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走り込み

 古城アイビーの城の裏には三つの運動場がある。一番、城に近い運動場が第一運動場。そこに土手の道を挟んだ向かい側に第二運動場があり、さらに同じように道を挟んだ先には第三運動場があった。


 第一運動場が一番規模が大きく広い。そこは、古城アイビーでの様々な行事にも活用されるため、運動場と、そのような祭事ごとなどの広場としての場所でもあった。


 そんな第一運動場で、新兵たちが体力づくりのため走っている間、ハルは屋根だけの簡易的なテントを複数、ひとりで張っていた。訓練の合間に新兵たちが、夏の日差しを避け休息できる場所を求めるのは当然のことである。


「よいしょっと」


 ハルがテントの骨組みの鉄の棒を地面めがけて軽く振り下ろす。その一発で鉄の棒が微動だにしないほど地面に深々と突き刺さる。


「あとはこのテントだけだね」


 ハルが手際よく最後のテントを張る作業を進める。

 その際に、視界には運動場を走る新兵たちたとエウスの姿があり、何度か観察していた。


「氷、持ってきました」


 そこにみんなのために飲み水を冷やすための氷を城のキッチンから持ってきていたビナが戻ってきた。


「ありがとうビナ、助かったよ」


「いえいえ、それよりハル団長。テントの方ありがとうございます!」


 ハルの手際のいい作業によってちょうど今すべてのテントは張り終わっていた。


「どういたしまして、あ、ところでさ」


「はい、なんですか?」


 大きな箱を抱えてるビナが足を止める。

 ハルは運動場を走るエウスたちを見ながら彼女に尋ねた。


「エウスっていつもあんな感じでみんなと走ってるの?」


 その質問にビナも運動場に目をやりながら答える。


「ええ、そうですよ。自分も身体を鈍らせないためって言ってましたね」


「そうか…」


 エウスの走る後ろに、ペースを落とさずについて行く新兵が五人ほどいた。


『エウスは、ああ見えて体力はあるのにあの子たちはやるな…』


 ハイペースで走るエウスに食らいつく新兵たちを、ハルが関心しながら見守っていると、テントに氷の箱を置いたビナが隣に来た。


「どうですか、気になる子たちでもいましたか?」


「うん、あのエウスの後ろをついていけてる、あの子たちの名前は分かるかな?」


「うーん、どれどれ、ああ、はい、分かりますよ、あの五人の中で一番先頭を走ってるのがアストルですね」


 茶髪で少し小柄な青年が、走ってる姿があった。だいたい十六歳ほどの年齢で構成されているこの新兵の中では比較的小さな体ではあったが、それでも、まだまだ、成長中といった感じであった。それでも誰よりもエウスについていけていることから、体力はこの新兵の中でも一番なんだなと感心させられた。


 それに。


『あの子は確か前に会ったな…それにエウスからよく名前を聞く子だ』


 アストルという名前はエウスが新兵たちのことを話す時、よく出て来る名前であった。その話からすると彼は、何事にも熱心でかなり真面目な性格であるが、時々、そんな彼からは予想できない行動に出ることも多々あるらしく、エウス曰く、一緒にいて面白いとのことであり、新兵の中では総合的に一番優秀であるということも聞いていた。


「その次がウィリアムとフィルで…」新兵の中では平均的な身長で、スリムな体型の金髪の青年と、新兵の中では一番高い背丈でがっしりとした体つきの青年が続いた。その二人もこれまたハルの見覚えのある顔であった。


『あの二人も会ったことがあるな。あ、そう言えば、フィルって子はライキルがよく口にしてたな』


 ハルがそんなことを思いだしながらも、ビナが残りの新兵の名前を告げるのを聞いた。


「その次がビンスとヨアンですね」ビンスと呼ばれた明るい色の金髪の青年と、ヨアンとよばれた黒髪で短髪の青年がいた。二人の名前は初めて聞いたが、エウスについていけている時点で、体力面ではかなり優秀な新兵たちであることが分かった。


