返刀・揺るぎなき愛
夕食が終るとハルたちは中庭を片付けて、各自、寝るまでの自由時間を好きに過ごすために城に戻っていく。ライキル、ビナ、ガルナの三人が、先に城の本館に帰っていく。ハルも自室に戻ろうとしたところ。
「ハル、明日の午前も来てくれるんだよな?」
去り際のエウスに声を掛けられた。
「もちろん、これから毎日、休みの時以外は」
「そうだな、でも、ハルも自分の修行がしたくなった時は、そっちを優先しろよ?」
「ありがとう、その時はエウスにも伝える」
エウスがハルの肩を軽く叩くと彼は、城の本館のエントランスに足を踏み入れていった。
誰もいなくなった中庭に用もなくなったハルも自室に戻ろうとした時だった。
「おお、ハル剣聖いいところにいた」
「デイラス団長!」
後を振り向くと、そこにはレイド王国のエリザ騎士団団長のデイラス・オリアがいた。彼は一人の男の使用人にランプで足元を照らしてもらいながら、大きな二メートルほどはある縦長の木箱をひとりで運んでいた。
ハルはデイラスの元に駆け寄って、その大きな縦長の木箱を支えてあげた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、すまないね、でも、大丈夫だよ、私もそこまで衰えてないからね」
「この木箱は何ですか?」
そう尋ねると、デイラスがよくぞ聞いてくれたといった表情で、嬉しそうにその木箱の中身を開け始めた。
「これは君の大切なものだ。ハル剣聖」
「俺のですか?」
「そうだ、ほら、見てくれ。あ、君ちょっと明かりを近づけてくれるかい」
使用人が木箱に近寄り、ランプを木箱のそばにかざすと、そこには一振りの剣があった。しかし、その剣は普通の騎士たちが使っているロングソードのような真っすぐで両刃でおよそ九十センチほどの斬撃と刺突を交互に切り替えられる剣ではなく。
その木箱に入っていた剣は、剣身が少し外側に反っている片刃だけの剣であった。それは刀と呼ばれるもので、この大陸の西にある小さな島国から海を渡って来たものであった。
しかし、その木箱の中の大きな鞘の中に収まっているハルの刀は、普通の刀と呼ばれる剣の中でも特殊な部類に入る大太刀と呼ばれるものだった。大太刀は、ロングソードの倍以上ある二メートル越えほどの長さでぶ厚く大きかった。
「これは皮剝ぎ…」
ハルは目を見開きながら、その大太刀につけられている物騒な名前を呟いた。
「霧の森の調査をしているときにこれは発見されたんだ。なんでも、ハル剣聖、あなたがあの巨大な白虎と戦った地面の下に埋まっていたそうでね」
「…そうでしたか…」
ハルの記憶が呼び覚まされる。霧の森に無数に密集していた白虎たちをたった一本の刀の投擲で壊滅させたことを…。
地面がえぐれ、巨木が粉々になり、その投擲された刀の中心から数キロを更地にしてしまったことを思い出す。
「………」
「どうかしたかい、ハル剣聖?」
デイラスが心配そうに声を掛けてきたので、ハルは慌てて口を開いた。
「あ、いえ、なんでもないですよ!それより、誰が見つけてくれたんですか?」
ハルは刀を木箱から半分取り出し、鞘から刀を抜きとった。見ただけで寒気がするほど白く光る片刃がそこにはあった。
「ロジェ・サリフのチームが見つけてくれて、ここに送ってくれたんだ。覚えてるかい?霧の森のオウド砦の主だ」
紳士的な中年ぐらいの男性のことが頭に浮かんで、彼の顔を思い出す。
「はい、覚えています。なるほど、そうでしたか、感謝の手紙を送らなければいけませんね」
「そうか。なら、君、すまないが後でハル剣聖に書くものを準備してもらってもいいかな?」
デイラスが使用人に話しかけている間に、ハルは取り出した刀を眺めていた。
刀身には歪みや傷ひとつなく、不気味に感じるほど、頑丈な作りの刀だった。いったいどうやってこんな不変の刀を生み出せたのかがハルには疑問だった。
『まあ、壊れないでいてくれるなら、それでいいんだけどね』
