さよなら解放祭 後編
***
ハルたちが特等エリアを後にしたあと、最初に向かった場所が、解放祭の会場の最南部にある第一厩舎であった。
そこで何をするかというと、単純に馬車の乗り換えだった。ブルーブレスが出してくれた馬車は祭りの中までしか移動しないため、エウスのエリー商会がだしている馬車に乗り換え、パースの街まで帰るのであった。
無事に荷物も詰め替え、乗り換えも終わらせると、そこでハルたちは本当に解放祭の街を後にした。
馬車の中はしばらくの間少しだけ静かだった。
みんながそれぞれの自分のこの解放祭での思い出を振り返っていたのだろう。その静寂はとてもいい時間であった。
ただ、ビナがふと楽しかったな…と口にしたところから、次第にみんなの中にあったそれぞれの思い出の共有が始まって、馬車の中は再び賑やかさと騒がしさを取り戻していた。
「私、家族で表彰式見に行ってたんですけど、ハル団長の姿ほんとにカッコイイって思ってたんです!」
「ほんと、そう言ってもらえるとやっぱり照れるな…」
真正面からビナにそう言われたハルは心の底から嬉しそうに微笑んだ。すると、隣にいたライキルが負けないとばかりに「私だってずっとそう思ってましたよ!」と近くにあったハルの手を握っていた。
「なんかお二人とも、妙に距離が近くなってませんか?」
ビナが疑い深い鋭い目つきで探偵の様に尋ねると、びくりと背筋を伸ばしてハルの手を離したライキルは「そんなことないですよ…?」とどこも見ずに口走っていた。
すると、そこでライキルはエウスと目が合うと彼に失笑されていた。
そのあと、エウスの悲鳴が聞こえてくるのをよそにハルは、窓の外を一生懸命見ているガルナに目をやった。
「ガルナ、何見てるの?」
「さっきのお祭り」
ハルも少し身を寄せてガルナが見ている景色と同じものを見た。そこには遠ざかっていく解放祭の街があった。
「ガルナはお祭り楽しかった?」
「ああ、楽しかったぞ」
ガルナは窓から目を離さないまま答えた。
「どんな時が一番楽しかった?」
「そうだな、やっぱり、ハルとあの泊ってた館の庭で稽古してた時かな…?」
「アハハハ、それって祭り関係なくない?」
ハルはガルナのその回答がおかしくて笑っていると…「そうだが?」と急に彼女が振り向いてハルの顔を覗きこんできた。
「…………」
そこで言葉に詰まったハルは時間が止まったように固まってしまった。
「ハル、どうした?」
「…あ、ううん、なんでもない、なんでもないですよ」
ハルが笑って、ガルナの不意打ちにハートを握りつぶされそうになっていたことをなんとか誤魔化していると…。
異変は訪れた。
突然、馬車が勢いを失って停止したのだ。
「あれ、なんで止まった?もしかして、馬車が故障したか?」
エウスが馬車から出て外を確認しにいこうとした時だった。
扉が勝手に開いて、その中から馬車を運転していた御者が姿を現した。
彼の表情は青ざめており、何かに怯えていた。
「どうしたんだ?」
「えっと、その、ハル様にお会いしたい人が現れまして、馬車を止めさせていただきました…」
そこでハルは俺にといった感じで自分を指さすと、御者は一度だけ深く頷いていた。
「こんなところでですか?」
「はい、先ほど、追い付いたみたいで…どうしてもハル様に挨拶がしたいから馬車を止めてくれないかと…」
「…近くにいるんですよね?」
「はい、お客様はこの馬車の前方で待っております…」
「そうか、ありがとう、みんなちょっと行ってくるよ」
ハルはみんなの顔を一周して見渡すと、馬車から降りて外に出て歩いていった。
そしてエウスも続こうとしたときだった。
「エウス様、いえ、皆さま申し訳ございませんが、どうか外に出ないで頂けますか?」
「え?どうして…」
「今、お越しになったお客様からのお願いでした…」
そこに御者の必死な表情があった。少しの間のあとエウスはその彼の表情からあることを察した。
