約束をする
結局、無意識のうちにアザリアのことが忘れられなかったからハルは自殺を選んでいたのだ。夢の中で彼女と交わした言葉が無意識のうちに現実のハルの行動に組み込まれていた。それほど、彼女を愛して、愛して、愛して、もはや、神を信仰する狂信者の様に、ハルは自分の中に眠っていた強烈な思いから判断したことが自殺だったのかもしれない。
ただ、今となってはアザリアの言葉から彼女の見解を誤って捉え、さらにそれを約束だと一方的に信じ、守れず苦しんでいただけであり、そのわだかまりも解けたのが現在のハルだった。しかし、ハルにとって彼女のその教えが、言葉が、行動が、存在が、自分の中にある絶対的な正義であり、考え方の根幹であり、魂だった。それは今も変わっていない。だから、ハルは、アザリアのことが忘れられない。ただこれに尽きるのみだった。
けれど、現実はどうだろうか、アザリアなんてどこにもいないし、いるのは今を生きている人たちだけだ。亡き人に囚われ現実を見れなくなったハル。そんな時に、やはり、救ってくれたのが、アザリアであった。
だから、ハルは、アザリアのことが忘れられない。まるで呪いのように神を信じる狂信者の様に…。
そんなアザリアという女性を愛しているということについて、ハルはしっかりとライキルに伝えた。そのことは次に進むための一歩だったから…。
「ライキルが言ったとおり、俺はそのアザリアって女性のことが、今でも好きで忘れらない……」
「ですが、彼女は死んでいるんですよね?」
「うん、夢の中で本人がはっきり言ってた…」
夢というと信憑性が酷く下がるが、それでも信じてくれるライキルには正直に話した。
「なるほど、だから、死んで会いに行こうとしたんですね?」
「うん、それが彼女に会える最後の手段だと思って…」
自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。相手が死んでいるから自分も死ねば会えるとなぜそう思ったのだろうか?ただ、それ以外全く思いつく方法がなかったのが、きっかけだったのかもしれない。自分も彼女と同じ存在になればずっと一緒にいられると…。
「…そうでしたか、でも、大丈夫です。私は信じますよ、アザリアさんがいたってこともハルがそのアザリアさんって人のことを愛しているってことも全部私は信じます」
「…ありがとう、ライキル」
「ただ、ひとつ言わせてください…」
その時、ライキルの表情が真剣な顔に変わった。月光を浴びる彼女の姿はどこか神秘的だった。
***
私はずっと、言えなかったことを言う。その言えなかったことはハルのことを好きだということではない、もっと重たい愛してるということ。そのことは彼との関係が壊れそうでずっと言えなかったことだ。だけど、今ここで言わなきゃいけないと決心した。関係を壊してでも前に進まないといけない。
ハルはアザリアって人のことが好きだと言った。死んでしまっている彼女のことがそれでも好きだとそう言った。
死ぬほど好きで私たちよりもきっとずっと大切なんだろうね…。
それは悔しいけど、私には、関係ない。だってそれはハルが想ってること。他人の想いをコントロールできないことを私は知っている。だけど、他人の想いに自分の想いをぶつけることはできる。今がその時だ。私の想いもハルに伝えなきゃいけない。じゃないと、きっと私は一生、彼に愛してるって言えなくなる。彼の想いを優先して、もう、一生あなたに伝えられなくなる。
そんなのは絶対に嫌だ。
「ハル、私はずっと前からあなたを愛してました。だから、結婚してください」
***
「………!?」
結婚。そのことを先に伝えようと決心していたのはハルだった。アザリアのことを愛しているが、それでもライキルのことも愛していると、自分の心境を全て晒してからそのうえでライキルには判断してもらいたかった。
ライキルのことはもうずっと前から大切な存在になっていたため、告白をする上で嘘をつきたくはなかった。それになぜ今まで想いを伝えて来れなかったかと言うとライキルだけはハルの中で大きな存在になりすぎており、今までの関係を壊して前に進むのが怖かった。
