七騎士物語 その目を超える
左翼場でエウス組の最後のひとりが敗北した。
快進撃を続けていたエウス組の新兵たちだったが、後半に差し掛かるにつれて、その勢いは衰え、エリザ組の上位者たちの参戦に伴い、前半のような勢いは見る影もなくなっていた。そして、左翼場の壊滅したことによって、ついにその時が来た。
「左翼場はエリザ組の勝利です!」
決着がついた左翼場でシオルドがビンスの腕を取って、観客たちに宣言した。すると周りの観客たちから盛大な拍手とひとりで戦い抜いたビンスに大きな声援が送られた。
「ひとつの戦場で勝ちを上げたエリザ組には、主戦場への新たな選手追加を許可します」
シオルドが観客たちに軽く試合のルールを再度説明していた。これで主戦場では、エリザ組四人、対、エウス組三人という人数的な有利を築くことができた。
説明を終えたシオルドがすぐにビンスに振り返り労いの言葉をかけた。
「よくやった、ビンス。ひとりでよく戦ったね」
「ありがとうございます、ですが、戦いはこれからかと…」
「そうだね、まだ、気を抜けない…」
そこで二人は同時に主戦場のさらに奥の右翼場に自然と視線を移した。その視線の先では、ひとりの化け物が暴れていた。
「戦ってるとき、視界に入って来たんです…」
ビンスが右翼場から目を離さずに呟いた。
それは、ビンスが左翼場で手際よくエウス組の新兵たちを打倒しているときだった。他の戦場がどのような状況なのか気になって視線を主翼場と右翼場に向けた時だった。主翼場は相変わらず試合の展開が鈍く停滞していたが、右翼場を見た時は一瞬身体が固まった。遠目でよくわからなかったのだが、味方のフィルが何か得体の知れない化け物と戦っていたのだ。化け物の動きは完全に獣のそれで、人間からはかけ離れていた。異常に速く動き、フィルを追い詰めていくその姿は、まさに狩りをする獣だった。防御に精一杯のフィルは獲物といった感じであった。
試合中、見れたのはそれくらいだった。しかし、今なら分かるフィルのその戦っていた相手が誰なのか…。
「アストルの戦ってる姿が…」
目が離せないのは単純に自分が戦うことになるかもしれないという恐怖からだった。
「うん、あれはなんていうのかな…憑き物に憑かれた感じかな?ここからでも彼の圧を感じる…」
シオルドも外から見ていて気が付いたときには彼に釘付けになっていた。それはいい勝負が繰り広げられているからじゃないし、自分のチームのエリザ組が負けそうになってるからでもない。彼から目が離せなかったのは怖いもの見たさからだった。彼の今の戦い方は人の恐怖を駆り立てる戦闘スタイルだった。
『止めるべきか……』
シオルドは迷っていた。右翼場の戦闘を今すぐ中止にするか。
『いや、しかし、ここで止めたら…』
シオルドの好奇心がこの試合の行く末を見届けたいと叫んでいた。審判としては失格か?いや、ここで止めた方が審判としては失格だった。なぜならアストルはまだ二本の足で立って全力で戦ってるいるのだから、不正も何もしておらず、戦っているのだから…。
「ビンス、急いでテントに戻ろう、グゼンと作戦会議だ」
「はい!」
シオルドとビンスは、右翼場を見ながら駆け出した。
***
全身血まみれの化け物がそこには立っていた。返り血と自分の血でその化け物はぐちゃぐちゃになっていた。
そんな血に染まる化け物と対峙していたのは、フィル・トロプトル、その化け物の幼い頃からの親友だった。
息が乱れる、さっきまで余裕があった体力などいつの間にかどこかに消えていた。
気張ってないともう数秒後には倒れてしまいそうだった。
『来る…』
赤い生き物が低い体勢のまま剣を構え、まっすぐ突っ込んで来た。
フィルは一瞬の判断で回避するか防御に徹底するか見極めた。
『ここは防御!』
選んだ答えは防御。最初よりも彼の動きと剣の速度が段違いに変わっていた。そのため、彼の攻撃を体力も削られた現状では、回避で避けられるかは半々で望みが薄かった。それよりは自慢の筋肉を使い剣で防御に徹する方が安全だった。
しかし、加速してきた勢いと全体重をそのまま乗せた重い剣が振るわれると、防御するにも限界というものがあった。
化け物の剣撃になんとか自分の剣を合わせられたフィルだったが、握っていた剣から重い衝撃が伝わって来て、剣を落としそうになった。なんとか踏みとどまって剣を握る手に力を込め直すが、隙を作ってしまったことで、そこから流れるように化け物の猛攻撃が始まってしまった。
全身を振り子のように振るう大振りの剣、隙だらけの近距離の刺突攻撃、溜めの長い全力の立て切り、化け物の攻撃はどれも致命的な欠陥のある剣を振るっていた。そのため、フィルに反撃のチャンスはいくらでもあった。
しかし、フィルはその化け物の攻撃をひたすらただ防ぐことと回避すつことに専念することしかできなかった。
『どうすればいい…』
フィルがその化け物と戦う意思がないわけではなかった。これでもフィルも勝つためにこの戦場に立っていた。だから、相手に容赦はしない。けれど、だからこそ、目の前の化け物を攻撃してはいけなかった。
それはなぜか?
