休日に私はあなたと
私は自室の姿見の前で、自身の姿の最終確認をしていた。姿見には白いワンピースに身を包み長い金髪の髪を後ろで一つに結んだ女性が映っていた。その姿見に映る彼女の後には化粧台があり散らかっていたが、その代償と引き換えに目の前の美人がいるなら彼女も満足というものであったし、帰ってきたときの片付けも苦にならない。そして、改めて姿見に映る彼女を見て思うことがあった。
「ほんとに私に似合ってるなこの服…」
自分で言うのもなんだが、この服はハルが選んでくれたものなので、自惚れてもいいだろうと思う。それに、きっと今の自分の姿は他の人から見ても綺麗に映るに違いないと自惚れは続く。そして、そんな姿を今日のデートで彼にお見せできると思うと、彼がどんな反応をしてくれるか、楽しみで仕方がなかった。
「だ、大丈夫、ライキル、あなたはちゃんと可愛いですよ、ハルだってきっとこんな私を見たらメロメロです」
鏡の前の自分に言って自信をつけると、小さなポーチを持って、彼が待つ噴水広場まで急ぎ足で向かった。
本館に着き、エントランスから外に出ると、夏の暑い日差しが最初にいらぬ歓迎をしてくれた。
『今日も暑いなぁ…』
眩しい日差しを遮る様に、手をかざしていると、遠くから自分の名前が呼ばれた。
「ライキル!」
「ハル!」
噴水広場の前には馬車が止まっており、その前にはハルが立っていた。
急いで彼のもとまで駆け寄る。すると分かったことなのだが、今日の彼の姿はかなり洗練されていることに気が付いた。
清涼感漂うシンプルな真っ白な服に黒い長ズボンを身に着けていた。しかし、いつもの庶民が着るようなそこらへんで売っているような服ではなく、高級な素材が使われている見るからにお金がかかってるものだった。ただ、服に関心が疎い者であればその物の良さには気づけないくらいには、その服は庶民の中にいても目立たない服装だった。
更によく見ていくと彼は薄っすらと肌に軽い化粧をしており、両耳には黄金のリングピアス、首には小さな宝石細工が施されたネックレスを下げていた。
今日のハルはかなり細部にまで気を配っていることが分かった。はっきり一言で言うと彼は完全に今日のデートを意識しての配慮だと思った。明らかにこちらに好意を抱いてもらおうと努力した後が散見できたのだが、ただ、そのいくつものハルがした努力の後は、どれも怖いくらいに完璧だった。
『うへぇ、なんで?え、待って、待って、今日のハルどうしちゃったんですか?やばい…全然雰囲気がいつもと違う…え、いいんですか?私がもらっちゃっていいんですか!?』
ハルのもとにたどり着くと、頭の中で言葉が溢れ、自然と口から出る言葉は失われた。彼の全身をなめるように見回すことしかできず、声を掛けられるまで舌なめずりをして見惚れていることに自分も気づかなかった。
「ライキル、その白いワンピース、もしかして、俺が選んだやつ?」
遠くにあった意識を急いで戻し、慌てて返事をする。
「え、あ、はい!そうですよ、似合ってますよね?」
「俺が言うのもなんだけど、とっても似合ってる。可愛い」
「…ハッ…………」
優しい笑顔、柔らかい声、こちらを見つめてくる青い瞳。彼の全てが私の呼吸を止めにかかって来る。
「…その、ハルも今日はなんか気合いが入ってますね!」
「あ、気づいた?嬉しいな、やっぱり、ライキルはよく見てくれてるね」
私は別にこのデートを約束していたわけではない。今日ふとハルに食事の後に『今日、二人で下町にデートに行かない?』と軽く誘われただけだった。
「もちろんですよ!でも、その今日のハルはなんだか私にはもったいないくらいで、いいのかなって思っちゃいました…」
「何が?」
「私なんかがハルと一緒にいていいのかなって、えへへへ」
あまりにも今日のハルが眩しい存在に見えたからそう言った。実際に小さい頃からずっと一緒にいる私でさえ、彼の隣に立っているだけで緊張してしまっていたのだ。そんな彼を独り占めにできるのは正直たまらなく嬉しく心が躍った。
