午睡の図書館と竜剣
「今日、ハル団長が午後の途中から訓練、抜けるかもしれないってよ」
「本当か!?じゃあ、なるべく聞きたいことは早めの方がいいかもな」
他の新兵たちの会話をユーリ・メルキは、昼の食堂で食器を下げている時に耳にした。
ユーリがいるのは、新兵たちが泊まっている寮のすぐ傍にある食堂で、今はお昼休憩であるため、中は混雑を極めていた。
いくつもの縦長のテーブルが合わせられて並べられており、なるべく多くの人が食事できるようにそこには椅子が敷き詰められて、新兵やエリザの騎士たちで埋まっていた。
ユーリは混雑の中でも比較的人のいない静かなところを目指して席を狙って座ったが、昼の混雑時、そんな場所はない。静かな場所が好きなユーリは、いつも一人で素早く昼食をとって、混雑している食堂を抜けていた。ウィリアムやビンス、ラウロなんかにはよく昼食に誘われるが、この人混みで静けさの微塵もない空間である昼の食堂だけは頑なに一緒に食べるのを断っていた。ただ、夜の混雑する時間を避けるタイミングなら喜んで彼らと食事をしたりする仲ではあった。
そんなユーリは今日の午後は図書館に行って剣術などの指南書を読み漁ることにしていた。
エウスが提案した午後の自主訓練。この時間をユーリは読書に費やすことが多かった。午後の訓練を図書館で訓練に関する読書に費やせるのは、本好きで静かな場所が好きなユーリからしても好都合だった。
訓練中図書館に行ける回数は限られているが、それでも午後をそんな素敵な時間に変えてくれたエウス隊長にユーリは感謝していた。
『さて、食事もしたし、このまま今日は図書館だな』
午後、ユーリは古城アイビーから歩いて数分の距離にあるこの街唯一の大型の図書館【トロン】に足を進めた。
図書館の大きな扉の前に来ると、その扉は開きっぱなしで、建物の中に風を入れていた。
その大きく開かれた図書館の扉の中に入っていくユーリ。
中も至る所の窓が開放されており、建物の中には涼しい風が舞い込んでいた。
この時間は図書館の中の人数も平日であってまばらで、ユーリの好みの静けさが保たれた空間が広がっていた。
そこでユーリはいつも通り、訓練の時に立ち寄る、剣術に関する本が並ぶ本棚に立ち寄ろうとした時だった。
「あら、ユーリさん!」
ユーリが、目的の本棚に到着すると、そこには本を本棚に積み込んでいたエルフの女性がいた。
「フルミーナさん、こんにちは」
ユーリの目の前には、身長が2メートル半は軽く超えている、少し灰色がかった透き通った金髪で、緑の瞳を持ったとても美しく整った顔をしたエルフのフルミーナ・タンザナートがいた。
女性よりも剣と本というユーリでさえも、彼女の美しさにはついつい目がいってしまうほどだった。
「こんにちは、今日も訓練の一環なのね?」
フルミーナが手を止めて、ユーリに体ごと向きなった。
「ええ、そうです。剣術の本を読み漁りに来ました」
ユーリは休日や暇さえあればたびたびこの図書館をおとずれていた。
「そうなのね、じゃあ、今日も私が手伝ってあげるわ、気になってる本とかってあるかしら?」
「ありがとうございます。でしたらお言葉に甘えて、今日は竜剣について書かれた本が読みたくて、竜剣の基礎が書かれた本を持ってきてもらえますか?」
「竜剣…」
そこでフルミーナの表情に一瞬驚きの表情が浮かんだのが見えた。
「フルミーナさん?」
ユーリはそんな彼女を心配そうに見上げた。
「あ、なんでもないわ、はい、任せて、すぐに用意するわ、それでいつもの場所にいるのかしら?」
彼女に問われたいつもの場所とはユーリがいつも好んで座る図書館の奥の方の席だった。
「はい、いつもの場所が空いてるならそこにいます」
「わかったわ」
その後、彼女と別れたユーリは静かな本の森の中を歩いて行き、図書館の中でも比較的人が少ない奥の席に腰を下ろした。
周りに人はいない、開け放たれた窓からは、心地よい風が吹き、暖かい日差しが差し込んでくる。
他の机の上では読みかけの本を風になびかせながらうたた寝をしている人もいた。
微睡む光景がユーリの瞼も重くしていくが…。
「ユーリさん、本持ってきましたよ!」
「ん、あ…ありがとうございます」
片手で目を擦り、重たい瞼を持ち上げる。
ユーリはフルミーナから数冊の本を受け取って、ページをめくり始めた。
「それじゃあ、何かあったらまた言ってください…あ!ユーリさんが帰る時とか言ってください、私が本を片付けるので」
「わかりました。俺が帰る時は声をかけます」
「はい、それじゃあごゆっくり!」
フルミーナが去っていくと、ユーリはさっそく受け取った本に目を通していった。
「竜剣、なるほど…やっぱり、そういうことか…」
ユーリが竜剣について書かれた本を読めば読むほど、独学での習得が難しいことにユーリは気づいていく。
「あれ、この本、竜剣についてこれしか載ってない…次の見てみるか」