それは彼の浴びている血がすべてを物語っていた。彼が浴びている赤い液体はほとんど彼自身の血であった。なぜ、彼がここまで酷く流血しているのか、その原因は右翼場の新兵たちにあった。
辺りを見渡せば右翼場にはもうフィルとその赤い獣以外は誰もいなかった。
それが意味することはフィル以外のエリザ組の新兵たちが排除されたことになる。しかし、それではエウス組の新兵たちもなぜいないのかという疑問が残るが、答えはシンプルだった。
エリザ組の新兵たちが、エウス組の新兵たちを倒した後に、フィル以外のエリザ組の新兵たちがその化け物ひとりに壊滅させられていたのだ。
右翼場のエウス組の新兵たちを倒した後、エリザ組の新兵たちはそのひとり残された者に戦いを挑んだ。その者はすでにボロボロで、彼ひとりを狩るのはとても簡単だと思っていた。それはまさに狩人が自分たちで後は手負いの小動物を狩るようなものだとそう思っていた…。
しかし、そんな彼らに待っていたのは、小動物の皮を被った化け物であった。
最初に異変に気づいたのはフィル。それは小動物の目に狂気が宿り、飢えた獣のような表情を見せた時、化け物が姿を見せたと思った。その時、フィルが思い出すのは幼少の記憶だった。
『フィル、俺が先に仕掛けるついてこい!』
『待て!気をつけろ、今の彼は…!』
何も知らないエリザ組の新兵が最後の狩に駆け出した時だった。
『覚悟しろ!』
エリザ組の新兵が剣を振り下ろす。
化け物は自分の剣を握ったまま両腕をだらりと下げ、自分に振り下ろされる剣をただ見つめていた。
そこでそのエリザ組の新兵も異変に気づいたがもう遅かった。
『………ハッ!』
そこには目を血走らせる化け物がいた。その化け物は決して狩られる側ではなく、狩る側の生き物だった。
エリザ組の新兵が振るった剣は鮮やかにその化け物の頭を強く打った。
『直撃した…!?』
避けも防ぎもしない敵に、エリザ組の新兵は驚いていた。が、次の瞬間には攻撃を当てたはずのエリザ組の新兵は、ばったりと地面に倒れ意識が飛んでいた。
そして、倒れたエリザ組の新兵の前にはひとりの狂気に染まった化け物が立っていたのだ。
ことの顛末はそのように、アストルの隙に付け込むと倍以上の威力のカウンターが飛んでくるため、フィルも反撃するのを躊躇してしまっていた。そして、アストルの流血が酷いのは、残ったフィル以外の右翼場にいた上位の新兵たちすべてを、その身を犠牲にしたカウンターで屠っていたからだった。
『どうすればいい…どうすれば、こうなったアストルを止められる?』
限界を超えているであろうアストルの体力切れを狙っていたフィルだったが、先ほどから彼は衰えるどころか、勢いが増して行く一方で、技の切れまであがり続けていた。大振りの技も段々とフィルが見切れなくなるまで練度が上がっていきこのままではフィルの限界がくる方が早くなっていた。
『いや、ここは一旦冷静になって距離を取ろう、だから、まずはアストルの連撃に剣を!』
フィルが渾身の力でアストルの振るう大技に自分の剣を合わせた。
二人の剣がぶつかり合う。
急にフィルが剣を合わせたことでアストルは体勢を崩すと思ったのだが、フィルも疲弊していたため、彼を弾き飛ばすことはできず、鍔迫り合いになってしまった。
体格的には有利をとっているフィル。このまま力で押し返そうとしたが、アストルの剣は微動だにしなかった。
「アストルに筋トレを教えなきゃよかった…!」
