった。振るい続けた。もう、気力だけで型の組み合わせる頭も回らなかった。ただ、目の前の敵がうち倒れるチャンスが来るまで全力で剣を振った。
アストルはウィリアムのめちゃくちゃな力任せの剣を軽々と弾くと振りかぶったあと勢いよく振り下ろした。
「………」
ウィリアムは自分が地面に叩き付けられる未来を想像したが、いつまで経ってもその未来はこなかった。
前を見ると、アストルの振りかぶった剣をセラが片手で掴んでいた。
「アストル君、こんな勝利だれも望んでませんよ…アストル君だってそうでしょ?」
語り掛けるが、アストルは振り向いて剣を掴んでいるセラを蹴り飛ばした。が、しかし、セラは剣を離そうとはしなかった。
「アストル君、それ以上は本当に死んでしまいます…見てれば分かりますよ、アストル君の腕、もう、ズタズタじゃないですか…」
アストルの両腕はもういたる方向に曲がっていた。
「腕だけじゃない、足もです。もう立ってられる状態じゃないですよね…」
「………」
アストルは剣を握っていたセラをさっきの比じゃない威力でもう一度蹴り飛ばした。それでもセラは剣を離さなかった。
セラの脇腹に入った強烈な蹴りが、蹴られた周辺の骨を一気に砕いた。
「あああ…あがが…」
セラの呼吸が一瞬にして止まりかける。
「セラ!!」
ユーリが助けようと、アストルに斬りかかろうとするがセラが叫び止めた。
「待ってください!ユーリさん!」
セラが向き直り、感情が死んでいるアストルに語り掛ける。もはや、意識があるかどうかも怪しいが、届く声があると信じてセラは痛みをこらえて口を開く。
「僕たち仲間ですよね…ここまで一緒に苦楽を共にして戦ってきた仲間ですよね……」
「………」
「アストル君、聞いてください、何がそんなにあなたを必死にさせるんですか?」
「………」
「それは仲間を傷つけても欲しいものでしたか?」
「………」
「それとも僕たちはあなたにとって仲間じゃなかった?」
「………」
「僕、嬉しかったんですよ!アストル君が僕みたいな人間のこともちゃんと気にかけてくれていたこと!!!」
「………」
セラの活躍はそこまでだった。アストルの三度目の蹴りは、前の蹴りよりさらに強烈で、セラの身体の内部に深刻な損傷を与えた。そして、セラはそのまま、一回も地面に触れることなく主戦場の外の白魔導士たちがいるテントの屋根まで、一瞬で吹き飛ばされていった。
アストルの剣が自由になる。
「………」
と、同時に今のアストルが最優先に気にかけるほどには濃い殺気を放った者が剣を構えていた。
これがユーリの最後の剣だった。
「王剣」
多くの人々が集う国。その国を治める者が【王】。その王は剣を用いて人々をひとつの国という器にまとめた。王剣は人を静め治める剣。
ユーリが剣を前に構えて突撃してくる。アストルの間合に侵入すると目にもとまらぬ速さで刺突を放った。
突き立てた剣はアストルにかわされたが、そこからすぐにユーリは剣を振り上げる。が、それもかわされる、ただ、振り上げたことで、振り下ろす態勢に入る。王剣の連撃は流れを生み出す。振るった剣は次の剣の予備動作となり、その身の体力が続くまで終わることの無い攻撃の派生が生まれる。脈々と連なる連撃に反撃の隙は無い。さらに王剣の連撃は人間の急所を効率的に破壊するように組まれることが多く、一度流れの中に飲み込まれれば、抜け出すのは困難。その場から逃走しようにも王剣は逃げる者への追撃も考慮された剣になっているため、背を見せれば王剣の流れは勢いを増す。
一か八かの逃走か、最後まで己の剣術でしのぎ切るか、確実な死かを王剣は相手に選ばせる。
「おらぁああああああああああ!」
ユーリはアストルに連撃を浴びせる。アストルも激しし王剣の前には防御に徹することを最初に迫れる。
