始まりの龍襲 前編
アスラ帝国は二つの神獣の脅威に挟まれていた。
ひとつは南に広がる【霧の森】にいる四大神獣白虎。もうひとつは北に連なってそびえ立つ【龍の山脈】にいる四大神獣黒龍。
このうち、霧の森にいる四大神獣白虎に関しては、レイド王国の元剣聖ハル・シアード・レイによって、討伐されており脅威は去っていた。
しかし、残された龍の山脈に巣くう黒龍、こちらの方が被害は甚大であった。
龍の巣から襲来する黒龍の全長のそのほとんどが中型や大型クラスであり、これだけでも、対処できない国が出てきている。
白虎は四足獣であり、体高が大きさの指標となるが、黒龍は蛇に近い龍であるため、全長が重視されていた。
それでも、白虎でも黒龍でも、小型は小型、大型は大型と各国での大きさの基準は同じであった。
そして、各国が設定していた魔獣の大きさの各基準は次の通りであった。
魔獣クラス、五メートル未満。
小型神獣、五メートルから十メートル未満。
準中型、十メートルから二十五メートル未満。
中型神獣、二十五から六十メートル未満。
大型神獣、六十メートルから百メートル未満。
二十五メートルは、だいたい各国の城壁の高さであった。これは、準中型までの神獣の進行を防げる目安として、各国が標準として設けている壁の高さであった。
そもそも、中型や大型に対処するとなると、魔法や力で簡単に壁が破壊され意味をなさなくなってくるため、準中型までの高さが妥当だと言えた。
魔獣は大きければ大きいほど単純に強くなる。それは、自然界でも当たり前のことだが、それよりも魔獣にあるマナ袋、つまり魔獣臓という特殊なマナをため込める臓器が大きくなる点にあった。魔獣臓が大きいと、より多くのマナを溜めておけるようになり、強力な魔法が行使できるようになる。
つまり魔獣の大きな個体である神獣たちが扱う魔法が、単純なものだとしても、その威力は計り知れないものとなり、大きな脅威になっていた。
そのため、基本的には中型以上の神獣が出た際は、戦うよりも逃げることが優先されていた。
よっぽど地形が有利か、戦力に自信がある騎士団か、または、たった一人の圧倒的な強者つまり神獣に匹敵するほどの剣聖などがいなければ、中型以上の神獣の対処は困難であった。
だから、大国以外の他の国々は撃退するのではなく、息をひそめて隠れるか、国を捨てて逃げ出すか、他国に助けを求めるかの、戦う以外の選択肢しか用意されていなかった。
特に黒龍に関しては中型や大型などのクラスしか確認されておらず、どの国も手が出せていないのが現状であった。それが理由で、近年では龍の山脈付近の国では、国が解体されたり、領土を縮小したり、するなど黒龍の被害が深刻なことがうかがえた。
黒龍は、人々に暴虐を示した。
だから。
四大神獣である黒龍は、白虎、同様、多くの人々から一刻も早い討伐が望まれていた。
***
アスラ帝国の帝都は、レイド王国の古城アイビーがあるパースの街から西に数百キロほど離れた場所にあった。ちなみにパースの街から東に数百キロにはレイド王国の王都があり、パースの街はちょうど二つの都市の中間に位置していた。
帝都には四重のぶ厚い城壁に囲まれていた。
その一番内側にある一つ目の壁は、皇帝が住む平たい丘の上にある城を囲む城壁であった。
二つ目は、皇帝の宮殿や重要な軍事施設、上位貴族たちが住む邸宅、食糧庫など、重要な施設や国の運営にかかる建物が集中していた。
三つ目の壁の内側は、商業地区や劇場などの娯楽施設が建ち並ぶ地区であった。
ここには、大商人などの財のある者などが住み、市民も住んではいるが、貴族や騎士など、二つ目の壁の内側から溢れてしまった地位の高い者たちが住むことがほとんどだった。
四つ目の壁の内側が一番広く、ここがいわゆる庶民たちが暮らす街であり、人口が一番集中する地区でもあった。
そして、現在は戦争や他国からの侵略なども一切なくなっていたので、帝都は城壁の外にまで街が拡大中であった。
