解放祭 月の引力
アモネは、無表情のまま、空から降って来た黒髪で赤い瞳の少女を見据えていた。
あと少しで、組織が追っていた脱走者を始末できることができたのに、それを空から降ってきたその少女に邪魔されたのだ。
『邪魔する者は消すだけ』
組織の掟に従って、アモネは黒髪の少女を消すために、黒剣を小女に向け構えた。
アモネの黒剣は剣身まで黒く染められた、ロングソード。夜に紛れることの多い彼女にとって、その黒剣は大いに役立ってくれることが多かった。
今は、日が照る草原の上であるため、その闇のような黒い剣身が役に立ってくれることは無かった。むしろ、黒いぶん、剣身がはっきり見えて間合いが相手に把握されやすく、欠点ともいえた。しかし、アモネにとってはそれでも使い込んでる剣の方が、戦闘時には力を発揮してくれることを知っていた。
それに、相手の黒髪の小女が持っている武器は真っ赤な剣身の短いショートソード、相手も目立つ色の武器で全く同じ条件、おまけに剣身の長さはこちらが圧倒的に長く有利だった。
狭い場所ならともかく、どこまでも広がる草原の上では、リーチが長い武器の方が得をする。
見たところ、黒髪の小女は、腰にもう一本剣を下げているようだが、赤い剣と全く同じ規格のショートソードで、彼女が双剣使いなのがうかがえた。それでも、この広い場所ならリーチの短い双剣よりも、ロングソードの方が有利なのには変わりはなかった。同時に振るえば当たるのが速いのはどう考えてもアモネのロングソードだからだ。
しかし、武器でどれだけ優位に立っても、安心できない要素がある。
それは魔法だ。
遠い昔の時代なら、まず、武器だけ見ていれば、相手がどのような戦略で来るか大まかな予想することができた。
剣、槍、槌、斧、弓、個人によって戦い方に違いがあれど、持っている武器で、その人物のだいたいの技量や実力を予測することは戦闘経験を積んだものなら容易だった。
しかし、人類の魔法の獲得によってそんな古い見解はもう消えたと考えた方がいいのは、今の世を生きる戦う者たちなら当然だった。
特に人間同士の殺し合いの世界に身を置く者なら、相手の動きには最後の最後まで注意を払う必要がある。
魔法は、天性魔法に始まり、一般魔法、そして、特殊魔法とありふれている。
だから、こそ、慎重さや冷静さというものが、何より重要で、自分の寿命を引き延ばしてくれる防御魔法のようなものなのだ。
命の取り合いで、それらを欠いた者から真っ先に死んでいくのは、世の常でもあった。
アモネはいつでも相手のどんな動きにも対応できるように構えた。その状態から、黒髪の小女の出かたをうかがう。
正体不明で、実力不明と、分からないことが多い相手の場合、まずやることは観察だった。それを怠って突撃してしまっては、相手が自分より格上の存在だった際に、死ぬ以外の選択肢がなくなってしまう。
そんな無様なことを回避するために、アモネは相手からできるだけ情報を引き出すために、上から下までくまなく観察して相手の癖や特徴を読みとった。
そこでアモネはその黒髪の小女の異常な点を発見したと同時に、彼女が強敵であることを悟ることになった。
『武器は双剣のくせになぜ片手にしか持ってない?さっきから左手を隠してるようだが、何か持ってるのか……ん?』
無表情だったアモネの顔に怪訝の表情が浮かびあがる。
「お前、その左手に持ってるものは……」
黒髪の小女にそう言うと、彼女は、つまらなそうな顔のまま、その左手に持っていたものをアモネの前に放り投げた。
アモネの前に、先ほどまで一緒にいた仲間の頭が転がって来た。
「あなたがやったんですか、彼を…?」
冷ややかに黒髪の小女に質問を投げかける。
「………」
黒髪の小女は、その質問に何も答えず、まず、空いた左手に腰から引き抜いた黒い双剣を握らせていた。
『もし、ジェレドが殺されたなら、相当な手練れだ。それに傷一つないのを見ると彼女も白持ちか…。ジェレドとどれくらい接戦だったんだ…場合によっては私一人では無理だな…』
アモネは、黒髪の小女のことを自分よりも格上の相手である可能性を考える。なぜなら、アモネはジェレドのことを戦闘の面では評価していたためである。人格に異常は合っても、肉弾戦なら大国の剣聖に引けを取らないほどの実力者だった彼を評価していた。