「…もしかして、そいつに脅されたのか?」
「………」
エウスの問いに御者が沈黙した。
その瞬間から馬車内に緊張が走った。何か今ここで事件に巻き込まれていることを全員が理解した。
「ハルが危ないです!」
ライキルが飛び出そうとしたときエウスが腕を掴んで止めた。
「ちょっと待てライキル、慌てるな!」
「でも!」
「よく考えろ、今、言われたルールを破って被害に合うのは彼なんだ。俺のもとで働いてくれてる彼なんだ。それにハルが乗っていると分かっていてなお、脅して馬車を止めた。そのことから分かる通り、相手は相当やばい奴かアホのどっちかだ」
エウスも突然のことに状況が飲み込めなかったが被害がでないように行動するのが一番だと考えていた。
「それに、ハル、より、もしかしたら、俺たちは自分の身の心配をした方がいいのかもしれないぜ…」
馬車から出るな、それはまとめてお前らを殺せるぞという脅しとも取れなくもなかった。ここはまだマナが漂っている魔法の行使ができる場所であったため、やり方に自由はきいた。
「みんな、ここは静かにしてよう…」
今度は嫌な沈黙が馬車内を支配していた。
***
ハルたちの馬車が止まった場所は、解放祭からまだあまり離れていない街道にはいる前の細い道の途中であり、辺りは草原だけが広がっていた。
御者に言われた通り、馬車の前方にハルが歩みを進めると、そこには一人の黒髪ロングの少女が立っていた。
その少女は上品な漆黒のドレスを身に纏っていたが、この青々しい草原とはとても不釣り合いで不気味であった。さらにその少女の顔は、黒いベールとフェイスベールで複雑に隠されており一目に誰だかは分からなかった。
「失礼ですがお名前をお尋ねしてもよろしいですか?」
ハルがそう尋ねると、その少女は返事はせず、代わりに離れたところを指をさした。彼女が指さした場所は馬車から離れた草原の中の少し起伏がある場所だった。
「あ、あっちで話したいのです。ふ、二人だけで……」
そこでハルは少し考えてから、みんなにそのことを伝えて来てもいいかと尋ねたら彼女は首を縦に振って許可をくれた。
***
そこで一旦みんなのところに戻ったハルは全員から注目を集めると一斉に心配された。ケガは?何をされた?だれだったの?と質問攻めにあったが、ハルからすればただの尋ねてきたお客さんという感覚であったため、みんなの反応がなんだか不可解だった。
「え?ああ、うん、別に大丈夫だよ。それよりさちょっとだけお客さんと話してくるから、ここ空けていいかな?」
ライキルが何かを言おうとするのを遮ってエウスが口走った。
「いいぜ、その代わり俺たちも早く帰りたいからなるべく早くしてくれよ」
「わかった、そうするよ」
それだけ伝えるとハルは再び馬車の扉の前から消えていった。
「………」
ライキルからの鋭い視線が痛かったエウスが口を開いた。
「これしか方法がなかっただろ?それにハルの反応から見て別に敵対してるわけでもないことが分かったし、おとなしく待ってようぜ」
「まあ、そうですね…」
ライキルもそれが最善策だと思っていたが納得はいかずに少しだけ眉間にしわを寄せていた。
ビナは緊張し周囲を警戒しており、ガルナに関してはただ黙って座って待っていたが、明らかに空気がぴりぴりしているのが分かった。
エウスもこの異常な状況が早く終わってくれることを祈るばかりだった。
***
ハルが再びその謎の少女のもとに戻り、迷惑のないように明るく元気に声をかけた。
「すみません、お待たせしました!」
「!?」
ハルの声に彼女はビクッと身体を震わせ取り乱したかのように動揺していたが、咳ばらいをひとつすると無言で先ほど指をさした方に歩きだした。
ハルもその彼女の後を黙って追うことにした。
ハルと謎の少女は草原の中を歩いていく。草原といってもある程度起伏があり、人の視界から外れられるところは多々あった。