ユーリが剣を打ち込んでいる間、アストルがこちらをずっと見つめていた。いや、彼の目は何も映していないのだろう。
『目覚ませ、アストル!!!』
ユーリはそこから一気に終わらせるため、呼吸を止めて連撃に集中した。剣の速さと激しさが一気にましてどんどん、勢いが増して行く。
するとユーリが剣を振るっているとある段階から不思議な感覚に襲われた。今まで受けてきた身体の痛みが徐々に引いていき、身体のいたるところから力が湧いて来ていた。そして、それと同時にユーリの身体の中で何かがズタズタに裂けているのを感じていた。しかし、痛みを感じられなくなっているためその感覚を味わうことはなかった。ユーリの中では、このような身体の異変が生じていたが、気にせず目の前の敵を打ち倒すために剣を振るい続けていた。
『あと少し、あと少しで俺たちのアストルを……』
ユーリがアストルに剣を叩きこんでいる時だった。目の前でアストルが剣を下ろして無防備になった。
『やっと、戻ってきたか…』
ユーリは容赦なく剣を振り下ろす。その剣はアストルの左肩に重い衝撃を与え骨を粉砕した。
しかし、それはアストルの予備動作だった。
彼の右腕に注目すると、不気味な音をたてて軋み、腕の可動域の限界を超えて後ろに振りかぶって力を溜めていた。
ユーリが王剣を止めると忘れていた痛みが一気に戻ってきた。それだけじゃない、身体のいたるところが一気に悲鳴を上げていた。四肢からは激痛が走りもはや動くことは愚か立っていることもできなかった。
足元から崩れ落ちる。そこにアストルの片手から繰り出される異常な力の剣が振るわれる。ユーリの身体をくの字に折り場外まで吹き飛んでいった。
戦場には遂に二人だけになり決着が着こうとしていた。
「見たかよ、アストル!ユーリの奴、凄かったな。俺は入って行けなかったよ」
ウィリアムはアストルから少し離れた場所で笑っていた。
「それにしても、お前は本当にすげえよ、どうなってんだよお前の身体、もうぐちゃぐちゃじゃねえか」
アストルが、虚ろな赤い双眸で、左に首をかしげながら亡霊のように歩いてくる。彼の四肢は普通なら絶対に曲がらない方向に曲がりくねっていた。それは見ていて痛々しかったし、もはや、人間と呼んでいいのかも定かではないほど、原型を保っていなかった。
しかし、そんな瀕死の彼ではあるが、こちらが気を抜けば、怖くて動けなくなるぐらいには、未だに力強い純粋な殺気を放っていた。
「結局あれか、俺がエリザ組とエウス組の両組の思いを背負ってるってことでいいのか?」
ウィリアムが砕かれた顎を抑えながら語り掛ける。
「だってそうだろ、お前正気じゃねぇもんな…」
アストルが一息で飛んで来る。ウィリアムは気持ちを静め静かに構えた。
『さっきみたいに、やけになるな、ここは落ち着け、心を落ち着かせるんだ。力任せじゃなく技に頼るんだ。自分がずっと磨いてきた技に…』
アストルが飛び込んでくると同時に、ウィリアムは最後まで彼の動きを見極める。的確な判断でその攻撃に応じた防御の構えで対応する。
「グッ…」
何とか鍔迫り合いにまで持っていくが、アストルの振るう剣はあまりにも速く、そして重く、押し負けしてしまう。
「クソ…重い…」
ウィリアムは両手で対応するが、アストルは片手だ。
『マジでどうなってんだよ…無理か…』
助けてくれる騎士はもういない。ウィリアムは戦場でたったひとりだった。そう、戦場では…。
「ウィリアム!!貴様何へばっているんだ!!!」
横目で主戦場の外の観客席を見るとそこにはビンスが立っていた。彼も全身血だらけで深手を負っていたが、立ち上がっていた。もう場外に出てしまったため、参戦はできないが、彼は今でも戦っていた。
「ここで負けるなんて絶対に許さん、私がお前なんかを庇ってまで作ったチャンスなんだぞ、このチャンスをものにしないのは絶対に許さぁああああん!!!」