「……………」
ただ、そんな幸せでだらしない笑顔を浮かべていると、ハルがジッとこちらを静かに見つめていることに気づいた。
「ハル?どうしたんですか?固まっちゃって…」
自分はそんな顔をしていたのかと、ハッとした彼が慌てて笑顔を取り戻す。やはり、ハルはずっと美麗な微笑を浮かべてくれている方が似合っている。
「ごめん、なんでもないよ…そうだな、あんまりにもライキルが可愛いから見惚れてた」
「え、ほ、ほんとですか、えへへ、あ、ありがとうございます」
顔がみるみる赤くなって火が出るのではないかと思った。だから、私は自分の頬なんかを両手で抑える。彼に褒められるのに私は弱い。些細なことで舞い上がる。なんと単純な女なのだろうか…。ただ、それでもこうして傍にいられるなら私はハルの前では軽い女でも良かった。
「さあ、ライキル先に乗って、俺は御者と話してくる」
「分かりました」
上品な装飾が施された馬車の扉をハルが開けてくれて、私は先に馬車の中で待った。二人で座るには馬車の中は広々しており六人乗りの馬車であると見た。内装は全体的に赤を基調とした椅子やカーテンが上品な雰囲気を上手く演出していて、どこぞの貴族の令嬢になった気分だった。
「お待たせ、ライキル」
すぐにハルが戻って来ると、彼も馬車の中に入って扉を閉めた。そして、こんな広々とした馬車であるにもかかわらず、当たり前の様に私のすぐ隣に座って来てくれた。
「その、デートなんて言ったけど、先に俺の用事がある場所に行っていいかな?」
「ええ、もちろんです。私は誘われた身ですからどこにでもついて行きます」
「そっか、ごめん、ありがとね」
ハルが申し訳なさそうに下向くが、私からすれば誘ってくれてありがとうございますハル様だった。なんせこの日の休日は特に何をするかも決めておらず暇だったのだ。筋トレでもしようかと思ったが、やりすぎも良くない、もうどうせなら今日は一日中寝ているかなど、退屈極まりそうなところに舞い込んで来たお誘い、感謝しかなかった。
ハルが少し立ち上がって前にある、御者と意思疎通をとるためについている小窓を開けて出発するようにお願いしていた。
そして、彼がまた隣に戻って来る。馬車の中には二人っきりまさにこれはデートだった。
『デート、デート、ハルとデート!』
あまりの幸福で私の頭の中もおかしくなってくる。
そんな上機嫌でボケっとしていると馬車が動き出し私たちは少し強い揺れを感じた。
その時だった。
「!?」
ハルが空いている私の左手をそっと何も言わずに握って来たのは…。
私は突然のことに驚いて急いで隣にいるハルの方を振り向いたが、ハルは反対側のカーテンをわざわざ腕を伸ばして閉めていた。さらに後ろのカーテンも平然とした顔で閉める。
「ライキル、そっちのカーテン開けとく?景色見たい?」
「はい…」
「わかった、じゃ、そっちは開けっ放しでいっか」
手には全く意識を向けないハル、何事もなかったかのように、私と話し終えると、次に彼が取った行動が、ただ私と握っていた手をお互いの指が交互に絡み合うように組み替えることだった。いわゆる恋人繋ぎという手の握りかただった。
「………」
「どうした、ライキル?ボーっとして」
「へぇ?」
私はハルを見つめたまま固まっていた。
「もしかして、気分でも悪い?」
顔色を覗ってくれるため覗き込んでくるハルの顔は近かった。近くで見れば分かるのだが化粧したハルは綺麗だ。男は普通化粧はしないのだが、王都にいた時代のハルは剣聖で、晴れ舞台の時にはいつも使用人たちに化粧を施され、抵抗というものが少ないということもあったのだろう。ただ、こうしてハルが私とのお出かけのためだけに化粧までしてきてくれることは珍しかった。やはり、将来を誓い合った仲になったからなのだろうか?
