ずっと考えていた
時は遡り表彰式が終わったパーティでのこと。
エウスがみんなの元に向かって歩いて行く。
そこではまだライキルとニュアが取っ組み合いの喧嘩というよりは、じゃれ合っているのを、リーナがなだめていた。そんな彼女たちのまわりには、アルストロメリア家の三女のハザーナが面白がって混ざろうとしているのを、次女グレースが止めていた。さらにその状況を優しく微笑みながら見守るレイゼン卿と彼の妻のアハテルがいた。
そして、ガルナの腕の中で眠っている今日の主役だった、ハルがいた。
エウスが歩いているとキャミルがわざと肩にぶつかってきた。彼女はそのまま、こっちに一度振り向きながら舌を出して、いたずらっぽく笑い、ライキルとニュアの喧嘩に割り込んで行った。
エウスはその場で立ち止まって、みんなの様子を外からひとりで眺めた。
そこには幸せな時間が流れていた。
こんな幸せな時間が、これからも長く続くようにと戦ってくれたのが、今、気持ちよさそうに眠っているハルであった。そして、そこには多くの者が関わっていた。このパーティの二階にいる王様や多くの組織の人々。彼らは国のため、自分の組織のため、人のため、金のため、きっと内心に秘めた思いは関わった人によって違う。だが、ハルに協力してくれたことには変わらない。
ハル・シアード・レイ。元剣聖であり、レイドを二度神獣の脅威から守ってくれた英雄。誰もが彼に感謝しては彼を愛した。
そんな大きな存在になったハルは、それでもいつまでも自分たちと一緒にいてくれた。エウスにとってそれはとてもありがたいことだった。
エウスが彼に肩を並べて歩けているのはきっと彼が隣で歩いてくれているからなのだろう。だけど、きっとハルも自分たちがいなくなったら退屈で寂しいんじゃなんじゃないかとそう思いたい気持ちはあった。それだけハルと歩いて来た今までの長い道のりは険しくもあったが楽しいことの連続だった。その彼との関係で深まっていったのは友情だった。
エウスにとってハルは人生の中で唯一無二の親友であった…。
しかし、それと同時にひとつだけ心残りがあったことは認めなくてはならないことだった。
ずっと気にしないようにしていたことがあった…。
『この祭りをハルは楽しめたんだろうか…』
幸せそうに眠るハルを見ながら、エウスは考える。
『…俺は、これからも、お前の隣にいていいのかな…?』
あれから、ずっと抱えていることがあった。
それは後悔だった。
***
霧の森で俺が命令違反をしてまで飛び出したのはハルの感情を感じ取ったからだった。
俺には人の感情を視覚でとらえることができた。
幼い頃、魔獣の被害に遭い家族を失ったときに、初めて人の感情が見えるようになっていた。それは自分だけの魔法で体質のようなもの。つまり、天性魔法だった。
人の感情が見える力。目に映った人の喜怒哀楽のすべての感情の変化がこと細かく読み取れた。それは色や光となって分かりやすいように瞳から情報として流れ込んでいた。
そして、霧の森で見た。大きな爆発のような感情の閃光は、俺を絶望の淵へと突き落としていた。なぜなら、あの時見た感情の色と光の変化は最初にキャミルと出会った時と一緒で、それがハルのものだったからだ…。
最初はあり得ないと思った。だけど、実際にその場所に向かえばハルは死のうとしていた。
その時は動けなかった。ライキルが駆け出してくれて全力で止めてくれたけど、自分の足は寸前のところで動かなかった。
『俺は動けなかった…あの時、ハルが死ぬってとき…動けなかった…俺はハルに何度も救ってもらったのに…』
あまりにもハルという人間が死ぬはずないと自分の中で絶対的な信頼があった。だから、彼がいなくなることが考えられなかった。考えたくなかった。だから、現実を受け入れられなくて足を止めてしまった。
ハルは悩んでいた自分のやったことが罪だと。魔獣たちを殺すことが罪だと。彼は俺たちのためにずっと罪を被っていた。誰だって人の命のためなら魔獣を殺す。当たり前だ。だけど彼はそのことに罪の意識を抱いていた。そんなあいつに四大神獣討伐の決意させたのはなんだったんだろうか?
