解放祭 正義
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穏やかな日差しが降り注ぐ気持ちのいい草原に、胴体に剣が突き刺さったままのサムは、少女を抱えながら少しでも安全な場所に逃げるため走っていた。その最中サムは常時、白魔法でその少女の引き裂かれた深い傷を治療し続けていた。サムは自分の傷はお構いなしで、彼女の命を繋ぎ留め続ける。次第に体に刺さっていた剣の傷口が開き、そこから血が滴り始めた。
「ルナさん…」
抱えている少女の名前を呟き、サムはその場で立ち止まって、彼女を草原に寝かせた。
そして、次の瞬間。
ゴフッ!
大きな血の塊を吐いてサムは倒れてしまった。
先ほどから生じていた腹部の激痛が限界に達し、走ることも立っていることも、ままならなくなってしまった。
「グッ、ハア…ハア…」
地面に頭をこすりつけながら、それでもサムは手だけを伸ばしてルナへの白魔法での治療をやめることはなかった。
ここで、自分に白魔法をかけたら傷の具合から睡魔で起きてはいられない。それだと、今の重症のルナの命も助かるかは分からなかった。目が覚めて万が一彼女が死んでいましたなんてことはごめんだった。
「必ず助けますから…」
サムは身体にマナを流し、ルナに白魔法を行使し続ける。マナが身体を駆け巡るたびに、傷口が開き、激痛にさらされていた。
次第に息が荒くなり、視界がぼやけ始め、意識も霞んできていた。
『ここで倒れるわけにはいかない、ルナさんには生きて知ってほしい。あなたを大切に想っている人はいっぱいいて、あなたもその人たちを愛せるってことを…あなたが何者でもね………』
サムは最後の力を振り絞って上体を起こし、ルナに両手をかざして最後の白魔法を行使した。
白い光がサムの手元から燦然と強い輝きを見せ、ルナの身体を包み込んでいった。
気づいたらサムは血だまりの中にへたりこんでいた。その血だまりが自分のものだと気づいたときには、助からないと覚悟した。
『急所は外したつもりだっだんだけどなぁ…』
それでも、安らかな寝息を立てているルナを見るとサムは微笑むことができた。
「一緒に生きてみてください…みんなと…」
かすれた小さな声でサムは呟いた。
「だって、ひとりは辛いからさ…」
痛みで呼吸が止まり、視界がゆっくりと暗くなっていき、意識が遠のいていくのを感じた。
「………サム…さ…ん………」
誰かが遠くから呼ぶ声が聞こえ、サムは瞳だけその声のする方向に向けた。
そこには街の方からこちらの草原に走って来る三人の影があった。ひとりはサムも見慣れた姿かたちから、リオであることが分かった。もうひとりはさっきまで一緒にいたギゼラだということが予想できた。
しかし、最後のひとりは誰であるか見当もつかなかった。
ただ、その最後のひとりが真っ白な髪のエルフであることは、サムの途切れる前の最後の記憶として残っていた。
*** *** ***
「あれを張ったのは僕だよ」
その声で、カイ、フォルテ、アモネの三人が振り向くと、そこには紫色の髪をした小柄なエルフが立っていた。
剣聖の二人は理解が及ばず、あっけにとられて、ただ、目の前に突然現れた得体のしれない全身紫のエルフを見つめて固まっていた。
しかし、アモネだけは、そのエルフの姿を確認すると歓喜のあまり震えてそのエルフの名を口にした。
「ドロシー様…」
「やあ、さっきぶりだね、アモネ」
ドロシーと呼ばれた女性のエルフは、この深刻な雰囲気の中、気さくにアモネに話しかけていた。話しかけられたアモネは豊かな表情で彼女の言葉の一つ一つに反応していた。
そのやり取りを見たカイは当然、彼女に剣を向け言った。
「あんた何者だ…」
その時、突然、うっとりとしていたアモネの表情が灼熱の炎のように燃え上がり、黒剣を握り襲いかかりながらカイに怒鳴った。