「あ、いえ、気分は最高です!むしろ最高すぎて固まってただけです…」
恥ずかしくなって俯くと、いつもの調子のハルが笑いかけて来る。
「アハハハハ、何それ、変なライキル」
「………」
うるさいですね、変なのはハルのほうですよ、と私はいつもの調子で続けて言いたかったが、今日は言葉が上手く出てこなかった。
『なんだろう、この気持ち…胸がすごく熱くて、痛い…』
恋をすると胸が苦しくなるなんて言うが、私がこの時、感じていた思いはそんなものとは比べものにならないものだった。まるで、恋した相手にもう一度新鮮な気持ちで恋に落ちるといったことが毎秒起こっているような感覚におちいっていた。
ただでさえ、ハルの傍にいるだけで胸の鼓動が鳴りやまないのに、こんな手の握り方を不意に自然に当たり前のようにされたら、調子が狂うのも仕方がないことだった。
だから、私は馬車の中で、ハルの用事がある場所に着くまで、しどろもどろな会話しか彼とできなかった。それでもハルは、そんな私とのめちゃくちゃな会話でも、ゆっくり何度も優しく聞いては理解しようとした。それに途中で冗談を挟んでは私を笑わせてずっと楽しませてくれた。
そんな感じで私が今日の予定はどうしようかと質問した時に、馬車が目的地についたのか、速度を落としてやがて止まった。
「ごめん、ちょっと行ってくるからライキルはここで待っててもらっていいかな?」
隣でまだ手を離さないでいてくれるハルが言った。
「ええ、構いませんよ」
私の方にある窓から見えた景色から、着いた場所が冒険者ギルドの手前だということは分かった。
「すぐ戻って来るからその馬車の中で待っててもらってもいいかな…」
だいぶ馬車の中でハルと緊張しながらも楽しく話せたおかげで最初よりはいつもの調子が戻ってきていた。だから、心配そうな顔をするハルに向けてひとつ軽い冗談を飛ばすことができた。
「フフッ、ハルってば心配しすぎですよ。それともあれですか?そんなに私のこと好きなんですかぁ?」
馬車の外に出る気はそもそもなかった。前に変な人達に絡まれたこともあったし、また同じことがあったらハルに迷惑だし、せっかくのデートが台無しだ。それと、好きなんですか?と煽ったが、これで彼に否定されたら、今の状況の私だと多分、立ち直れない。それくらい、私は今、彼に再び溺れていた。
「好きだよ、当たり前じゃん…だからここにいて…」
真面目に返された私は、顔を真っ赤にして固まった。そして、完全敗北した私は、ハルから握っていた手を離されてしまう。
「それじゃあ、行ってくる」
ハルは馬車の扉を開けると冒険者ギルドの施設の中に姿を消していった。
***
ハルが戻って来たのはそれから十分ほど経った頃だった。
「おまたせ、ライキル」
「お帰りなさい!」
私はハルが戻って来る間、この後二人でどうしようか考えたり、彼のことを考えたり、彼のことを考えたりと、カーテンを全部締め切って考え事に集中していた。
「いい子にして待ってた?」
「はい、いい子にしてました!」
私が真剣な表情でそう言うと、ハルは声を出して笑っていた。そんな彼の笑顔だけで私はお腹いっぱいになったが、幸せはとめどなく続く、ハルがさっきと同じ様に私の隣に座ると、すぐにまた私の手を有無を言わさず握って指を絡めてきた。
そこで私がまたハルのことを見つめるのだが、今度は彼もこちらを見つめており、視線が交わった。
「なに、ライキル?」
「…あ…その…えっと……」
「何か問題でもあった?」
そこにはいたずらっぽく笑うハルがいた。私は何も言えなかったけど、実際何も問題はなかった。
それから、間もなくして馬車がゆっくりと出発した。
私はしばらくハルに話しかけられなかったが、意地悪なハルも途端に私に話しかけて来てくれなくなっていた。なぜそれが意地悪と分かったのかと言うと、勇気を振り絞ってハルに次にどこに行くんですか?と話しかけると、彼は『やっと話しかけてくれた。顔の熱は冷めた?』と薄っすらといたずらに微笑んで言って来たからだ。私はそんな彼の態度に反発しようとしたが、その時は借りてきた猫のように静かに頷くことしかできなかった。すっかりおかしくなっている私がいた。
「次は綺麗なものがたくさん売ってる場所にいくから楽しみにしてて」
そうハルが言って数十分後。馬車は、パースの街のおよそ中央部に位置するエリアに入っていた。私たちが暮らす古城アイビーのある南部に比べて、中央は商業施設が多く交易の心臓部分であった。だから、ここに来れば大陸中から流れて来る珍しい様々な品ぞろえの商品を見ることができた。
そんな交易の中心地にあるひとつのお店の前で馬車は止まった。私とハルが手をつないだまま馬車の外に出ると、目の前には『メイメイ』と書かれた看板を掲げた上品なお店があった。
「さあ、入ろう」
「待ってください、メイメイって、あのメイメイですか!?」
驚いている私にハルはそうだよとなんでもなさそうに答える。
「私、ここで何か買えるほど、持ち合わせなんてありませんよ」