『いや、そんなの考えなくても分かる…他の誰かのためだ…』
ハルが行動するときはいつだって人のためだったじゃないか…。
でも、自殺は自分のためだけだ。自殺は誰かを幸せにはしない。ハルの抱えていたことに、最後まで気づけなかった俺は最低だ。
『やっぱり、俺はハルの親友失格だな…』
そのあと、何事も無いようにいつもの元気なハルが戻って来てくれたことには、安心した。
だけど、それから死のうとしたことに関しては怖くて聞くことはできなかった。あれから俺は彼の前でいつもの自分を演じてた。あいにく、感情を表に出さないのは商人もあって得意だったが、そんなものはこんな時には余計なだけだと思った…。
俺はハルみたいに強くはない。むしろ、弱いところだらけだ。気丈にふるまっているだけで、自分の想像以上のことは何一つできない…。
そんな俺にとってハルは人生の目標であり、親友であり、家族であった。
いつも一緒にいて、いつも一緒にバカやって、それが人生の終わりまで続くと思ってた。だから、あの時、ハルが霧の森で終わってしまうと思ったとき、俺の人生もそこで終わっていた。
『あの時、ほんとにハルが死んでたら俺はどうしてたんだろうか…』
いつまでも一緒に居れないことは分かっていた。だけどその別れはもっと何十年も先のことだと思ってた。いや、心のどこかで俺たちに終わりなんてないと思ってた。
永遠がここにあると思っていた。
だけど。
***
「終わりはちゃんとある…」
エウスは呟いた。ガルナの腕の中で死んだように泥酔して眠っているハルを眺めながら…。そして、彼のもとまで歩いてき、彼を抱えているガルナに言った。
「ガルナ、俺がハルを持つよ、大変だろ?」
「ん?ああ、エウスか、いや、そんなことないぞ、私の力をなめるでない」
「ハハッ、そうだったな…」
断られたことを残念に思いながらエウスはそのまま、キャミルが割って入ってやっと治まったライキルとニュアの喧嘩の終わりを見届けていた。
すると、突然、ガルナが眠っているハルをこちらに人形のように差し出してきた。
「だが、まあ、今、ちょっと私も喉が渇いたからその間だけお前に任せよう、ありがたく思え」
「ああ、そうか、任せろ…」
たどたどしく、返事をするとエウスはハルに肩を貸した。幼いころは何度もこうして肩を貸したことがあったが最近ではそれもめっきり減ったことを思い出していた。
『ガキの頃はしょっちゅうハルと肩を貸し合ってたっけな…』
しばらくそうしていると、酔ったライキルがこっちにやって来た。
「あ、エウス、私にそこのハルをくれませんか?お願いします」
「…でも、お前も酔ってないか?」
「いえ、私なら大丈夫です。今日はそれほど飲んでませんからね」
見たところそのようだった。ライキルの普段の酔いはもっとひどくて、頭の中がハルのことでいっぱいになるのをしっていた。だから、今の彼女はましだといえた。
「まあ、それなら、どうぞ」
エウスがハルに肩を貸す時間はすぐに終わってしまった。
そこに戻って来たガルナにライキルが説得してハルを担ぐ権利を手に入れていた。
『ライキルはほんとにあいつに一筋だな…きっと、その思いの強さがあのときあいつを動かしたんだろうな…』
ハルを担いで幸せそうに笑うライキルを見て、エウスは少しだけ安心する。
『それにしてもライキルも元気になってよかった…キャミルのおかげだな…』
そこにちょうどよく、ライキルたちの喧嘩を王女の権限で鎮めたキャミルが戻ってくる。
「ふう、まったく、あの二人は変わらないんだから」
「お疲れ様です。お姫様」
「そんなこと言うとエウスと絶交するけどそれでよろしくて?」
「ハハッ、悪い、悪い」
それは困ると苦笑いしたあとエウスは、すこし真剣な表情に顔を戻ってキャミルにお礼を言った。彼が頼んでいたライキルのことに関して。
「そうだ、キャミル、ライキルのことありがとな」
「何が?」
「あいつの相談に乗ってくれたことだよ」
エウスは舞踏会でライキルの暗い感情に気づいて、キャミルに彼女の相談に乗る様に頼んでいた。自分自身では打ち明けずらいだろうから彼女に頼んでいたのだ。