疑問ではあったが、刀として機能し続けてくれる限り、なぜこの刀が異常に頑丈なのかなど、ハルにはどうでもいいことだった。刀は振るえればそれでよかったのだ。
「それじゃあ、あとで彼が何か書くものを届けるから、部屋で待っていてくれないかな?」
男の使用人と話し終えたデイラスが言った。
「分かりました。それではこれは俺の部屋に運んでもいいですか?」
「ああ、もちろん」
ハルは、刀を鞘に戻して、今度は木箱から刀を鞘ごと取り出し脇に抱えた。木箱は使用人が引き取ってくれた。そして、ハルはその場で二人と別れて、刀と一緒に自室に戻っていった。
それから数十分ほど経って、ハルが部屋で待っていると先ほどの使用人が手紙とペンを持ってきてくれた。それから、ハルは刀を見つけてくれたロジェ・サリフに向けて些細な感謝の手紙を書いた。こうした感謝の手紙などの書き方を、ハルは剣聖時代にみっちり叩きこまれていたため、ものの数十分で書き上げることができた。
「これでよしと」
ハルは、部屋を出て、使用人を探し、手紙を出すように頼んでおいた。
***
手紙を渡し終えたハルは、次にライキルの部屋の扉を叩いた。しかし、彼女は留守のようだったので、彼女が帰ってくるまで、部屋で蝋燭の炎の明かりを頼りに本を読んで時間を潰すことにした。
『やっぱり、何度でも読みたくなる本だ…』
呼んでいる本はもちろんハルの愛読本である『七王国物語』であった。著者はジョン・ゼルド。今は亡き有名な物書きが残した代表作だった。
七王国物語の内容は七つの国を舞台に、主人公たちがその架空の国々で起こる様々な事件に巻き込まれていく物語だった。物語の中に出て来る国は、このハルたちがいる大陸の大国がモチーフになっていた。現在は六つしかないが、過去に滅亡したセウス王国を合わせれば大国はもとは七つあった。
ハルが特に好きなのは、レイド王国をモチーフにした話が出て来る部分のお話しだった。その話は少年が剣聖になるまでの物語であり、主人公たちが彼に協力していく姿が喜劇的に書かれていた。
「………」
しばらくハルが黙々と飽きることの無い物語を読み進めていると、部屋の外から女性たちの楽しそうな会話が聞こえてきた。
『戻って来たかな…?』
ハルは本を閉じて、椅子から立ち上がり、部屋の外に出た。
通路に出ると、ハルの部屋を通り過ぎていく、ライキル、ビナ、ガルナの三人がいた。彼女たちは自分たちの部屋に帰る途中だったらしく、お互いに別れを告げると、その場で解散して各自自分の部屋に入っていっていた。ガルナだけは部屋が二階にあるので、エウスの部屋の目の前にある階段の方に歩いて行っていた。
ハルは、ライキルが戻って来たことを確認すると彼女の部屋のドアをノックした。すると中からはいと短い返事がして、ドアがゆっくりと開いた。
「ハル、どうしたんですか?」
突然の訪問で、驚いた様子のライキル。彼女はシャワーを浴びたあとだったのか、綺麗な金髪の髪が少し濡れて、さらにいい香りがしていた。
「あの、二人だけで話したいんだけどいいかな?」
「え!あ、ちょっと待ってください!!準備するんで!?」
「わかった。じゃあ、外で待って…」
「はい、すぐに、すぐに準備するんで!!」
ハルの言葉を聞き終わらないうちに、彼女は慌てて部屋の中に駆け込んでいってしまった。
「…ああ……ゆっくりでいいから……」
残されたハルはひとり呟くが誰にも聞こえることはなかった。
ライキルの部屋のドアの前で待っていると、彼女の部屋の中から終始騒がしい物音が聞こえていた。数分ほどその物音を聞いたあと、彼女の部屋のドアが勢いよく開いた。
「!?」
「おまたせしました。さあ、入ってください!」
「それじゃあ、失礼するよ」
ハルはライキルに迎えられて彼女の部屋に入った。入ったときすぐにライキルによってドアが閉められ、その後、カチッと音がなるのが聞こえたが、ハルは部屋の中を見渡すのに夢中でそのことには気が付かなかった。
ライキルの部屋の中に掛けられている燭台の炎が彼女の部屋を明るく照らす。鏡付きの化粧台がある他はほとんどハルの部屋と一緒の内装ではあった。大きなベット、テーブルに椅子が二つ、クローゼットがあって、剣や武器などを閉まっておくタンスなどがあった。