「そっか、じゃあ、中に入ろうか」
「あれ、ハル?私の話し聞いてましたか?あ、ちょっと、待っ、えええええ!」
ハルが何の躊躇も無しに私の手を引いて進んで行く。店の前にいたボディーガードの騎士のひとりにハルが一枚の手紙を見せると、その騎士がドアを開けて中に入れてくれた。
店の中に入るとそこは一気に別世界が広がっていた。広い店内の装飾は高級感溢れ、床には赤い絨毯が敷き詰められ、土足であがってしまっていいのかと思ってしまうほどだ。
この『メイメイ』という店。宝石店にしては珍しく、商品をガラスのショーケースに入れて訪れた客がそこから選ぶという方法を採用していた。本来の宝石店はこんなにおしゃれではなく、頑丈な金庫があり、いかつい店主がいる場所なのだが、メイメイはそんな印象からはかけ離れたお店だった。
ハルの手に連れられ、カウンターまで私たちは向かった。その間、もうありとあらゆる美しい宝石が入ったショーケースをいくつも通り過ぎて行った。多分、その通り過ぎたケースの中の宝石数個だけで私が一生暮らしていけそうなくらいの値段はしただろう。
「ああ、これは、これは、ハル・シアード・レイ様でございますね。お待ちしておりました」
「こんにちは、スワロシュカさん、突然のお手紙すみませんでした」
「とんでもない、我がメイメイにあの英雄が来てくれた。これだけで我が商会は一生くいっぱぐれませんよ!ふぉふぉふぉ」
感じの良い老人は上品に笑った。私はメイメイにこれただけで頭がいっぱい、いっぱいでその老人についてあまり関心を向けることができなかったのだが、のちにハルに聞いたところその老人はこの大陸の三大商会のひとつであるメイメイ商会の会長スワロシュカ・メイメイであることを知った。そして、彼とハルは、エウスからの紹介で解放祭の表彰式の時に、知り合ったのだと言っていた。
「お店の中、二人で見て回っていいですか?」
「ええ、シアード様、お好きな様に、何かあれば周りの係りの者にお声がけください」
「ありがとうございます。よし、ライキル、一緒に見て回ろうか?」
私はいろんな意味で緊張し続けたまま店内をハルと一緒に見て回った。
ショーケースの中には美しく輝く色とりどり宝石が一個一個丁寧に並べられていた。その宝石たちは一番美しく輝くように計算された形にカットされているのは有名なことで宝石が好きな女の子なら誰だって知っていた。
そして、メイメイが他の宝石店と違うところは、宝石と一緒にその装飾品まで一緒に手掛けて作っていることであり、オーダーメイドも可能だった。
「これなんか、ライキルに似合いそう」
「ど、どれですか?」
ハルが指さすショーケースの中を見るとそこには黄色い大きな宝石の髪飾りが置いてあった。
「ほんとです。とっても綺麗で、私にも似合い、そう…」
視線は値段が彫られたプレートに自然と移ってしまう。そして、心の中で思った。
『この値段だと一生遊んで暮らしてもおつりが返ってきそう…』
私はあまりの価値の宝石にしばらくその場から動けなくなっていた。するとハルがつけてみる?と提案してきたので私は全力で断った。
その後も、いろいろな宝石に目を奪われながらハルとこれいいね、あれ綺麗だねと見て回っていった。私は超高価な宝石や、珍しい宝石の見学を終えると満足したのでハルにここに連れて来てくれた礼を言って次に行こうとしたときだった。
「で、ライキルはどの宝石がいいのかな?」
「え?」
思考が一瞬停止した。
「いいよ、ライキル、なんでも好きなもの選んで、ここに連れてきたのは見学じゃなくて買い物だから」
「いや、そんな、私、こんな高価なものはさすがにハルからでもダメです…」
こんな自分が一生かかっても稼げない、いや、そもそも、ここに並んでいる宝石の数々はどこぞの王族や大貴族、大商人のような人たちが訪れるところで、ただの騎士の私みたいな人間が来るような場所ではないのだ。
ハルと宝石を眺めている間も、他のお客さんからの視線が刺さるのを感じていた。なぜ、あのような若い者たちがこんなところにいるのかと…。しかし、私は自分でもそう思ったここはさすがに場違いだと、この感覚たまにエウスの開く店でも同じ様に思う時があるのだが、こういう場所はハルとエウスが来る場所で私がいていい場所じゃないと前から思っていた。
「…じゃあ、誰からだったら、ライキルはここの宝石を選んでた?」
「それは自分ですかね?やっぱり…」
「そっか…」
ハルの顔色が少し寂しそうな色を浮かべていた。私もそこで悲しくなったが、残念だけど私には絶対にここにあるどの宝石も選べなかった。
「ごめんなさい、ハル、その、ここで買い物するためにいろいろ準備しましたよね…」
よく考えたらこんな有名なお店に入店するためにいったいどれだけお金を払ったのかと考えたら私はやはり選ぶべきだったのかと思った。
が、しかし。
『私がハルを養いたかった…』
もし立場が逆だったら、私が剣聖で、ハルがただの騎士で、圧倒的に地位も財も何もかも逆で差があったら、私はハルを選んでいただろうか?
