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緩やかな変化

 ハルは久しぶりに朝の遅い時間帯に起床した。

 ベットの上でひとつあくびをしてから窓の外を見る。日は高く登っており、大きな雲が流れ、何度もハルの部屋に日陰を作っていた。


「…………」


 眠たい目をこすりながら、寝巻を、軍が採用する丈夫な服である騎士服に着替える。着替えたあとは外に出るために身支度を整える。洗面所に行き、歯を磨き、寝癖を直し、顔を洗い、誰に会ってもいいように、ありとあらゆる準備をする。


「まだ、昼前だよな、急がなきゃ…」


 古城アイビーの東館の一階にある洗面から角部屋の自室に戻る。部屋の中には弐枚刃と呼ばれる二つの大太刀がただ主に振るわれるのを待っていた。

 しかし、ハルは自室でその弐枚刃の大太刀を見向きもしない。持ち出すのはエウスから借りている新兵たちの資料だけ。


「急げ、急げ…」


 ハルは自室を出て、第一運動場に向かう。いつもは朝食などの用や西館のキッチンに用があるが、ただ、運動場に向かうなら、東館から中庭に直接出る道の方が近かった。

 東館の通路を真っ直ぐ進み、中庭に出る。

 外に出ると夏の暑さを肌で感じた。まだ、蒸し暑いまではいかない、からっとした暑さだが、日差しの中にいるのは控えたい暑さだった。


「暑いな…」


 ハルが城の中庭を抜けて、運動場に繋がる階段の前まで来る。その階段の上から運動場を一望するとすでに新兵たちが走り込みの訓練をしていた。運動場を周回する新兵たちの中にはエウスの姿もあり、彼らと共に汗を流していた。

 ハルは急いでもう設置されているテントに向かった。


「あ、ハル団長、おはようございます!」


 テントの中にハルが入ると共にビナの元気のいい挨拶が飛んできた。彼女は簡単に設置できる長椅子に座っており、新兵たちの様子を見守っていた。基本的に走り込みの朝のこの時間は、ケガ人や倒れた人を運ぶために待機しているのがこのテントでのハルとビナの役目だった。


「おはよう、ビナ、ごめん、遅くなって」


「大丈夫ですよ、まだ、何も始まっていないようなものですから、それより、ハル団長。朝、何か食べましたか?」


 急いで部屋を飛び出してきたハルは当然朝食など取ってはいない。


「ううん、取ってない、急いでたから」


 ハルもビナの隣に腰を下ろして、新兵たちを見守った。その間、資料を見ながらあの子は誰だっけと記憶を呼び起こすことを並行する。


「朝食とって来ても大丈夫ですよ、まだ始まったばっかでやることないですから」


「いや、いいよ、遅れてきた罰として朝食は抜き」


「ええ、ハル団長、別に無理しなくていいんですよ、付き合ってもらってるのこっちなんですから」


 ビナが心配そうにこちらを覗いている。そんな優しさに屈せずハルは頑なになる。


「朝食は抜き、これは決定」


「じゃあ、私、城のキッチンに行って朝食もらってきますね」


 当たり前の様に席を立つ、ビナ。


「ちょっと待って、それはビナの分かな?」


「いえ、ハル団長の朝食です。私たちはもう先に頂いたので」


 ハルは一瞬あっけにとられたがすぐにビナを座らせた。


「ビナ、一回、座って、座って」


「はい…?」


 どうしたんだろうと疑問に思いながら長椅子に座り直す彼女。


「朝食は誰々がいた?いつも通り、中庭で取ったの?それとも西館の食堂?」


「あ、はい、朝食はいつも通り中庭で、ハル団長が来なかったので、先にみんなで取りました。起こそうって話しにもなったんですけど、ライキルが寝かせてあげようって」


「…そう…」


「どうかしました?」


 ハルは首を横に振って、なんでもないよと一言いった。それからハルは次々と話題を投げかけて彼女の意識をそらし続けた。気が付けばすっかりノリノリで話すビナがいた。今朝はたいして変わったことは何もなく、いつもと変わらない日常だったようで、変わったことと言えば、ハルが起きて来ないことぐらいのようだった。