「お前誰に剣を向けてるんだぁ!!」
しかし、そのアモネの行動も、ギルを担いでいたフォルテに簡単に封じられてしまう。カイに向かって剣を突き立てようとしたアモネの頭を掴み、フォルテは、そのまま彼女の頭を地面に叩きつけた。
「おい、抵抗するな!」
フォルテの力はアモネを地面にめり込ませるほど強力で彼女は身動き一つ取れなくなったが、必死にもがいて抜け出そうとしていた。
「あぁ、その子も僕の友人の知り合いなんだ。あんまり手荒な真似はしないでくれるかな?」
ドロシーは地面にめり込むアモネを心配そうにのぞき込む。
「動くな、あんた一体何者なんだ?こいつらの仲間か?」
牽制するようにカイは、ドロシーに合わせて大剣をかざした。
「僕かい?僕はドロシー、そこで伸びて担がれてる男の友人ってところかな?」
ドロシーはフォルテに担がれているギルを指さして言った。
「…友人?」
カイが怪訝な顔つきでつぶやく。
「そうだよ、ただの友人。そう言う君たちは、レイドの新しい剣聖で、そっちの彼はアスラの第二剣聖だよね」
ドロシーは交互に二人に目をやった。彼女の紫色の瞳に動揺しているカイとフォルテの顔が映る。
「…ああ、それはあんたの言う通りだ。だが、それであんたは何しに来たんだ?」
カイは大剣を向けたまま、ドロシーから目を離さない。
『もし本当に人払いの結界をひとりで張ったならこいつは相当な魔導士ってことになる…』
今張られている人払いの結界は少なくても数十人、多くて数百人の魔導士を動員して張るほどの大きな結界だった。もちろん、規模にもよるが大きな結界を張るのに参加する魔導士は全員魔法の達人や実力者などの専門家でなければならない。
そんな巨大な結界を一人で張ったと淡々と言う彼女には信憑性と不気味さがあった。それに彼女は見晴らしのいい草原であるのに、二人の剣聖相手に背後を取るという離れ業をしていた。そんな彼女を二人の剣聖たちは警戒しないわけがなかった。
「僕は、ただ、彼らとこれから酒を飲みに行く約束をしていたから迎えにきただけさ、仕事はもう終わったようだからね」
しかし、ドロシーのどこか気の抜けたセリフや剣聖たち相手に全く動じない姿はカイとフォルテを困惑させる。
「だから、彼らを離してくれないか?」
ドロシーはフォルテに向かって言った。
「いや、それはできない、こいつらにはいろいろ喋ってもらわなければならないことがある、例えばドミナスっていう組織のこととかな」
以前抵抗するアモネを押さえつけながら、フォルテは続けて質問した。
「あんたもドミナスの人間なんだろ?」
「そうだけど」
その問いにドロシーはあっさり答えた。当たり前のことを聞くねといった感じで彼女は少し笑っていた。
「そうか、だったら話しは早い。なあ、お前たちがどういう組織で何が目的なのか教えてくれないか?なぜ国や他の組織はお前たちを追っている?」
「君たちは知らないで僕たちを追っていたの?」
「知ってるよ、お前らの組織がこの大陸で好き放題やって多くの人を犠牲にしたってことは。そうだな、言ってしまえばお前たちは四大神獣みたいな厄介な存在ってところだろ?」
「フフッ、君、面白いことを言うね。そうかドミナスは新たな四大神獣かぁ、なんかいいねそれ」
フォルテが言ったことをいたく気に入ったドロシーは楽しそうに笑った。
「分かった、少しだけ昔話をしてあげよう。アモネはちょっと静かにしていてくれるかな?」
ドロシーがそう言うと、アモネはすぐに抵抗するのをやめて静かになった。
「その子を離してくれないかな、もう襲ったりしないから」
フォルテがゆっくりと力を抜くと、アモネは地面から頭を上げておとなしくしていた。
「よし、じゃあ少しだけ私たちがどのような組織なのか教えてあげる」
