解放祭 表彰式前日 素敵な人
見覚えの無い部屋で、ライキルは、くすんだ青髪の青年と二人っきりで一緒にいた。
その青年はもちろんライキルのもっともよく知る人だった。
ベットのふちに二人で座っていた。
その間ライキルは青年の横顔をずっと眺めていた。
そして、青年に話しかけると、笑顔でこちらに振り向いて相手をしてくれた。
話しているうちに二人は次第に良い雰囲気になっていた。
そこでライキルは決心する今ならいけると。
「あの、私、あなたのことが好きです、愛してますだから…その…け、けっ…」
顔を赤くして一生懸命最後の言葉を言おうとしていたライキルの手を青年は握った。
そして、青年はライキルの身体をゆっくりと引き寄せると、彼女に顔を近づけた。
「ふえ…?」
迫る彼に、ライキルはただ顔を赤くして固まることしかできなかった。
すぐそばまで彼の顔が来ると、肩を震わせたライキルは、緊張で目を瞑って、そのときが訪れるのを待った。
そして、互いの唇が触れる寸前で、ライキルの目は覚めた。
***
勢いよく上体を起こすと、そこはベットの上だった。
寝起きで呆然としているライキルに窓から暖かい日差しが差し込んでいた。
「夢……」
自分の唇に手を当てながら、周りを見渡すと、そこは確かに自分の泊まっている宿の自室であり、現実だということがわかった。
昨日、舞踏会から帰って来て、ドレスを脱ぎっぱなしにして寝たので、その名残があった。
先ほどの出来事が夢だと分かると、少し顔を赤らめたあとライキルは再び背中からベットに気を失うみたいに倒れ込んだ。
窓から差し込む顔に当たる眩しい日差しを腕で遮り、ぐったりと身体の力を抜いた。このままいくと二度寝してしまう可能性もあったが、今日は特に予定もないので、問題はなかった。
「まあ、夢ですよ…私はハルのなんでもないんですから…」
いじけて独り言をつぶやく。
「………」
ライキルは呆然としながら、昨夜の舞踏会の出来事をふと思い出した。
ハルとガルナが見せた踊りが目に焼き付いていた。あの場にいるのが自分ならよかったのにと思っていた。自分も彼の無邪気な笑顔をガルナみたいに引き出せたらと思うが、二人を見ていると自信がなくなってしまった。
「それにしても、やっぱり、ハルにはよく女性が寄ってくるよなぁ…」
次にライキルは、ハルと踊っていたルナという人物を思い出す。ハルが偶然この祭りの最中に出会ったという女性。
遠くから見ているだけだったが、ルナという女性は相当な美少女だった。異性のライキルでさえ息を吞んでしまうほど、纏っている雰囲気は気高く美しく背は小さいにしても大人の色気があり、完璧に見えた。おまけに踊りも上手かった。
「あれは反則だ…」
そんなことを呟くライキルはベットの上でだらけ続ける。
昨夜の舞踏会では結局ハルとは最初の一回しか踊っていなかった。ガルナやルナとのダンスを見てしまえば、自分では役不足だと勝手に思ってしまった。
「もっと一緒に踊ってればよかった…今日だって多分会えないし…」
後悔とともに、今日のハルの予定を思い出した。
解放祭の最大のイベントになるであろう、四大神獣討伐者たちの表彰式。ハルは表彰される者達の代表として出席することになっていた。
そのため、今日、ハルはリハーサルのために、この解放祭の街の中央にある円形状の巨大な建物に足を運んでいるはずであった。
もうハルが行ってしまったかは、起きたばかりのライキルには分からなかったが、それでも一緒にいられないことは確かだった。
そのこともあいまってライキルはますます起きる気がなくなってしまったが、自室のドアのノックの音が鳴り響くと強制的に起きることになってしまった。
「はーい、どちら様ですか?」
ドアをあける前に一度訪問者に訪ねてみた。それで寝巻姿でも出ていいか判断したかった。
「私、キャミルよ」
ドアの奥から聞きなれた声が聞こえてくると、すぐにライキルはドアを開けた。
「おはよう、ライキル、って言っても、今はもうお昼に近いけどね」
動きやすい私服姿に身を包んだ、キャミルがそこに立っていた。
「あれ、もうそんな時間ですか?」
「そうよ、朝からだいぶ時間が経ってるもの、寝ているのライキルだけよ」
「…え…ああ、そうだったんですね……」
まだ寝起きなこともあって、ライキルの会話の瞬発力は乏しかった。
