エリザ組
お昼が終り、古城アイビーの裏側に広がる運動場には夏の暑さと人々の活気が溢れていた。それは己を磨き強くなるために努力する者たちの熱でもあったのだろう。
その中でも、第二運動場では、多くの新兵たちが訓練用の木の剣を持って互いに打ち合っていた。
第二運動場は、いつもはエリザ騎士団の精鋭騎士たちが訓練に使っていた場所だったが、今回、新たに新兵たちが入ってきたことによって、そのエリザの騎士たちはさらに隣の第三運動場に移っていた。
そのため、第二運動場はエリザ騎士団に任された新兵たち、通称エリザ組の貸切状態となり、広々と散らばって、剣を振るっていた。
「よし、ビンス、やろうじゃないか?」
ウィリアムが木の剣を挑発的に、金髪の高貴な顔立ちの青年に向けた。
「あなたですか…まあ、いいですよ、相手をしてあげましょう」
ビンスは一瞬表情を歪めるが、すぐにやれやれといった感じの雰囲気を出し、木の剣をウィリアムに向けた。
「おいおい、相手してやるのはこの俺の方なんだぜ?」
にやりと笑うウィリアム、剣の試合での優勝回数では彼が、ビンスより多いためそのような言葉がでてくるのだろう。
「全く、その常に私の上から物を言おうとするのは何様なんですか?」
ビンスが呆れた表情を披露するが、ウィリアムはもっと呆気にとられる。
「いやいや、お前こそ何者でもないだろ。ここは騎士を目指す者が集まる場所。貴族の子だからってそんなの何の意味もねえよ。よし、吠えずらかかせてやるから覚悟しな」
ウィリアムは敵意をむき出しにして、剣を構えた。
「はあ、これだから、君みたいな田舎から出てきた者は困る…いいですか?貴族はこの国を支えている大事な役割を担っているんです。我々の苦労も知らないで貴族だからといって毛嫌いするのは…!?」
ビンスが懇切丁寧に何も知らない哀れな者に、物を教えてあげようとした時だった。ビンスの目の前には、ウィリアムの剣撃が飛んできていた。
「こいつ!」
互いの木の剣が鈍い音をたててぶつかり合いつば競り合いになった。
「この無礼者め…私の準備が出来てないうちに不意打ちとは、礼儀を忘れたか?」
「真剣勝負に礼儀を持ち込むバカがいるか!この世界はやるかやられるかなんだよ!」
「いや、これ、訓練ですし、暑さで頭がやられましたか?」
「ビンス、お前にどこにそんな余裕があるんだ?喋ってないでこの状況を打開してみたらどうだ?」
二人の力関係は、ウィリアムの方が優勢でビンスは彼に押されていた。
「生意気なガキめ…よくも私にそんな口を…ぐぬぬ」
「だからさっきからお前は何様なんだよ」
ウィリアムがビンスの剣を弾いて、つばぜり合いが終り、打ち合いが始まる。
弾かれたことで体勢を崩したビンスは打ち合いで防戦に強制的に回された。嫌な角度から繰り出される連続の鋭い剣撃をビンスはぎりぎりでかわし、防いでいく。ウィリアムの隙の無い剣技が合わさった猛攻がビンスを襲う。
『こいつの剣は本当に苦手だ。ひねくれてるからか、剣の斬道まで読みずらい。ああ、ほんとにむかつく奴だ、私よりもこいつは上にいる…』
「クソッ」
ビンスは一度この状況をやり直そうと、その場を離脱しようとした時だった。勝負の決定的な瞬間は訪れた。
「甘いんだよ!」
ビンスは後ろに後退すると同時に、ウィリアムに持っていた剣を弾き飛ばされてしまった。
「なに!?」
「剣は騎士の命、ちゃんと握ってなきゃダメだぜ!」
ビンスの前に剣が振り下ろされる。
その時、ビンスの負けは決まっていた。
***
「ほんとにここにいる皆さん、新兵なんですよね?」
マイラは隣にいるシオルドに尋ねていた。
二人は、運動場より少し高くなっている土手の斜面から、訓練に励み打ち合っている新兵たちを眺めていた。
「そうだよ、みんなだいたい十六歳ってところかな?」
「うわぁ、だとしたら、みんなほんとに優秀な子たちですね」
「エウスさんたちが短い間で叩きこんだんだろうね」
シオルドたちは、まずエリザ組の新兵たちの実力を見るために、こうして最初に剣で打ち合わせていた。そこで見たのは、実戦が考慮された動きを新兵たちの誰もがしているということだった。
シオルドは普段から何をやっていたか訓練のメニューを彼らから聞くと納得がいった。大雑把だがかなり手慣れた動きをする彼らに。
「彼らずっと基礎より打ち合いを中心に訓練されてきたらしいよ」
「え、そうなんですか?それってあんまりよくないんじゃ」
「うん、変な癖がついたりするから、基礎を覚えてから実戦に向けた訓練をした方がいいんだけど」
シオルドは打ち合いの中で良い動きをする彼らにその通説を当てはめていいのか頭を抱えた。
「グゼンはどう思う?」
シオルドは、土手の斜面に日傘を広げその日陰の下で寝そべり新兵たちを眺めていたグゼンに声を掛けた。
「ん、なにがだ?」
「だから、新兵たちの今までのやり方を続けてもいいのかなってこと、実践中心のやり方で」
「別に、強くなればどっちでもいいんじゃねえのか?」
シオルドの問いにグゼンは何も考えてなさそうに答える。
「グゼン、少しはやる気を出してくれよ、一応君も指導者のひとりなんだから」
「いや、俺はここからちゃんと見てるぞ、あ、ほら、あそこの奴なんてまだまだ不格好だが、今、王剣を使ったぞ」
「え、どこ?どこの組だ?」
