解放祭 絶体絶命
サムは、腕の中で眠るルナに対して、白魔法による治癒を続けていた。
彼の胴体には刃折れのロングソードが刺さったまま彼女の治療を行っていた。
「えっと、サムさんだっけ?あんた、自分の治療はしなくていいのか?」
そうサムに声をかけたのはフォルテだった。
「ええ、俺なんかより、ルナさんの方がよっぽど重症ですから」
確かに剣が刺さったまま治療するというのは外から見ていて心配になるが、ここで抜いてしまった方が逆に大量出血に繋がってしまうことを考慮しての判断だった。そのため、ルナの治療が終わるまでは、このまま続けるしか他に選択肢が無かった。それほど、今の彼女は一刻を争う状況に置かれていた。
「そうか、だが、あんたも彼女の治療に熱心になりすぎて死ぬなよ、白持ちはあんたしかいないんだからな」
「ええ、死にませんし、死なせません、彼女には聞きたいことや言いたいことがたくさんあるんですから…」
腕の中で死んだように眠るルナをサムは見つめる。ギゼラから聞いたルナの様子が変わってしまったこと、そのなかで彼女が人を人として見ていなかったこと、おかしな話だが、サムにはそのことがずっと気になっていた。
『もしギゼラさんが言ってたことが本当ならルナさんはずっと苦しんでたはず…だって……』
「…ぁ…………」
そこでサムはルナの口が動くのを見た。瀕死の重傷を治しているため、今、彼女は極度の疲労と強烈な睡魔に襲われているはずであり、意識を保とうとしているのは、それだけ無理をしていることになる。彼女に今必要なものは、無理をすることではなく、安らかな休息だ。
「もう大丈夫ですよ、ルナさん安心して眠っていてください」
サムは優しい言葉を掛けて彼女に休息を促す。
「…あ…が…と…う……」
「………」
そのルナの言葉を聞いた瞬間サムの胸は締め付けられるように苦しくなった。
「そうか…」
今、サムは過去の自分と目の前のルナが、どうしようもなく重なって見えてしまっていた。
『ルナさん、まだ俺はあなたのことを全然知らないから分からないですけど…あなたはきっと間違ってはいない。ただ、あなたのその生き方は辛いでしょう…』
サムは、自分とルナが似たような境遇なのは夜の会食などで少しは耳にしていた。だから、断片的ではあるが、彼女が今までどのような気持ちで生きてきたか想像することができた。サムも過去には彼女と同じような感覚を持っていたというよりは、持たなければ自分を保っていられない時期があったからだ。そう思うとサムは彼女を放ってはおけなかった。
サムたちの先頭に立っていたカイがサムに口を開く。
「サムさん、すまないが、その子を連れてここを離れることはできるか?」
カイは負傷しているサムを気遣って言った。彼をルナのもとにまで飛ばしたのはカイの天性魔法だった。
「はい、大丈夫です、カイ剣聖本当にありがとうございました、おかげで助かりました」
「いいんだ、こっちも君の仲間を救えてよかったよ」
サムはすぐにルナを治療しながら抱えてその場を後にしようとしたが、振り向いて、二人の剣聖の無事を祈った。
「フォルテ剣聖、カイ剣聖、どうかご無事で…」
「それはこっちのセリフだ、お前も自分に剣がぶっ刺さってるの忘れるなよ」
サムの心配に、フォルテは笑ってそう言い、カイは周りを警戒しながら片手を上げて返事をしていた。
そして、フォルテがカイの隣に合流すると、二人の剣聖は土埃の視界が開けるのを待った。
*** *** ***
ギルとアモネは窮地にたたされていた。逃走手段の瞬間移動が使えず、視線の先には大国の剣聖が二人、逃げようにも辺りに隠れる場所も何もない草原、残された道といえば戦って勝ち残るぐらいしか道が用意されていない。百戦錬磨の二人も、さすがにこのどうしようもない状況には焦るしかなかった。
「ギルさん、ここは私が時間を稼ぎますから、あなたは逃げてください」
黒剣を構えるアモネ、しかし、相手は剣聖その実力はたかが闇のいち兵士が歯向かったところで、数秒の時間稼ぎにもならない。そんなかけ離れた実力差に彼女は足がすくんでいた。
「アモネさん、それを言うなら俺が時間を稼いだ方がいい」
「ですが、あなたはドロシー様の大切なご友人なんですよ?」
アモネはギルを逃がすことで精一杯になって冷静ではなかった。
「落ち着いてとも言ってられませんが、聞いてください、いい案があります」
「なんですか?」
ギルは説明する。
「俺が天性魔法で時間を稼ぐんで、アモネさんは転移できる場所を探してください」
「ですが…」
「生き残る道はそれしかありません、見てください」
ギルは指の先から小さな炎の塊を出した。
「魔法が使えないわけじゃないんです。だからアモネさんの探知の魔法で転移できるマナの流れがある場所を探ってください」
その提案でアモネの表情は暗くなってしまった。
「ギルさん、瞬間移動が使えないってわかった時、私すぐに探知の魔法を使ったんです」
「なに!?」
「それで分かったことは、この辺り全域に特殊な結界がふたつ張られていることです…それに張られたのは二つともついさっきです…」
「…それは本当か?」
「はい、一つは人払いだと思います。それもとっても広範囲に設定された人払いの結界です、もう一つが…」
そこに二人に声をかける者がいる。
「ちょっといいかい、そこのふたり?」
フォルテが、ギルとアモネに声をかけてきた。
「あんたら、ドミナスの人間だろ、いろいろ話しを聞かせてもらえないかい?」
そうフォルテが言うとカイが口を挟んだ。