それでもライキルはベットで思い出していたことをキャミルに尋ねることにした。
「そう言えばハルはもう出かけてしまいましたか?」
「ああ、ハルならもうとっくにエウスと出ていったわ」
「そうですか…」
分かっていたことでも少しがっかりした。朝食ぐらいは一緒にと考えたが行ってしまったのなら仕方がなかった。
「ねえ、ライキル、一緒に食堂でお昼にしない?」
気づけばライキルもかなりお腹が空いていたため、その提案に賛同した。
「いいですよ、準備するので待っていてくれますか?」
「わかったわ、支度し終わったら、食堂に来て、待ってるから」
「はい、すぐに行きます」
キャミルが部屋を後にするとライキルはすぐに身支度に取り掛かった。
***
ライキルが身支度を終え、一階の食堂に到着すると、そこにキャミルの姿はなかった。
しかし、王族直属の護衛の方たちも食堂にいたので、キャミルも食堂にいるのは確実だった。
護衛のひとりの女性がライキルに気づくと、食堂のバルコニーの方を示してくれた。
礼を言って、食堂のバルコニーに出ると、紅茶を飲んでいるキャミルがそこにはいた。
「お待たせしました」
「やっと来たわね、待ってて今ライキルの分も淹れるから」
キャミルはカップを用意するとティーポットで紅茶を注いでいた。王女様にお茶を注がれる私は一体何様なんだとライキルは少し笑ってしまうが、お互いの中にそのような身分の違いからくる上下関係が無いのは知っていた。周りの人々はこのことを非難するだろうが、逆にキャミルの前でかしこまると変な空気になってしまうのもわかっていた。それほどライキルとキャミルの仲は深いと言えた。
「どうしたの?なんでちょっとにやけてるのよ?」
「ああ、フフ、いえ、なんでもないです」
席に着くとキャミルが淹れてくれた紅茶を飲みながら少し落ち着いた。
食堂のバルコニーは、館の裏にある広場に飛び出るような造りをしていた。
午後の心地の良い暖かな風を全身に浴びながら、食前の紅茶を味わった。
「そう言えば、ライキルって、ハルのことどう思ってるの?」
「………?」
一瞬キャミルの言ってることがよく分からなかった。
「どうって何がですか?」
「だから、ハルのこと好きなのか、嫌いなのかよ」
何かおかしいことで言った?と言わんばかりの顔でキャミルは続けて質問してきた。
「な、なんで急に…」
「別に理由なんてないわ、ただ、ライキルの本心、聞いてみたくなっただけよ」
平然とした顔で聞いてくるキャミルとは対照的にライキルの顔は赤くなっていた。
ハルのことはここ最近悩み続けていることだった。というよりも自らの負の感情に勝手に蝕まれており、どうしようもない状況に置かれているのが原因だった。
しかし、この原因はどうしても取り除けない厄介なものだとも自覚していた。
「で、どうなの?好きなの、嫌いなの?」
「好きですよ…」
これだけ長く一緒にいて嫌いな方がおかしかった。そう言うとエウスのことは気に食わないが、嫌いではないのもたしかだった、好きではないが…。
「そう、やっぱり、変わってないのね」
「ええ、変わってませんよ、私はハルのことが好きです…」
あらためて自分の思いを、誰かに口に出して言ってみるという物は恥ずかしいものだったが、少しだけ、身に纏っていた醜い感情の殻が砕けた気がした。
「そうだ、キャミルはどうなんですか?エウスのことどう思ってるんですか?」
反撃を仕掛ける、自分だけ言わされるのはなんだかライキルは納得がいかなかった。
「私も昔とちっとも変わらずエウスのことは好きよ、愛してるわ」
恥ずかしげもなく言う、キャミルにライキルはずるいと小さく呟くが、そんなのお構いなしにキャミルは続けた。
「でも、ライキルは大変ね、ハルは人気だからね、昨日のルナって人あれは完全に食いにきたって感じだったわ、相当な美人さんだったわ!」
「う、確かにそうです、正直、あんなに綺麗な人だと歯が立たないって思いました…」
ライキルの気分は一転して暗い気持ちに落ちるが、そこでキャミルは笑った。
「アハハハ、ライキルってほんとに素直で素敵ね」
「バカにしないでください、ほんとに最近は悩んでるんですからね!」