竜剣について記された本と言われ彼女から渡された本の数々、その中には当然、竜剣の剣術についてのことが載っていたのだがその内容は…。
「竜剣。主に竜の背に乗り振るう剣術のこと、まあ、聞いたことはある。ふむふむ、へえ、竜剣は剣術だけじゃなく、竜を乗りこなすことも同じくらい重要…訓練された竜の群れは人を空に留めるか…というより竜のことばっかで剣術のことがあまり書いてないな…」
ぶつぶつ呟きながらユーリはフルミーナが用意してくれた本を読み漁っていった。
結局、その日は竜に関する知識が増えていくだけで竜剣の根幹に関わることは何も学べなかった。
「なんか、どれも剣術のことが書かれて無かったな…フルミーナさんが選ぶ本はどれも良い本ばっかりではずれがなかったんだけどな…」
がっかりしながらも渡された本を隅々まで読んだユーリ。窓には黄昏時の黄金色の光が差し込んでおり、時間はあっという間に過ぎ去っていた。
『そろそろ、帰らなくちゃ…』
ユーリが席を立ち本を持ってフルミーナのいる図書館のカウンターに向かった。
「フルミーナさん、この本、ありがとうございました」
「ユーリさん!お疲れ様です。どうでしたか?竜について学べましたか?」
「え?ああ…竜については学べましたが、竜剣についてはあまり…」
「…そうね、竜剣は…」
ユーリはそこで言葉に詰まるフルミーナの姿を見た。
「どうかしましたか?」
どこかに意識が飛んでいたかのような彼女が、今に意識を戻し、そのことに自分でびっくりしたのか、彼女は笑っていた。
「ごめんなさい、なんでもないの…でもね、ユーリさん、これは偉大な竜剣使いの人の言葉なんだけど、竜剣の真髄は剣よりも竜にある。って言っていたの。竜剣を学ぶのであれば竜を知らなければ何も始まらないって、だから竜剣より竜に関する本を用意させてもらったの…」
そこまで聞いてユーリは納得した。たしかに竜剣は空の支配者である竜に対抗するために編み出されたもの。その竜の特性や習性を知らないで、その剣を学ぼうなど愚の骨頂だった。
『そうか、俺はただ竜剣が自分の剣の技術の向上に繋がるためならって思ってたが…考え方が甘かったな…』
ユーリがそのように納得していたが、逆に勝手にそのような意図を伝えず本を持ってきたことをフルミーナは謝っていた。
「…あ、でも、その、ほんとにごめんなさい、私の勝手な考えを押しつけちゃって…今度からはちゃんと前もって伝えますから…」
「いえ、逆に良い経験になりました。俺は早く強くなってあの人に認められるようにと焦ってました」
「あの人?」
「はい、ハル団長です」
フルミーナがなるほどといった顔をして微笑む。
「ああ、じゃあ、最近、この図書館で知識を蓄えて頑張ってたのはそういう理由だったのね?」
「はい、ハル団長が俺たち新兵の訓練にも参加してくれるようになったんで、それで…」ユーリはそこで少し言葉を区切って、「まあ、恥ずかしい話ですが」と続けた。
「そんなことないわ、十分立派よ!それにハルさん、あの人は目指すには理想の人よね!」
「目指すだけでハル団長のようになれるとは思ってませんがね」
ユーリはそこで悔しそうに笑っていた。
四大神獣の白虎をたった一人で壊滅させた英雄。ユーリからしたら魔獣白虎ですら一対一で勝てるか怪しいくらいだったからだ。
そう考えると神獣の群を相手に一人で戦ったハルの底知れなさがわかった。
「ええ、彼はちょっと私の知ってる中でも、尋常じゃない強さだからね…」
「そこはあなたなら超えられるじゃないんですか?」
ユーリは冗談混じりで真剣な顔つきのフルミーナに声をかける。気を許した相手ならユーリという青年は冗談の一つや二つは言う。
「フフッ、そうね」
それからユーリがフルミーナに本を返し終わり、図書館を出ようとカウンターを離れようとした時だった。
「あ、ユーリさん」
「はい、なんですか?」
ユーリが振り向くとそこにはどこかよそよそしく、恥ずかしそうなフルミーナの姿があった。
「えっと…その、ビナちゃんから何か聞いてないかしら?また、いつ来るかとか…?」
一瞬、ビナちゃんと言われ、そんな子、自分が知っていたか?とユーリは疑問に思ったが、前にもフルミーナとはこのことを話していたので、自分の隊長であるビナ・アルファであることを理解した。
「ああ、ビナ隊長ですね、また近々すぐ図書館に顔を出すとは言ってましたよ」
「ほ、ほんとに!?」
「ええ、訓練の時少し話したんで…」
「そ、そう、なら楽しみにしてるってビナちゃんに伝えておいてもらえないかしら?」
彼女は今にも喜びが溢れ出しそうな笑顔で言っていた。
「分かりました。それじゃあ、ビナ隊長にそう伝えておきます」
「ありがとう!ユーリさん!」
「はい、それじゃあ、俺はこれで!」
「気をつけて帰ってくださいね!」
ユーリはフルミーナに別れを告げ、図書館を後にし、夕日に染まった街に飛び出して古城アイビーに帰っていった。
ユーリが帰った後、フルミーナはひとり図書館のカウンターで、目を瞑り静かに想いを巡らせていた。