解放祭 組織の兵士
解放祭、三等エリアのとある宿の一室に、ギル・オーソンはソファーに腰を下ろしていた。
彼の右手には太く長い葉巻が握られており、目の前のテーブルには、解放祭の街の地図と表彰式が行われる円形状の建物の詳細な地図が広がっていた。
地図の上には三つの木でできた駒のようなものが置いてあり、ギルはそれを眺めながら、葉巻をふかせていた。
木の駒が置かれている場所は、巨大な円形状の建物の上にひとつ。これは明日表彰式が行われる会場であった。
二つ目は、三等エリアの街の中にある宿にひとつ。
三つ目は、街の西側にある厩舎の近くにひとつ木の駒が置いてあった。
「協力感謝します、これで俺たちの仕事はずっと楽になりました」
「ええ、構いませんが、なぜ今すぐやりにいかないのですか?ターゲットの居場所は分かっているんですよ?それに脱走者が一緒なんですよね?ギル・オーソンあなたは、この問題の大きさを理解しているのですか?」
ギルの向かいのソファー座っている黒髪の女性が表情ひとつも変えずに詰問する。
彼女は今回ドミナスからギルが要請した人間であり、分け合って彼女の能力が必要だった。
「理解してはいますが、今回の任務はイルシーの暗殺者の暗殺なのでその脱走者の始末は俺たちの仕事の範囲外だと認識してます」
「本気で言っているのですか?」
怒っている口調だが、黒髪の彼女の表情は人形のように全く変化しない。
「俺たちのターゲットはあくまでクレマン・ダルメートただ一人です、ついでに始末できるならティセア・マルガレーテも範疇ですが、俺は害のない子供を殺す気はありませんよ」
ギルにはとっくに今回の暗殺対象の詳細な情報を手に入れていた。情報収集についてドミナスという組織にいてよかったことは無い。知ろうと思えばどんなことでも知れた。
「害のない子供ではありません、彼女は訓練を受けています。殺そうと思えばそこら辺の騎士なら素手で殺します。それに彼女は兵士の適性者だったんですよ…適性者が逃げ出すなどありえないんです。彼女は私たち同様に最高の兵士になる機会があったのにそれを捨てて逃げ出すなど…」
彼女の表情に変化はないが、苛立っていた。
「でも、その子は脱走した、なんでですかね?」
葉巻の煙をふかして、ギルは彼女に簡単な質問をした。
「…分かりません、ただ、何か致命的な欠陥が彼女にはあったのでしょう…組織を裏切るなどあってはならないのに…絶対…絶対に……」
彼女はドミナスで育った兵士であり、組織を崇拝し素晴らしいものだと教え込まれているため、組織から離れた、その脱走者の考えが理解できなかった。
ただ、ギルからしてみれば、洗脳が解けたや自我が芽生えたなど、もっと簡単に考えればいいのにと思うが、彼女はそれすら考えられないほど教育済みなのだ。
彼女にとって何よりも組織が絶対だった。
表情を変えずに、答えに戸惑っている彼女をギルは一瞥する。
『欠陥があるとしたら、あんたらの方なんだよな…逃げ出したその子の方がよっぽどまともだったと俺は思うんだけどね…』
ぶつぶつと組織は絶対など呟く彼女を見て、ギルは内心呆れた。彼女にではなくドミナスという組織に。
「まあ、なんです、その、今日奴らの隠れ家を見つけ出してくれたことは感謝してますが、そちらが勝手に俺たちの獲物に手を出してもらっては困ります」
ギルは話を戻して続けた。
「こちらもそれなりに準備してきたのでそれが無下に終わるというのは、俺も組織に不信を抱きかねませんよ」
「組織に不信を抱けばあなたは処分されるだけですよ?」
黒髪の女性が目を見開いて青筋を立てる。
『…めんどくせえ、早く帰ってくれないかな…』
キイィ!