『二人っきりで話したいって言ってたけどなんの話なのかな?』
そんなことを呑気に考えているハルだったが、次第にこの状況がとても奇妙なことに気づいていく。
『あれ、そもそも、この子どうやってここまで来たんだろう?他に馬車は見当たらなかったし、それにすごいドレス…貴族の令嬢かなんかに見えるけど、連れもいない…』
先頭を歩く謎の少女について、ハルが後ろをついて行きながらいろいろ考察していると、突然、その彼女が立ち止まって振り返ってきた。
「こ、ここまでくれば大丈夫ですよね…?」
「え!?ああ、はい、大丈夫だと思います」
考え事で自分の世界に入りかけていたハルは急なことで驚きの声をあげていた。それにしても、何やら彼女は少し緊張しているのか、声が震えていた。
「馬車からも結構、離れましたし、ここなら誰にも何も聞かれないと思いますよ」
「そ、そうですよね、えへへ…」
ハルはそんな彼女の緊張をほぐしてあげようと優しく語りかけた。
「ところで、そろそろ、あなたのこと教えてもらってもよろしいですか?」
「あ!は、はい、すみません、そうでしたね…」
その謎の少女が、顔の二つの黒いベールをとって正体をさらけ出した。
さらけ出したのだから露になる。闇のベールに包まれていた白い透き通った肌と、真紅に光る双眸が。そして、あまりにも整った顔立ちは、どこか、ぞっとするほどであるが、いつまでも眺めていたいほどの愛らしさも兼ね備えていた。
「え、ルナさん!?」
そこでハルの目の前に姿を現したのはルナという女性だった。
たまたま、解放祭で出会って友達にまでなりかけたが、彼女の方から去ってしまい。結局、それっきりになってしまっていたルナがそこにはいた。
「…名前覚えててくれたんですね…嬉しいです……」
恥ずかしそうにだが彼女は恍惚とした顔でハルをまじまじと見つめていた。美人な彼女からそんな表情を向けられることは男として嬉しいとなのだろう。しかし、ハルはこのとき彼女から得体の知れないものを感じ取っていた。
闘技場で、舞踏会で、会ったルナとはまるで別人のような雰囲気を纏っているのだ。
祭りであった彼女がどこにでもいる普通の少女であるとしたら、今、目の前にいる彼女はどこかの女帝のようなそんな圧があった。そこがハルの知っているルナと言う女性と乖離している部分ではあった。
けれども、たった二回しか会っていないハルが彼女の本当のことなど分かるはずもなかった。
「こんなところまでどうやって…いや、それより、あなたはいったい…」
聞きたいことは色々あったが、何よりも彼女はいったい何者なのか本当のことを知りたかった。
ハルが見つめる先の彼女は照れくさそうに笑ったが、その笑みにはどこか不気味さがあった。
「ハルさん、私、本当のことをあなたにお話しします…」
「本当のこと…?」
「はい、私があなたを知った日のことから話しましょうか」
それは、ついこないだのことではないのかと、ハルは思った。だが、彼女が五年前の神獣レイドによる最初の王都襲撃事件のことを語り出してから、彼女がイゼキア王国出身の貴族でもなんでもないことが分かった。
「私、五年前、ハルさんに救われたんです」
「五年前…?」
「はい、王都襲撃のとき、神獣に殺されそうになったとき、ハルさんが間に入って助けてくれたんです。私とハルさんの本当の最初の出会いはそこからでした…」
そこからのルナの話によると、彼女は、レイド王国のホーテン家というもう遠い昔に滅んだとされていた家の生まれであった。実際にはレイド王国を裏から支えるために自ら、その名を抹消した歴史があった。そして、それからのホーテン家はレイド王国の裏組織として光の当たらない闇の中で、絶対的な権力を持ち、君臨し続けていたと彼女は語った。
「ホーテン家は初代剣聖レイの直径の家系です。本や劇にもなって有名だと思うんですがハルさんはご存知でしたか…?」