『絶対、選んでた…』
それから、私たちは、ここのお店を出ることになった。ハルが店主の老人と二人で少し会話するのを私は店の出口の前で待っていた。
「おまたせ、ライキル、よし、じゃあ、行こうか」
私たちはメイメイの店を後にした。
次の目的地に向かっている途中、私は何度もハルに謝ったが、それと同じくらい彼が頭を下げてきた。
『軽々しくあんな高級なお店に連れていってごめんなさい』と私に向かって謝っていた。
そこで私はいったい自分が何様なんだとライキル・ストライクに怒ったが、そんな私はハルの婚約者であった。
ただ、いくら夫婦なるといっても、それもまだ先で……いや、それでも、もう、絶対ハルから離れてはあげないのだが…結婚する前に、多分後でも、私はあんな高価な宝石は望まないだろう。そもそも、私の望みはもう十分、叶い過ぎているんだから。
それから私たちは昼食をエリー商会が運営しているレストランで済ませることになった。しかし、そこもあらかじめハルが予約していたらしく、特等席に連れて行かれたときはびっくりしたが、ここは素直に喜ぶことができた。
あの宝石店だけが本当にかけ離れたものであり、私も今まで一度も見たことがない価値のものばかりだったのだ…。
私はそこで思い知ったのだが、ハルはいったい今いくらの財を保有しているのだろうかと疑問に思った。お金の話を全くしない彼、しかし、今日連れて来られた宝石をどれでも好きなだけいいよと言っていたが一体…。
私は、食事の最中、ハルとの会話の隙に、ずっとそのことを考えては、そんな卑しい自分が嫌になっていた。
けれどお腹もいっぱいになると、お金のことやメイメイでのいろいろごちゃごちゃしていたことがどうでもよくなって、彼のことが好きだなぁという思いだけが残っていた。
レストランを出た私たちは、再び馬車に乗り、パースの北に広がるリーベ平野にまで続く静かな草原で休息をとることにした。
馬車には草原に入る手前で待っていてもらい、ハルとライキルはどこまでも広がる草原に足を踏み入れた。
「風が気持ちいいですね」
穏やかな風が常に草原の草花を優しく撫で、頭上に浮かぶ白い雲をせわしなく北の空に送っていた。
「ねえ、ライキル、ちょっとここから移動して、いい場所を見つけない?」
「はい、いいですよ、じゃあ、一旦、馬車に戻りましょうか」
馬車に戻ろうとしたときだった。ハルが私に腕を広げていた。
「久々にどうかな?」
「え、いいんですか!?」
「いいよ、来て」
「やったー!」
私がハルに思いっきり抱きついたあと、彼は私の身体をお姫様抱っこに切り替えた。
そして、次の瞬間、私たちは緑の草原の中を飛んでいた。
*** *** ***
『ハル・シアード・レイに関する報告書。
レイド王国の軍に所属する元剣聖。表向きを【特別剣術指南役】という役職に着任。しかし、この役職は四大神獣討伐作戦の遂行が極秘にされていた時に使われていた一時的な役職であり、実際は【指定神獣特別討伐騎士】という役職が与えられている。この役職に与えられた国際権限クラスは【シン】【皇人】【王人】【貴人】の中の【シン】で最高権限を有している。
ただ、彼はそもそも、この大陸にある六つのレイド王国を除いた五つの大国全てと、個人で対等の契約を結んでいるため当然の処置といえる。
なぜここまで大国が彼を優遇するのかといえば、それは彼が兵器のひとつとして認識されているからである。兵器としてみたときの彼の能力は、この大陸の文明すべてを破壊する可能性を秘めている。現在その可能性を秘めているのは四大神獣を除いて他にはいない。
最近まで、彼を兵器として見た時の能力は各大国で過大評価されていたが、白虎討伐の成功によりその信憑性は跳ね上がり現在では、四大神獣以上に危険視されている。しかし、どの国でもハル・シアード・レイの暗殺の決行の絶対的な禁止及び、彼の周辺の人間に危害が及ぶことはタブーとされている。
