朝の食堂 噂のあいつ
「へえ、それで、シオルドは、昨日、やつと話したのか」
第一騎士寮の敷地の近くにある豪華な食堂の中で、グゼンが隣に座っていたシオルドに語り掛けた。
「ん?ああ、まあね、ハルさんたちが連れてきた新兵たちの件でちょっとね……ていうかハルさんのこと、やつっていうなよ失礼だろ」
シオルドが朝食に脂が光る肉とみずみずしい野菜を挟んだパンにかぶりつく。
「どんな感じだった。まさに元剣聖で英雄様って感じだったか?そうだろ?」
鋭い目つきと、透き通ったさらさらの金髪のグゼンは、朝食そっちのけで、シオルドに質問する。
「…………」
シオルドは、彼の質問に答える前に、もぐもぐと、口の中に広がる肉汁と、シャキシャキの野菜と、ふわふわのパンの三つが合わさった、美味しい朝食を堪能するのに集中していた。
「俺たちも精鋭騎士だけどよ、剣聖になるやつって、たいてい偉そうだろ?」
「グゼン、剣聖は偉そうなんじゃなくて、偉いんだよ、朝だからって、ちゃんと頭を使ってくれ」
剣聖は国家の防衛に関わる軍事面で最高峰の地位にあった。そのため、王国の防衛などの政治にも口出しができる立場にあった。
各国での剣聖の立ち位置に多少のずれはあるが、剣聖の称号を授かるだけで、騎士からその地位は一気に跳ね上がり、上位貴族たちより上にいる三大貴族、もしくはさらにその上の王族たちと肩を並べるまでの地位に置く国もあった。
そんな剣聖の称号はやはり別格であり、全騎士の憧れでもあった。
「はぁ…俺も分かってる、分かってるけどよ、昨日のお前も見ただろ?奴があのライキルっ美人な姉ちゃんとイチャイチャしながら歩いてるの」
「ああ、はいはい…そのことね、でもそれがどうかしたの?」
パンを頬張りながらグゼンの話しに耳を貸す。
「あいつ、あんないい女連れまわしてんのに、うちのガルナにまで手を出そうとしてるって噂なんだぜ?許せなくない?許せないよな?」
シオルドは、グゼンの話しを半分に聞きながら、一個目のパンを食べ終わると、次のパンに手を伸ばす。
「許すも何もそんなの当の本人たち次第でしょ、それに、ほら、マイラも言ってただろ、ハルさんは剣聖で特別だから、一気に大勢娶れるって」
「なあ、その話ってマジなのか?」
「多分合ってるよ、マイラはレイドの法には詳しいし、士官学校でも座学は一番って言ってたし」
「くそ、なんだってんだ!」
イライラしているグゼンを横目に、シオルドは美味しいパンを食べ続ける。不機嫌な男の隣で平然と朝食を取り続ける男。二人は、しばらく会話もしないで、ひとりは、ぶつぶつと不平不満をこぼし、もうひとりはおかわりをして追加のパンを取って来ていた。
そこでイライラしているグゼンの前に、ついでにとってきたパンをおいてやりながら彼に尋ねた。
「グゼンは、副団長のことが好きなの?」
「………な、何だよ急に!」
腹を立て、眉間にしわを寄せていたグゼンの表情が緩み恥じらうように少し赤くなる。
「別に急じゃないんだけど、なんならさっきずっとその筋の話ししてたよね」
「は、はあ?好きとか…お前はガキかよ!」
「グゼン、好きにガキも何もないでしょ、その考え方のほうが子供っぽいよ」
シオルドが言った後に、グゼンはあっけに取られたような顔をしていたが、すぐにその後立ち上がって溜まっていた思いを吐き出すように叫んだ。
「お、俺は!俺はだなぁ!」
興奮気味に立ち上がる熱くなったグゼンを、シオルドが冷静に見上げた時だった。
「あ、二人ともこんなところにいたんですね!」
温度差のある二人の前に現れたのは、マイラだった。短く切りそろえられた赤い髪を軽快に揺らしてやって来た彼女の手にも朝食が乗った木のプレートが握られていた。
「なんだ、マイラか、こっちは今、男同士で熱い話をしてる最中なんだ、お前は邪魔だからどっか行ってくれ」
一気に冷めたグゼンは席について、シオルドが取って来た朝食のパンを手に取って齧った。
「マイラ、ほら、ここに座ってグゼンの相手をしてやってくれ、俺は美味しいパンを食べるのに忙しいんだ」
シオルドがグゼンからひとつ席を離れてスペースを作った。
「ありがとうございます。あ、シオルドさんもそのパン選んだんですね!それ今日のおすすめでしたもんね!」
マイラが遠慮なしにグゼンとシオルドの間に割って入って座った。
「美味いよ、ちなみにこれはもうおかわりだからね」
「シオルドさん、そんなに食べて午前中動けるんですか?」
「多分、少し休憩してからいくかも」
「アハハハハ、ダメじゃないですか!」