「ああ、いいのよ、私にとってもライキルは親友だし、困ってることがあったら力になりたいし、というか逆じゃない?エウスがその目でライキルのこと見てくれたおかげでしょ?じゃなきゃ私、ライキルの暗い感情にすら気づけなかったからね…」
「…そうだな…」
親友。自分はハルにどんな力を貸せただろうか?そんな自責の念だけが積もっていく。尋ねる勇気もないから、どうしようもなくなっていく…。
『ほんとに俺ってやつはハルのことになるとダメだな…ライキルと変わらない…いや、違う、あいつの方が遥かに俺より強い……』
「エウス、どうしたの?なんかあった?」
「…ああ、いや、別になんでもないさ」
「…そう……」
それから、エウスたちはもう一度王様たちに挨拶をしてから、特等エリアのパーティを後にした。
会場から特等エリアを出るまでは専用の馬車で出入りが管理されていた。
特等エリアを出るとそこには自分たちの馬車や祭りが運営している馬車が並んでおり、自宅に帰る手段は整っていた。
アルストロメリア家とリーナとニュアたちとはそこでお別れをすることになった。
眠っているハルの代わりにエウスとライキルが、アルストロメリア家やリーナたちに挨拶をしてから別れた。
それから、エウス、キャミル、ライキル、ハル、ガルナの五人はブルーブレスに帰還した。
みんな三階まであがり、自分の部屋に戻った。そのとき、ライキルだけはハルを送り届けるために彼の部屋に入って行った。
「ライキル、あいつ変なことしないといいが…」
そんなくだらない心配をしながらエウスも自分の部屋に戻った。
ハルとライキルことだが、正直、何かあったとしても二人の仲には十分な理解があるため何も問題はないし、それに幼いころから一緒にいるのだ。彼らはもはや家族同然であり、そんじゃそこらの男女とはわけが違う。言ってしまえば夫婦みたいなものだ。それでも、彼らはもちろん、そんな関係じゃない。あくまでそれはエウスから見てだ。彼らの関係は彼ら自身が最終的に決めるものだから口出しの必要もない。
それよりも、自分の方が前途多難で八方塞がりといったぐあいで困ったものだった。
エウスは自分のベットに倒れ込み、しばらく天井の壁を見ると横になって窓から星空を眺めた。
「色々あったあとだったが、この一週間は楽しかった…」
解放祭。四大神獣白虎討伐を祝して行われた今回のお祭りだが、この期間は討伐と討伐の間のちょっとした休息でしかない。神獣討伐は終わっていない。本当の解放祭はまだ先だった…。
「でも、それも明日で終わりだ…」
明後日にはパースの街にある古城アイビーに戻ることが決まっていた。つまり、それは四大神獣の討伐が再び始まることを意味する。少なからず危険がつき纏うことになる。もちろんハルほどではないのだが、それでも死ぬ危険は当然あった。
しかし、エウスは思い出す。短くても平穏だったこの祭りの間に起こったことを。酒を飲んでバカ騒ぎして、脅威のない日々を過ごして、愛する人とずっとそばに居られた時間を…。
『四大神獣の討伐が終ったら、こんな日々がずっと続くのか…』
その想像は何よりも素晴らしい希望だった。それに、エウスにはいち早くハルのような大きな爵位を手に入れる必要があった。
「俺も、いつまでも、立ち止まってるわけにはいかない…」
自分のためにずっと待ってくれている人がいる。そのことを思うだけで、エウスは勇気が出る。前に進む理由が生まれる。エウスには戦わなければならない理由があった。
『明日、ハルと腹を割って話してみようかな…あの時のこと…』
次に進むためにそれはエウスにとって一番大事なことだった。前に進むためには前を向かなきゃいけない。
『もう、十分、目を背けたからな…それに、このままだと、俺は本当にハルの親友でも友人でもいられなくなる。そんなの嫌だね…』
ハルをもっと知りたかった。彼とうわべだけの関係になるのだけは、エウスにとって一番避けたいことだった。
それから、エウスは、目を閉じた。すると、すぐに眠りがやってきた。
朝が来る。ハルたちの祭りの終わりはすぐそこまで迫っていた。
***