大国の剣聖と持っているものが同格ということは、それだけで、この大陸ではその分野で敵なしと言っていいほどすごいことなのだが、そんな彼が、首だけになってしまったというのは、何か問題があったことに他ならない。
『ジェレドの嗜虐的な面がでたか?いたぶってたところの隙をつかれたといったところか……ありえなくはない、あいつは弱者をいたぶる癖があったからな、女が相手だと特にそうだった…』
アモネはジェレドの癖や特徴からも黒髪の小女を知ろうとする。
しかし、そう考えていくアモネにとって最悪なことがひとつあった…。
『ただ、ジェレドが、何もできずに殺された…これだけはあって欲しくないな…それだと私どころか…ギルさんでも手を焼く相手になる可能性がある…』
冷静に分析していると、黒髪の小女が赤い双剣を前に突き出して構えたあと、そのまま、ゆっくりとした足取りでアモネに近づいて来た。
『なんだ…この女…』
その女の目的が全くアモネには分からなかったが、普通の戦士の戦い方でないことは理解できた。初撃で距離を詰めるなら、全力がいい。勢いを剣に乗せれる上に、相手の思考する時間を奪える利点がある。それに何より、相手からの遠距離攻撃を封殺できる。
誰でも習得できる炎魔法。シンプルであるが、効果は絶大で相手の行動に制限を強いることができる。戦闘の常套手段として挙げられる、炎魔法による牽制は、回避、水魔法での防御、または他の手段での防御または回避、相手に強制的にそれらの行動をとらせる。その間に相手は持っている手札を勝手に見せてくれることもある。
しかし、黒髪の小女は、ゆっくりと粛々と赤い剣を前に突き出して近づいてくるだけで、他には何もやってこない。
それがアモネに不気味さを感じさせていた。
黒髪の少女は、真っ赤な瞳を光らせてこちらに近づいてくる。その赤い瞳からアモネは死を連想させられた気がした。
『こいつ……』
ゆっくりと近づいてくるのが、逆にこんなにも自分を動揺させるのかと思うと、アモネは自分の中の常識が崩れていくようで、その少女から嫌な予感しかしなかった。
黒髪で赤い瞳の少女は、死の宣告を告げる死神のように、静かに近づいてくる。
『くそ、この私が…気圧されるとはな…仕方ない、距離を取って炎魔法で牽制だ…この女からは危険な匂いしかしない』
アモネが、構えを解いて、距離を取ろうとした時だった。
黒髪の少女が一瞬で距離を詰めてきた。
「ハッ!」
ズブッ!
黒髪の少女が目の前に立っていた。
アモネは胸の中心が熱くなるのを自分の身体で感じた。
視線を自分の下に降ろすと、その少女の双剣の片割れである赤い剣が、自分の心臓に深々と突き刺さっていることをアモネは確認できた。
「ガッ!?」
何をされたか理解が追い付かないアモネでも、今、自分が逃げなければ、次の追撃で死ぬことだけは明確に理解した。それ以外考えてはいけないと、冷静なアモネは即座に判断する。
それは無意識に反射的に実行される。
アモネは、その場から逃げだす。
「この…くそが…」
真っ赤な死の剣を手で掴んで自分の胸から引き抜き、距離を取る。
そして、死神に背を向けた。
***
ルナがジェレドの生首を投げてから、赤黒い髪の女の表情が変わったことで、この女も奴らの仲間だと確信すると行動を開始していた。
『こいつは生け捕りだな…』
ルナはゆっくりとその女との距離を詰める。
近づいたときに女の心臓を一突きにできるように、ルナは女の胸の中心に狙いを定めて剣を前に突きだしている。
『見たところ、ジェレドって奴よりは、動きが鈍そうだな、天性魔法だけでいいか…』
ルナが距離を詰め始めると、赤黒い女が動揺し始めたことを確認して、ルナは相手が格下で取るに足らない相手だと勝手に決めつけた。
『なんだ、何もしてこないのか、呆れた、こいつは情報すら持ってない下っ端かもしれないな…殺した方がいいか?どうせ、あのギルってやつも来てるだろうから、そいつの手土産でもいいな、そうだ、そうしよう、尋問した後、生首になってもらおう…』
ルナは、心の中で、にやりと邪悪に笑った。