化粧台の上には化粧道具がきれいに整列していたが、その化粧道具の隣には、手入れの途中だったのであおう刃がむき出しの短剣やそのための道具である砥石や油なども一緒に置いてあったりと、騎士らしい一面も垣間見えていた。
そして、部屋の中は香水のとてもいい匂いがして、気持ちが落ち着くいい部屋だった。
「それで、話って何ですか?」
ハルは振り向いて答えようとしたが、まず先に彼女の姿の違和感に気づいた。
「あれ、ライキル、着替えた?」
「あ、は、はい、まあ、その、暑かったので…」
なんだかぎこちない様子でライキルは言う。
先ほどのライキルの寝巻姿は上下薄手の長袖長ズボンであったのに対して、今の彼女は赤色の薄いワンピース型の寝巻を身につけていた。
「その寝巻、初めて見たかも、それにその赤い色」
「え、そ、そうですか?まあ、確かにずっと着てなかったものですからね…あ、赤色って変でした?」
「いいや、凄い似合ってる、綺麗だ」
「…あ、ありがとうございます…」
ライキルはよく青や白い服なんかを好んで着る印象があるが、赤というのも新鮮でつい見惚れてしまうほどには美しかった。だから、ハルは一言素直に思っていることを口にしていた。
しばらくそんなライキルに見惚れていると、彼女が赤面したまま恥ずかしさを振り切るように尋ねてきた。
「と、とこで今日はどんな話があって来てたんですか!?」
「ああ、ごめん、そうそう、えっと…」
話しとは明日ガルナに思いを伝えることだった。そのことで、少しだけ言いずらい気持ちがハルにはあった。本当にライキルは納得しているか、そして、傷ついてないか。ハルが心配なことはそれだけだった。いや、もうアザリアのことなんかで彼女にはさんざん迷惑をかけてしまっているが、それでも、最後の確認をしておきたかった。ライキルの本当の気持ちを。
「ガルナのことなんだ。あの祭りで話したこと…」
「ああ、そのことだったんですね…」
『そうか、もしかしたら、ハルが我慢できなくなって、ついに私の……』
邪なことを考えているライキル。慌てて着替えたのだって完全に下心からだった。だが、そんな彼女の瞳に、ハルの真剣な青い瞳が映り込む。
「…あ………」
ライキルは反省して少しの間黙ることを決めた。浮ついた気持ちを静めるためだった。
ライキルが黙り込んでしまうと、ハルが口を開いた。
「明日、ガルナに思いを伝えようと思ってるんだ。だから、最後にライキルに聞いておきたくて…」
「何をですか?」
「本当に、ガルナにも俺がその自分の思いを伝えていいのかってこと…」
この話は実際に、もうライキルの中では終わったことだと思っていた。ハルは、自分とガルナの二人と結婚する。そう聞かされており、それに関してライキルは自分がハルと結婚してずっとそばに居られるなら特に不満なこともなかった。聞いたところによれば、レイドの法でも何の問題も無いとのことらしいので、ますます、ライキルからすれば、この話を掘り返す必要はないと思っていた。
「ええ、もちろん、いいですよ、明日ですか、頑張ってくださいね!振られたら慰めてあげますよ!」
『まあ、振られることはまずないと思いますけどね…』
ライキルは霧の森でガルナと語り合ったことを思い出していた。
『正直、ガルナは戦闘ばっかで、男には興味が無いと思ってたんですけどね…そう考えると、ハルって本当に魔性の男なんですよね…なんて言うんですか、ハルには少し男女の関係を誤解してるところがあるんですよね…あれです。男女見境なく誰とでも友達になろうとするところ、あれが、たまに誤解を招いてると思うんですよね。まあ、もう、私には関係ないんですけどね』
ライキルはすでにハルの花嫁のひとりであるので、気持ちには余裕がありすぎてどうってことはなかった。
『でも、ハルが後、何人の妻を娶るかは気になりますね…』
ライキルが軽い気持ちでへらへらとしていると、いつの間にかハルが目の前にいて、次の瞬間にライキルは彼に抱きしめられていた。