間にマイラが入るだけで雰囲気がガラッと変わった。グゼンは先ほどの話しが不完全燃焼で終わってしまい、再び、不機嫌な顔に戻り、ただただ、美味しいパンを齧り続けていた。
「グゼンさん、どうしたんですか?そんなむすっとした顔をして、そのパン口に合いませんでしたか?」
「はぁ、ちげえよ、いいから黙って食え、午前の訓練お前だけおいてくぞ」
そう言ったグゼンの皿の上には何もなかった。
「ええ!待ってください、すぐに食べますから!」
マイラが素早く手を動かしパンにかぶりつくが一口がとても小さかった。それにもぐもぐとシオルド以上に長く噛んでいたので、彼女の皿の上のパンがなくなるのはいったいいつになるのかといった感じだった。
「まったく…俺は先に外に出てる。あと、シオルド、昼食と夕食は驕るから」
別にいいのにとシオルドがおかわりのパンを食べなが言う。
「グゼンさん、私も奢ってもらえますか!?」
「バーカ、シオルドだけだ。お前は早く起きることと、早く飯食うことを覚えろ」
「そんな、早食いは身体によくないって、言われてるのに…」
しょんぼりするマイラと相変わらず朝食のパンに夢中のシオルドをおいて、グゼンはひとり食堂を後にしていった。
食堂で二人になったマイラが、シオルドに尋ねた。
「シオルドさん、さっき、二人で何を話していたんですか?」
シオルドはグゼンの時とは違い、ちゃんと食べるのをやめて、彼女に答えてあげた。
「ハルさんとか、副団長の話しだよ。ほら、グゼン、あいつは副団長のこと好きだろ。だから今の状況が気に入らないんだよ。ハルさんと副団長ができてるって噂とか」
「ふーん、そんなこと話してたんですね。でも、私、ハルさんとガルナさんはお似合いだと思うんですけど…」
彼女の発言で、シオルドは一瞬時が止まった。だが、その後すぐに表情が崩れた。
「フフッ、アハハハハ!うん、マイラから見ればそう思うだろうね、いや、そう思いたいかな?」
そこでシオルドが悪戯ぽっく笑いながら言うと、マイラの顔は少し赤くなり恥ずかしそうに照れていた。
「シオルドさん、どうすれば、グゼンさんに振り向いてもらえますかね?」
「難しいな、あいつ、まっすぐで熱い奴だからな、そう簡単に副団長のこと諦めないだろうな」
「ですよね…」
落ち込むマイラ。
しかし、シオルドは彼女が悲観する必要は特にないと思っていた。それは騎士たちの間で面白い噂話が流れていたからだった。
その内容は、元剣聖と副団長が仲よさそうに手を繋いでいただの、抱きしめ合っているところを見たなど信憑性は低いが、そのような噂が騎士たちの間では広まっていた。火のない所に煙は立たない。色恋ざたの噂は広まるのが早い。だが、噂が本当かは五分五分だった。
『ありえるかもしれないんだけど、だけどそうなると本当に同時に二人を?』
「シオルドさん何かいい案思い浮かびましたか?こう、グゼンさんを私にばちん!と振る向かせる方法」
「うーん、そのままでいいのかもしれない」
「どういうことですか?」
もし、彼が二人と付き合うなら、グゼンもガルナを諦めるしかない。そうなるとマイラが打つ手は今のところ何もなく、ただ待つしかない。
「時が解決してくれるってこと」
「ええ、そんな!!」
焦る彼女とは反対に余裕そうなシオルドが残りのパンを食べ始めた。
「待つことも大事だよ、大丈夫、きっとうまくいく、心配しなくていい」
その言葉にマイラはむすっとした表情をする。ついさっきのグゼンと一緒だった。
「はあ、これだから既婚者は余裕があっていいですね」
「まあね」
さらっと返されたマイラはさらにむすっと怒って無言でパンを食べ始めた。そんな彼女にごめんと謝ってなだめシオルドは事なきを得た。
それから、朝食を終えたシオルドは食器をかたずけに席から立ち上がった。
「よし、じゃあ、俺も行くからマイラはゆっくり朝食を味わってね」
「そんな、おいてかないでくださいよ」
マイラは口にパンをたくさん頬張っていた。
「あ、そうだ、グゼンには言い忘れてたけど、今日の午後お昼が終ったら城の会議室に集合だって、ハルさんが連れてきた新兵たちの件で話があるんだって」
「はい、分かりました、今日ですね」
「うん、それじゃあよろしく」
シオルドは、それだけ伝えると、食器をかたずけ、食堂の外にでた。
外は、銀色の雲が、ところどころに浮かんでいたが、外の日差しの強さと暑さはいつもと同じく、燦々とこの古城アイビーに降り注いでいた。
そんな中、シオルドは、彼らのことを思うと小さく笑った。
「フフッ、そうだよな、大変だよな、分かる、分かる」
蒸し暑い日差しの中を、シオルドは第二運動場を目指して歩いていった。