五剣術
翌朝。ハルは第一運動場で昨日と同じ様に、新兵たちが走っているところをテントの椅子に座って観察していた。エウスが作成した新兵たちの資料をめくりながら、誰が誰なのかを確認していく。そのために、隣にはビナが座っており、ハルがこれは誰かと資料の名前を指さして質問するたびに、彼女が目の前の運動場で走っている新兵たちを探してだして答えてくれていた。
ハルもよくみんなの顔と名前を覚えてるねと言ったところ。彼女もハルと同じようにこうして顔と名前を覚えるまで、みんなと話したり、資料と顔を見比べたり、彼らを複数のグループにまとめて覚えたりと努力をしていたようだった。
「ただ、一緒にいれば誰が誰だかはだんだん分かってきますから、焦らなくても大丈夫だと思いますよ」
「そうだね、みんなと少しずつ打ち解けながら覚えていくつもりではあるよ」
ビナから優しい言葉をもらうが、新兵たちとはそう長くは一緒にはいられない。それは四大神獣の件があるからだった。
時間は限られている。
しかし、その中でもハルは、せめて今、自分にできることは最大限やっておきたかった。後悔しないために、少しでもみんなが強くなってこれからも生き残って行けるように。そして、自分自身が少しでも変前に進めるように…。
ハルはその後も、みんなが走る終わるまでに、新兵たちの顔と名前を覚えることに集中して取り組んでいた。走っている間は特に教えることもないため、覚えるのにはいい時間だった。
ビナに運動場を走っている新兵を選んでもらいあれは誰かと問題を出してもらったりと協力してもらう。そのおかげか、二日目にして三十人くらいの顔と名前を正確にいい当てられるようになっていた。ただし、覚えてるだけで、その人がどんな新兵なのかまでは把握しきれていなかったが、それは今後に期待だった。
「よう、ハル、調子はどうだ?」
そこに新兵たちと一緒に走っていたエウスが一番に走り終えて、テントに帰ってきた。
「エウス、お疲れ様、この資料が凄い役立ってくれてる」
「そりゃ、よかった。お、サンキュー、ビナ!」
エウスはすぐに飲み水を汲みにいったビナに手渡された氷水を喉に流し込んでいく。
「で、どうだ覚えられたか?」
「まだ、半分もいってないけど、エウスがよく話してくれていたアストルやウィリアム、フィルたちなんかはもうしっかり顔と名前が一致するようになったかな」
息を荒く吐くエウスがビナからおかわりの水をもらう間に、ハルの言ったことに意見した。
「まあ、全員のことは別に覚えなくてもいいと思うけどな俺は。だって面倒だろ?」
エウスが二杯目の氷水を再び一気に喉に流し込む。
「え、それはちょっと酷くないか?俺はこう見えてもみんなの団長なんだけど…」
「俺やビナがその都度教えてやるから大丈夫だよ、それより、ハルは、みんなに早く指導してやる方がいい気がしてきたんだ。あいつら、さっさとハルに教えを乞いたくてうずうずしてるよ。さっきも走ってる途中何度も話しかけてきやがる。全く本当に鬱陶しいぜ」
めんどくさそうにエウスは言うが、彼の表情の中にはなぜか嬉しさが混じっていた。そこからはエウスと新兵たちの信頼関係がうかがえて、少しだけハルは羨ましそうに彼を見上げた。
『エウスは本当に人をまとめるのにたけてるよな…』
ぼんやりとエウスを眺めている間に、ハルはもう一度確認のために彼に言うことがあった。
「…そうだ、エウス、今日の午後少し早めに上がっていい?ガルナと訓練するって約束があるんだけど」
滝のような汗のエウスが三杯目の氷水を喉に流し込み、ようやく一息ついたところにハルは告げる。
「もちろん、好きに抜けてもらって構わないぜ」
「あ、それと明日の午後も…」
あまり頻繁に抜けるのは良い気がしなかったが、ライキルとも約束していた。
「だったら、午後の後半は俺たちに稽古つけてくれよ、ハルが良ければだけどさ」
「それはいい考えかも!そしたら毎日みんなのことも見れるし」
みんなとはエウス、ライキル、ビナ、ガルナのこと。結局、みんなと稽古する約束しているためその提案がハルには都合が良かった。
「だろ?あいつらだけにハルを独占させるわけにはいかない。俺たちも教えてもらいたいことはある」
あいつらとは新兵たちのことなのだろう、エウスが運動場で走っている彼らを眺めて言っている。
「待ってください、その中に私も入ってますよね!?」
慌ててビナも会話の中に入ってくる。ハルはみんなと約束していたので当然ビナのことも見てあげるつもりだった。
「さて、それはどうかな…ハルはビナとそういう約束してたか?してなかったんじゃないか…?」
真面目な口調と真面目表情でエウスが語りかけてくる。ビナは、その言葉を聞いて「え!?私は…その…」とショックを受けた反応をしていた。結構、彼女は純粋で信じやすいところがあると思っていた。
だが…。
『エウスも懲りないな、痛い目みるの分かってるのに…』
いつものあからさまなエウスのビナへのいじりで、ハルはその先の展開を容易く読み取た。最終的にエウスは毎回ひどい目に遭っている。
「ハル団長…その、私と一緒に稽古をしてくれないんですか…?」
「いや、全然そんなことないよ。ビナのこともちゃんと見るし…ていうか、さっきのことはエウスがまた適当なこと言ってるだけだから、ほら、ビナ、エウスに一発いれていいよ、きついやつ」
エウスとビナの目が合う。
「へ?」と情けない声が漏れると同時に、ニヤニヤしていたエウスの顔には絶望の色が浮かび上がる。
「やべっ!」
メキィ!!!