彼との接触方法としては、必ず友好性を示すことが各大国の中でも意見が一致している。
彼の主な危険性として、その身体能力が挙げられる。彼の身体能力は未知数であり、本人でさえ自分の力の底をどこまで把握しているのかは、本人が決して本当のことを明かさないため現状は不明。
しかし、分かっていることは四大神獣の白虎、個体によれば五、六十メートルを軽く超える神獣を身体一つで肉塊にできるほどの破壊力を有していることになる。
そして、白虎討伐後の霧の森の調査で明らかになったことなのであったのだが…
………壊滅…………被害ゼロ……………………
………天性魔法あり…………………………能力不明……………
英雄と人々にもてはやされる反面、彼をこう呼ぶ者たちもいる、人外…………
……………黒龍……………………開始時…………………
』
「ディアゴルさん、これが報告書ですか?」
「そうだが」
「ていうかこの報告書……」
「すまん、さっき私が紅茶をこぼした」
「ディアゴルさん、これドロシーさんに提出するやつなんですけど」
「え、マジ?」
「マジです…」
「分かったすぐに書き直す、その間、ギルさんはそこでゆっくり紅茶でも飲んでいてくれ」
「いえ、外で時間を潰してきます」
「え、呼び戻すのめんどくさいからここにいてくれよ」
「嫌ですよ、ディアゴルさん、どうせドロシーさんに出すってわかったから丁寧に書き直すつもりですよね」
「バレたか、まあ、いいけど、外は危ないよ思うよ」
「なんでです?」
「さっき、ここにハル・シアード・レイ本人が来たから」
「本当ですか?」
「マジよ、マジ」
「何の用でですか?」
「龍の山脈周辺に関する詳細な情報をまとめて欲しいって依頼を冒険者に申し込んできたらしいよ」
「またなんでそんな回りくどいことを…とんでもない権限を持ってるんだからただ各国に命令すればいいのに…」
「ギルさん、私は、ハル・シアード・レイさんに何度かお会いしているけど、彼はいい子だよ」
「…………」
「とってもいい子だ」
「…はぁ、まあ、俺も会ったことあるんでそんなこと知ってますが…」
「ギルさんは私の言いたいことが分かってないな…もういいよ…」
「なんですか、それ?…まあ、いいや、早く報告書終わらせてくださいよ、俺したのバーで飲んでるんで終わったら呼んでください」
「はいよー」
*** *** ***
草原の中をハルの腕に抱かれてしばらく飛び回っていると、ちょうどいい丘の上に一本の大きな木が立っていたので私たちは、その木陰の下で休憩することにした。
「どうだった、久々に空中をお散歩してみて」
「最高でした。ハル、これきっとお金とれますよ、とっても楽しいですから」
「アハハハハハハ、ほんとに?」
「あ、でも、やっぱり、あんまり他の人をハルに抱いて欲しくないので、今のは無しで」
ハルにお姫様抱っこされた状態で、彼に草原をとっても早く駆けたり、長い距離を跳躍してもらうのは、まるで私と彼が一緒に空を飛んでいるみたいで、とても楽しかった。
「抱かないよ、他の人なんて…」
「ん、なんですか?」
空を飛び回っていたことを思い出していたらハルの言葉を聞き逃してしまった。
「ううん、別に、三人のことが好きだってこと」
「え!嬉しいこと言ってくれますね!というより、今日のハルはなんだか積極的じゃないですか?いや、今日というより最近です。あ、もしかして、ほんとに私に惚れましたか?」
ここで調子に乗れた私は自分を褒めてやりたいと思った。
「実はハルって昔から私に惚れ込んで…んぐ!?」
挑発してみるものだと思った。私のうるさい口はハルの甘い唇で完全にふさがれていた。
しばらくそのままで私が固まっていると、彼の方がそっと離れていった。
そして、彼は少し冷たい眼差しで言った。
「はい、続けて?」
「………」
私は呆然としており、言葉なんか出て来るはずがなかった。