その時、二人のいる部屋のドアが開かれた。
「こんにちは、師匠、頼まれていた食事持ってきましたよ…ってあれアモネさんじゃないですか!来てたんですね!」
「ジェレドですか、あなたは何をしてたんですか?」
アモネと呼ばれた黒髪の女性は視線をジェレドの方に移す。
「ああ、食べ物受け取って来たんです、ギルさんに今日は外出は控えろって言われてたんで」
食べ物が入った袋をジェレドは抱えて二人のもとに駆け寄ってきた。
「ギル・オーソン、他に協力者がいるのですか?作戦の実行は二人と聞いていたのですが?」
アモネがギルに振り向いて尋ねる。
「いや、作戦の実行は俺とあいつだけですよ、ただ、何も知らない協力者はたくさんいます」
「どういうことですか?」
「冒険者を雇いました。買い出しに行ってくれる人や、外の様子を教えてくれる人に、監視など、簡単なことをたくさんの人に少しづつ」
「………」
どうやらアモネには理解できない手段だったようで、頭の中で考え事をしていた。
「それは我々の秘密組織の存在を脅かしている行為なのではないのですか?」
「大丈夫ですって、冒険者ギルドは全部ドミナスの管理下じゃないですか、問題があるとは思えません、それに配慮は徹底してるので大丈夫です」
依頼主は冒険者に守秘義務を課すことができた。ギルはその制度を利用していた。
守秘義務は言ってしまえば人を信頼することに等しい。話そうと思えば究極的には誰かにその秘密をばらすことが可能なのだ。もちろん、冒険者ギルドは守秘義務があるのにそれを守らなかった者には相当きつい罰が用意されているため、進んで約束を破る者はまずいない。そもそも、そんな人間は冒険者ギルドの審査を通らない。信頼で成り立つ冒険者にとって依頼主との守秘義務は絶対であった。
しかし、アモネにはやはり、ギルのその行いが不完全で危険なことの様に思えたらしく…。
「………」
どこか納得がいかない様子でアモネは黙ってしまった。
「まあまあ、話しは一旦置いといてアモネさんも師匠も食べましょう、おいしいパンや肉、お菓子もありますよ」
ジェレドは雑に地図をどけて、代わりに食べ物をテーブルに並べる。どけられた木の駒や地図などは床に落ちていく。
「あ、おい、せっかく俺が状況を整理しやすいように並べたのに…」
「師匠も葉巻置いてください、煙いっすよ」
ジェレドは当然の様にアモネの隣に座って食事を始めた。祭りに出ているいろいろな出店から買い集められた食べ物は種類も豊富だった。
「アモネさんは何食べます?」
ニッコリと笑うジェレドを無視して、沈黙していたアモネは口を開いた。
「ギル・オーソン、私もこの作戦に入れてください」
それを聞いたギルは目を丸くした。
「本気ですか…」
「ええ、正直、これ以上脱走者を野放しにしておくわけにはいきません。早く処分しなければ彼女がどう利用されるか分からないですから…」
「………」
ギルは少し考えてから答えを出した。
「分かりました、いいですよ、その代わりこちらの指示には従ってもらいますよ」
「構いません、そのつもりでした。私たちが何度も失敗している以上あなた方に頼るしかありません」
立場としてはアモネの方がギルより上だ。彼女は幼いころからドミナスで鍛えられた根っからの闇の住人であり、後から入って来たギルの大先輩にあたった。
しかし、実績、実力、ともにギルの方が上なことは彼女も知っていた。彼女たちはドミナスに教育されている以上立場よりも組織の利益や秘密、そして幹部たちを最優先に考えている。
だから彼ら兵士はまず自分のことを誇らず、ただ、機械の様に動くだけだった。
「ほんとっすか!アモネさんと一緒に仕事ができるんですか!」
喜ぶジェレドをよそ目にギルは少し不安を抱えた。
ギルは立ち上がり、他の机に置いてあった資料を取り出す。そこには最近ドミナスから送られて来たイルシーに関する詳細な情報が載っていた。
ドミナスの情報戦の優秀さに相変わらず、頭が上がらなかったギルだが、イルシーのような管理体制の甘い組織ならこんなものかとも思った。
資料にはクレマン・ダルメートのことも載っていた。
『クレマン・ダルメート、すでに何人ものドミナスの兵士を撃退してるのか…やるな、アモネさんたちも別に弱いわけじゃないんだけど、やっぱり、イルシーは狂ってるな、いろいろと』
ギルはクレマンを完全に格下だと思っていたが、なめてはいなかった。
ドミナスの刺客を何度も撃退できる人間は早々いない、それは四六時中狙われるからだ。情報戦に特化した組織ならではの追跡力。この大陸にいる限り安息の地が無いのは確実だった。
どこにいても、何をしていても、常に背後から刃が迫ってくる、そんな状況まず耐えられるはずがない。
ただ。
ギルは次の資料を取り出す。そこには脱走者の名前が書いてあった。
【ジュキ】
『この子供を守るために必死になってるってところかな?そうだったら健気な話しだね…』
ギルが同情しているところにジェレドが声をかける。
「師匠、一緒に作戦会議しましょうよ、アモネさんにも教えることたくさんありますよね」
「ギル・オーソン、説明をお願いしてもよろしいですか?当日の動きなどを」
資料から目を離したギルは二人に振り向く。
『こいつらとも、長い付き合いになったものだ…』
アモネとは長い付き合いだった。組織に入った時からギルと面識があった、ギルはひとりで任務を遂行することが多かったため、一緒に仕事をしたのは指で数えるほどしかないが、古くからの知人といえた。
ジェレドとはまだ一、二年の付き合いだが、それでも今まで組んできた中で一番有能で気の許せる部下で、組んできた中で言えば、彼が最長記録だった。
葉巻を灰皿に置くと、ギルは二人のもとに戻った。
「それじゃあ、明日の計画を説明するぞ」
ギルは地図と木の駒を拾い上げて、ソファーに座り、目の前にいる二人に説明を始めた。
明日に迫った表彰式。三人はそこで起こるであろうハル・シアード・レイの暗殺を企んでいるイルシーの暗殺者たち、その中に紛れているドミナスの脱走者を始末するために、計画の内容を話し込むのであった。