「エウスについていけるなんてあの五人はなかなかやるね」


「はい、新兵の中でいつもエウスの走りについていけるのは、今のところあの子たちだけですね。ただ、それ以外の子たちもこの短い期間でずいぶん力をつけているみたいで、あのビンスとヨアンも、最近、エウスの走りに最後までついて行けるようになったんですよ」


「すごいね、みんなちゃんと成長してるってわけだ」


「そうなんです、みんな順調ですよ」


 しかし、ハルとビナが、しばらく彼らの走りを見守っていると、次第に新兵たち全員がエウスから離されていくのが見て取れ彼らの勢いは失速してしまった。


「…あはは、多分、今日は、みんなお祭りの後で本調子じゃないんでしょうね…」


 さっき言ったこととはまるで違う結果が出ており、ビナは苦笑いをしていた。


「らしいね、でも、まあ、今のままでも十分あの五人はすごいし、それにみんな普通によく走れてて立派だよ、何か特別なことでも?」


 ハルが見たところ、エウスに追いつく五人の体力がずば抜けているだけで、他の新兵も従来の新兵の必要な基準を満たしていた。というより、みんな走ることに関してはそこら辺の騎士たちといい勝負をしそうであった。


「そうですね、体力が無い子たちは、この後にある個別練習でさらに徹底的に走ることを鍛えるような練習メニューを組んでいるんでそのおかげだと思います。じゃないと次の練習に進めないようにはなっているので…」


「なるほど、それで」


 通りでどの新兵もしっかりと基準を超えた走りができるのかハルは理解できた。さすがに次の練習に進めないのであれば走るしかない。せっかくこうして、いつもとは違う特別な場所で訓練ができるのに、走るだけではきっと彼らも物足りないと感じるはずである。だから、きっと誰もが必死に走ることには集中したのだろう。


「そこらへんはやっぱり二人で考えたのかな?」


「はい、基本的にエウスが全部仕切って、私が足りないと思ったことをアドバイスする感じで訓練の内容は決めて行きました」


 今日、ハルはこれからその二人が考えた訓練メニューというのを見ていくことになっていた。


「ハル団長何か訓練のメニューのことで指摘があったら言ってくださいね」


 ビナはそう言うと、後ろで氷を砕く作業に戻っていった。


 ハルは分かったと了解した。が、エウスが考えて精鋭騎士であるビナが助言したなら何の問題もないと思っていた。

 エウスは、ビナと違って精鋭騎士ではなかったが、それでも彼はシルバ道場という何人もの精鋭クラスの騎士を輩出している道場で学んできた経験があり、彼も精鋭騎士になれるぐらいの素質があった。ただ、それはエウスが騎士であることだけにのめり込んでいればの話しであった。

 エウスは商人も目指していたため、騎士との両立はなかなかに難しいことであった。そのため、実力的には精鋭騎士には届かないところでとどまっていた。

 精鋭騎士には、二足の草鞋を履いてまでなれるようなものではなかった。

 それでも、新兵を鍛えるくらいならば、エウスでも十分というよりは、むしろ良すぎるくらいの騎士ではあったのは事実であった。それは、シルバ道場で学んだことを彼はしっかりと吸収しているため、新兵をなにから鍛えていけばいいかを理解はしていた。その結果がまず体力の徹底した増強という形に出ていた。


『エウスは俺よりも器用だからなんの問題もないなきっと、それにいろいろな才能も持ってる』


 それは騎士でありながら、商人としても成功を収めた彼の功績のことであった。


『すごいよな…』


 ハルが少しだけ羨望の眼差しで走っているエウスのことを眺めた。騎士だけではない、戦うだけではない選択肢が彼にはあり、それが少しハルには羨ましかったのだ。


『俺も剣を振るう以外に道があれば今よりももっと違ってたんだろうか…』


 心の中でそう思うが、自分が他の人とはどこか違い、強力な力を持った人間だと自覚したあの日から、この自分でも底知れない力を正しいことのために使わなければならないと思っていた。