「もちろんです。有名ですし、剣聖時代に彼の知識は叩きこまれました。国を救った偉大な英雄だって…」
「そうでしたか、ただ、それは彼の一面でしかないんです。本や劇に出て来る彼の物語は彼の若い時のほんの表面的なものでしかないんです。本当の彼の大きな功績はその後から始まる裏社会での立ち回りでした」
「裏社会…」
ハルにはあまりなじみのない言葉だった。
「はい、要するに犯罪組織の集まりといったところでしょうか。大きな国となるとそのような組織が乱立して独自の社会を築くのは自然なことです」
ハルは確かにその通りだと思ったが、逆にハルが軍に所属していながらレイドでそう言った話はあまり聞かなかったのはなぜだろうとも思った。ただ、彼女の話をまとめ、考えていくと、ある結論にハルはたどり着いた。
「その、ってことはですよ。ルナさんはその裏社会のホーテン家って組織のお嬢様なんですよね?」
「はい、ただし、ホーテン家はレイドに所属…というよりはレイドそのものといった方がいいのかもしれません。ハド―家が表の顔なら、ホーテン家は裏の顔です。その両家の力関係って言うんですか、そこは表と裏もあってほとんど独立して時代によって違うんですが、だいたい均衡してきました。そう考えてもらえるとホーテン家は権力もあります…」
嫌悪した表情で笑う彼女だったが、ハルの次の言葉で彼女の表情は一気に悪化した。
「そのホーテン家ってのは何をしているところなんですか…?」
ルナの表情はみるみる暗くなった。と同時に、彼女の口角が少し上がったのを見た。その微笑は何か諦めのようにハルは感じた。
「ホーテン家は、代々人殺しの家系です…」
「………」
***
「ホーテン家は、レイド王国の掃除屋なんです。国の裏切り者、犯罪組織や国にとって都合の悪いものは全て私たちが管理し排除してきました。でも、その中で罪の無い人もたくさん殺してきました。それはレイドにとって必要なことでしたから…」
ルナは困ったように笑った後、ハルから視線を外した。やっぱり、こんな自分など見て欲しくはないというのがルナの本音だった。
「ハルさん私はこういう人間なんです。私の手は多くの人の血で汚れてる…大義なんてものを掲げてずっと殺し続けてきました…でも、そんなの無垢な人を、いえ、どんな人間でも殺していい理由になりませんよね…分かってます…」
彼の中でルナという人間は、清廉潔白でいたかった。例えそれが空虚だったとしても…。しかし、そんなことを隠していては、一生、彼の前にルナという人間が本当の意味で存在しないことをあの舞踏会で思い知っていた。だから、ルナは今、全てをハルの前で洗いざらい吐き出していた。彼の記憶にルナという人間がいたことを覚えていてもらえるように…。
だけど…。
「本来、私のような人間は生きてちゃいけないんです。私が生きていると多くの人達を殺してしまいますから…だから…私…は……」
ルナは自分で言っていて悲しくなっていた。自分の人生の道は愛する人に嫌われるだけの場所にしか繋がっていなかった。ハルという光の人間はルナのようなどろどろとした闇を嫌うだろう。それは影から彼をずっと見ていればわかることだった。住む世界が違う、彼は間違いなく、ルナとは対極の場所にいた。
「私は、あの時、あなたに救われちゃいけなかったんです…」
『あれ、私、何言ってるんだろう…?』
ルナの声は震えていた。そして、心の中の声に関係なく、ルナは続ける。
「ずっと間違ってきたから…」
『ハルさんのため、ううん、みんなの代わりに頑張って来たじゃない…少しでも世界をよくするために多くの人を殺してきたじゃない…』
いつの間にかルナの頬には涙が溢れていた。
「あの時、私は死んでいれば良かったんです…」
『いやだよ、私、ハルさんと一緒にいたいよ、彼とずっと一緒に……』