叫ぶビンスの後には、心配そうな顔を浮かべている白魔導士たちがいた。彼も、もう限界なのだろうそれなのに彼は味方を鼓舞するためにまだ立っていた。
「これは絶対命令だ!!ウィリアム、お前が勝て!!!」
ビンスの声が会場に響き渡る。会場は先ほどから主戦場のアストルの異常性に怯えてざわめきたっていた。が、このビンスの魂からの叫びで状況は一変する。
「そうだ、金髪の兄ちゃん頑張れ!」
「確かウィリアムって言ってたよな…おう、ウィリアム頑張れや!」
「今、戦ってる金髪の人ウィリアムって言うらしいよ」
「へえ、ウィリアムって言うんだ、カッコイイ、おーい、頑張れウィリアム!」
「ウィリアム!行け、そんな奴やっちまえ!」
会場を訪れていた観客たちの声援がウィリアム一色に染まる。そして、大衆はその場でできた一つの流れに逆らうことはできない。ウィリアムを応援するという流れに次々と流されていく。さらに先ほどまでアストルのいかれ具合から恐れ静まり返っていた会場は、その抑圧から解放された反動からか、ウィリアムへの声援は大声援へと変わっていた。
***
ウィリアム!ウィリアム!ウィリアム!
大声援が第一運動場を包み込む。
「ウィリアム、いけいけ、そんな奴、やっちまいな!!」
「アハハハハハハ、そうだ、そうだ、さっさとけりつけちまえ!!!」
観客席にいたエリザの騎士たちがウィリアムを応援する。
しかし、その時。
「!?」
自分たちのすぐそばで凄まじい殺気を感じとったことで騎士たちは応援を即座に中断し腰にある剣に手を置いた。
「なんだ…」
その殺気のする方向を見ると、可愛らしい金髪の女の子が試合を観戦していた。が、その女の子の目は据わっていた。
観客席にいたアリスは主戦場にいるアストルのことだけを心配していた。
「アストル…」
変わり果てた姿の彼だけをずっと見つめていた。
「頑張って…」
もう頑張って欲しくなかったけど、この状況が許せなかった。一番頑張っていた彼が応援されないことに憤りと悔しさを感じていた。ここで、ただ周りの空気に流されて応援している人間を一人残さず八つ裂きにしたい衝動に駆られ、一瞬溜まっていた殺気が漏れてしまう。
『クズどもが…アストルのこと何にも知らないのに悪役にしやがって…おっと、危ない、ここには騎士もいるんだった…』
アリスの怒りは収まらなかったが、今できることはせいぜい応援だけだった。
「アストル!頑張って、あなたが勝って!!!」
アリスの叫びが、大歓声の中でも確かに響いた。
主戦場で戦っている最愛の人に今届く。
***
大歓声の中、ウィリアムは勢いに乗れる…わけがなかった。相変わらず、アストルのでたらめな威力の攻撃をぎりぎりで防ぐので精一杯だった。
だけど。
負ける気は少しもしなかった。
『ここだ!』
アストルの剣を王剣の防御の型で防ぎ切り返そうとした。しかし、彼のぐちゃぐちゃになった片腕でムチのように振るわれる異常な速さの剣が、反撃の隙を一瞬も与えない。
さらに、ウィリアムが距離を取るが、異様に長くなった攻撃範囲が逃してくれないうえに、アストルの折れ曲がった足から出るとは思えない力強い脚力ですぐに追いつかれる。
逃れられないウィリアムがついにアストルの剣を顔面にもらってしまった。
バキリと左側面の顔面の骨が砕け散る。
ウィリアムがそのまま、地面に倒れ込むが、即座に立ち上がり剣を構えて、アストルの追撃を防いで鍔迫り合いに持ち込んだ。休む暇などみじんもない。
『ハハッ、おいおい、全くこれが終ったあと俺とお前が友人でいられるか心配になって来たぞ』
あまりの容赦の無さにウィリアムは内心笑っていた。
『お前はやっぱりすげえよ…』
そこでウィリアムはまた女の子の声を聞いた。大歓声の中で聞き取りずらかったが自分の名前が何度も呼ばれている中でのその声はウィリアムの注意を引いた。