しかし、彼女が自殺のことについて尋ねたとき、全てを打ち明けて、告白するときが来たと思ったのだが…。
結果は、先に男気溢れる凛々しく美しいライキルに先を越されるという結末になってしまっていた。
ライキルが返事を待って、ただ、こちらをまじまじと見つめていたが、彼女の身体は少しだけ震えていた。
「その、俺は…」
「ダメですか?私、ずっと、あの時、ハルに助けてもらった時から、ずっと好きだったんです…だから…」
「いや、違うんだ。俺もライキルに…その…婚約を申し込もうと思ってたんだ……」
「へぇ…?」
そこでライキルの気の抜けた声が出た。そして、彼女は辺りをキョロキョロ見渡したあと恐る恐る、もう一度視線をこちらに向けてきた。
「ってことは私と結婚してくれるってことですか?」
「それはこっちのセリフだったんだけど…」
するとライキルがハルの胸の中に思いっきりダイブしてきて、こちらを抱きしめてきた。
「ほんとですか!?ほんとに、ほんと!?」
「本当だよ、俺もライキルと一緒にいたいってずっと思ってたよ…」
それは紛れもなくハルの本心だった。だが、問題はまだあと一つ残っていた。
「やったー!じゃあ、私、ハルのお嫁さんになれるってことですよね?」
「うん、そうだけど…」
『みんなを見捨てようとした俺でほんとにいいのか……』
喜ぶライキルを見て、ハルは心の中でそう思う。
「やったー!夢じゃないですよねこれ?痛い!!夢じゃない!?」
ライキルが自分の頬を思いっきりつねって確認していた。
そんな喜ぶ彼女をずっと眺めていたかったが、まだ一つ壁が残っていた。それはガルナのことだった。
ハルは彼女も迎え入れたかった。
一夫多妻。それはこの大陸でも多くの国で存在した習慣ではあった。しかし、それはもう遥か昔のことでそれは大きな戦争があった時代に、夫を亡くした妻を救済する目的が主な理由だった。この時代ではすっかりそのようなことが無くなって、一人の夫に一人の妻が基本だった。
ただし、王や位の高い貴族には今でもその血を絶やさぬように側室などが存在する一夫多妻を認めている国はあった。
だが、ハルはどうしてもガルナという女性も自分が守りたいという強い意志があった。彼女は戦闘狂で守られるも何もないが、ここはハルの完全なエゴであった。だから、もし、ライキルがダメと言えば、諦める覚悟も実際はしていた。だが、それほど、ハルは彼女のことも大切な存在になっていた。
「ライキル、もうひとつ言っておかなきゃいけないことがあるんだ…」
「はい、なんですか?」
ハルの胸から顔を離したライキルが顔を上げた。キラキラした笑顔が素敵でとても言いづらかったが、正直に言った。
「ガルナのことで、俺は彼女も妻として迎え入れたいと思ってるんだ…」
「…え!?」
ライキルは、驚いた表情を浮かべる。二人の妻を迎えることは普通の人の考えならまず想像もしない。
「俺は、彼女のことも守って幸せにしてあげたいんだ…」
何もかも正直に話した。正直に話したからと言って許されるわけではないが、それでも、言わなければならなかった。
「………」
目をふさいで判決待つかのように、彼女の返事を待っていると…。
「フフッ、アハハハハハハハハハハハハハハ!」
ライキルは目の前で綺麗な顔を崩して笑い出した。
「ど、どうした!?ライキル!?」
ライキルの変化にハルは動揺する。
「いえ、そのガルナにはいろいろ思いを抱いていたのでビックリしただけです」
それから、ライキルはハルの膝の上に横たわっていたところから上体を起こす。そして、ハルの顔を改めて見た。
「ガルナとも結婚。私はそれでも全然構いませんよ!というより、私にはハルが誰を選ぶかを咎めることはしません。私にとって重要なのはハルが私を選んでくれるかでしたからね!」
そう言うと、物欲しそうな表情をしてライキルは付け足した。
「ただ、私も選ばれたからにはハルにたくさん愛してもらいたいですけどね!」
そして、彼女は二ッと笑った。
「もちろん、ライキルのこと、大事にするし、ずっと愛してる」