エウスが逃げようと駆け出したところに目にも止まらない強烈なパンチが腹に放たれ、彼はあっけなく地面に沈む。
「さすがはライラにいただけはある。いつ見ても切れのあるパンチだね!」
ライラ騎士団。レイド王国の国内で剣聖などを除けば最強の騎士たちが集うと言われてきた騎士団。彼女はこの四大神獣討伐作戦に参加する前にはその騎士団に所属していた。彼女の実力は本物で、エウスも今のパンチを本気で避けようとしたのだろうが、間に合わなかったのはそれほど彼女の実力が上といったところだった。
「そ、そんな、褒められるようなものは持ってませんよ」
小さく可憐なビナが恥ずかしそうに照れていた。
そこに走り込みを終わらせた新兵たちが次々と帰って来ると、ふざけている場合ではいられなくなり、すぐにサポートに回ることになった。
「みんなお疲れ様!」とハルとビナが声を掛けながら飲み水をどんどん彼らに渡していく。新兵たちは相変わらず、申し訳なさそうに受け取っていく。まだ、ハルたちと新兵たちの間には見ない壁がある感じだった。
それとは反対でエウスは人気だ。地面に倒れているエウスに新兵たちが群がって、彼のことを心配していたが、ビナが辛辣にほっといていいですよと彼らに告げると、エウスはそのまましばらく地面に伸びて放置されていた。
***
いつも通り走り込みが終り、些細な休憩の後、今度は新兵たちが全員練習用の木製の剣を準備し始めていた。
そして、運動場には、いつの間にか完全に立ち直っていたエウスがおり声をあげた。
「よし、今日は剣術の訓練だからな、ちゃんと教えた型と流れ通りやれよ。忘れちまったら自分のグループの奴らに教えてもらえ。後は俺たちが見て回る、さあ、初めてくれ」
それぞれ、百名ほどの新兵たちが、十個のグループに分かれて、剣術の訓練を始めた。
剣の正確な型を確認しながらそれを相手と打ち合い、流れの中で自分の身体に剣術を覚えさせていく。みんな初歩的な単純な動きを繰り返す。けれどもその単純な動きの中で、少しでも正確じゃなければ互いに直しあったり、自分で修正を重ねていた。
「いいか、剣術の型なんて実戦で使おうと思ってもほとんど役に立たないか出番がねぇ。実戦はそんなに甘くない分かるだろ?」
エウスが歩き回りながら語る。
「お前らいつも試合で打ち合ってるからな。試合で型どおり剣を動かそうとした奴もいると思うが、ほとんど無理だっただろ?当然だ、それはまだ、お前らがこの型ってやつを型だと思って剣を振るっているからだ。優秀な騎士はまず相手の動きや状況によって身体がその都度最適に自然に動く。それを可能にしてるのがこの型の訓練の積み重ねだ」
熟練者は、その場その場でその型を自然に扱い応用していく。新兵たちにはまだそこまでの域に達している者は少なかった。
「何度もこの訓練詰んで行けば、相手と対峙したときに自分が何をすればいいか分かって来る。その感覚を実戦練習とこの剣術の訓練の繰り返しで鍛えていくんだ」
実戦では型よりもその場の勢いででたらめに打ってくる者の方が強いことなどざらにあった。結局は土壇場で実力が拮抗して焦ったときに必要となって来るのが力だった。だから、剣術よりもまずは体力や筋力を底上げしたほうが、新兵たちなどの実力が乏しい者たちには、効果が絶大だった。
しかし、それでは、武器の扱いがいつまで経っても成長しない。実際、本当のところそこら辺の加減は個人に合わせるのが一番なのだが、そうはいってられないの現状ではあったのだが。
「エウス、これって今、王剣を教えてるってことでいいんだよね?」
「そうだ、最初はやっぱり、王剣だ。人と打ち合うことの方が多いし、王剣は基礎中の基礎だからな。ただ、できれば少しだけ獣剣も教えたいとも思ってる。こいつらは将来魔獣を相手にするときが来るかもしれないからな」
剣術には五つの種類があった。