歯を食いしばりながら、フィルは鍔迫り合いの途中で、無駄口を叩いてみたが、アストルには届かず、彼は目の前の敵を打倒すことで頭がいっぱいといった様子で瞬きすらしていない。
「…アストル、どうして、そこまで頑張るんだ?もう、とっくに限界だろ?これ以上やると死ぬぞ!」
今の彼にこんなこと言っても無駄だと思うが言わずにはいられない。
『ああ、ダメだ、なに言ってんだ…俺は!』
フィルの中で相手が誰であろうと手加減は絶対にしないと決めていた。しかし、悲惨な姿でも戦う親友を前にすると、知らず知らずのうちに身体が勝手に戦うことを拒んでいた。
『くそ、手が震える…』
もしかしたら、自分の一撃でアストルを誤って殺してしまうかもしれない…そう思うと、自然と防御一辺倒に思考が誘導されるのも納得がいくものだった。
鍔迫り合いがアストルによって打ち切られ、再び、剣の打ち合いが始まる。
アストルが低い体勢のまま剣を大きく振りかぶった。大きな隙が生まれ、フィルに絶好のチャンスが訪れた。
『このまま、アストルの頭めがけて剣を振れば確実にもう起き上がってこれない…』
フィルの頭の中にはちゃんと傍に白魔導士たちが待機してくれていることが入っていた。
『やるしかない…即死は無い…』
フィルは剣を振り下ろした。
しかし、どうだろうか?敵を想う迷いのある剣と、己を犠牲にしてまで敵を殲滅しようとする剣。両者に
にどれくらいの差があるだろうか?その結果は如実に互いの剣速に現れた。
フィルの振り下ろす剣よりも早く、アストルの振り上げる剣がフィルの顎に直撃し砕いていた。
「ガハッ!!」
あまりの衝撃にフィルの巨体が一瞬中に浮いた。
視界がぼやける中アストルが次の戦闘態勢に入るのが視界の隅に見えた。
『アストル…』
*** *** ***
いつも遊んでいた自分たちの町の傍にあった森の中にその時の二人はいた。
「俺さ、決めた!」
幼き日のアストル少年が突然隣で立ち上がって声をあげた。
「決めたって何を?」
幼い頃の自分が彼の隣でのんびり寝転がっていた。
「フィル、俺は騎士になる」
「どうしたんだ急に?」
「騎士になってみんなを守る!」
アストルが木の枝を持って天高く掲げていた。
「どうかな?カッコイイ?」
「いいね!カッコイイ!!」
「えへへ、でしょ、でしょ?」
得意げに木の枝を振り回すアストル。フィルはそんな彼を見ていてふとあることが思い浮かんだ。というより、彼は最初からそっちが目的だったんじゃないかとすら思った。ので、質問をしてみた。
「でも、本当はアリスのためなんじゃないの?」
「え…?」
「だってさ、アストルは、いつもアリスのことばっかりじゃん?」
「そんなこと…なくはない…」
「アストルはさ、もう、アリスの騎士になっちゃえよ」
「ああ、うん、それいいね……」
「でしょ?昨日みたいにアリスの騎士になれば傍で守ってあげられるからな!」
昨日、アストル、フィル、アリス、ポーラの四人で遊んでいるとき、町で噂の悪ガキたちと喧嘩になってアストルが見事勝利を飾ったのだ。おかげで、仕返しがあるかもしれないから、女の子たち二人とはしばらく遊べなくなったが、それでもあの時のアストルは恐ろしくもカッコよくフィルの目にも映っていた。
「でも、アリスの騎士ってさ…アリスだけを守るの?」
よく子供は彼ら独自の言葉を生み出すが、アリスの騎士とはまさにそんな感じのものだった。
「ああ、そんな感じだな!ずっとアリスの傍にいて、アリスの忠実な騎士になるって感じ!」
「ふーん、それはいいね…」
