解放祭 表彰式
***
神書 罪と救済
二章 三十節
神の獣を殺す時、祝福の鐘は鳴る。
どこからともなく鐘は鳴る。
神の試練を退けた勇気ある者を称えるために鐘は鳴る。
***
解放祭表彰式。
この時を待ちわびていた者はたくさんいるのだろう。
たいていの者は救われた者に当てはまり、自分たちを救ってくれた人達に、今日この表彰式で溢れんばかりの賛美を浴びせるのだろう。
そして、賛美を浴びるその中心にいる人の名はハル・シアード・レイ。
四大神獣白虎の討伐者。
彼のあまりにも鮮やかすぎる神獣の殲滅は、まるで人々に被害を出さなかった。だから、今回の件で救われた実感を持つ者は少ないかもしれない。
しかし、神獣たちのこれまでの凶悪さを知っている者達は、ハルがしてくれたことに大きな感謝しかなかった。
その感謝を受け取ったハルは、きっとさらに大きな救済で人々に還元するのだろう。
そのような、光あふれる温かな応酬は世界を良い方向へ導いていく。
けれど、光が大きければまた闇も深くなる。
輝かしい光の裏で、暗い影が落ち続けているということを忘れてはいけない。
まずは、ほら、夜が明ける。
***
朝の太陽の陽ざしが、流れる白い雲たちに遮られる。その白い雲は、この解放祭の街全体に大きな影を何度も落としていく。
気持ちのいい風が街中に吹く。
その風はアストル・クレイジャーの髪をなびかせる。
「どうした、アストル、行こうぜ?」
いつの間にかボーっとしていたアストルは、同じ新兵で友人のウィリアムの呼びかけで意識をはっきりさせる。
「ああ、ごめん、ボーっとしていた」
今日は解放祭のメインイベントである表彰式当日だった。
アストルは、新兵の同期で友人である、ウィリアムと同じく新兵の同期で幼いころからの友人のフィルと、表彰式の会場である、ロール闘技場に向かっていた。
「それにしても結構朝も早いのに人が多いな、こりゃああっちに行っても出店が混んでるかもな、最悪メシ抜きかも…」
そんなことをウィリアムが呟くと、絶望した顔でフィルが口を開く。
「それは困るよ、まだ、朝食しか食べてないんだ、間食のお預けなんて俺はごめんだよ?」
「ちゃんと朝飯食ってるならいいじゃねえか…」
「ダメだよ、それじゃあ、俺は腹が減るからちゃんと間食しないと!」
よく食べるフィルにとってどうやら間食できないのは死活問題の様だった。
「ウィリアム、ハル団長の表彰はまだまだ先でしょ?いいんじゃない出店に三人で並ぶのも、なんてたって俺たち指定席の券だからさ」
「まあ、それもそうだな、良かったな、フィル間食できるぞ」
「アストル様!ありがとう!」
あまりに必死過ぎるフィルの感謝にアストルは小さく笑った。
ロール闘技場に近づいてくると、三人は横並びでは歩けないほどの人の多さに驚かされた。彼らの泊まっていた三等エリアの最西部の方にはほとんど人がいなかった。それに比べ三等エリアの最東部に位置し、この祭りのちょうど真ん中に位置するロール闘技場周辺の人通りは混雑を極めていた。
「二人ともはぐれるなよ!」
先頭にいるウィリアムがアストルとフィルに声をかけると二人も返事を返す。
周りを見渡せば、周囲には多種多様な人がいた。
人族はもちろんのこと、やはり背が高く美しい外見のエルフが目を引く、彼らは男女とはず美形が多く、神々しさを感じる。他にも獣人や竜人おり、彼らの野性味に溢れた迫力は印象深い。たまに見る赤い髪の小さな少年少女はきっとドワーフだろうと思う。彼らは普通の人族の子供と見分けがつかず、見分けるならば、ほとんどのドワーフがそうである赤い髪ぐらいだった。
それにしても人が多い、このロール闘技場周辺にすべての人が集結してるんじゃないかってほど、人がいた。
「あ、ウィリアム、フィル、それにアストル!」
三人を呼び止める人がいた。それはアストルたちと同じ同期の新兵たちだった。