 ハルは新兵たちが運動場を周回して走るのを見守りながら、ビナの話しに耳を傾ける。


「それでですね、私、昨日の午後はずっと運動場で新兵たちを見てあげていたんです。あ、それで、思い出したんですけど、ハル団長、私やエウスたちにはいつ稽古をつける時間が取れますか?」


「ああ、それは明日からとかでいいかな?今日の午後もちょっと先約がいて…」


 ハルがビナと会話していると、誰かがテントに向かってくる、足音が聞こえた。

 会話を一時中断し、ハルとビナが後ろを振り向く。少し遅れてテントに近づいて来ていた者正体が判明した。


「デイラス団長、おはようございます」


「おお、ハル剣聖、おはよう、どうかね、未来の精鋭騎士たちの様子は」


 デイラス・オリア。彼はこの古城アイビーを拠点に、エリザ騎士団を総まとめしている団長だ。見た目からすでに戦闘に臨むような体型はしていないが、エリザ騎士団の団長にまで上り詰めた男、実力は相当あったのだろう。しかし、今は、昔に積んだ経験を活かして、活躍していることが想像できるような人物だ。

 騎士団は、腕の立つ者が絶対に必要だが、全体を動かす脳の役割を果たす者や象徴となる者など、戦闘以外にも必要な要素というのはありふれている。そのため、騎士団によって組織の雰囲気や特徴はさまざまだ。

 デイラスがまとめるこのエリザ騎士団は、彼を中心に効率的に、規則正しく動いているイメージがあった。ひとりの副団長を除けばだが…。しかしそれすらもデイラスという男の手中の中なのかと考えられてしまえるような末恐ろしさはあった。


「みんな、着実に力はついて来ています。現在も厳しい走り込みの訓練で基準を達成できていない子はいませんから、相当優秀です」


「ハッハッハッ、それは素晴らしいな、将来、エリザ騎士団にもこの中から誰かを迎え入れたいものだ!」


 デイラスが嬉しそうに笑った後、ビナがいることにも気づき、挨拶をした。


「ビナさんもおはよう、いい朝ですな」


「お、おはようございます…」


 軽快に喋っていたビナは急に黙り込んでしまう。彼女はデイラスのような偉い人の前だと緊張してしまう癖があった。

 ただ、デイラスはそのことをすでに知っており、毎回、ビナがいる時は、小動物を安心させるように優しく丁寧な言葉遣いを使って警戒を解いていた。というより、デイラスは誰にでも礼儀正しく友好的で怒っているところを見たことが無い。


「それと、もう一人外にいるのは誰ですか?」


 デイラスの後には、銀髪のハルと同い年くらいの青年が立っていた。


「ああ、彼はシオルド・イノセンだ。エリザ騎士団の精鋭騎士だ」


 デイラスに紹介されると、感じの良さそうな彼がテントに入ってきて挨拶をした。


「初めまして、ハル・シアード・レイさん、お会いできて光栄です。団長から紹介があった通りシオルドと申します。以後お見知りおきを」


 彼が握手を求めて来たのでハルも相手に手を差し出す。


「初めまして、あ、それとハルでいいですよ、みんなそう呼んでます」


「分かりました、ハルさん、それでは私のこともシオルドと呼んでください」


 一通り挨拶を交わすと、彼はビナとも挨拶をしていた。ビナは緊張で話を聞いておらず、シオルドも何か偉い人なのかとガチガチになって挨拶をしていた。


「それでデイラス団長、ここへはどういったご用で来たのですか?」


 ハルは二人がここへ来た理由を尋ねた。


「おお、そうだったな。ふむ、それではまず一つ目から、ここへ来た理由は新兵たちのことできた」


「新兵たちのことですか?」


「そうだ、エウス隊長に話しがあって来たんだ」


 デイラスが運動場を周回しているエウスに目をやった。


「呼んできましょうか?」


「ああ、いいんだ。こっちは急ぎの用ではないし、邪魔をするわけにはいかないからな、それに新兵たちの方は本題ではないんだ」


「と言いますと?」


 ハルが尋ねると、デイラスが一通の手紙を内ポケットから取り出した。すでに開封済みだったが封蝋が獅子と剣の印が刻まれており、レイド王国の軍から送られてきたものだと分かった。