「アストル!頑張って、あなたが勝って!!!」
ウィリアムの耳には確かにアストルを応援する声が聞こえていた。
「良かったな、アストル、お前のことも応援してくれてる女の子がいたぞ、きっといい子なんだろうな…」
鍔迫り合いの最中にウィリアムは気さくに話しかける。彼に正気に戻ってもらうためにありとあらゆる可能性を探る。
本当はウィリアムだって、この状況に吐き気が出るほど、うんざりしていた。
「だから早く俺にやられて、その子のこと食事にでも誘ったらどうだ?」
ウィリアムはずっとアストルのことを見ていた。チームのためにひとりで最初から最後まで戦っているのはアストルだけなのだ。それなのに応援されているのは自分だけ、ふざけるな!だった。
「おい!さっきみたいに真剣に戦えって俺に説教垂れろよ、なんでお前はいつまでもただ戦ってんだよ!目覚ませよ、俺はお前と真剣勝負がしたいんだよ!決着をつけ………」
『ウィリアム』
「!?」
『少しいいかな?』
「……なに………?」
ウィリアムの視界が暗転する。
*** *** ***
そこにはひとりの騎士がいた。獣でもない狂犬でもない化け物でもない悪魔でもない、ただの騎士がひとりウィリアムの前に立っていた。その騎士はウィリアムの友人だった。
「アストルか!?戻って来たのか!?」
「ウィリアム…ねえ、知ってた?さっき、アリスが試合を見に来てくれてたの…」
「アリス?え、アリスって前に言ってた、お前の将来を誓い合ってるっていう女の子か?」
「そう、でも、このとき多分怖がらせちゃったのかもなって…彼女、とっても優しい女の子だからさ…」
アストルが悲しそうに微笑んでいた。そこでウィリアムは何か言葉を掛けようとするが、その前に自分の立っている場所に驚いた。
「なあ、ちょっと待て、そういえばここはどこだ…」
ウィリアムが辺りを見回すとそこには辺り一面雲海が広がっており、頭上には気持ちのいい青空が広がっていた。
「分からない、でもさ、多分ここは特別な場所なんだと思う」
「なんだよそれ」
「ねぇ、少し歩かない?」
ウィリアムとアストルの二人はよくわからない場所を歩き始めた。
「ねえ、昔のこと話さない?」
「ん?おう、いいぞ、うーん、あれだな、なんだかんだ、ここまでいろいろあったな俺たち、まだ、出会って半年も経ってねえのにな!」
「ああ、そうだね………」
その間に二人はこの数か月で起きた様々な思い出を語った。
新兵としてみんなが集まって、あの元剣聖で英雄のハル団長のもと王都を出発して、パースの街にある古城アイビーに来て、エウス隊長に鍛えられて、その間に四大神獣が討伐されたり、お祭りに行ったり、そして、こうして、新兵たち同士の試合が行われてと、短い間に様々なイベントがあった。
二人が今日この日まで過ごしてきた時間の中には賑やかで楽しい日々しかなかった。いつも隣には気のいい仲間たちがいた。
「なあ、知ってるか?俺が、アストル、に最初に声かけた理由」
「うわ、知りたい、知りたい!いつの間にか仲良くなってたけどそう言えばウィリアムからだよね、俺たちに声かけて来てくれたのって」
「そう、それは俺がアストル、お前の頭のいかれっぷりに驚かされたからなんだなこれが…」
「え、どういうこと?」
「ほら、俺たちここに来る前に森で魔獣に襲われただろ?あの時だよ、俺、感心しちまったんだぜ、安全な隊列から飛び出して魔獣を狩にいったお前に」
ウィリアムは自分が怖くてその列から出られなかったことは伏せておいた。なんだか、自分がみっともないみたいなやつに思えてしまうからだ。しかし、本来なら隊列で待機するのがその時の正しい行動だった。けれど、アストルは飛び出した。自分の願いのために。
「同じ世代にこんな凄い奴がいるのかと思って声かけたんだ」
「そうだったんだ…なんかそう言われると嬉しいけど、あれは良くなかったなぁ…」