「いや、フォルテ剣聖、話し合いではない臨戦態勢だ。こいつらには問答無用で全力でかかった方がいい」
「ん?ああ、そうだったな、すまない、というわけで二人には一度死の淵まで行ってもらう、大丈夫だ殺しはしない」
そう、フォルテが言い切って手を向けると、ギルとアモネの世界から音が消えた。
「!?」
ギルが隣を見ると、アモネが何かを伝えようと一生懸命口を動かしていたが、全く何も聞こえてこなかった。
『これがアスラの第二剣聖の音無しか!まずい最悪だこれでは会話ができない…』
フォルテはまず相手が連携できないように天性魔法で彼らから音を奪った。
フォルテのこの対象者の音を奪う力は、広範囲に広がる巻き込み型の天性魔法だった。当然、隣にいるカイにもその影響は及んでいる。
しかし。
「カイ剣聖、気分とか大丈夫か?」
「全く問題ない、だが、これは慣れそうにないな…」
「まあ、普段ない体験だからな、でも、初見のときよりはマシだろ?」
「そうだな」
二人は無音の世界で会話し意思疎通する。フォルテにとって範囲内の音の調整など手を動かすのと大差ないほど簡単なことだった。
そして、カイとフォルテがこの約一週間何をやっていたかというと、長い待機時間を稽古に充てていた。いつか来るかもしれないドミナスの人間との闘いを想定して、二人で連携を取ることも視野に入れた戦闘訓練を行っていた。
「それより、フォルテ剣聖援護を頼めるか?」
「了解だ、いつでもいける」
無音の世界をカイが走り出し、フォルテが後ろから先にいるギルとアモネに手を向けた。
ギルは今にも剣を持って飛びかかって行きそうなアモネを身体で止めて彼女の前に出た。言葉が通じないぶん意思疎通をするのが難しかったが、ギルは簡単なハンドサインでアモネに『下がれ』と合図を送る。ドミナスの者たちが使う簡単なハンドサインで、声が出せない状況などに使うために組織の人間はあらかじめ教えられるもので、ギルも何度かこのハンドサインに助けられてきた。そして、今、このハンドサインが大いに役立っていることにギルは感謝していた。
ギルは『寄れ』というハンドサインでアモネを自分のそばから離れないようにした。
そして、ギルが、アモネの持っていた黒剣を受け取ると、こちらに走って来ているレイドの剣聖に向き直って剣を構えた。
『レイドの剣聖、こいつが一番厄介だ。不可視の衝撃。初撃は必ずそれで来るだろうな、まったく見えない攻撃とはなんて理不尽なんだ…』
しっかり情報を集めていたギルは、カイの天性魔法のことも大まかではあるが知っていた。そこでカイに関して知った情報は、見えない強力な衝撃による破壊を引き起こせるというものだった。
『しかし、理不尽といったら俺も対して変わらないな…いや、俺の場合は非道か…』
ギルはカイに手のひらを向けた。すると身体の中心から力が溢れるのを感じた。
『体力が持たないと思うが、片方の剣聖ぐらいは持って行けるだろう…あとは、相手があの女みたいにいかれてなきゃ大丈夫…それで、そうだな、アモネさんぐらいは逃がせるかな…』
ギルがカイに狙いを定め、天性魔法を発動した。
カイは初撃で相手を仕留めるために、天性魔法を最大出力で放出しようとしていた。彼の天性魔法の【撥】という弾く力は、物理的な衝撃を生み出すことができた。その弾くといった行為や、そのはじかれて生み出された物理的な衝撃は、カイの感覚の中でしか知ることはできなかった。しかし、その衝撃は現実世界にしっかりと破壊という形で現れる。そのため、他者はカイが天性魔法を行使したとき、見えない衝撃として認識することしかできなかった。
「避けれはしない…」
カイがそう呟いてその天性魔法をギルとアモネに放とうとしたその時だった。
「!?」
カイは天性魔法を発動する寸前でその手を下ろした。
「なんだ…」
天性魔法が出せないのではなく、カイは自分の意思で、二人に向けて天性魔法を放つのをやめていた。
「どうしたカイ剣聖!」
フォルテが攻撃をやめてしまったカイに声をかけるが、彼も何が起きたか状況を把握できていなかった。
「分からないが、魔法が…」
「なに!?下がれカイ剣聖、相手の魔法だ!!」
フォルテがカイを引かせるために炎魔法で隙を作ろうとして、ギルとアモネに手を向けた時だった。彼もまたカイと同じく自分の意思で手を下ろし攻撃をやめてしまった。
「これは…!?」
混乱する中、フォルテとカイは何度もギルたちに攻撃を仕掛けようと試みていたが失敗に終わった。
『よし、二人には効いたようだ、さすがは剣聖様だな、綺麗な心を持っておられる…』
ギルは二人の剣聖に自分の天性魔法が効いたのを確認するとアモネを逃がすために【逃げろ】とハンドサインをした。
しかし、アモネは首を横に振って拒否してきた。ギルが疲労の限界の中で、それでも天性魔法を行使して、逃げようとする姿勢をいっさい見せないようとしないからだ。アモネは自分が死ぬことよりも組織にとって重要な存在が死ぬことが許せなかったし、そう教育されてきたから、ここで自分だけギルを置いて逃げるという選択肢は少しもなかった。
『…そうか、無理か、まあ、彼女は兵士だもんな…』
そのことを理解して目を伏せたギルは、諦めて目の前の戦場に目をやる。
そこには二人の剣聖が、必死にこちらを攻撃してこようと、あがいている姿があった。
『じゃあ、始めてもらうか、殺し合いってやつを』
ギルは二人に向けて開いていた手のひらを閉じて、音無き世界で次の様に述べた。
『罪人は暴走する』
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