「神獣討伐に関する報告書が届いていた」


「………」


「ハル剣聖も中身を確認して欲しい」


 デイラスからハルが手紙を受け取る。

 ハルが手紙を読んでいる間、デイラスが手紙の概要をざっくりと説明した。


「解放祭で行われた、両国の王を交えての軍事会議があったことは聞いた。そこでハル剣聖が要求した新たな提案は認められ進める方針になったそうだ。というより、なんでも最初からそのつもりで六大国が動いていてくれたらしいから、心配はないようだよ」


「そうでしたか、良かったです」


 ハルが手紙を読み進めていく。書いている内容はどれも白虎討伐前にレイド王国と協議して決めたものだった。内容は四大神獣討伐作戦の概要と必要最低限のハルへのルールつまり制限などが載っていた。他の大国が協力すると言っても作戦時に裏切られてハルを軍事利用されて国を侵略されてはたまったものではなく、ある程度の制限は未だにハルには課されていた。ただ、四大神獣を討伐する前よりはだいぶ制限の緩いものになっているのは、白虎討伐の功績が大きかったのだろう。

 そのような内容が書かれている手紙を、ハルが真剣に確認していると、ビナがハルの裾を引っ張って来た。


「どうした?」


 手紙から目線を外して、彼女を見る。


「その、ハル団長は会議で何を頼んだんですか?」


「ああ、別に特別なことじゃないよ…」


 ハルは手紙に視線を戻して続きを読みながら答えた。


「黒龍討伐の際の避難区域を各国にもっと広げてもらうように頼んだだけ」


 ビナは納得した顔をで頷いた。


「そ、そうですよね、今度は白虎みたいに地上じゃなくて、空を飛ぶ、龍ですからね!」


「…そうだね……」



 ハルが手紙を読み終わると同時に、汗だくになったエウスがテントの中に入ってきた。


「あれ、デイラス団長いらっしゃってたんですか!?」


「やあ、エウス、いい汗をかいているね」


「って、あれ!?シオルドさんもどうしてここに!?」


 休む間もなくテントにいる意外な人物たちにエウスは驚き続けていた。

 そんな息を切らしているエウスにビナが水を差し出すと彼は礼を言って受けとる。


「やあ、エウスさん、少し休んだら話があるんだけどいいかい?」


 シオルドがエウスに語り掛ける。


「ええ、もちろん、いいですよ」


 二人が奥のテントの長椅子に行って腰を下ろす。そして、何かを話し出した。ビナも二人の方に行ってその会話を聞きに行っていた。


 手紙を読み終えたハルにデイラス団長が声を掛ける。


「ハル剣聖、さっきの新兵たちのことについてに話しておくと、これからはハル剣聖、あなたの負担を減らすために、何人かあのシオルドを中心とした訓練に君たちの新兵は参加してもらう。つまりだな第一運動場から何人か第二運動場に来てもらうということだ」


 第二運動場は現在、エリザ騎士団の精鋭騎士が訓練している場所であった。


「すまないね、ハル剣聖が団長ということだが、エウスが中心に新兵は鍛えていると聞いてね」


「まあ、実際にそうですね、新兵たちに一番詳しいのはエウスです」


「ふむ、それでハル剣聖には、これから、黒龍の方に集中してもらうために、たっぷり時間を作って…」


 デイラスがそう言いかけた時だった。


「デイラス団長、あなたの意見に反対するのは愚かだと思うのですが、俺は新兵たちのことをぎりぎりまで見てやりたいと思っています…」


「!?」


 ハルの必死の訴えにデイラスは驚いた表情をした。


 みんなに自ら指導していくこと、これだけは譲りたくなかった。昔から引きずっていた小さな過去からも抜け出しこれからというところだったのだ。


 指導は無駄に終わるかもしれない。ただただ、作戦当日までの貴重な時間を浪費するだけかもしれない。みんなに教えるのをやめて、自分の訓練に集中すれば、作戦の勝率が上がるかもしれない。

 しかし、それでも、ハルは、最後まで自分の手で周りのみんなの手助けをしておきたいと思っていた。

 それはハルの中で一番、作戦当日までに自分の最善の行動だと思っていたからだ。もちろん、黒龍討伐作戦に関することも同時並行に進めていくつもりだ。だが、ここで、指導をやめるとなると、きっとまた後悔するし、与えられた団長という役目をできるところまでは果たしたかった。みんなの顔もやっとわかってきて、これからだったのだ。