『いや、俺にはこの道しかなかった…』


 自分の握りしめた拳に視線を落としていると、走り終わったエウスがテントにやって来た。


「よお、ハル、どうした?そんな暗い顔して」


「あ、エウス、ううん、なんでもない。それより、水飲む?氷もあるよ」


 そんな顔をしていたのかとハルはすぐにいつもの表情に慌ててもどした。


「それは助かるな。てか、テントまで張ってくれてありがとな、ほんとに助かるよ」


 エウスが、さらに、疲れたと言いながら、テントの日陰に入り、そのまま地面に座り込んだ。


「長椅子でも用意すればよかったね、ごめん、気が利かなかった」


 ハルはエウスのために、氷を砕いてカップに入れ、テントの中に置いてあった大きな樽から飲み水をくみ上げ、汗だくで疲れ切っているエウスにハルは氷水を差しだした。


「ばか、いいよ、そこまでハルに雑用させるわけにはいかねぇ、それにこのテントだって本来新兵たちが自分で張るべきなんだ。あいつらを甘やかすと後から面倒なんだぜ。お、ありがとさん」


 エウスは差し出された氷水をすぐに自分の口の中に流し込み、カップを空にした。


「それにしても、あの子たちよくエウスについて行けるよね、感心したよ」


 ハルはエウスの隣に腰を下ろしながら言った。


「ああ、あいつらは、新兵たちの中でも頭一つ抜けてるからな優秀な奴らだよ」


 エウスが運動場に目をやって、まだ走っている彼らのことを見ていた。

 この体力作りの訓練は、運動場内の円形状のレーンを決められた回数走って回るというものであった。単純ではあるが、その回る回数が多いため、最初は苦戦強いられる。しかし、日を重ねるごとに段々と身体も慣れてきて、走るペース配分など自分の身体のことがよくわかり、さらに前よりも早く駆け抜けれた時など、自分が成長していると実感も持ちやすいため新兵たちには持ってこいであった。


「でも、今日は休み明けだからかあいつら動きが鈍いけどな」


「そう言うエウスは衰えてないようだね」


「当たり前よ、日ごろからやわな鍛え方はしてないからな、それに、俺があいつらよりへなちょこで何を教えられるんだよ」


「確かにそうだね」


 ほどなくして、走っていた新兵の中から最初の五人が走り終えてテントに向かって来た。予想通りその五人はエウスについていこうとしていた新兵たちであった。


「はい、また俺の勝ちだなビンス、いい加減俺に勝つことなんて諦めな!」


「ウィリアム、貴様、この私に向かってなんて口を!」


 見たところ、彼らは競っていたようで、特にウィリアムとビンスと呼ばれる青年が、疲れた身体を引きずりながらも喧嘩腰でよく口をまわしていた。

 そんな二人にお構いなくアストル、フィル、ヨアンの三人は仲よさそうにお互い最初の訓練を乗り越えたことを喜び合っている姿があった。

 そんな彼らがテントにやって来ると、エウスにお前たちも飲め飲めと氷水の樽のところに誘導されていた。

 その際に、全員がハルを見つけると彼らは頭を下げて挨拶をしてくれたため、ハルもお疲れ様と優しく気さくに返事をした。するとそれだけで彼らの表情からは、まるで疲れが取れたような顔つきに変わり、キラキラと輝いていた。