そんな、ぶ厚い壁に守られている帝都の丘の上の城の敷地内には、ひとつの少し孤立した場所にそびえ立っている塔があった。
その塔の最上階は、人が住める部屋になっており、あらゆる生活に必要な家具やベット、キッチンや風呂やトイレなどがそろっていた。
広々とした室内の四方向には大きな窓ガラスがついており、そこから帝都の景色が一望できる素敵な部屋となっていた。
その部屋の窓際には、雪の様に白いふわっとした短い髪の女の子がいた。彼女は真っ赤なドレスを着ておりそれはもう一輪の花の様であった。そして、大きな黒い瞳が綺麗で愛らしく、そんな彼女は、窓際の小さなテーブルの椅子に座って、外の帝都の城下町の景色を眺めていた。
しかし、そんな彼女の目はしきりにあちこち忙しなく動いており、景色を眺めて楽しむというよりは、緊張している自分を誤魔化しているそんなふうに見えた。身体を揺らしたり、足を鳴らしたり、しきりに指でテーブルを叩いてリズムを取ったり、落ち着きがなかった。
だが、部屋のドアからノックの音がすると、騒がしかった彼女のすべての動作と思考は一瞬だけ完全に停止した。
「…………」
身体も思考も元に戻ると、すぐにノックされたドアの前に駆け付けた。塔の中の部屋だけあって扉は床より下の小さな階段を下った場所にあった。
扉の前まで来ると立ち止まるり、彼女は深呼吸をする。
『大丈夫、今日の私は完璧だ。さっき一時間鏡の前に立ってお化粧も髪もセットした。それにドレスも新しいものを新調したし隙はない、うん、大丈夫、多分、それに彼の好きな紅茶もお菓子も買って来たし、話すこともたくさんあるし、もし、私の話す話題がなくなったら彼のことをたくさん聞けばいい、いいえ、違う、違う、彼の話を最初に聞きたい、だって、私の話しばかりしてたらきっとつまらないって思われちゃうか……』
扉の前で自分の世界に入り始めると、再びノックの音がしてその彼の声が聞こえてきた。
「あれ、シエルいないのか?」
「ひゃ、あ、い、今開けます!」
扉を開けるとそこには黒髪に騎士服を着た紳士そうな男が立っていた。彼は二十は超えていると予想はできるが、美形で整った顔立ちをしており童顔であるため、果たして二十代前半なのか後半なのかは見た目からは不明だった。さらに、さっぱりとしている印象があるがどこか遊び慣れてもいそうな男の雰囲気を醸し出している点が、ますます、彼のことを分からなくする要因でもあった。
「ルルク、お帰り、ひ、久しぶりね」
扉の前に立っていたのは、アスラ帝国騎士団のエルガー騎士団副団長ルルク・アクシムであった。
「ああ、シエル、ただいま、元気にしてた?」
そして、ルルクの前に立っていたのは、アスラ帝国第一剣聖シエル・ザムルハザード・ナキアであった。
「当然、でしょ、それより、ほ、ほら中に入って、お茶や菓子を用意したから中で話そう」
「本当か!それは、ありがたいな」
「…………」
ルルクの表情が緩むと、シエルは息を呑んでまじまじと目に焼き付けた。見つめすぎていることを不審がられる前にシエルは振り返って階段を上がっていった。
『や、やばい、会えない期間ずいぶんとあったから…こうして、実際に会えるとやっぱり…』
「フフッ…」
彼にばれないようにシエルは幸せそうに、ひとりにやけていた。
***
四大神獣の白虎討伐してから、数日して帝都に帰って来ていたルルクと久しぶりに顔を合わせるシエルは緊張していたのだ。
いつ帰って来るかと待ち遠しく思っていたシエルのもとに彼が帰ってきた情報が入ったのは昨日だった。シエルは滅多に外に出ないため、情報が入って来るのが、シエルと外界を繋ぐ役の女騎士との定期的な連絡だけであった。その彼女を通じてルルクに来るように命じておいて今にいたるのだった。
シエルとルルクは二人、窓際の日当たりのいい小さなテーブルの椅子に腰を掛けてお茶会をしていた。お茶の用意などは、シエルがひとりで全て準備していた。この塔には使用人などが一切おらず完全にシエルだけの世界だったからだ。