フォルテがカイに大剣を下ろすように目で合図すると、彼はしぶしぶその剣を下げた。
ドロシーはフォルテに目で礼をすると話始めた。
「ドミナスという組織は、このレゾフロン大陸の安定と秩序を管理して運営して行こうとしたんだ」
その言葉を聞いてカイとフォルテは不服そうな顔をした。
「言いたいことは分かる、君たちがドミナスが悪だと教えられたんだろ、それは普通だと思う。でもよく考えてみて、この二人、ギルとアモネは、今回大陸の平和を守る大英雄ハル・シアード・レイを殺そうとしたイルシーの暗殺者たちを始末したんだ。このことから分かる通り、ドミナスを悪の組織と決めつけるのは早いとは思わない?」
筋は通っていた、そもそも、今回の件だけ見ればドミナスはレイドやアスラとは敵対関係にないことは理解していた。しかし、そこだけ見ればの話しだった。
「だが、あんたの組織は過去にあった五百年戦争を引き起こしたってのはどう弁解するんだ?あの戦争で多くの人が死んだんだぞ?」
カイは王たちの話しを思い返しながら言った。
「五百年戦争か、その話は複雑なんだ…だが簡単に言ってしまえばあれは管理下にあった人間たちの知性を進化させた出来事だったと思う、あれは必要悪だったね」
「本気で言ってるのか?お前は今、戦争を肯定したんだぞ!」
「戦争は国が取れる手段のひとつだよ、君は今の平和な世の中で満足しているかもしれないけど、昔は誰もが自分たちを守るために戦争という手段を使って、生き残ってきたんだ。君だって言葉を交わさず手を出すときがあるだろ?」
「それは…」
誰にだってあると言いたかったが、何よりもまず自分に当てはまってカイは言葉に詰まってしまった。
「じゃあ、君は魔獣と対話しようと試みた時があった?君たちの生活圏を脅かす恐ろしい化け物を戦う以外の方法で退けようと考えたことがあったかい?」
カイはそんなこと考えたことが無かった。剣と魔法を極めれば人々や国を魔獣の脅威から守ることができた。だから、彼はそれだけを極めてきた。
そんなカイが魔獣と分かり合おうと思ったことなど一度もなかった。
「ないだろ、同じだよ、ただ、昔はそれが自分たちと同じ人だったってだけで、昔も今もそこは変わってない。それに今後もいつ倒すべき相手が魔獣から人に変わるかなんてわからないんだ」
ドロシーは一息ついて、話しをドミナスに戻した。
「ふむ、話しを戻すけど、その五百年戦争にだってドミナスは介入して管理してたんだ。大国なんかの強国が暴走してこの大陸を瓦礫と灰の山にしないように戦争にルールなんか決めたりしてね。だから、一概にドミナスが悪と決めつけるのは早いと思う。だって、そんなことを言ったら、君たちに助言しているであろうリベルスなんかも僕らとはまた違った意味で悪ということになる。まあ、要するにどちらに立っているかでその人の見方が変わるってことだね」
リベルスという組織とレイドとアスラの両国が繋がっていることを見抜かれて、カイとフォルテの身は少しだけ震えた。
「正義なんて立場や人によって変わるからね。君たち二人はレイド王国とアスラ帝国に属してるだから自分たちが正義だと思ってる、でもね、もし、君たちがドミナスにいても自分たちは正義だって思えるよ、ドミナスはそういう組織だからね」
自慢げにドロシーは微笑んだ。つまり、それほど自分たちの組織に自信を持っているということだった。その点はカイやフォルテが国を愛して忠誠を誓っているのと変わらないのだ。立っている場所が違うだけ、そう考えさせられるもので、悪とは誰かの正義だった。
「まあ、でも、ドミナスって組織は一回滅ぼされちゃったんだけどね、あの組織に…」
うんざりした様子でドロシーが言った。
「だが、ドミナスはまた復活しようとしてるんだよな?再び裏からの支配でこの大陸を管理、いや、支配するために」