「いい子たちだね」


「ん、ああ、そうだな…」


 エウスもなんやかんや、本調子ではないことが見て取れた。彼はまだ息を切らしている。


「さっきはあんなこと言ったが、きっとあいつらすぐ強くなるよ、俺なんかは軽く超えていくさ」


「ふーん、そう考えてるんだ。俺はまだまだエウスが越されるのは先だと思ってるけどな」


「追い越されるのは決まってるのかよ」


「まあ、うん…」


 ハルとエウスはそこでお互い顔を合わせて笑い合う。


「アハハハ、はあ、ひでえな、ハルは」


「ただ、このまま毎日訓練を続ければそれだけ追い越される日が遠のくと思うよ、エウスは才能はあるんだから」


「…ハルにそう言われると嬉しいが、どうかな、結局、俺は騎士の方では中の下あたりだからな」


 入ったばっかりの新兵たちが一番しただと過程してのことなんだろう。しかし、ハルからしたら、エウスは中の上でさらにまだまだ伸びしろがあると考えていた。


『エウスは絶対に精鋭にはなれると思うけどな…』


 精鋭騎士は剣聖の地位とは違い誰でも努力次第で目指せる領域のものであった。その精鋭騎士の中でもさらに細かいランク付けがあるが、精鋭騎士は騎士の中でも一つの到達点と言えるものであった。



 ハルとエウスはそのまましばらく二人で座り込み運動場でまだ走っている新兵たちを眺め続けた。


 うしろでは先ほどの五人が、ビナから氷水の入ったカップを配られ、隣のテントに移動して休息して賑やかな話し声が聞こえてくる。


 穏やかな午前の時間がゆっくりと流れる。


 そんな中、ハルとエウスは、新兵たちが走り終わるのを見守りながら、これからのことを話し始めた。


「この後は新兵たちは何をするの?」


「そうだな、この後は曜日によって違うが今日は剣術の稽古で、食事が終わった午後からは新兵たちは各自での自主訓練だ」


「へえ、結構、自由っていうか…そのやり方…」


「そう、シルバでのやり方だな」


 やっぱりかとハルは思った。ハルたちが子供の頃暮らしていたシルバ道場では午前にみっちり訓練をして、午後は自由というのが基本的なスタイルであった。そのサイクルは、シルバ道場の師範が決めたことであり、彼いわく、上からあれこれ言っても自分で自分の課題を見つけ出さない限り己の成長の余地は微塵もないとのことだった。

 しかし、エウス曰く、それは師範が楽するための口実だと昔、文句を垂れて、その師範と喧嘩していたことをハルは思いだした。


「フフッ」


「ん、どうしたハル?なんか嬉しそうだな」


「いや、別になんでもない」


 おかしそうに笑うハルに、エウスは首をかしげて変なハルと呟いた後、再び、運動場の方に視線をやっていた。


『なんていうか、エウスもやっぱり、シルバで育ったんだな…』


 ハルが思い出に浸っていると、次々と走り終え、疲れ切った新兵たちがテントに向かってやってきた。


「一気に走り終わった人が増えたね、ちょっとビナを手伝ってくるよ」


「おう、ありがとな、ハル」


 それから、ハルとビナで新兵たちに冷たい氷水を配って回った。

 ハルから手渡しされた新兵たちは驚きと申し訳なさの両方から何度も頭を下げていた。それもそのはず、ハルは団長や四大神獣を討伐した英雄でもあるが、その前に元剣聖の特名持ちで、そこら辺の貴族たちより遥か上の身分の人であった。

 しかし、今のハルは全くそんな素振り感じさせないし、かなり気さくに接してくるので新兵たちも困惑してしまうばかりであった。


『まだ、ちょっと、俺がみんなと打ち解けるには早いかな』


 ハルもみんなの反応からそんなことを薄々感じていた。


『それにしても、ビナはすっかりみんなのお姉さんだな』


 新兵たちからビナへの人気は今ではとても高く、水を渡すたびにどの新兵たちも自然と笑顔で彼女と接していた。


『まあ、俺も少しずつ頑張って行けばいいか』


 ハルはその後も新兵たちに声をかけ水を渡し、地道な努力をしていった。


 そして、そんな新兵たちの日課であった最初の走り込みは無事に終わり、次の訓練に移るために先に休憩していた新兵たちが動きだすのであった。






















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