そんな二人は紅茶や甘いお菓子を堪能しつつ会話に花を咲かせていた。
「それで、ルルクのいた方はどうだったの?神獣とか大丈夫だったの?」
シエルは彼だけの前では気丈に振る舞い、よく喋る。
「ああ、俺たちのほうは、魔獣しかでなかったからね、ちょっとケガ人がでたくらいで何も心配はなかったよ。あ、そうだ、そっちは神獣が出たんだって報告入ってたよ」
「そうそう、私の方は神獣が三体と後は魔獣がちょっとだけって感じだった」
「聞いたよ!三体の神獣をすぐに討伐して、魔獣もほとんどシエルが片づけたって、相変わらず凄いね、さすがだよ君は」
「え、えっと、別に褒められるほどのことはしてない。それに私にとってはいつものことだったし、白虎は黒龍に比べたら楽だったから…」
シエルは急に褒められて、恥ずかしそうに肩をすくめていた。
「でも、やっぱり、今回の件ですごかったのはハルさんだったな…」
「え?」
褒められたのもつかの間、ルルクが憧れるような瞳を輝かせながら、シエルからハルの話しに話題を変えていた。
「彼はまさに英雄にふさわしいね、今回の件で確信したよ!」
「…………」
「シエルも知ってた?ハルさん、大型神獣よりもさらに大きい神獣の討伐をしてたんだよ、凄いよね!俺、実際に死体見てきたんだけど、あれは人間の域を超えてるって感じたね!あれぐらいのを倒せるとなると黒龍も何とかなるかもしれないって思うんだよな…」
まさに英雄に憧れた少年のような綺麗な瞳で夢中で語るルルクであった。
「それに本当にハルさんの強さは異常でさ…」
「…………」
彼の関心を奪われたシエルは、ハル・シアード・レイなる者に嫉妬の炎を燃やす。
『なによ、ハル、ハルって…だってしょうがないじゃん、こっちには全然白虎が襲ってこなかったし、活躍のしようがないじゃない。ていうか、霧の森でどうやって戦ってたのよあんな濃霧の中で…』
シエルもハル・シアード・レイのことは知っていた。一度も会ったことは無いが、彼がまだ剣聖であったころ、大国の剣聖の序列の中でも圧倒的な力量さでトップに君臨していたことや、同じ帝国の剣聖であるフォルテが手も足も出ないほどであったことを聞いて、相当な実力者であることは頭の中に入っていた。
『ぐぬぬ、ハルめ、許さん!ルルク様をこんなに少年みたいにキラキラと…ってこれはこれで可愛くていいかも…ありがとう、ハルって人………いや、やっぱり、なんかルルク様が私以外の人を褒めてるのは気に食わん!おのれハルめ!』
しばらく、ルルクがハルについて熱く語っているのを、シエルは様々な正と負の感情を入り混じりながら聞いていると、話題はあることに切り替わった。
「そう言えばさ、これから解放祭ってお祭りがあるのって知ってる?」
「解放祭?何それ?」
「昨日、文官の人達と話してたらさ、そういう計画が前から決まってて、四大神獣白虎が討伐されたら開く予定だったんだって」
「じゃあ、これから、その解放祭ってお祭りが始まるんだ…」
「そうそう、レイドのリーベ平野ってところでやるんだって、だから、今、凄腕の魔導士たちがそこに集結して会場の街を創ってるらしいよ」
「…へえ………」
シエルはお祭りかぁと考えて、目の前のルルクを見る。
『ルルク様も行っちゃうのかな…そしたら、また、離れ離れになっちゃうのかな……』
「あ、あの……」
不安を胸にシエルが、ルルクにその祭りに行くのか聞こうとした時だった。
バン!!
二人のいた部屋の扉が勢いよく開かれる音がした。
「な、なに!?」
音にビックリする間もなく、ひとりの女騎士が部屋の中に入って来て二人のもとに跪くと告げた。
「緊急事態ゆえ、無礼をお許しください。黒龍の姿が確認されました。至急、支度をお願いいたします。シエル様」
シエルとルルクが、顔を見合わせると、二人は急いで行動に移った。