あのような舞踏会などの社交場で、ハルが他の人と踊ったり、話したりすることは彼が剣聖の時代からよくあったことなのでそこは別に気にならなかった。その役職柄、多くの人と交流を持つことは剣聖にとって重要なことだったからだ。
しかし、相手が相手だとライキルも気が気でなくなるのは、自分がハルを意識している証拠だと思わされた。
「悩みって何かな?」
「そ、それは…」
言えなかった。ガルナにハルが取られるかもしれないなど。そもそも、それを相談しても結局選ぶのはハルであり、自分たちじゃないのだから。
「言ってみな、楽になると思うから、むしろこのままため込んでおくと絶対この先後悔が待ってるよ、特に今抱えてるのはハルのことで恋のことなんだろ?」
なぜ、そこまで正確にキャミルは私を見抜くのか、ライキルはそのことを不思議に思うが、そこまで見透かされているなら確かに正直に打ち明けてしまう方が楽だった。
「うん、実はさ…」
ライキルはキャミルに思いの内を全て吐き出した。ハルに対する執着も、どろどろとした醜い嫉妬の感情とそれと同時にガルナのことも大切な友人のひとりということも、そのせいで自分はどうすればいいか分からなくなっていることも、何もかもキャミルに話した。
そこには深い信頼があるから話せることだった。
キャミルは決してライキルが間違っていることを言っても、すぐに決めつけて否定はせずに、解釈を広げて新しい道を提案してくれた。
普段は、自分が王族であることを嫌う、わがままで、おてんばに見える彼女でも、こうして寄り添ってくれる姿は、聖女様のようだった。
「そうだったのね、ライキルの気持ちは分かったわ」
聞いてもらっただけでライキルは感謝したい気持ちだった。
「ありがとう、キャミルなんだか、今日はいい夢が見れそう…」
「でも、ライキル、伝えるなら早めの方がいいわ」
「…え?」
「ハルに告白をするなら早めの方がいいの」
「なんで…」
そこでキャミルの口が開くと同時にライキルは思い出す。それは前から決まっていたことで、まだ何もかも途中だということを。
「ハルはこの表彰式が終れば、また、神獣を狩りに死地に赴くからよ…」
「…………」
穏やかなバルコニーに重苦しい空気が流れた。
この解放祭という楽しい日々は、神獣という脅威を忘れさせる。
しかし、本来の目的は忘れることではなく、次へ繋げるための祭りだった。
本当の解放祭は四大神獣を全て討伐した後、始まる。
この祭りは所詮レイド王国とアスラ帝国が白虎討伐を祝して開いた祭りに過ぎない。
だから戦いは続く。
目をそらしてはいけないその事実にライキルは俯いてしまう。
キャミルも少しだけ暗い表情になるが、それでも彼女は前を向いてライキルを励ました。
「けどねライキル悲観しちゃダメよ」
そこでライキルは顔を上げてキャミルの瞳を見た。虹色の美しい瞳を。
「ハルは帰って来てくれた、私たちのもとに、だから次も必ずまた帰って来てくれる。根拠なんかないけど、私はそう思うの信じてるから」
「ええ、ハルはみんなと約束してくれました、絶対に生きて最後まで戦うって…」
思えばハルは霧の森で自殺をしていた可能性だってあった。
『あれ、でも、なんでハルは自殺しようとしたんだろう…』
霧の森以来、誰もそのことを尋ねた人はいなかった。彼はいつも通りだったからだ。
そこでライキルは自分の存在価値を見つけ出した気がした。
『私、ガルナみたいにはなれないけど、ハルの暗い部分なら分かってあげられるかもしれない、いや、違う、例え分かってあげられなくても寄り添うんだ…ハルがもう死のうと思わないように…』
キャミルにこうして寄り添ってもらいライキルは気づけたことだった。
「どうしたの?」
ボーっと考えてるライキルにキャミルは声をかけた。
ライキルがハッと我に返り、キャミルの方を向いて言った。
「私、ガルナにはなれないけど、ライキルにはなれるって思ったんです」
その言葉を聞いた、キャミルは愛おしいそうにライキルを見ると微笑んだあと静かに一回、頷いた。
『そう、それでいいのよ、気づいてくれてよかった。ほんとにライキルあなたは素敵な人だわ』
「ライキル…あなたってほんと素敵よ…」
キャミルは小さく呟いた。
「え、何か言いましたか?」
「いいえ、何も、あ、ほら、料理がきたわ」
キャミルが頼んでいた食事が運ばれてきて、二人はその料理をおいしく頂いた。