アストル以外の新兵たちもまた、この祭りに来ていることは知っていた。そのため、こうして偶然再会することもあり得ないことではないとアストルは思う。なんせ人が集中しているのだ誰に会ってもおかしくない。
軽い挨拶と互いの近況を報告し合うとその別の新兵たちのグループとは別れを告げた。
「どうやら、俺ら以外の新兵もこのロール闘技場に集まってるらしいな」
「うん、みんなハル団長を見に来たんだろうね」
「ハル団長、俺らと話してくれて身近に感じるときもあったけど、やっぱり、遥か遠くにいるんだなって改めて思うよなぁ…」
感慨深くウィリアムは自分の言葉に浸っているようだった。その時少しだけ自分と比べてしまったのかウィリアムは肩を落としていた。
アストルもハルと比べてしまえば自分がちっぽけな存在に思えるが、彼には落ち込んでいる暇はない。なぜなら、アストルには立派な騎士になって最愛の人を迎えるという目標があったからだ。
「ウィリアム、落ち込む必要はないよ、幸運なことにハル団長は俺たちの団長だ。強さのコツを今度聞きに行こうよ」
「………」
ウィリアムはキョトンとしたあと、口角を上げて小さく笑った。
「バカ、落ち込んでねえよ…だが、そうだな、ハル団長に自分たちから聞きに行くぐらいの貪欲さがないと強くなんかなれねえよな」
ウィリアムの暗い表情も、アストルの前向きな性格のおかげですぐに明るくなった。
二人がそのように微笑ましい友情を深めているところにフィルが口を挟む。
「二人とも早く出店に行こうぜ!いい匂いがそこら中から漂ってるよ!」
「全くこいつは、しょうがない奴だ。アストル、フィルに付き合おうぜ」
アストルがわかったと返事をすると、フィルは自らの鼻を頼りに歩き出し、二人はそれについて行く。
歩いている途中人込みの中で、ふとアストルの視界の端に何か懐かしい人影を見た気がした。
「………」
「おーい、アストルどうした、フィルが行っちまうぞ!」
アストルはしばらくその違和感のした方を凝視したが、人々が行きかうだけですでにさっき見た人影は消えていた。
『気のせいかな…』
「アストル、おいてっちまうぞ!」
「ああ、ごめん、すぐ行くよ」
アストルは、ウィリアムとフィルの後を追いかけた。
ひとりの黒い正装をした女執事が、多くの人々の間を縫って、豪華な馬車のある場所に歩いていく。
その馬車の扉の前には二人の騎士が立っていた。
その女執事が歩いてくると二人の騎士の内のひとりが馬車の扉を開けて彼を中に入れた。
馬車の中には金色の髪を二つ結びにした麗しの少女がいた。
「アストルはどうだった、元気だった?」
少女は青年の名を口にする。
「ええ、元気でしたよ、フィルさんと、もうひとりご友人を連れて三人で祭りを楽しんでいるようでした」
「そう、なら良かった…」
少女は安堵して小さく息を吐く。
「お会いしなくてよろしかったのですか?」
少女は少し考えこんだ後、口を開いた。
「いいの…今会ったらきっと離れたくなくなるから…それに約束したから…」
少女は小さく微笑んだ。
そんな彼女を見た女執事の冷たく堅かった表情が少しだけ緩まっていた。
「お嬢様、表彰式はご覧になっていきますか?」
「いいえ、もう王都に帰ります準備はできてる?」
「はい、かしこまりました、ただいま他の者に伝えてきます」
女執事は馬車の外にでて行った。
少女は馬車の中で独り呟く。
「アストル…アリスはずっと待ってますからね…」
***
特等エリアにあるアスラ帝国の館。その一室にフォルテ・クレール・ナキアは任務が来るまで待機していた。
今日は表彰式、彼もアスラ帝国の軍の代表者として表彰されるひとりだった。
本来ならその役目は帝国の第一剣聖である、シエル・ザムルハザード・ナキアが代表者になるはずだったが、彼女の全力の拒絶によってフォルテが代表者を務めることになっていた。
しかし、彼女の表に出たがらない性格上こうなることは決まっているようなものだった。
