稽古と思い
今日も一日の終わりがやって来る。夕暮れ前の空を眺めながら、待ち合わせ場所の第三運動場に、ハルはひとり、訓練用の剣や防具を準備した状態で、突っ立っていた。
待っている間、何から話そうか頭の中を整理していた。ガルナのことやアザリアのこと、新兵たちのことや、これからのことなど、半日ほど会ってないだけで、話したいことはたくさん溜まっていた。
『ライキル、今日はどんな訓練してたのかな、無理してないといいんだけど…あ、昼はちゃんと食べたのかな…』
ライキルに対するいくつもの不安がこの時、ハルの中では渦巻いていた。今までも心配することは何度もあったが、最近は輪をかけて彼女に対して過保護のような感情を抱いている自分がいることにハル自信も気づいていた。
あんまり、心配しすぎるのも、ライキルに嫌われそうだと分かっていたが、お互いの関係を前に進めたことにより、独占欲のようなものが働いているのだろう。
こうして待っている間もハルの頭の中は彼女のことでいっぱいだった。
『それにしても半日会えないだけで、こんな気持ちになってしまうなんて…ライキルに笑われそうだな』
意識を完全に彼女のことに向けていたハルだったが、誰かが走って来る足音がハルの方に聞こえてくると、嬉しさで少し笑みがこぼれてしまった。そのこぼれた笑みはデレデレとした緩い笑顔だったが、走って来る彼女の方を振り向くときには、いつも人に安心感を与える優しい笑顔に戻していた。彼女の前では少しでもカッコつけたかったのかもしれない。
「ハル、ごめんなさい、待たせてしまって!」
ハルの目の前には将来の婚約者である愛しのライキルがいた。金色の長い髪を揺らし、薄い黒の半袖を着て、下は騎士服の白い長ズボン姿であった。露出された腕は鍛えられた引き締まった筋肉で構成されおり、うっすらと全身から汗をかいてることから直前まで訓練をしていたことが予想できた。
「全然待ってないよ、それより、ライキル、疲れてない?大丈夫?」
「はい、大丈夫ですよ、この時のために今日はメニューをゆっくり進めて体力を温存しながらやったので、今はとっても元気です」
「それは良かったよ」
「ええ、今、私は絶好調なので、ハルも倒せるかもしれません!」
「そっか、期待してる」
彼女に会い、そして、笑顔を見たらさっきまで抱えていたもやもやはどこかにいってしまっていた。
『そうだ、今日は剣の稽古をライキルはしに来てるんだ。おしゃべりしに来たんじゃない。はあ…ハルよ、浮かれるな、舞い上がるな』
自分の勘違いっぷりを叱り、すぐにライキルの稽古の準備を始めることにした。
「じゃあ、さっそく、防具をつけてこの訓練用の剣を持ってもらうよ」
「はい!ハル先生!」
「…先生はよして欲しいなぁ…なんか違う気がするから…」
「いいじゃないですか、ハル先生、素敵な響きです」
ライキルに先生と呼ばれるのはどこか、少し変な感じして恥ずかしかった。いつも名前で呼び合っているからだろう違和感があったのだ。エウスに、エウス会長というのと同じ感覚なのだろう。ちなみに彼にそう言うと、ニヤニヤしてどこか腹立たしく感じるので、正式な場所以外では会長とは呼んであげていない。
「ううん、それだったら俺も道場のじいちゃんみたいに師範とかの方が…」
「分かりました、ハル先生!」
「え?あれ?」
ハルがからかわれている間に、ライキルは手際よく防具を身に着け、訓練用の木の剣を握り、少し距離を取った。
「準備が終りました。ハル先生!」
「よし、じゃあ、最初は自由に打ってきていいよ!」
呼び方に関してハルはもうあきらめて、さっそく稽古を始めることにした。
ハルが木の剣を持って構えると、ライキルも剣を構え、お互いの戦闘態勢が整った。
そして、訓練が始まった。
が、その時だった。
「ハル、その…」
「ん、どうしたぁ?」
「あ、えっと…」
