始まりの龍襲 中編
アスラ帝国の帝都から北に広がる地域には、黒龍の発見のための監視塔が複数広範囲に設けられていた。この監視塔は黒龍に襲われないために、かなり小規模な造りになっていた。霧の森にあった監視塔とは比べものにならないほどである。
そんな塔の役割としては変わらない。空に飛ぶ脅威である黒龍の発見と、その際の伝鳥による情報伝達の二つが主な任務となっていた。
黒龍の空を進む巡航速度にはむらがあるが、大抵は獲物を見つけるまでは優雅に空をゆっくりと泳ぐように身体をくねらせながら飛んでいる。それでも馬の全速力よりは早く空を泳いでいくため、一般に地上で人が黒龍から逃げるのは難しく、遭遇した時は身を隠すのが一番であった。
そんな黒龍が獲物を見つけるまでのゆっくり進む間、遥かに巡航速度が速い伝鳥を使って情報を帝都まで飛ばす。
その監視塔からの情報が帝都に届くと、軍が動き出す仕組みになっていた。
更に、その帝都から周辺の街に伝鳥を飛ばし、黒龍の出現を伝える。もちろん、監視塔からも帝都以外の他の街にも情報が送られるのだが、一番最初は何よりも皇帝がいる帝都が優先であった。
そのように黒龍の出現は、アスラの国内で一気に拡散して伝わり、人々に避難や警戒の指示がでるのだった。
そして、ここで一番重要なことは、黒龍のその後の動きであった。
黒龍がどこに向かっているのか、それ知る必要があった。大抵の黒龍は帝都にまっすぐ向かってくる個体が多いのだが、まれにそのルートを外れて、別の街を襲撃する個体もいた。
アスラ帝国の領土は広大だ。すべてを防げるような術は現実的には不可能であった。
もし、黒龍が複数体、バラバラに散開して、進行してきたとしたら、軍はまず帝都の安全を確保するまでは他の場所には動けなかった。
特に黒龍退治のほとんどを担っている帝国の第一剣聖シエル・ザムルハザード・ナキアなどはそうである。
そのため、苦渋の決断をしなければならない時もあった。
帝都が崩壊すれば、帝国の力のバランスが崩れてしまう。そうなれば、国が終ったのも同然であった。
これが、年単位で不定期に襲来するのを帝国は繰り返していた。
しかし、そのたびに剣聖や騎士たちが食い止めてきたのも事実であった。
***
黒龍の出現を受けたシエルは、ドレスから騎士服に着替えて、短剣をも持つとすぐに外に出るために、部屋の扉に向かった。
一緒にお茶会をしていたルルクは、すでに部屋を出て戦闘準備に行ってしまった。
お茶会が終ってしまったことは残念だったが、これもアスラ帝国で生きる以上仕方のないことではあった。
黒龍は何よりも優先されるのだ。
そのため、白虎討伐の時は例外だったともいえた。あの時、シエルは久しぶりに黒龍以外での遠出だったのだ。それでも、神獣討伐には変わりはなかったのだが…。
『もし、黒龍がいなくなったら、私もルルク様とゆっくり、ずっと一緒にお茶できる日が来るのかな…もしくは二人で遠出なんかできる日が来るのかな…人が多いところは嫌だけど…でも、ルルク様と一緒なら…』
シエルはいつか訪れるかもしれない思いを胸に、部屋の扉を開ける。
扉の先には下まで続く螺旋階段があった。ただ、シエルはその螺旋階段は下りないですぐそばにあった別の扉をあける。
その扉を開けるとそこには帝都の美しい景色が下に広がるバルコニーがあった。
「シエル様はいつもの場所で待機をお願いします」
後ろにいた女騎士にそう言われたシエルは一度だけ頷くと、そのバルコニーの外に一歩足を踏み出していった。
すると地面の下から、そして、シエルの足裏から氷の柱が出現した。シエルはそのまま空中をまるで地面があるかの様に歩いていく。
氷の柱で空中を歩きながらシエルは指示された場所に向かった。
指示された場所は、シエルがいた塔より高い、城の屋上にある景色の良い場所であった。
この城の屋上は、平たく広々としたスペースが確保されており、竜の離着陸の場所となっていた。ここは、黒龍が出現したときのシエルのいつもの待機場所となっている。シエルは指示があればここから翼竜に乗って、目的地まで飛んでいくのだ。
そのため、シエルが到着した際には、人が二、三人乗れるほどの大きさの赤い鱗の翼竜が複数おり、パートナーのアスラの騎士たちと一緒に待機していた。
シエルが屋上に着くとまずそのふちに立って、龍の山脈がある北の方角を見つめる。ここからでは距離がありすぎて、龍の山脈は見えないものの、監視塔が見逃した黒龍がいた場合真っ先に発見できるほど見晴らしのいい場所であった。
『今回は何体でどれくらいの大きさなんだろう…他の街に散ってないといいけど…』
遠くの景色を眺めながら、出撃の命令が出るのを待つシエル。帝都では何度も黒龍の警告を告げる鐘の音が鳴り響いていた。
『今はフォルテもいないから遠くには出れないしなぁ…何だっけ確かレイドの街にいるんだけ、あれ、霧の森にいるんだっけ、まあ、どっちでもいいや…』
黒龍の出現時は主にシエルが先陣を切って殲滅し、帝都の防衛は帝国の第二剣聖であるフォルテに任せるのが基本であった。
しかし、現在、フォルテにはまだ別の任務があり、今は留守であった。
その任務と言うのはどうやら霧の森での白虎の残党の捜索であり、一週間ほど滞在するとシエルにも教えられていた。
『いないのには変わらないんだ。私がひとりで何とかしなきゃね…』
少し不安が残るシエルだったが、黒龍が来る以上奴らを倒せるのはほとんど自分しかいないので覚悟を決める。
『大丈夫、私は強い!』
それから、シエルは次々と伝鳥が城に到着するのを見て、そろそろ、ではないかと屋上から城の出入り口近くに移動すると、屋上の扉が開かれ、ルルクが入って来た。
「シエル剣聖いますか!?」
そこには先ほどお茶をしていたルルクの姿はなく、彼は完全にひとりの騎士になっていた。
「………」
名前を呼ばれたシエルは、無言でルルクの前に出る。人前だとシエルも口を閉ざした氷姫になってしまうのは彼も知っていた。
そこでルルクが今回の黒龍のことについて説明して行く。
「まず、黒龍の数は全部で四体で、全て中型の神獣です。これから、シエル剣聖には翼竜に乗って単騎でこの四体を殲滅してもらいます。それとサポート役に私の騎士団が護衛する白魔導士の部隊がいるのであなたの不測の事態には我々が対応します。それで、今、フォルテ剣聖は別任務でいないため、シエル剣聖はどうか無理はせずに、一体一体確実にお願いします」
シエルにとっては何度も聞いたいつもの作戦だったが、一言も聞き漏らさないように、彼の言葉を、しっかり頭の中にいれて頷いていた。
「よし、それじゃあ、みなさん翼竜乗ってください、出撃します!!」
ルルクの合図で、屋上にいた騎士たちは赤い翼竜の背に乗った。
そこから、数人の白魔導士たちも翼竜の背に乗っている騎士たちの手を借りて乗り込む。戦闘時の翼竜は二人乗りが基本であった。
だから、シエルもルルクの後ろについて行き、同じ翼竜に乗り合わせた。
「シエル剣聖飛びますよ」
「はい」
ルルクの翼竜が空に舞い上がると、続いて、他の翼竜たちも空に飛び立っていった。