 それに…。


『黒龍に関してはもう……』


 ハルは手紙に書いてあった避難区域の拡大の了承についての内容を思い出す。


 ハルが下を向いているとデイラスが声をかけてくれた。


「ああ、そういうことならハル剣聖は引き続き新兵を見てもらっても構わないぞ!」


「え、いいんですか?」


「もちろん、私はハル剣聖の意思を尊重したいからね。ただ、そこであなたが最近多忙だと聞いてね、無理をしてないか心配だったんだ」


「あれ、黒龍に関する招集があったり、何か時間が必要とかではないんですか?」


「あ、いや、そういったことは特にないんだ。ただ、ハル剣聖には時間があったほうがいいと思ってな。私からの勝手な提案だったんだが、いらない心配だったかな?」


 要するにデイラスの個人的な心配で、強制招集などがあるわけではないとのことだった。

 ハルは安心して胸を撫で下ろした。


「いえ、お気遣い感謝します、デイラス団長」


 ハルの言葉に、彼はニコニコしながら頷いていた。


「だが、ハル剣聖、あなたたちの新兵を少しばかり第二運動場にいるエリザの元で指導しても良いかな?」


「ええ、それは俺もエウスも構いませんが、どうしてですか?」


「ふむ、そうだな、本来、受け入れた新兵の教育は、私たちがやるはずだったんだ。しかしな、白虎の件でそこまで手が回らなかったからこうしてハル剣聖たちに迷惑をかけることになってしまっていたんだ」


 白虎討伐前はどの騎士団も住民の避難や巡回、街周辺の視察など、四大神獣討伐作戦に向けて大忙しだった。


「だが、白虎も討伐され、我々エリザ騎士団の役目はだいぶ落ち着いた。つまり手が空いている者が出てきたということなんだ。だから、新兵たちの訓練少し我がエリザ騎士団にやらせてもらえないだろうか?」


「そういうことなら構いません。ですが、そこに俺も顔を出していいですか?」


「ああ、もちろん、みんな喜ぶよ」


「ありがとうございます」



 それから、デイラスとシオルドは、ハルとエウスと話し終わると、第一運動場を後にして行った。

 テントには走り終えた新兵たちが次々と帰って来ていた。


「どうやって新兵たちを分ける?」


 その最中、ハルは隣にいたエウスに、エリザ騎士団の方に送る新兵たちのことを尋ねた。


「俺にいい案がある、午前はこっち午後はあっちに行ってもらう。そうすれば、俺たちも午後を使ってハルにいろいろ教えてもらえるからな!」


「エウス、それは責任を放り投げてない?」


「そんなことねえよ、エリザの第二運動場にいる奴らは精鋭騎士ばっかだ。それにあっちは人数も多い、正直、俺よりも教えるのが上手い奴はたくさんいるだろ。そっちの方があいつらのためになる。それに顔出していいって言われているから俺たちも足りないって思ったら、午後あっちに行って、見学なり、指導なり、あいつらにしてやればいいさ」


 エウスの意見にハルも納得する。


「そっか。まあ、新兵のみんなのことはエウスの方が熟知してるから、エウスがいいなら俺もそれに賛成するよ」


 ハルは、疲れながらも和気あいあいとしている新兵たちを見渡しながら言った。


「じゃあ、さっそく、こいつらをあっちに引き渡しますか!」


「エウス…」


 ハルはエウスをジッと睨む。


「冗談、冗談だよ、それより、ハル、今日の午後はダメなんだっけか?俺たちへの訓練の方?」


「ああ、うん、ごめん、明日からならいいけど、今日は先約がいるから、ほんとにごめん…」


 ハルは今日の午後ライキルと第三運動場で彼女とふたりで訓練をする約束をしていた。


「いや、いいよ」


 エウスはハルと肩を組むとうなだれたような体勢を取った。

 そして、ハルに囁いた。


「ライキルとよろしくやんな」


「………なんか、悪意のある言い方だな…」


「そんなことねえよ、楽しんでこいよ!」


 エウスはニヤニヤ笑っており、ハルは少し言い返せないのが悔しく、そっぽを向いていた。



 そして、第一運動場にはもう走っている者は誰もいなかった。ただ、運動場には、夏の熱風が吹いているだけだった。



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