ライキルがこちらをジッと見つめてきて何か言いたそうだった。さらに先ほどの元気な様子とは変わり彼女は少し不安そうな表情をしていた。何かあったのかと思ったが、次の瞬間には彼女のなんでもないという返事と共に、再び剣を構えて戦闘態勢を取り直していた。
「よし、じゃあ、始め!」
最初にライキルが全速力で距離を詰めて来る。さすがに、ガルナのように初手から一撃必殺の死剣の構えではなく、王剣に分類される正当な距離の詰め方だった。両者の違いは隙の大きさであり、王剣は戦場の中で育った剣であり周囲に気を配り、変化に臨機応変に対応できる距離の詰め方であり、反対に、死剣は一撃必殺の暗殺剣、対象に一目散に最短で向かい仕留める剣であり、移動中は視野が狭くなり隙が大きい。力量の問題もあるが実力差が開いているときは、ライキルの様に王剣のスタイルでの接近が好ましかった。
「はあああああああ!!!」
ライキルが木の剣を全力で振るう。ハルはその剣撃を的確でかつ最小限の動きの防御で防いでいく。彼女の剣撃の重さはガルナと戦った時よりは少し軽いが(軽いといってもガルナと引けを取らない力の強さは大したものなのだが…)剣を斬り込む斬道や、剣を振るう繋ぎかた、つまり、隙の無さはよく考えられていた。ここはガルナには無い彼女の秀でている部分だった。
『うん、いい繋ぎだ、よく訓練している証だ…』
必死に繰り出すライキルの攻撃を、ハルはしっかり分析し見極めながら、防ぎ受け流していく。そこからハルは、彼女の剣や動きの癖を探っていく。それらの彼女自身も気づかない無意識の弱点を見つけてあげれば、次のステージにどんどん進んで行けるのだ。ハルはそこら辺を戦闘中に見つけ出すのが得意だった。
しばらく、打ち合ったため、次にハルは攻撃に転じてライキルがどのように防御するか見ることにした。
「ライキル、今度は俺から行くから、防いで見てくれ」
はい!とライキルが短く返事を返してくれた。
***
ライキルが久しぶりにハルと打ち合って分かったことは、やはり、彼の実力が底知れないということだった。ライキルだって騎士であり、まだ精鋭には届かなくても実力はあると自負していたが、ハルと打ち合うと、勝てるイメージは浮かばなかった。どこに剣を振るっても、突き出しても、まるで未来を見通してるかのように、先回りされて防がれてしまう。
そして、今度はハルが攻めて来る番であり、ライキルは攻める時以上に集中した。攻める時よりも相手の攻撃を防ぐ方が高度な技術が必要だった。
『どこまで受けれるか分からないけど、少しでもハルに認めてもらえるように…』
ほどなくして、ハルから剣撃が飛んできた。どれも受け流しずらく、一撃一撃が重かった。そのため、気を抜けば、剣が手から吹き飛ばされそうだった。
「うん、いいよ、ライキルその調子!」
ハルの語り掛ける声で一瞬気を抜いてしまいそうになるライキルだったが、そこは自分が騎士であることを自覚して、鋭い目つきで周囲から襲いかかって来る剣を、ぎりぎりで受けていく。反撃の隙はまるで無い。気を抜けばすぐに決着がつく。が、ハルの剣撃はさらに早く重くなっていく。
『このままだと、終わっちゃう。だったら…』
ハルは、ライキルがどれくらい防御できるか見ていた。最初はゆっくりで防ぎにくい軌道の剣で、そこから次第に速度と力を加えて限界を図っていくやり方だった。精鋭騎士であるガルナの時は荒っぽくやったが、ライキルには順々に、力を上げていった。
防御や回避を見ていれば、相手の実力はだいたい把握できるため、ハルなりの実力の測り方のひとつだった。
『よし、ライキルはここら辺か、だいぶ強くなったな、じゃあ、一気に力加減はそのままで、スピードを上げていくか…』
ハルがスピードを上げようとした時だった。周囲の空気がわずかに下がったような、冷たい空気が肌に触れた気がした。
「お!?」
木の剣がハルの顔面めがけて飛んで来る。狙いは目で視覚を奪うのが目的なのだろう。これは効果的で良い攻撃だった。まず、そこらの騎士じゃ、この不意の奇襲攻撃を防げる者や回避できる者はいないだろう。