「あれ、もう、いろいろ言わなくていいの?」
目の前には確かに私のよく知る青髪で青い瞳の青年がいた。いつも優しくて爽やかでカッコよくてお人好しな彼。だけど、そこにはまだ私の知らないハルの一面があるような気がして、そしてその彼が今垣間見えている気がして止まなかった。
「よく静かにできたね、偉いよ」
頭を優しく撫でられる。私は、もっとして欲しくてずっとハルを見つめては静かにしていた。そしたら、また偉いねと言って頭を撫でてくれた。
「ライキルは欲望に忠実だね、もっと撫でてもらいたいんだ…」
私は何度も黙って頷いて肯定の意を示した。
「そっか、じゃあ、撫でてあげるね…」
しかし、撫でられるよりさっきの刺激的なキスの方がお望みだったが、今のハルはなんだか妙な雰囲気があって、そのお願いも聞いてくれそうになかった。が、ここから私は、それどころじゃないことに直面した。
「ねえ…ライキル、いくつか質問してもいい?」
私は頷いた。
「本当に俺のこと好き?」
「…………」
「本当にずっとそばにいてくれる?」
「…………」
「ねえ、ライキル、本当に俺のこと愛してる?」
「…………」
ハルの問いに答えようとした時だった。
私の声は出なかった。
それどころか身体が動かず、指一本すら動かすことができなかった。
『なんで、私、違う、ハル、違うよ。分かってくれるよね?だって私こんなに好きなのにさ…ねえ、ハル…』
ハルが撫でるのをやめた。私は絶望の中でただ身動き取れずに心の中で叫んでいた。
『ハル、私、ずっとあなたの傍にいるよ!愛してるよ!!ねえ、なんで声が出ないの身体が動かないの!?ねえ!!』
大切な人を裏切ってしまうとそう思った時だった。私のことをハルが優しく抱きしめてくれた。
そして、そこから、私がこの状況で想像もしていなかった言葉を掛けられた。
「俺はこれからライキルが俺のことどう思おうがずっと愛してるから…」
『え?』
「たとえライキルが俺のこと嫌いになっても俺は絶対にライキルから離れてあげないから…ずっと愛し続けるから…」
私の目に映るハルの姿に見覚えがあった。
「誰にも渡さないから…絶対に…何があっても傍にいてもらうから…」
それは、昔の私だった。ハルに恋焦がれて彼を失う怖さに取りつかれた私によく似ていた。
「愛してるよ、ライキル…」
そこで私はハルから甘くて長い口づけをもらうと、意識は途切れていった。
***
目が覚めると私は古城アイビーの自室のベットの上にいた。ベットから窓の外を眺めると、外は真っ暗で月がぼんやりと輝いていた。
「え、あれ、私、ハルと今日、一緒にデートしてたはずなのに…なんでここにいるんだろう…もしかして全部夢だった…嘘、え、最悪、でも、え、本当に?」
ただ、よく自分の着ている服を見るとちゃんとワンピースを着ていることから、ハルとデートに行ったことは夢ではなかったと安心することができた。のだが、そこで私はあることに気づいた。
それは自室の奥にあるテーブルが視界に入ったときだった。
「…え……」
テーブルの上に何やら見覚えのあるものが、小さなガラスのケースに収まっていた。
「これって今日、私がハルと見てた宝石の髪飾りだ…」
黄色い宝石が埋め込まれた髪飾りがガラスケースの中で静かにたたずんでいた。
私はそこでさらなる異変に気付いた。テーブルの下に乱雑に積み重ねられている黒い箱の山があったのだ。
「なんだろうこれ…」
その箱を恐る恐る開けると入っていたのは、色とりどりの美しい宝石たちだった。そして、急いで別の箱も開けていくとその中に入っていたのは同じく宝石の数々。さらにその宝石というのは、今日、宝石店『メイメイ』で私がハルに綺麗だねと言ったり、これいいねといった、宝石であった。その宝石が漏れることなくその箱に敷き詰められていた。
「ハル…どうして……」
真夜中、私は月光に照らされて光る宝石たちを、いつまでもひとり眺めていた。