フォルテが語気を強めて問いただす。しかし、ドロシーはなんてことないといった感じで軽くその質問に答えた。
「そうだよ、でも安心してドミナスはもうこの大陸を支配しようだなんて考えてないから」
「どういうことだ?現にこうしてお前らは活動してるじゃないか」
「今、この大陸で動いているのは、ドミナスの貴族たちだけだから、組織の全体の意思ではないんだ。王は別の件にご執着していらっしゃるからね」
「王ってどういうことだ?ドミナスには王がいるのか?」
「ああ、分かりずらかったね、単にドミナスの一番偉い人って意味だよ、組織には必要不可欠でしょ?」
「なんだそういうことか、だが、それで、なんでこの大陸を裏から支配するのやめちまったんだ、その王様はよ」
「それはあの事件が大きく影響してるんだけど…まあ、それつながりで四大神獣の影響もあるか…」
ドロシーは少し顔をしかめて、昔のことを思い出す。
「あの事件って…」
「凶星の青い破壊光事件だよ、あの【連合都市国家ストレリチア】って国をただの大穴に変えた最悪の大事件さ」
「あれもお前らの仕業だったのか…」
「いや、あれは僕たちっていうより、あの組織の仕業なんだけど…」
ドロシーは嫌な記憶を思い出してため息をひとつつくがすぐに切り替えた。
「まあ、それは置いといてだいたい分かってくれたかな、僕たちドミナスがどういう組織か?」
彼女は最後の締めに入る。
「まあ、単純に悪い組織ではなく、大陸の未来を思って動いていた組織ってことなんだ。今は活動の幅が狭まったけど、それでも最後までこの大陸のことを見守ってるってことかな」
そこまでドロシーが言うと、カイが口を開いた。
「ちょっと待て、もし、あんたが言ったことが本当なら、さっきの四大神獣のことあんたたち何か知ってるのか?」
「え?ああ、そのことね、そうだよね、今、この大陸で熱い話題っていったら四大神獣だもんね、でもそうだな、ひとつそのことで助言があるとすれば四大神獣は早めに倒した方がいいってことぐらいかな」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だけど」
「………」
カイは彼女の言ったことにどんな意味が隠れているのか考えてみたが彼には答えが出せなかった。
「ふう、お話はこれぐらいかな、結構、喋っちゃったけど、君たち剣聖に我々ドミナスの誤解されていた部分を伝えられて良かったよ、まあ、もちろん、受け取り方は受け取った君たち次第なんだけどね」
ドロシーがニッコリ笑う。その笑顔はカイとフォルテからしたら普通の女の子の笑顔にしか見えなかった。
「それで、二人を解放はしてくれないのかな?」
正義とは誰かの悪だ。今の話の中でそんな話題があったことを二人は思い出す。この場合、剣聖の二人がドロシーという少女にとっての悪になっていた。
『そうか、なろほど、彼女の言い分は間違ってないんだろうな…』
フォルテはそう思った。
『きっと、今、間違ってるのは俺たちなんだろうな…』
カイはそう思った。
だが、そんな二人は決断する。
『彼女は正しい、だけど、俺たちにも譲れないものがある』
二人はそう思う。
だから、カイは大剣を構えてドロシーの首にあて、フォルテは再びアモネを地面に押さえつけた。
「すまないが、それでも、あんたたちには一緒に来てもらう」
カイとフォルテは、国に仕える忠義の騎士、最後まで自らの国を信じ王を信じ民を信じる。カイはレイドのためだけに、フォルテはアスラのためだけに、ふたりは自分の信じる正義を遂行する。
しかし、二人がドロシーの邪魔をすると決定したとき、彼女は笑顔を崩さなかった。
「なるほど、それが君たちの答えか…それも正しいよ、だけどね見誤っちゃいけない」
ドロシーの身体から闇が溢れ出し、最後の戦いが始まる。
「闇はね、底なしなの…」