そして、そんな木の剣の柄の先には、目を血走らせ本気で殺しに来ているライキルがいた。完全にこちらの命を奪いに来ている目だった。
しかし。
ハルはほんとに当たり前の様にあっさりと、彼女のその剣技を受け流し、挙句の果てに彼女の持っていた剣を弾き飛ばしてしまった。
「うわわ!?」
体勢が崩れ倒れてきたライキルをハルは包み込むようにキャッチした。そしてハルは自分の胸に顔をうずめているライキルに言った。
「ライキル、凄いよ、今の死剣でしょ?」
胸の中にいるライキルに語りかけると、彼女は顔を上げて、申し訳なさそうな暗い表情をしていた。
「はい、そうなんですが、そのごめんなさい…私、ハルに認めてもらいたくて、背伸びして、死剣を使ってしまいました…」
「ちゃんと形も入りも完璧だった!」
「えっと、ハル、私、死剣を使ってしまったんですけど…」
「うん、とっても良かったよ、誰にいつ教わったの?」
「…私、ハルのこと、殺そうとしたんですよ?」
彼女は頬を膨らませて怒った表情をしていた。怒る理由はなんとなく理解できて、それはハルに向けられたというより、ライキルが自分自身に向けての怒りだのだが、昨日のこと、つまりガルナのことを思い出すと、彼女が別に自分を責める必要は全くなった。なぜなら。
「ああ、昨日、ガルナの初撃が死剣だったから、そのね?…大丈夫っていうか経験済みっていうか…」
「そうだったんですか!?…ていうか、死剣って対人訓練で放つ技じゃないんですよ!」
「でも、ライキルもさっき使ってたよね?」
「…う、だってそれは、ハルに失望されたくなかったっていうか、隣に立つ者…ほら、私、ハルの婚約者として、認められたいっていうか、恥の無い騎士になりたいと思って…あ、でも、ほんとに技を当てるつもりは最初からなくて途中で止めるつもりだったんです…」
小さな声でかつ早口で喋るライキル。彼女の言いたいことがなんとなく分かったハルは、その時点で嬉しい気持ちが胸の中を満たしていた。
「そっか、ありがとう、俺もライキルに好かれ続けるように頑張るから…」
「え!ああ…フフッ!」突然のハルの告白にライキルも驚くが「ハルってば、嬉しいこと言ってくれますね!」
胸の中にいる、ライキルは、相変わらず綺麗な顔で可愛らしい笑顔を浮かべていた。そんな彼女を一回だけ優しく撫でると、気持ちよさそうに目を閉じた。
それと同時にハルは思う。
『君たちには苦労をかける…でも、必ず幸せにするから……』
ライキルのことを想う、ただ、そこにはガルナもいて、ハルは二人の幸せのことを考える。これからどうしたら二人が笑って過ごしてくれるか考える。
ライキルとはもっとたくさん話そう、ガルナにはもっとたくさん構ってあげよう。
それが二人の幸せに繋がるかは分からないけど、できる限り、そばにいてあげよう…。
そして。
『アザリア…君には必ず会いに行く…』
遠いところにいる愛する人の笑顔だった姿を最後に思い出す。小さな木の家に二人で過ごして、絶え間ない幸せに浸かっていたあの果てしなく遠く感じる記憶を懐かしく思う。
抱きしめて、抱きしめられて、構って欲しくてちょっかいをかけると、めんどくさそうに笑う君がいて…。
全てが二人で完結していて、そこは完璧な空間だった。
幸せだけが満ちた世界が確かにそこにはあった。
そんなどこか全く分からないけれど確かに存在した幸せの日々をハルは決して…。
『忘れない…』
記憶の渦から戻ってきたハルはいつの間にかぎゅっと抱きしめられていたライキルの腕を名残惜しくはあったが自分の身体からそっと離した。
「よし、ライキル、稽古の続きを始めようか!」
「はーい…」と残念そうな返事をする彼女に、ハルはますます、愛おしいなと思うが、時間も迫っていたので、二人はすぐに稽古を再開した。
その後、二人は日が暮れるまで剣を交え続けた。辺りがすっかり暗くなると稽古を終えて、ハルとライキルは荷物をかたずけ、古城アイビーの本館に帰宅するために二人で歩き出した。