そして、表彰の代表者といってもその前に彼には自国の皇帝を護衛するという大事な任務を忘れてはいけなかった。
そのため、こうして皇帝の準備が整うまで部屋で待機しているというのが今の状況だった。
この一週間は主にこの館に閉じこもりっぱなしだった。それは皇帝を守るためでもあり、他にもややこしい事情が絡んでいるためだった。
その事情とは、闇の組織に関することだった。
ドミナスやらイルシーなど得体のしれない物騒な組織がこの祭りで蠢いているとなると気持ちはあまり穏やかではいられなかった。
『ハルの暗殺ねえ…』
椅子に腰かけてふとそんなことを思い出す。
アスラとレイド両国の特殊部隊が調べ上げた情報はフォルテのところにも上がって来てはいた。それを読む限りだと、今まで全く動きはなく、ちいさな変化と言えばハルに闘技場で怪しい人物が接触したということだけだった。
「無理だろうな…」
フォルテが物思いにふけていると部屋のドアからノックの音がした。椅子から立ち上がって、ドアを開けるとそこには背の高い黒髪の女の子が立っていた。
「おはようございます、フォルテさん!」
「ベルドナかどうした?」
ベルドナ・スイープ、彼女はフォルテも所属している帝国一の騎士団であるエルガー騎士団の騎士であった。
「はい、そろそろ、時間だということで、フォルテさんを呼びに来ました」
「そうか、それは助かった、ありがとう」
「いえ、とんでもないです!」
フォルテは、背の高いベルドナを一瞥する。彼女がハーフエルフで普通の人より身長が高いのは当たり前であるが、フォルテが注目したのはそんなことではなかった。
嫌な顔せずに自分に接してくれていることに少しフォルテは複雑な感情を覚えていた。
『結局、こいつを祭り中に外にだしてやることができなかったな…』
ベルドナは将来有望な騎士だった。その才能は将来剣聖にまで上り詰める可能性を秘めていると言われるほど、彼女は帝国から大切に扱われていた。
そのため、今回、危険な組織がうろついている可能性のある場所に、まだ騎士として成熟しきっていない彼女を放り出すことを帝国側は禁止していた。
そのため、フォルテは少し後ろめたい気持ちを抱いていた。
自分が彼女に付き添おうものなら、皇帝の護衛は誰がするのかということになってしまうため、結局彼女を特等エリアに留めてしまう以外に方法はなかった。
『せめて、ルルクかエルガーの精鋭の誰かがいればベルドナを連れて行ってくれたんだがな…』
エルガー騎士団は現在アスラ帝国の帝都で休暇をもらっていた。
例外としてフォルテだけがこちらに引き抜かれたが、それにベルドナもついて来たという形だった。
『ベルドナも帝都の方が自由で良かっただろうに…』
フォルテは、ほぼ、終わっていた身支度を完璧に済ませて準備を完了させると、部屋の外で待ってくれていたベルドナと一緒に歩き出した。
「外に馬車を用意しています、フォルテさんはアドル皇帝と一緒の馬車です。私は他の馬車に乗ります」
「そうか、分かった」
館の長い通路を二人で歩く間にフォルテはやはり、ベルドナの心中が気になってしまった。
「ベルドナ」
「なんですか?フォルテさん」
彼女の綺麗な紫の目が覗きこんでくる。
「お前を祭りに連れ出せなくて悪かった、この一週間退屈したんじゃないか?」
「え!!フォルテさん…」
「どうした?」
フォルテが大きな声を上げたベルドナを横目で見る。
「嬉しいです気にかけてもらって、ですが私この一週間めちゃくちゃ楽しかったですよ!あ、フォルテさんはどうでしたか…私と一緒にいて嫌じゃなかったですか?」
元気一杯になったかと思えば、次の瞬間にはもじもじしているのだから、表現豊かな奴だとフォルテは思った。
「いや、嫌じゃないぞ、俺も退屈しなかったからな。そうか、でも、ベルドナも退屈してなかったなら良かったよ、胸のつっかえが取れた」