アストルがアリスとずっと一緒にいる姿でも思い描いていたのだろう。その時彼は幸せそうな顔をしていた。
「アストルさん?アリスさんの想像は楽しいかい?」
いたずらっぽく笑いながら、幸せそうなアストルに水を差してみた。
「………ねえ、フィル、からかってる?」
「へへ、ごめん、ごめん、許しておくれ、アストル様!」
アストルに睨まれたが、いつの間にか二人は笑い合っていた。
ただ、笑い合った後に、彼が呟いた何気ない言葉が、今でもフィルの心の奥底に漂って残り続けていた。
それは…。
「でも、フィル、俺はさ、みんなのことも守れるようになりたいんだよね…」
その言葉はアストルの根底にある溢れ出る優しさから来る本音であるとフィルは今でも思っていた。
そして、いつまでも、アストルがそう思っているとフィルは信じていた。
*** *** ***
フィルが第一運動場の右翼場に倒れる。
決定的な一撃がフィルの意識を奪っていた。
『フィル、俺はこの試合に勝たなくちゃいけない…勝って少しでも早く認められてアリスの傍にいてあげたいんだ…』
「だから、先に行くよ…」
アストルがテントに戻ろうと倒れるフィルに背中を見せた時だった。会場から大きな歓声が上がる。
「待て!!アストル!!!」
「!?」
アストルが振り返るとそこには、口からは大量の血を吐きながら足元をふらつかせながら意識が途切れかけながら、ぎりぎりで立ち上がった、フィル・トロプトルがいた。
「まだだ、まだ俺は戦える!」
倒れた時確かに剣は落としていなかった。だからまだ彼は失格ではなかった。
「フィル……動ける…?」
「ああん!?……って、ハァ?」
アストルの言葉でこのときはじめてフィルは自分の足が一歩も動かないことが分かった。身体が先ほどの強烈な衝撃を味わったことで限界を迎えていた。
「このヤロウ!!」
フィルの怒りはアストルに対するものでは全くなかった。
『なんで、俺の身体は動かないんだよ!目の前のアストルの方がもっとひどい傷なんだぞ!!血だけじゃない、アストルの骨はもう何本も折れてる腕も脚も胸も激痛が常に走ってるはず、なのに俺はたった一発もらっただけでこれかよ』
「オイ!!!動けやぁ!!!」
フィルが本気で自分に向けて叫ぶ。握る剣に力がみなぎる。しかし、足が動かない身体が言うことを聞かない。
「フィル、終わらせる、痛くしない…」
「………」
ここで自分が負ければ、アストルはアリスの騎士になるために一歩近づくのだろう。ただ、あの時、幼い頃初めて見たアストルの目を見た時から、いつか超えたいと思っていた。恐怖を教えてくれたその目を超えてその先に行きたいと思っていた。
『俺はずっとその目をするアストルが怖かったよ…』
アストルが目を血走らせながらこちらに近づいて来る。
『いつも優しいアストルに目が慣れてたからさ…その目をした時の君は何倍も怖かった…』
アストルがフィルの前で堂々と剣を振りかぶって溜めに入った。
『だけどさ…俺とアストルはずっと…』
アストルの剣が迫る。もはやフィルの技量では防ぐことも回避することも不可能な洗練された剣であった。
直撃は免れないはずだったのだが…。
「親友だった…」
「!?」
アストルの目から狂気が消え、一瞬動きが鈍った。
狂戦士を倒す絶好の機会が訪れる。
互いに最後、ここしかないという瞬間がやって来た。
「アストル!!!」
「フィル!!!」
二人が叫び最後の力を振り絞って剣を振るう。
そこにはもうただ目の前の敵を打倒そうとする二人の騎士の姿しかなかった。