「バカ、俺と友達になれたんだから喜べよ」
「………」
アストルの表情が少し寂しそうな表情に変わった。
「どうした?」
「いや、なんでもない…」
「なんだよ、言いたいことがあるなら言えよ、俺とお前の仲だろ?」
ウィリアムがそう言うと、アストルはそこでいつもの笑顔を見せた。
「ウィリアムのバーカ!」
「ハァ?ガキかよ、全く…………隙ありじゃあああああい!」
ウィリアムがアストルに組み付いて軽く締め上げる。
「ぎゃあああああああ、待って、マジで待って!アハハハハハハハハハハ!」
二人がしばらく取っ組み合いをしてふざけ合っていると、遠くの方で何かが光った。アストルはふざけるのをやめて、その光輝いた遠くの景色を真剣に見つめた。
「どうした、アストル?」
「ウィリアム、時間だ」
「何がだ?」
「もう、ウィリアムは、戻らなきゃ」
「そうか、だったら、アストル、お前も一緒に戻ろうぜ!あっちで決着をつけようじゃないか」
「俺は戻れないんだ…」
その時のアストルは少し寂しそうな顔をしていた。
「…戻れないってどういう意味だよ、一緒に…」
ウィリアムが、アストルの手を取ろうとした瞬間だった。まるでその光り輝く場所がウィリアムをこの雲と青空だけの世界から引きはがすように一気に身体をその光の中に吸い込もうと引っ張り始めた。
「なんだ、どうなってる?おい!アストル待て、俺はお前と一緒にここから…」
「ウィリアム、大丈夫、きみはあっちにいけば勝てるよ…」
「なんだよ、勝てるって、俺は、今そんなことどうでもいいんだよ!!」
「勝ち負けは大事だよ…」
「ふざけんな!!だってお前さっきから…」
ウィリアムはそこでアストルに向かって大声で叫んだ。
「泣いてるじゃねぇか!!?」
アストルの綺麗な茶色の瞳からは大粒の涙がとめどなく零れていた。
ウィリアムは、引っ張られる力に歯向かいなんとかアストルに近づこうとしたが、その吸い込む力には敵わなかった。
「じゃあね、ウィリアム、また会おう…」
アストルは泣きながら手を振っていた。
「アストル!!!」
手を伸ばすが彼は離れていくばかりだ。
「待ってるよ……」
そこにいたアストルはずっと泣いていた。
そして、最後にウィリアムは彼の消え入りそうな声を聞いた。
「さよなら…」
*** *** ***
気が付けばウィリアムは大歓声に包まれながら、目の前のアストルと鍔迫り合いをしていた。
「………アストル…お前…」
ウィリアムの目からは大量の涙が零れていた。悲しいことが起こった気がした。どこかで自分の知らないどこかで大切な誰かが悲しんでいる気がした。
「なんだよこれ……ハッ!?」
アストルの凶暴な剣がウィリアムに振り下ろされる。彼の力はさらに増していた。アストルは片手で握られた剣を、何度も何度もウィリアムに叩きつけていた。
しかし、その連撃の最中、アストル自身の身体も自分で振るった剣について行けずに、自身の身体に深刻な損傷を与え続けていた。もう、彼はただいたずらに剣を振り回す化け物になっていた。
「アストル、目を覚ませ、お前はそんな奴じゃないだろ!」
ウィリアムは涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、もう、どうしたらいいか分からなかった。彼に向けてもう、剣を一振りもしたくない。だけど、負けられない、みんなの想いも背負ってしまったから、絶対に負けられない。
『どうすればいい、どうすればいい、俺はどうすればいい…』
そして、その瞬間はやって来た。
まるでウィリアムの気持ちを汲んだかのように暴れていた化け物が動きを止める。アストルの全身に今まで溜めこんでいた痛みが怒涛のように彼の意識に押し寄せ自覚させる。もう限界であると。
そして、彼は絶叫した。
「がぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
たったひとりの凄まじい咆哮が、その場にいた人々の大声援を一瞬でかき消して、周囲にいた全員を黙らせた。
第一運動場が静寂に包まれる。
誰も声が出せないほどの緊張が会場を包み込む。
「アストル!!!」
ウィリアムが、その場に崩れ落ちるように倒れるアストルの身体をキャッチする。
「おい、大丈夫か!アストル、生きてるか!?早く、誰か来てくれ!!!」
すると外で待機していた数人の白魔導士たちが慌てて駆けつけてきたのだが、その白魔導士たちよりも先に駆けつけてきた者がいた。
さっきアストルを応援していた金髪の女の子だった。
「君は…」
「アストル、ごめんね、私が無理させたね、でも、もう大丈夫だよ……」
金髪の女の子がアストルの心臓に手を置く。そこに駆け付けていた数人の白魔導士たちがやって来た。
「皆さん、離れてください、すぐに白魔法で治療をします。そこの金髪のあなたも離れてください!」
白魔導士の女性が、その金髪の女の子の腕を掴んでアストルの身体に触れて白魔法を掛けようとした時だった。金髪の女の子が白魔導士の手を振り払った。
「てめえらが気安くアストルに触るんじゃねぇよ!このメス豚どもがぁあああ!!」
金髪の女の子が殺気を放ちながら叫んだ。今、戦ったアストルとは比べものにならないくらいどす黒く邪悪な圧を感じた。アストルを支えていたウィリアムも、今すぐこの場を離れたいほど、粘りつく最悪の殺気だった。遠くでは何人かの優秀な騎士が腰に下がる剣を引き抜いていた。
その純度の高い濃厚な殺気に当てられた白魔導士たちは怖くて固まっていた。その中には呼吸も忘れてしまっているものもいた。
「ウィリアム、ありがとう、ここからは、私がアストルを引き受けるよ」
恐ろしいほど様変わりした優しい声がウィリアムの耳を打った。
「はい…」
アストルを自分の腕の中から、その金髪の女の子の腕の中にそっと移した。
「行って、大丈夫だから、あなたもケガしてるでしょ?」
「はい…」
ウィリアムがその場から静かに離れた。
「あ、ウィリアム」
「はい!」
ウィリアムはその金髪の女の子に呼び止められると振り返った。
「アストルと友達になってくれてありがとね!感謝してます!」
「はい……」
金髪の女の子がそれだけ言うとまるでアストル以外の人間には興味が無いように彼を優しく見つめ抱きしめていた。
ウィリアムはそれから振り返らずに、自分の治療をしてもらうために白魔導士のテントに向かった。
***
勇気を振り絞った若い女の白魔導士が口を開いた。
「あなた、この方を殺す気ですか?もう、彼は早く治療しないと死んで…」
「黙ってろ、殺すぞ」
殺気は放っていなかったが声に殺意がこもっていた。
「アストル、今、治してあげるからね…」
アリスは腕の中で生死を彷徨っている最愛の人の胸に手をおいて一気に白魔法を流し込んだ。
「…何が起きてるの……」
白魔導士のクロル・シャルマンが慌ててテントの外に飛び出して第一運動場の中央を見つめていた。
第一運動場の中心には巨大な白い光が花開き辺りを包み込んでいた。
第一運動場の中央にいた白魔導士たちも、目を見開いて目の前で起こっている状況を理解するに精一杯だった。
その光がさらに輝きを増していきやがてある一定の輝きの限界を超えると、その会場を包んでいた白い光は一瞬で消えてしまった。
そして、アリスの腕の中には傷一つないアストルが眠る姿がそこにはあった。
「ありえない、あのケガををひとりで、しかも一回で癒すなんて…」
「アストル、よく、頑張ったね。痛かったよね、でも、もう大丈夫だよ…」
「あなた、どこに所属してる白魔導士なの?」
アリスは白魔導士たちを無視してアストルを抱え上げた。