フォルテは安心して歩いていく、その隣をベルドナはにやけながらついていく。
二人は館の外にでて行った。
***
ハル、エウス、ライキル、キャミル、ガルナ、五人を乗せた馬車がロール闘技場の東口の前で止まる。
ロール闘技場の出入り口は基本的に四つあり、東西南北に分かれていた。
その中で東口だけは関係者専用の出入り口として利用されていた。他の三つの入り口は大量の観客を受け入れるための出入り口として機能していた。
五人が馬車から降りると、辺りには多くの貴族や騎士や冒険者が東口に集まっていた。基本的に身分の高い者はこの東口を利用するようだった。
「ふう、やっと着いたな、込み過ぎだぜ歩いたほうが早かったんじゃないか?」
正装に身を包んだエウスが、降りるや否やそんなことを言う。
エウスは急遽エリー商会の代表者として表彰式に参加することが決まっていた。そのため、昨日のリハーサルにハルと一緒に出席していた。
エリー商会も四大神獣討伐に間接的ながらも大きく貢献していたのだ。
しかし、騎士として参加していたエウスには少し自分が代表者になることが不服だったようだが、そこは会長としてしっかり自覚があるのか、リハーサルには真面目に取り組んでいた。
「そうね、ハルがみんなを担いで走った方が早く着いたかしらね」
キャミルがそんなことを言う。
「ああ、そっちの方が良かったかもな!よし、今度からそうしよう」
にやにやしてるエウスも彼女の意見に乗っかってくる。彼は冗談が好きなのだ。
「そん時は、二人はおいてライキルとガルナだけ連れて行くよ」
「じゃあ、ハル、私はお姫様抱っこでおねがいします」
ライキルは真面目な顔で冷静に言うが、今にも笑いそうだった。
「ええ、私も抱っこがいいーライキルずるーい」
ガルナがその冗談に突っかかって来る。
「ガルナにはハルの背中を譲ってあげますから我慢してください!」
「ふむ、まあ、それでよしとしよう!」
勝手にそんなことを決められていると、五人を呼びかける声がした。
「みなさん!おーい!待ってましたよ、こっちです!」
リーナとニュアがすでに東口の門を抜けたロール闘技場の建物の中にいた。
五人は東口の門でチケットを拝見している係りの者にチケットを見せて中に入る。
そこでリーナとニュアも合流して七人全員がそろうことになった。
リーナとニュアが合流すると女性たちはいつの間にか女性たちで集まって話しあっていた。そんな女子会から追い出されたハルとエウスの二人は、少し離れた場所で彼女たちを見守ることにした。
「ビナは結局今日も戻ってこなかったな」
エウスがここにはいない小さな赤い髪の少女のことを話題に出した。
「ああ、きっと親子水入らずで楽しんでると思うよ」
ビナはこの祭り中に偶然出会った両親とこの期間中一緒に過ごすことを決めて、ハルたちとは別行動だった。
「だろうな、あいつ、両親と仲よさそうだったもんな」
「うん、なんだかビナの優しい両親見てたら思い出しちゃったんだよね、道場にいた時のこと」
ハルの頭の中に幼いころの記憶が蘇っていた。
「それはハル、お前だけだろ?あのジジイ、ハルには激甘で俺には滅茶苦茶だったんだからな」
「うーん、それはエウスが道場で滅茶苦茶だったからじゃないかな?」
「ハル、お前もほぼ毎回俺と一緒に悪だくみしてただろ?」
「そうだっけ?」
「そうだよ!」
とぼけるハルをエウスが睨むと、二人はその後互いに噴き出して笑い合っていた。
「おーい、二人とも私たちは観客席に移ってるからね!何かあったら一等席のエリアに来てね!」
キャミルが叫ぶと、ハルとエウスは手を上げてわかったと返事をした。
女性たちが移動して行くと、ライキルが最後に振り向いて手を振っていた。
ハルも手を振って応えると、彼女は嬉しそうに笑顔を見せて前を向いた。
「さて、ハル、俺たちも移動しようか」
「ああ、そうだな、最高の一日にしよう」
解放祭表彰式の幕は上がった。