「え?」
突然のことでライキルの頭の中は軽いパニックになっていた。
「え、えっと、あ、あの、ハルどうしちゃったんですか!?」
「………」
しばしの無言の後ハルが言った。
「ライキルにはずっと迷惑かけてきて、そして、これからも、きっと迷惑かけ続けることになる…」
強く抱きしめられるが、ライキルは全く苦しくはなく、むしろ、ハルが必死に自分に愛していると好意を示しているのが伝わってきた。
「ライキルは、ずっと俺を支えて来てくれたのに、それなのに俺はガルナやアザリアのことも愛していて、守りたい、また会いたいって思ってる。本当だったらライキル。俺は君だけを選ばなきゃいけなかったかもしれないのに…それなのに俺は、君の優しさに甘えてる…」
ライキルは抱きしめ返して、彼の言葉を静かに聞いた。
「だから、本当のことを言って欲しい、ちゃんと君の心の底で思ってる言葉を俺に教えて欲しい…」
静寂が訪れた。ただ、互いの心臓の鼓動を、体温を、抱きしめ合う力を感じ取っていた。
「ハル、相変わらず、いろいろ背負ってますね…」
「………」
「その上で私の気持ちまで汲んで、背負ってくれようとしてますよね?」
ライキルは自らハルの身体から離れ、彼の目をまっすぐ見つめた。
彼は優しさに甘えていると言ったが、それは違った。あなたが私を受け入れてくれたからこうして寛容になることができているとライキルは心の中で思ったことだった。そうじゃなければ、ハルに関わるあらゆるものに嫉妬する醜い悪魔にでもなっていただろうと…。ただ、悪魔ではないが自分が醜い心を持っていることはライキル自身もどこかで自覚はしていたのだが…。
「なんていえばいいんでしょうかね…そうですね、ハル、あまり私のこと気遣わなくていいですよ。あなたの好きな様にしてください!」
自分のことを思ってくれての行動であったのだから、正直、ライキルはここに、こうしてハルが話を聞きに来てくれたことはとても嬉しかった。だが、それがハルであることが何ともライキルにはいたたまれなかった。
彼には抱え込んでいる者が多いということをライキルは知っていた。しかし、その荷を本当の意味で一緒に背負ってあげられる者はいなかった。なぜなら、彼の背負っている荷はあまりにも他人には重すぎたからだった。底なしの力を持つということ、それに伴う責任や、四大神獣の討伐という危険。十歳以前の記憶がないこと。そして、最近、初めて知ったアザリアという女性との死別。
後いったどれほど重たい荷を彼が背負っているかと思うと、ライキルは潰れてしまってもいいから彼の荷を分けて欲しかった。実際はそんな頑張っている彼に寄り添うことぐらいしかできないのだが…。
「こう見えても私、男を見る目はかなりあるんです。ハルがいつも誰かのために苦しんだり自分を犠牲にしてることは知ってます」
ハルのアザリアへの愛情深い、その深さは底の底、深淵に達する。彼女のために自殺しようとするくらいだからだ。
ただ、そこで思うのが、ハルは紛れもなく自分たちのことも彼女と同等に愛してくれようとしていることが、ここ最近、ライキルは感じ取れていることだった。いや、前からも自分たちのことを愛してくれていたのだろう。しかし、アザリアというどこか別の場所?別の時間?で以前からずっと愛していた女性が確かにいたということを知ると、自分たちがまだその彼女には敵わないのだろうということはなんとなく理解できた。
「だから、ハル、あまり私のことは気にしないで、アザリアさんやガルナ、いいえ、もっとたくさんの人を愛してあげてください。私はハルが何人妻に娶ろうが構いません。その中にちゃんと私も入れてくれるのならですけどね…フフッ」
小さく笑ったライキルは再びハルの胸に抱きついた。その幸せの中で、ただ、彼のぬくもりをライキルが堪能していると、一言、一回だけ耳元で彼に囁かれた。
「愛してる」
ライキルは、その時、自分は本当にハルに愛されているんだなと実感することができた。