「ほんとですか!?えへへ、ありがとうございます!私もハルを愛してますよ」
ライキルからの返事はもらった。だが、それもこれもガルナの返事しだいなことも忘れていない。彼女がもし、断れば、この話は無くなるし、ガルナが二人が嫌だというなら自分はガルナの方を諦めなければいけなかった。ただ、ダメだとしても、ハルはガルナのことは最後まで見守るつもりだった。ただ、それがそばにいるかいないかだけの違いだった。それでも、そばで彼女のことを守れるならそれに越したことはないと思っていた。
「あ、ライキル、それともう一つ」
「なんですか?」
「えっと…結婚は全てが終ってからにしたいんだ…」
四大神獣の討伐が終ったらいずれにしてもハルはそう考えていた。
「…やっぱり、そうでしたか…」
「うん、四大神獣を最後まで討伐するって決めたから…」
そこは譲れなかった。ハルの中でアザリアの言葉が蘇る、生かす命は選べと、だからハルは人々の命を選び救う。それはすでにハルの使命であり、運命といえた。
「仕方ないですね、でも、ハル、私たち将来夫婦になるんですよね?」
「ほんとにライキルが俺みたいな最低な奴でいいならそうなるよ…」
「へへ、私は最低なハルで全然構いません。他の女性のために自殺までして会いに行こうとするお人好しで最低で優しいハルで私は構いませんよ!」
彼女の優しさと寛大さには頭が上がらなかった。アザリアを認めてくれて、ガルナのことも許してくれた。ハルは彼女の優しさに救われていた。
『本当にごめん、そして、ありがとう、ライキル…』
それから、これからのことなどを話しているうちに随分時間が経っていることに気づいた二人だった。
ライキルは眠りの限界が近づいており、眠そうに瞼をこすっていた。
「ライキル、もう、寝ようか、夜も開けそうだし」
「じゃあ、ハルのベットで…」
ライキルは座っていたベットの後ろに倒れ込んだ。
「それはダメ」
ハルはベットに寝転んだライキルをすぐに抱きかかえて無理やり引き剥がした。
「うええ、いいじゃないですか、私、ハルのお嫁さんなんですよ?」
「さあ、自分の部屋に戻るよ」
ライキルを持ち上げて子供をあやすように優しく言った。
「私、ハルの子供じゃないですよ?妻ですよ、妻!」
「アハハハ、じゃあ、ひとりで戻れるね?」
「…ちぇ、分かりました。今日のところは戻ります」
軽々抱えていたライキルを地面に降ろすと、彼女はそのままこちらジッと見つめてきた。そして、何かを閃いたかのように口を開いた。
「あ、そうです!これくらいならいいですよね?」
「…ん?…んん!?」
逃げないように頭を掴まれたハルにライキルの顔が迫った。そこで互いの唇が重なり合う。五秒ほど経ったあと彼女が一歩後ずさった。
「おやすみのキスです。まえに、してくれなかったお返しです」
いたずらに笑ったあと、逃げるように彼女はハルの部屋から出て行った。部屋にひとりになったあと、ハルは静かに呟いた。
「…おやすみ、ライキル………」
***
ハルの部屋をでたライキルはまっすぐに暗い廊下を歩いて自室に戻った。その時の彼女の顔は燃えるように真っ赤であった。
部屋に到着するとすぐにベットに倒れ込み、枕に顔を押し込んだ。そして、何度も足をバタバタさせベットの上で身悶えたあと、何度も自分のほっぺたをつねっていた。
「夢じゃない…夢じゃない…夢じゃない…」
再びベットの上で身もだえ、落ち着く。
『はあ、今日、あんまりお酒飲まないで良かった…それにハルを介抱したのが私でほんとに良かった…明日、キャミルにお礼しないと!』
パーティのあと、ライキルがハルを担ぎ、部屋まで運んだ。そのあとは、ずっと、彼の寝顔を飽きずに眺めていたり、添い寝をしてみたり好き放題やっていた。だから、ハルが起きたときにライキルは彼の部屋にいて、ベットの下に慌てて隠れて無様な姿をさらしていたのだが…。ライキルにとってはもうどうでもいいことだった。
ただ、ライキルは次に目を覚ましたとき、再びハルに会うのが楽しみで仕方がないだけだった。
そして、ライキルは眠りについた。
彼女が眠りにつく頃、窓の外では朝の光が差し込んでいた。