どんどんその涙は大粒になってルナの頬を伝って地面に落ちていく。
『あれ、なんで、私、泣いてるんだろう…今日、頑張ってハルさんに色々本当のこと話してそれで、愛してるって伝えようと思ってただけなのに…』
「だがら、わだし…ずっと…あなたのことが嫌いでした!!」
『…!?』
ルナは愛するの人の胸ぐらを勢いよく掴むとそう叫んだ。
「私を救ったあなだが、憎い。誰も救えないあなたのことが心の底から大嫌いだぁ!!」
ぼろぼろ涙を流しながらルナは、自分の愛する人の胸に顔を埋めて叫んでいた。
『……なんで………ねえ、ルナ、どうして…あなた…ずっと、彼のこと……』
一緒にはいられない本当に愛していたから。そして、何よりルナができる最大の恩返しは、彼なんかには一生関わらないことだった。そのことは、ずっと頭の片隅にはあった。自分の頭がおかしいことは自覚していた。だけど心はちゃんとあった人の心は死んでいたが確かにルナの中にはまだ心はあった。
そして、自分の幸せと彼の幸せを考えた時。どっちを選ぶかは決まっていた。
「ルナさん…」
戸惑う彼に、ルナは決定的な行動に出る。
「ハルさん…ここで、私を殺してください…じゃなきゃ、これからあなたの知人全員を皆殺しにして回ります…これから一生私の人生をかけて…」
ルナは、ハルから離れて、常にどんな時でも持ち歩いていた双剣をドレスの中から取り出した。
ハルに最愛の人に殺されるならルナにとって本望だった。一緒に生きていたかったけど、ルナにとって一番大切なことは彼の幸せだった。最後の最後でルナも結局は人のために生きていた。
「それとも、ハルさんが今、ここで死にますか…いっておきますけど手加減はしませんよ」
「俺はあなたを…傷つけていたんですね……」
「ええ、そうです。あなたがいなければ私はこんなに傷つくことはなかった。苦しむことはなかった。あなたがいなければ私は…私は……」
愛など知らないで生きていられた。一度照らされたから夢を見てしまった。決して届かない悲しい夢を…。
「ハルさん、私のために死んでください」
ルナの双剣を握る手に力が入ると同時に踏み、身体に大量のマナを高速で回した。
相手は歴代最強の元剣聖。ルナは自分の全てを一撃に出し切るつもりでいた。そうじゃなければハルという人間は到底殺せない相手だった。
ルナは天性魔法である【引力】特殊魔法の【加速】【飛行魔法】に風魔法による補助。最初から全てを最高出力を出し切って相手に突っ込む。
天性魔法以外にも加速する魔法を併用した時は、ルナ自身でも制御できなくなる最速の一撃になる。その一撃は、放ち終わるまでルナ自身も何が起こったかは理解できないほどだった。
ルナの最速の一撃を、至近距離にいる人間が避けるのはほぼ不可能であった。回避も防御も間に合わず斬られる以外に選択肢はなかった。
以前のギルという男と戦った時のように相手のスピードに慣れさせることもしない。最初で最高の一撃で最愛の人に刃を向けた。
飛び出したルナは一瞬でハルとの距離を詰める。最速の一撃は双剣による刺突攻撃であり、それは一本の槍の様であった。
そして、ルナはそのまま彼の身体に激突した。
衝突の衝撃で土埃が辺りに舞い視界が遮られる。
土埃の中では相手がどうなったかの確認はできない。
しかし、そこでルナは自分が何かに包まれてることに気づいた。ずっと触れていたいそのぬくもりの中で、全てを出し切って体一つ動かなかったルナは、安心して身をゆだねてしまった。
『何だろう、ここ、すごく…居心地がいい…ずっとここに居たい……』
しばらく、ルナはそのぬくもりの中で安らいで、身体を休めた。
やがて、土埃が止み、周囲の視界が晴れていく、そこでルナはようやく目を開けて自分がどんな状況かを確認した。
「…ん?………あ……」
ルナが目を開いたとき、くすんだ青髪の青年の青い瞳と視線が合った。