「アストル、一緒に帰ろう…そしたら、本当の私を見せてあげるから…」
アリスはアストルを抱えたまま歩きだした。
「でも、どうか、怖がらないで欲しいな…失望しないで欲しいな……」
「アリス様!!」
そこにひとりの騎士が元気に走ってくる。
「ジュニアスね、もう、アストルを連れて帰るからあなたも支度をして、王都に戻るわ」
「ええ、ああ、そうですか…まあ、そうですよね、ここまで大ぴらに表に出てきてしまえば…あ、でも、この街で遂行中の任務の方はどうするのですか?」
「それは、問題はない。もともとはただの監視だから。ことを起こそうってわけじゃないし、それに重要人物の保護は終わってる、あとは人数が足りなかったら追加で人を送るから何も心配はいらない、それより、ジュニアス仲間たちに別れの言葉はいいの?」
「アリス様、お優しいんですね、ですが、俺は大丈夫です。あ、でも、みんなはどうか分かりませんがね!なんせ、俺、この新兵たちのなかじゃ、結構いい奴で通ってましたから」
ジュニアスがきりっと決め顔を決めるが、アリスは興味なさそうな顔で、そう、とだけ呟いて歩きだした。
「あ、アリス様、アストルなら俺が運びますよ!」
「触んな、それより、キリサを探して…」
アリスがそこで、城の中庭に通じる階段辺りで手を振っているキリサを見つけた。
「あ、いたいた。よし、帰ります、ジュニアス、ここを出て行く準備はあなたはできてるのかしら?」
「はい、いつでも出られるようにしていたので問題ないです!」
「よろしい」
そして、アリスがアストルを抱えて、主戦場から出たときだった。
「アストルを、どこに連れて行くんですか?」
そこにはエウス・ルオが立っていた。アリスは何度か彼の顔を見たことがあった。
「エウス・ルオか、エリー商会の会長にして精鋭騎士だっけか?」
アリスがエウスを一瞥して呟いた。
「いえ、エウス隊長はまだ精鋭ではありません」
ジュニアスが補足した。
「そう、まあ、いいや、アストルはうちで預かります」
「あなたはどちら様ですか?」
「ああ、自己紹介が遅れました。私はアリス・パルフェ。レイド王国、三大貴族がひとつパルフェ家の一人娘。エウス会長、いや、エウス隊長、邪魔だからどけてくださらないかしら?」
「…う、そだろ………?」
「エウス隊長、私はあなたを覚えておいてあげます。だって、アストルがとてもよくあなたを慕っていたようですからね」
「………」
「さあ、避けてくださる?」
エウスが一歩下がって道を開けた。その開けた道にアストルを抱えたアリスとジュニアスが通っていく。
「あ、エウス隊長、短い間でしたが、とてもお世話になりました。正直、俺、この合宿中の間、めちゃくちゃ楽しかったです。だから一生の思い出にさせてもらいます。絶対に忘れません!」
「ああ…」
ジュニアスはあっけにとられているエウスの手をしっかり握って握手した。
「エウス隊長大丈夫です。アストルにもまたどこかで会えると思いますから、安心してください」
「ジュニアス、早く来なさい、おいてくわよ!」
「うわ、アリス様、歩くのはや、待ってくださいよ!」
ジュニアスがエウスの元から去り、もう、階段を上っていたアリスたちのもとに駆けて行った。
「………」
エウスは、遠のいていくアストルのことを、見えなくなるまで手を伸ばして見つめていた。
第一運動場で開催されたエウス組対エリザ組。
試合結果は、エリザ組の勝利で、無事決着となった。
これにて、新兵たちの物語は一旦幕を下ろす。
これは後に、現れる七人の騎士の物語の序章として語りつがれることになる。
まだ遥か遠い先の未来の物語。
過去から現在、そして、未来へ物語は一本につながり連鎖している。
***
「ライキル、ガルナ、そろそろ、俺たちも下に行こうか?」
「はい!」
「おう!」
ハル、ライキル、ガルナの三人は古城アイビーの屋上を後にした。