『間合だ…』
ルナは、その女と一定の距離まで近づくと、天性魔法を使用した。体の奥底から力が湧き上がってくるのを感じると、天性魔法が発動する。
そして、ルナと女の距離が互いに一気に近づき合う。
ルナの天性魔法は、単純明快なものだった。
それは、自分と生きている人を物理的に引きつけ合う、ただそれだけだった。
ルナは、数メートルほどの短い距離にいる、命ある人間を自分に引き寄せるか、自分を相手に引き寄せるか、または、その二つを同時に行うか、その三択だけを実行することができた。
物や獣はなぜか引き寄せることができず、生きている人にだけ限られてルナは、その自分だけの特別な魔法を行使することができた。
そのため、死んでしまった人も、引き寄せることができなかった。
人、ルナにとっては、そのほとんどが、価値の無い肉の塊に映っていたが、彼女の天性魔法は生きているその肉の塊を引きつけるもの。
ルナはそんな自分の天性魔法を嫌っていた。
どうせなら、何もかもを弾き飛ばして、近寄らせない能力の方が、良かったと、常日頃から彼女はそう思っていた。
しかし、ルナを、レイド王国を裏から支える実力者集団であるホーテン家の中で、彼女を絶対的な地位の暗殺者にまで、上り詰めさせたのは、紛れもなくこの彼女の人を引きつけるだけの天性魔法であった。
ルナの天性魔法の何がそこまで恐ろしかったのかというと、その引きつける能力が、自分と人を引きつける速さであり、そして、これが特殊魔法などの誰もが適性があれば覚えられる魔法ではなく、天性魔法という生まれつき授かったものという点だった。
天性魔法の性質として他の一般魔法や特殊魔法とは、全く異なった点があった。
それは自分の天性魔法なら、自分の身体の一部の様に扱える点であった。
言ってしまえばその人の生まれながらの体質となり、能力自体も体の一部である。そして、天性魔法は本人とっては当たり前の出来事としてこの世に顕現する。
すなわち、ルナは命ある肉塊である人と物理的に引かれ合うとき、その全ての現象が手に取る様に分かるのであった。
これが何を意味するかと言うと、ルナが天性魔法でどれだけ高速で動いても、それはルナの中で当たり前の常識のように捉えられてしまう。そのため、ルナだけがその引かれ合う速度に順応できることになる。そうなると何が起こるかというと、ルナが天性魔法で引かれ合う速度を上げるごとに、引かれる対象となった相手だけが、その速度に対応しきれなくなるということになる。
つまり、簡単な例として、もし、ルナが光速で相手と引き合ったとしても、ルナだけはその引かれ合っている最中にも思考し、理解し、順応することができるのだ。
その天性魔法の最中だけ、ルナは、人間ではなくなるといっても過言ではなかったのだ。
だから、ルナは、アモネの心臓にあっさりと、自分の持っていた赤い剣を突き立てることができた。
***
『やはり、他の加速はいらなかったな』
ルナは、女に刺さった剣を奥にめり込ませながらそう思った。
「ガハッ!」
アモネは息を吸うので一杯になる。
そこでルナは、尋問に移ろうとした時だった。
「!?」
ルナよりもはるかに強力な怪力でアモネは、自分の胸に深々と刺さっていた剣を抜き取っていた。
『なるほど…そういうことか…こいつ、他の血が混じってるな…』
アモネは逃げ出す。
逃げ出した女をつまらなそうに眺めたルナは、腕を下げ、双剣を身体の下側に構える。
『足だな…』
今度の狙いは足、焦って逃げている物を狩るのはルナには造作もないことだった。
ルナは逃げ出す、彼女が天性魔法の有効距離から出ないうちに、再び天性魔法だけを発動させる。
すると、逃げ出すアモネの背後に死神が迫る。
「ヒィ…」
鍛え抜かれた兵士であるアモネから無意識にそんな言葉が漏れた。
死神の双剣が彼女の脚を刈り取ろうとした時だった。
「しゃがめ!!!」
「!?」
見知った人の声の命令に無意識に反応したアモネは最速で地面に伏せた。
ルナの目の前に、ロングソードを前に突き出して猛然と突進してくる、くすんだ金髪の男が姿を現した。
ルナはその男の名を知っていた。
彼の名はギル・オーソン。
ルナの最終ターゲットだった。