ルナはとっさに手に持っていた双剣を振り下ろそうとした。が、自分が持っていた双剣は両方とも柄の部分しかなく刃の部分は根元からいつの間にか破壊されていた。
「………」
理解が追い付かないルナは、ただ、答えを求めるようにハルの目を再び見つめ返した。
そこでルナが後ろを見ると、何かを引きずって深くえぐれた草原があった。そして、今の自分がハルの胸の中で安らいでるのを含めて考え、推測するとだいたい何が起こったか想像がついた。
『もしかして、受け止めたの…私の全力をあなたは、生身一つで……』
さらにルナは急いでハルの身体に傷が無いか調べ始めたが、どこにも穴は開いておらず、そればかりか出血ひとつしていなかった。
全力で殺そうとしたルナのそんな殺意を、ハルは優しく包み込み彼女を守っていた。そんな力量さの相手をルナが殺せるはずがなかった。
「………」
ルナが唖然といているところに彼が口を開いた。
「ルナさん、あなたが俺のことを憎んでいても構いません…」
光があれば当然闇がある。今、その光と闇がようやく真の意味で互いに顔を合わせた。
ただ、照らされる闇があるなら当然、闇に染まる光もあった。
光だと思って照らされていた存在はすでに深い闇に浸食されていた。その闇をルナが彼の瞳に垣間見た瞬間、戦慄して動けなくなってしまった。
彼をこれほどまでに変えてしまった存在はいったい何なのだろうか?と考える暇もなく、彼の重厚な殺意と共に言葉が告げられた。
「俺はそれでもあなたも救います。俺は自分の約束を守るためにルナさんのように俺を憎んでる人達でも誰でも彼らが人である限り、みんなを選んで守り、救います。そこにどんな理由があっても…」
そこには安心と恐怖があった。絶対的な安心と絶望的な死が入り混じり、ルナの感情をぐちゃぐちゃにしていた。
そして、ハルの言葉は続く。
「だから、お願いがあります。ルナさんも死なないで最後まで生きてください…俺は無意味に誰にも死んで欲しくないんです。だって俺はみんなを人を…」
彼の優しい声、優しい笑顔で強く優しく抱きしめられる。そこには間違いなく彼からの愛情を感じたが、最後にルナが与えられたのは恐怖だった。
「愛してるから…」
凍てつくような冷え切った声がルナの耳元で囁かれた。彼のその声は、ルナの全身から嫌な汗を流させ、恐怖を刻んだ。
そんな恐怖しているなかルナは彼の言葉から自分のあることに気がつきそこでさらに絶望した。それは、ルナが小さいころからやってきたことで、彼に嫌われる要因としてすでに備わっていることだったからだ。それはもちろん人を殺しだった。
「あ、あ、でも、私、たくさん人を殺してるから、あの、ハルさんとの約束守れない…」
ただのそのルナのたどたどしい発言を聞いた彼が次に口にした言葉で、ルナは彼が自分と同じ闇に染まっていることを確信させた。
「君の瞳に映ったものは本当に人だったのかな…?」
「え?」
「ルナさんと舞踏会で話したとき、あなたが心優しく素敵な人だってことは分かりました。だって、あなたはすごい楽しそうに笑うから、こっちまであの時楽しくなってたんですよ。だから、そんなあなたが人を殺すわけないじゃないですか…」
「…あ、でも……」
「罪が無い無垢な動物でも、人は殺して食べて生きようとしますよね?それと一緒です。あなたはあなたが生きていくためにその人みたいなものを殺したんです。あなたは自分で自分の大切な命を選択してきたんです。それは素晴らしいことだから、何も心配しなくていいんです…ルナさんは立派な人ですよ!」
「…はい……」
ルナは理解していると思っていたことが、全く理解できていなくて、この時さらに恐怖していた。ルナは五年間ハルのことを見てきたが、彼のことなど何一つとして分かっていなかったとこの時思った。
そして、ルナが恐怖で震えながら固まっていると、ハルがゆっくり立ち上がった。