王、獣、竜、魔、死、この五つの剣術にはそれぞれ特徴があった。
【王剣】あらゆる対人戦に対抗するために生み出された剣術。
【獣剣】あらゆる獣に対抗するために生み出された剣術。
【竜剣】あらゆる竜に対抗するために生み出された剣術。
【魔剣】魔法と剣を同時に駆使した剣術。または、魔法使いや魔法剣士に対抗するための剣術。
【死剣】相手を即死または暗殺するための剣術。
どれも、戦う相手を想定して生み出された剣術であり、剣術を切り替えることで、その相手に対して有利に出れるという、利点があった。
他にも派生した剣術がいくつもあるが、基本的にこの五つの中に含まれる剣の技を振るうことが中心だった。
これは他の武器にも通じるところがあり、武器によって五つの種類の内容は当然変わるが、槍だろうが斧だろうが槌だろうが、この五つの戦術は基本として変わらない。
師範さへいれば、どの剣術も誰もが習得可能だった。ただ、竜剣と死剣に関してだけは高い技術が要求されるため、初心者向きではなかった。一番初心者向きなのはやはり王剣の対人戦を想定した剣術と、獣剣という対獣や魔獣ようの剣術が、一から剣術を学ぶにはむいていた。特に王剣は全ての剣術の基礎ともいわれている剣の扱い方だった。
ハル、エウス、ビナの三人が新兵たちが正しい型どおり動けているか見回っていく。
王剣の基本的な戦闘の想定は相手と正面で向き合った時の剣技の型が多い。相手がいる場合などの練習にはぴったりだった。
「あ、そうそう、剣に振り回されないで、全身を使って剣を振るイメージで、よし、さっきの型の流れをやってみて、いいね、よくなった」
ハルが丁寧に、新兵たちに教えていく。それを午前中にできるだけ多くの新兵たちに繰り返していくと、時間はあっという間に過ぎ、昼の休憩時間となっていた。
『ふう、午前はここまでかな。それにしてもみんないい剣筋をしてたな、いい騎士になりそう…』
ハルが昼の休憩に向かう新兵たちを眺めていると、その中からひとりの新兵がハルのもとにやって来た。
「ハル団長少しよろしいでしょうか?」
「お、いいよ、なになに?」
新兵から話しかけらてハルは少し嬉しくなったが、顔には出さなかった。
「その、ハル団長は午後も我々の訓練を見ていただけるのでしょうか?」
「そのつもりだね」
「では、今日の午後はどこにいらっしゃるのでしょうか…」
「そうだな、午後はこの第一運動場でみんなが試合してるところにでも居ようかなって思ってる。ユーリは午後はどこに行くのかな?」
「!?」
自分の名前を呼ばれたことに驚いたのか、ユーリ・メルキの表情は呆気に取られた。
ハルは彼の驚いた表情を見て、みんなの名前を覚えたかいがあったと心の中で誰にでもなくひとりで勝ち誇る。
「名前を覚えていただき、ありがとうございます!」
「ああ、そんな堅苦しくならなくていいよ、もっと気楽にいこう!そっちの方が訓練してるときも楽でしょ?」
「は、はい!」
「それでユーリは午後はどこに?」
「俺も今日はハル団長が来てくれる、第一運動場で試合に参加するつもりです!」
「そうか、じゃあ、楽しみにしてる、君の剣さばきはなかなかのものだから」
「あ、ありがとうございます!」
それから、ハルはユーリと短い会話をしたあと別れると、ビナとエウスたちと合流した。ハルは初めて新兵から話しかけられて少し浮かれていた。
『よし、やっと第一歩を踏み出したって感じだ!』
「どうしたハル、嬉しそうだな」
隣に居たエウスに声を掛けられた。
「いや、なんでもない、午後も頑張ろうじゃないか!エウス君」
バシバシと背中を叩かれるエウスは変に気分が良いハルを不気味に思った。
「何々、どうしたのハルさん…なんか怖いぜ…」
「なんでもないよ、さあ、食事をしに行こう!」
午後に向けハルたちは昼食を取りに中庭に向かった。