シオルドはグゼンが指さした方向に目をやるが、その二人というのが誰なのか見つけられなかった。でたらめを言ったのではないかと思いシオルドは彼を薄目で睨みつけた。
「はぁ、グゼン、やる気がないのは分かる。でも、これは将来のエリザのためにも大事なことなんだ。だから少しは真面目に…」
怒り出しそうなシオルドの言葉をさえぎる形でグゼンは口を開く。
「待て待て、どうした、シオルド?なんでそんなに怒ってるんだ?俺は真面目に新兵たちを見てるぞ、ほら、またあそこのあいつ王剣の技を使ってる。ハハッ、やるなあいつ」
グゼンはひとり愉快そうに笑っていた。
「お相手の子はさすがにあの剣撃を切り返せないか…となると勝負は決まったな」
シオルドはグゼンがどの組を見ているのか未だに分からなくてムッとした。
「ほんとだ、あの子の剣の使い方、上手ですね」
マイラまでグゼンが見ていた二人を見つけたようで、悔しくてシオルドも二人が見つめる先に目を凝らした。
すると、金髪の二人の青年が打ち合って今にも決着が付こうとしていた。
「あれか、やっと見つけた、でも、あの調子だと」
「そうだな、もう、決着が決まるな」
シオルドたちがその新兵の二人を見守っていると、すぐに決着の時は訪れた。
防戦一方だったひとりが後方に逃れようとした時に意識が自分の身体に向いたのだろう。握っていた剣の力が緩みその隙を相手に狙わていた。
「はい、終わり、だが、なかなか面白い試合だった」
グゼンはそう言って次の自分を楽しませてくれそうな他の有象無象に目を移そうとしたときだった。
「え、あれ…」
「あの子たち…」
隣でシオルドとマイラが、驚いた表情で口を開けていた。
「なんだよ、二人とも、どうかしたか…?」
グゼンも二人と同じ方向を再び向き直るとそこには…。
「おいおい、まじかよ」
***
剣は無くなったビンスが負けを認める、ウィリアムはそう思っていた。
実際にビンスは負けていた。剣がなくなったところに振り下ろされる剣がその事実を確かなものにする。交わすことも、もう手遅れで後はただその剣撃を受け、負けを認めるだけだった。
だが、負けたくない者は最後までその目の闘志を燃やしていた。
「騎士の命は、剣なんかじゃねぇよ」
ビンスにしては汚い言葉使いで答え、振り下ろされる剣に真っ向から向かって行った。
「!?」
ウィリアムは振るった剣を目前で寸止めしようとしていたのだが、ビンスが前に出てきたことによって剣撃を止められなくなっていた。
「バカッ!おまッ!」
ビンスの左腕にバキッと嫌な音を立てて剣が振り下ろされた。激痛と共にそれでも防げたことに笑ったビンスは、そのまま、振り下ろされた剣を強く弾くとウィリアムは体勢を大きく崩していた。そんな隙だらけの彼にやることはたったひとつ。
反撃。
ビンスは空いている右手を渾身の力で握って、思いっきりウィリアムの顔面目掛けてその拳を振り切った。
強烈な殴打がウィリアムをそのまま後方に吹き飛ばす。
「いや、騎士とくくるのがそもそも間違いだ。人間として最後まで諦めねぇ奴が勝つんだよ、わかったかこのクソ田舎もん…」
吹き飛ばされ倒れたウィリアムに吐き捨てるように言ってやった。左腕の激痛の中、ビンスがその場を去ろうとした時だった。
「なるほど、俺が悪かった。そうだよ、真剣勝負なのに俺はお前に情けをかけちまった。そりゃあ一発もらうわけだ」
鼻と口から痛々しい血を出し、ふらふらの足で立ち上がっていたウィリアムが、拳を構え戦闘態勢を取っていた。
「ビンス、最後までやろうぜ!」
「全くそこで気絶でもしてればお前も楽だったのに」
「お前の貧弱な拳で俺が倒れるはずないだろ、自惚れるな」
「わかった、決着はしっかりつけよう、真剣勝負なんでしたよね?」
「おうよ」
二人の間の空気が変わる。周りにいた新兵たちもその二人の本気の圧に気づき手を止め、二人に注目し始めた。
ウィリアムとビンス。互いに視線が交わると両方とも駆け出した。この二人の激突。強くなるための訓練には混ざってはいけない気が混ざっていた。
二人の距離が近づき衝突の時は訪れる。
しかし。
二人の互いの拳はそれぞれ相手に届く前にひとりの男によって完全に止められていた。
「はい、そこまでな、お二人さん」
二人の間に割って入っていたのはグゼン・セセイというエリザの精鋭騎士だった。二人は彼に掴まれている腕を振り払おうと力を入れるが、とんでもない怪力で、二人の腕は少しも動かなかった。
「いいね、ただの訓練でそこまで熱くなれるならお前ら二人は騎士に向いてる」
グゼンは二人の腕を離し、解放した。二人はこれ以上争う気力は削がれていた。今、動いたとしてもこの男にすぐまた拘束されるとわかっていたからだ。
「二人とも大丈夫?」
赤い髪のマイラという女性が後ろからやってくる。
「シオルド、マイラ、二人を医務室に連れて行ってくれ、確か今白持ちもいるはずだから、すぐ治せる」
「わかった、じゃあ、新兵たちのことは任せたぞ」
「ああ、もちろんだ」
グゼンは、シオルドとマイラに肩を貸される二人の後ろ姿を見送った。その後は他の新兵たちには続けてくれと指示を出し、訓練を続行させていた。
「なんだよ、面白え奴らじゃねぇか、俺は気に入ったぜ」
グゼンはひとり嬉しそうにそう呟いていた。