恐怖の対象はハルだったが、怖くて離れて欲しくなかったルナはハルの服を引っ張って逃さないように抵抗した。が、あっけなく彼にほどかれてしまう。
「ルナさん、ごめんなさい、俺はもう行かなくちゃいけないんです。みんなを待たせているので…」
「ま、待ってください…」
ルナは縋る様にハルに掴みかかった。
「どうしました?」
「あの、私…」
もし、彼が同じく闇の底まで落ちてきてくれるなら、ルナは彼に本当の想いを伝えたかったが、今の彼はまだ光の中にいたので、ルナは何も言えなかった。
「いえ、なんでもありません…」
「そうですか、あ、帰り気をつけてくださいね!」
ハルがニッコリと笑顔を見せてくれると、彼はルナの元から去っていった。
ルナは独りその場に座り込んで彼の後姿を見つめていた。
ルナの中には変わらず、彼への想いがあった。いや、むしろ、今日の出来事でルナはますます彼に
心を掴まれ、酔心させられていた。
『また、あなたに会いにいきたい。その時までに私は、ハルさんの愛する人になろう、だって私はもう、ハルさんから見れば人だったんだからね…』
「フフ、フフッ、アハハハハハハハハハハハハハハ!」
ルナが草原の真ん中に倒れて、笑い転げる。ルナは最愛の人、最愛の神に許されていた。そして、そんな彼の底知れない闇を覗けてルナは心の底から嬉しかった。
「早く、また、ハルさんに会いたいな、今度はいつ会えるんだろう!」
草原に寝転がっていたルナはどこまでも深い青空を見上げさらに呟いた。
「楽しみだな…」
ルナはその後もしばらく嬉しくてひとりで笑っていた。
***
ハルが馬車の前まで来ると、御者が扉の前に立っていた。
「ああ、お帰りなさいませ、シアード様!みなさんが中でお待ちです」
「待たせてすみませんでした」
「いえ、ご無事で何よりです。さあ、中へお入りください、すぐに出発しますので、座っていてくださいね」
「ありがとう」
御者に扉を開けられ、ハルが中に入ると、みんなが一斉に押し寄せてきた。
「うああ、ハル、無事でよかったです!!」
最初にライキルが抱きしめてきてくれた。
「ハル、何があったんだ?途中ですごい音がしたぞ!」
エウスは心配そうに尋ねていたし。
「ほれみろ、ハルは大丈夫だっただろ!」
とガルナは嬉しそうに笑っていた。
「ハル団長!ケガは、ケガはないですか!?大丈夫だったんですか!?」
ビナもみんなの後でぴょんぴょん跳ねていた。
「みんなありがとう、でも、大丈夫だよ、この通りケガもしてないし、普通にお客さんと話してきただけだからね。なにも心配することはないよ!」
「本当ですか?」
まじかにいたライキルの黄色い瞳が覗き込んでくる。
「本当だよ」
「…そうですか…」
ハルがライキルを見つめ返すと、彼女は恥ずかしくなったのか下を向いていた。
「それより、ほら、みんなすぐに出発するって…!?」
そうハルが言ったときには馬車が出発して、みんなが体勢を崩して倒れた。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
馬車の中では笑いで溢れかえった。
その後、やっぱりみんなにお客さんであったルナのことを詳しく聞かれたハルであったが、彼女の存在は秘密にすることにした。
ホーテン家のような隠されていた存在を下手に知るとどんな危険がみんなに加わるか心配だったからだ。
世の中には知らなくていいこともあるハルはそう思った。
そんなわけで、ハルたちは束の間の休日を終えて、パースの街の古城アイビーに帰宅する。
帰りの馬車内はその後もずっと賑やかであった。
その最中はハルはみんなの顔をゆっくり見回し心の中で思った。
『愛してるよ…みんな……』
これにて、ハルたちの解放祭は幕を閉じた。
そして、再び、四大神獣との戦いの日々が始まる。
ここまで読んでいただきありがとうございました!ここで第二章解放祭編は終わりですが、物語はまだまだ続きます!